没後30年 木下佳通代(3)~第2章 1972~1981
木下は1972年から写真作品に制作を転換させます。まず、複数の写真を並べて構成する作品を多く手がけ、後にシルクスクリーンやフォト・コラージュから写真へのドローンイングへと移っていきました。
「untitled/む103(壁のシミ)」は1974年の作品。同じ壁の写真を左右に並べて、ひとつの作品としたものです。左右は全く同じかというと、向かって右の壁にはチョークで○が書かれていて、同じ壁でも違うという。雑誌のクイズでよくある間違い探しのようなものです。それだけなら、種明かしの時点で、アホらし、と二度と見向きもされなくなる類の一回こっきりです。しかし、木下という存在を真摯に思考しているアーティストが何らかの考えで、こういうことをしていると聞けば、アホらしが何かありがたいものに様変わりする。例えば、壁の補修の準備として、亀裂や剥落などの箇所をチョークで○印をつけてチェックしているのを、どこかで見た木下は、その丸印をつけるチェックの時間的な前後にわけて、壁を撮影したと推測できます。同一対象、同一アングルだけれども、チョークの有無によって、そこに時間の前後という違いが、同じ存在でも複数の見えるがある、という理屈(コンセプト)がもっともらしく浮かび上がってきます。一方、この作品は写真として、いかがなものでしょうか。チョークで○印がつけられている損傷がそれと分かるほど精細に写し込んでいるでしょうか。それは、光の当て方や絞りやピントの調整、そして現像やプリントの焼き込みに最新の注意を払うわけですが、それこそが写真という表現ではないかと思います。この写真をみていると、下の方の亀裂には、○印が付けられていないのはなぜだろうと疑問が湧いてきます。この写真の精度では、それが分からないのです。木下にとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれません。この作品は、そういう最低限の配慮がされているか。かなり疑問が残ります。こういうのを見ていると、考えていることが立派で、他の些末なことをいちいち言うな、黙ってコンセプトを享受しろと言われているような気がしてきます。
「untitled/む59(腕時計)」も1974年の作品。腕時計を写した5枚の写真ですが、それぞれの時計の針は同じ時間を示しているのですが、日付が異なっているといいます。時計を介して時間の経過を知ることはできるが、時間そのものを見ることは誰にもできない。知覚することと見ることの違いを表わしていると解説されています。この解説も、後半の部分なければ、他愛のないいたずらです。しかし、ここには、そういう“あそび”の微笑ましさのようなものはありません。このコンセプトについて、説明されないで分かる人はどれだけいるでしょうか。分かるかどうかは見る者の責任で、分からない奴は、それでいい、と突き放しているのでしょうか。少なくても、時計の針や日付が苦労し なくても分かる程度には、明確に写し込んでプリントする程度のことは最低限のことではないでしょうか。この写真の粒子は粗いのではないか。あるいは、時計の針や日付に光を当てて、視線をそこに導くようなこともされていません。そういう配慮は余計なことなのでしょうか。この人の作品を見ていると、独りよがりを感じることが避けられません。例えば、木下の意図からは見当はずれの感想かもしれませんが、20世紀中ごろに活動した高島野十郎は蝋燭の火ばかりを同じように数多く描いていますが、それが以前に個展で、一室の壁を占めるほど並べて展示されているのに出くわしたとき、そのひとつひとつを、同じように描かれているのに、飽きることなく、それぞれを見て歩いて、時間を忘れたことがありました。果たして、日付の違う腕時計の写真が並んでいるのを数十分の時を飽きもせずに眺めることはできるでしょうか。
展覧会チラシでも使われている「無題A」という1975年の作品。この作品を含む同年の無題というシリーズは、同一の写真が複数並び、部分的に着色されています。上から下に向かって着色部分は徐々に増えていって、最終的に画面全体が色に覆われます。この着色された部分は人間の視野と認識を示すと解説されています。私たちの理解や認識はスキャナーのように面ではなく、対象や現象ごとに認識する。その過程を図式的に制作したものということです。最初の全く着色されていない写真とすべて着色されたそれとでは単色という点では同じものとなりますが、その経緯を知ることによって自分にとっては異なるものとなるというのです。具体的に「無題A」を見てみましょう。一番上の写真では、画面左側では人々が行き交い、右側ではカフェのテラス席のような場所に多くの人が密集していて、人の姿で覆われたその画面は、視点の定まらない拡散的な印象を与えています。二枚目ではそのうちの一人が輪郭づけられ、輪郭の内部は紫色に塗られることで、写真全域を覆う人々の中に不均衡をもたらしています。さらに下の写真に目を向けると、輪郭は外側へと徐々に広がってゆき、やがてこの輪郭に囲まれた色面は画面全体へと拡散しながら、モノクロームの写真の全体が、半透明の色面に覆われることになります。こうして写真の画面に対して、輪郭と色彩を与えることで視野を示し、さらに彩色部分を広げることで視野を外側へと広げていく、従って、この作品のポイントは写真に現れたイメージそれ自体というよりも、辿る行為を通じて変化させていく操作の方にあるようです。その意味で、この作品の中心は起点としての写真でもなければ終点として色が重ねられた段階でもなく、写真の上に線と色を重ねながら焦点化と拡散とのせめぎあいを繰り広げる、その中間にこそあると思われます。しかし、と思うのです。木下は、どうしてこの風景を選んだのでしょうか。そういう問いは、見当はずれでしょうか。この作品を見ていると、ききたくなるのです。おそらく、この作品は、初見は何だろうと興味を持つかもしれませんが、その意図するところ、ありがたい思考のコンセプトを聞いて、「ああそう」と言って、二度と振り向かないタイプの作品と思われるからです。
「む36」は1976年の作品です。“昨日の「私」と今日の「私」はまったく同じではあり得ないが、どちらも「存在」としては同じ「私」である”という解説は、なんだかポエチックです。異なる時期に撮られた作家の幼い頃の写真を切り分けコラージュしたフォト・コラージュです。自身の成長変化を記録した何枚かの写真の組み合わせは今の自分がどのように構成されてきたのか、また自分の中には違う自分が同居しているといった読み取りが可能なのでしょう。結果として、分析的キュビスムの絵画のようにも見えるし、マグリットのだまし絵のようなシュルレアリスム絵画のようにも見えます。むしろ、そういう見え方のほうが、この作品は面白い。
「‘76-C」は1976年の作品です。“同じ図形でも実際に見えているものと認識と間では差異があることを示している” という説明が付けられています。コンパスで円を描くさまの写真の上に後から同じ直径の円をフェルトペンで描いたというものです。写真は上部からコンパスを持った手が、正方形の紙の上に円を描いている様子が撮られています。その円が今まさに閉じられようとする手前で写されたイメージの表面には、写真の中の楕円に見える円と二点で接するもう一つの円が、赤のフェルトペンで描かれています。写真の中の紙は水平の机の上に置かれており、そこに描かれた円は見下ろすカメラの角度と対応しながら楕円形となって現れています。その写真の上には正円が重ねられ、垂直に掛けられています。写真内部の円とその上に重ねられた円は、左右の二点においてのみ接しながら、写真として撮られた水平面と、写真の上の垂直面とを結びつけています。写真撮影の角度によって、コンパスで書かれた円は楕円に歪みます。この写真は視野の役割を担っています。わたしたちは経験上、視野内の図形の歪みを無意識に修正し、これが正円であるという情報を加味して認識するのを常とするというわけです。そこに、もともと紙に描かれたものと正しい円を写真面に手描きして、再現する。写真面という、視野像の表面に後に加えられた線である。紙上に描かれた三次元空間内の 図形と、フェルトペンで最後に描かれた二次元の写真面上の図形と、同寸同形図が重ね合わされるとき、両者のずれと相違が、視野の歪みを現わします。これは、考えようによっては、これはセザンヌ的キュビスムにおける多視点のありようと重なっているといえなくもないのではないか。セザンヌの静物画では、テーブルの上の果物皿は真上の視点から見た正円ですが、同じテーブルに置かれた壺の口の方は斜め上から見た楕円であるという、二つの視点が共存しています。この作品の写真のイメージの同時存在には、どこかでこうしたキュビスムにもつながる絵画空間につながるところもあるのではないか。そういえば、初期の習作でもキュビスム的なものがありました。とはいえ、この作品もそうですが、このように言葉で語りやすい。いくらでも語る言葉が出てくる。それは、反面、言葉で語る限界内にあって、それを超えないということでもあります。例えば、この作品の横に展示されていた「‘76-A」という同じような作品での写真内のコンパスを持つ手と、この作品のコンパスを持つ手の光の当たり具合、つまり明暗の違いなどについては、考慮されていないのではないかと思います。そんなことは見当はずれと言われるかもしれませんが、実際の視野といったときには、そういう要素もあるのですが、作者はおそらく抽象的な存在の形象理念みたいことで頭が占められていたのではないか。
「‘79-38-A」は1979年の作品。同一の図形であるはずのものが視野という視点の違いによって違う形に認識されるこのことは、裏返して言えば、どれだけ異なって見えたとしても、それらが同一の存在であるという局面は常にありうるということになります。それなら、「‘76-C」のコンパスはなくてもいいのではないか。というわけでは、画面上からコンパスは姿を消し、作図をした紙自体に一手間加えてから撮影をすることになりました。展示された下書きやデザインなどの資料からは、この図形の描き方や紙の折り方などについて作家が緻密な検討を行なっていたことがわかる。これまで線で描かれていた「認識した形」が色面で描かれるようになり、同一平面上で複数化した円形の色面をめぐって認識が多重露光する面白さを汲み尽くすように作品です。まるで、形合わせのパズルみたいで、折り目によって生まれる影の明暗やそのグラデーションによる味わいのような感覚的な要素はないのかと、私には物足りなく感じられます。
「Pa-fold‘80-35」、「Pa-fold‘80-36」、「Pa-fold‘80-37」のシリーズです。写真を用いた一連の認識のズレを扱った作品のシリーズで、画面の中からコンパスが消え、今度は写真が消えました。そこで残ったのは写真の中で用いられていた直線、すなわち紙の「折り目」です。「Pa-fold‘80-35」(画面右)の紙の中央部には縦方向に平行する折り目が12本走り、その折り目の合間からは帯のような垂直線が4本現れています。この制作プロセスを想像してみると、まず、横長の紙の中央部に12本の平行する縦方向の折り目を作り、折り畳んだ状態のままパステルで面を形成するような斜めの平行線を引き、そして、折り込まれた紙を再び広げると、中央には折り目によって切り離されたパステルの面が、線でありかつ面でもあるような4本の帯となって現れるということになります。この折り目は紙という平面を、平面のままで立体に立ち上げ、折り目を広げることで、また平面へと戻し、そうした両義性を可能にする線です。ここで折り目としての線は、写真を用いた作品においてイメージと幾何形態の重ね合わせとして扱われていた作品の二元性を、一つの紙のうちに畳み込むための蝶番となっています。さらに、中央に作られた円形の面に縦のストライプが走るのですが、その折れ線を折り畳んだ状態は、その最終的な現れや手法は全く異なるにもかかわらず、以前に見た「滲触」シリーズの絵画とよく似たものになってしまいます。さらに、この折り目を開くと中央の円はその求心性を失いながら画面の両端へと拡散していく。これも、そういうパズルのような面白さがあると思います。この一連の作品は、コンセプト最優先で、作品はそれを現わすための手段という感じで、それは作品としてはどん詰まりで、描くということに向うことになったのかもしれない。この作品は、その転機なのでしょうか。
「Pa‘80-74」という作品。木下は、1980年より写真の作品から離れ、身体的かつ直接的な表現を求めてパステルを使用するようになったといいます。この作品では、紙に折り目をつけ、直線を置き、線の一部に沿ってパステルを部分的に擦り込んでボカシを入れています。このボカシは折り目に光を当てたときの影のようで、これまで斜めから写真撮影したり、実際に折って三次元にしてみたりしていたのを、紙面にパステルで描くということで、より作為的になっているという作品です。それまで、視野が分かれていたのをひとつの平面のなかに恣意的にいっしょくたにしてしまった。ここで、これまで一貫していたようだった「存在の一義性に対してその認識は常に複数ある」というコンセプトが曖昧になってきたのでしょうか。少し、バウル・クレーを想わせるとこがあります。
「Pa-C‘81-8」(左側)という作品です。線は垂直になって、パステルによるボカシは影から「浸食」のような色面になっています。並んで展示されているタイトル不詳(右側)の作品は、こうした紙の上のパステルでの実験を、キャンバスと油絵具で置き換えており、そこでは線と線の間から面が滲み出しながら、もはや線のほとんどを覆い尽くすまでに至って、この次の第3章の油彩画の先駆けのような作品です。
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