矢田部英正「たたずまいの美学 日本人の身体技法」(5)~第4章 日本人の坐り方
和服と洋服の形は、それぞれ異なる立ち居のスタイルを求める。たとえば、洋服が似合う身体には、ヨーロッパ社会で理想とされる身体像が描かれており、それにもとづく振る舞いの姿が、一着の衣服のなかに縫い込まれていることさえ少なくない。日本の伝統服においても同様のことが言える。ある社会で広く共有される道具の様式に眼を凝らすと、物質文化のデザインには、それを生み出した社会が求める人間像についての多大な情報の刻まれていることがわかる。
洋服は床に坐るといことが想定されていない、男性用のスラックスにほどこされている前後の折り畳み線は、足をまっすぐに見せるためのデザイン的な配慮であり、正坐や胡坐で坐ったとしたら、脚線に皺が寄ってスラックス本来の造形的特色が失われてしまう。あるいは女性のタイトスカートなどが床坐に適さないことは説明するまでもない。こうした服飾デザインは直立姿勢を中心に組み立てられてきたヨーロッパの生活様式にもとづいて様式化されたものである。ヨーロッパ社会で坐るという行為には椅子やベンチなどが用いられ、その姿勢は休息や寛ぎ、手工業の作業姿勢や食卓における親密な情景をあらわす。しかし床坐の生活スタイルを伝統的に定めてきた日本では、衣服の形や食事の仕方、人との接触や対話の作法まで、床に坐ることが前提とされてきた。それぞれの社会が歴史的に採用してきた身体技法のなかでもとくに生活上の基本姿勢をどのような形に定めるか、という問題は、その周辺に広がる物質文化の様式を、根本のところで方向付けていることが考えられる。
日本における床坐の作法は、実に多様な坐り方の種類がある。その分け方については、正坐、胡坐、立膝といった坐り方の種類と同じ坐り方でも坐相が整うや乱れると分けられるという坐の質的特性の二つの次元がある。さらに「腰を入れる」という表現があるが、この技術は正坐でも胡坐でも、どんな坐り方でも成り立つ。また立ち姿勢や中腰姿勢でも成立する。その技術内容をせ対するためには身体の質的な習熟へと視点を広げる必要がある。つまり、坐の形態からその坐り方がどのような運動構造をもち、どの身体部位の柔軟性を必要とし、呼吸法をどのように駆使し、そのことによってどのように変化するのか、といった事柄を細かく検討する時に、腰を入れるという技術の実質に迫ることができる。
坐る種類は多様で、それぞれは見て分かる。しかし、その姿勢がどの程度完成されているかという習熟度は質的特性の視点がないと見分けられない。その習熟には身体を鍛えるという意味合いが含まれる。ただし、身体を鍛えるというのは、現代の筋力トレーニングとは違い、それは、呼吸や瞑想を駆使しながら、身体の形を錬成させて、姿勢の形態を質的に洗練させてゆくことである。
運動においても姿勢・動作の形態的な洗練は、筋力の浪費を少なくし、骨格の自然な構造にもとづいて動くための基礎をつくる。身体運動の洗練によって無駄に筋力を使わなくなる時に、骨で動く感覚があらわれたり、体軸や中心点といった身体を統率する感覚的な基点があらわれる。その習熟段階に到達するまでの過程には、筋力の訓練だけでなく、呼吸やイメージ、身体感覚などの訓練をしながら、身体の形を練ることが必要となる。このように形を練るということを姿勢・動作の質的な洗練とすると、呼吸や循環の健康を快復することと、機能的かつ美的な動作を獲得することとは、じつは一つの自然体へと収斂する。
坐り方のひとつの到達点のひとつに坐禅のかたちがある。それは日本的なものかもしれない。というのも、仏教の仏像を見てみると、ガンダーラ仏像はギリシャ彫刻のような均整の身体で、ヨーロッパの立ち姿が基本の生活姿勢のものだ。これに対して日本の仏像はなで肩で腰回りが太く、下半身も広がりのある安定感のある体型で、日本に古来伝承されてきた身体技法、身体能力の沿ったものとなっている。
腰を入れるという言葉が、日常動作の基本として、あるいは芸道の身構えとして、古来重んじられてきたことは、多くの人々が知るところだ。この言葉についての積極的なニュアンスは坐姿勢のみに限らず、身体運動のあらゆる側面に及んでいる。本腰を入れるという風に。物事に取り組む心構えについての積極的なイメージに結びついてもいる。この腰を入れるという言葉について、具体的な身体状況についての明確な定義は見つけにくい。身体の姿勢は精神の状態と密接な関係があると言われてきたが、それが精神論に傾き、腰を入れるを分かりにくくしている。
著者は坐った姿勢において、腰を入れるを次のように説明する。上半身をリラックスさせることと、骨盤を前傾させることとを同時に実現させた姿勢である。肩から胸にかけては力を抜き、腰部湾曲のピークが骨盤の上縁より下に位置している。このことは姿勢・動作を支える視点が骨盤内部に収まっていることを判断する指標となる。したがってこの姿勢では、上半身の重さが骨盤の全体で受け止められていて。他の二つの姿勢に比べて耐久性が高く、骨格の自然に適った姿勢となっている。ここに見られるような上半身の脱力にともなう胸部の後彎曲と、腰部前彎のピークが腰骨上縁より下に位置する骨盤の立ち加減は、自然体を判断する一つの指標となりえる。この状態を保ちながら運動を行なおうとする時に、運動上の負荷は骨盤内部の仙骨へと収まり、椎間板へのストレスは大幅に軽減されることができる。
このような腰の入ったという身体技法と服飾様式との関係を見る。衣服を形づくる造形の基準について、ヨーロッパの服飾様式が肩を規準に上半身の立体的な造形を服そのものが表現してきた伝統を持つのに対して、日本の着物は骨盤を中心に帯を幾重にも重ねも平面的に構成された着物に独特の造形美を与えようとする。このゆとり量の多い服飾造形の技法によって、着物は着る者の肉体を完全に覆い隠す。さらに帯を幾重にも重ねて腰まわりは重厚に締められているが、上半身を圧迫するものは何もない。上半身をリラックスさせ下半身を充実させる「上虚下実」という坐禅の姿勢は武道にも流用されているが、その体系は服飾様式にも関係しているといえる。
これらのことから、腰を入れるという骨盤操作の技術は、生活上の作業や作法から、諸芸道の身構えに至るまで、日本文化広く見られる。日本人の身体技法に一連の秩序を与えてきた基層文化として位置付いていた。それは近代以降の文化とは異なるものだ。
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