瑛九─まなざしのその先に(3)~Ⅱ 1951~1957
フォト・デッサンに加えエッチングやリトグラフと活動範囲を広げ、その手法を油彩画に取り込み、エアー・コンプレッサーを用いたりして、幻想的、抽象的な新しい表現を試みた時期ということです。
フォト・デッサンは『眠りの理由』の頃に比べて、これまでの経験で得た新たな発想や技法を取り込んで、多層的で複雑なイメージを作り出しているということです。「廻轉盤」(一番左側)という1951年の作品では、様々な型紙をいくつも重ねて、しかも、画面左上の型紙は二重に感光しているのでしょうか。あるいは、型紙に目の細かい金網を使って半ば光を透過させたり、光の当て方で感光の程度の違いにより、黒、グレーの段階的な色分けが層となっています。はたまた、右上から左下への曲線は針金か、右下はスプーン、というように様々な層が、折り重なったり、浸蝕したりして、『眠りの理由』の作品に比べて、はるかに複雑で奥行と混沌とした空間を生み出しています。「女」(左から2番目)という1952年の作品では、白い細い線が縦横に走っているのは、ネットかレースの網目を用いて感光を妨げたためだろうと考えらます。しかも、中央部で人形の黒い部分に横に走っている白線に一部黒い縦線で断ち切られているのは、懐中電灯を光源にして、その光を絞ったペンライトによる光でのドローイングによるものです。この光によるドローイングは展示で説明されていました。この作品を見ると、それぞれの面が重なり合っているのですが、人形の影が白い線の上になったり下になったりして、単に重層化しているわけではない。それぞれの重な りが、一律ではないのです。光と影が曖昧で、影である筈が光になっていたり、その逆があったりする。それが、細部で行われているたに、見る者は違和感をそれほど感じない。でもよく見ると・・・。それが、全体として、何か不思議な雰囲気を作り出しているように思います。「ダンス」(右から2番目)という1953年の作品は、これまでの様々な技法を用いた制作の成熟した作品ではないかと思います。全体の印象が、アンリ・マチスの「ダンス」を想い起こさせる作品です。それだけ、受け入れやすい作品だと思います。そして、「無題」(一番右)という作品は制作年不詳ですが、画面全体に極細の白い線が網目のようにびっしりと引かれているのは、セロファンのシートにペンで極細の線を縦横に描き込んだものを重ねたためだということです。こんな極細の線は、筆ではず描けないだろうし、型紙では作れません。この極細の線が画面に溢れている様子だけでもすごい。この極細の白線で溢れた作品を見ていると、瑛九が油絵だけにとどまらず、写真やコラージュ、この後に展示されている版画といったさまざまな表現を試みたのは、このように油絵ではできないことを表現したかったのだろうと思いました。
次には、また油絵の展示です。「赤い輪」という1953年の作品です。前のところで見た「蝶と女」からわずか2~3年しか経っていませんが、色面で画面を構成するという点では共通していますが、使われている色が格段に鮮やかになり、それだけ色彩のコントラストが明確になっていて、色どうしの緊張関係が強く現われています。そして、色面が幾何学的になり、「蝶と女」では人とか蝶といった物体の形態をなぞっていたのが、そういう物体とか離れて、色面自体が図形の形をとるようになっています。つまり、何かを描くということから離れて、色面自体が画面をつくるようになっています。表われた形は違いますが、モンドリアンを想わせるかもしれません。このあたりで、瑛九が何かを描くという対象から、堂々と離れることを始めたのではないかと思います。フォト・デッサンやコラージュを制作していて、本来なら何かを写す写真が、その何かという意味を剥ぎ取るようにして、違ったものとして成立する面白さ、その結果としての不思議で美しい世界。そういう試行錯誤を何度も繰り返すうちに、そういう姿勢が絵画にも反映するようになったと考えるのは短絡的でしようか。そして、当時の白黒写真ではできなかった色彩を求めて絵画の制作に還ったとか、これは作品を見た私の想像です。
次に展示されていたのはエッチング、つまり銅版画です。瑛九がエッチングの制作を始めたキッカケはプレス機をもらったからだと説明されています。思うのですが、そんなもの他人に贈られたからといって、始めるでしょうか。普通はしないと思います。だって、エッチングの制作には、たくさんの道具が必要で、何よりも素材である銅板が必要です。しかも、油絵を描くより面倒くさい工程がたくさんあって、それに習熟しなければなりません。そう簡単に手を出せるものではないはずです。エッチングの作品をひとつ仕上げる手間と、油絵を一枚仕上げる手間を比べれば、瑛九ならエッチングの方がはるかに苦労が多いはずです。それにもかかわらず、沢山の作品を制作しているということです。よほど、性に合ったのでしょう。彼はエッチングにおいて「僕はすべてがぢかボリです」と記して、心の中から次々と湧き上がってくるイメージを、下書きもせず即興的に銅板に彫っていたと言います。フォト・デッサンでセロファン・シートを用いて極細の線で画面を埋め尽くすというのは、油絵では無理で、むしろエッチングでならできます。「母」という1953年の作品では、極細の線が画面を埋め尽くしています。こういう細かいもので画面をいっぱいにするというのは、瑛九の嗜好するもののひとつだと思います。この作品は、画面中央に、向き合う二つの顔が描かれていて、そのまわりを、建物、奇妙な生き物、有機的な形が、重なり合いながら画面いっぱいに埋め尽くし、不思議で幻想的な世界が表現されています。同じ年に制作された油絵「赤い輪」では何かを描くということから離れてしまったのに、この作品では何かが画面に溢れています。そのことから、瑛九にとっては、抽象とか具象とかいったこと、何かがあるかないかといったことは、あまり気にならなかったのかもしれません。
次に展示されていたのはリトグラフです。瑛九は1956年に印刷業者のもとで基本的な石版技術を学び、本格的にとグラフの制作を始めたと説明されています。瑛九は「リトにとりつかれて、なかなか脱出出来ません。まったくリト病です。」と語るほど傾倒し、多くのリトグラフを制作したと言います。この人は、好奇心旺盛なのか、いろいろなことに手を出すようです。手を出すのはいいのですが、エッチングにしてもリトグラフにしても、制作にはかなりの手間がかかるものだろうに、普通は、それぞれ専業で制作するのでしょうが、瑛九は、それらを制作し、しかもそれぞれ多数の作品を残しているというのですが、そのエネルギーはどれほどのものだったのでしょうか。しかも、油絵もエッチングもリトグラフも、それぞれ傾向が違うので、瑛九は、それぞれの手法を使い分けていたのでしょう。リトグラフについて、エッチング同様下描きをせずに、次から次へと湧き上がるイメージを絡ませながら画面を覆う感覚により即興的に制作していたと説明されています。作品を見ていると、奇妙な、摩訶不思議な何かを描くのには、エッチングやリトグラフをもちいて、中でも極細の線で画面を溢れさせる場合はエッチング、色彩を入れて面の要素を入れたい場合はリトグラフ、抽象的な画面を計算しながら構成する場合は油絵という具合に分けていたように思います。「ともしび」と いう1957年の作品は何か植物のような感じはしますが、奇妙な何かです。また、同じ年の「旅人」(右側)という作品は、色とりどりの風船のような不思議な何かが漂う、右上の月の光も届かないような暗い森をさまよう旅人(?)たちでしょうか。林立する縦の線は森林の木々のようだし、宙に浮いているような形態は風船のように見えなくもありません。現実の形態とはまったく関係のないものではないかもしませんが、現実の物体として見る者に実感させるものではありません。この後で見る、点描のような、現実に存在する物体を連想することができないような抽象的な作品に比べれば、想像の足掛かりとなるように機能をしていると思います。そういう点で親しみ易さがある作品ではないかと思います。それは、この作品について何が描かれているのかという解釈をすることができるという点です。シュルレアリスムっぽいところというのでしょうか。例えば、風船のように浮かんでいる物体は何を意味するとか、そういう仕方で見る者は想像する筋道を与えられる点が、この作品の親しみ易さになっているのではないかと思います。それは、例えば精神風景とか、この風船のようなものは、戦後美術のアンフォルメルを想わせるところもあります。この作品をみていると、瑛九の子の世代の難波田史男の作品(左側)を想い出します。
この章の展示は最後で油絵になります。「夜の森」という1955年頃の作品。「旅人」から続いてこの作品を見ると、暗い作品が続き、両方とも心の闇に通じているような印象を受けるかもしれません。題名は「夜の森」ですが、夜の森を具体的に描こうとしたわけではないでしょう。夜の森を心の中を象徴的に表わすものとして、その奥深くにひそむ闇を描いていると想像することもできます。ただし、今まで見てきた作品から、瑛九という作家は作品に心情を託して表現するということとは遠い人のように思います。だからということもないが、展示されている作品には、この作品のような見るからに暗い感じの作品はありません。そういうことから、こと さらに心の奥深くの闇といった解釈じみたことは、あえてとらず、画面を見ていくことにします。何か描かれている上から丹念に深い青いがかぶせられていろいろな表情を見せています。青の濃淡と下に描かれているものの混ざり合いは、夜の闇の深さとそこに何かが潜んでいるような緊張感を生み出しているのです。それで、見る者は、眼を皿のようにして、何が潜んでいるのかを探してしまう。よく見ると、暗い青の中に黒い線が蠢いているように見える。ただし、これは実際に見えているのか、そのような想像をしているのか分かりません。穿った解釈かもしれませんが、実際に描かれたものが、見る者には見えているのか、想像しているのかという現実と幻想の区別を曖昧にしているのです。違うとも言われかねませんが、熊谷守一の「轢死」をちょっと想い出しました。
「花」は1956年の作品です。小さな花のモチーフが、画面いっぱいに咲き乱れるさまが描かれています。画面いっぱいに敷き詰められた大小二重丸の色面は、直感で色を置いているように見えますが、よく見るといくつかの組み合わせが認められ、実はシステマティックであることが分かります。例えば、黒に近い紺を二重丸の中心部に使う時には、外側に同系色の少し明度の高い青を置き、反対に外側で紺を使用するときには、発色の強い黄を中心に置いているパターンがいくつか認められます。これは「色相環」の計算が入っていると考えられます。ベースカラーとしての青と「補色」の関係である橙を効果的に入れている例を見ると、色の性質をよく理解した上で、扱う色の配置や画面を占める割合が整理されていて、一見すると単純な画面構成に見えますが、絶妙なバランスで色面が配置され、気持ちよく見えるように計算されていると思います。その上で、画面全体にあふれる色鮮やかな円形は、咲き乱れる花のようにも、飛び散る花火のようにも見えます。ひとつの円から別の円へと視線を動かして見ていくと、前景と後景があいまいになった不思議な遠近感が生じ、画面に流動的な動きを感じることもできます。この作品も、抽象とも具象ともいえるような、両者の区別を曖昧にした作品と言えます。
そして、吹き付けによる作品が並びます。筆を用いず、エアー・コンプレッサーによって送り出した空気によって、スプレーガンで絵の具を吹き付けることで描いた油絵作品です。プラモデルを作ったことのある人は、吹き付けのスプレーで塗装するのと同じ要領というと分かるかもしれません。瑛九は、フォト・デッサンと同じように型紙を使い、吹き付けによって彩色するというものです。その効果もボカシや型紙によるくっきりとした線、下の絵が透ける形の重なりなとが共通しています。しかし、吹き付けをすると、粒子状に微細な絵の具の点が定着されます。型紙の形以外の部分には微細な色の粒子の粗密だけしかなく、フォト・デッサンではできないようなグラデーションやボカシが生まれています。それが、より幻想的な雰囲気をつくります。「森の中」という1957年の作品です。画面全体のうごめくようなフォルムは、暗い色調の中で黄色く浮かび上がり、森の奥深くに生きるものの生命を感じさせ、まるで夢の中をみるような幻想の世界を生み出していると言えます。同じ年に制作された「カオス」は、幅3mを超え、4枚のパネルで構成されている大作です。雲みたいな茫洋とした形や円形のように幾何学的な形の型紙を用いて、吹き付けを行い、それらが少しずれて重なり、色が滲み気味になることで、輪郭がぼやけて曖昧になり、形で不明瞭になる。それで、形象性や記号性は希薄になり、均質空間、そして、吹き付けで定着した微細な粒子状の絵の具の点に還元されつつあるようなことになり、この後の丸が並ぶ抽象に近づいている。そのプロセスの途上にある。その途上の、現実と幻想、あるいは具象と抽象の狭間の世界を見ることができる作品だと思います。その過渡期は、はかなく、そして美しいと思います。
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