瑛九─まなざしのその先に(1)
この日は勤め先の創立記念日で休み。定年再雇用も最終年度になり、これが最後のというので、いつものように漫然と家でゴロゴロではなく、何かしてみようと考えた。朝の天気は晴れだったので、今まで、ちょっと気になる企画展をやっていたが、遠いので、なかなか行くことができないでいた、横須賀美術館に行ってみることにした。やっぱり遠かった、午前9時に家を出て、現地着は12時10分過ぎ。実に3時間弱。京浜急行にのって八景島あたりを過ぎると遠足のような気分、馬堀海岸の駅からバスは地元の爺さん婆さんが大声で世間話に興じている。これで美術館に行けるのか、と上野あたりの美術館とはまったく異質な雰囲気。バスは海岸に出る。バスを降りると、リゾートの雰囲気。広い芝生を前景に美術館が海に向けて建っている。芝生で子供が寝転んでいる。建物は全面ガラス張りで、明るい。向かいの海は船が行き交っていて、なかには護衛艦の姿も。美術館で作品を鑑賞しなくても、この芝生でのんびり海を眺めていてもいい。私の家からは遠く、帰りの時間を考えると、あまり、ゆっくりもできないのが残念、そう思わされる。
バス停を降りたのは7~8人がぞろぞろと海外沿いの道を美術館に向けて歩いていく。着いたのが昼だったので、美術館の前庭に面しているレストランは満員。平日で、こんな辺鄙(?)なところなのに?この場所で、企画展は瑛九、戦後の作家で、そんなに人出があるの・・・こんな風に考える私には偏見があるのか。会期は終わり近いからなのか、展示室は、混雑してはいなかったが、人の流れは途切れることなく、そこそこの人出。それで、ほどよい緊張感と静かな鑑賞ができた。
瑛九という作家とは、埼玉県立近代美術館や東京国立近代美術館で点描の抽象画に出会って、瑛九という名前もそうだが不思議な作家と思って、強く印象に残っています。ただし、伝記的事実とか、国内でどのような位置づけとかいうことは、よく知りません。その紹介もかねて、主催者あいさつを引用します。“瑛九(1911~60)は、油彩画のみならず、写真、版画など多分野で創作活動を行い、作風も印象派やシュルレアリスム、キュビスムなどに刺激を受けながら、めまぐるしく変貌し、絶えず新しい表現を模索し続けました。また、批判的精神を持ち続け、美術や社会に関する評論活動に精力的に行い、「デモクラ―ト美術家協会」を組織するなど指導者としての顔も持った瑛九の存在は、その作品とともに、同時代や後進の芸術家たちを惹きつけ多大な影響を与えました。本展では、最初期から絶筆に至るまでの油彩画を中心に、「フォト・デッサン」による写真作品、銅版画やリトグラフなど、各分野の代表作による約100点を一堂に展示します。自ら理想とする美を追求し続け、戦前・戦後を駆け抜けた瑛九の軌跡を紹介します。”
前回に見てきた木下佳通代の作品が理念とかコンセプトが先行するものだったのにたいして、今回は感覚、もっというは美とかきれいというのがあって、やってみたらきれいだったというのに方法論がついていって、その見直しの試行錯誤から、こういうキレイなのができた、というような作品の方が、私は好きだということが、よく分かりました。なお、展示作品の撮影は自由ということでしたが、木下ときにいた撮影の大忙しで碌に作品を見ないという人はおらず、シャッター音は聞こえてきませんでした。
展示は3章に分かれ、美術館の三つの展示室で展示されていました。それぞれの作品を見ていきたいと思います。
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