瑛九─まなざしのその先に(2)~Ⅰ 1911~1951
上京からフォトグラム作品「眠りの理由」が注目され、その後スランプに陥り、印象派研究からキュビズム、抽象など次々に画風を変転させながら、理想の表現を模索していくという時期です。
「ザメンホフ像」という1934年の作品です。その年は、フォトグラムを発表する前年です。この後のフォトグラムと比べると、同じ人の作品とはとうてい思えない。それだけ、ガラッと変わってしまうということが、この人にはあります。でも、この作品を見ていると、普通に上手い、と思います。でも、これでは物足りなかっただろうな、と思います。瑛九本人は、この程度は描くことができてしまうが、これ以上の伸びしろが想像できない、というより、このまま行っても、単に上手い人だけで終わってしまうと先が見えてしまう。そんなことを本人が実際に考えたとは言い切れませんが、少なくとも、後の時点の現在の私が見れば、この方向では先がなかっただろうことは想像できます。
その次に展示されていたのが、フォト・デッサン(フォトグラム)集『眠りの理由』に収められた作品です。フォトグラムというのは、物体を直接乗せて感光させることで、写った物体のシルエットによる光と影の構成により幻想的なイメージを作り出すというものだそうです。この手法を始めたマン・レイやモホリ=ナギといった人々は現実の物体を印画紙の上において本来の重量や質感が切り捨てられてシルエットとして形態だけが光に浮かび上がるということで超 現実的なイメージをつくったということです。マン・レイの作品をみると、物体の影が印画紙に露光して、本来の物体の一部が通常の見慣れた見方とは違う角度で写っているため、異化効果を生み出している面白さがあります。しかし、瑛九のフォト・デッサンは自らのデッサンを切り抜いて型紙とし、それらを組み合わせて感光させ、印画紙の上にイメージを定着させたところに、当時としては新しさがあったといいます。写真というか、人の手で描くという要素が入り込んでいるようです。ここに並んだ作品を見ると、両手を上げた人の形が、それぞれに現われています。人の形が上下逆さになったり、裏返ったり、また他の型紙と組み合わせたり、そして、それらへの光の当て方をさまざまに変化させています。それがシリーズとして、一連の作品の中に角度を変えて、光のよる効果や影の変化に絡むように、まるで音楽の変奏曲のテーマのように繰り返し顔を出して、一連の作品にアクセントを与えています。こういうのは、一種の“あそび”のように思えて、見ていて楽しい。「こんなのもあり?」「こりゃなんだ」とかいう声が聞こえてきそうです。キュビスムもシュルレアリスムも抽象もヨーロッパの近代芸術には、本質とは何かとか、存在を表現するとか、すごく真面目な理念のようなものが先行していますが、ここにある作品を見ていると、そういうのも否定はしないが、今、目の前のこれは変だとか面白いとか言って嬉々として、異なる組み合わせを試しているという楽しさを瑛九のフォト・デッサンを見ていると思うのです。実際には、瑛九自身は、思ったような評価を受けられなくて、自身の方向性を悩んでいたということですが。
次に展示されていたのは、コラージュによる作品でした。これらのコラージュやフォト・デッサンの作品は8年前の近代美術館の展覧会で見たはずなんですが、全く覚えていなくて、初めて見るようなものでした。コラージュは、通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質 とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることで、例えば壁画のような造形作品を構成する芸術的な創作技法です(ウィキペディアより)。瑛九のコラージュは、モチーフを本来あるべき環境や文脈から切り離し、別の場所へ写し置くことで、画面に違和感を生じさせるものだそうです。瑛九は、女性ファッション誌や、身近にある印刷物を一旦バラバラに切り抜き、それらを組み合わせ再構成したということです。フォト・デッサンもコラージュも、モノが本来あるべき環境や存在といったことから切り離して、その形態だけに着目して、その切り離された形態を組み合わせる、ということが共通しています。おそらく、瑛九という人のモノの捉え方は、形態を優先して、まず、そこから目に入るのではないかと思います。例えば、「リアル」(右側)という作品は、謎めいた物体が暗闇に浮かんでいるように見えます。この謎の物体は映画雑誌やファッション雑誌に掲載された女優やモデルの写真から、額と髪の毛の生え際、頬、首などが切り抜かれ、寄せ集められたものだそうです。一方で、その人物の個性を示す目や口などは、あえて除去されているので、全体として、謎めいた不気味な物体としか言いようがないのです。しかも、背景は真っ黒です。また「作品」(左側)では、ブドウの房から女性の身体が生えてきたようにあって、顔の部分は握った指になっている。言葉にするのもバカバカしいような、不思議というより笑ってしまうようなものです。私は、これらを見て、何か考えるという前に、面白がっていました。
展示では、このあと絵画作品が並びます。フォト・デッサンやコラージュなどの制作を経て、絵画を描くことを再開したといいます。まず、展示されていたのは抽象的な作品で「誕生」と題されていました。四角、三角、丸といった幾何学的形態で画面を構成しています。最初の方で見た作品や、ここで並んでいるお勉強の油絵作品を見ていると、全体として、瑛九の特徴として考えられるのは、力強い線を引くとか、筆遣いでタッチを使い分けたりということなくて、シルエットのような平面で形態をとらえて表わすことに長けていて、その形態の組み合わせ、とくに似たような形態を重ねたり、繰り返したり、あるいは形態を別のイメージに転用したりして画面を構成する。そういうことから、具象というより抽象的な表現になっていく傾向があると思います。この他に、印象派やキュビスムに習ったような作品が展示されていますが、マチエールを重ねて筆触を強調することもなく、あるいは濃淡のグラデーションも淡白で、塗りは平面的で薄塗りの傾向で、色は手段という感じです。これについては、制作された時代が戦時中で物資か不足し、絵の具を節約せざるをえなかったことも原因しているかもしれません。その後も、瑛九の塗りは概して薄めで、色は塗ってあればいいという感じです。
「蝶と女」という1950年の作品で、キュビスム的と言えるかもしれません。色面による構成で人物の造形を作っています。私には、その色面を組み合わせていたら、結果としてキュビスム的に見えるようにできたという方が適切に思えるのですが。左上に飛んでいる蝶の記号化したような描き方はキュビスムとは言えないし、人物の手を赤い線の輪郭のみで掌は透明で身体が透けて見えるのですから。全体として平面的で、塗り絵を塗っているような印象です。色彩のコントラストは、かなり考えて計算されているのではないか。色面の関係がこの作品のウリではないかと思います。しかし、どこか、らしくないというか、もっと整理できるのではないかと思ってしまいます。未だお勉強いうことでしょうか。
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