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2024年12月

2024年12月29日 (日)

北村匡平「遊びと利他」(6)~第7章 学びと娯楽の環境

 対象を変えて、大学の授業という学びの空間と、映像メディアの普及に伴う娯楽環境の変化について見て、このような空間・環境に利他的な可能性を見ていく。
 2010年代、大学の学びの空間はメディア技術によって厳密に管理されるようになった。公正であることが重要視され、教室は透明化した。コロナ禍によりいっそう強化された。本書はそれに批判的だ。学びの空間は半透明であるべきだという。教室は大学の外の社会とは違って、ある程度の間違いが許される中間的な空間であるべき。学生は日々、間違え、極端な意見を披露し、議論を通じて学びを深めていくことができる。それが、透明化すると学内で話したことがそのまま社会、情報化により世界へと公開されるようになり、自己検閲が生まれた。それがシステムで管理されるようになる。ネットを通じた発言は記録され、絶えず再帰的なプロセスに巻き込まれ、自己検閲は強まり、間違いが許されない雰囲気が漂う。システムによる出欠管理、授業の管理は便利になったが、その一方で、授業は事前に到達目標や学習計画を定めたシラバスにしたがって進めなければならず、予測可能な予定調和なものとなり、人生を変えてしまうようなものとの出会いの機会は失われつつある。授業ではトラブルやリスクは回避され学生に不快なものは取り除かれる。既知のものは安心だが、道のものは不安で恐ろしい。そういうものが学びの場から排除されている。
 また、本来、教養というものは身に着けるには膨大な時間と労力がかかるが、情報としての教養を誰よりも早く手にすることが価値を持つようになり、無駄なく簡単に身に着けるかが求められる。だから効率よく分かる体験を求める。本書では、つまらない授業が増えたという。長い目で見た教養ではなく、その場で身に着いた知識でわかる体験を与えるようになった。だが、大学は、本来、わかることばかりを積み重ねていくだけでなく、わからなさと向き合う場所でもある。そういうわからないものを知恵として涵養する場であるはず。当然だと思っていたこと、前提である知識を疑うことが重要ではないか。課題を発見し、問いを立てることが大学本来の学びであるという。

北村匡平「遊びと利他」(5)~第6章 遊学論─空間を組み替える

 遊びの研究は膨大にある。たとえば、ホイジンガは文化史的なアプローチから人間は遊ぶ存在であると論じた。ロジェ・カイヨワはさまざまな遊びを分類した。すなわち、遊びをアゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)に分類し、遊びによってそれぞれがどのように組み合わされるかを論じた。さらに遊びをカテゴリー化するだけでなく、これら四つを二極に分類する別の軸を導入する。それがパテディアとルドゥスである。前者は喧噪、即興、無秩序、遊戯といったもので、後者は、規制、方法、競技などでパイディアの要素が増加するとルドゥスの要素は減少する。
 例えば、ごっこ遊びに代表されるミミクリは、他者を演じたり虚構を想像したりすることであり、見立てる力や他なるものを想像する力を養う。イリンクスは、戦慄するような崇高体験を全身で味わったり、危険性を通じて自らの限界を知ったり、ときに興奮した身体を整える力にもなる。遊びにおいて自分の限界まで挑戦して達成感を味わうために、眩暈体験はなくてはならない要素だと言っていい。この脱自我が根底にあるミミクリとイリンクスにこそ、利他へと通ずる道を切り拓く可能性があると本書では言う。
 最初に述べたように、遊びは娯楽に見られる消費とはかけ離れた行為である。これは公園と遊園地の違いでもある。だから、効率よく遊ぶとか管理して公平に遊ぶといった発想は、遊びの本質には根本的にそぐわない。子どもそれぞれの身体能力も趣味嗜好も異なっているからだ。いま、暇や退屈とうまく付き合えない子供がたくさんいる。生まれてすぐにスマートフォンやタブレットを子守代わりに与えられてきた子供は、能動的に遊びを生み出すのが苦手になっているという。暇と退屈は想像力、創造力の源泉であり、退屈な時間と日々向き合うことによって育まれる。子どもがコミュニケーションを取りながら自分の力を引き出せる遊びの環境を代表するのが自然である。穴を掘り、樹にぶら下がり、自然は遊び手の好意により変化する。子どもの遊びの表現を自然は全体で受け入れる。自然のものや、余白のある遊具は、資源が限られているからこそ遊び手の創造力を引き出す。大人の目線ではなく、子供の視点になること。自然の変化やリズムを体感すること、非合理で非効率的なことを味わう時間を退治にしなければならない。子どもの視点は大人には一見理解できないこともある。だが、大人のルールを押しつけるのではなく、子供の欲望を受けとめることが大事で、自然の不規則な変化やリズムに耳を傾け、その可変性を味わうことを意識すべきだ。
 最新の豪華な遊具では、子供は一通り遊ぶと飽きてしまうという。最初はそのスペクタルに魅了され、勇んで跳び込んでいくが、ひとしきり遊んだら飽きてしまう。それは画一的な遊びを押しつけて、遊びが単調になってしまうためだと本書は言う。それは効率的ではある。
 本書の言う遊具の利他性とは、遊びと遊具、あるいは遊具を媒介とする遊び手たちが、相互にポテンシャルを引き出し合う関係を築けるかにかかっている。遊具が遊び手に画一的な遊びを強要するのではなく、遊び手が自らの潜在能力を発揮して、遊びの歓びを味わうこと、遊びに遊び手はモノの多様な側面を引き出してその存在を活かしているかも重要な要素である。そのように考えたとき、遊び手を縛らない形状が重要である。
 例えば、危険性を体感させ挑戦的にすることで遊びを自由に展開させる余白の存在、作り手の計算外の余白(あそび)のある設計は利他性を高める可能性がある。他にも、子供同士に排他的な動きを促すのではなく他人同士を結び付ける媒介性、計画された通りの動きではなく、意想外に遭遇したり予測不可能な遊びを生み出す偶然性、遊びを遊具がコントロールするのではなく、作り手の意図に反した遊びの転覆性などが利他に通ずる要素として挙げられる。また、遊びが単調な繰り返しになるのではなく、さまざまなルートや挑戦を可能にさせることによって複数の物語性を生み出すことができること、あるいは手や足の一部だけを使うのではなく、聴覚や視覚、触覚と五感を刺激して全身で思いきり関わっていける全身性をそなえた遊具が、子供の潜在能力引き出す利他的な遊具と言える。
 遊びの空間や遊具の以前に、その場を成り立たせている文脈が大事である。子ども本質は時代を隔てても変わらない。現代の子供でも場所を変えれば思い切り遊びはじめるし、心から楽しんで危険なことにも挑戦する。変わったのは大人の意識と社会の環境である。公園をガチガチのルールで縛り付ける大人の論理で子供は遊ばされているのだ。
 いま、社会の遊び場は、表面的な快楽で効率よく遊んだ気にさせる遊具ばかりになり、全身の感度を高めて世界や他者を味わう遊びの体験は、今後ますます少なくなっていくだろう。私たちは、子どもたちの遊び場に遊びそのものが目的となるような深い遊びを取り戻さなければならない。

2024年12月27日 (金)

北村匡平「遊びと利他」(4)~第2章 公園論─安全な遊び場

 公園は地域住民たちにコミュニケーションを提供する公共スペースであり、学校とは違った環境で遊びや学び、社会性が育まれる重要な場所である。幼少期から大人になっても日常生活に深くかかわる公園は、同時代の社会が反映される空間でもある。遊具や空間のあり方によって子供たちの動きや喜びが全く違うし、知らない子供同士の関わり方も遊具の配置や造形で変化する。人間が多種多様なように、公園も遊具もさまざまな形や空間として、人間同士の関係をつくりあげる。この場所は時代とともに変化している。従来の公園と現在の公園では遊具も遊びも、次の三つの点でかなり変化している。①人と遊びの分断、②危険性の排除、③管理と公平性。
 まずは、歴史的にみていく。制度としての公園は1873年の太政官布達によって始まった。しかし、江戸時代から実質的な公園はあり、寺社境内は人々が自由に立ち入ることができる遊観の場であった。公園に遊具が設置されたのは1879年の上野公園で、それは子供が遊ぶためというより、屋外体操場のような位置づけだった。それが一般化し、徐々に公園が児童の遊び場として認知されるようになった。公園遊具は当初は体を鍛える富国強兵の理念と結びついていた体操の機能が次第に失われて、子どもの遊びのための遊具となっていった。それが、戦後の都市公園法で、三種の神器、ブランコ、滑り台、砂場の設置が義務付けられ、画一化された。それ以降、遊具の複合化・大型化が進んだ。それが1993年の都市公園法施行令の改正により、公園は児童のためのものから幅広い年齢層の人々に日常的に利用されるものに変わった。2000年ころに遊具による死傷事故が相次ぎ、特定の遊具が危険視され撤去が進んでいく。少子高齢化と健康に関連する言説の広がり、そして責任を負うことを逃れようとする自治体や遊具メーカーがリスク回避を志向することにより、健康遊具の増加と危険な遊具の撤去が次々と進み、安全な総合遊具が設置されていくことで講演の空間が様変わりした。そして、2020年頃には多様性、共生といった価値の高まりの中インクルーシブ公園が導入され、公園の空間が大きく再編され、遊具が変質していった。
 2000年の遊具の撤去は子供の事故防止の理由だけでなく、当時の経済低迷の影響で増えていたホームレスを公園から排除する(鉄棒がホームレスが物干しとして使っていた)理由もあったという。この理由では、公園のベンチがホームレスが寝られないように真ん中に手すりをつけることも進められた。公園という空間は危険性の排除を推し進めるが、その中には遊具というものの形状によるホームレスの排除も含まれていた。モノによる空間の政治的な管理は、公園や路上などさまざまなスペースで実践されていた。
 2020年頃から導入されたインクルーシブ公園は高齢者や障害者にも楽しめるように健康遊具などを設置し門戸を開いた空間を目指した。だが、実際にはインクルーシブ(包摂)を謳いながら、子供たちにたいしてエクスクルーシブ(排他的)な空間になっているという。健康遊具に高齢者を囲い込み、ベンチはホームレス排除のための手すりがつけられ、それぞれのグループの関わりは抑えられ、高齢者の区画ができた分、そこからは子供たちは排除される。さらに、禁止事項だらけで、例えば、ボールや道具を使った運動遊びの禁止、自転車の乗り入れ禁止、ペットの禁止、スケートボード等の禁止なとの注意書きがいたるところにある。公園の空間は自由に遊ぶどころか窮屈なルールに縛られ、人々をモノによって分断している。また、遊具は遊び方が限定され、説明通りに正しい遊び方を強制される。とくに遊具ごとに年齢制限が設定され、親と子供が一緒に遊具で遊ぶことができなくなり、親は外部から見守り役になり、遊びの空間から疎外される、子供とは別の空間(スマートフォン)にいくしかないことになる。
 このような設定は子供の危険を回避する田であると同時にトラブルを起こさないような管理が周到に行き届き、効率よく遊ぶようになっている。このような効率主義や管理主義は、子供の創造的な営みを抑制し、子供同士の利他的なつながりを断ち切ってしまうことになりかねない。
子供は、決して作り手が意図したとおりに遊ぶわけではなく、無意識に遊ぶ、子供は自由に場を乗っ取り、作り手の意図を転覆させる。このとき、遊具によって子供の創造力が引き出されているのと同時に、遊具は子供によって新たな顔を見せている。作り手の意図に反して子供がいかなる遊びを見出していくのか、そういった創造的遊びに関して、次の第三章から第五章では事例を見ていく。

2024年12月26日 (木)

北村匡平「遊びと利他」(3)~第1章 利他論─なぜ利他が議論されているか

 利他は言葉にすると、他者に利益を与えることであったり、自分を犠牲にして、他人のために尽くすことであったりと、容易に定義することはできる。しかし、いざ実践するとなると、きわめて難しい。
 例えば、東日本大震災での被災地応援のボランティアのエピソードを紹介する。被災地での映画上映会を開催していて、現地の人から、そういうイベントに参加するのに疲れ果てているという告白をうける。折角の好意なので参加しないと失礼だが、本音は映画を見る余裕などなく、休んでいたいというのだ。利他的な行為は、ときに思いもよらず他者に暴力的に作用することがある。
 本書では、利他がおこる環境を考える。いま、私たちが生きる社会の遊びや学びの空間が、技術や経済、教育や思想によって利己的にならならざるを得ないように設計されている。そこで、いかにして、利他が生まれる創造的な遊びの空間をつくることができるかを考えてゆく。
 本書では利他論を社会学、とりわけメディア研究のアプローチから検討する。まずは、効果的利他主義とよばれる考え方。善意が成功に結びつくとは限らず、いかにして効果的に人々の役に立てるかを考え、データや合理性を取り入れながら慈善活動を最大限の成果に変えるかが重要だとする。この場合の利他主義は他人の生活を向上させるという意味で、ここでは施す者と施される者、与える主体と受け取る客体が前提とされ、客観的なエビデンスをもとに効率的・合理的な方法を考える。これを本書では経済学的利他主義とよんでいる。これに対して、数値化が目的化し、それに縛られることにより、下が抜け落ちてしまう危険があるという批判がある。みずから利他だと思った行為が、そのまま利他として受け取られることが前提になっているが、自分の行為の結果は所有できるものではなく、あくまでも与え手の意思を超えて、受け手がその行為を利他的なものとして受け取った時に、はじめて相手を利他の主体に押し上げる。そうでないと善意の押しつけになってしまう。そこで、コントロールを手放して、不確実性をうけいれる「うつわ的利他」を、相手が入り込める余白を持つという考え方がある。
 この考え方を子どもの遊びにあてはめてみると、利他的な遊び場や遊具は、予測できないほど子供のポテンシャルを引き出してゆく、逆に遊び場や遊具の方もさまざまな機能を引き出され別ものに変化していく、互いが潜在的な可能性を引き出し合う。これから、そういう視点で、子どもの遊び場を見ていく。
 アクターネットワーク理論によれば、人々の集まりが社会を構成するのではなく、非人間を含む異種多様なアクターの連関が社会的なものを組み立てている。そうすると、こともが遊具を主体的に用いて遊んでいると捉えるのではなく、子どもの遊びを構成するのは、人間の行為だけでなく、遊びの空間を構成するあらゆる要素、例えば遊具、大地、自然、天候、技術その他ということになる。一方で遊具をメディア(媒介物)として捉える視点も照会している。遊具の作り手がいて、遊び手がいて、遊具はその媒介となる。遊び場における子どもの遊びというのは、自身を取り囲む環境のなかで、動きながら人間/非人間の存在から、行為が触発され、さらに次の事物との関わりへと移り変わってゆく、土管があれば穴の中に入り、階段があれば足をかけ、手すりがあればつかむ。ただし、モノは子供に対していつも同じ普遍的行為を促すのではない。遊具は形や色だけでなく、気温や天候などのその日の環境との関係も考慮の対象になる、環境は日によって変わり、それに対して子どもの反応も多様である。モノが一方的に子供の動きを生み出すのではなく、子どもも意思を持って主体的に遊びをつくり出す。
以上のようなアプローチで遊び場を見てゆく。

北村匡平「遊びと利他」(2)~序章 21世紀の遊び場

 遊び場という空間が時代の変化とともに劇的に変わりつつある。
 遊びと娯楽は似ているが、子どもが日常的に遊ぶことを娯楽とは言わない。娯楽には暇つぶしや消費といった側面が強いが、遊びは消費行為ではない。遊びには学びの要素があり、学びにも遊びは入り込んでいる。子どもにとっては遊び=学びであり、遊び場で過ごす日常は精神や身体をかたちづくる重要な時間といえる。それが、政治や経済状況とともに変質してきている。
 それは遊びの空間の管理化・効率化である。リスクを回避し、不安定な状況を好まず、効率よく遊び、情報を得ること。それが何より重視される。規定された遊び方や学び方を押しつけ、予測不可能なことを排除し、他者をコントロールすること、さらに管理する主体が人間ではなく技術である。

 

2024年12月24日 (火)

北村匡平「遊びと利他」

11113_20241224232801  社会のなかで「偶然性」がなくなりつつある。例えば、旅行では観光地やホテルや目的地までのルートはすべてスマートフォンで簡単に検索できるため効率が良いが偶然に満ちた旅程は失われる。それは便利になった反面、観光スポットに着くことだけが目的化してしまい、ネットで見た映像を再確認するだけに終わってしまう。あるいは、検索サイトでは、アルゴリズムによって個人ユーザーの履歴が分析されるフィルター・バブルが起こり、ユーザーは検索サイトが分析により興味関心の合うとされた情報ばかりにアクセスさせられる。このようなユーザーの好みに合わないとされる情報からは隔離された環境が築かれる。好みに合わない情報を排除するというのは、無駄やリスクを避けることができるので、たしかに効率はよい。しかし、人生は予期しなかったトラブルをさけることはできない。現代の日常生活は、技術による管理化・効率化に覆い尽くされ、不安定な要素やリスクを排除し、未知なるものと偶発的に出会う機会が失われてきている。この傾向は「遊び」の空間にまで浸透してきている。
 効率化、危険防止、公正といったことを重視するあまり、遊びの空間が管理され、窮屈になっている。そこでは、子供の自由な発想や創造性が損なわれてしまう。それを利他性をキーワードに分析していく。
 しかし、読み進めていくうちに、違和感を拭うことができなかった。子供の自由な発想や創造性というのは、根拠が説明されておらず、自明の前提とされているようだが、そのこと自体が著者のそうありたいという願望と区別できない。そうであるなら、子供を管理し、いわば逸脱を許さないような立場と同じ次元であるように思う。つまり、どっちが好きかというのが、議論の出発点になっているのではないかと思えるのだ。
 そもそも、子供というものの本質的なあり方というのは、普遍性はあるとは思えない。子供という概念は近代社会で発明されたものだろうし、そういう見方は近代というバイアスがかかっているので、時代が変わればバイアスは変わる。そこで、子供のあそびは、そもそもこうあるべき、と簡単に言うことができるのだろうか。

 

2024年12月23日 (月)

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」(7)~第5章 陰謀論を信じてはいけないのか

 フェイクニュースは、しばしば陰謀論と結びついて流布される。陰謀論は、もともと神による説明が世俗化されたものとされ、社会の行動がすべて事前に意図された計画のとおりに進むことを前提に考えられているものとされる。背後で働いている陰謀を想定することで、われわれが経験している現象を説明する。
 現代の政府や行政機関は市民に情報を隠す傾向がある。陰謀論の情報収集活動は、そのような政府の秘密主義を防ぐ方向に機能する。このようにデメリットといえない面もあるので、著者は、陰謀論に対して、はじめから不合理と決めつけることを戒める。しかし、たとえば歴史的事象を陰謀論による説明は、因果関係の単純明快すぎる説明、論理の飛躍、結果から逆行して原因を導き出す、京証責任の転換、が特徴である。これは歴史学の論証の労力を省略して、自らが望む結論を容易に導き出すので、根拠に乏しく、それを信じるのは不合理と言える。また、陰謀論を心理学の分析によれば、陰謀論はその理論の特徴によるのではなく、ある特定の思考や認知の傾向を備えた者が信じているものが陰謀論だという。それによれば、われわれが陰謀論を信じてしまうのは、特殊なものではなく、我々が共通してもつ認知の傾向性とリンクしている。例えば、われわれは偶然の一致を偶然で済まさずにそこに意味を見出す傾向性をもち、偶然起こった出来事に何らかの意図を読み込もうとする。このような傾向は陰謀論を受け容れやすくする。
 その陰謀論かにら生じる害としては、第一に知識を失わせること。正しい知識を否定するからである。第二には政治的な害として政治的プロパガンダの一種として機能する。だからといって、陰謀論を信じる人々の考えを変えることは、相当難しい。それは、陰謀論の自己封鎖性という特徴による。陰謀論者は、それを反証する証拠を提示されても、それを陰謀のとみなして自分の殻に閉じこもってしまう。それゆえ、陰謀論は反証不可能なのである。たとえば、世界で起こる事象はすべて超自然的な存在者によってコントロールされているという理論は、どんな証拠をもち出しても反証することはできない。これだけでなく、陰謀論を信じると、その人を取り囲む人々との関係性が組み替えられて、反証可能性が排除されるような社会的環境がつくりだされてしまう。
 このような陰謀論にどのように対処すればよいか、ひとつは、反駁すること。それは、陰謀論者をやめさせることはできないかもしれないが、これから陰謀論に興味を持ってアクセスしようとする人に対する予防の効果がある。第二に、暴露である。そして、第三に教育である。この教育は「徳の統一」を目標とする。陰謀論に対抗するためには、個々人の徳を習得するだけでなく、それらを統合して発揮できる人になることを目指す全品的な徳の教育が必要であるという。

2024年12月22日 (日)

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」(6)~第4章 マスメディアはネット上より信じられるのか

 かつて、情報は人と人とが直接会って、口伝えによって伝達されていた。その在り方は、新聞、テレビなどのマスメディアの登場によって大きく変化した。それらのメディアは様々な情報網を駆使して多くの情報を集めるとともに、印刷技術や通信技術の発達がもたらした新たに伝達手段を通じて、その情報を広く多くの人に届けるようになった。マスメディアが果たしたものはそれだけではない、マスメディアが集めた情報はすべて発信されるわけではなく、そこで情報の選別が行われている。発信される情報は、伝えるに値する情報であり、かつ信頼できる情報である。
 このようなマスメディアと比較したとき、インターネットの登場は大きな転換をもたらした。その大きな点が伝達される情報の選別というフィルターが取り払われたことだ。
 マスメディアによる伝えるべき情報の選別は、歴史を振り返ればかえって真実を伝えず虚偽を増幅させた事例は数多く存在する。例えば、戦時中の日本の大本営発表など。そこで、われわれがマスメディアの情報を信頼する根拠はどこにあるのか、著者は考察する。第一にジャーナリストは複数の情報源から証言や証拠を集める裏取りとよばれる検証作業を行っていること、第二にジャーナリストにはプロフェッショナルとして真理へのインセンティブが働いていること、第三に報道内容の事前チェックと事後チェックのシステムが存在すること、などがあげられる。実際には、現代の報道機関は営利企業でもあり、読者をより多く獲得するために、煽情的な記事や、「やらせ」までやっているケースもある。そこで、著者は、マスメディアという大きな括りではなく、細分化して信頼性を評価することを提案する。その細分化のやり方によって語法や捏造の評価が変わってくる。過去に誤りがあったというだけでは4、そのメディアが信じられないということにはならない。細分化によって、相対的に信頼できるメディアとそうでないメディアとをきめ細かく見極めることができる。つまり、マスメディアの情報は信用できないねという括りではなく、○○新聞の記事は信用できない、あるいは○○テレビの○○という番組は信頼できないといった受け手によるマスコミの選別ができる。
 これに対して、インターネットはフィルターを取り払ったとされている。しかし、フィルターバブルと呼ばれる、利用者の思想や行動特性に合わせた情報ばかりが作為的に表示される現象が起こっている。また、エコーチェンバーと呼ばれる、SNSなどで自分と同じような意見ばかりが跳ね返ってくる状態になる、ということが起こっている。インターネットの利用者は一人ひとりが孤立している。テレビのように同じ番組を多数の人が同時に視聴しているのとは違う。フィルターバブルは認識されているわけではなく、そのように状況にいることを自分で意識的に選択したわけではない。つまり、実際のところ、インターネットは、孤立している、見えない、選べないという特徴がある。そこでは、滋養法の源を評価するということができない。そして、エコーチェンバーにより情報の検証において、同じような意見の人々が集まってしまって、いわゆる確証バイアスが働きやすくなっている。自分の意見が正しかを確かめるよりも、自分の考えを支持する方に傾いてしまう。
 この問題点は、かりにそのようなネット空間の特徴のことを知っていたとしても、いったん自分がそのような閉鎖的な情報環境にはまってしまうと、その環境の内部でのバイアスが無自覚のうちに刷り込まれ、教化されてしまうことによって、その人自身の考え方や物の見方が固定されてしまう点にある。これを認識バブルと呼んでいる。そうなると自分自身の信念を改訂することができなくなってしまう。このような認識バブルから抜け出すのは難しい。

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」(5)~第3章 どの専門家を信じればよいのか

 フェイクニュースを終息させる際に、専門家の果たす役割は大きい。しかし、実際のところ専門家を信じる根拠はどこにあるのだろうか。
 われわれ非専門家は専門家がその主張の根拠として掲げることについて、専門家と同じように理解することはできない。専門家が結論を導く際に依拠している前提を非専門家は共有できていないし、非専門家は専門家の論証を聞いても前提と結論の間の支持関係を評価できない、そしてまた、その論証に対する反証に非専門家は馴染みがない。例えば、専門家があるデータを根拠に地球温暖化について主張しているのをわれわれが聞いたとしても、そのデータが何を意味しているのか、なぜそのデータからその主張が導き出されたのかを理解することができない。専門家がそれを著者は専門知についての困難と呼ぶ。
 そこで、非専門家が専門家の主張を信じるための根拠として、つぎのような事柄をあげる。それは専門家の論証の仕方だったり、過去の証言の記録、利害関係の有無だったり、そして最も重要なことは同じ意見の専門家の存在である。ただし、この同じ意見の専門家は自律的、つまり主張する専門家の仲間や同じグループではない独立した人であることが求められる。しかし、このようなほかの専門家による同意を確認するとしても、非専門家には誰が自律した専門家であるか分かっていなければならない。その時に指標となるのが大学教授のような肩書であり、これは社会のなかに位置づけられた公共的な認識の基礎になっている。
 このような専門家の判断に従うためには、その大前提として、情報の受け手が自分の知的な限界を正しく自覚し、判断を委ねるべき場面で判断をゆだねるべき人にきちんと判断を委ねることができるということが求められる。
 これに対して、フェイクニュースを信じていいる人は、フェイクニュースを唱える専門家に判断をゆだねているわけで、これは上記の必要性を満たしてるようにも見える。しかし、このような人は、実際には、誰に判断を委ねるべきか、吟味などしなくても自分にはよく分かっているという傲慢さがあり、自分の知的な限界を正しく自覚しているとは言えない。このような人々にとっては、既存の専門家が信頼できないことは結論ではなく、前提となっている。これを「専門知の死」と呼ぶ人もいる。著者は、専門家の側が自分たちの生みだした知的な成果をアピールするだけでなく、その成果を検証し、成果の信頼性を保障するためのプロセスやシステムを広くアピールする努力が必要だと主張している。

2024年12月21日 (土)

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」(4)~第2章 うわさは信じてよいものか

 「うわさ」という言葉には、間違った情報というニュアンスの意味が含まれているようだ。リアルの場面でのうわさは、伝えられた内容を事実と照合する以外に、その信頼性を判断するための様々な根拠をもつ。例えば、聞き手が伝え手に質問することで真偽を確かめることもできる。また、口コミのうわさは、その拡散の範囲が限定される。
 これに対して、インターネットは、その限界を突破した。あっという間にひろく拡散することが可能になった。その結果、文脈の崩壊、つまり、前提知識を共有していない人々にもうわさがつたわると、前提知識を共有していないがゆえに、誤解されやすくなる。ネット上のうわさは、よく知らない人同士のあいだでひろまっていく点に大きな特徴がある。それゆえ、情報の不透明さが増し、確かかどうかを評価するのか難しくなる。情報源とその伝達ルートの特定が極めて困難で、とくにSNSではワンクリックで再投稿(リツィートやシェア)が為される際に情報の信頼性の吟味がほとんどなされない。この場合、再投稿したものは責任をもたない状態になる。つまり、うわさの信憑性を判断するための根拠は、ネット上のうわさでは成り立たない。リアルとネットの違いは、情報を伝える人が知的な自律性を発揮するのを困難にする要因にもなっていて、ネット上のうわさに関しては情報伝達で伝え手によるフィルタリング十分に為されていない。
 ところで、うわさに対して、人々は必ずしも真実を求めていないということも指摘されている。なぜこんな現象が起こるのかという問いかけに対して、理解を求める人と納得を求める人がいる。後者の納得を求める人は、自分が納得すればいいので、真偽は関係ない。だから、このような人は、うわさが真実でなくてもかまわないのである。あるいは、うわさ話をすることで、感情のはけ口とするケース、もあり、この場合も、話すことが目的であるので、真偽は関係ない。うわさは、必ずしも真実であることが期待されているわけでもない。ただし、これらについてはリアルの場面では限られた人々の間での流通となるので、第三者の他人に危害を及ぼす危険はほとんどない。あったとしても、予測可能だ。
 しかし、ネット上のうわさは違ってくる。その違いは、ひとつにはネット上のうわさの持続時間の長さだ。ネット上のうわさはデジタルタトゥーとよばれるように半永久的に残り続ける。ふたつめは、拡張範囲の予測不可能性である。

2024年12月19日 (木)

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」(3)~第1章 他人の言っていることを信じてもよいのか

 最初に前提として、我々は、普段、何かを確かであり、信じているかということについて、少しの間違いのない確かなものは信じることができるが、実際にそんなものは在りえない。不可謬主義といわれる考え方は厳しすぎて、日常生活のすべてが信じられないことになる。そこで視点を変えて、知覚や記憶に間違いがあったり、不正確だったりしても、それだけで知覚や記憶に基づいて何かを信じてはいけないことにはならない。知覚や記憶を疑うべき正当な理由がある時以外は、信じてもいいという可謬主義という考え方だ。これは我々の自身の知覚や記憶についてだが、他人の言っていること(証言)については、自身の知覚や記憶と同じように信じるための根拠となるかで議論が分かれる。ここで、自身を信じることと他人を信じることは関係がある。つまり、我々の日常的な知識は不可避的に他人の証言に依存しているからだ。たとえば、我々は他人から聞いた話や他人が書いた本から、それまで自分が知らなかった様々な情報を得る。これは情報のアクセスに関して他人に依存しており、情報的依存といえる。その情報が正しいかどうかについての判断を他人に依存していることを意味する。そこで、他人の証言が信頼できるための条件として、その人の証言が誠実に為されているかどうか、そして、証言者がその内容を知る能力を持つかどうか、をあげることができる。ただし、それだけでなく、その条件が充たされているかどうかを確認する必要がある。その確認が、リアルの場面とネットの場面とでは大きく異なる。リアルの場面のようにネットではいかない。一致条件(証言と事実が一致していること)について、その証言をしている人が、これまでどのくらい事実と一致する情報を伝えてきたのかを確認し、証言者ごとに信頼性を評価することに関して、リアルの場面にようには容易にできない。一致条件を判定するためには、発信者の特定と、その証言がどの程度事実一致していたのかを特定する必要があるが、ネット空間では発信者の特定が難しい。ネット上でハンドルネームが同じでも、それぞれの発現が同一人物によるものなのか判断できないからだ。そもそも、われわれがある人物を同一人物だと判断するのは、顔などの身体的特徴や性格の特徴、あるいは共有している経験の記憶などから判断する。これがネット上では、このような基準が役に立たない。“なりすまし”が容易なのだ。
 また、誠実性の条件について、ネット上の証言は書き言葉で書かれ、リアルの場面のように話す時の口調や表情が分からず、証言の誠実性を判断する材料が乏しい。それに加えて、ネット上では発言に責任を追及されるおそれが少ないため、わざと間違った情報を発信する動機を得やすい環境でもある。つまり、愉快犯を招きやすい。そして、能力条件については、ネット上の証言者が匿名の場合や未知の人である場合には、その人の事前知識がないため、その人の能力や立場を判断するのが難しい。
 以上のように、ネット上の証言は証言者の顔が見えづらいだけでなく証言者の動機や属性も見えづらくなっている。それゆえ、その証言を取り巻く状況もまた不透明になる。
 このように見ていくと、ネット上の情報からはできるかぎり距離を置いた方がよいと考えたくなる。これに対して、著者は賛成していない。それは、獲得できるはずだった情報を得る機会も失うことになるからだ。

2024年12月18日 (水)

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」(2)~序章 フェイクニュースとは何か

 「フェイク」という言葉は、偽物とかでっち上げを意味する。それは単なる間違いとか事実ではないこととは違い相手を欺くことを意図が含まれている。全部が偽物でなく、ほとんど真実のなかに一部偽が紛れ込んで相手をミスリードさせるのでもいいので、情報内容の真実性が欠如しており、かつ、情報を正直に伝えようとする意図が欠如しているものとして定義できる。
 このようなフェイクニュースの問題点として、次のような点があげられる。第一に真実でない情報が広まることで実害が発生する。これは連鎖的に二次被害を生む。第二に、他者への信頼、とくに従来の情報ソース(専門家やマスメディア)への批判が高まり、何を信じればいいのか分からないという知的に不安定な状態を招く。第三に、民主的な社会における意思決定の正統性が損なわれる。民主的な意思決定の土台となる正しい情報の共有が難しくなるためである。そして、最終的に人々が真理への関心を失っていくことになる。フェイクニュースの発信者は「真なることを伝えるべき」という規範を共有していない。かれらは嘘をついていると指摘されても、取り繕おうとしたり、反証したりしない。端的に無視する。それゆえ、フェイクニュースに対して真実でないという指摘は、何の効力を持たないことになってしまう。そのような態度が社会全体に蔓延すれば、真偽のこだわりが無意味になってしまう。
 そこでは、そもそも真理に価値があるのかが問われている。まず言えるのは、実践的価値、道具的価値である。例えば科学的真実にもとづく科学技術の恩恵であり、正しいことへの信頼を土台にした社会システムののうえでわれわれが生活しているということがある。それだけにとどまらず、知的な徳というべき、善などと同じように正しいことを人間として備わるべきとする性向である。

山田圭一「ウェイクニュースを哲学する─何を信じるべきか」

11115_20241218000001  フェイクニュースの本とはいっても、その風潮を問題だと批判するとか、騙されないためにどうすればいいのか、といったような本ではない。フェイクニュースは偽物とかでっちあげといったことを意味していて、そこには相手を騙すという意図が含意されている。そもそも、フェイクでない真実なんてあるのだろうか、あったとして、それはどういうものなのだろうか。そして、果たして真実に価値があるのだろうか、と問いかけている。また、他人の言うことを信じるのはどうしてなのか、あるいは果たして信じてもよいものなのだろうか。このような問いかけは、政治とか社会の場では、いままで当たり前のことで、考えられることもなかった。そこにフェイクニュースが常態化したことで、そういう問いの契機が生じたということなのだろう。
 もともと、わたし個人的には、真実というのは相対的で、絶対的・客観的な真実があるというのは信仰ではないかと思っているので、真実がうまれ、それを人々が信じるというのは、哲学の問題というよりは、システムの問題ではないかと思っている。
 結局、他人の言うことを真実と信じるというのは、その他人が誠実であるということ、それを私が信じるという信頼関係を土台にした倫理によって作られているという他ないのだろうと思う。

 

2024年12月16日 (月)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(8)~第14章 商業・貿易とイギリス産業革命

 ヨーロッパ近世の経済活動は、地域に根ざしたもので、国家の経済政策とは必ずしも一致したものではなかった。しかし、17世紀末になると政府の経済政策が変わり始め、貿易の目的が金銀の獲得ではなく、国内産業を保護育成し、人々に職を与えるものと考えられるようになる。
 17世紀のニコラス・バーボンの『交易論』では交易は国家を富ませるだけでなく、国家を維持するのにも必要であるとしている。貿易は国内産業を育成し、平和を促し、人々に職を与え、政府や国王にも利益をもたらし、そして帝国の拡大に資する、としている。
 貿易の拡大は17世紀後半から始まったが、その拡大にとって不可欠の役割を果たしたのが、イギリス勢力下の市場や植民地市場、つまり、帝国であった。近世の前半では関連の薄かった経済活動と帝国建設が、貿易を介して結び合わされた。その結合で見逃せないのが、重商主義政策によって貿易を促進し、利益を得た国家だった。つまり、貿易や商業は国家や帝国の統合にとって不可欠の紐帯を提供したのだった。
 一方、フランスがイングランドのライバルであったことから、両国の緊迫した関係の中で、商業や貿易はイングランドの地位を守るために、イングランドの人々をつなぐ紐帯の役割を負わされた。フランスはカトリックの絶対主義国であり、好戦的な陸軍国家であるのに対して、プロテスタントのイギリスは議会制度を整えた自由な国であり、貿易や商業によって海上帝国であると表現されることが多くなった。その対抗関係の中で、ブリテン島そして大西洋で英語を話す人々の間でブリテン帝国の意識を持つようになっていった。
 そして、産業革命については、革命とはいわれるが、70年から80年の歳月をかけた長い期間を、ゆっくりと、紆余曲折の道のりで進められた。

2024年12月15日 (日)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(7)~第13章 宗教的亡命者と複合国家の思想

 第5~12章はヨーロッパ各国の近世の事情なので端折って、複合国家の変質が説明された諸章を見ていく。
 16世紀から17世紀にかけての宗教迫害に遭い、亡命を余儀なくされた移民や、17~18世紀に活動した商工業者、あるいは商品として大西洋を移動させられた奴隷たちを取り上げる。ヨーロッパ近世を特徴づけた宗教改革、地域に根差した経済活動、大航海時代の帝国、戦争が、国家のまとまりを促進するより、複合国家の不安定性と近しい関係にあった。
 近世を通じて宗教的亡命者は常にあった。宗教的迫害によるグローバルな移動は、国境を越えたつながりを生み出すこともあったが、多くの場合、追放した側の宗教的統一政策と、受け入れた側の同化政策によって、次第に国家の統合を補強するようになった。追放した側としては、カトリックを宗教的な紐帯としたスペインやフランスが代表例といえる。それによって、ユダヤ人やプロテスタントが追放され、大きな経済的損失を招いた。
 他方、亡命者を受け入れたイングランドは、宗教だけでなく経済的な利害が関与していた。宗教的な理由はピューリタンが信奉した千年王国論と関わっている。そこではユダヤ人の離散の成就とキリスト教への集団改宗が千年王国の前提条件と理解されていた。経済的な理由は、オランダに居住する豊かなユダヤ人が受け入れられた。そしてまた、フランスから受け入れたユグノーは商業や手工業に従事していて、イングランドに織物産業や金細工加工、ビール醸造、パン製造などの技術をもたらした。このようにイングランドは、外からの移住者や亡命者を受け入れ、その経済力や技術力を活用し、自国の経済発展に活かしていった。
 そして、イギリスのピューリタン革命のころの思想家たちは主権国家よりも分権的な国家を「コモンウェルス」と表現し、イギリスの実態を反映していた。

2024年12月14日 (土)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(6)~第4章 戦争と講和条約

 ヨーロッパ近世は、日本の江戸時代のような泰平の世ではなく、長期間にわたる対外戦争と、戦争を終結させる講和条約によって特徴づけられた。歴史の教科書では、このような戦争の長期化や大規模化が要因となって、軍隊や官僚制を備えた絶対王制を筆頭に主権国家が登場したと説明されている。しかし、これ以前に近世の国家は王権を紐帯として国内の多様な地域をゆるやかに結びつけた祖君を有し、国境線は近現代のとは違っていた。
 例えば1494年のイタリア戦争である。この戦争を機に、戦争の方式が変わった。第一に攻城戦に大砲が使われたこと、第二に、大砲への対策として堅固で大規模な要塞が各地で建設されるようになったこと、第三に、これによって攻囲戦が中心となり、長期化した。これにより膨大な数の兵士が歩兵として投入され、騎兵中心の中世の戦術から大きく転換したこと、第四に、大砲を搭載した軍艦がつくられ、ヨーロッパの海軍は圧倒的優位に立ったこと。これにより、アメリカやアジアで強靭な要塞を築き、海軍力で軍事的優位を持つことができた。
 ヨーロッパ近世の講和条約と言えば、ウェストファリア条約が有名で、近代ヨーロッパはここから始まったとも言われるが、著者は、これを過大評価だという。この条約は新旧の宗教対立によりドイツを主な戦場とした30年戦争の講和条約だが、著者は、これを姿勢ローマ帝国をひとつの複合国家として、ハプスブルク家が周辺地域にカトリックを強制し、宗教によって帝国を統合しようとし、諸外国の介入を招き、帝国が解体の危機に瀕したと捉える。ウェストファリア条約はドイツの各領邦に主権が認められ、オランダやスイスの独立が認められた。これにより、国境が画定し、主権国家体制が出来上がったとされている。これに対しては、ウェストファリア条約の署名者は国王個人であり、国家間の条約ではなく支配者どうしの契約であったという。だから主権国家の出発点とは言えない。
 実際、現在の国家のうち、近世国家との連続性が見られるのはフランスやオランダくらいしかなく、当時のイギリスやスペインは今日のような国家ではなく、ドイツやイタリアにいたっては統一国家すら存在していなかった。そうなると、近世のにあったとされる主権国家を現在まで投影したり、逆に現在の主権国家を過去に遡らせても、意味はない。

2024年12月13日 (金)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(5)~第3章 帝国と複合国家

 大航海時代は各国の政治経済や社会に大きな影響を与え、主権国家の建設と結びつけられて考えられてきた。たしかに、16世紀以降のヨーロッパで集権的な国家が成立し、官僚制や常備軍が整備されたのは事実である。
 しかし、事実として15世紀から16世紀には、スペインという統一国家は成立していなかった。スペインは神聖ローマ帝国のカール5世となるハプスブルグ家のシャルル2世が、カルロス1世としてスペインで即位したことによって成立した。このスペインはハプスブルク家の領土の一部であり、ひとつのまとまった国家と呼べるものではなかった。その内部では、カスティーリャやアラゴンといった様々な地域から構成されており、自律した国家という状態からは程遠かった。つまり、この時期のスペインは、ハプスブルク家という外側の広域秩序と、内側の多様な地域・諸国の狭間にある不安定な君主国であった。
 このように、ヨーロッパ近世のはじめは、主権国家のような統一的な国家よりも、複合国家と呼ばれる不安定で重層的な国家が成立していたと考えられる。その複合国家という視点からヨーロッパ近世の帝国や植民地の建設を眺めたときに、まず気づくのは、近世初期の帝国が君主を中心とした複合国家の延長として構想されていたことである。帝国の領土は多様であり、統合力を欠いていた。その中で、かろうじて帝国をつなぎ止めていたのは君主の威信であった。例えば、スペイン領のアメリカは、スペイン帝国の植民地というよりも、カルロス1世による複合君主国の一部として構想されていた。国家の植民地というよりも、君主の支配地として、王室の認可を受けたカスティーリャ人入植者による私的事業として植民地化が進められた。また、イギリス、オランダ、フランスでは会社組織や宗教的な集団によって植民地が運営されることが多かった。例えば東インド会社だ。
 このように、近世初期の帝国建設は単純に国家的事業とは言えず、君主や会社によって推進され、帝国は多様な地域からなっていて、複合国家の延長に位置づけられていた。このような構造は、次第に複合国家が大金矛盾を抱える原因となった。それは、植民地が複合国家の一部の地域に莫大な富をもたらす一方で、他の地域の人々に大きな不満を呼び起こしたからである。

2024年12月11日 (水)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(4)~第2章 経済と地域社会

 ヨーロッパ近世で宗教改革と並んで重要なのは地域レベルでの活発な経済活動である。この経済活動は、従来では、初期産業革命とかプロト工業化などと呼ばれて扱われてきた。特に、国家の経済政策として、国家が経済活動に介入し、自国経済を保護かる重商主義と関連付けて論じられてきた。
 本書では、重商主義に代表される国家の経済政策は、地域の経済発展とうまく結びつくことはなかった。そのため、国家の政策だけを見ていても、地域の社会生活や経済生活の様相は見えてこない。ここで確認すべき点は、南アメリカからの銀の大量流入によって貨幣価値が下落し、物価の著しい上昇が生じたことだ。物価上昇には、もうひとつ原因があり、それは14世紀のペスト流行によって減少した人口が16世紀になる増加に転じ、食糧供給が間に合わず、穀物価格が高騰したためだ。イングランドでは、価格革命とも呼ばれる物価高騰は、実質賃金の低下をもたらし、土地を手放す農民が後を絶たなかった。それが第一次囲い込み運動(エンクロージャー)である。
 これに対して、従来の毛織物工業や石炭鉱業、あるいは雑多な種類の消費財生産が、いくつかの地域で胎動していた。それらは輸入に頼っていた製品を国内で生産し、地域の雇用を増やすことによって、地域の経済を活性化させた。これは国家的事業ではなく、地域の指導者が担った実験的なプロジェクトであった。16世紀にジェントリが台頭し、彼らは自身の支配する地方内の生活を全面的に統制することを切望し、そのために王権との協働を目指した。こうして地域の経済活動が展開した。17世紀になると、ネーデルランドが独立戦争で荒廃したのを機に、毛織物工業で薄口の生産をする新企業が台頭し、彼らは海外への輸出にも積極的だった。
 つまり、従来の説のように国民経済に向かって定向的に進化したのではなく、地域の経済活動は、重商主義の国家の経済政策とは相容れず、地域の指導者に支えられ、地域の困窮した人々を雇用しながら、地域に密着して独自に発展したのだった。

2024年12月10日 (火)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(3)~第1章 宗教と複合国家

 宗教改革は、カトリックに一元化された中世のヨーロッパ世界を変え、プロテスタントを含む新しいキリスト教世界を切り開いた出来事であった。従来の歴史ではルターを特別視して、16世紀の彼の行動を事件として扱うことが多い。しかし、本書では16世紀から17世紀に各地で起こった長期の運動として捉える。実際、当時のドイツでは、ルター派だけでなく、ツヴィングリによるスイス改革派、プツァーなよる南西ドイツ派が存在した。このようなプロテスタントの複数性は、それを受容する地域の多様性、そして神聖ローマ帝国からみれば分裂を促すことになった。ここで著者は、プロテスタンティズムと主権国家の親和関係を指摘する。プロテスタントは自分たちを保護する世俗的権威を必要とし、新しい主権国家は自らの正統性を保証する理論的支柱を必要としていた。その典型的な例が、イングランドと国教会の関係である。他方で、福子ヴ国家の不安定性を露呈させる面もあった。複合国家は諸地域の集合体であり、もともと不安定なものであった。アウグスブルクの宗教和議では領邦単位で信仰の自由が与えられたため、そこが諸地域の対立を内包する宗教紛争が起こることになる。それは神聖ローマ帝国の分裂の危機でもあった。

2024年12月 9日 (月)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」(2)~序章 ヨーロッパ近世の二つの顔─主権国家と複合国家

 高校の世界史の教科書では、ヨーロッパ近世について、各国はそれぞれの緊張関係のなかで、戦費を調達するために徴税機構を整え、官僚制や常備軍によって支えられる国家、つまり主権国家の出現という出来事に収斂され、それがヨーロッパ各国の基本的な枠組みの形成となる時代と説明されている。近世の主権国家が近代の国民国家につながるというストーリーだ。本書では、ヨーロッパ近世の国家には二つの顔、つまり近代につながる主権国家の顔と近世の独自性を示す複合国家という両面があるという。国によっては、この混ざり具合が違う。その違いが各国の体制を分ける。
 多様な地域から構成される複合国家は、例えば、イギリスではイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、ドイツではザクセン、バイエルン、スペインではカスティーリャ、カタルーニャ、バスクなどで、これらの地域では法や慣習、宗教や言語などを異にする地域と中央の集権国家体制とが並立していた。それを本書では、次の四つの視点で見ていく。第一に、ヨーロッパ近世を、国家だけでなく諸地域からもとらえ、複合国家を諸地域の集合体として理解する。第二に、複合国家は非常に不安定で、解体の危機に瀕していた。統治主体は、危機を回避するために、いくつかの紐帯を案出し、国家の統合を維持した。第三に、大陸の複合国家に対してブリテン諸島の複合国家はバランスの取れた統治機構を持っていた。それは諸地域間の緊張や抗争の結果であった。例えばピューリタン革命である。第四に、産業革命やフランス革命を経ることによって国民国家の原理がヨーロッパに浸透し、複合国家は変質していく。

2024年12月 8日 (日)

岩井敦「ヨーロッパ近世史」

11112_20241208234001  近世という歴史区分は日本の歴史に独自のものだと思っていた。それは江戸時代という他にない特異な時代があるからで、中世の封建制でもなく、近代の中央集権でもない分権的なという中世でも近代でもない、かといって過渡期というのは300年近いという長期にわたるので、ひとつの時代と言わざるを得ないからだ。ヨーロッパでは、分権の封建制の中世が否定されて中央集権の近代が始まって、それが現代まで約600年という時代区分になると思っていた。しかし、近代は長いので。前期と後期にわける見方があるという。前期をearly modernといって、著者はそれを近世と呼んだ。中央集権の主権国家は、フランス革命を契機として18世紀おわりごろからで、それ以前の15世紀から18世紀までの時代で、このころの政治体制を複合国家と呼んでいる。それは、学校の歴史総合で教えられている。ヨーロッパ諸国は17世紀半ばのウェストファリア条約で、おおむね主権国家となった。さらにナポレオン戦争を経た19世紀に国民国家を形成し、現在まで続く国際秩序が成立するという史観は単線的で近代以降から見た神話にすぎないと批判する。そうすると、日本の江戸時代とは異なるが、中世でも近代でもない独自な時代がヨーロッパにあったという。
 例えば、15世紀から16世紀には、スペインという統一国家は成立していなかった。スペインは神聖ローマ帝国のカール5世となるハプスブルグ家のシャルル2世が、カルロス1世としてスペインで即位したことによって成立した。このスペインはハプスブルク家の領土の一部であり、ひとつのまとまった国家と呼べるものではなかった。その内部では、カスティーリャやアラゴンといった様々な地域から構成されており、自律した国家という状態からは程遠かった。つまり、この時期のスペインは、ハプスブルク家という外側の広域秩序と、内側の多様な地域・諸国の狭間にある不安定な君主国であった。それが複合国家だ。
 たしかに、modern(近代)という歴史区分は、今の状態が不変であることが暗黙の前提とされている。仮に、中世から近代になったような変化が、これから起こったとしたら、歴史年代は、その新しい年代を何と形容すればいいのか。ある意味で、歴史というものの限界なのかもしれない。なお、日本の場合は、近代とは別に現代と概念を分けることができた。

 

2024年12月 7日 (土)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(8)~第6章 民主社会主義

 ここでは、価値の価値転換が理論と実践の両面で、私たちに何を求めているかを詳論する。マルクスにとって資本主義の乗り越えは、現実的民主主義を可能にすることであった。資本主義下では、私たちが集団として何に価値を置くかという根本的な問いについて経済の目的が民主主義的討議の力を超えてしまうため、実際には交渉することができない。私たちは社会的富の分配に関しては決定できるが、私たちの富を生産する際の最終目的である利潤はすでに決定されている。それゆえ、私たちは富の再分配だけでなく富の生産をかたちづくる価値尺度を価値転換することに取り組まなければならない。
 民主主義をとおして、私たちは次のような深く世俗的な認識に至ることができる。私たちの共生の形態を組織し、法制化する責任を負っているのは、他ならぬ私たちである。社会秩序を正当化できるのは、神でも自然でもない、私たちだけだが、その私たちの推進する価値観を、私たちが互いに保持する原理を正当化できる。ここから以下のように言うことができる。私たちの共生の形態は、民主的な交渉に開かれていなければならない。そこで、宗教的教義の権威に頼るべきではない。私たちは法に従属しているのではなく、法の主体なのだから。
 マルクスも民主的革命は尊重し、市民権を認めていた。しかし、彼にとって市民権は現実的な民主主義のための十分条件ではなかった。資本主義下では、私たちの経済的生産の目的は既に決まっていて、経済成長が最優先される。しかし、これは自由な選択の民主主義とは相反する。前章で、資本主義的な価値尺度が民主主義的な価値尺度と対立していることを明らかにした。そこでは価値の価値転換が必要となる。
 実際には、社会民主主義として富の再配分を行えばいいと誤解したのがソヴィエト連邦で起こったことだった。生産様式と価値尺度は手つかずのまま温存されてしまったのだった。資本主義の根本的な矛盾は生産様式それ自体に影響を及ぼす価値尺度の内部にある。価値尺度を変えない限り、プロレタリア労働の搾取は富の生産に必要なままなのだ。
 自由であるとは、規範的な拘束から自由であることではなく、私たちが自分たちの生を営む際に照らし合わせる実践的アイデンティティの拘束について交渉し、それをつくり変え、それらに挑むための自由である。そのうえで、民主社会主義は、私たちがその形態のなかに私たち自身の姿を認め、私たちの自由を認識するという理由で、私たちが参加する制度があるものである必要がある。著者は、自身の追求する民主社会主義と再配分だけに的を絞り、資本主義の価値尺度を温存する社会民主主義を区別する。
 著者の主張する民主社会主義の第一原理は、私たちの富を社会的に利用可能な時間という観点で測ることである。これは自由時間の量を増やせばいいというのではない。私たちが自分たちの生を営む際に照らし合わせるコミットメントをかたちづくり、育て、つくり変えることを許容する制度が求められる。つまり、自由時間を増やすというのではなく、その時間を自由の領域と必要の領域にわけたときの自由領域を増やすということになる。そのために、技術革新を通して社会的に必要な労働時間を削減することにコミットする。私たちが自分たちの生を用いて何をすべきかという問いに取り組み、自分とって大事な活動に使う。つまり、私たちが目的それ自体とみなすことに費やす時間であれば、社会的に必要な時間の削減により生じた時間は社会的に利用可能な時間となる。そうなれば、私たちは個人として豊かになる。
 そして、第二原理は、生産手段が集団的に所有され、利潤目的では使用できないことになっていることである。これは第一原理に付随するものである。生産手段の集団所有は社会的に利用可能な自由時間を私たちの富の尺度として認める可能性の物質的条件だからである。生産手段が個人所有となっていて、利潤目的用いられているかぎり、生きた労働の搾取に由来する剰余価値の利用が私たちの富の尺度である。ただし、生産手段の集団所有は私有財産の否定ではない。そしてまた、トップダウン型の中央計画モデルに従うことを強いられるものでもない。
 そして、第三の原理は、民主社会主義が目指すのは、私たちが自武官たちの欲求を満たすことによって、みずからの生を生きるだけでなく、自分たちの能力を涵養することによって、みずからの生を営むことができるようにすることである。それによって、私たちは、それぞれにとって大切な活動を追求するための手段や制度をつくることにコミットしている。重要なことは、民主社会主義が、自由の領域で生を営むやり方に必要の領域で生を営むことを可能にするという点である。
 著者の民主社会主義に関する議論は、この三つの原理に収斂する。民主社会主義は、精神的自由のための制度的・政治的・物質的条件を提供することを目指すものだ。だから、民主主義プロジェクトはは、世俗的信の涵養に左右されることになる。なぜなら、このプロジェクトは私たちが共有する有限の生へ、目的それ自体としてのコミットメントを実践のなかで認知することを要求しているからである。民主社会主義の下で、私たちは、自分たちの時間を使って何をすべきかという問いを所有できるが、これは私たちの時間が私たちの所有物という意味ではない。私たちの生は壊れやすい。民主社会主義が目指すのは、有限性を克服することではなく、私たちがどのようにして有限の生を営むかという問いを所有することである。
 資本主義下では自由時間の量も質も、それ自体として価値を持っているとは認識されない。なぜなら、労働時間が価値尺度であり、経済的成長に寄与できるのは商品化される活動だけだからだ。経済成長の概念を決定する価値尺度は、自然なものとして扱われているが、その一方で、私たちは、それが自由の外科実家に敵対する集団的で規範的なコミットメントであることを認識する必要がある。資本主義システムからすれば、私たちが経済の成長に寄与する商品を消費して自由時間を過ごしている限り、私たちのすることが私たちにとって本来的に意味のあることかどうかは、どうでもよいことである。だからこそ、資本主義は、ある時代に特有の、私たちの生の時間を組織する形態である、と述べてきた。私たちの生の時間を組織することは、私たちの時間にどのように価値を付与するかと切り離せない。資本主義の社会形態は、本来的に価値のある生の時間を私たち一人ひとりが所有していると見なす。しかし、資本主義の社会形態では、私たちの生の時間は、資本という形態で剰余価値を蓄積するという目的のための手段として扱われている。
 この目的ということについて、資本主義の下では賃金労働という社会形態に起因する仕事と自由時間の関係に明示されている。労働は賃金を受け取るという点で、埋め合わされるべき否定的なコストと認識されている。賃金労働は、私たちの就業時間の無効にひろがっている自由の領域で私たちの生を営むという目的のための手段である。しかしながら、仕事外の自由時間は労働力を再生産するための手段になっている。それは資本主義下の価値尺度は社会的に必要か時間だからである。こうして自由時間は余暇時間となる。
 これに対して、著者は三つの原理に照らし合わせて考える。すなわち、仕事と自由時間は必ずしも対立的ではないという。仕事それ自体に意味があり、自身のコミットメントを表わす場合、仕事に費やす時間は自由時間になる。
民主社会主義の目的は、私たちの生の剰余時間を社会的に利用可能な自由時間に変容せることである。この変容は、私たちの精神的自由を促進する制度を発足させ、維持することによって、また、社会的に必要な労働時間を減らし、生の時間の剰余時間を増やすために生きていない生産のための手段を発展させることによって、達成される。

2024年12月 6日 (金)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(7)~第5章 私たちの有限な時間の価値

 世俗的な自由の概念を発展させるための最大の資源はマルクスの著作に見出すことができると著者は言う。
 マルクスの出発点は、私たちが生ある存在であることは何を意味するのかという問いにある。彼は人間と動物との異同を分析することから始めた。すべての生物は目的志向の活動をする。生きた状態を保つために、何かをする。例えば、呼吸、食事、新陳代謝。この必要の領域は、自由の可能性の条件を提供する。というのも、生物の自己維持は剰余時間を生み出すからである。生存手段を確保するのに必要とされる時間以上の生の時間を生み出すことができる生物の潜在的能力によって、マルクスが自由の領域と呼ぶものが開かれる。そこで、その剰余時間を自由な時間として自身の活動と関係を取り結ぶことのできるのは人間だけだ。人間は、自身の活動の目的をつくり変えることができる。その結果、生存を、自由な精神的生を営むという目的につながる手段として捉えることができる。それが、人間の生の活動が自由な活動と言えるようなのだ。
 そのような生の活動に自由な活動として取り組む能力を、人間の類的存在とマルクスは呼ぶ。人間の類的存在とは、人間は所与の本性や本質を持っていないということである。マルクスは、人間存在の必然的な特徴は労働であると主張しているが、マルクスにとって、労働とはあらゆる形態の目的志向活動を表わすものである。そこで、解放とは強制的に労働させられることからの自由であるばかりか、私たちにとって大事である目的に照らして働くための自由にかかわるものである。つまり、解放された社会では、強制によらず、私たちのコミットメントを基礎にして働くことができる。マルクスの言う「真に自由な労働」である。だから、私たちが本質的に労働によって規定されているというのは、私が何者であるか、私が何をすべきかが所与であるといういみではなく、それとは反対に、私たちは本質的に変化しうる歴史的・社会的実践に左右されているという意味である。
 ここでは、マルクスの生の概念や類的存在の概念を、前章までの自然的生と精神的生の区別のなかに基礎づけることをする。有限性は、精神的な生を営むための最低条件である。神のような無限の存在は何かに価値を賦与することも、精神的な生を営むこともできない。それと同じ理由で、無限の存在には、いかなる形態の経済も存在しない。経済が理解可能になるのは、他者に依存し、失われるものに価値を付与する者にとってのみだからである。『経済核批判要綱』において、価値と経済の分析は、時間の有限性に照らして理解される。いかなる活動も時間の節約にかかっている、という。これを三つの水準で分析している。第一の水準は出現の水準。あらゆる経済は何らかの形態をとって現われる。価格はそのような出現形態である。資本は資本家が払う価格であり、利潤は労働者と消費者が払う価格、金利は所有財の賃貸者が払う価格だ。経済そのものも、何かしらの価格形態をとおして出現する。生産のコストがなければ経済は理解可能にならないのであり、それはつまり、経済的取引には、両方の側に支払うべき価格が必要だということである。資本主義下では、経済関係が現われる形態は金銭であり、そのおかげで財やサービスの価格を測ることができる。だが、価格と価値とは別物である。価格から価値の大きさは分からない。価格が分かるには価値尺度を考慮する必要がある。その価値尺度が第二の水準である。価値尺度は、私たちが経済における成長をどのように算定するかを決定し、そうすることで、社会における富の総体をどのように測るかを決定するので、本質の水準と呼べる。伝統的な哲学は、本質は歴史的な変転とは無関係に同一のものであり続ける実体を指す。しかし、マルクスは、経済システムの本質である価値尺度は、歴史的に変化する。私たちは経済の本質を変えることができる。だから、経済的関係が現われる形態を変えることができる。それにもかかわらず、私たちはつねに自分自身の生を何らかの形態の時間経済へと組織しなければならない。なぜなら、自分たちの時間を使って何をすべきかをという問いがつねにあるからだ。それが第三の水準である歴史横断的な条件である。歴史を越えているのではなく、私たちが自分たちの生をどのようにして時間経済に組織するかは歴史上の各時代に特有のことだ。しかし、私たちが自分たちの生を時間経済に組織しなければならないということそれ自体はあらゆる社会形態に共通する条件である。それと同じような、私たちは自分たちの社会関係をどのように組織するか、自分たちが組織化したものとどのような関係を結ぶかは各時代に特有のことだが、私たちが社会的存在であるということは精神的生の一般的特徴である。そこからみる、最深部の問いは、なぜこれらの特徴が歴史的で精神的な生のあらゆる形態にとって必要なのかということである。この問いのベースには、生を時間経済として理解可能にするのは何かという問いが潜んでいる。
 そこで、著者はこれらに加えて第四の水準を追加する。精神的生にとっての理解可能性の条件である。この文積水淳において、精神的生が有限で、物質的身体を伴い、社会的であることを確証することができる。経済的な問いを、独立しているとみなされる特定の精神的生の領域(例えば市場)に閉じ込めることはできない。むしろ、経済的な問いは、あらゆる精神的生の核心にある。生を営むには、何をすべきか、なぜそれをすべきかをめぐって、なんらかの形態の実践的熟慮に取り組まなければならない。そのような実践的熟慮は、相異なる活動の価値を比較し、自分の時間を使ってするのに値するものは何かと自問できることを必要とする。この問いが貝可能なのは、自身の生は短いと信じる者だけである。それは、これまで述べてきた時間の有限性に関する議論がそのまま当てはまる。有限だからこそ、その脆さ、不確定さの生に不安を抱く。そういう者だけが、時間が余っていたり、足りなかったりすることがありうる。さらに、自分の生に不安を抱いている者だけが、搾取に抵抗を試み、みずからの生を営もうとすることができる。生を営むなかで、必然的に、自分の時間をどう過ごすべきか、何を優先すべきかという価値づけをめぐる問いに関わることになる。これは、自身の時間に積極的に付与していることに左右される。だから、その時間尺度になるのは、自身の有限な時間である。こで、何かに価値を付与することと、何かに価値があると信じることは別である。たとえば、医学に高い価値があると信じるとしても、医者になることは私の生の優先事項ではない。何かに価値を付与するということは、そこに自身の時間を捧げるということだ。だからこそ、有限の時間は根源的な価値尺度なのである。それがマルクス思想の鍵である。
 ここで著者はひとつの例をあげる。ある村で水を汲んでくるのに井戸まで2時間歩かなければならいとしたら、井戸まで歩いていく2時間それ自体には価値はなく、生存のための水を得るという目的にとっての手段でしかない。それで、その時間は必要な時間ということになる。この場合、水道が引けたら、この時間はなくなるだろう。反対に、その2時間を充実した生に内在する一部として楽しむなら、それは自由の領域になる。その場合、この時間をあえて短縮させようとはしないだろう。この歩くことは、意図的な活動のすべてに当てはまる。この必要の領域と自由の領域は相互に依存している。両者はコインの裏表のように分離することはできないが、区別はできる。一方は他方なしに存在できない。両者の区別には、有限の生の時間がと゜のように根源的な価値尺度であるかという問題が反映されている。私が必要の領域で何かをするときその活動に費やす時間は、私にとって「コスト」である。それは労働時間として、必要の領域で費やさなければならない時間が増えるほど、その有働の産物に私が付与する価値は高まる。水をえるために毎日2時間歩かなければならない場合、その水は自宅で蛇口をひねると得られる場合に比べて、私にとっての価値はずっと高い。労働時間と価値の間の相関関係は、必要の領域において私が生産したり入手したりする対象すべてに当てはまる。私が必要とする対象を確保するのに費やす時間は、それ自体としては価値はないが、必要とする対象の価値を決めるのは、その対象を生成し維持するのに生の時間が私にコストとしてかかるからである。これをマルクスは「死んだ労働」と呼ぶ。水を汲みに行くことは毎日繰り返されることで定型化する。効率化とは、この水汲みの労働量を減らすことである。そこでの理に適った目標は、必要の領域を縮小し、自由の領域を拡大することである。時間は有限だから、目的の手段である必要の領域が縮小すれば、私にとってそれ自体が目的である活動に費やす時間が増える。自由の領域に生きることは、部分的には、生を生きるに値するものにするのは何かをめぐる私たちの考え方を発展させたり、変革させるたりするための時間をもつことである。
 このように価値尺度は自由の領域と必要の領域では異なる。自由の領域では、対象や活動の価値と、それらを生成維持するのに必要な労働時間の料との間には相関関係はない。その価値を左右するのは私のコミットメントである。だから、自由の領域で費やす時間は否定的なコストとは見なされず、かえって価値あるものと捉えられる。蓄積された死んだ労働の時間ではなく、生を営むための自由な時間を多くもつことが豊かなのだ。必要の領域における否定的な価値尺度(労働時間のコスト)は、自由の領域における肯定的な価値尺度を前提としている。必要の領域で富の尺度として機能する死んだ労働に価値があるのは、それに費やさなければならない労働時間が短縮され、私たちが自分の生を営むための時間をより多く使える限りにおいてなのだ。村の中央に井戸ができて、水汲みにいく2時間がなくなると、そこに自由な時間が増えると、暮らし向きがよくなると感じられるのである。これが、自由の領域の価値尺度と必要の領域の価値尺度がコインの裏表であるということなのだ。だから、自由の領域を増やし、必要の領域を減らすということは、理に適っていると著者は言う。近代的自由とは、ひとりひとりの精神的自由を無条件の価値として承認することだと著者は言う。だから精神的自由は無条件の価値ということになる。つまり、それまで生を営むための暗黙の条件であった精神的自由は、近代になって明示的になった。
 マルクスの思想には、そういう近代的自由は決定的なものである。マルクスによる資本主義批判が意味をもつのは、社会的個人が自身の生を営む自由へのコミットメントの視点からだからだ。そこでもっとも重要なのは、私たち一人ひとりが各々の生を営むことができるべきだという理想である。つまり、自由と平等。この場合の平等とは、各人の生がそれ自体として究極的な価値をもっているということである。ここには、私たちは有限だが、それゆえに究極の価値をもつという考え方が根底にあると著者は言う。それが自由主義の核心である。つまり、世俗的信の明示的形態と言える。ここでの個人の自由に必然的に伴う内在的批判として著者は次の三つに指摘する。第一に、法の下の平等と憲法による権利の保障である。第二に、形式的ないしは法律的観念としての自由である。そして第三に自由を担う個人という概念である。マルクスは、この三つの内在的批判をすべて追究し、これらを厳密な形で定式化した。その結果、資本主義の強いる社会組織や分業は自由を損なっている。資本主義下での価値の尺度と社会的富の尺度は、自由時間の価値と真っ向から対立する。
 マルクスに先行したヘーゲルは、自由の理念は物質的で社会的な実践とは切り離せないと主張した。そこでは、誰もが自分自身の生を営む自由を承認する制度を作り、維持することが必要になる。ヘーゲルにとっては、私たち自身の生を営む自由は、自然に持っているというよりは、社会歴史的な達成であり、そのためには制度的実践によって形成されるものなのだ。私たちは、自分自身にしても、自身の行動にしても、それらを理解するのは社会世界をとおしてのことであり、そのような社会世界によって自分自身は形成される。精神的存在として、私が自分自身が何者かである、何かをすると理解できるのは、他者に承認された実践的アイデンティティを私が持っているからである。私の行動を、私が何者であるかの表現として受け取ってもらうには、私のすることが規範に従属していなければならない。その規範は社会的に制定されたものだ。つまり、私たちの実践的アイデンティティは、私たちが所属する社会から切り離すことはできない。表面的には自然なものに見える私たちの利己主義は、それ自体が社会形成にかかわるものである。そこで、ヘーゲルにとって、現実的な自由社会とは、共通善に対する私たちのコミットメントを、私たち自身の自由の可能性として認識できる社会である。国家の法を押しつけられたもの、私たちの自由を制限するものと見るのではなく、私たちが自由な生を営むことにコミットしているがゆえに、国家の法に縛られるとみなす。このような国家と個人の相互承認が現実的な自由の条件である。そこで、制度による自由の形成は、従順な市民をつくり出すために、外在的動機によって作られた法律や規制を主体に押し付けることにかかわるものではない。それとは反対に、制度による自由の形成とは、自身が従属する規範を、自分で自分を縛りつけた規範として理解できる市民になること、つまり、自身の行動は内在的動機によるものであり、自身がなすことを、自分自身にたいしても、他者に対しても正当化できる市民になることを可能にするのを提供することにかかわるものである。私の行動を、私が何者であるかの表現として受け取ってもらうには、私のすることが規範に従属していなければならない。そのような規範とは社会的に制定されたもので、私が成功したり失敗することがありうるのは、それとの関係においてのことである。利己主義者であることは、自然的事実ではなく、私が維持しなければならない実践的アイデンティティなのである。自由の理念は偶発的な歴史的達成であり、私たちが維持するコミットメントに左右される。それは自由の理念は、私たちが自分たちの実践を通して維持する限りにおいてしか存在しないからである。
 マルクスは、それなら近代国家と近代国家が依拠する市場経済が現実な自由社会と両立するのかどうかを問うた。しかし、著者はマルクスのヘーゲル批判は中途半端であるという。著者によれば、ヘーゲルのいう自由社会の制度的合理性は富の生産が、目的それ自体ではなく、市民一人ひとりの幸福のためのものであることを要求する。個々人の生計と福祉の保障が権利として扱われ、現実化される。この福祉とは、自分自身がそして自身が承認する他者が尊厳あるものだと認識できる自由な生を営む社会的可能性を持っていることにかかわるものである。しかしながら、福祉と尊厳に対する市民一人ひとりのコミットメントは、資本主義においては社会的富を生産する条件である賃金労働の力学と矛盾する。市民社会の市場経済は貧困と失業の問題に対して二つの解決策しか提示できないし、それらの解決は根本的ではない。貧困層は賃金労働の創出により暮らしていくことはできるが、尊厳つまり自由を得られるわけではない。富の過剰にもかかわらず、市民社会は富んでいない。それを過剰生産の問題とヘーゲルは指摘しているという。ヘーゲルは、マルクスが資本主義的な富の生産における根本的な矛盾として分析するものに通じる道を示している。この過剰生産は賃金労働に依拠している。
 マルクスの資本主義批判は、資本主義の条件そのものからの批判である。平等と自由についての自由主義の理念は、資本主義を克服することをとおして成就されるということの一方で、そのような理念さのものの歴史的な出現は資本主義的な生産様式と切り離すことはできない。さこでは、資本主義の二つの特徴はとくに重要である。第一に、資本主義社会では社会秩序は宗教的教義や貴族的血統の訴えでは正当化されない。先行する社会では宗教的権威や自然権によって権力のヒエラルキーが正当化されていた。だからこそ、支配と搾取の根本にある経済階級の利害が隠されていた。それとは対照的に、資本主義下では、経済的権力が社会的不平等の源泉であることが明示的に認められている。資本主義下では、原理的には、人は皆、平等である。権力のヒエラルキーは、買い手と売り手、資本家と労働者の関係をとおして確立される。どの買い手も、財力があれば財産を所有する権利があり、売り手も、付け値を拒んだり受け入れたりする権利がある。第二に、資本主義下では経済関係に参加する者は誰であれ自由であることが、形式的には承認されている。以前の奴隷制や農奴制とは違って、原理的には他人のために働くことを強いられることなく、各人が自分の生を所有することを認めることができる。ただし、自分の望む相手に自身の労働力を売るのは自由である。私の生の時間は、どこまでいっても私のものであり、賃金と引き換えに私の労働力を他人に売るとき、わたしは必然的に自分自身の生を売っている。私の時間は私の生と切り離せないのであり、私の時間に価値があることが、資本主義下では明示的に認められている。この二つの特徴からも分かるように、資本主義の経済関係をとおして出現する平等と自由の概念は、内在的批判に通じている。私たちが平等であることが形式的には認められている者の、以前として最初から不平等である。そのことを正当化するのは、宗教でも血統でも身分でもなく、経済関係である。
マルクスは、これがどう機能するのを見るために商品という概念かに入っていく。商品の一般的形態は資本主義に特有というわけでもなく、使用価値と交換価値の両方を持つ。商品の使用価値は、商品の使用目的である。水1ガロンの使用価値は飲むことであり、洗うこと、植物を育てることなど。また、交換価値は他の商品の価値との比較で決まる。交換価値の等価性は、貨幣という形態で表現される。これらは資本主義に先行する。この交換価値はどのように決まるかを最初に考えたのは、アリストテレスであるという。水1ガロンと靴1足とを交換する場合、両者をそのまま比較することはできない。そこで価値尺度を設定する。それが実際的必要に対する緊急措置であるという。これに対して、マルクスは価値尺度は労働時間であるという。すべての商品の生産には労働時間というコストがかかっている。実は、それ以前も労働時間は暗黙の価値尺度ではあった。しかし、奴隷制では労働時間はコストにならない。資本主義では、各人が平等であると承認され、自身の時間を自由に過ごしている認識される。そのことを前提にしてはじめて労働時間をコストとして理解することができるのである。資本主義下では、自由時間への一般的権利を承認する社会形態は、賃金労働である。賃金労働制度が認められるのは、生きていく糧を得るために働く時、私の必要の領域で働くことで、否定的なコストと見なされ、その埋め合わせが賃金ということになる。これと同じ理由で賃金労働が認めるのは、それが労働時間の彼方に開かれる自由の領域で私の生を営むという目的のための手段であることである。私の賃金は、生きていく糧を手に入れる手段であり、それが、私にとって重要な企図やコミットメントを追求するための自由な時間を私に与えるものになっている。しかし、マルクスは、賃金労働を媒介とした自由の約束は、賃金労働という社会形態それ自体によって裏切られる、と言う。
 賃金労働という社会形態は、経済全体のなかに大量の剰余価値を作りだす能力がある。そのように価値を成長させる能力は、資本主義を称揚する理由である。利潤とは仕入と売上の差額である。それは境内全体ではゼロサムゲームになる。ある人が儲けるということは、別の人が損をするということだからである。したがって、経済全体は価値が増加することにはならない。そこで、生きた労働の活動で説明しようとする。私たちは自分を生かし続けながら消費する必要のある以上の生の時間を生産している。それが自由時間だ。だからこそ、私たちには搾取される可能性がある。賃金労働は私たちの生の時間の剰余を、利潤のために、資本を成長させるために、剰余価値に転換する。例えば、私が資本家として井戸を所有しているとする。井戸は村から1時間のところにある。水に対する需要は高いので、私は500人の労働者に毎日8時間、週6日、井戸まで歩かせて水を汲んで来させている。水1ガロンの価値は、平均的な労働者が水を汲んでくる時間(労働時間)の長さである2時間となる。マルクスは、これを社会的に必要な労働時間と呼ぶ。この社会に必要な労働時間は、平均的生産手段に左右される。水1ガロンを汲んでくる、水の運搬の使用する道具がそれにあたる。労働市場で資本家の私が購入する労働力の価値は、その労働力を作り出すコストによって決まる。資本家が購入するのは労働力であって労働者ではない。しかし、それをどう区別するのか。労働力は生きている人間の能力だから労働者を切り離すことはできないからだ。労働力を生産するコストは、労働者の生を再生産するコストから切り離せない。それは、十分な食事、睡眠、その他の労働者が生き続けるのに必要なコストだ。だから、賃金率と、ある社会のある時点での生存手段の平均コストとは相関している。労働力への投資は総じて利潤を生む投資である。それは自己を維持するためにかかる以上の時間を生み出すからである。これが剰余価値の起源である。平均的な労働者が1時間の労働で生み出すことのできる価値は、平均的な労働者の生を1時間の労働のために維持するのにかかるコストよりも大きい。資本主義経済で、富が増加しうるには、労働によって作り出された価値が労働コストより大きいという状態が必要である。
 一方、資本家である私にとって、個々の労働者に投資することが利益につながるかどうかは不確かである。そこで、私は雇った労働者ができるだけ一生懸命に働くように仕向ける。ある労働者が、村まで水1ガロンを運ぶのに1時間以上かけたとしても、それだ、その水1ガロンの価値が明かるわけではない。そこで、私は、資本主義を奉じる雇用者として、雇った労働者からより多くの労働を引き出すために圧をかけるように駆り立てられる。その理由は第一に、搾取の力学は資本主義という社会形態それ自体に内在する。資本主義を奉じる雇用主として雇った労働者から剰余価値を搾り取らなければ、ビジネスが立ち行かなくなる。
 例えば、村人は時給10ドルで水汲み労働に雇用されている。週給は480ドルになる。この賃金は村で暮らす個人の平均的な生活費との関係で設定されている。つまり、この賃金で十分に生を維持できる。しかしながら、1時間の労働で生産する水1ガロンを20ドルで売ることができるとすると、諸経費をひいたあとでも1ガロンにつき5ドルの利益が雇用主の手許に残る。これが、増大する資本に転化する。その利潤を増やすために、資本家は労働者にもっと懸命に、もっと長時間働く圧力をかけ始める。これにより、近隣の資本家たちは以前より安価で水を汲むことができるようになり、市場を奪うことができる。それに対抗するために、そうでない資本家も労働者に圧力をかけざるを得ない。しかし、労働者は、それでは身体を壊してしまうと、抗議に出て、組合を結成する。その結果、規制が実施され、利潤は制限されることになる。そこで技術革新による効率アップを図る。マルクスは、労働者に圧力をかけて得る剰余価値を絶対的剰余価値、技術革新により労働時間を増やさずに増やせる剰余価値を相対的剰余価値と呼んだ。技術革新(発展)は、以前より少ない時間で以前より多くの価値を労働者に生産させることができる。それはさらに、賃金を下げることもできる。例えば、新しい技術によって、労働者たちが1ガロンの水を2倍の速度で生産できると、水1ガロンの価値は半分になる。その結果、村では水1ガロンの購入価格が下がる。それは労働者の平均的な生活費が下がることになり、賃金を下げる。その結果、相対的剰余価値が上昇する。そして、その利潤が資本に転化され、生産効率はさらに向上すると、必要となる労働者の数は減り、失業者が現われることになる。このような剰余人口が増えると自己との取り合いとなり、食つなぐために低賃金でも職を得るための競争が生じる。一方、失業が増加すると、購買力が落ちて利潤が上がらなくなる。このように資本主義的な生産様式には矛盾が内包されている。それで、資本主義は相対的剰余価値を搾り取ることでしか維持できないことになる。そして、相対的剰余価値を搾り取るかどうかを左右するのは労働時間を継続的に減らしていけるかであり、それを可能にするのは技術の進歩である。この場合、労働時間が減れば、自由時間が増える可能性がある。しかし、資本主義下では、剰余時間は剰余価値に転化されねばならないので、その可能性は叶えられない。つまり、過剰生産という危機が資本主義には、つねにつきまとう。その危機を食い止めるには、その仕事が本当に必要かを関係なく人を雇う。商品が本当に必要かに関係なく、消費させなければならない。資本主義下では、私たちは何を必要としているか、何を欲しているかという問いのすべては、何が利潤を生むかという問題に従属させられなければならなくなっている。
 価値の年間成長を生みだす比率で利潤を生む投資の機会を見つけるために、自然資源ばかりか、私たちの生の諸側面をも商品化せざるをえなくなる。商品化される自然資源が増えれば増えるほど、そこから産出可能な利益も増える。それと同じように、売買できるものに作り変えることのできる私たちの活動が増えれば増えるほど、私たちが手にする利益の源泉は増える。このような、自然資源や生にかかわる活動の商品化は、資本主義の維持には必要不可欠である。資本主義にコミットしているかぎり、私たちの生の諸側面を商品化することにもコミットすることになる。
 マルクスに従えば、資本主義とは、賃金労働を社会的富の基礎とする、歴史的な生の形態と定義することができる。マルクスは、賃金労働に依拠する価値尺度を批判した。価値尺度によって、どのように経済成長を計算するかが決まり、またそれによってどう社会的富を測るかも決まる。資本主義下で富の生産が依拠するのは労働時間であり、生きた労働時間は剰余価値の源泉である。剰余価値は利潤に転化され、資本の成長を生む。
 ここで、マルクスが一般労働価値説を受け入れていると誤解されていると、著者は指摘する。一般労働価値説は労働があらゆる社会的富の必然的な源泉である。マルクスは、これに対して価値尺度としての社会的に必要な労働時間は商品形態に特有のものであり、それが価値の本質となりうるのは、資本主義的生産様式のみです。価値尺度としての労働時間は歴史横断的な必然ではなく、資本主義の時代特有の本質であり、この本質は矛盾しており、克服可能だ。これがマルクスの資本主義批判、つまり価値概念の分析による批判だ。
 新古典派経済学は、商品の価値を、労働時間ではなく、需要と供給の観点から説明しようとするが、それはマルクスによる体系的な資本主義分析を避けるためのアリバイとして機能している。むしろ、マルクスを暗黙のうちら追認することで成り立っている。受容と供給、あるいは稀少性といったカテゴリーは社会的労働によって価値尺度という観点で捉えないと理解できない。商品の価格はさまざまな要因によって変動するが、その価値は社会的に必要な労働時間のコストによって測られる。つまり、限界効用は社会的に必要な労働時間言う意味での価値尺度を前提しているからである。
 私たちは生きた存在として、自分たちを生かすためにコストとしてかかる時間よりも多くの生活時間を生産している。だから、私たちは労働力というかたちで売ることができる剰余時間をもっている。もし私たちが生の剰余時間を生み出していなければ、私たちは売却できる労働力がないことになり、私たちを雇うことによって得られるものは何もないだろう。反対に、私たちが剰余時間をたえず生み出しているからこそ、資本主義を奉じる雇用者は、原理的には、賃金と引き換えに私たちの労働力を購入し、剰余時間を搾り取ることができるのである。しかしながら、私たちの労働の剰余価値が利潤に転化されるには、私たちは、商品を生産するだけではなく、消費しなければならないし、自分たちの労働力を売却するだけではなく、生産に要する以上のコストを払って労働の産物を購入しなければならない、資本主義を奉じる雇用者が最終的に手にする利潤が、資本の成長の源泉である。このように、賃金労働の力学はあらゆる形態の資本主義を定義している。なぜなら、利潤のための賃金労働が、資本の成長を生み出す可能性の条件だからである。商品の生産と購入の両方を行う生きた存在を雇用することによってのみ、経済のなかに剰余価値が生まれる可能性がでてくる。だからこそ、生きた労働時間は資本主義経済におれる価値の源泉なのであり、だからこそ、社会的に必要な労働時間が商品の価値尺度なのである。
 だから、ハイエクのような売却と購入、供給と需要といった空間的な流通過程から価格の決定では、そもそも、もともとの商品に価値がある根拠が示されていない。
 本当の価値尺度は、私たちがした労働の量でもなければ、私たちがすべき労働の量でもない。私たち自身にとって大切なことを追求し、探求することのできる自由な時間の長さである。自由時間という観点での社会的富の尺度は、労働時間という観点での社会的富の尺度にたいする外在的な代替案として私が押しつける理想ではない。それとは反対に、自由の領域で時間をもつことの価値は、必要の領域における労働時間の価値や尺度に対して内在的であるがゆえに、富の本当の尺度である。必要の領域における労働時間の価値をそれ自体として理解できるのは、ひとえに、私たちがすでに自由時間の価値にコミットしているからである。だが、社会的富の資本主義的尺度は、これとは違うことを私たちに信じさせようとする。資本主義下で生きているかぎり、村の近くに井戸を掘っても、私たちにはいかなる価値を生み出されることはない。私たちが井戸から価値を搾り取るためには、生計を立てるために井戸を稼働させなければならない人から剰余価値を搾り取ることである。それが労働時間という観点で価値を測ることの帰結である。だから、資本主義下での価値の計測それ自体が、自由の現実化に反していることになる。資本主は必要の領域で稼働している価値尺度を採用し、それをまるで自由の尺度であるかのように扱う。それゆえ、資本主義は必要の領域を増大させ、自由の領域を縮小させることになる。なぜなら、資本主義の富の原理は、自由な生を営むための手段としてではなく、目的それ自体として富を用いることを求めるからである。資本本主義下での富の要点は、さらに富を蓄積することであって、有意義な目的のための手段として使用することではない。死んだ労働の蓄積が、私たちが価値と呼ぶものであり、死んだ労働を蓄積すればするほど、私たちはますます豊かになる。資本主義下では、生きたろ労働のために詩だろロ労働が役立てられるのではなく、死んだ労働をさらに蓄積していくために生きた労働か役立てられている。したがって、必要の領域にある労働の目的は個本的なところで歪められており、それ自体の目的を達成することを妨げられている。手段としての労働が目的それ自体になっており、自由の領域で生を営むための手段として機能していない。
 それゆえ、資本主義批判の鍵となるのは、価値の価値転換である。資本主義の基礎は社会的に必要な労働時間という観点からの富の尺度である。それとは対照的に、資本主義の克服が要求するのは、私たちの富を、私が社会的に利用可能な自由時間と呼ぶものの観点から測ることである。社会的に必要な労働時間が私たちの富の尺度であるかぎり、機械技術を運用することで私たちにとって何らかの価値が作り出されることはあり得ない。技術は私たちの生を営むための時間を増やしてくれるという目的ではなく、人間労働を搾取するために使われてしまうからだ。
 そして、価値の価値転換は資本主義の内在的批判である。価値転換は、資本主義が用いる社会的富の尺度に対立する新たな価値を提案するのではない。むしろ、価値転換は、資本主義用いる社会的富の尺度はそれ自体としては意味をなさないこと、そして資本主義は自身が否定している自由時間という価値を前提としていることを立証する。つまり、資本主義は価値と社会的富の意味を歪めているのだ。
 価値の価値転換が目指すのは、自由時間にたいするコミットを反映するように社会的富の捉え方をつくり変えることである。私たちの富の度合とは、自分たちの生を用いて何をすべきかという問いに取り組むために私たちがもっている資源の度合である。これを左右するのは社会的に利用可能な自由時間の量である。これは、義務や責任を免れることとは違う。実践に取り組むための自由である。これが価値の価値転換の要点である。このようなマルクスの議論の基礎は、おおむね見過ごされてきた。それは、彼が価値という言葉を、労働時間の量としての価値という資本主義の捉え方に限定して使っていたためだ。しかし、『経済学批判要綱』のノートには技術的発展が労働者の自由の領域の拡大につながらず、労働者から相対的剰余価値を搾り取るための搾取方法を強化するという矛盾の指摘が記されている。それと同時に、このような矛盾は、その内部に介抱のポテンシャルを秘めている。しかし、著者は、マルクスの社会変革には、私たちの方で積極的に価値を価値転換することが求められていることまでは明示していない、という。
 次章の内容となるが、資本主義は現実的な民主主義とは両立しない。民主主義が、民主主義的な自由と平等の概念に忠実であるためには、資本主義が克服されねばならない。

2024年12月 5日 (木)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(6)~第4章 自然的自由と精神的自由

 ここでは、生の有限性がなぜ行為能力と自由のための必要条件なのかについて考える。
 本章では人間と動物の違いは、精神的自由と自然的自由の違いにあるという主張から始められる。その違いは哀悼、遊戯、勇気、苦しみ、喜びの形態を示す、さまざまな本能や忠誠個々の間に食い違いが生じた場合、どちらを選ぶかで種であることが何を意味するかについての自己理解を作り変えるのが人間に限られるということだ。つまり、人間であるとはどういうことかの理解を、変えることができる。人間には自然なあり方というものがなく、その行動原理を決定するような種としての要求はない。むしろ、何をするかとか自分自身が何者であるかとみなすかは、歴史規範の枠組みと切り離せない。
 このとき、自然的自由と精神的自由の区別には上下はなく、優劣もない。それゆえ、この区別によって人間が動物を搾取することを合法化しない。
 動物のような自然的自由の存在には、生存のために食べるべきといった行動を導く規範的な「すべき」はあるが、規範それ自体を疑問に付すことはできない。自然的自由は一重の「すべき」構造である。なぜなら、行為主体には、自己の指導原理を疑問に付すことも、何をすべきかを自問することもできないからである。それとは対照的に、精神的自由は二重の「すべき」構造である。精神的構造をもつ存在として、私は何をすべきかを自問できる。なぜなら、私の行動だけではなく、私の行動を導く規範的原理にたいしても応答できるからである。ここにあるのは、すべきことにかんする要求だけではない。すべきことになっていることをすべきなのかという問いもある。自分の生を用いて何をしているのかと私は自問できるし、私が何者であるかを定めているコミットメントをつくり変えることもできる。ただし、そのようなつくり変えはすべて、自身の生を営もう試みている実践的な立場からでなければ不可能だ。それゆえ、私の自己意識は、私を私の生の外部に据えることはできない。もっとも明示的な形態を取る自己省察のなかでさえ、私をそこから切り離すことはできない。私の自己意識は、私の生を維持するという実践的な活動のなかにしか、そのような活動をとおしてしか、存在しない。つまり、退却先になりうる観照的自己は存在しない。自己の生を営むという実践的な活動が、私の精神的自由の条件である。
 自然的自由と精神的自由の区別をさかのぼっていったところにあるのは、生についての世俗的な概念であり、それは本書の議論の根柢にあるものである。宗教的信仰が死を終点とする生には意味がないというのに対して、生の目的は死の見込みに依拠していると本書は主張してきた。それは、生を維持するために私たちが個人として、集団として費やす労力は、私たちが死と関係を取り結んでいることの証左である。私たちが死者を憶えていることが、私たちの精神的な生の主要な特徴であるのとちょうど同じように、私たちが死後も憶えていてもらおうとすることは、私たちの精神的なナノの主要な特徴である。記憶の重要性は、忘却のリスクと切り離せない。未来の世代が私たちの記憶を保ち続けるかぎりにおいてのみ、過去の世帯は生きつづけるのだという感覚が、過去の世代に対する私たちの誠意を生きいきとしたものにしている。このような形で生き続けることを、永遠の生という宗教的観念と混同してはならない。私たちが死社の記憶をもち続けることを余儀なくされるとしたら、それは、死者は死んでいると私たちが認識しているからである。それと同じように、もし私たちが死後に忘れられないことを気にかけるとしたら、それは、自分たちがいつかは死ぬことを私たちが認識しているからである。死の見込みかなければ、自然的にものであれ、精神的なものであれ、生を維持する目的はないだろう。死のない生は、生として意味をなしえない。有限な生だけが、生として意味をなしうる。
 本書の議論の出発点は、自己維持を特徴とする生の概念である。生物はただたんに在ることはできないのであり、自己の活動をとおしてみずからを維持し、再生産しなければならない。自己維持の概念は、自己再組織化するものとしての生命有機体や生命システムという定義すべての根柢にある。生きていることは、必然的に、自己関係をもつということであり、いかなる自己関係も自己維持の活動のなかにある。生きていない実体は、自己の存在を維持するために何かをしているわけではないので、いかなる形態の自己関係ももたない。それが無生物生物の範疇的な区別である。自己維持活動なしに在る物は、生きているのでも死んでいるのでもなく、生きていないものとして理解可能になる。それとは対照的に、ある実体の存在が自己を維持する自身の活動に左右されるのであれば、それは生きているものとして理解可能になる。自己維持活動が停止すれば、それはもはや、生きているのではなく、死んでいるものとして理解可能になる。
 生を生として理解可能にするもの。その問いのために、自己維持の形式的な特性から、生の必然的な特徴を導き出す。そこで導き出せる第一の特徴は、生は本来的に有限でなければならないということである。目的志向の自己維持活動が前提とするのは、生物の生は活動に左右されること、つまり、自己維持を行なわなければ生物は崩壊して死ぬということである。このような死の見込みがあるからこそ、自己維持の目的が理解可能になる。内在的にそなわっている死の可能性との関係においてみずからを生かし続けなければならない喪の物だけである。もし、生が失われないとしたら、自己維持活動にたいして生きるか死ぬかの関心をもつことはないであろう。
 第二の特徴は、生は脆く壊れやすい物質的肉体に左右されるものでなくてはならないということである。生には特定の物質的基礎には還元できないが、自己維持が必要な物質的肉体というなにかしらの形態を必要とする。生物の物質的肉体は、崩壊や機能不全のリスクを孕んでいなければならないという意味で、脆く壊れやすいものでなければならない。もし生物が脆く壊れやすい物質的肉体に左右されることがなければ、自己維持の主体も客体も存在しないだろう。生きていることは、必然的に、生命が途絶える可能性のある物質的肉体を維持する活動に従事することである。
 第三の特徴は、生あるものと生なきもののあいだには非対称の依存関係がなければならないということである。どのような形態の生命活動も、必然的に、生気のないものと関係をもっているが、逆の議論はない。生気のない物体は、存在するために、いかなる形態の生命活動も必要としない。生あるものは生なきものと関係をもたなければ存在できないが、その一方で、生なきものは生あるものと何の関係をもたなくても存在できる。だからこそ、生物が現われる前に物質的宇宙が存在できることも、あらゆる生命形態が絶滅した後に物質的宇宙が存在できることも、理解可能なのである。生はその存在自体が、脆く壊れやすい現象である。
 これらのことから、自己を維持しているものとしての生という概念は、自己充足的なものとしての生という考え方とは違う。自己維持という形態は、自主独立の形態ではなく、有限性の形態である。生の概念には二つの属があり、自然的生と精神的生である。自然的生には、自然的自由の特徴を示す種のすべてが含まれる。自己維持という目的に則った活動に従事する一方で、そのような活動自体を疑問に付すことはできない。自然的自由の第一の特徴は自己再生活動である。自然的生の活動の目的は自己保存ないし種の保存である。したがって、それを示すのは自己決定という根本的な形態である。第二の特徴は、否定的な自己関係を引き受ける能力である。困難に遭遇したとき、生物は、起こることに受動的に身を任せるのではなく、自身の自己決定と歩調を合わせて、何らかの形態の能動的な抵抗に身を投じる。否定的な自己関係を引き受ける能力があればこそ、異物は、多大な困難や苦痛をともなうときでさえ、自分自身であろうと奮闘できる。生物はつねに奮闘を続けなければならないが、それはみずからを生かし続けなければならないからである。生には最終的な目標も完成もない。なぜなら、生が終着点にいたりうるとすれば、それは死をおいてほかにないからだ。生は本質的に時間内的な活動だ。否定的なものとの関係を取り除くことはできない。なぜなら、生物は絶え間ない変化をこうむるものであり、時間を通じて自身が変化していくなかで自己を維持しなければならないからである。それゆえ、否定的なものとの関係は生物それ自体の内部にあり、生物の否定的な構成の一部である。また、このことは剰余時間との関係もある。生物による自己維持の奮闘は、必然的に、生存手段を確保するのに必要な以上の生の時間をつくり出すため、あらゆる生物には少なくとも最小限の自由時間がある。
 精神的生の属には、自身の時間をどのように過ごすべきかを自問する能力を本当に持ち合わせている種すべてが含まれる。精神的自由の特徴は、自然的自由の特徴の高次の形態であるということ。具体的に、第一の特徴は、生の目的が自然なものではなく、規範的なものとして扱われるということ。精神的存在として、私は、自分の生や自分の種の生を保存するためだけでなく、私が私とみなす私のために行動する。私が私とみなす私が、コミットメントに信を置き続けることを要求するからこそ、それは実践的アイデンティティなのである。私の実践的アイデンティティによって、しかじかのものが、価値があり重要であるものとして浮上してくる一方で、その他のものは、気を散らせたり、心を惑わせたりするものとして立ち現われてくる。私の実践的アイデンティティは、私が生をどのように営むか、私の生に起こることにどのように反応するかの両方に影響を及ぼす。しかじかの実践的アイデンティティをもつことが何を意味するのかは、私が決めてよいことではあるが、社会で共有されている規範に左右されることでもある。私はみずからの実践をとおして規範をつくり変えることができるが、そうするなかで、つねに他者への応答に開かれており、みずからを説明する資格を負っている。みずからの実践的アイデンティティに照らして、私はみずからの欲望や熱望に従属するばかりか、みずからの欲望や熱望の主体にもなる。私は私の生を生きるなかで、私の生を営んでもいる。そして、ひとりの人間が持つ複数の実践的アイデンティティのあいだの優先順位は、実存的アイデンティティと呼ばれる。
 精神的自由の第二の特徴は、自己に対して否定的な関係をもつ能力である。否定的自己関係は、実存的アイデンティティの危機として表面化するが、このような関係は実存的アイデンティティのなかにいきづいている。たとえば、私が私であることに失敗しても、その痛みを経験するのは、私か生きて、自身の生を営もうとしているからである。これが、自己との否定的な関係を引き受ける私の能力である。私のアイデンティティは実践的なものであるから、失敗することもあれば、崩壊することもある。実践的アイデンティティのあいだで確立された優先順位でさえ、崩壊することがある。しかし、それらが崩壊したからといって、人格をそなえた者としての私の生が終わるわけではない。私が自分自身の生を営んでいるかぎり、私は統一性を持とうとしているのであり、たとえそれがうまくいっていないときでも、そうである。人格をそなえた者であることは、必ずしも、実践的アイデンティティの要求にもとることなく生きることの中ではなく、実践的アイデンティティを維持したり変化させたりしようと試みることのなかにある。自己に対して否定的な関係を持つ能力によって、私は、大きな個人的苦しみという代償を払わなければならないときでさえ、実践的アイデンティティや実存的アイデンティティの要求にもとらない生き方を追求することができる。
 精神的自由の第三の特徴は、自分の時間を使って何をすべきかと自問する能力である。あらゆる生物は剰余時間を持っている。私が自分の時間をつかってすべきことが私にとって大事なのは、私が自分の生を有限なものと捉えているからにほかならない。自分の生は有限で、けっして長くはないという認識は、いつか死ぬということだけでなく、生を営めないかもしけないというもどかしい不安を抱いていることを含んでいる。この不安は、克服可能な、克服すべき心理状態には還元できない。むしろ不安は、自由な生を営み、情熱的にコミットするための理解可能性の条件である。私の生が私にとって大切であるかぎり、私の時間が限られているという不安は、私を活気づけるはずだ。なぜなら、私の時間が有限であればこそ、しかるべき人間になろうとし、何かをしようとしなければならないという切迫感があるからだ。その、私の生は短すぎると主張することは、規範的判断である。そこで表明されているのは、自分時間を使ってする価値があると私が考えているからだ。この判断は時間の物理的長短に関係なく、その質にかかわる。前述の通り、有限性と不安との関係は克服されるべきものではない。最終的な心の平安を達成しようと試みる代わりに、私たちは、私たちの自由に付いてまわる実存的な不安を自身のものにすべきである。もし私たちが自分時間を使ってすべきことに何の不安ももたないとしたら、私たちが私たちとみなす私たちに値する活動はどれであり、それに値しない活動はどれであるかを区別できない。これと同じ理由で、いかなる形態の精神的生も、脆く壊れやすい物質的身体に依存せざるをえない。
 私の時間を使って何をすべきかをいう問いに、問いとして取り組むことができるというのが、私が精神的に自由である理由である。この問いに出来合いの答えがあるとすれば、それでは、私に精神的に自由ではないことになる。私が何者であるべきか、何をすべきかは、すでに決まっていることになるだろう。しかしながら、社会的規範であれ自然的本能であれ、それ単体では、私が何をすべきかを決定することはできない。なんらかの規範を厳守するとき、その規範を厳守しているのは、ほかならぬ私であり、自分の自然的本能であるとみなすものに従うとき、その本能に従っているのはほかならぬ私であり、私はみずからの責任でそうしているとみなすことができる。この行為を支えているのは信である。それゆえ、世俗的信と世俗的理は表裏一体である。世俗的信は、宗教的な啓示や神秘的な直観とは何の関係もないが、規範的コミットメントの構造に本来的に備わっている。私は自分のコミットメントを規範的なものと捉え、それにたいして信をもち続けなければならない。なぜなら、それが生きるのは、私のなかだけであり、私をとおしてだけだからだ。自分のコミットメントを問い質したり、つくり変えたり、裏切ったりすることもできるが、それはあくまで、私が別のコミットメントに信をもつかぎりにおいてである。
 一方で、これは不安定である。私たちがすべきことも、私たちがなるべきものも、あらかじめ与えられてはいないため、ここには、誰に対して、何に対して信をもち続けるべきかという問いが常にあるからだ。これらの問いは、私たちの精神的自由にかかわるものである。これらは、自分自身が有限であることを理解している存在にとってのみ生きた問いでありうる。これらは、私が大切にしているものに関わる問いである。この問いに答えることは、私の生のなかで切実なもの、優先すべきものを決定することである。何か重要なことがある場合、それを「いずれ」ではなく「すぐ」にやることが大事である。すぐといずれの区別は相対的である。三人称的に客観的に区別することはできない。その区別からは一人称の見地からのみ可能である。つまり、私の切迫感が境い目となる。何をする場合でも、私はみずからを未来に投企しているのであり、そうすることが経験を可能にする条件である。何者かになること、何かをすることは、私が維持しなければならない可能性のなかにみずからを投げ込むことである。しかしながら、私の死を予測することは、私の生のすべてを構造化する唯一無二の形態である。私の死は、私が経験できるようなものではない。なぜなら、私自身についてのあらゆる経験は、私か生きていることを前提としているからだ。むしろ、私の死は、私の生の乗り越え不可能な限界の投影であり、それがあればこそ私の生における「すぐに」と「いずれ」を区別できるのである。私の精神的自由、つまり、何を優先すべきかという問いに取り組む能力は、私の死の投影に依拠している。私の死の地平は、自分の生を用いて何をすべきかという問い答えを与えはしないが、その問いが私にとってどのように重要なのかを理解可能にしている。
 自然的生は、自身の死との関係のなかで行動している。しかし、種の生命を維持するという目的それ自体は、個体にとって問題になっていない。個体は、つねにこの目的に照らして行動しており、それゆえ、自然的自由の形態に制限されている。これに対して、私たちは、私たちの生の目的それ自体が問題になっている。自分がしていることや、自分が自分であると見なしている自分に、完全没頭しているときでさえ、私たちの根本的なコミットメントは疑問に付されうる。私たちのすることが私たちにとって意味をなさなくなることはありうる。このような実存的不安の形態は、私たちのコミットメントを変容させ、新たな活力を吹き込むこともありうる。実存的不安は私たちの精神的自由のしるしである。私たちの根本的なコミットメントは所与のものではないからこそ、私たちは自然の目的ではなく、理想に、みずからを縛り付けることができるのである。私たちの根本的コミットメントは震えおののくものであり、バラバラになってしまうかもしれないものだからこそ、私たちは自分たちの生を用いて何をすべきかという問いに取り組むことさえできるのである。
 精神的自由の概念によって、私たちは、世俗的信と宗教的信仰の最深部にある差異を測ることができる。永遠の救済という宗教的理想は、自由で有限な生を営むということを軽視する。肉体は朽ちることから逃れられないという理由で、軽蔑の対象となる。個人的な行為能力は克服されるべき幻想と考えられる。
 著者は、この理想は空虚であり、奮闘して目指すに値しないと主張する。私たちの熱望がその内奥まで成就されるときでさえ、かならず自由の不安に震えおののいている。その不安の形態をすべて根絶しようという、その理想は、徹頭徹尾、心得違いだ。それは、精神的生それ自体を根絶しようとするものだからである。この理想が目指すのは、有限の生からの解放である。それゆえ、救済という宗教的理想は、自由という世俗的理想と両立しない。宗教では、自由な生を営むことは、目的それ自体ではない。そうではなく、私たちの自由は、神に仕え、神によって救われるという目的に向かう手段である。宗教的救済の目標は、私たちの有限の生を解放することではなく、私たちの自由の条件である有限性から私たちを救うことである。開放が目標になるやいなや、私たちは気づかいの実践を、宗教的なものから世俗的なものに移行させているのであり、そこで私たちが追求するのは、有限の生から解放されることではなく、むし有限の生を解放することである。

2024年12月 4日 (水)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(5)~第3章 責任

 ここでは、なぜ世俗的信は、永遠を信じる宗教的信仰と必然的に反目することになるのかについて、キルケゴールを通じて考える。そこで、なぜ気づかいや責任が宗教的信仰に基づくことができないかの理由を明らかにしていく。
 キルケゴールの『おそれとおののき』では、敬虔な信仰をもつアブラハムに神から息子イサクを生贄にせよと命令が下される。その理不尽な命令にアブラハムは粛々と従い、イサクを殺そうとした瞬間に神からストップがかけられるというストーリーである。ここで浮かび上がるのは、アブラハムが真なる信仰の模範であるのは、最愛の人の生贄を要求されても神に従ったからなのか、それとも、アブラハムは神の命令には盲目的に従う狂信者であるのか、という問いだ。
 キルケゴールは信仰について、「危険失くして信仰はない。信仰は正しく、内面性の情熱と客観的な不確実性の間の矛盾である」という。私たちは過去に起こった出来事をよりよく理解する方法を展開できる一方で、新たな証拠によって、これまで知っていると思っていたことが新たに問いに付され、あるいは新たな問いによって、既存の証拠が別の角度から提示されることが常にありうる。起こった出来事について、私たちがどれほど主観的に確信をもっていても、私たちの知識には客観的な不確実性の要素がある。というのも、過去についての私たちの見解は決定的なものではありえず、反駁される可能性があるからだ。同様に、未来の起こりうる出来事を予知するための優れた方法を開発できるかもしれないが、それでも未来は不確実であり続ける。なぜなら、未だに起こっていない出来事を知ることはできないからだ。このような不確実性の形態は、私たちの現在の経験そのものを印づけている。この経験は、すでに過ぎ去りながら、未来に関与するようになっていくものだ。ある瞬間は、確実性をもった静止点ではありえず、つねに過ぎ去っていくものであり、やってくれるかもしれないものに開かれる。だからこそ、生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いて生きなければならない。私たちは未来の観点から行動しなければならないが、その行為の結果を知ることができるわけではない。というのも、そのような結果は、遡及的にしか与えられないからだ。さらに、あなた自身の自己はこの時間性と不可分である。あなたは安定した本質ではなく、時間の中に存在する、つまり、あなたは所与の存在ではなく、つねに生成するプロセスにあり、そのプロセスは、自分はこういう人間であるという、あなたの感覚をへんようさせうるものなのだ。客観的な不確実性ゆえに、信仰は経験の必要条件である。過去も未来も知りえず、信じ続けるしかない。このような時間内的条件(世俗的信に必然的な不確実性)は、はじめからこの信をリスクに結びつけている。過去や未来との関係が世俗的信に依拠しているから、あなたは確実だと思っていたものに欺かれ、当たり前だと思っていたことを誤解し、まったく予想していなかったものに心を砕かれる。これらのリスクに対して、あなたが傷つく可能性は、世俗的信という実存的コミットメントに依拠している。この実存的コミットメントが重要なのは、時間内的な有限性が本来的に備わっているからだ。喪失のリスクとは、世俗的信にある動機付けの力である。喪失のリスクは信じ続けることの本質的な一部をなしているが、同時に、あらゆる誠実さを危ういものにする。だから継続的に成されなければならない。
 キルケゴールによれば、ある人、思想、生き方にコミットすることで、あなたはその存続が客観的に不確実なものに依存することになる。そのような実存的コミットメントによってのみ、あなたは自己になれる。私たちは、生物学的には人類として記述されるかもしれないが、私たちのありよう(「自己」)は、私たちが何にコミットし、またそのコミットメントをいかに維持するかによって規定されている。だからこそ私たちの自己は、生物学的な意味以上のことを生きられるのであり、また生物学的な死を待たずに「死ぬ」ことがあるのだ。あなたがある生を決定づけているコミットメントの維持に挫折すると、あなたの生は続いていても、あなたはみずからの自己の実存的な「死」に苦しめられるのである。このコミットメントには決意が求められる。
 決定しているとは、有限性を考慮していることである。私はあなたへのコミットメントを維持するなかで、たえず他の生き方の可能性を手放さなければならない。この有限性がなければ、そもそも他の選択肢が存在しないのだから、私がみずからのコミットメントは無意味で自動化してしまうだろう。そこで、有限性はあらゆる有意味なコミットメントにとって必須である。かりに幸福を保証された生を営むことが可能だったとしても、キルケゴールは決意ある生の危険の方が望ましいという。なぜなら危険は、生きるに値する生の条件だからだ。何かが重要であるためには、喪失のリスクを伴う。彼にとっては、ストア主義的な心の平静も、仏教的な生の安らかさも無意味である。彼は情熱から解放されることを望んでいない。むしろ情熱に関与し、全面的にコミットしてもらいたい。アブラハムの神への信仰を守り続けるかぎり、彼の愛するものを失うという実践的な経験から遮断されている。キルケゴールにとって、これは宗教的信仰における4もっとも深い美徳である。宗教的信仰を守り続ける限り、喪失に打ち負かされることはない。信仰を失えばすべてを失うが、それを護る限り、安全なのだ。アブラハムはその最高の事例である。これとは対照的に、世俗的信は必然的に傷つきうる状態のままである。世俗的信を維持し続ける限り、あなたは喪失に打ち負かされる可能性がある。アブラハムが世俗的信を維持していたら、息子イサクの命の貴重さ、それは彼が息子の幸福を木テクそのものとして人生を捧げているのだが、それを信じていたはずだ。だが、彼は、息子の命が失われえることも信じている。たしかに、イサクの有限性を認め、それに応答することによってのみ、彼は息子を気遣うことができる。アブラハムは、イサクを気づかうということを、宗教的信仰のために、生贄に捧げざるをえなかった。キルケゴールによれば、アブラハムには父親になるという生を決定づけるコミットメントがある。息子を気づかうなかで、アブラハムは義務感だけを抱えていたのではない。彼はイサクを愛しており、さらにイサクは彼自身の約束された未来であり、イサクを通じてのみアブラハムはみずからの生を理解でき、彼の遺産はのこることができるのだった。親になることに、みずからをコミットすることは、このように客観的な不確実性を痛感する経験である。たしかに、父親になることの意味について、三人称的立脚点から知識を得ることはできる。だが、どれほど情報や知識があっても、父親になるという一人称的経験の準備に足るものではない。むしろ、その経験に先だってコミットし、それによって未知へと信の跳躍を遂げなければならないのだ。この跳躍にはリスクが伴う。父親として自分がどんな人間になるのか、息子がどんな人間になるのか、あるいは息子にこの先何が起こるのかを知ることができないからだ。この不確実性は父親であることの一部を担っている。息子がいる限り、父親としての未来を運命づけられている。ここで必要なのは父親としての生を決定づける実存的なコミットメントである。そのコミットメントこそが、この世界と自分との関係をもっとも深いところで方向づけ直し、生をより実感を伴った有意味なものとする。一方、その息子の運命は、私の制御を超えている。息子を愛し大切だと思うことはできても、それだからと言って、息子の未来を確かなものにすることはできない。同じことが世俗的信のあらゆる形態にあてはまる。キルケゴールによれば、未来とのあらゆる関係には不安のおののきがあるという。私たちはこの先に何が起こるかを知りえず、保持したいものを失うかもしれない。父親であれば、息子を失うかもしれないという展望は不安を生み出す。そのような不安とともに生きること、それは世俗的信のあらゆる形態にもともと備わっている。キルケゴールにとっては、最高の至福でさえも絶望にかかわっている。絶望の状態は宗教的信仰のないすべての人を包囲している。宗教的信仰とは、神への完全な信仰という美徳によってもたらされた絶望のない状態といえる。だが、キルケゴールは、そのような絶望からの解放は信じればすべてうまくいくというような簡単なものではない。可能性の不安と呼ばれるものと向き合いながら宗教的信仰を持ち続けるのは容易ではない。この世界に対する信頼が打ち砕かれるといった最悪の事態に遭遇したとき、宗教的信仰を失うようであれば、実は信仰をもっていなかったのと同じだ。信仰等そういうものだとキルケゴールはいう。神がイサクの生贄を命じたとき、アブラハムは極限状態に置かれた。だが、アブラハムは絶望することなくこの難題に向かい合っている。それは、神にはすべてが可能であると信じているからで、『おそれとおののき』では結果として信仰の美談となる。では、アブラハとム同様に真の信仰をもっていることを証明するには、彼と同じような試練を経験しなければならないのか。
 つまり、宗教的信仰には家族や友人あるいは共同体に支えられているということは必要ない。家族や友人あるいは共同体といった他人に支えられているということは、自身の持つ自己感覚と切り離せない。だからこそ、息子が死んでしまい、それによる哀しみに打ちひしがれても、自分の生を生き続けることができる。だがそのプロセスにおいて、この世界に依存することになる。もし息子への愛を思い出すことができれば、その哀しみに向き合い、未来へのコミットメントを更新できるかもしれない。その痛みが安全に消えずとも私たちの共有している想い出が、私に生きる糧を与えてくれるかもしれない。こういう人がいなければ、私は絶望に屈してしまうかもしれない。このような絶望のリスクは生を決定づけるあらゆるコミットメントに組み込まれている。それは、私が自己充足的ではなく、本来的な関係的な存在であるからだ。私のアイデンティティは所与ではなく、認識の諸形態に左右されている。これらの形態は維持されたり、変容させられたりするが、核心においては脆く壊れやすい。世俗的信において、絶望のリスクは否定的な脅威であるだけなく、アイデンティティや関与といった肯定的なものに本来的に備わっているものでもある。これは、絶望を無化する宗教的信仰とは対照的である。つまり宗教的信仰はこの世界への信頼を断念する。無限の諦念の運動を生み出すには、永遠の幸福のために、有限なもののすべてを自発的に諦める。しかし、著者は言う、無限の諦念は、有限性を見放すことではないという。むしろ、有限なものの運命を感知せずに有限性において生きることである。この場合、有限性を相対的なものとして扱うといった方が適切である。
 ここに至って、キルケゴールがアブラハムのエピソードを生きた宗教信仰の範例とした理由が明らかになる。自分の息子を生贄として捧げよと神から命じられなくても、永遠の幸福という絶対的な生きる目的(動機)は、愛する有限な対象をも下位に置き、究極的には手放して差し出すことを要請する。この無限の運動は、キルケゴールが「宗教性A」と呼ぶものの核心をなす。「宗教性A」とは、いわばキリスト教的な宗教的な献身の形態である。そこでは、無限の諦念は信仰に先立つ最終段階であり、この運動を生み出さなかった者は、信仰を持っていないことになる。それは、無限の諦念にあって、人ははじめて自身の永遠の妥当性を自覚し、同時に、信仰の力によって実存を把握するからである。このような「宗教性A」の無限の諦念は宗教的信仰の共通項である。永遠のために有限なものを自発的に犠牲にしないのなら宗教的信仰とは言えず、世俗的信なのだ。とはいえ、キルケゴールは『おそれとおののき』の中で無限の諦念の運動に物足りなさも認めている。アブラハムはイサクを生贄とすることで、息子に託していた希望を諦めることになる。そこで二つ目の運動を生み出す。信仰の運動である。神はすべてが可能だから、息子が帰ってくると信じることができる。キルケゴールの信仰劇は、無限の諦念という第一の運動に加えて、アブラハムの行為に象徴される信仰は二重の運動として、有限なものを手放した後でも有限なものを受け取ることを期待できる。このように、キルケゴールは神への献身と有限な生への献身とに結びつけることに成功した。
 しかし、著者によれば、このような宗教的信仰の二重の運動は、実際には取り戻しようのない喪失の経験を除外することで、有限性の経験を否定している。イサクに何が起ころうとも、アブラハムは息子が無傷で現れることを信じており、このことによって、彼はイサクを気づかい大切に思うという、潜在的な能力を剥奪されている。だから、著者は言う。宗教的信仰の二重運動を生み出す人は、無限の諦念の運動だけを生み出す人よりも、有限なものの運命に無関心だ。無限の諦念はイサクを殺すが、少なくともイサクの喪失を認識する。しかし、二重の運動はイサクの喪失を認識しない。なぜなら、イサクの命を奪っても、イサクを取り戻すことに揺るぎない自信を持っているからだ。これを著者は野蛮という。それは世俗的信を手放した直接的結果だ。
 宗教的信仰の二重運動が目指すところは、外的な要因への依存が取り除かれることで、イサクへの愛が完全に内的な出来事となることである。無限の諦念の第一の運動では、外的世界でのイサクへの気づかいを諦める。そのあらわれがイサクの殺害であり、彼に起こることへの気づかいの放棄である。つまり、外的な結果に対する無関心は、有限性が私に及ぼす力を奪い去る。これが信仰の第二の運動のための地固めとなる。この運動は、イサクを殺そうとも、見放そうとも、最後は取り戻すと信じる。それは全能の神への信仰に依拠しているが、そのためには実際に出来事への関心の断念がある。
 キルケゴールは自分はキリスト教徒であると主張しながら、みずから有限な生の運命を気にする人々を、生きた宗教的信仰に欠けると厳しく批判する。アブラハムのように愛する息子への気づかいを手放せないなら、キリスト教徒ではないという。キルケゴールは、このアブラハムの行為を父と子という点で、神とキリストに置き換えることができる。キリストは世界の犠牲となって、生贄となって、磔刑となったということができる。
 一方、キルケゴールはアブラハムが神に服従せずイサクを生け贄としない選択も想定していた。それは、アブラハムは神へ疑いを抱き、信頼を失い、神の命令に従わないというキルケゴールにとって最悪の筋書きである。しかし、一方で、それは世俗的信の肯定として読み解くことができる。アブラハムが神の命令に服従しないのは、イサク自身を目的としてイサクにコミットしているからであり、イサクの死が実際にありうることであり、それが取り返しつかないことを信じているからである。それは愛する者が有限であり、それだからこそ、気づかいを必要としている。
 このように、宗教的信仰と世俗的信は対立的かというと、キルケゴールはたしかにそのようだが、著者は、そうでない道を模索する。有限性があらゆる責任感や愛の条件だということから、有限な人だけが愛することができる。有限な人だけが、この世界を大事なものにできるのであり、他人にたいして責任を負うことができるのである。そうすると、キリストの死は、世俗的な受難という観点から読解できる。私たちを死から贖うためではなく、愛しまた愛されうる人でいるために、そうでなければならない。彼の死を天国への通路として祝福するよりも、愛する人一人ひとりが必ず死んできたように、彼も死んだということ、またそこには彼のことを記憶しようとする人々を別にすれば、死後の世界などとないということを理解すべきなのだ。彼の死をこのように理解するということは、生のすべてが、それが最愛の人の生であっても、死によって終わるということを認識することである。この生以外などないのだから、愛する人の死は取り消せない。この死によって終わるということは、私たちの行動がなぜ重要なのか、また、私たちを超えて生き続けることが誰やかやにわが身を捧げることがなぜ重要なのかの理由に本質的に備わっている。私たちの信じるものは不断の努力によってしか維持できないからこそ、私たちはそのために闘わねばならない。また、未来が不確かだからこそ、来るべき世代に何を手渡すのかに心を砕かねばならない。これこそが世俗的信の二重運動である。私たちは前へと走り、取り消しようのないリスクに遭遇し、それでも決意をもって与えられた時間を最大限に生かすのである。
 このような世俗的真を通じて、アブラハムの行為を考える。『おそれとおののき』では、宗教的信仰のおかげで、アブラハムはイサクの苦しみを見ずにいられる。キルケゴールは、敬虔さのすばらしい範例として見せようとする。しかし、私たちには、これは災禍であり、神にはすべてが可能だという夢は悪夢に見える。宗教的信仰の二重運動により、アブラハムは実際に起こる出来事を気にかけることなく無限に手放し続け、失われたものは何であれ、神が蘇らせてくれるという信仰の場を確保する。しかし、世俗的真においては、死後の生などなく、拷問が贖罪であり得ないことが見て取れる。イサクが苦しんでいるのが見えるのであり、差し迫る彼の死に応答できるのである。その有限性は、なぜ彼を愛し、気づかい、大切にするのかにとって本質的なものである。神が命じたとしても、イサクの命を奪うことなどできない。そのような死は理に適っていないし、誰の罪も贖わないということを理解しているからだ。
 このように、アブラハムとイサクの物語は、責任というものが、神の命令に基礎づけられたものではないことを明らかにする。神が存在し、すべてが可能であるなら、すべてが許され、神の命令という理由があれば、息子を殺しても許されてしまう。宗教的信仰の二重運動ではそうなってしまう。しかし、責任は世俗的真から生じる。それは、愛する人の存続に、あなたが身を捧げているからである。有限な生のかけがえのない価値を信じていれば、神がイサクを殺せと命令するのは間違いだとわかる。神は道徳的な問題を理解することすらできない。道徳的責任について神が教えてくれるものなどない。神には誰かを取り返しようもなく失うことの意味も、誰かをかけがえのないものとして気づかうことの意味も理解できない。神はいかなるものにも制約されていないが、また同じ理由で何にもコミットしていない。実際のところ、神はおのれ以外のものに縛られていないのだから、全く責任を問われない。コミットしている者だけが責任を負うのであり、コミットしている者だけが気づかうことができる。そして、有限な者だけがコミットすることができるのである。

2024年12月 3日 (火)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(4)~第2章 愛

 アウグスティヌスの『告白』におれる時間と永遠の分析を通して世俗的信という概念を練り上げていく。
 アウグスティヌスは時間経験の形態を広がりとして記述する。今この時に私に現前している。その瞬間は過ぎ去ってしまう。それが時間である。そして、この時間を経験するということは過ぎ去った過去を保持し、まだない未来に向かってみずからを投企する。だから、それは自己を保持させるものでもある。同じように愛するものを維持できる保証はない。幸福とは愛するものを所有し保持することにある。しかし、それは時間の内でなされるため、所有していても、常に死の嘆きの予感に恐れている。その結果、生においては機会と危機とは不可分だということになる。これが世俗的生の条件であるとアウグスティヌスは言う。彼は、この世界に生きることは、永遠への宗教的信仰ではなく、時間的なものである世俗的信の問題であるという。世俗的信は、宗教的信仰より、むしろ、この世界に対するわれわれの情熱や、互いを大切だと思う気遣いの源泉なのである。
 しかし、そこには不確実性があり、彼は世俗的信の必然的な不確実性を指摘する。生き続け繁栄するためには、他者を頼りにしなければならない。それは壊れる可能性が付きまとっている。信頼された人々は変わることがあり、先のことは不確実だ。このような不確実性は他者との関係のみならず自己の経験にも必要な条件である。あらゆる時間内経験には信じるという要素が関与しており、これは理解することにもともと備わっている。つまり、過去はみはやないのだから確実な対象ではありえず、起こった出来事について自分の記憶や他の人々の見解を信頼する必要がある。また、未来はまだないのだから、未来を信用するしかないからである。
 世俗的信の必然的な不確実性は、積極的なチャンスも消極的なリスクも生む。そのおかげで未来という約束が開かれる。このような不確実性は、世俗的信に本来的な実存的コミットメントの証左である。自身の生にコミットしているからこそ未来の約束は破られるかもしれない。世俗的な愛が可能な限り最善の方法で維持されているときでも、それが危険であることに変わりはない。アウグスティヌスは、このように喪失にさらされていることこそ、われわれが気づかう理由の本質的な一部をなしているという。愛することにおわりがあるからこそ、われわれは気づかうのである。このような有限性は、世俗的生を動機づける力にとって内在的なものである。われわれが愛する者を信じ続けずにはいられないのは、関係が失われる可能性があるからこそ、われわれの信が必要とされていることを、われわれが理解しているからなのだ。
世俗的信の力学は、私が実現に向けて努力してきたことを成し遂げたからといっておわるものではない。この力学は、生き、働き、そして愛することを充溢させるなかで作用し続ける。私があなたを愛することで、私たちの関係がどのように私を変えていくのか、私には知りようがない。それは、私の生を新たな深みへと開いてくれるかもしれず、あるいは、私の思いに描いている自分というものを打ち砕いてしまうかもしれない。私があなたを愛しているということの一部には、あなたと私が同一ではなく、あなたが私に何をするのかを、私が制御できないできないということがある。このように、私には知りえないことにさらされることが、あなたを信頼し、また想定外のことに開く可能性を私に与えてくれている。だがこのことは、私が苦悶や深い哀しみに開かれてもいるということでもある。これこそが、私たちの愛のもつ必然的な不確実性なのだ。同じ理由で、私たちがともにいることの幸福は、互いに信じ続けることに依拠している。私たちの生にとって可能なかぎりの最善が、ともにあることだと証明してくれるものは何もない。むしろ私たちはそうであると信じ、その信にもとづいて行動しなければならないのである。これこそ、私たちの実存的コミットメントである。さらに私たちのコミットメントを維持するために、私たちは私たちの愛の価値のみならず、その不確かさも信じなければならない。私たちの愛にも挫折がありうることを信じなければならない。つまり、愛は一度与えられれば終わるようなものではなく、大切にしなければならないものだ。このような挫折のリスクは、私たちの愛を動機づける力にもともとそなわっているのである。
 このような世俗的信は宗教的信仰との決定的な違いは、宗教的なものの究極的な関心が、あらゆる関心を取り払われた存在状態にあるということだ。宗教的信仰は、懐疑や不確実性にさらされながら、その到達点では「距離という要素が克服され、それとともに不確実性や懐疑、大胆さやリスクも克服された」状態に至る。宗教的な修練の目標は、完全に安全な状態に達することだ。そこでは、もはや不確かな信に依拠する必要はなく、あらゆる関心を手放すことができる。救済はあらゆる気遣いに終止符を打つ。宗教的に救済されるとは、気づかいがなくなるということなのだ。これとは対照的に、世俗的信では、関心をもつひとは私の努力の一部を担っている。私の欲望が完全に満たされたとしても、なお関心をもち続けるだろう。それは、私が気づかい大切にしているすべてのものは、時間をかけて維持されなければならず、いつかは失われるからだ。
 アウグスティヌスは世俗的信は失いかねないものに私たちを依存させる。失う可能性のある物を愛することで傷つく危険がある、とした。古代ギリシャのストア哲学によれば、私たちが傷つくのは、私たちが何ものであるかを想定していると信じているからだ。最終的に制御不可能なものに愛着を持つことによって、起こる出来事に心を打ち砕かれるリスクを負う。失う可能性のあるものに左右され、それゆえに怒りや深い哀しみをうけやすくなる。そこでストア派の目標は、そういう私たちを動揺させるものに左右されなくなることとなる。そのためには、そういうものの価値を信じることを止める必要がある。ストア派の究極の目標は無感情である。いわば、あらゆる情念からの解放だ。このようなストア派の解決策をアウグスティヌスは錯覚だと退ける。私たちは本質的に依存し情念を持つ存在であり、欲望のない状態に交替することはできない。つまり、欲望や愛を撤回することはできない。そこで、彼は何を愛するか、欲望するかを考える。有限な人を愛せば、損失の深い哀しみのリスクを負う。かれは、そのような有限な存在への愛や欲望を永遠な存在である神への愛にかえればいいという。つまり、この生において、いかなるものも、目的それ自体として愛するべきではない。むしろ、あなたの愛するものを、神の永遠に献身するための手段として利用するべきだと説く。ストア派もアウグスティヌスも、宗教的な到達点は、喪失を恐れ、心の平安を手に入れることだ。それにしたがえば、私たちの生の究極の目標は、平安のうちに憩うことということになる。この想定は永遠というあらゆる宗教的理想に共通する。永遠性を生の有限性からの解放と位置付ける。
 これに対して、私たちの有限な生との絆は、私たちを制約するだけでなく、私たちを維持し、世界や他社へと開いてくれもする。傷つく危険は、有限性を完全に超越しようとする理由にはならない。むしろ、これを理由に、私たちは互いの依存を真摯に受け取り、ともに生きるより良い方法を発展させるという方向に向く。そのような相互の磯線を認識するには、世俗的信が必要である。世俗的信は、あなたを喪失によって傷つきうる存在にするにもかかわらず、愛する人を信じ続けることを求める。愛するからこそ、傷つく危険にさらされる。この被傷性こそが、この世界や自分か自身、また他者への感受性を与えてくれているのである。傷つきうることを通じてのみ、出来事に心を動かされるのである。喜びの貴重さは、不確かさの感覚と不可分であり、他人とつながることの価値は、つながらなくなるリスクなしには感じられない。したかせって、傷つきうるとは受動的なだけでなく、能動的なコミットメントの形態を条件づける。何かにコミットしているということは、成功や失敗に傷つきうるということである。何かをすることにコミットしているなら、そういう自分をリスクにさらしている。その反面、そのリスクを負うことによってのみ、自分のすることを享受でき、そのありがたみを知ることができる。アウグスティヌスでさえ、絶望するリスクを負わされているにもかかわらず、友人に対する自らの愛を信じ続けている。
 アウグスティヌスは言う。どれほど宗教的に敬虔な人であっても、世俗的世界に生き、歴史の一部として存在し、社会的関係に依存せざるを得ない。しかし、宗教の観点は、世俗的信を目的それ自体としてではなく、手段として扱う。アウグスティヌスの目標は、時間に縛られた世俗的経験の情念を神の永遠性への情熱へと改宗させることである。彼は、過去と未来に引き裂かれて時間のうちに生き続けるドラマに苦しめられるよりも、永遠のもつ静止を享受するほうがよいという。しかし、著者は永遠に置いて何も失わないのは、そこに失うものが何も残っていないからだという。なぜなら、そこでは、何も始まりも終わりもしないからだ。それは私、つまり自己の死でもある。 
 時間の影響を受ける者だけが、未来を手にすることができる。永遠に生きるとは無時間ということで未来を閉ざしてしまう。それは生のあらゆる可能性を閉ざしてしまうことになる。ということは、私たちの生の所与の瞬間は、たえず過ぎ去っていくので、そもそも何かを経験するには、記憶によってそれを保持し、予感を通じてみずからを未来へと開かなければならない。とりわけ、記憶がなければ、彼は時間の経過において自己を保持できず、一瞬たりともみずからのアイデンティティを維持できなくなってしまう。企画は、彼の生に連続性を与えているだけでなく、彼の現在の自己感覚と連続的でないあらゆるものを彼に気付かせる。一方、宗教的目的では、自己を記憶することでなく忘却する、つまり自己自身を忘れる。最終的には、神の絶対的現前のもとに憩うという存在状態に達することで、そこでは欲望は終わり、情熱の焔は消えてしまう。
 ここで、著者はクナウスゴールの『わが闘争』を取り上げる。日常生活の細々としたことを自身の経験として詳細に記述したものである。題名にある「闘争」とは、この生を自分のものにすること。彼は、自分の営んでいる生が自分自身と切り離されていることに気付く。彼は、すべきこと我慢してこなしているが、起こっていることに本当には関わらずに背を向けてきた。彼は自らの存在と距離を置くゆえに、自分が失うものは何もないと感じ。それゆえ、自分の生が無意味に見えていた。その生をみずからのものにしようとした。その原理は、独自の愛着であると言える。ここでは、みずからの生を所有することによってしか、意味ある生き方を手に入れるチャンスを得られないことを明らかにする。彼は、みずからの視線の焦点をみずからの生に合わせ、見えるものに愛着をもつことで、私たちの向きを変える。その方向にあるのは永遠ではなく、すべてが争点となっている場としての私たちの有限な生である。それは生を所有する継続的な闘争だ。そこで、彼は有限な生の経験は大変に意義深く、その経験を非常に細やかなニュアンスや感情の残響にいたるまで探究する価値があると信じている。その目標は、みずからの生により深く愛着を持つことであって、その生を超越することではない。
 ここで鍵となるのは時間である。
 この目標を達成するには、わしたちは時間との関係を変容させる必要がある。習慣が私たちの経験を無感覚にし、あるいは鈍化させる傾向があるとすれば、それは習慣によって、時間が私たちの感覚に与えるインパクトが減じてしまうからである。1日1日が異なっているにもかかわらず、次の1日がやってくる保証はなすにもかかわらず、私たちはこの習慣ゆえに、私たちの生がいつでも変わらず、際限なく続くと感じてしまう。このように、私たちには、自分の愛するものを見るのに慣れてしまうと、その存在の詳細や驚異に気付かなくなる傾向がある。同様に、愛する人と生活することに慣れてしまう。私たちはその人の存在を当たり前のものとして受け取り、愛するその人にしかない質をありがたく感じられなくなるリスクを負う。ういう習慣を打ち砕く鍵となるのは、私たちが愛するものを失いうると気づくことである。喪失の次元は、生を価値あるものとして立ち現させる。現在の経験の価値が、いつか失われるという感覚によって高められているのに似ている。

2024年12月 2日 (月)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(3)~第1章 信

 ここでは、世俗的信と宗教的信仰の違いを追究する。宗教的信仰とは無時間的つまり永遠の安息、超越神といったかたちで永遠の存在を信じるというもの。永遠は愛する人の喪失に際して、この喪失を意味あるものとして慰めたり逃れさせたりしてくれる。しかし、著者は、永遠の生は、生き続けたいという私たちの願いをかなえようとしはない。ここでは、CSルイスやルターのような信仰の人出さえ、最愛の人の死に際しては世俗的信が問題の核心にあることを明らかにしようとする。
 CSルイスは最愛の妻の死に際しての『悲しみを見つめて』で、生き続けることと永遠であるとは違うということを明らかにした。
 終わりなき生は無時間の生と同じように無意味であると言います。自分とその愛する人が生を有限と信じていなければ、自分の時間で何かしようという切迫感はないであろう。気づかうこともなく、人間関係のために努力しようともしないだろう。愛する人と生き続けることは永遠の内に存在することとは相容れない。有限性の感覚、つまり、生き続ける中で時間内的な生を営んでいるという自覚は、つねに傷つきうる状態であることを自覚させる。失う可能性のある人や物に愛情を持つかぎり、苦しみを受けやすい。永遠という平安な状態にあれば失うというリスクから解放される。しかし、そうなったら、大事だと思わなくなってしまう。ゆえに、愛する人とともに生きる情熱やパトスは、永遠の生を保証されることと相容れない。
 このような気づかうことと信じることのつながりは、古代ギリシャのアリストテレスに遡ることができる。彼は、私たちが抱く信は実践的なコミットメントとして理解されるべきもので、私たちの直接的な感情でさえ、コミットしている信からしか理解できないとした。これを受けてストア派は、情念とは信の形態である論じた。ストア派の目標は心の平安であり、そのためには情念を取り除くことであった。これは後のスピノザにも通じる。彼は、永遠と無限への愛を、つまり栄枝に対する宗教的な切望を求めた。それには有限な生へのコミットメントを放棄する必要がある。これに対して、ニーチェは永遠の価値の価値転換を試みる。永遠の生という理想を求めることは、それによって時間内的で有限な生へのコミットメントの価値が貶められてしまう。苦しみや喪失は、至福や逃れがたい不運の境遇にいたる道筋に必要な段階であるだけではない。それはむしろ生を生きるに値するものにする何ものかにもともと備わっており、その一翼を担っているという。ただし、苦しみは私が望む生の一翼だということと私は苦しみを望むということとは違う。彼は、後者の誘惑を退けるには強さが必要だとした。
 世俗的信の最も根本的な形態は、生が生きるに値するものだと信じることである。これは、あらゆる気づかいに元々そなわっている。これは信の問題だ。というのも、生が生きるに値するということを論理的な演繹やでも合理的な計算でも証明することができないからだ。信じているから、生を受け容れることができる。
 ここで著者は、チャールズ・テイラーの「世俗の時代」を批判的に取り上げる。テイラーは宗教的信仰が後退したことに変わって世俗の時代となったと説く。そして、このような時代の変化により信仰の条件も変化したという。例えば神を信じないことを公にすることも可能となった。テイラーの基本的な考え方は人間には生を超えた絶対的な善に対する押さえがたい欲求がある、つまり人間には宗教や宗教的なものが本質的に必要であり、世俗的な生がその必要を満たそうとしても無駄に終わるというものだ。テイラーの想定は、私たちが何かを存続させようとしているとき、私たちは永遠を求めて努力しているというものである。
 しかし、著者はこれに対して、テイラーと同じように神の永遠性ではすべての時間が現前しており、すべては同時、つまり、神の今はあらゆる時間を内包しているという。しかし、このような今は時間を取り除くことになる。私たちのような過去や未来はないわけだ。それゆえ、永遠を生きるということは過去や未来とは決別することで、生き続けることとは区別すべきだ。私たちが愛する人の生が続くことを望むのは、その生の永遠性ではなく、その生が続くことだ。また、あらゆる愛の絆の脆さや壊れやすさは、私たちが自らの愛を信じ続け、私たちの生を結び付けることがなぜ大事かということの理由のひとつである。
 CSルイスもマルティン・ルターも信仰の人だが、最愛の妻の死に際して、彼女の死を深く悲しんで、信仰による平安、つまり神の御許にいける喜びを語ることはできなかった。永遠という展望を迎え入れる宗教的信仰は分かち合われた有限な生へのコミットメントを維持する世俗的信とは直接的に相容れない。弔う人の立場から見て最悪な、つまり、愛する人の不在を気にかけなくなるような存在状態が、宗教的な立場では最善なものとして示されるのである。
 著者は、このような宗教的な慰めは死という問題に向き合っていないという。そこには喪失の否認または相対化があるという。これに対して、世俗的な慰めは、出来事の核心には取り返しのつかない喪失があるのだと認める。みずからの弔いの経験から語る中で、ルイスは、深い信を明確にしている。それは超越的な神に対する信仰でも、死を免れた生に対する信仰でもなく、死に結びつけられた生に備わっているかけがえのない価値への信である。出来事が重要であり、私たちの行動が帰結を持つのは、それが不可避で、取消ようがないからなのだ。それが取り消されるのであれば、私たちの言動はその重みをもたなくなってしまうだろう。したがって、何が重要だという感覚は世俗的信から生じており、それが生の有限で脆く壊れやすい形態へのコミットメントを継続している。死のリスクとは、気づかう原因ではない。そのリスクは、ある人がそれではなくこれを気づかう理由を説明してはくれない。死のリスクは、人が何かを気づかい、出来事に対する責任を持つべきである理由の一部、もともとそなわっているものなのだ。取り戻しようのない喪失がなければ、出来事には有意味な結果などなくなり、私たちが愛する人を信じ続けることには、争点となるものが何もないということになってしまう。

2024年12月 1日 (日)

マーティン・ヘグルンド「この生─世俗的信と精神的自由」(2)~序章

 最初に著者自身の生について語り、それが有限であり、そのことに意味があるという本書のテーマに流れてゆく。そこでは、「この生」というタイトルのとおり、このテーマは著者自身の、いわば実存に関わるものでもあり、「この生」というのは著者ひとりにかぎらず、人々がそれぞれにとっての「この生」という一般性にも広がるものであろう。
 有限であるということは、ひとつは、一人では生きられず、他者に依存しているということ、つまり空間的な有限性と、そして死という終わりがあるということ、つまり時間的な有限性ということだ。とくに、死によって生きる時間が限られていることは、それゆえに生はかけがえのないもので、それゆえに意味があるものになると感じられる、ということだ。そのことを「世俗的」と呼ぶ。なお、世俗的に対するのは、宗教的ということで、これは無限性、つまり永遠と結びつく。これは、世俗的な有限の生を低次なものとして、望ましいのは永遠であると主張する。
 宗教的にみれば克服されるべき世俗的信ことが価値ある生には必要だというのが本書の主張だ。
 世俗的信は死という終わりがある人々にコミットし、未来のために生き続けさせようとする。これは、より長く、より良く生きるということであり、死を克服し永遠に生きることを目指すことではない。生き続けることへのコミットメントには、それ自体、有限性が含まれている。
一方、世俗的信を持つことは、信の対象が信の実践に依存しているということを認めることである。世俗的信の対象とは、例えば、私たちが過ごそうとしている生であり、打ち立てようとしている諸制度であり、実現しようとしている共同体であるが、これらは私たちが何をどのように行うかということと切り離すことができない。私たちは、世俗的信を実践することを通じて、規範となる理想に自らを縛る。しかしながら、その理想そのものは、私たちが自分のコミットメントによってどのような信念を貫くかにかかっている。
 このコミットメントは自身の生や人々を気づかうことが不可欠だが、それにはその価値を信じていることが必要で、そこにはその価値がなくなるかもしれないということがある。チャンスにはリスクが伴う。リスク、つまり失敗や喪失の可能性に照らしてこそ、私たちは価値ある生の維持にコミットできる。つまり、自分がされたいと思うように他人に対する。これは、私たちが有限つまり互いに他人に依存しているからこそ他人を尊重しなければならないことからきている。だからこそ、相互に要求し合うことが可能になる。それだからこそ、社会的正義と物質的福祉の諸制度を発展させることが求められているのだと言える。同じ理由により、世俗的信は自由の条件でもある。自由であるということは、すべての制約から解放されていると言ったことではない。何をすべきかを自分の時間を使って考え行動することができることが条件となる。ただし、私の時間は無限ではない、有限である。有限だからこそ切実なのだ。したがって、自由の条件は自分自身が有限であると理解していることである。

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