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2024年11月

2024年11月29日 (金)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」

11113_20241129220801  「この生」というタイトルは「この」という指示語をつけることで一般的な人生ではなく、私たち一人ひとりの生、とりわけ有限な生(死という終わりがある)を考える。この中心的な問いは、「私たちは自分の時間を使って何をなすべきか」というものである。一見茫漠とした問いだが、この私のこの生にとって、これ以上にないほどに根本的な問いが立てられている。みずからの存在の意味を追究しようとする実存の問いといってもいい。この問いたてうることが精神的自由と著者が呼ぶものの基本条件を成している。そして、これを宗教的信仰に対する、資本主義に対する徹底した批判として展開している。これらは、精神的自由、宗教的信仰に対しては世俗的信を歪め抑えつけるものだからである。
 私の偏見かもしれないが、この本を読んでいて、著者は当たり前だから考えもしないのだろうが、基本的な考え方の西洋的な思考の方向性、もっというとローカリズムの臭いのようなものを強く感じた。例えば「私たちは自分の時間を使って何をなすべきか」という基本とする問いがそうだ。とくに鼻についてのは「なす」という行為をして結果をだすということが当たり前になっているということ。本論のなかで宗教的信仰への批判を延々とおこなっているが、その基本姿勢は「天国は退屈」という認識。天国で永遠に救われてしまったら、何もなす気にならない、そんなのは生きている意味がない、というのがその批判の主な主張。これは、私にからみれば、そんなの好き好きじゃないか、ということになる。そうすると、この書は「私たちは自分の時間を使って何をなすべきか」という著者が好んでいる人生の捉え方を提示して、そうでない姿勢を批判しているという内容に見えてくる。それって、好きだからいいことだというトートロジーだよね。

 

2024年11月11日 (月)

瑛九─まなざしのその先に(4)~Ⅲ 1957~1960

Eikyu2024lake  いよいよ、丸や円による抽象画の制作に没頭した晩年の作品群です。私にとって、ここで並んでいる作品こそが瑛九のイメージです。ここからは、何かを描くということがなくなり、抽象的で色彩が印象的な作品が並びます。
 1957年の「みづうみ」という作品。画面全体の濃淡のプルーがとても印象的で、その深い青に、惹き込まれてしまいます。そこに、さまざまな色で塗り分けられた亀裂のような網目が被さるように全体を覆っている。その網のような細い線にほどこされた、青、赤、水色が、網目の奥の深い青の中、何かが隠されているかのように思わせる。そこに大小の丸が前後に挟み浮かんでいる。それらの色彩が響き合うように調和している。この網目は、前のところで見たフォト・デッサンの「無題」という作品で、セロファンのシートにペンで極細の線を縦横に描き込んだものを感光させて、筆では描けないような極細の線で画面全体を覆ったのを、筆による手描きでやってみたものと言えると思います。筆では極細の線は無理ですが、その代わりに多彩な色を使って異なった効果を作り出しました。そしてまた、網の目の間にのぞく深い青に濃淡がつけられて何か隠れていそうというのは、2年前の「夜の森」に通じるEikyu2024blue ものと言えます。この作品は、これまでに試してきた手法や要素を抽象的な絵画の画面に集約させた、つまり、これまでの試行を集大成して、新たに抽象画に転じたものと言えると思います。
 同じ年に描かれた「籠目の青」という作品です。「みづうみ」では控えめだった編み目が前面に出て、画面を支配しています。編み目は複雑で多層的な空間をつくりだし、その編み目の四角や三角が黒い粒子のように見えてきます。この粒子の方に重点を置いて画面を見ると、編み目は背景のように見えてくる。つまり、この画面を逆転すると、この後に描かれる丸や円形を散りばめた作品のつくりになると言えます。そして、中央に黒い円が現われ、この後の丸の集まりの作品を予見するかのようです。
Eikyusakuhin  同じ年の「れいめい」という作品です。これぞ瑛九といってもいい作品のひとつだと思います。パッと見て、とにかく青が美しく、惹き込まれるようです。神秘的でもあります。この青という天上的な色彩こそこの作品の本質であると言えます。これまでの作品では編み目が画面を覆っていましたが、それがひび割れた格子やアメーバ状のものとなり、次第に描き込みが加わり、この作品では浮遊する円形となりました。その円形が浮遊しているような動きを感じます。真ん中に引き込まれそうでもあり、まわりに広がっていくようでもあります。真ん中はひときわ明るく、周りは暗い。この色の明度の違いが動きを感じさせていると言えます。真ん中の大きな同心円状の円により吸い込まれるような奥行きを感じさせます。これらの要素が相俟って、見る者にさまざまなイメージを引き起こすのです。
Eikyublue  1958年の「青の中の丸」という作品は「れいめい」同じように青を基調とした作品です。画面のサイズはより大きくなって、それはスケールとして見る者に迫ってきます。また、「れいめい」では画面が全体として3つの局面によって構成されていました、すなわち同心円構造のようになって、一番外側は白黒の無彩色の世界で、その内側は青地に黒い水玉が入り込んでくるような世界、そして一番内側は薄い青から段階的に白くなっていく地の上で、青から黄色や緑色等の色の水玉が派生するように生まれてくるような世界、そういう多層的な秩序が感じられるコスモスのようでした。これに比べると「青の中の丸」では地は一面の青で、それが大きなサイズの画面一面に広がって、そこに無秩序に不定形の粒が様々に色づけされている。そこに何らかの秩序を見つけることは不可能に近い、そういう画面です。このコーナーでは、いままで3点の作品をとりあげてきていますが、だんだんと言葉で記述するのが難しい作品になってきています。私には、語ることのできる語彙が、それほど多くないので空々しく言葉を重ねるのは作品対して失礼な気がしてきます。ここでひとついえることは、これほど抽象性が高く、色彩が多岐であるにもかかわらず、それぞれの色彩が明確で、はっきりしているということです。そして、画面上の粒のひとつひとつが浮き上がるようにハッキリしている。それが目にちゃんと映るということです。何か当たり前のように思えるかもしれませんが、このように無秩序のような画面で同じような粒が無数にあると、ふつうはひとつひとつがぼんやりと認識されるようになるはずなのです。それに伴うように、粒の色彩が混じってしまうような、全体としてぼんやりとした靄のような印象になってしまいがちなのです。ところが、この作品では、ひとつひとつが隅に至るまで、はっきりと見えてしまう。これは、明らかに意図的に、そのように画面が作られているということです。そのために画家は、画面構成もそうですし、実際に描いているときも、色を塗ることや、筆遣いなどで、こんな大画面にもかかわらず、かなり細かくて注意力を要する作業を強いられたのではないかと思います。それは、抽象的な作品でありEikyu2024maru ながら、曖昧になってムードのように捉えられてしまうことを、瑛九という人は潔しとしなかったのではないかと思えるわけです。あくまで視覚的に明確であるということ、視覚以外のものに安易によりかかるような妥協をせずに、作品を見るということだけで、そこにイメージをつくりあげるという方向、それが、瑛九という人の姿勢ではないかと思えるのです。
 同じく1958年の「丸2」は、散りばめられた丸が丁寧に色彩を重ね筆触を残してあると、平面的な丸ではなく、平面から盛り上がるような立体感があるように見えてきます。その反作用で背景のオレンジ色の部分がへこんでしまったような。それは、あたかもオレンジ色の壁に円形のタイルをはめ込んだような不思議な立体感を感じさせる作品です。
Eikyuafternoon  同じ年の「午後(虫の不在)」という作品。画面において、密度を高めていった丸は、流動性をもった短い筆触へと置き換わる。「丸2」で丸に筆触を残して立体感を生じされていたのが、さらにハッキリと筆触を顕わにしたことで、丸に動感を生んでいます。そして、筆触に統一的な方向を持たせたことで、丸の群れがひとつの方向に動いているような印象を与えます。
 同じ年の「激流」は、大きな画面で、これぞ点描という作品です。「激流」というタイトルですが、少し距離をおいて全体を眺めると、そんな、激しいという印象を受けることはありません。むしろ、静謐な印象です。しEikyu2024hard かし、作品に近寄ってよく見ると表面に見えている点描の下に、さらに無数の点描が描かれていて、その点描のひとつひとつは必ずしも丸い点ではなく筆触があらわになって、それぞれの点描の筆触の方向が集まって、大きな流れとなっています。それが画面に動きを作り出しています。全体として静謐なのに、動きがそこに生まれているという不思議な世界です。話は変わりますが、日本の作家で点描をウリにしている作家に草間彌生がいます。草間の点描と比べると瑛九の点描の特徴が際立つと思います。草間は水玉がトレードマークですが、点描の点も水玉で、点のひとつひとつが自立完結し、集まった全体が動き出すような草間の点描に対して、瑛九の点描は筆触が残っていたり、ひとつひとつの点が流れるようなところがあって完結していない。ある意味、草間の点の強靭さに対して、瑛九は弱いと言えるかもしれませんが、何かを探り求めるような、成長しつづけるような開かれた動きを感じさせるところがあります。
Eikyu2024fly  最後に絶筆となった大作「つばさ」です。2.6m×1.8mという壁を見上げるような大作です。その大きさにも圧倒されますが、この大画面にひとつひとつ点描を描いていたというのですから、しかも、その膨大な点の数と、配置や大きさ、色づかいなどを計算しながらその一つ一つの点を丁寧に描いていた画家の姿を想像すると鬼気迫るものを感じます。とはいえ、重量感とか圧迫感はありません。全体の色彩が淡いせいもあるかもしれません。透明感というか、静かで、いつまでも、この作品の前で眺めていたいと思わせる作品です。ずっと眺めていても、飽きることはなく、かといって疲れるようなことはない。

 

2024年11月 9日 (土)

瑛九─まなざしのその先に(3)~Ⅱ 1951~1957

 フォト・デッサンに加えエッチングやリトグラフと活動範囲を広げ、その手法を油彩画に取り込み、エアー・コンプレッサーを用いたりして、幻想的、抽象的な新しい表現を試みた時期ということです。

Eikyu2024turntable Eikyu2024woman_20241108234201 Eikyu2024dance Eikyu2024untitle

 フォト・デッサンは『眠りの理由』の頃に比べて、これまでの経験で得た新たな発想や技法を取り込んで、多層的で複雑なイメージを作り出しているということです。「廻轉盤」(一番左側)という1951年の作品では、様々な型紙をいくつも重ねて、しかも、画面左上の型紙は二重に感光しているのでしょうか。あるいは、型紙に目の細かい金網を使って半ば光を透過させたり、光の当て方で感光の程度の違いにより、黒、グレーの段階的な色分けが層となっています。はたまた、右上から左下への曲線は針金か、右下はスプーン、というように様々な層が、折り重なったり、浸蝕したりして、『眠りの理由』の作品に比べて、はるかに複雑で奥行と混沌とした空間を生み出しています。「女」(左から2番目)という1952年の作品では、白い細い線が縦横に走っているのは、ネットかレースの網目を用いて感光を妨げたためだろうと考えらます。しかも、中央部で人形の黒い部分に横に走っている白線に一部黒い縦線で断ち切られているのは、懐中電灯を光源にして、その光を絞ったペンライトによる光でのドローイングによるものです。この光によるドローイングは展示で説明されていました。この作品を見ると、それぞれの面が重なり合っているのですが、人形の影が白い線の上になったり下になったりして、単に重層化しているわけではない。それぞれの重なKumagaidance りが、一律ではないのです。光と影が曖昧で、影である筈が光になっていたり、その逆があったりする。それが、細部で行われているたに、見る者は違和感をそれほど感じない。でもよく見ると・・・。それが、全体として、何か不思議な雰囲気を作り出しているように思います。「ダンス」(右から2番目)という1953年の作品は、これまでの様々な技法を用いた制作の成熟した作品ではないかと思います。全体の印象が、アンリ・マチスの「ダンス」を想い起こさせる作品です。それだけ、受け入れやすい作品だと思います。そして、「無題」(一番右)という作品は制作年不詳ですが、画面全体に極細の白い線が網目のようにびっしりと引かれているのは、セロファンのシートにペンで極細の線を縦横に描き込んだものを重ねたためだということです。こんな極細の線は、筆ではず描けないだろうし、型紙では作れません。この極細の線が画面に溢れている様子だけでもすごい。この極細の白線で溢れた作品を見ていると、瑛九が油絵だけにとどまらず、写真やコラージュ、この後に展示されている版画といったさまざまな表現を試みたのは、このように油絵ではできないことを表現したかったのだろうと思いました。
 Eikyu2024red 次には、また油絵の展示です。「赤い輪」という1953年の作品です。前のところで見た「蝶と女」からわずか2~3年しか経っていませんが、色面で画面を構成するという点では共通していますが、使われている色が格段に鮮やかになり、それだけ色彩のコントラストが明確になっていて、色どうしの緊張関係が強く現われています。そして、色面が幾何学的になり、「蝶と女」では人とか蝶といった物体の形態をなぞっていたのが、そういう物体とか離れて、色面自体が図形の形をとるようになっています。つまり、何かを描くということから離れて、色面自体が画面をつくるようになっています。表われた形は違いますが、モンドリアンを想わせるかもしれません。このあたりで、瑛九が何かを描くという対象から、堂々と離れることを始めたのではないかと思います。フォト・デッサンやコラージュを制作していて、本来なら何かを写す写真が、その何かという意味を剥ぎ取るようにして、違ったものとして成立する面白さ、その結果としての不思議で美しい世界。そういう試行錯誤を何度も繰り返すうちに、そういう姿勢が絵画にも反映するようになったと考えるのは短絡的でしようか。そして、当時の白黒写真ではできなかった色彩を求めて絵画の制作に還ったとか、これは作品を見た私の想像です。
Eikyu2024mother  次に展示されていたのはエッチング、つまり銅版画です。瑛九がエッチングの制作を始めたキッカケはプレス機をもらったからだと説明されています。思うのですが、そんなもの他人に贈られたからといって、始めるでしょうか。普通はしないと思います。だって、エッチングの制作には、たくさんの道具が必要で、何よりも素材である銅板が必要です。しかも、油絵を描くより面倒くさい工程がたくさんあって、それに習熟しなければなりません。そう簡単に手を出せるものではないはずです。エッチングの作品をひとつ仕上げる手間と、油絵を一枚仕上げる手間を比べれば、瑛九ならエッチングの方がはるかに苦労が多いはずです。それにもかかわらず、沢山の作品を制作しているということです。よほど、性に合ったのでしょう。彼はエッチングにおいて「僕はすべてがぢかボリです」と記して、心の中から次々と湧き上がってくるイメージを、下書きもせず即興的に銅板に彫っていたと言います。フォト・デッサンでセロファン・シートを用いて極細の線で画面を埋め尽くすというのは、油絵では無理で、むしろエッチングでならできます。「母」という1953年の作品では、極細の線が画面を埋め尽くしています。こういう細かいもので画面をいっぱいにするというのは、瑛九の嗜好するもののひとつだと思います。この作品は、画面中央に、向き合う二つの顔が描かれていて、そのまわりを、建物、奇妙な生き物、有機的な形が、重なり合いながら画面いっぱいに埋め尽くし、不思議で幻想的な世界が表現されています。同じ年に制作された油絵「赤い輪」では何かを描くということから離れてしまったのに、この作品では何かが画面に溢れています。そのことから、瑛九にとっては、抽象とか具象とかいったこと、何かがあるかないかといったことは、あまり気にならなかったのかもしれません。
Eikyu2024light  次に展示されていたのはリトグラフです。瑛九は1956年に印刷業者のもとで基本的な石版技術を学び、本格的にとグラフの制作を始めたと説明されています。瑛九は「リトにとりつかれて、なかなか脱出出来ません。まったくリト病です。」と語るほど傾倒し、多くのリトグラフを制作したと言います。この人は、好奇心旺盛なのか、いろいろなことに手を出すようです。手を出すのはいいのですが、エッチングにしてもリトグラフにしても、制作にはかなりの手間がかかるものだろうに、普通は、それぞれ専業で制作するのでしょうが、瑛九は、それらを制作し、しかもそれぞれ多数の作品を残しているというのですが、そのエネルギーはどれほどのものだったのでしょうか。しかも、油絵もエッチングもリトグラフも、それぞれ傾向が違うので、瑛九は、それぞれの手法を使い分けていたのでしょう。リトグラフについて、エッチング同様下描きをせずに、次から次へと湧き上がるイメージを絡ませながら画面を覆う感覚により即興的に制作していたと説明されています。作品を見ていると、奇妙な、摩訶不思議な何かを描くのには、エッチングやリトグラフをもちいて、中でも極細の線で画面を溢れさせる場合はエッチング、色彩を入れて面の要素を入れたい場合はリトグラフ、抽象的な画面を計算しながら構成する場合は油絵という具合に分けていたように思います。「ともしび」Eikyutravel Nambatafusyou いう1957年の作品は何か植物のような感じはしますが、奇妙な何かです。また、同じ年の「旅人」(右側)という作品は、色とりどりの風船のような不思議な何かが漂う、右上の月の光も届かないような暗い森をさまよう旅人(?)たちでしょうか。林立する縦の線は森林の木々のようだし、宙に浮いているような形態は風船のように見えなくもありません。現実の形態とはまったく関係のないものではないかもしませんが、現実の物体として見る者に実感させるものではありません。この後で見る、点描のような、現実に存在する物体を連想することができないような抽象的な作品に比べれば、想像の足掛かりとなるように機能をしていると思います。そういう点で親しみ易さがある作品ではないかと思います。それは、この作品について何が描かれているのかという解釈をすることができるという点です。シュルレアリスムっぽいところというのでしょうか。例えば、風船のように浮かんでいる物体は何を意味するとか、そういう仕方で見る者は想像する筋道を与えられる点が、この作品の親しみ易さになっているのではないかと思います。それは、例えば精神風景とか、この風船のようなものは、戦後美術のアンフォルメルを想わせるところもあります。この作品をみていると、瑛九の子の世代の難波田史男の作品(左側)を想い出します。
Eikyu2024night  この章の展示は最後で油絵になります。「夜の森」という1955年頃の作品。「旅人」から続いてこの作品を見ると、暗い作品が続き、両方とも心の闇に通じているような印象を受けるかもしれません。題名は「夜の森」ですが、夜の森を具体的に描こうとしたわけではないでしょう。夜の森を心の中を象徴的に表わすものとして、その奥深くにひそむ闇を描いていると想像することもできます。ただし、今まで見てきた作品から、瑛九という作家は作品に心情を託して表現するということとは遠い人のように思います。だからということもないが、展示されている作品には、この作品のような見るからに暗い感じの作品はありません。そういうことから、ことKumagaideath さらに心の奥深くの闇といった解釈じみたことは、あえてとらず、画面を見ていくことにします。何か描かれている上から丹念に深い青いがかぶせられていろいろな表情を見せています。青の濃淡と下に描かれているものの混ざり合いは、夜の闇の深さとそこに何かが潜んでいるような緊張感を生み出しているのです。それで、見る者は、眼を皿のようにして、何が潜んでいるのかを探してしまう。よく見ると、暗い青の中に黒い線が蠢いているように見える。ただし、これは実際に見えているのか、そのような想像をしているのか分かりません。穿った解釈かもしれませんが、実際に描かれたものが、見る者には見えているのか、想像しているのかという現実と幻想の区別を曖昧にしているのです。違うとも言われかねませんが、熊谷守一の「轢死」をちょっと想い出しました。
Eikyu2024flower  「花」は1956年の作品です。小さな花のモチーフが、画面いっぱいに咲き乱れるさまが描かれています。画面いっぱいに敷き詰められた大小二重丸の色面は、直感で色を置いているように見えますが、よく見るといくつかの組み合わせが認められ、実はシステマティックであることが分かります。例えば、黒に近い紺を二重丸の中心部に使う時には、外側に同系色の少し明度の高い青を置き、反対に外側で紺を使用するときには、発色の強い黄を中心に置いているパターンがいくつか認められます。これは「色相環」の計算が入っていると考えられます。ベースカラーとしての青と「補色」の関係である橙を効果的に入れている例を見ると、色の性質をよく理解した上で、扱う色の配置や画面を占める割合が整理されていて、一見すると単純な画面構成に見えますが、絶妙なバランスで色面が配置され、気持ちよく見えるように計算されていると思います。その上で、画面全体にあふれる色鮮やかな円形は、咲き乱れる花のようにも、飛び散る花火のようにも見えます。ひとつの円から別の円へと視線を動かして見ていくと、前景と後景があいまいになった不思議な遠近感が生じ、画面に流動的な動きを感じることもできます。この作品も、抽象とも具象ともいえるような、両者の区別を曖昧にした作品と言えます。
Eikyu2024woods  そして、吹き付けによる作品が並びます。筆を用いず、エアー・コンプレッサーによって送り出した空気によって、スプレーガンで絵の具を吹き付けることで描いた油絵作品です。プラモデルを作ったことのある人は、吹き付けのスプレーで塗装するのと同じ要領というと分かるかもしれません。瑛九は、フォト・デッサンと同じように型紙を使い、吹き付けによって彩色するというものです。その効果もボカシや型紙によるくっきりとした線、下の絵が透ける形の重なりなとが共通しています。しかし、吹き付けをすると、粒子状に微細な絵の具の点が定着されます。型紙の形以外の部分には微細な色の粒子の粗密だけしかなく、フォト・デッサンではできないようなグラデーションやボカシが生まれています。それが、より幻想的な雰囲気をつくります。「森の中」という1957年の作品です。画面全体のうごめくようなフォルムは、暗い色調の中で黄色く浮かび上がり、森の奥深くに生きるものの生命を感じさせ、まるで夢の中をみるような幻想の世界を生み出していると言えます。同じ年に制作された「カオス」は、幅3mを超え、4枚のパネルで構成されている大作です。雲みたいな茫洋とした形や円形のように幾何学的な形の型紙を用いて、吹き付けを行い、それらが少しずれて重なり、色が滲み気味になることで、輪郭がぼやけて曖昧になり、形で不明瞭になる。それで、形象性や記号性は希薄になり、均質空間、そして、吹き付けで定着した微細な粒子状の絵の具の点に還元されつつあるようなことになり、この後の丸が並ぶ抽象に近づいている。そのプロセスの途上にある。その途上の、現実と幻想、あるいは具象と抽象の狭間の世界を見ることができる作品だと思います。その過渡期は、はかなく、そして美しいと思います。

Eikyu2024caos

2024年11月 7日 (木)

瑛九─まなざしのその先に(2)~Ⅰ 1911~1951

 上京からフォトグラム作品「眠りの理由」が注目され、その後スランプに陥り、印象派研究からキュビズム、抽象など次々に画風を変転させながら、理想の表現を模索していくという時期です。
Eikyu2024zamenn  「ザメンホフ像」という1934年の作品です。その年は、フォトグラムを発表する前年です。この後のフォトグラムと比べると、同じ人の作品とはとうてい思えない。それだけ、ガラッと変わってしまうということが、この人にはあります。でも、この作品を見ていると、普通に上手い、と思います。でも、これでは物足りなかっただろうな、と思います。瑛九本人は、この程度は描くことができてしまうが、これ以上の伸びしろが想像できない、というより、このまま行っても、単に上手い人だけで終わってしまうと先が見えてしまう。そんなことを本人が実際に考えたとは言い切れませんが、少なくとも、後の時点の現在の私が見れば、この方向では先がなかっただろうことは想像できます。
 その次に展示されていたのが、フォト・デッサン(フォトグラム)集『眠りの理由』に収められた作品です。フォトグラムというのは、物体を直接乗せて感光させることで、写った物体のシルエットによる光と影の構成により幻想的なイメージを作り出すというものだそうです。この手法を始めたマン・レイやモホリ=ナギといった人々は現実の物体を印画紙の上において本来の重量や質感が切り捨てられてシルエットとして形態だけが光に浮かび上がるということで超Eikyumanrei 現実的なイメージをつくったということです。マン・レイの作品をみると、物体の影が印画紙に露光して、本来の物体の一部が通常の見慣れた見方とは違う角度で写っているため、異化効果を生み出している面白さがあります。しかし、瑛九のフォト・デッサンは自らのデッサンを切り抜いて型紙とし、それらを組み合わせて感光させ、印画紙の上にイメージを定着させたところに、当時としては新しさがあったといいます。写真というか、人の手で描くという要素が入り込んでいるようです。ここに並んだ作品を見ると、両手を上げた人の形が、それぞれに現われています。人の形が上下逆さになったり、裏返ったり、また他の型紙と組み合わせたり、そして、それらへの光の当て方をさまざまに変化させています。それがシリーズとして、一連の作品の中に角度を変えて、光のよる効果や影の変化に絡むように、まるで音楽の変奏曲のテーマのように繰り返し顔を出して、一連の作品にアクセントを与えています。こういうのは、一種の“あそび”のように思えて、見ていて楽しい。「こんなのもあり?」「こりゃなんだ」とかいう声が聞こえてきそうです。キュビスムもシュルレアリスムも抽象もヨーロッパの近代芸術には、本質とは何かとか、存在を表現するとか、すごく真面目な理念のようなものが先行していますが、ここにある作品を見ていると、そういうのも否定はしないが、今、目の前のこれは変だとか面白いとか言って嬉々として、異なる組み合わせを試しているという楽しさを瑛九のフォト・デッサンを見ていると思うのです。実際には、瑛九自身は、思ったような評価を受けられなくて、自身の方向性を悩んでいたということですが。

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 次に展示されていたのは、コラージュによる作品でした。これらのコラージュやフォト・デッサンの作品は8年前の近代美術館の展覧会で見たはずなんですが、全く覚えていなくて、初めて見るようなものでした。コラージュは、通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質Eikyureal Eikyureal2 とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることで、例えば壁画のような造形作品を構成する芸術的な創作技法です(ウィキペディアより)。瑛九のコラージュは、モチーフを本来あるべき環境や文脈から切り離し、別の場所へ写し置くことで、画面に違和感を生じさせるものだそうです。瑛九は、女性ファッション誌や、身近にある印刷物を一旦バラバラに切り抜き、それらを組み合わせ再構成したということです。フォト・デッサンもコラージュも、モノが本来あるべき環境や存在といったことから切り離して、その形態だけに着目して、その切り離された形態を組み合わせる、ということが共通しています。おそらく、瑛九という人のモノの捉え方は、形態を優先して、まず、そこから目に入るのではないかと思います。例えば、「リアル」(右側)という作品は、謎めいた物体が暗闇に浮かんでいるように見えます。この謎の物体は映画雑誌やファッション雑誌に掲載された女優やモデルの写真から、額と髪の毛の生え際、頬、首などが切り抜かれ、寄せ集められたものだそうです。一方で、その人物の個性を示す目や口などは、あえて除去されているので、全体として、謎めいた不気味な物体としか言いようがないのです。しかも、背景は真っ黒です。また「作品」(左側)では、ブドウの房から女性の身体が生えてきたようにあって、顔の部分は握った指になっている。言葉にするのもバカバカしいような、不思議というより笑ってしまうようなものです。私は、これらを見て、何か考えるという前に、面白がっていました。
Eikyu2024birth  展示では、このあと絵画作品が並びます。フォト・デッサンやコラージュなどの制作を経て、絵画を描くことを再開したといいます。まず、展示されていたのは抽象的な作品で「誕生」と題されていました。四角、三角、丸といった幾何学的形態で画面を構成しています。最初の方で見た作品や、ここで並んでいるお勉強の油絵作品を見ていると、全体として、瑛九の特徴として考えられるのは、力強い線を引くとか、筆遣いでタッチを使い分けたりということなくて、シルエットのような平面で形態をとらえて表わすことに長けていて、その形態の組み合わせ、とくに似たような形態を重ねたり、繰り返したり、あるいは形態を別のイメージに転用したりして画面を構成する。そういうことから、具象というより抽象的な表現になっていく傾向があると思います。この他に、印象派やキュビスムに習ったような作品が展示されていますが、マチエールを重ねて筆触を強調することもなく、あるいは濃淡のグラデーションも淡白で、塗りは平面的で薄塗りの傾向で、色は手段という感じです。これについては、制作された時代が戦時中で物資か不足し、絵の具を節約せざるをえなかったことも原因しているかもしれません。その後も、瑛九の塗りは概して薄めで、色は塗ってあればいいという感じです。
Eikyu2024chou  「蝶と女」という1950年の作品で、キュビスム的と言えるかもしれません。色面による構成で人物の造形を作っています。私には、その色面を組み合わせていたら、結果としてキュビスム的に見えるようにできたという方が適切に思えるのですが。左上に飛んでいる蝶の記号化したような描き方はキュビスムとは言えないし、人物の手を赤い線の輪郭のみで掌は透明で身体が透けて見えるのですから。全体として平面的で、塗り絵を塗っているような印象です。色彩のコントラストは、かなり考えて計算されているのではないか。色面の関係がこの作品のウリではないかと思います。しかし、どこか、らしくないというか、もっと整理できるのではないかと思ってしまいます。未だお勉強いうことでしょうか。

 

2024年11月 6日 (水)

瑛九─まなざしのその先に(1)

Eikyu2024pos この日は勤め先の創立記念日で休み。定年再雇用も最終年度になり、これが最後のというので、いつものように漫然と家でゴロゴロではなく、何かしてみようと考えた。朝の天気は晴れだったので、今まで、ちょっと気になる企画展をやっていたが、遠いので、なかなか行くことができないでいた、横須賀美術館に行ってみることにした。やっぱり遠かった、午前9時に家を出て、現地着は12時10分過ぎ。実に3時間弱。京浜急行にのって八景島あたりを過ぎると遠足のような気分、馬堀海岸の駅からバスは地元の爺さん婆さんが大声で世間話に興じている。これで美術館に行けるのか、と上野あたりの美術館とはまったく異質な雰囲気。バスは海岸に出る。バスを降りると、リゾートの雰囲気。広い芝生を前景に美術館が海に向けて建っている。芝生で子供が寝転んでいる。建物は全面ガラス張りで、明るい。向かいの海は船が行き交っていて、なかには護衛艦の姿も。美術館で作品を鑑賞しなくても、この芝生でのんびり海を眺めていてもいい。私の家からは遠く、帰りの時間を考えると、あまり、ゆっくりもできないのが残念、そう思わされる。
 Eikyu2024yokosuka バス停を降りたのは7~8人がぞろぞろと海外沿いの道を美術館に向けて歩いていく。着いたのが昼だったので、美術館の前庭に面しているレストランは満員。平日で、こんな辺鄙(?)なところなのに?この場所で、企画展は瑛九、戦後の作家で、そんなに人出があるの・・・こんな風に考える私には偏見があるのか。会期は終わり近いからなのか、展示室は、混雑してはいなかったが、人の流れは途切れることなく、そこそこの人出。それで、ほどよい緊張感と静かな鑑賞ができた。
 瑛九という作家とは、埼玉県立近代美術館や東京国立近代美術館で点描の抽象画に出会って、瑛九という名前もそうだが不思議な作家と思って、強く印象に残っています。ただし、伝記的事実とか、国内でどのような位置づけとかいうことは、よく知りません。その紹介もかねて、主催者あいさつを引用します。“瑛九(1911~60)は、油彩画のみならず、写真、版画など多分野で創作活動を行い、作風も印象派やシュルレアリスム、キュビスムなどに刺激を受けながら、めまぐるしく変貌し、絶えず新しい表現を模索し続けました。また、批判的精神を持ち続け、美術や社会に関する評論活動に精力的に行い、「デモクラ―ト美術家協会」を組織するなど指導者としての顔も持った瑛九の存在は、その作品とともに、同時代や後進の芸術家たちを惹きつけ多大な影響を与えました。本展では、最初期から絶筆に至るまでの油彩画を中心に、「フォト・デッサン」による写真作品、銅版画やリトグラフなど、各分野の代表作による約100点を一堂に展示します。自ら理想とする美を追求し続け、戦前・戦後を駆け抜けた瑛九の軌跡を紹介します。”
 前回に見てきた木下佳通代の作品が理念とかコンセプトが先行するものだったのにたいして、今回は感覚、もっというは美とかきれいというのがあって、やってみたらきれいだったというのに方法論がついていって、その見直しの試行錯誤から、こういうキレイなのができた、というような作品の方が、私は好きだということが、よく分かりました。なお、展示作品の撮影は自由ということでしたが、木下ときにいた撮影の大忙しで碌に作品を見ないという人はおらず、シャッター音は聞こえてきませんでした。
 展示は3章に分かれ、美術館の三つの展示室で展示されていました。それぞれの作品を見ていきたいと思います。

 

2024年11月 4日 (月)

廣瀬淳「監督の癖から読み解く名作映画解剖図鑑」

11114_20241104235301  スティーブン・スピルバーグは同じものを反復する。しかも反復する時に、同じものが大量になる。例えば、「未知との遭遇」ではピロリロリと宇宙人に音でメッセージを送る。これで十分なのに、電光パネルを光らせる。あるいは、エリック・ロメールは平凡な世界に、特別な出来事を到来させる。このような特徴を著者はクセといって、各作品で、こういうように現われていると指摘する。こういう議論は、そうでないと思う人は反証をあげて、そうじゃないと議論することができる。これだと議論が成立する。これに対して、ヒューマニズムとかセンスがいいとかフランス的だとかを特徴だというと、具体性がないので反証をあげるなど議論が成立しないし、反対意見は、主張した人の人格やセンスを云々することになってしまって、映画についての議論ができなくなる。私は、著者の言っていることに必ずしも納得しないが、(例えば、スピルバーグのクセは黒澤明のクセといった方がよりふさわしい)議論することができるので、尊重できる。軽い体裁の本だけれど、映画についての本としては、いい本だと思う。
 ヒッチコックのクセとして登場人物の知らないことを観客に知らせてしまう。例えば、「ダイヤルMを廻せ」では、殺しの現場を観客に全部見せてしまう。観客は事件の前部を見て知ったあとに、登場人物による真相究明作業を見ていくことになる。映画史では、ヒッチコック以前の映画では、観客は登場人物と一緒に真相を追いかけるものだった。だから映画を見ながら、事実を発見したり、危険にハラハラしたりしたのだった。これをヒッチコックは「サプライズ」だと呼び、自身の映画はサプライズではなく「サスペンス」だと言った。観客は真実を先に知っているので、登場人物といっしょに真実を知って驚くことはない。その代わりに、登場人物が真実を知った時に、どのような反応をするのか、ということを楽しむのがサスペンスなのだ。ここに、観客に映像そのものを見る余裕が生まれた。それに応えるように、トリュフォーによるインタビュー「ヒッチコック・トリュフォー」で明かされる様々な仕掛けを工夫したのだった。この指摘には感心した。なるほどと思った。

 

2024年11月 3日 (日)

没後30年 木下佳通代(4)~第3章 1982~1994

 写真による表現を離れ、パステルを用いた表現で捉えようとした線と色の関係性から、油彩による表現につながっていった。それまでの制作での不自由さから脱け出すべく、身体的な方法として、描いては塗りつぶすことを繰り返すという方法に傾いていった。「存在」をめぐる概念や理論を理知的に作品に盛り込むのではなく、「存在そのもの」を画面の上に作ればいい、と図式的なコンセプトを取り去っていった。と説明されています。でも、コンセプトを取り去って、とっかかりがなくなったというのが、全体の私の印象です。この人は、方法を変えるたびに、何かを削っていくのですが、それは減点していくようなもので、加点がないのではないか、そんな感じです。
Kinoshita8279  「’82-CA1」という作品。「存在そのもの」を描き出せばいいと思い至り、画面に塗り込まれた絵具を布で拭き取るという手法を通じて、カンヴァスの持つ平面と、絵具による色面とを等価に扱う表現に辿り着いた記念碑的作品と展示に説明が付されていました。暗青色の油絵具をたっぷり含んだ平筆で、カンヴァス地を粗く塗り残した色面の中央部を、布で拭き取ったということなのか、カンヴァス白い部分が現われて説明にあるように二項対立的になっています。これは、前に見たコンパスで描かれた円の写真とフェルトペンで描いた正円との二項対立を表わしていた作品とコンセプトは一貫しているように見えます。ただし、この作品は二項の区分が曖昧になって分割不可能なものとしてひとつになっていると言った方がいいかもしれません。それまの作品に見られていた幾何形態や平行線は姿を消し、線が飽和しながら、画面全体に塗り込められるかのような色面があり、その中央部の絵具の濃度は周縁部に比べて薄くなっています。それはカンヴァスの上に絵具を置いたのちに拭い取られたもので、この手の痕跡は線から溢れ出しながら現れKinoshitariche る面に対して、斜め方向に走る空間を作り出しています。この中央に穿たれた空洞のような、絵具が拭き取られることによる空間は、これまでに見たイメージと幾何形態との重ね合わせによる二重化を感じさせないこともない。しかし、それとは似て非なるものです。筆で描かれた色面と、その上から拭われた空間はシームレスに繋がっていて、これまでに見られたような二元性とは異なる、より分割不可能な個体性が感じられます。だから、「存在」をめぐる概念や理論を作品に盛り込むという性格は残っていて、そういうコンセプトによる頭でっかちの印象を拭い取ることはできないんです。塗りと拭いとが等価に相乗して何かをもたらすというのは、ゲルハルト・リヒターの筆やナイフで絵の具を塗り、拭き取ったり削ったりした作品を想わせるところがあります。この第3章の作品を見ていると、どれも○○風というように思ってしまうんです。
Kinoshita82ca  「’85-CA257」と「’85-CA261」という1985年の作品。拭き取りによる表現が線のような効果を持ち始め、塗り込みと拭き取りの関係性が逆転し始める。瀑布を思わせるようなストロークが強調されるようになっています。黒であったり赤であったりといった単色とカンヴァスの白との濃淡のグラデーションが目立つようになって、二項対立の曖昧さは、さらに進んできている。このような黒とか赤という単色でストロークを強調して、その濃淡のグラデーションというと白髪一雄のアクションペインティングを想うのですが、この作品には、白髪の作品に感じられるストロークの力強さとか、勢いとか、そういう力動感は感じられません。白髪の作品は、ストロークの生み出す陰影が見ているうちに変化するように感じられて、ずっと見ていても飽きることがなく、時折、ハットするような美しさに息を呑むことがあるのですが、この作品には、そういうとこがなく、展示されてShiragared_20241103235101 いる前を通って、「そういうものだね」と理解できてしまうと、「では、次」と通り過ぎてしまう印象でした。そうすると、木下の場合、一連のシリーズのコンセプトと方法が理解できると、個々の作品はその例示というわけで、それぞれの作品を個々にとりあげて、それぞれに見て味わうというものではないような気がします。だから、この作品にとくに魅かれるということは、あまり考えられません。誤解を恐れずにいうと、工業製品に近いと言えるのではないでしょうか。
Kinoshita93793 Kinoshita93799  「’93-CA793」(左側)と「’93-CA799」(右側)という1993年の作品。前の作品でストロークに勢いがないことに物足りなさを覚えましたが、これらの作品では、それが意図的であったことが分かります。それは、同時期にロサンゼルスで制作された「LA’92-CA681」のような゜、アクリル絵具を用いて比較的短い時間で描かれたという作品と比べてみることでも明らかです。「LA’92-CA681」は、筆触の運動性や絵具の垂れを残すことで、キャンバスの前で制作する身体の運動性を、そして速さを直接的に感じさせるのです。それに対して、「’93-CA793」と「’93-CA799」は、筆勢を持って描きつけられた荒々しい筆跡の際を丁寧にやすりがけするかのように、そのストロークの外縁は白の領域へとシームレスに繋がっています。それと同時に白の側もまた青や赤の領域へと浸食しながら、双方向の力がせめぎ合っているようなのです。画面全体では、離散的に広がった青や赤の領域と、それを受け止める白の領域の双方が画面の中でせめぎ合う均衡の只中にあります。そこで、あえて勢いを抑えたストロークはどこか不自然で、ひとKinoshita92681 つの方向に進む単線ではなく、たゆたうように複数の方向に向かおうとするのです、色面のようなストロークのような何ものかで、しかもそれは、前進色の白色に交錯しながら浮き上がるのです。これは、まず青や赤を塗ったところを布で致を拭い取って沈め、影のようにした上からさらに描いていくプロセスで、初めに色を塗られるところと互いの関係性は、拭い取られる前のまま保存されながら、白色の背景に影のように沈められることで、透明度を獲得して浮遊力を備える。その上層にあえて白ともうひとつの色が重ねられることで、前後関係を超えた、いくつかの質を備えた重層的な動きが生み出されるわけです。その結果として生じるストロークは、それぞれの長さ、互いの近さ、方向、精細な重なり、それぞれの関係性がきわめて緻密にコントロールされ熟慮されている。だから不自然なぎこちなさがあるわけです。木下の作品は、どこか頭でっかちのコンセプトとか理念のようなものがあって、それを表わす手段とか道具であるという枠から抜けきれない感じがします。しかし、この作品では、そういう不自然さが、作品自身の存在にブーメランのように還ってきている。つまり、「存在」をめぐる概念や理論を理知的に作品に盛り込むのではなく、「存在そのもの」を画面の上に作ればいいとして制作された絵画ですが、その絵画自身の「存在」はどうなっているのか、ということが、初めて問われたのではないか。それが領域の区分の曖昧さを突き詰めた上での塗りの重層性だったりするわけです。このことから、見えてくる「存在」とは、確固たる土台の上で描かれる力強いそれではなく、複数の要素がひしめき合う不安定な場にその足場を持つ、不安定に揺れている。ここに、最初に掲げられた「存在の一義性に対してその認識は常に複数ある」という借り物のような理念が揺らぎ始める。これは、とても面白いと思います。

 

2024年11月 2日 (土)

没後30年 木下佳通代(3)~第2章 1972~1981

 木下は1972年から写真作品に制作を転換させます。まず、複数の写真を並べて構成する作品を多く手がけ、後にシルクスクリーンやフォト・コラージュから写真へのドローンイングへと移っていきました。
Kinoshitawall  「untitled/む103(壁のシミ)」は1974年の作品。同じ壁の写真を左右に並べて、ひとつの作品としたものです。左右は全く同じかというと、向かって右の壁にはチョークで○が書かれていて、同じ壁でも違うという。雑誌のクイズでよくある間違い探しのようなものです。それだけなら、種明かしの時点で、アホらし、と二度と見向きもされなくなる類の一回こっきりです。しかし、木下という存在を真摯に思考しているアーティストが何らかの考えで、こういうことをしていると聞けば、アホらしが何かありがたいものに様変わりする。例えば、壁の補修の準備として、亀裂や剥落などの箇所をチョークで○印をつけてチェックしているのを、どこかで見た木下は、その丸印をつけるチェックの時間的な前後にわけて、壁を撮影したと推測できます。同一対象、同一アングルだけれども、チョークの有無によって、そこに時間の前後という違いが、同じ存在でも複数の見えるがある、という理屈(コンセプト)がもっともらしく浮かび上がってきます。一方、この作品は写真として、いかがなものでしょうか。チョークで○印がつけられている損傷がそれと分かるほど精細に写し込んでいるでしょうか。それは、光の当て方や絞りやピントの調整、そして現像やプリントの焼き込みに最新の注意を払うわけですが、それこそが写真という表現ではないかと思います。この写真をみていると、下の方の亀裂には、○印が付けられていないのはなぜだろうと疑問が湧いてきます。この写真の精度では、それが分からないのです。木下にとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれません。この作品は、そういう最低限の配慮がされているか。かなり疑問が残ります。こういうのを見ていると、考えていることが立派で、他の些末なことをいちいち言うな、黙ってコンセプトを享受しろと言われているような気がしてきます。
Kinoshitawatch  「untitled/む59(腕時計)」も1974年の作品。腕時計を写した5枚の写真ですが、それぞれの時計の針は同じ時間を示しているのですが、日付が異なっているといいます。時計を介して時間の経過を知ることはできるが、時間そのものを見ることは誰にもできない。知覚することと見ることの違いを表わしていると解説されています。この解説も、後半の部分なければ、他愛のないいたずらです。しかし、ここには、そういう“あそび”の微笑ましさのようなものはありません。このコンセプトについて、説明されないで分かる人はどれだけいるでしょうか。分かるかどうかは見る者の責任で、分からない奴は、それでいい、と突き放しているのでしょうか。少なくても、時計の針や日付が苦労しKinoshitatakashima なくても分かる程度には、明確に写し込んでプリントする程度のことは最低限のことではないでしょうか。この写真の粒子は粗いのではないか。あるいは、時計の針や日付に光を当てて、視線をそこに導くようなこともされていません。そういう配慮は余計なことなのでしょうか。この人の作品を見ていると、独りよがりを感じることが避けられません。例えば、木下の意図からは見当はずれの感想かもしれませんが、20世紀中ごろに活動した高島野十郎は蝋燭の火ばかりを同じように数多く描いていますが、それが以前に個展で、一室の壁を占めるほど並べて展示されているのに出くわしたとき、そのひとつひとつを、同じように描かれているのに、飽きることなく、それぞれを見て歩いて、時間を忘れたことがありました。果たして、日付の違う腕時計の写真が並んでいるのを数十分の時を飽きもせずに眺めることはできるでしょうか。

Kinoshitauntitled  展覧会チラシでも使われている「無題A」という1975年の作品。この作品を含む同年の無題というシリーズは、同一の写真が複数並び、部分的に着色されています。上から下に向かって着色部分は徐々に増えていって、最終的に画面全体が色に覆われます。この着色された部分は人間の視野と認識を示すと解説されています。私たちの理解や認識はスキャナーのように面ではなく、対象や現象ごとに認識する。その過程を図式的に制作したものということです。最初の全く着色されていない写真とすべて着色されたそれとでは単色という点では同じものとなりますが、その経緯を知ることによって自分にとっては異なるものとなるというのです。具体的に「無題A」を見てみましょう。一番上の写真では、画面左側では人々が行き交い、右側ではカフェのテラス席のような場所に多くの人が密集していて、人の姿で覆われたその画面は、視点の定まらない拡散的な印象を与えています。二枚目ではそのうちの一人が輪郭づけられ、輪郭の内部は紫色に塗られることで、写真全域を覆う人々の中に不均衡をもたらしています。さらに下の写真に目を向けると、輪郭は外側へと徐々に広がってゆき、やがてこの輪郭に囲まれた色面は画面全体へと拡散しながら、モノクロームの写真の全体が、半透明の色面に覆われることになります。こうして写真の画面に対して、輪郭と色彩を与えることで視野を示し、さらに彩色部分を広げることで視野を外側へと広げていく、従って、この作品のポイントは写真に現れたイメージそれ自体というよりも、辿る行為を通じて変化させていく操作の方にあるようです。その意味で、この作品の中心は起点としての写真でもなければ終点として色が重ねられた段階でもなく、写真の上に線と色を重ねながら焦点化と拡散とのせめぎあいを繰り広げる、その中間にこそあると思われます。しかし、と思うのです。木下は、どうしてこの風景を選んだのでしょうか。そういう問いは、見当はずれでしょうか。この作品を見ていると、ききたくなるのです。おそらく、この作品は、初見は何だろうと興味を持つかもしれませんが、その意図するところ、ありがたい思考のコンセプトを聞いて、「ああそう」と言って、二度と振り向かないタイプの作品と思われるからです。
Kinoshita36  「む36」は1976年の作品です。“昨日の「私」と今日の「私」はまったく同じではあり得ないが、どちらも「存在」としては同じ「私」である”という解説は、なんだかポエチックです。異なる時期に撮られた作家の幼い頃の写真を切り分けコラージュしたフォト・コラージュです。自身の成長変化を記録した何枚かの写真の組み合わせは今の自分がどのように構成されてきたのか、また自分の中には違う自分が同居しているといった読み取りが可能なのでしょう。結果として、分析的キュビスムの絵画のようにも見えるし、マグリットのだまし絵のようなシュルレアリスム絵画のようにも見えます。むしろ、そういう見え方のほうが、この作品は面白い。
Kinoshita76  「‘76-C」は1976年の作品です。“同じ図形でも実際に見えているものと認識と間では差異があることを示している” という説明が付けられています。コンパスで円を描くさまの写真の上に後から同じ直径の円をフェルトペンで描いたというものです。写真は上部からコンパスを持った手が、正方形の紙の上に円を描いている様子が撮られています。その円が今まさに閉じられようとする手前で写されたイメージの表面には、写真の中の楕円に見える円と二点で接するもう一つの円が、赤のフェルトペンで描かれています。写真の中の紙は水平の机の上に置かれており、そこに描かれた円は見下ろすカメラの角度と対応しながら楕円形となって現れています。その写真の上には正円が重ねられ、垂直に掛けられています。写真内部の円とその上に重ねられた円は、左右の二点においてのみ接しながら、写真として撮られた水平面と、写真の上の垂直面とを結びつけています。写真撮影の角度によって、コンパスで書かれた円は楕円に歪みます。この写真は視野の役割を担っています。わたしたちは経験上、視野内の図形の歪みを無意識に修正し、これが正円であるという情報を加味して認識するのを常とするというわけです。そこに、もともと紙に描かれたものと正しい円を写真面に手描きして、再現する。写真面という、視野像の表面に後に加えられた線である。紙上に描かれた三次元空間内のKinoshitastillife 図形と、フェルトペンで最後に描かれた二次元の写真面上の図形と、同寸同形図が重ね合わされるとき、両者のずれと相違が、視野の歪みを現わします。これは、考えようによっては、これはセザンヌ的キュビスムにおける多視点のありようと重なっているといえなくもないのではないか。セザンヌの静物画では、テーブルの上の果物皿は真上の視点から見た正円ですが、同じテーブルに置かれた壺の口の方は斜め上から見た楕円であるという、二つの視点が共存しています。この作品の写真のイメージの同時存在には、どこかでこうしたキュビスムにもつながる絵画空間につながるところもあるのではないか。そういえば、初期の習作でもキュビスム的なものがありました。とはいえ、この作品もそうですが、このように言葉で語りやすい。いくらでも語る言葉が出てくる。それは、反面、言葉で語る限界内にあって、それを超えないということでもあります。例えば、この作品の横に展示されていた「‘76-A」という同じような作品での写真内のコンパスを持つ手と、この作品のコンパスを持つ手の光の当たり具合、つまり明暗の違いなどについては、考慮されていないのではないかと思います。そんなことは見当はずれと言われるかもしれませんが、実際の視野といったときには、そういう要素もあるのですが、作者はおそらく抽象的な存在の形象理念みたいことで頭が占められていたのではないか。
Kinoshita79  「‘79-38-A」は1979年の作品。同一の図形であるはずのものが視野という視点の違いによって違う形に認識されるこのことは、裏返して言えば、どれだけ異なって見えたとしても、それらが同一の存在であるという局面は常にありうるということになります。それなら、「‘76-C」のコンパスはなくてもいいのではないか。というわけでは、画面上からコンパスは姿を消し、作図をした紙自体に一手間加えてから撮影をすることになりました。展示された下書きやデザインなどの資料からは、この図形の描き方や紙の折り方などについて作家が緻密な検討を行なっていたことがわかる。これまで線で描かれていた「認識した形」が色面で描かれるようになり、同一平面上で複数化した円形の色面をめぐって認識が多重露光する面白さを汲み尽くすように作品です。まるで、形合わせのパズルみたいで、折り目によって生まれる影の明暗やそのグラデーションによる味わいのような感覚的な要素はないのかと、私には物足りなく感じられます。
Kinoshitapa  「Pa-fold‘80-35」、「Pa-fold‘80-36」、「Pa-fold‘80-37」のシリーズです。写真を用いた一連の認識のズレを扱った作品のシリーズで、画面の中からコンパスが消え、今度は写真が消えました。そこで残ったのは写真の中で用いられていた直線、すなわち紙の「折り目」です。「Pa-fold‘80-35」(画面右)の紙の中央部には縦方向に平行する折り目が12本走り、その折り目の合間からは帯のような垂直線が4本現れています。この制作プロセスを想像してみると、まず、横長の紙の中央部に12本の平行する縦方向の折り目を作り、折り畳んだ状態のままパステルで面を形成するような斜めの平行線を引き、そして、折り込まれた紙を再び広げると、中央には折り目によって切り離されたパステルの面が、線でありかつ面でもあるような4本の帯となって現れるということになります。この折り目は紙という平面を、平面のままで立体に立ち上げ、折り目を広げることで、また平面へと戻し、そうした両義性を可能にする線です。ここで折り目としての線は、写真を用いた作品においてイメージと幾何形態の重ね合わせとして扱われていた作品の二元性を、一つの紙のうちに畳み込むための蝶番となっています。さらに、中央に作られた円形の面に縦のストライプが走るのですが、その折れ線を折り畳んだ状態は、その最終的な現れや手法は全く異なるにもかかわらず、以前に見た「滲触」シリーズの絵画とよく似たものになってしまいます。さらに、この折り目を開くと中央の円はその求心性を失いながら画面の両端へと拡散していく。これも、そういうパズルのような面白さがあると思います。この一連の作品は、コンセプト最優先で、作品はそれを現わすための手段という感じで、それは作品としてはどん詰まりで、描くということに向うことになったのかもしれない。この作品は、その転機なのでしょうか。
Kinoshitapa80  「Pa‘80-74」という作品。木下は、1980年より写真の作品から離れ、身体的かつ直接的な表現を求めてパステルを使用するようになったといいます。この作品では、紙に折り目をつけ、直線を置き、線の一部に沿ってパステルを部分的に擦り込んでボカシを入れています。このボカシは折り目に光を当てたときの影のようで、これまで斜めから写真撮影したり、実際に折って三次元にしてみたりしていたのを、紙面にパステルで描くということで、より作為的になっているという作品です。それまで、視野が分かれていたのをひとつの平面のなかに恣意的にいっしょくたにしてしまった。ここで、これまで一貫していたようだった「存在の一義性に対してその認識は常に複数ある」というコンセプトが曖昧になってきたのでしょうか。少し、バウル・クレーを想わせるとこがあります。
 「Pa-C‘81-8」(左側)という作品です。線は垂直になって、パステルによるボカシは影から「浸食」のような色面になっています。並んで展示されているタイトル不詳(右側)の作品は、こうした紙の上のパステルでの実験を、キャンバスと油絵具で置き換えており、そこでは線と線の間から面が滲み出しながら、もはや線のほとんどを覆い尽くすまでに至って、この次の第3章の油彩画の先駆けのような作品です。

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2024年11月 1日 (金)

没後30年 木下佳通代(2)~第1章 1960~1971

 京都市立美術大学で絵画を学んだ木下佳通代は、前衛美術集団・グループ〈位〉に影響を受けながら、制作を通して「存在」に関する関心を掘り下げていったといいます。展示されていた学生時代の講義ノートには哲学を熱心に学んだ様子がうかがえ、ページには「存在」や「認識」に関する考察の断片が記されていました。
Kinoshita1961 Kupkaline3  「題不詳」(左側)(木下の作品タイトルは題不詳とか作品番号のような抽象的なので、題名で作品を特定する意味は、あまりないのですが、それだけ、この人は作品を考えるプロセスが大事で、出来上がった作品が人々にどう受け入れられるかを、あまり気にしなかっただろうことが想像できます)という1961~1962年ころの作品。このころ、木下は植物をモチーフにした抽象画を描いていたと解説されていました。やや暗い画面に、植物の茎、葉、蔓などを想わせる形が描かれていて、この作品では、それが成長するというイメージが見て取れます。「地面・地球の中へどんどん関心をよせていってその中にある生命体を描こうとしていた。次に、植物の形を借りて、その生命体が自在に存在する・出来るというメッセージを絵にし始めました」という本人の言葉が残されているそうです。「存在」への関心から制作していたといっていいのでしょうか。この花の子房が幾重にもなっているような、そしてそれが成長して広がっていこうとするように見えるのは、Kinoshita1960 Cubistbust_20241101220101 20世紀はじめの抽象画の創始者のひとりフランティシェク・クプカの作品(右側)を想わせるところがあります。このころは、いまだ習作期なのかもしれませんが。それは並んで展示されていた1960年の「無題 む76」(右側)という女性を描いた作品がキュビスム(左側)の手法そのもので描かれているのもそうです。習作期だから仕方のないことかもしれませんが、手法という方法ということに自覚的なのかもしれませんが、方法論というか、そういうのが優先されて独り歩きしそうな感じがします。絵画だけでなく、この時期の大学時代のノートが、ページを開いて、一部の中身が見られるようになっていたのを見ると、たしかに哲学、なかでも存在とか認識といったことに関心を持っていたのが分かります。とはいっても、そこに書かれていたのは、借り物というか、既存のものを並べてあったという印象です。いかにも、哲学らしげな言葉が並んでいるものの、本人が、自分で考えて、なかなか言葉が出てこなくて、試行を繰り返す、というものではありませんでした。多分、木下という人は、そういうのが好きなんだろうと思います。
Kinoshita1971  「境界の思考」ABという二つ並んだ1971年の作品です。ここで、作風が全く変わりました。このへんは習作期の試行錯誤ということでしょうか。本当に、前の作風の残滓はひとかけらも残っていません。いくら試行錯誤とはいえ、これほど、スパッと前のものを捨て去ってしまって、新たなものにさっさと乗り換えることができるのでしょうか。それは、後にもあることです。このことは、この人の場合、表現するということが身体的なことというよりは、頭で考えた存在とか認識の理念を表わす道具としてあるというような感じで、道具だから効率が悪ければ新品に替えればいい、というような位置づけのような気がします。そう考えられる理由の一つに、作品の出来栄え、たとえば美しいとか、そういうことに考慮が払われている気配が見られないと感じられることです。この「境界の思考」についてもデザインのアイデアについては木下は考えたのだと思います。見る側も、おそらく、そのデザインの意図とか意味を考える、そういう作品なんでしょう。だまし絵のような、これらの作品は、立体物を切断しているのと、平面を切断しているのと重ね合わさった状態になっていて、切断面がこちらに向かって一枚の紙のように暮れています。とすると平面のはずなのに、立体物としてそこに立っている。また、背景と立体と切断面とを区分するものが、線と色だけしかないので、無色のパターンと、一色のみでの塗り分けのパターンとが示されることになります。この場合、立体と背景を区分するのは数学の図形のルールでしかなく、しかし、混ざり合ってしまっています。「内側」と外側が等価になっていて、平面と立体、内側と外側をいかに等価に連続的に見せるかが試みられている。
Kinoshita1971a_20241101221801  「[滲蝕]む95」と[滲蝕]という1971年の二つの作品です。まず、右側の[滲蝕]の方から、画面の中央にはキャンバス内部へと滲んでいくような楕円形が描かれていて、その深みを感じさせる青の滲みは、奥へと向かう空間性を作り出し、それと同時に青の色面の上には、水平と垂直の線によるグリッド(格子)が走っています。この均一な幅を持つグリッドは見る者の視線が奥へとスムーズに向かうことを妨げて、キャンバスの平面それ自体を示す要素となります。深い空間へと誘う色面とそれを表面で妨げる線、これら二つは一体化することなく独立しており、その相反する二元が重ね合わされています。奥へと浸透していくかのような色彩への深沈と、その没入を禁止しながらキャンバスの平面に留まることとが、見る者に同時に与えられるのです。そして、左側の「[滲蝕]む95」の方は、[滲蝕]に比べてやや薄い青の円形が上下に二つ並び、その間から白い空間がのぞいていて、よく見ると上下二つの円の中心は左右に微妙にずれていることがわかります。下の円の中心は、キャンバスのほぼ中央に、上の円の中心はそれよりもやや左にあります。この微妙なズレによって、それらの間から生まれる白い空隙もまた、左右で少しく形を変化させているので。このような僅かだけれど、しかし確かな変化に気づかされるのは、その上に置かれた均一的なグリッドの作用によるものです。このように二つの作品は、滲むような色面と、その上に重ねられるグリッドという共通する要素で構成されていますが、この両者は全くの同一サイズでありながら、それぞれに異なる大きさの印象を与えます。前者は色面が画面中央に置かれることで求心性を持つ画面となる一方で、後者は外側へと広がっていく色面が切り取られることによる遠心性を持つように感じられます。前者のグリッドのマス目は相対的に大きく、カメラのクロースアップのように見る者の視線を中央に引き寄せる効果をもつ一方で、後者のマス目はより小さく、引いたような視点を感じさせることも、後者の作品の遠心性を補強しているのです。後者が前者よりも薄い色を用いていることも大気的な広がりを感じさせます。これは、よく解説されるような、線と色彩の認知を明瞭に分離して、等価なものとして表現しているという意図に収まるものでなく、不思議な作品です。私は、展示されていた作品のなかで、この作品が一番好きです。

 

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