没後30年 木下佳通代(2)~第1章 1960~1971
京都市立美術大学で絵画を学んだ木下佳通代は、前衛美術集団・グループ〈位〉に影響を受けながら、制作を通して「存在」に関する関心を掘り下げていったといいます。展示されていた学生時代の講義ノートには哲学を熱心に学んだ様子がうかがえ、ページには「存在」や「認識」に関する考察の断片が記されていました。
「題不詳」(左側)(木下の作品タイトルは題不詳とか作品番号のような抽象的なので、題名で作品を特定する意味は、あまりないのですが、それだけ、この人は作品を考えるプロセスが大事で、出来上がった作品が人々にどう受け入れられるかを、あまり気にしなかっただろうことが想像できます)という1961~1962年ころの作品。このころ、木下は植物をモチーフにした抽象画を描いていたと解説されていました。やや暗い画面に、植物の茎、葉、蔓などを想わせる形が描かれていて、この作品では、それが成長するというイメージが見て取れます。「地面・地球の中へどんどん関心をよせていってその中にある生命体を描こうとしていた。次に、植物の形を借りて、その生命体が自在に存在する・出来るというメッセージを絵にし始めました」という本人の言葉が残されているそうです。「存在」への関心から制作していたといっていいのでしょうか。この花の子房が幾重にもなっているような、そしてそれが成長して広がっていこうとするように見えるのは、 20世紀はじめの抽象画の創始者のひとりフランティシェク・クプカの作品(右側)を想わせるところがあります。このころは、いまだ習作期なのかもしれませんが。それは並んで展示されていた1960年の「無題 む76」(右側)という女性を描いた作品がキュビスム(左側)の手法そのもので描かれているのもそうです。習作期だから仕方のないことかもしれませんが、手法という方法ということに自覚的なのかもしれませんが、方法論というか、そういうのが優先されて独り歩きしそうな感じがします。絵画だけでなく、この時期の大学時代のノートが、ページを開いて、一部の中身が見られるようになっていたのを見ると、たしかに哲学、なかでも存在とか認識といったことに関心を持っていたのが分かります。とはいっても、そこに書かれていたのは、借り物というか、既存のものを並べてあったという印象です。いかにも、哲学らしげな言葉が並んでいるものの、本人が、自分で考えて、なかなか言葉が出てこなくて、試行を繰り返す、というものではありませんでした。多分、木下という人は、そういうのが好きなんだろうと思います。
「境界の思考」ABという二つ並んだ1971年の作品です。ここで、作風が全く変わりました。このへんは習作期の試行錯誤ということでしょうか。本当に、前の作風の残滓はひとかけらも残っていません。いくら試行錯誤とはいえ、これほど、スパッと前のものを捨て去ってしまって、新たなものにさっさと乗り換えることができるのでしょうか。それは、後にもあることです。このことは、この人の場合、表現するということが身体的なことというよりは、頭で考えた存在とか認識の理念を表わす道具としてあるというような感じで、道具だから効率が悪ければ新品に替えればいい、というような位置づけのような気がします。そう考えられる理由の一つに、作品の出来栄え、たとえば美しいとか、そういうことに考慮が払われている気配が見られないと感じられることです。この「境界の思考」についてもデザインのアイデアについては木下は考えたのだと思います。見る側も、おそらく、そのデザインの意図とか意味を考える、そういう作品なんでしょう。だまし絵のような、これらの作品は、立体物を切断しているのと、平面を切断しているのと重ね合わさった状態になっていて、切断面がこちらに向かって一枚の紙のように暮れています。とすると平面のはずなのに、立体物としてそこに立っている。また、背景と立体と切断面とを区分するものが、線と色だけしかないので、無色のパターンと、一色のみでの塗り分けのパターンとが示されることになります。この場合、立体と背景を区分するのは数学の図形のルールでしかなく、しかし、混ざり合ってしまっています。「内側」と外側が等価になっていて、平面と立体、内側と外側をいかに等価に連続的に見せるかが試みられている。
「[滲蝕]む95」と[滲蝕]という1971年の二つの作品です。まず、右側の[滲蝕]の方から、画面の中央にはキャンバス内部へと滲んでいくような楕円形が描かれていて、その深みを感じさせる青の滲みは、奥へと向かう空間性を作り出し、それと同時に青の色面の上には、水平と垂直の線によるグリッド(格子)が走っています。この均一な幅を持つグリッドは見る者の視線が奥へとスムーズに向かうことを妨げて、キャンバスの平面それ自体を示す要素となります。深い空間へと誘う色面とそれを表面で妨げる線、これら二つは一体化することなく独立しており、その相反する二元が重ね合わされています。奥へと浸透していくかのような色彩への深沈と、その没入を禁止しながらキャンバスの平面に留まることとが、見る者に同時に与えられるのです。そして、左側の「[滲蝕]む95」の方は、[滲蝕]に比べてやや薄い青の円形が上下に二つ並び、その間から白い空間がのぞいていて、よく見ると上下二つの円の中心は左右に微妙にずれていることがわかります。下の円の中心は、キャンバスのほぼ中央に、上の円の中心はそれよりもやや左にあります。この微妙なズレによって、それらの間から生まれる白い空隙もまた、左右で少しく形を変化させているので。このような僅かだけれど、しかし確かな変化に気づかされるのは、その上に置かれた均一的なグリッドの作用によるものです。このように二つの作品は、滲むような色面と、その上に重ねられるグリッドという共通する要素で構成されていますが、この両者は全くの同一サイズでありながら、それぞれに異なる大きさの印象を与えます。前者は色面が画面中央に置かれることで求心性を持つ画面となる一方で、後者は外側へと広がっていく色面が切り取られることによる遠心性を持つように感じられます。前者のグリッドのマス目は相対的に大きく、カメラのクロースアップのように見る者の視線を中央に引き寄せる効果をもつ一方で、後者のマス目はより小さく、引いたような視点を感じさせることも、後者の作品の遠心性を補強しているのです。後者が前者よりも薄い色を用いていることも大気的な広がりを感じさせます。これは、よく解説されるような、線と色彩の認知を明瞭に分離して、等価なものとして表現しているという意図に収まるものでなく、不思議な作品です。私は、展示されていた作品のなかで、この作品が一番好きです。
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