キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(4)~第4章 金をもって逃げろ
まずは、信頼ゲームの話から始めるが、私には、これに何の意味があるのか分からなかった。思考実験なのかもしれないが、そもそもゲームとして成立するのか、私にはよく分からない。アメリカの社会文化では、こういうのがゲームとしてあるということから、理解し始めないといけないので、この章はよく分からなかった。
結論として著者は言う。信頼性とは、わたしたちが他の人を賞賛し、子どもたちに教えようとする道徳的な徳のように考えられているが、実際にはコミットメントや約束を守って生きることであり、単に他の人がしてほしいと思うことをすることではない。あなたが助けの手を差し伸べたらそれを最後までやり遂げる限り、それほど寛大でなくても信頼に値する人になることはできる。また、コミットしすぎて人を失望させるほどの癖があれば、まったく信頼に値しなくても親切で寛大であることはできる。しかし、コミットメント、義務、徳と悪徳の構造全体は、基本的レベルの協力を前提している。このタイプの協力は、世代を超えて学生たちが受けてきた信頼ゲームでも明らかにすることができた。
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