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2025年4月

2025年4月30日 (水)

オディロン・ルドン─光の夢、影の輝き(2)~第1章 画家の誕生と形成 1840~1884

Redonprofile3  その前にプロローグとして「日本とルドン」と銘打って、日本の画家が所有していたルドンの作品が展示されていました。意外なことに竹内栖鳳が所有していたという「花の中の少女の横顔」。写実的な描写で知られる日本画家がこのような幻想的な作品を、画家自ら買い求め、手もとに置いていたというから、驚きました。この二人に共通点があるのだろうか。他には、近代の洋画家に所有された作品が展示されていましたが、その画家たちがルドンと作風がまったく違う人ばかりでした。中でも岡鹿之助の所有していたという「子供の顔と花」という暗闇に少女の顔がほのかに浮かび上がる作品は、明るい雪景色を描いた画家とどう結びくのか、不思議な感じがしました。
 Redon2girl 画家の習作から初期の作品です。44歳までの作品ということで、この人は早熟の人ではなく、晩成タイプの人だったというのが意外でした。一見、奇を衒ったような作品から、若い頃から才気煥発という先入観をもっていたのですが、そうではなかった。
 さて、習作期のルドンに戻りましょう。ルドンがパリで学んだ師匠というべきジャン・レオン=ジェロームの「夜」Redon2night という作品です。うーん、ルドンとの共通性は見つかりません。ドミニク・アングルを見ているような古典派的な作品ですね。しかし、ジェロームは優れた教師だったようで、彼の下から多くの画家が輩出しているようです。ルドンについても、ここで数点のスケッチが展示されていましたが、たしかに上手い。そういう基礎的なところを彼に学んだのでしょうか。ルドンというと世紀末の退廃的というイメージを抱きがちで、そうするとビアズリーのような才能に翻弄されるような想像してしまいますが、ルドンの場合はそんなことはなく、どちらかというと正統的な教育も受け、たたき上げの画家という性格の側面が見えてきます。おそらく、この頃に描かれたのであろう「風景」という作品はまりに地味で何の変哲もなく、ルドンという名から想像されるイメージとはかけ離れた平凡といってもいい作品です。このような、小さなサイズの風景画を数多く描いたと言います。習作とかRedon2landscape 試行錯誤といったことではなく、ルドンの幻想的な作品のベースには、このような作品があるということなのだと思います。それが、何よりもルドンという画家の特徴を形づくっている。
 同じ頃路に描かれた「自画像」です。20代後半の画家の姿でしょう。上手に描かれていると思います。きっと、顔の特徴を巧みに描写していると思います。そういう描写は鍛えられて、技術として身についているのだと思います。しかし、油絵として、どこか薄っぺらい印象なのです。人物に存在感がないというか、人としての肌の質感がない。生き物の生きているという感じがしてこない。陶器の人形のように感じられるのです。あるいは、マグリットのようなシュルレアリストの描くギミックのような人間像のような印象。スケッチの段階ではそうでもないのでしょうが、彩色をすると、それらしい色をつけるだけという感Redon2self じです。色が物に付いていないで、浮いているような印象なのです。それは、たぶんルドンという画家の性質によるものではないかと思えるのです。ルドンという独特な色使いということになりますが、普通の色の使い方ができないということの裏返しなのではないかということを、この頃の作品を見ていて思うのです。そして、この作品、画面の下の方に白い靄がかかっていて、その下は水平な線の下で黒くなっている。この部分だけ上部の肖像画とは別の空間に区分されている。それが、実際の作品を見ていると、それがよく分かります。画面の下の方にそれがあるということは、手前、つまり、作品を見る人は、手前の別の空間を隔てて人物を見ていることになるわけです。
 それにしても、展示作品のなかで油彩画は。それほど多くない。版画やスケッチが多い。とくに、このコーナーは油彩画の展示か少なくて、ほとんどが石版画(リトグラフ)や木炭スケッチです。
 そして、ルドンの最初の版画集「夢のなかで」という1879年の作品。パリでモネやマネたちが参加した印象派展を開いたのが1874年ですから、ほぼ同じ頃に、このような奇々怪々な作品を描いていたのです。写実的な「自画像」から10年足らずの間に、ルドンにどんな変化があったのでしょうか。その変化をプロセスを辿ることのできるような展示は、ありませんでした。ひとつあったのは、ロベルト・プレスダンのもとで銅版画を学んでいたということ。ここから白と黒の織りなす世界に入っていったと考えてもいいでしょう。普通の色使いができないルドンにとっては、色を使わなくていい白黒の世界である版画は、あRedon2man る意味心地よい世界だったのかもしれません。同時代の光が氾濫するような印象派に対して、白黒、とくに黒で満たされたようなルドンの作品は異彩を放つものだったかもしれません。「夢のなかで」を見る前に、「永遠を前にした男」という1870年頃のスケッチ作品がありました。画面の中の黒色の占める部分は少ないですが白と黒による画面です。山の頂上のような岩場で、まだ二足歩行もままならないのではないかと思われる原始人のような裸体の男が、岩場に手をついてじっと空を見つめています。巨大な雲が迫ってくるとっかかりのない空間にすくんだように静止しているこの動物とも人間とも取れる存在。この作品には、ルドン自身により「永遠に沈黙する無限なる宇宙」というパスカルの言葉が書き込まれていたそうです。そうすると、画面の男は、この黙して語らない永遠の宇宙を前に怖れ、戦いていると解釈できます。とはいっても、この男の描き方ですが、人間とも動物ともとれるというものであったとしても、身体の姿勢が歪んでいるように見えます。これまで見てきたスケッチなどから、ルドンには写実的に描写する能力は持っているはずなのに、こんなにちぐはぐな身体、頭とのRedondream3 Redondream4_20250430234202 バランスも含めてです。だから、あえて歪んだ描き方をしている。過度なデフォルメと言ってもいいのでしょうか。それが、さらに進むと、「夢のなかで」の奇怪な生き物になると言えないでしょうか。では、版画集「夢のなかで」より「Ⅰ.孵化」(左側)という作品です。おなじみの、いかにもルドンという作品で、球形の卵ということなのでしょうか、それが円形の断面の中は男の顔が出てこようとしています。そして、次の「Ⅱ.発芽」(右側)という作品では、同じ顔が球形から出て真っ黒の円形に囲まれて中空に浮かんでいるように見えます。また、画面全体は、「Ⅰ.孵化」では真っ白で無ということをおもわせるような何もないというイメージで、「Ⅱ.発芽」では暗闇という世界があるという画面になっている。穿った見方をすれば、発芽したことによって顔が誕生したわけで、人間であれば意識が生まれたことになって、人の意識は自分のいるところを、周囲の環境を自分にとっての世界と認識して、そこにいる自分を置くということで実存するということを考えると、ここでは、発芽することで世界が生じる。その世界というのは暗い世界だったというわけです。もちろん、ルMoreausalome Redondream5 ドンはそんなことを意識して論理的に考えたりはしていないでしょうけれど、そういう解釈も成り立ちうる。こころなしか、顔のほうも、「Ⅰ.孵化」から、「Ⅱ.発芽」になって、すっきりと整っているように見えます。これらの作品の人の頭、つまり首から上だけが宙に浮かんでいるという事態。これって奇怪というか、異様ですが、このような宙に浮く頭部というと、ギュスターブ・モローの「出現」があります。全体の雰囲気は全く異なりますが。アーチの下で舞うサロメの前でヨハネの頭部が光りながら宙に浮くという場面。ヨハネの頭部の光輪は、孵化の頭部が収まっている円とおなじ円形。この後に見ることになるルドンの作品からは、モローの構成やポーズによく似たものが、いくつかあり、ルドンはモローから影響を受けていることが分かるので、「孵化」においても、モローの影響と考えてもいいのではないかと思います。とりわけ、「Ⅷ幻視」は構成がモローの「出現」とほとんど同じです。この円については、円は形として中心から外に向かって、あらゆる方向に拡大するように見えたり、内側に縮小するようにも見える。つまり、外へ広がろうとする力と同時に、外から圧迫される形であるという。ルドンか周囲をできるだけ省略し、円や球に形を凝縮させるのは、彼の孤独な心の内面を表わす一種の抽象作用であるという解釈もあるようですが、果たして、ルドンが孤独であったかどうかは、私には、この作品を見る限りでは分かりません。むしろ、そういう感傷が入り込む余地のないほど夢想が独立していると言った方が、私にはルドンらしいように思えます。
Redon2porn  「骸骨」という1880年頃の木炭スケッチ。「夢のなかで」の後という時期でしょうが、この骸骨の描写はすごく写実的というか、解剖学の図版を見ているような気がします。学校の理科室にある骨格標本とはちょっと違って、人体の筋肉や内臓がある状態の骨の状態を描いているそうです。それが分かるように描いているのですから、ルドンという画家の描写力はかなりのものだろうと思います。それが、「夢のなかで」では稚拙に見えてしまいそうな形の描き方をしている。あえて下手に見せている。その理由が、私には分かりません。まあ、この骸骨の描写力をフルに発揮した「夢のなかで」を想像すると、生々しく、鬼気迫るような恐ろしい作品になっていたと思うのですが。楳図かずおの、異形をリアルに精緻に描きつくした末にユーモラスになってしまうような。むし、ルドンは楳図のような突き詰める手前で立ち止まって、怖いまでいかず、親しみ易さの段階にいるような感じがします。それはそれで、微妙な立ち位置だと思います。この「骸骨」もどると、そういうリアルとも言える描き方がされているのですが、頭蓋骨、つまり顔の部分に何となく表情がある、悲しげな感じがするのです。
Redon2swamp  「沼の花」という木炭スケッチ。暗くよどんだ沼地に生える細い茎に丸く膨らんだ人軒の顔をもつ奇妙な植物。後の「ゴヤ頌」という版画集に同じタイトルの作品がありますが、この作品では、この花が、飛んでいる白い鳥(画面の下の方に、よく見ないとわからないくらい小さく描かれています)の大きさに比べて非常に巨大なサイズということになり、その存在の異様さに対する驚きが強調されています。でもこの異様さは、よく見て、気がつかないと分からない。そして、この横顔は、前に見た骸骨とは違って表情がない。しかも、骸骨では、あれほどリアルに描写していたのに、この横顔は線で輪郭をなぞって終わりみたいな省略した描き方になっています。まるでマンガのようです。前に見た自画像や後で見ることになる肖像画は別にして、ルドンは人の顔をマンガのように省略した描き方をすることが多いようです。それは、顔だけ宙に浮かしたり、植物にくっつけたりするのに好都合だからでしょうか。
Redon2eye  1882年に発表された2冊目の版画集「エドガー・ポーに」より「Ⅰ.眼の奇妙な気球のように無限に向かう」です。エドガー・アラン・ポーの短編小説「軽気球夢譚」にインスパイアされたもの、ということになっています。しかし、物語の出来事の具体的な姿を求めることはできず、ポーの一見暗い冥府を思わせる色合いや、現実世界から離れて閉鎖的に生活する者達に、ルドン自身の幻想と呼応させ題名を付しているにすぎないと思います。気球で海を横断するという物語で、当時の最新技術の気球をモチーフにしたというものに、ルドンは眼球を同体化させたわけです。この眼球は、視線を上に向けていて、その方向は、虚空を、宇宙を、無限を…その気球(眼球)は生首らしきものを吊り下げている。そして、この眼球=気球は明らかに毛羽立ちつつあり、羽化ならぬ孵化が、今まさに始まりつつあるようで、それは「夢のなかで」の「Ⅰ.孵化」に重なるところもある。それが、「夢のなかで」の稚拙さがなくなり、描き方はリアルっぽくなって、それだけに奇妙さが真に迫ってくる。その描き方のなかで、長方形の画面の下の4分の1を水平線で区切って、上の長方形の中央に円(気球)があるという幾何学的な平面による構成で、そういう平面で画面を作っているのが、この作品では自覚的に行われている。これ以降のルドンの作品を見ていると、物体の形を線で明確に描くのではなく、平面の組み合わせで作られているのですが、この作品のあたりから、それを意識的に行われているように見えます。私には、この作品で描かれているのは、むしろ平面であるように見えるのです。
Redonorigin  1883年に発表された「起源」は、9点の作品で構成されたルドン3番目の画集です。制作はダーウィンの死の翌年で、人類の起源について議論を呼んだ「進化論」に想を得たとか説明されていたが、本当でしょうか。その9点がすべて展示されていました。「Ⅱ.おそらく花の中に最初の視覚が試みられた」という作品です。「沼の花」では花が人の横顔でしたが、今度は眼球です。眼球が花ということなのでしょうか。そう考えたとしても、その眼球をべつにしても植物とは思えないのですが、仮にそうとして目玉の周りに針のようなのがたくさん出っ張って広がっているのが花びらのようなものなのか、さらに、その外周に円状に描写が段階をつけて変わっていくのは、光が円状に広がっていくようなものとして見ることが出来るかもしれません。そして描かれている草の変化によって、幻想空間を作り出していると言えます。そう考えると、ルドンの作品というのは、一般的な絵画では対象物が画面の中心にあって背景があるというのとは違って、背景の方がむしろ画面のメインの地位にあると言えるのかもしれません。つまり、画面の中で背景をRedonorigin2 つくる平面が主となっている。それは「Ⅰ.眼の奇妙な気球のように無限に向かう」では図形のような構成であったのが、ここでは紙の白地の空白、あえて言えば無でしょうか、から黒い平面が生じる。その境目が曖昧で、そこは草の生える密度の濃淡の度合の変化がグラデーションを作っている。その黒い平面の中に中心である眼球の花が咲いている。そのグラデーションの黒い平面、言ってみれば空間とか空気、アトモスフェアのようなもの。それがこの画面の主たるものではないか。それでもまた、この作品では題名のとおりに視覚が生まれることによって、視覚の対象として見られる世界が生じてきた。その世界が生じるところがメインであって、視覚は、その契機に過ぎない。したがって、単なる契機であれば、そのために都合として描けば良いのでとくにリアルである必要もないわけです。単なるスイッチです。この場合は生い茂る草を世界として描くわけですから、スイッチはその中にある同じような草である方がいい。そして、視覚が生まれるために目を付け足してやればいい。あとは、作品の画面の中で、“らしく”はまってくれていればいいというわけです。そして、「Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた」という作品です。この画面にはタイトルで触れている岸辺というのが何も描かれていません。一つ目の巨人は大きく画面の中心にありますが、その背景が不定形の波か雲のようなのが一部にあって、あとは空白です。タイトルで岸辺と言っていることだから、何かしら描いているか、それを見る者に想像させるか、いずれにせよ、この作品では、ひとつ目の巨人が明確に描かれていて、その背景と対照的になっている画面と見ていいのではないか。しかも、「Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた」という題名からは、この中心に描かれているのは一つ目の巨人ではなくて、ポリープ、つまり瘤かイソギンチャクのような海洋生物が、たまたまそのように見えたということを言っています。つまり、不定形な物体なのです。一方、背景については背景の不定形の部分が画面上の多くの面積を占めているわけではありませんが、こちらも形をなしていません。この前の作品「Ⅱ.おそらく花の中に最初の視覚が試みられた」が、目の前に存在が現われたという作品であるならば、この作品は何かが存在しているということ、それがたまたま風景として現われているという作品と言えると思います。変な言い方かもしれませんが、このような幻想的とか、あるいは抽象に近いような画面ですが、それは理念とか理論でたどり着いたのではなくて、ルドンは実際に見えていたものを描いていたように思えます。明確に分節化されたようRedonorigin3 Redongoya な輪郭のくっきりした、私たちがリアルと感じているような、見えかたで見ていなかった。見えていたのは、明確な形をした堅固で、それぞれに分節化された物体ではなく、周囲との境目が曖昧で、たえず流動しているような不定形で実体をなしているかどうかわからないような、そんなように見ていたのではないか。それを見たままに描いたのが、ルドンの作品ではないかと思えてきました。そして、この画集の最後の「Ⅷ.そして人間が現われた。彼が出てきた、彼を引き寄せる大地に訊ねながら、暗い光に向かって道を切り開いていった」(右側)という作品。この人間の姿。暗い中で背中を見せた男の姿は、ゴヤの「巨人」(左側)を想わせます。この作品も、タイトルで大地に訊ねるといいながら、大地が分かりません。背景は暗い空間という抽象的なものになっています。後の作品では、暗い空間のみが描かれるというのが出てきますが、この作品でも、全体にただ暗いだけの空間、空気みたいなものが、実はメインだったように思えます。

 

2025年4月29日 (火)

オディロン・ルドン─光の夢、影の輝き

Redon2pos  2025年4月 パソニック汐留美術館
 おそらく会社員生活で最後となるだろう海外主張を終わって、早朝に現地(中国)を出発し、昼過ぎに羽田空港に到着。これまでなら、夕方、会社に戻って整理をするのだが、今日は、最後だし、疲れたので、帰宅しようとした。品川で山手線に乗り換えて、東京駅に向かう途中で、思いついて新橋で下車して、美術館に寄り道。ルドンは以前に三菱一号館美術館でルドン展を見たことがあったが、ほとんど覚えていない。出張の疲れが残り、重い荷物を抱えながら、駅から美術館への道はきつかった。先日の上野の美術館の混雑に驚いたのに比べて、今回は、混雑というほどではなく、閑散としているのでもない、適度な入場者数で、緊張感を保ちながら、マイペースで、ゆっくりと鑑賞することができた。この美術館は上野の公営の美術館に比べるとスペースの広さがないのだが、ルドンの作品はサイズの小さなものが多いので、却って小ぢんまりとした親密な雰囲気の展覧会になっていたと思う。それと、展示室の作品は撮影不可だったのも、静かで、慌ただしくなかった理由だと思う。
 主催者あいさつを以下に引用します。“19世紀末から20世紀初頭を代表する画家オディロン・ルドン(1840~1916)は、フランス南西部の港湾都市ボルドーに生まれ、ジャン=レオン・ジェローム(1824~1904)やロドルフ・ブレスダン(1822~85)らに学んだ後、画家としての歩みを始めました。ルドンは、近代諸科学の発展による技術革新がもたらした社会構造の変化や、自らに起きた出会いや別れといった感傷を、まるで癒すかのように創造の源とし、繰り返されるイメージの中から独自の表現世界を築き上げていきました。木炭、パステル、油彩と画材を持ち替えながら生み出されたその芸術は、無限の可能性を秘め、時代や地域を超えて人々を惹きつけています。日本においても、ルドンが生きていた時代から現代に至るまで、美術や文学、音楽、漫画に至るまで、幅広い分野に影響を与え続けています。本展覧会では、両国で愛されてきたルドンの作品を読み解きながら、作品にみられる始原の光と独立した影が創り出す色彩が変容していく世界へといざないます。2011年以降、世界各国において、世紀末や象徴主義の枠を超えて、ルドンが光に導かれるように向かっていったその先を紹介する展覧会が相次いで開催されました。同時に、それらは関連する文化芸術の世界に触れながらそれぞれの国が大事にしてきたルドンとの関係性に触れる内容となっていることが特徴の一つです。本展覧会は、国内外から借用した作品とともに、岐阜県美術館が1982年の開館以来約40年間に収集してきた250点を超えるルドン作品が一堂に会する初めての機会となります。さらにその主要な作品をより多くの皆様にご覧いただくために国内を循環し、日本においては過去最大級の規模の、企画展という久しぶりの展覧会となることでしょう。さらに、国内に所在するコレクションに改めて注目することにより、日本においてどのように彼の芸術が受容されてきたかを見つめ直します。そして光が色となりその輝きを変化させながら描き出された作品から、ルドンが何を見て、何を大切にしていたのか、私たち自身がルドンと出会う場となれば幸いです。”

 

2025年4月27日 (日)

西洋絵画、どこから見るか?─ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館vs国立西洋美術館(5)~おまけ 常設展

 企画展のチケットと常設展も見ることができるので、時間もあったので見てきました。中で印象に残った作品をいくつか。
Musiummadonna4  カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」という1655年頃の作品。暗い背景に淡い光背に包まれて、深みのあるラピスラズリの青のマントを身にまとった聖母マリアの美しくも悲痛な表情は観者の心に深く訴えかけるものがあります。とにかく、深い青が目を惹きます。そして、うつむきかげんの聖母の憂いを含んだ横顔です。
Musiummaria5  フィリップ・ド・シャンパーニュの「マグダラのマリア」です。これも両手を合わせて祈る女性を横から描いたものです。企画展ではムリーリョなど数点のマグダラのマリアが展示されていましたが、この作品は横顔であるところが特徴的です。一心に祈りを唱えるかのように口を半ば開き、その敬虔なまなざしは天に向けられている。 魅惑的な存在感をあふれさせる聖女の姿が暗い画面の上に浮彫にされています。今日みてきた同じ題材の他の作品に比べて、上品というか、穏やかさのある作品で印象に残りました。
Musiumflower3  ヴィクトリア・デュブールの「花」です。企画展でも花を描いた作品が数点ありましたが、この作品は、それらに比べて突出したところがなく、普通に部屋に飾られている花を自然に描いたという印象です。いつまで見ていても疲れないというか、安心して穏やかに見ていることができます。描かれている花は、それぞれ美しいのは言うまでもありません。花瓶に生けられたさまざまな花が、繊細な色彩で描かれており、花に寄せる画家の深い愛情が感じられます。
Musiumlike  最後に年代が飛んで20世紀の作品、アクセリ・ガッレン=カッレラ「ケイテレ湖」です。この人はフィンランドの国民的画家ということです。何よりも、凍結したようなほど静かで透明な湖面が印象的です。その湖面に直線的に斜めに波が起こっています。水平線と並行に山々と木々が茂る小島が並び、そこに波が生む斜線が入ってきます。このような波はフィンランドの湖では特定の気温のときに風が吹くとおこる気象現象なのだそうです。どこか神秘的な感じがします。
 企画展し常設展を、それほどじっくり見た覚えはなかったのですが、結果的に4時間近くかかってしまいました。その間、少しだけ休憩しましたが、ほとんど立ち通しでした。昼前に美術館に着いて鑑賞を始めたので、昼食を摂っていませんでした。疲れました。腹も減りました。常設展は混んでいませんでした。美術館を出たら、午後になっていましたが、チケット売り場の行列はずっと長くなっていました。

 

2025年4月26日 (土)

西洋絵画、どこから見るか?─ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館vs国立西洋美術館(4)~第4章 19世紀

 第3章の18世紀はつまらなかった。
Musiumgirl  19世紀以降の、いわゆる近代絵画も、私は印象派があまり好きではないため、ここでの展示は、17世紀以前の展示に比べて、あまり面白いものはなかったように思います。今回の見どころは、私にとっては、スペイン、フランドルやオランダのバロックでした。
 とはいっても…、ウィリアム=アドルフ・ブーグローの「羊飼いの少女」。プーグローの「小川のほとり」を昨年の「もうひとつの19世紀─ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち」で見て、とても印象に残ったので覚えていました。19世紀イギリスの唯美主義的でもあり、この作品はノスタルジックなテイストも愛らしい少女です。
 Musiummaria4 そのほか、ホアキン・ソローリャの「ラ・グランハのマリア」という作品。若い女性の地方の衣装に映る豊かな光の遊びが、まばゆいばかりの反射と大胆に変化する色彩で再現されています。印象派とは違う、降りそそぐ太陽の強い光の表現が印象的です。人物よりも木漏れ日を描いたといってもいい。

 

2025年4月25日 (金)

西洋絵画、どこから見るか?─ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館vs国立西洋美術館(3)~第2章 バロック

Ⅰ.スペイン
 この美術展で一番見たかったスペイン・バロック、とくにボデゴンです。静物画、とくに野菜や食器などの厨房にある日常的なものを題材にしているのが特徴的です。
Musiumbodecon  ファン・サンチェス・コターンの「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」はボデゴンというと真っ先に取り上げられる代名詞ともいえる作品です。この現物を直接、目にすることができました。ただし、わたしの個人的な好みはスルバランの白く冷たい陶器の並んだ作品なのですが。この作品でも、黒の闇を背景に描かれた野菜や狩りの獲物には強い光が当たり、強い明暗対比と厳粛さを生み出しています。その厳粛さと静けさは宗教画の祭壇に似た印象を残します。でもよく見ると不思議な絵でもあります。そもそも、この描かれている空間はどこなのでしょうか。マルメロとキャベツは紐で吊り下げられているのですが、その紐はどこから下げられているのでしょうか。
Musiumsheep  フランシスコ・デ・スルバランの「神の仔羊」も見たかった作品。プラド美術館にあるバージョンとは違って、この作品はサイズが小さく、羊の頭上には光輪が描かれています。それだけ宗教的な厳粛さが増しているように思います。この仔羊はイエス・キリストを人間の罪に対する贖いとして、イエスが生贄の役割を果たすという意味合いで指しているのを、より示している。か弱き子羊の達観したような表情、舞台でそこにだけスポットライトが照射されているような劇的な明暗表現と相俟って、構図はたんなる動物画でありながら、迫真の作品に仕上がっています。仔羊の毛皮の質感など描写は細密で、生えている毛の割れ目や皮膚が弛んでいる部分なども、触感がそのまま閉じ込められているかのようです。単純に羊を描いているだけなのに、静謐で敬虔な味わいが深い作品です。この2作品が並んで展示されていたのを、いつまでも眺めていたくなって、しばらく近くのベンチに座っていたのですが、混雑の人混みが邪魔をしてベンチからは作品が思うようには見られず、次の作品へと移りました。
Musiumdommic  スルバランはボデコだけでなく肖像画も数点展示されていていました。聖人や聖職者を描いて「修道僧の画家」と呼ばれているのだそうです。まるで彫像と見まがうほどの立体的な実在感のあるリアルな人物像。脇の犬は松明を咥えており、その端に火が灯っていることは、聖人の背後に仄かな光の広がることから確認できます。画面の左右と下辺には後代の手によりカンヴァスが追加されていますが、漆黒の背景から静かに人物が浮かび上がる、瞑想性に満ちた雰囲気Musiumhiero は、この画家に独特のものです。「聖ヒエロニムス」は豊かな農家のおじさんみたいで、カラバッジョが聖ヒエロニム スを暗闇で蝋燭に照らし出される髑髏と対峙する裸体の姿で描いたのとは全く違います。二人とも明暗のコントラストを効果的に用いているのですが、カラバッジョは明暗のコントラストで劇的な場面を作り出すダイナミックな使い方をするのに対して、スルバランは人物や静物に焦点をあててその存在を浮かびか上がらせる静的な使い方をする点で、いわば正反対の方向性にあると思います。スルバランの肖像画で描かれているのは実在の人物のようにリアルで、それを暗闇の中で光を当てて浮かび上がらせることで、その人物を輝かせていると言えます。
 同じスルバランの「聖母子と聖ヨハネ」です。この展覧会では聖母子像は他にも数点が展示されていますが、それらと比べると、この作品も聖母マリアはもっとも庶民的です。大工のヨハネさんちのマリアさんという感じです。濃い青や淡いピンクを特徴とする色調の衣服がマリアであることを示していますが、やわらかい雰囲Musiummadonna3 気の光を浴びた姿は、聖人を描いた肖像画と似た効果を上げていると思います。
 スルバランは「無原罪の御宿り」も有名ですが、同じ聖母像で彼を追い落としたのがムリーリョで、そのムリーリョの「悔悛するマグダラのマリア」が展示されていました。これも見逃すことはできない作品です。スルバランの「聖母子と聖ヨハネ」の聖母マリアと比べると、ムリーリョのマグダラのマリアは実在の人のようなリアルさと、その上に美しい。それも理想化された女性美というのではなく、どこかにいそうなきれいな女の人なのです。同じ題名でティツィアーノの優位な作品がありますが、ムリーリョのこの作品と同じマグダラのマリアがポーズをとっていますが、ティツィアーノの作品では肉感的であるのに対して、ムリーリョの方は優しいおねえさんの感じで親しみ易い。しかし、スルバランと同じようにMusiummaria2 暗闇の中から光るように浮き上がってきて神々しい。
Ⅱ.イタリア、フランス
 ジュリオ・チェザーレ・プロカッチーニの「悔悛するマグダラのマリア」(左側)です。ムリーリョと同じ題材ですが、髑髏を抱えて物思いにふけるという、ちょっと不気味な感じがします。あまり神々しさか感じられず、変な人、アブナイ人といった印象です。シモン・ヴーエの「アレクサンドリアの聖カタリナ」(右側)は、前のところで「聖カタリナの神秘の結婚」で見ましたが、この作品は聖カタリナひとりで、しかも当時の普通Musiummaria3 Musiummarrige3 の女性の肖像画に見えます。分かる人が見れば、聖カタリナのアトリビュートがあるので、それと分かるのですが、今で言えば、コスプレ写真といえるような作品です。ここに、神々しさとか、宗教的な雰囲気といったものは、あまり必要とされていないようにも見えます。
Ⅲフランドル、オランダ
 フランドル地方のバロックといえばルーベンスです。バロック絵画はカラバッジョ以来、明暗のコントラストといって、暗い画面の一部に光を当てて、そこを強調するような作品が多く、どうも全体として暗くなってしまう。それが、ルーベンスはバロックといっても、全体に明るい。パッと夜が明けて、昼間になったような印象を受ける。惜しむMusiumsymbol らくは代表的な作品が教会の壁にある大画面の作品が多く、現地に行かないと直接見ることができない。ルーベンスの作品のイメージは、私の個人的なものだがポジティブであることを全面的に表出することの圧倒的な迫力だと思う。ここで展示されている作品は小品なので、圧倒されるようなスケール感をなかなか味わうことができない。それはとても残念。
Musiumflower Musiumflower2  スペインのボデコンほどではありませんが黒の背景に花環がスポットライトを当てられてように映えています。花環の中には聖母子像が描かれて宗教性が打ち出されています。花環にはおそらく聖母に対しての献花といった意味が込められていたらしいとのことですが、花をダニエル・セーへルスが、聖母子をコルネリス・スフートが描いた共作だそうです。ただ、基本的には花の絵とみなされていたそうです。たしかに中央の聖母子像よりも黒い背景に照らし出された花は、スペインのボデゴンで描かれた野菜におとらず存在感があります。また、花の白やピンクや黄色が映えて、とても印象的です。
 オランダの画家に移って、ラーヘル・ライスの「花卉」(右側)は、ダニエル・セーヘルスと比べて見ると、こちらは宗教性を感じることはありません。その代わり、こちらは美化するというより、リアルに細密に描かれています。ひまわりの花はしおれかかっていますし、枯れた葉も描かれていて、セーヘルスのように美化されていません。全部の花が背景から浮かびあがるのではなく、淡い光が上から差しています。そして、中央にはトンボが、上方には蝶がいて、図鑑を見ているようです。
 Musiumstillife オランダの画家が続いて、コルネリス・デ・ヘームの「果物籠のある静物」は、スペインのボデゴンに比べて宗教的な厳粛さは、あまりなくて、その代わりに日常の風景から切り取った美という作品です。コターンのボデゴンがシンプルで直線的な構成で背景が真っ暗で日常でない空間であるのに対して、デ・ヘームの作品は緑の布がかけられた木製のテーブルが、背景の濃い緑の壁と平行に置かれています。テーブルの左端は、左から右に走る対角線を形成しています。この対角線が構図の基礎となり、ブドウ、桃、アプリコット、サクランボ、プラムといった果物が、同じ対角線方向で左上に傾けられたバスケットから溢れ出しています。2個のクルミが左側に置かれ、皮をむいたレモン、ブドウの房、ブドウの葉とともに対角線を形成しています。このようにさりげなさを、かなり考えて演出している。ここで描かれている果物は、瑞々しくて食べたくなるような感じです。
Musiumsitting  ちょっと気になったのが、ヤコーブス・フレルという画家の「座る女性のいる室内」という作品。これは、ほとんどフェルメールじゃないですか。しかも、制作年代を見るとフェルメールよりも40年ほど前に描かれていることが分かります。丸っこい人物の姿がフェルメールよりも親しみ易さや優しい印象を受けます。こういう画家を発見できただけでも、この展示を見に来た成果です。

 

2025年4月24日 (木)

西洋絵画、どこから見るか?─ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館vs国立西洋美術館(2)~第1章 ルネサンス

Ⅰ.ゴシックからルネサンスへ
Musiummadonna  フラ・アンジェリコです。あの「受胎告知」の…日本では作品を見ることがありません。会場の説明では、聖人をそれぞれ数枚の両側のパネルに個別に描くのではなく、1枚のパネルにすべての人物を描いたまとまりのある空間を作り、Yosiokaanje 天蓋のアーチの上に、墓の中の死んだキリストの横に、福音記者聖ヨハネと悲嘆に暮れる聖母が並んでいるという空間の構成が、当時としては斬新だったと解説されていたと思います。でもそういうのは、当時の一般的なものと並べて比較してみないと分からないと思います。たとえ、並べてみても、現代人の目からは同じように古臭いと見えてしまうかもしれません。この作品では、空間(奥行)を描いているといわれても、「どこが?」と声を発して、平板にみえてしまう。親切に説明しているようでいて、中止半端な説明は、混乱を招くのではないかと思いました。それよりも、この作品を見ていて魅かれるのは、金箔を背景にして薄い青とピンク色の鮮やかさです。このような薄青とピンクは他の作品ではついぞ見られないものでした。その配置の見事さです。色と人物の配置から生じるコントラストが、見る者の視線を画像から画像へと連続的でスムーズに動くように導き、最終的に中央の聖母子像に到達させるようになっています。また、それぞれの人物の顔の陰影の深さは、同じコーナーで展示されている作品のパターン的な表現に比べて彫の深いものに見えます。となりに展示されているルカ・シニョレッリの「聖母戴冠」と比べて見ると、分かるかもしれません。こっちは平面的で、人物のMusiummadonna2 顔ものっぺりしています。
 ベルナルディーノ・ルイーニの「マグダラのマリアの回心」を見ていると、左側の人物が人差し指を伸ばして上を指している形が、レオナルド・ダ=ヴィンチの「聖ヨハネ」そっくりで、右側の女性の高い鼻梁や細長い目そして意味不明に口角を上げて微笑んでいるかのように見せるところがレオナルド・ダ=ヴィンチの描く女性そっくりであると気がつくのです。しかもスフマート。このスフマートだけで、このコーナーに展示している他の作品と区別できます。しかし、どこか間の抜けた感じがある。それは右側の女性に比べて左側の人物が人形のようだったり、中心がはっきりしないとかあるのでしょうが、これも、レオナルドの作品と並べて比べると分かるのではないかと思います。
 Musiummaria でも、個人的には、このような革新的なものより、当時の形式的なものも好きなんですが、それは、このあと常設展で堪能できました。
Ⅱ.ヴェネツィアの盛期ルネサンス
 ヴェネツィアの画家の特徴は、フィレンツェの画家に比べて色彩豊かで豪華絢爛ということだった思うのですが、ここで展示されていたのは、そういう感じはしませんでした。
 Musiummarrige パオロ・ヴェロネーゼの「聖カタリナの神秘の結婚」は、この展覧会でこの題材を扱った作品が、この後いくつもあるので、その最初です。他の作品と比べると描き方がそれぞれ違うので面白いです。この作品では、赤ん坊のイエスから右側の女性の聖カタリナが指輪を受け取ることで結婚が成立するという場面だそうです。それぞれの人物のポーズが演劇的というが大仰でわざとらしい。そのわりに、前のコーナーで見たルイーニの作品ほどには人物に表情がない。スフマートも見られない。その表情がない分を身体の仕草、つまりポーズで補っている。それを引き立たせるには、輪郭の明確な形態と衣服などが目を引くほうがいい。そこで鮮やかな色を用いる。人の肌の色も艶々していて肉感的で目を惹きます。表層的な表現とでもいいましょうか。内面は気にせず、外面として表われているものがすべてという発想でしょうか。リアリズムとは違う表現です。
 Musiumportrait ジョルジョーネの「男性の肖像」はリアリズムでした。この男性は演技をしている様子はなく、飾り気のない素面のように見えます。それをそのまま描いているように見えます。それもまた表層的です。
Ⅲ.北方ルネサンス
 フランクフルトの画家の「アレクサンドリアの聖カタリナの神秘の結婚」は、前のコーナーでヴェロネーゼの同じ題材の作品があったのと比Musiummarrige2 べると面白いです。こちらの方は演劇的なわざとらしいポーズはとっておらず、型にはまったような人物で、肉感的なところどころか生き生きとしたところはありません。しかし、描写は細かい。衣服の質感や刺繍。背景の木々の葉や両脇の天使の羽根の一枚一枚が精緻に描き込まれています。ファンアイクやデューラーなどを生んだ北方ルネサンスの特徴といえるかもしれません。ヨース・ファン・クレーフェ「三連祭壇画:キリスト磔刑」も細かく描き込まれています。人物の着ている衣服の織り目が分かってしまうほどの細密描写や背景となっている風景の建築物が緻密に描き込まれ木々の葉の一枚一枚が明確で描き分けられているので、類型的な人物はおいて細部の描写を堪能することができます。

Musiumthree

2025年4月23日 (水)

西洋絵画、どこから見るか?─ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館vs国立西洋美術館

Musiumpos Musiumpos2 2025年3月 国立西洋美術館
 期末が迫って、年度内に有給休暇を消化しなければいけないということで、今日はお休み。その休みを利用して、興味のあった美術展に出かけることにした。平日の午前中にもかかわらず、上野駅の公園口の改札前の広場は、人でいっぱい。会期は始まったばかりで、しかも平日の午前だから空いているだろうと高を括っていたが、西洋美術館のチケット販売窓口は行列ができていて、館内はけっこう混んでいる。入場制限には至らないものの、展示されている各作品には、常に数年がいるという混雑で、落ち着いて作品を見るのにはギリギリ耐えられるという程度。中で目立つのは外国人(観光客?)と親子連れあるいは子供(学校が春休み?)。展覧会のタイトルがくだけた表示だったのと、展示にはマンガのフキダシのようなキャプションが付けられたりして、これまでの例なら、「サンディエゴ美術館展」という味もそっけもないタイトルになるのでしょうか。それは、主催者あいさつにも現われていると思います。以前なら展覧会チラシにあいさつが文章で載せられていたのが、今回はキャッチコピーのような語が画像に付けられているのみです。会場でも、展示室に入る前に脇にあって、気づかなければ素通りするような扱いになっていました。あいさつも簡単になっているように思います。“本展は、米国のサンディエゴ美術館との共同企画により、同館と国立西洋美術館の所蔵する作品計88点を組み合わせ、それらの対話を通じてルネサンスから19世紀に至る幅広い西洋美術の魅力とその流れを紹介する展覧会です。..両館の所蔵する作品をペアや小グループからなる36の小テーマに分けて展示、比較に基づく作品の対話を通じ、ルネサンスから印象派に至る西洋美術史の魅力を分かりやすく紹介することを目指します。また両館は非ヨーロッパ圏においてヨーロッパ美術を収集した点においても共通します。その点に着目し、両館の持つ傑作を比較対照させながら、それぞれ西洋絵画がどのような目的や理想に基づいて収集されていったのかについても、紹介する予定です。なお本展開催中、サンディエゴ美術館所蔵作品よりさらに5点の絵画を西洋美術館常設展で展示し、さらなるコレクションの対話を試みます。これらを含むサンディエゴ美術館からの出品作49点は、すべて日本初公開となります。”
 まあ、展示にはたくさんのキャプションや説明が付けられ、煩いほどで、しかも、ほとんど全部の展示が撮影可となっているので、落ち着かないのですが、このようなことはできだけ気にせずに、好きな作品を好きなように見てきました。

 

2025年4月22日 (火)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(9)~第7章 賃労働と所有

 資本主義社会では所有のあり方が、それまでの社会とは違うものとなり、そのことが人々の日常生活に大きな影響を及ぼしている。
 所有とは持っていることを他人から承認されることである。その承認のあり方は時代によって変わる。全面的な商品生産が成り立っていない社会では、所有は基本的に人格的関係に基づいていた。例えば共同体の一員であることによって所有を認められていた。これに対して、物象化された社会では、所有は小品や貨幣といった物象の力が所有を成り立たせている。私的生産者が交換を通じて貨幣を所有することができたのは彼の生産物の価値を持っていたからで、その商品の買い手からそれを所有することができたのは彼が貨幣を持っていたからである。この承認はあくまでも商品や貨幣の持ち主の自由意志にもとづく相互承認という形で行なわれるので、正統ものとして通用する。例えば、商品の売り手が、全く知らない相手だとしても貨幣を支払さえすれば、売り手はその商品に対する所有権を認めるだろう。それゆえ、商品生産関係が全面化した社会においては物象の力に基づく相互承認が所有の正当性の社会的基準となる。そこから、市場において人は商品や貨幣の所持者として自由に振る舞い、自由意志に基づいて契約を取り結ぶのだから、市場での競争こそが自由であり、平等であり、そこで認められる所有こそが正当だという観念が生まれてくる。逆に言えば、市場の競争を媒介しない所有は不正だという観念が生まれるのである。このように、もっぱら物象の力により承認され、正当性が確保される所有のことを近代的所有と呼ぶ。
 このような近代的所有は、資本主義的生産関係において他人の労働を取得する権利に転化する。労働力を欲する資本家と、生きていくための貨幣を欲する賃労働者は、互いの欲求に従って交換関係に入る。この場合、両者は互いの自分の意志に基づいて公刊を行い、しかも等しい価値を持つ物象を交換した。それゆえ、物象に基づく近代的所有の原理に従えば、正当である。
 しかし、その結果は美容道ではない。資本家は賃労働者から買った労働力を消費し、その成果を手に入れることができる。他方、労働者は賃金で生活に必要な商品を買い、消費してしまうと、手許には何も残らない。これは、近代的所有が物象の力によって成り立っているためである。所有している商品の使用によってどんな結果がもたらされようと、その所有が相互の合意に等価交換に基づく限り、それは正当なものだからである。資本家と賃労働者の等価交換では、近代的所有権は他人の労働を取得する権利へと転化してしまう。つまり、物象化された関係が必然的に生み出す近代的所有の原則に従うかぎり、資本家はなんの正当性も失うことなく他人労働を搾取し、取得することが可能なのである。さらに、このような他人の労働を取得する権利は、所有は労働に基づくものであるという観念によって補完される。近代的所有は所有の正当性を市場の自由競争に求める観念を生み出すが、それが労働と結び付けられるのである。また、この観念は人々に賃労働を強制する圧力を生み出す。この観念では、所有は労働の結果でなければ、不正だとされるからである。こうして、社会的所有は、市場における自由競争をつうじて貨幣を手に入れることが労働であるという観念を生み出すことによって、一方では資本家の他人労働を取得する権利を補強し、他方では無所有者を賃労働へと駆り立てるのである。
 そして、資本が行う生産活動を再生産過程として、すなわち生産が絶えず繰り返されるプロセスとして見るならば、そこでは資本の人格的担い手である資本家と賃労働者も再生産されていることが分かる。この再生産過程で近代的所有権も新たな性格を帯びる。賃労働者の側からは、賃労働者は労働力しか売るものがないから、労働力を売り、賃金を手に入れる。しかし、この賃金は労働力再生産費用だから、賃労働者の生活手段に消尽されてしまう。だから、賃労働者の手許には何も残らず、生活のために、再び労働力を売り、賃金を手に入れるしかない。こうして無所有者としての賃労働者が再生産される。また、資本家の側からは、生産手段と労働力を購買し、労働力を消費することによって剰余価値を手に入れることができる。資本家も労働者と同じように生活手段が必要なため、滋養世価値の一部を自分の消費のために使う。他方で、資本家は資本の人格的担い手であり、常に他の資本家との競争にさらされていて、資本の量を拡大し、競争に打ち勝たなければならない。それゆえ、滋養世価値の残りの部分を資本として用いる。このように剰余価値を資本に転化することを資本蓄積という。蓄積した資本で、投資家は、再投資、つまり賃労働者から再び労働力を購買し、消費する。このような資本蓄積を考慮に入れることによって、物象の等価交換に基づく近代的所有が、他人の剰余労働によって他人の剰余労働を取得する権利に転化する。
 他方で、近代的所有は前近代とは異質の貧困を生み出し、それを正当化する。近代的所有は市場における売買の関係を通じてしか所有が認められない。だから、人々は本源的に所有者であることは不可能になる。しかも、売買が実際に成立するかどうかは偶然に委ねられている。商品が売れるかどうかは、市場に出してみないと分からない。それゆえ、資本主義社会では、人々の生存自体が偶然に委ねられている。にもかかわらず、物象に基づく近代的所有を正当なものとして受け入れるかぎり、このような事態は正当なものとされる。このような矛盾は賃労働者に集中的に表われる。彼が生きていこうとすれば、自分の労働力をたえず商品として売りに出すしかない。その労働力という商品が売れるかどうかは偶然に委ねられているからである。したがって、賃労働者は資本主義社会では、きわめて不安定な生活を強いられる。近代的所有の原理が貫徹する資本主義社会では、賃労働者が無所有者として生きなければならないことは防いだとはされない。むしろ、それは自由の証と思われている。このような無所有者として生きることを強制されることを絶対的貧困と呼ぶ。
 賃労働者は、そのような不安定な状態で生きるために、資本家に労働力を売るために懸命に努力しなければならない。そこでは、低賃金、長時間労働という不利な条件でも受け入れざるを得ない。つまり、資本主義社会では、労働者は自ら資本に包摂されるために懸命に努力しなければならない。かれは、それを自由な意志で、自発的に行う。さらに、資本蓄積の信仰に伴い、相対的過剰人口がたえず生み出され、人々を賃労働に駆り立てる圧力はいっそう強まる。生産力の上昇によって生産手段の物量が、それを使用する労働力に対して増大する。これにより、可変資本に対する不変資本の割合も増大する。そこで資本の価値構成が変化するが、これを資本の有機的公正の高度化と呼ぶ。資本蓄積が進んでいくと、それだけ可変資本も増大する。それゆえ、労働力商品に対する需要が増大し、労働力の価格、賃金が上昇する。しかし、賃金が上昇すると、投下資本に見あう十分な剰余価値を獲得することが難しくなる。そこで、労働力の価値がある点に達すると、資本蓄積が衰える。それで、労働力に対する需要が相対的に減少し、賃金が下がる。このことから、資本主義的生産関係のもとでは、賃金の上昇は資本主義の存続を脅かすほど進むことはあり得ない。労働力の販売は剰余価値生産によって規定され、制限されている。

2025年4月21日 (月)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(8)~第6章 賃労働と生産力の発展

 ここでは、資本主義のもとでは、なぜ急激な生産力の上昇が起こるのかを考える。
 価値は抽象的人間的労働の対象化であり、その量は標準的な労働の労働時間により規定される。そのため、生産力を上げて1時間あたりに生産する使用価値量を増大させたとしても、1時間あたりに生み出される価値量が変化することはない。生産力が上昇したとしても、労働者の労働量そのものは変化しないため、生み出される価値量は変化しない。生産力の上昇はあくまで彼の具体的有用労働としての側面に影響を及ぼすにすぎない。生産力が2倍になった場合、生み出される価値量は変化しないが、2倍の生産手段が消費され2倍の生産物が生産されるので、1個あたりに付加される価値は2分の1になり、生産物の価値は下がる。これだけでは、生産物の剰余価値は変化しない。しかし、生産力の上昇は全体として労働力の価値を下げることになる。そこで、1日当たりの労働時間が変わらなければ、剰余価値量は増大する。例えば、生産力が2倍になれば、労働力の価値は2分の1になるので、剰余価値は1.5倍になる。このように、労働力価値の低下によって生み出される剰余価値を相対的剰余価値という。
 しかし、資本が生産力を全般的に上昇させて相対的剰余価値を獲得できるとしても、個々の資本家は直接的にそのことを目的として生産力を上昇させるわけではない。
 個々の資本家は技術革新などにより生産力を高めて、もともとの剰余価値に加えて特別剰余価値を得ることができる。この場合、この資本家は、新技術の導入で、より多くの生産が可能になったことから、より多く販売することになるため、他の資本家より安い価格で売り、シェアを拡大させようとする。個々の資本家にとっては、この特別剰余価値が生産力上昇の動機となる。しかし、この有利さも、他の資本家が追随して新技術を導入し生産力を拡大すれば、特別剰余価値は消滅する。そして、生産力の上昇により個々の生産物の剰余価値は減少することになるので、資本家たちはより多くの生産物を売らなければ以前と同じだけの剰余価値を獲得することができない。それゆえ、資本家たちは特別剰余価値を獲得し、シェアを拡大するために、再び生産方法を変革し、生産力を上昇させようとする。しかも、資本家たちは互いに競争しているのだから、絶えず生産力を上げ、シェアを獲得し、拡大することなしには生き残れない。競争が資本家たちに生産力の上昇を強制する。
 資本が生産力を上昇させるための方法の第一は協業である。同じ生産過程や関連する生産過程において、多数の労働者が一緒に協力して働くことだ。資本主義的生産ははじめから協業として行われる。それは、資本家が直接に生産に従事せずにすむように、何名もの賃労働者を雇用することが必要だからである。資本家は指揮を行うが、それは資本の機能としておこなわれるので、そこにはたんに協業に調和を与えるだけでなく、資本の自己増殖を可能にする者でなければならないのだ。
 第一に、資本主義的生産関係において協業を組織できるのは資本家だけである。ここでは、人々は私的個人としてバラバラにされており、しかも資本家以外は協業を組織できるだけの貨幣を持っていない。賃労働者は自分たちの意志によって互いにアソーシエイトして協業を行うのではなく、労働力を販売した資本によって結合させられ、協業を行うにすぎない。協業によって実現される労働の社会的生産力は、資本そのものがはじめから持っている生産力として現われる。
 第二に、マニュファクチャ的な分業である。資本家によって組織された協業によって作業場内の分業として行われるが労働者の手工業的熟練が求められている。そのメリットとして、まず、作業の専門化が図られる。それ以前には一つの仕事であったものが、様々な部分作業に分解される。それため、それぞれの労働者は部分作業に適応させられ、単純作業しかできない労働力にされてしまう。それで、労働者の修行費を減少させ、労働力の価値を低下させる。挙句の果てに、労働者は独立の生産者としての生産能力を失う。次に、分業された作業の体系的な組み合わせである。これにより労働の強度が高められる。この体系化された専門的作業として労働を行なう必要が労働者の資本への従属を高めることになる。そして、大工業における機械の導入である。機械は人間によって操作される道具とは異なり、それ自身で道具を操作し、対象を加工する手段である。大工場では、協業は機械による協業として行われ自働機械体系が成立する。そこで、生産に必要な労働は著しく減少し、労働の生産力は何十倍にも高まる。そのため、労働者の熟練はさらに不要になる。そこで労働力の価値はさらに低下し、生産のイニシアチブは機械のものとなり、労働者は技術的にも生産手段に従属することになる。すなわち、生産手段が主体となり、客体としての労働者を支配するという転倒が形態的のみならず技術的にも成立する。そして、自動機械体系は労働者に機械の規則的な動きに合わせて作業することを強いられる。同時に労働時間の延長の傾向を持つ。そして、機械の導入により労働者の人員削減を招くことになる、-。これょーを相対的過剰人口というが、このことは労働者の立場をいっそう弱くする。
 以上にようにして、資本は生産力を上昇させるための生産方法の変革をつうじて、労働者を資本に従属させる。つまり、資本はただ生産力を上昇させるように生産の技術的条件を変革するだけでなく、同時に、労働者を資本に従属させるように生産の技術的条件を変革するのである。このような労働者の従属は、二つの面で現われる。第一に生産を体系化し規則化することによる労働者の馴致である。労働者は、生産体系の技術的必要によって、高い強度の労働を押しつけられることを通じて、日々、労働力商品の担い手にふさわしいように訓練される。第二に、資本は技術や熟練や生産に必要な知識や洞察などを賃労働者から奪い、それらを自らのものにする。労働者は生産手段の付属物のようになり、労働者個人の生産能力を剥奪されてしまう。
 生産手段を貨幣の力によって所有するだけでは、資本による賃労働者の支配はまだ確固たるものではない。というのも、実際の生産過程において生産手段を扱うのは賃労働者であり、賃労働者が生産に関する知や技術を持っていることは生産過程を資本の思うようにコントロールし、支配することはできないからだ。よって、資本は賃労働者から生産に関する知識や技術を奪い取ることによって、はじめて資本による賃労働の支配を現実のものとすることができる。このように、資本がたんに形態的にだけでなく、実質的に労働を包摂することを資本のもとへの労働の実質的包摂という。
 大工場において、生産能力の包摂を可能にするための知の様式が、テクノロジーである。それまで労働者が持っていた知識や技術が労働者から切り離され、テクノロジーという近代科学として体系化される。そして、テクノロジーは実際の生産者のことを考慮することなく、生産方法を変革し、むしろこの新しい生産方法に生産者の行為を適応させようとする。ここから、生産者のことを考慮することなく、生産効率の上昇を追求することのみを合理的だとする非合理的な考え方が生まれてくる。さらに、絶えず変化する生産方法に対応することの出る、より一般的な知識や技術を持つ労働者が必要になり、それを国家が技術教育や職業教育により養成するようになる。

2025年4月20日 (日)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(7)~第5章 労働時間と自由時間

 ここでは、労働時間について考える。賃労働は資本の価値増殖のための労働であることから、以前の労働とは全く異なった生活を持つ。労働時間についても賃労働は、それ以前の労働よりも長時間の労働が行われるようになる。
 資本家の目的は、手持ちの貨幣を使ってできるだけ多くの貨幣を手に入れることである。つまり、資本の自己増殖運動を成立させ、できるだけ多くの価値を手に入れることである。それゆえ、資本家は労働力商品を消費する場合にも、この原則にしたがって行動する。つまり、彼は労働力商品の使用によって、できるだけ多くの剰余価値を生み出そうとする。さしあたり労働力の価値が一定とした場合、資本家が労働力を消費する際にもより多くの剰余価値を手に入れるためにどうするか。滋養世価値は労働力商品の価値と労働力が生み出した価値の差であった。それゆえ、剰余価値を増やすには労働力が生み出した価値の差であった。この場合、剰余価値を増やすには労働力が生み出す価値を増やすしかない。そのためには、抽象的人間的労働の支出量、すなわち標準的な労働時間によって規定されるのだから、より長い時間、労働力を使用すればよい。このように労働時間の延長によって生み出される剰余価値のことを絶対的剰余価値という。しかし、実際には労働時間を延長することは、それに比例して労働力の価値も高くなる。労働時間が長くなれば、それだけの労働力を再生産するのに必要な費用が増えるからだ。
 こうして、資本家が絶対的剰余価値の生産を追い求めるようになると、労働者の労度ヴ史観は、それ以前とは比べものにならないほど長くなる。たしかに、以前の時代も搾取はあった。しかし、資本主義以前の時代では価値のために為される生産は例外的なものであり、生産の大部分は使用価値を手に入れるためで、それゆえ、無制限に長時間労働を強制するということはなかった。使用価値に対する欲望には限度があるからだ。これに対して資本主義社会では、生活必需品の多くが商品となり、貨幣の力が社会の隅々まで及んでいる社会で、そこでは価値こそが生産の目的となる。そして、この価値に対する欲望には際限がない。資本家は、この際限のない欲望に従って可能な限り価値を増やし、それを手に入れようとする。それゆえ、価値増殖を目的とする資本主義的生産では、最大限の労働時間延長が追求されるようになる。資本家にとって労働時間は長ければ長いほどよいのであり、そこに限度はない。
 とはいえ、簡単に労働時間の延長ができたわけではない。以前の社会では労働者自身が生産過程を管理していて、小規模経営で仕事場と生活の場が密着し、労働時間と自由時間の境界が曖昧で、実際に労働する時間は長くなかった。そういう人を長時間労働に就かせるのは容易ではなかった。そこで資本家たちは国家による強制力を利用した。つまり法律による強制である。
 労働者にとって労働時間の延長は自由時間の短縮に他ならない。それは、彼らの家族との時間のような人間らしい生活の時間を失うことになった。それだけでなく、資本の目的は価値であり、価値は抽象的人間的労働の対象化なのだから、資本は賃労働者に長時間労働を強制し、より多くの抽象的人間的労働を搾り取ろうとする。賃労働者はより大きい労力を支出することを強制され、しかも休息のための時間を奪われる。こうして、賃労働者は過労で心身の健康を害され、生存すら脅かされる。労働時間の過度の延長は、賃労働者の寿命を短縮することによって可能となる。
 これに対して資本家は長時間労働を追い求めることをやめることはない。彼の目的は価値を手に入れることでしかなく、価値増殖の結果、どんなことが起ころうとも、貨幣という形で価値を手に入れることができれば、彼は価値の力を行使することができる。労働者が身体を壊しても、別の労働者を雇えばいい。
 これは資本主義社会独自の現象である。それ以前の社会は農奴や奴隷を人格的に支配していたため、彼らの人格的再生産は権力にとって決定的意味を持っていた。これに対して資本家の権力は物象の力に基づいているので、彼にとっては物象つまり貨幣の力の獲得だけが問題なのであり、賃労働者の人格的再生産に配慮する必要がない。貨幣さえあれば、労働力であれ生産手段であれ、必要なものは手にはいるからである。たとえ、賃労働者の労働時要件に心を砕く資本家がいても、資本家は他の資本家との競争にさらされていて、競争に敗れれば資本家として生きて行けなくなるため、最大限の価値増殖の追求を強制されることになる。

2025年4月18日 (金)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(6)~第4章 賃労働と資本

 ここでは賃労働について考察する。賃労働は歴史的に特殊な働き方の一つだ。労働は人間と自然との物質代謝の意識的媒介である。賃労働とは、誰かに雇われて行われる労働というのが一般的イメージ。労働者が誰かに労働を提供し、その対価として賃金を受け取る。
 マルクスは、労働者は労働の対価として賃金を受け取っているのではなく、自分の労働力を売り、貨幣を手に入れると考えた。労働と労働力は違う。労働力を買うという場合、雇い主は、他セレカを雇い、一定の時間の間その人の労働力を利用する権利を得たということによる。雇い主は、この労働力をどのように処分するかは自由である。工場で働かせてもいいし、全く働かせなくてもいい、労働は労働力の消費としてお皆割れるにすぎない。いったん労働力を買ってしまえば、その消費である労働にたいして支払いをする必要はない。労働者の側からは、労働力を販売した後は、雇い主から命令されてはじめて労働するというのだから、労働を自分自身の意志で処分することはできない。つまり、賃労働者が販売しているのは労働力であり、賃金が労働の価格ではなく、労働力商品の価格である。また、賃労働とは、労働力商品の買い手がそれを消費するさいに労働力商品の売り手によって行われる労働である。
 賃労働を労働者から買い取る者、つまり雇い主は資本家ということになる。ところで、商品売買というものは、基本的に「買うために売る」ということであった。つまり、自分の生産した商品を売り、それで得た貨幣で欲しいもの買う。これが、商品交換に貨幣を使うようになると、新たな欲望が芽生えてくる。つまり、たんにある使用価値を手に入れるための手段として貨幣をほっするのではなく、貨幣そのものを欲望の対象とし、貨幣をできるだけ多く蓄積しようとする欲望か生まれてくるのだ。
 そのため、勤勉に働き、多く売って、少なく買うことで貨幣をためようとする。しかし、この場合、貨幣は使うことによってはじめて力を発揮するということで、それを使わないというやり方には限界がある。そこで、「売るために買う」というやり方、つまり発想の転換が起こる。所持している貨幣で商品を買い、それから商品を売り、再び貨幣を手に入れる。この時貨幣量は、はじめに持っていたより増えている。このやり方は貨幣の増大自体が目的になっている。この過程では、もともとあった価値が、そのプロセスを通じて増大する。つまり、価値自身の力により価値が増大する。ここでは、価値がこのプロセスの主体となり、自らの力により増殖する。このような自己増殖する価値のことを資本という。資本は、「買うために売る」ときの倹約とは違い、積極的に貨幣を流通に投げ入れることに割って、よく多くの貨幣を手に入れるものだ。
この時、資本家は労働力商品を購買し、消費することによって、価値を増殖させている。それは、労働力が価値を生み出すことのできる唯一の商品だからだ。
 労働力は商品であり、使用価値と価値を持っている。賃労働者は自死部が持つ労働力を売り、それによりらー生活に必要な貨幣を手に入れる。その理由として、第一に、彼は私的生産者と同じように、人格的なつながりに依存して生きているのではなく、商品や貨幣などの物象の力に依存していきデイル。つまり、村のように共同体にいるのではなく、都市なおいてバラバラに生きている。彼は人格的な支配からは自由である代わりに、自分で貨幣を手に入れ、それによって生活を賄わなくてはならない。第二に、賃労働者は労働力以外の商品を生産する手段を持っていない。労働力以外の商品を生産するためには、原料や道具が必要で、それを作り売るまで時間がかかる。そのための資金や当座の生活資金がなければ、その生産はできない。だから、彼は自分の労働力を売る以外にない。
 この労働力商品の価値の大きさは、その生産に必要な社会的必要労働時間によって決まる。これは、生産の継続、すなわち再生産にとって必要だからである。労働力の場合も同様だ。では、労働力の再生産可能性とは何かというと、労働力の保持者の人格の維持に他ならない。その大きさは、労働力の保持者の石瀬に必要な生活手段の価値の大きさによって決まる。端的に言えば、労働力の再生産費である。労働力の所持者が正常な状態で正確していくに足るもの。
 労働力商品の使用価値は労働である。ただし、資本家にとって、それはどうでもいいことで、資本家の目的は価値だからだ。つまり、その生産物が市場でどれだけの価格で売れるかだけが問題だからだ。
 というのも、労働力商品はただ使用価値を生産するだけでなく、価値を生産することができる。労働力の使用価値である労働によって生み出される価値は、労働力の価値とは全く異なった大きさである。それゆえ、労働力は自分の価値以上の価値を生産することができる。これが剰余価値ということになる。労働力商品がこのような、価値を生産するという特殊な使用価値を持っているからこそ、資本家は等価交換しかしていないにもかかわらず、価値を増殖することができる。また、労働者は、自分の自由な意志により等価交換を行ったにもかかわらず、自分の労働の成果を搾取されてしまっていることになる。労働者が自分の労働を再生産するのに必要な労働を必要労働、さらにそれを超えて行う労働を剰余労働と呼ぶ。
 賃労働者が売るのは労働ではなく労働力である。労働は労働者が販売する労働力商品の使用価値であり、資本家は労働力商品を消費することによって労働を手に入れる。それゆえ、賃労働者が実際に賃労働をするときに彼はすでに自分の労働力を資本家に売り渡してしまっており、生産手段と同じように、資本の構成部分の一部になってしまっている。その結果、彼の労働は資本機能として行われ、その成果はまるごと資本家のものになってしまう。
 賃労働者は生きていくために必要な貨幣を手に入れるために、資本家に自分の労働力を売る。このとき、彼は資本家と、たとえば1日1万円で自分の労働力を使用する権利を譲渡する契約を結ぶ。それが、彼は資本家の指示に従って労働を始める。彼はすでに労働力販売の契約をしているのだから、契約遂行のために、自分の自由意志にもとづいて資本家の命令に従い、労働する。だが、たん労働者はただ資本家の命令に従って労働するだけでは、資本の機能を果たすことはできない。そのためには、資本家の命令に従って労働するだけでなく、生産手段を資本として扱い、資本の価値増殖を実現する必要がある。そのために必要なことが次の二点である。
 第一に、賃労働者は生産手段を資本のものとして扱い、それを有益に消費し、その価値を維持しなければならない。資本主義以前の古代や中世の職人や農奴は、生産過程において事実上、生産手段を自分のものとして扱うことができた。彼らは土地や労働手段を自分のものであるかのように扱い、比較的自由に労働することができた。彼らの雇い主である領主は剰余生産物を収奪して自分の支配を維持していくことを目的としているので、生産過程には関心を抱いていなかった。ところが、資本主義的生産過程においては、目的は剰余生産物ではなく、剰余価値であり、しかも、できるだけ効率的に価値増殖を行い、ほかの資本との競争に打ち勝たなければならない。そのため、できるだけ少ないコストで、できるかぎり多くの有用物を生産しなければならない。だから、賃労働は、ただ剰余生産物を生産するだけでなく、生産過程において生産手段を資本として扱い、価値増殖の観点から、できるだけ無駄なく有益に消費しなければならない。資本の価値を無駄にしないように。生産手段の方の都合に合わせて労働しなければならない。こうすれば、生産手段の価値を生産物に吸移転させ、維持することができる。
 第二に、賃労働者は生産手段を資本のものとして扱い、有益に消費するだけでなく、自分の労働の成果をたえず資本のものとして扱い、剰余価値を産出しなければならない。賃労働者は生産手段を資本のものとして扱い、有益に消費することによって、労働対象を変形させていくが、このとき同時に、変形させた労働対象に対しても無絶えずそれを資本のものとするように関わり続けている。それゆえ、彼は自分の労働の成果に対してもたえずそれを資本のものとするように関わっていることになる。だからこそ、彼の生み出した労働生産物はすべて資本のものとなり、彼が生産過程において生み出した価値もすべて資本のものとなるのである。このように、賃労働者は生産手段に対してそれを資本とするようにして関わることによって、資本の価値増殖運動を成立させ、自分の労働に資本の機能という性格を与えている。このようにして成立する生産関係を資本主義的生産関係という。
 まとめると、自己増殖する価値としての資本の運動が成り立つためには、まず、飽くなき価値増殖欲求を持つ資本家が「売るために買う」ことが必要であった。資本家は貨幣を貯め込むむのではなく、むしろそれを積極的に流通に投げ入れることによって貨幣を増やそうとする。だが、それだけでは資本の運動は成り立たない。生産過程において、賃労働者が生産手段に対してそれを自己増殖する価値とするようにして関わり、自己増殖する価値の運動を生産過程において成り立たせなければならない。資本の運動の成立に際しては、このような賃労働者の特異なふるまいが決定的であった。それゆえ、賃労働者が労働力を販売し、生産手段に対してこのような特異なふるまいをし続けるかぎりでは、実際に生産手段のほうが主体となり、逆に労働者は手段となるという転倒した関係が性釣りする。一般的な労働過程では、生産の主体は人間であり、生産手段はそのための手段であった。ところが、価値の自己増殖を目的とする資本主義的生産過程では、この関係が逆転し、礼賛手段が人間を支配する。つまり、労働者が使用価値の生産のために手段として生産手段を消費するのではなく、むしろ生産手段が価値増殖のための手段として労働者を消費するのである。このような労働を、疎外された労働という。

2025年4月14日 (月)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(5)~第3章 値札と貨幣

 ここでは貨幣について考える。古典派経済学は、貨幣は流通のための道具と考えた。これに対してマルクスは商品交換の前に行われる値札付けに注目し、この値札の必要性から貨幣が生まれたと考えた。
 前章で見たように、人格的紐帯が解体した資本主義社会では、労働生産物を互いに価値として関連させることにより社会的分業成立させることができる。だから、労働生産物は価値物、すなわち商品として社会的にやりとりされることになる。だが、労働生産物を価値物として互いにやり取りするといっても、価値は交換力という社会的な威力であり、そのままでは目に見えない。だから、私的生産者たちが生産物を互いにやり取りするには、その価値を目に見える形で表わす必要がある。それを可能にするのが値札である。
 私的生産者が労働生産物を互いに関連させるには、それらを価値物として扱う必要がある。だが、実際の交換では、互いが持っているものが価値物であるからといって交換が行われるわけではない。商品の持ち手が互いに相手の商品を欲する場合にだけ交換が行われる。しかし、そういうケースは稀である・これでは多様な商品を大量に取引することはできない。そもそも労働生産物を価値物として関連させるには、価値が一般的価値形態をとらなければならない。つまり、一般的価値物以外のあらゆる商品の値札に一般的等価物を書き入れることによって、価値を表わす。だから、少品種寺社はいきなり自分が欲しいと思う商品の所持者に交換を持ちかけるのではなく、一般的等価物の所持者全員に対して価値を表示し、このうちだれかと交換を行い、そののち、欲しい商品を一般的等価物によって手に入れることができる。そして、このようなやりとりが安定して成り立つためには、一般的等価物か何かの商品に固定されていなければならない。人は交換を繰り返していくなかで、それにふさわしい商品として金を見出した。金はどの一片をとっても均質であり、任意の量的分割が可能であり、合成も可能で、一般的等価物のための機能を持ち合わせている。持ち運びが容易で、蓄蔵にも適している。一般的等価物を金にすると、金は貨幣になる。貨幣による商品価値の表現のことを価格という。金はあらゆる商品に対して直接的交換可能性を持っている。つまり、貨幣はあらゆる商品を手に入れることができる力を持っている。その貨幣の力は商品生産に基づき、生産物が商品化いるにつれて、貨幣の力の及ぶ範囲が広がり、その重要性は増して行く。商品生産によって貨幣が生み出されると、商品生産関係は一層発展する。
 そして、価格による価値の表示は、実際の価値の大きさから乖離した価値の表示を可能にする。現実の市場を見れば、たとえ価格が不変だとしても、商品価格は絶えず変動する。このような価値と価格の乖離によってはじめて、需要と供給を調整して社会的分業を成り立たせることができる。また、商品を直接に交換し合うのではなく、貨幣を流通手段としてもちいることにより、多様かつ大量の商品の交換が可能になる。だが、他方で購買と販売の分離が生まれる。貨幣は直接的交換可能性を持っているのだから、自分が欲する商品が市場にあり、その価格と同じだけの寡兵があれば購買は可能である。ところが、販売はそうではない。ある商品を販売できるかどうかは不確実である。また、商品を売って貨幣を手に入れた日とはその貨幣をすぐに使う必要はない。そこから、社会全体でみても大量の商品が売れ残る可能性が生まれる。さらに、資本主義社会では信用が発展する。具体的に言うと手形で、貨幣なしでも購買がかのうとなり、商品流通がさらに発展する。そしてまた、貨幣は新たな欲望を作り出す。もともと労働生産物を価値物として扱ったのは、他人が持つ労働手段を手に入れるためであった。それが、貨幣の登場により、仕様勝ではなく価値そのものへの欲望が生まれた。貨幣というどんな商品でも手に入れることできる力持っていることへの欲望である。使用価値に対する欲望は、使用価値によって制限されていた。これに対して貨幣に対する欲望に記限りがない。どれだけもっていても持ちすぎということはない。
 もともと価値は私的生産者が社会的関係を打ちたてるために生みだしたものである。だから、それを理解するためには込み入った考察が必要だった。ところが、価値を貨幣として物体化すると、人々の意識や欲望のあり方に大きな影響を与え、それらを全く違うものに変えてしまう。もともと人間が持っていたものとは異なる意識欲望が、人間の創造物である貨幣によって作り出される。
 以上のことから、商品生産関係にはかならず貨幣が必要になる。だから、価格による価値表現がかならず必要になる。それゆえ、価格による価値表現は商品の側の論理に従って行われる。商品は人間の意志や欲望とは異なる独自の論理、すなわち価値の論理を持っている。これが貨幣を馬出している。人間たちが私的労働に基づいて社会的分業を成り立たせている社会では、人間ではなく労働生産物が社会的力を持つので、人間と労働生産物との関係が逆転する。それが物象化である。物象化された関係では、人間たちは知らないうちに自分たちの行動を制約する価値の論理を作り出してしまい、これに従わざるを得ない。
 物象化された関係では、商品や貨幣などの物象の人格的担い手としてしかお互いに社会的関係を取り結ぶことがないという意味で、物象によって制約されている。しかし、人間たちは、物象の人格的担い手にすぎないとはいえ、自分たちの意志と欲望に基づいて主体的に交換関係を取り結ぶ。このように人間たちが物象の人格的担い手として行為する時代を物象の人格化という。

2025年4月13日 (日)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(4)~第2章 私的労働と商品

 ここから賃労働の考察に入る。その全段階として、ここでは商品について理解していく。
 商品とは何かときかれると身近で当り前なのだが、それゆえにどんなものかを考えるのが難しくなっている。マルクスは、商品はいかにして成り立っているのかを考えていく。
 一般に、商品は値札がつけられていて、交換(売買)されるものといったものと考えられている。歴史を振り返ってみれば、値札のついていない商品の方が当たり前の時代もあった。値札が当たり前になったのは近代以降のことである。それは、資本主義社会において、共同体の場合の人格的紐帯がないことを前提に生産をするようになったからだ。
 資本主義社会では、生産はもともと存在する人格的紐帯に基づいて行われるのではなく、バラバラに、つまり私的に、私事として行われる。共同体においては、労働ははじめから社会の一部として行われた。これに対して資本主義社会においては、労働はまず各生産者によって勝手に行われ、結果として社会の機能の一部を果たすにすぎない。資本主義社会における労働は、結果としては社会的分業を担うにもかかわらず、それ自体としては私的労働という形態で行われる。それは、それぞれの生産者が勝手気ままに行う労働である。だから、実際に行われていても、社会に必要なものとは認められない。だから、私的労働は社会的性格を持っていない。にもかかわらず、私的労働は結果として社会的分業の一部分を構成している。そうでなければ、我々は社会的分業を成立させて生きてくことはできない。この直接に社会性を持ちない私的労働が社会的分業の一部を構成するというジレンマは、労働生産物を商品として交換することで解決している。具体的に言うと、資本主義社会では、生産者は私的制裁者に分裂させられている。だから、労働を社会的なものとして行うことはない。そこで、私的生産者たちは、その成果である労働生産物を互いに持ち寄り、交換することにより社会的関係を成立させる。労働そのものは直接的には社会性を持っていなくても、その労働が他人にとっての有用物を作り出すのなら、この有用物は他人の欲望の対象になる。だから、互いに自分が持っている有用物によって相手が持っている有用物を手に入れようとして、有用物どうしを付き合わせ、交換しようとする。その結果として社会的分業が成り立つことになる。ここでは、労働ではなく、その成果物どうしの交換を通じて社会的な関係が成立する。
 しかし、労働生産物有用物としてそれぞれ全く異なるものを、互いに交換させるのは難しい。例えば小麦生産者と上着生産者が小麦と上着を交換しようとしても、上着と小麦はまったく異なったものであり、有用物として両者に共通性がない。それゆえ、両者の間に交換の基準となるものがない。それについて、私的生産者たちが自分の労働生産物を交換する時、彼らは生産物の有用性だけでなく、それがどんな交換比率で交換されるかにも注目している。彼らは共同体の成員として生産しているのではなく、私事として、私的利益のために生産しているのだから、自分が持っている生産物をできるだけ有利な交換比率で交換しようとする。このとき、人々が生産物を有利な交換比率で交換しようと値踏みの対象とすることにより、さらに、そのような値踏みする力がぶつかり合うことにより、生産物は一定の交換力を持つものとして現われてくる。こうして、生産物は有用性だけでなく。交換力という社会的な力を持つようになる。このとき生産物が持つ交換力を、マルクスは価値と呼んだ。
生産者たちが互いに値踏みを通じて生み出すこの価値が、労働生産物を互いに関連させ、交換することを可能にしている。なぜなら、このとき、私的生産者たちは、有用物としてはまったく異なる労働生産物に対して価値という共通の社会的属性を認め、この価値という属性を持つものとしては異なる有用物を同じ物として扱っているからである。そのことによって、異なる有用物の間に価値という共通の基準を打ちたて、両者を交換することを可能にしているからだ。
 ところで、私たちは私的労働の生産物を価値物として扱い、生産物どうしを互いに関連させるということを自覚的に行っているのではない。諸個人がバラバラになっており、共同労働を行うことができず、私的に労働しなければならないかぎり、私的生産者たちは労働生産物どうしを互いに関連させることによって社会的関係を成立させるしかないからである。そして、労働生産物どうしを互いに関連させる際には、このような事情により、私的生産者たちは無意識の内に労働生産物を価値物として扱うことを強制されているのである。たとえ当事者が無意識であっても、事実として労働生産物どうしを互いに関連させているのであれは、労働生産物を価値物として扱っていることになるというわけである。
このようにして、私的労働によって社会的分業を成立させている社会では、労働生産物は価値という社会的な力を獲得する。そして、価値という属性を獲得した有用物を商品という。有用物の持つ有用性を使用価値というので、商品は使用価値と価値という二つの属性を持っているということができる。また、商品に値札がつけられているのは、商品が持っている価値という社会的な力を表示するためである。つまり、私的生産者立場多寡性に関係を取り結ぶために労働生産物を相互に関連させなければならないからこそ、労働生産物を商品として扱い、それが持つ社会的な力を目に見えるように表わすために値札を付けてやり取りをする。ここでは、人々は相手が持っている商品の有用性だけを判断基準とするのではなく、値札によって表示されている商品の価値みて値踏みして、交換するかどうかの判断をする。この値札によって表示された価値のことを交換価値という。
 このように、労働生産物が価値という属性を獲得し、商品となるのは、私的労働を行なう生産者たちが労働生産物を価値物としてあつかうからだ。そこで注意すべきことは、商品が持つ価値という社会的な力は、人間たちがそれを価値を持つものとして扱うかぎりのものであるということだ。商品の使用価値はその労働生産物自体が持っている自然物としての属性によるが、価値の方は純粋に社会的な属性である。ある労働生産物が価値を持っているのは、私的生産者たちが労働生産物に対してそれを価値部として関わるからなのである。価値は労働生産物に対する人々の特定の関わり方から生まれるのである。つまり、人間は物が価値を持っているからそれを価値物として扱うのではなく、人間たちがそれを価値物として扱うから、その物は価値を持つのである。
 人々が労働生産物を通じて結び付けられている社会では、人間ではなく労働生産物の方が社会的な力を持つ。人間たちが労働生産物をコントロールするのではなく、価値を持った労働生産物、すなわち商品が人間をコントロールする。このように、人間に代わって社会的な関係を取り結ぶにいたった物を物象という。また、商品生産関係においては、人々はこの物象の力に依存することによってのみ社会的関係を取り結ぶことができるのであり、人格と人格の関係は物象と物象との関係として現われる。ここでは、人間の生産活動が自身の生み出した物象の関係によってコントロールされることになる。このような転倒した事態を物象化という。
 したがって、価値とは社会的な威力であるということができる。人々の人格的関係が切断され、私的労働をする社会では、物と物との関係を通じて社会関係を取り結ぶほかはなく、諸個人の主観とはかかわりなく、労働生産物が人間たちに対してある社会的な威力をもつ。そこで、人間たちは自分の商品の価値についてどう思っていようと、労働生産物が持つ価値という力に依存して、他人と社会的関係を取り結ぶほかはない。そのような社会的な威力こそが価値である。
 この価値において表示されている私的労働の社会的性格というのは、労働から有用物を生産するという具体的性格を取り除いたもの、すなわち、人間が行う労働一般としての労働の性格である。労働からその具体的な形態を取り除けば、そこに残るのはただ人間が一定の力を費やして労働したということでしかない。このような一般的な人間労働としての労働の性格のことを抽象的人間的労働という。価値において表示されるのは、この抽象的人間的労働である。これに対して、具体的な有用物を生み出すという意味での労働の性格を具体的人間的労働という。
 一般的に生産のために使うことのできる社会全体の労働量は有限であり、これを適切に配分することにより、その社会に必要なものを生産することができる。どんな労働でも、ある特定の使用価値を生産したこととは別に、ある物の生産に社会全体の労働の中からある一定量の労働を費やしたという意味での社会的性格を持っている。資本主義以前の共同体を基礎とした社会では、どの生産部門に労働を配分するか(具体的有用労働としての社会的機能)だけでなく、、そこにどれだけの労働を配分するか(抽象的有用労働としての社会的性格)も共同体の伝統や習慣などで決められていた。これに対しして、資本主義社会では、どの生産部門であれ、共同体の秩序によって労働を配分することはできないので、経済的利益を通じて、すなわち商品交換から得られる利益を通じて労働を動員するすることになる。ここでは、具体的有用労働としての社会的性格は商品の価値すなわち、その商品が売れるかどうかにおいて、抽出人間的労働としての労働労働の社会的性格は商品の価値つまりその商品が投入した労働に見合う交換力を持っているかにおいて、示される。したがって、価値は抽象的人間的労働の対象化ということができる。その事情を人々は知らない。しかし社会的諸条件に強制されて、そのようなことを行っている。
 私的労働に基づく社会的分業では、労働生産物の価値を通じてはじめて互いに関係を取り結べるのだから、労働は抽象的人間的労働としてのみ互いに関係し合うことができるのであり、具体的労働としては互いに関連し合うことはできない。あくまでも価値の力を借りて行われる商品交換の結果として社会的分業が成立し、そのことによって事後的に具体的労働の社会的性格が確証されるにすぎない。だから、価値が重要な意味を持つ資本主義社会では、抽象的人間的労働が価値に対象化されることによって、具体的有用労働から切り離され、独自の重要な意味を獲得することになる。つまり、価値生産としての労働に関心が向けられるようになり、どんな内容の労働をしているかは主要な関心事ではなくなっていくのである。
 これまでは、価値の質にツイして述べてきたが、他方で量の面について述べる。価値とは質から見れば、私的労働の生産物がもつ交換力であり、その力は労働の抽象的人間的労働としての社会的性格が対象化されたものにほかならなかった。したがって、価値の量は、抽象的人間的労働の量によって規定される。そしてもこの抽象的人間的労働の量は労働時間によって測られる。しかし、諸品の価値量は、その商品に直接に費やされた労働時間によって決められるのではない。ここで価値に対象化されているのは、個々の具体的労働ではなく、人間労働力の一般的支出としての抽象的人間的労働だからである。そこでは、ある一定時間に行われる労働の強度というが、この労働の強度や生産力が一般的であること、すなわち社会的平均であることが前提されている。つまり、価値の大きさは個別の具体的労働の労働時間ではなく、その商品の生産に社会的・一般的に必要とされる労働時間によって測られる。だから、商品の価値量はその商品の生産に社会的に必要とされる労働時間、すなわち社会的必要労働時間によって規定される。
 私的生産者たちは、このことを自覚していない。彼らが関心を持つのは、市場で絶えず揺れ動く交換価値であり、それが彼らの想定する値打ちと比べて高いか安いかということだけだ。彼らにとって重要なのは自分の利益になるように交換するということ、すなわち、できるだけ安く買い、高く売るということである。しかし、私的生産者たちは、この私的利益を目的として交換を通じて、生産物に社会的必要労働時間に対応する価値を与えていることになる。というのも、私的生産者たちが何を生産するのかを決める際には、それがどれだけ有利に交換されるかが問題になるが、その有利さの基準は、自分が投入した抽象的人間的労働の量、すなわち労働時間に他ならないからである。だから、一定の期間をとれば、生産物の交換比率はこの価値の大きさに規制されたものにならざるを得ない。さらに、それは社会的総労働の適切な配分も可能にする。生産者たちが自分の生産物を社会的必要労働時間に対応する価値の大きさを持つものとして通用させるためには、社会全体の欲求に対応する生産物を生産しなければならないからだ。例えば、彼がすでに需要が満たされたものを供給しても、その労働生産物は利益をえることができないだろう。

2025年4月12日 (土)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(3)~第1章 労働するとはどういうことか

 我々は、労働を自明なものとして見ている。しかし、現代の我々の言う労働とは、賃労働であり特殊な形態の労働である。これに対して、これから考えていくのは、あらゆる特殊な労働に共通する労働の特徴、すなわち労働一般についてである。労働一般などというものは抽象的で、現実には存在しない。しかし、この労働一般があって、それとの対比で賃労働の特殊性が理解できる。賃労働という特殊な形態が、いかに労働のあり方を変質させてしまったかを理解できる。
 マルクスが労働について考える際に前提となっているのか、人間は自然の一部であるという゜認識だ。人間は有機体の一種であり、他の有機体と同じように、自然とやり取りすることによってしか生きられない。例えば呼吸は空気から酸素を取り入れ、二酸化炭素を排出する。食物や水は周囲の環境から摂取し、尿や便として排出する。このような関係を人間と自然との物質代謝とマルクスは呼んだ。だが人間の自然とのやり取りは、それだけではない。食べるために食糧を栽培したり、身体保護のために衣服を作ったりといったことは、自然に対して働きかけ、それを変形し、利用する。このように自然を変容させる。これを物質代謝の媒介と呼ぶ。これは動物もある程度行うが、人間が行う場合は、意識的に行うという決定的な違いがある。動物は本能的に行っているにすぎない。人間は家を建てる場合、家を建てるという意志を持ち、自覚的にこの過程を遂行する。家を実際に建て始める前に、家についてのイメージを抱き、そのイメージを意識的に実現しようとする。しかも、最初に意識性を発揮するだけでなく、目的を達成するまでのあいだ意識を働かせる。そのような意識的行為の結果として、はじめて家が建つのである。つまり、人間が労働する際には、まず構想をたて、その構想に基づいて行為し、最終的に実現する。だから、人間による自然の物質代謝の媒介は意識的行為である。このような、人間に固有な、自然との物質代謝の意識的媒介のことを、マルクスは労働と呼んだ。
 労働が現実に行われるためには労働対象と労働手段という二つの要素が必要である。労働が行われ、当初の目的が実現されると、生産物が出来上がる。労働対象と労働手段はともに生産物を作るための手段でもあるので、二つを合わせて生産手段と呼ぶ。
 労働は人間の意識的行為であることから、次のような特徴を持つことになる。第一に、労働は自由な行為であり、普遍的性格を持つ。動物の自然に対する振る舞いは本能に基づくので、基本的に変化することはない。これに対して、人間は意識的におこなうため、そのやり方を多様に変化させることができる。人間は、その意識性ゆえに、動物のように固定的にではなく、自由に自然に関わることができる。だから、人間は、ある一定の特殊なやり方にとどまることなく、普遍的に自然に関わることができる。人間は、労働を通じて物質代謝そのもののあり方を変えることができるし、自然の力を利用しながら、その媒介の仕方も変化させていく。だからこそ、人間は労働することに生きがいを感じ、労働によって自己実現することができるのだ。ただし、ここで言われているのは、あくまでも労働一般についてであることに注意する必要がある。労働が自由な行為であるということは、不自由になる可能性があるということでもある。
 第二に、労働はある一定の特殊な生産関係を形成する。人間は、他の人々や物に対する一定のかかわりを通じて、一定の関係を形成している。その中でも人間と人間とのかかわりを通じて形成する関係を社会関係という。社会関係は、人間たち相互の関わり合いの仕方によって、様々に変化する。人間が労働を行う際にも、社会関係が結ばれる。労働は常に他人との関わりの中で行われる。この場合の社会関係を生産関係という。労働はただ様々なやり方で様々な生産物を生み出すというだけではない。労働は、それが行われるときの他人との関わり方の違いによって、異なる生産関係を形成する。

2025年4月11日 (金)

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(2)~序章 マルクスの方法

 マルクスは、もともとヘーゲル哲学を学んでいたが、哲学というものを批判している。というのも、彼の問題意識は世界の変革にあったからだ。彼は、人々が貧困に苦しみ、自身の力を自由に発揮する可能性を奪われているような社会を変革することを目指していた。彼にとっても哲学は世界を解釈するツールにすぎず、変革のために使えるものではなかった。当時の、青年ヘーゲル派のフォイエルバッハは、宗教は人間が創り上げた者であり、人間が自身の作った宗教に支配されているのはおかしいと問題提起したが、フォイエルバッハはそこで人々が覚醒すれば問題が解決すると考えていた。マルクスは、このような啓蒙だけでは変革は覚束ないと考えた。というのも、それ自体の力によって人々を支配し、従属させている宗教イデオロギーは、実際には現実的諸問題に支えられることによって、はじめて現実的な力を持つことができる。つまり、イデオロギーの支配力は現実的諸関係から生まれてきたものであり、この現実的諸関係を変革することなしには変革は望めない。(これは、まさに『ドイツ・イデオロギー』の「フォイエルバッハ」の趣旨)主教には、それを多くの人々がそうせざるをえない現実の社会関係がある。人々が宗教を必要とせざるを得ない現実の社会関係を変革しない限り宗教の支配がなくなることはない。哲学はイデオロギーが現実的諸関係から独立して、それ自身が力を持っていると考え、このイデオロギーそのものを異なる解釈によって批判し、人々を啓蒙することで世界を変えることができるという姿勢だった。それをマルクスは批判し、イデオロギーを生み出さずにはいられない現実的諸関係を批判的に分析し、現実的諸関係そのもののなかに変革の契機を見出そうとした。そのために、彼は現実の世界が「なぜ、いかにして」このようにあるのかを問うのだった。彼は、現実の世界が「なに」であるのかという哲学の問いではなく、「なぜ、いかにして」世界が存在しているのかの方が重要なのだと無考えた。このような理論的方法を唯物論的方法と呼んでいる。
 マルクスが、近代社会を規定している資本主義的生産様式対象とする場合、経済学批判の形をとらざるをえなかった。資本の運動を分析して変革の可能性と条件を示すためには、既存の経済学が自明のものと考えて疑わなかった経済学的カテゴリーを歴史的形成物として捉える必要があったからだ。たとえば、アダム・スミスは市場というメカニズムがどうして成り立ちうるかを需要と供給の関係から説明した。いわゆる「神の見えざる手」である。スミスは、それは人間の本性から必然的に生まれてくるものであると考えた。封建的な支配や伝統的な規制がなければ、人間は自由に行動することができ、その本性に従い市場が成立するというのだ。マルクスは、これに対して痛烈な批判を加えた。市場というのは、ある一定の歴史的な条件のもとで成立するものにすぎない。それゆえ、市場が社会の全体を覆い尽くした資本主義というシステムも歴史的形成物にすぎないとかが得た。そう考えると、商品や貨幣、資本等といった経済学的なアプローチは人間の本性から自然に生まれたものではなく、特定の条件のもとでの特殊な関係から生まれてきたものにすぎない。そうだとすれば、それを「なに」であるかを問う既存の経済学ではなく、「なぜ、いかにして」それが成立しているかを考えることにより、どんな条件のもとに資本主義が成立しているかが明らかになり、同時に変革の条件も見えてくる。それによって資本主義を成り立たせている関係をどのような関係に変えていけばいいかが分かってくるのである。
 アダム・スミスやリカードらの古典派経済学は、商品価値がそれを生産するための労働量によって決まるという労働価値説を提起した。マルクスは、これだけでは価値について理解したことにはならないという。価値を理解するためには、なぜ、いかにして労働が価値という形態をとって表わされるのか、いいかえれば、労働生産物が商品として売買され、その交換比率が労働量によってきまるという関係が、いかにして成立するかが明らかにされなければならない。この点こがマルクスの経済学批判を理解するための重要な鍵となる。というのも、この問いの立て方によって、価値や資本等の経済学的カテゴリーを自明とするのではなく、それを特殊な条件下で生まれた歴史的形成物として把握する道が開かれるからである。
 そのために、『資本論』なおいてマルクスは利潤、利子、地代などといった経済学的カテゴリーの根拠となるようなもっとも無基本的な経済学的カテゴリーである商品の説明から出発し、順に叙述を展開し、最後に現象形態である利潤、利子、地代などの説明に行き着いた。このとき、注意しなければならないことは、第一に、この場合の商品や貨幣、利子などは資本主義おける商品や貨幣、利子であるということである。これらのものは、資本主義以外のシステム下でも存在していたが、それは、ここで論じられているものとは違う。第二に、このような説明の方法では、現実と矛盾するような想定が必要になるという点だ。第三に、「関わり」の理論である。人間が他の人間や自然とどのような様態で関わっているかを考察することにより、歴史的に特殊な関係が「なぜ、いかにして」成立するか理解できるというものだ。例えばAが王でありBが臣下であるという場合、Aが王であるということはBがAについて主と認めて従っている、つまり、BがAを主とするように関わっているからである。もし、BがAを主と認めなければ、王と臣下という関係は成立しない。このようにBのAに対する特定の様態での関わり方が、Aに王という特定の性質を与え、AとBのあいだに特定の関係を作り上げているからである。この経験というのは、漠然と存在しているのではなく、一方が他方に対してなにかの性質を与えるように関わることによって成立している。

佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」

11112_20250411001701  本書はマルクス『資本論』の入門書として書かれたものだが、とくに、我々にとって身近な生活のために自発的に雇われて働くという賃労働のあり方に焦点を当てるとしいう視点で説明をおこなっているのが特徴的である。そもそも賃労働は当たり前ではない。その近代という特異な社会を描きだそうとしたのが『資本論』なのだという。近代を特異というためには、それ以外の時代と比べて、大きく変わっている。近代を変わってしまったむという観点から捉えると、それは批判的な見方となる。それが経済学批判という『資本論』のあり方である。そもそも、近代以前社会は、人々は共同体で暮らしていた。それが近代になると、個人が共同体から切り離されてバラバラになった。その個人個人を社会として結び付けたのがお金である。例えば、売買でものの所有が正当化されるし、人々は賃金を稼いで生活する。そのために会社に雇用される。言い方を換えると、お金という物によって人が支配されるようになってしまった。これを物象化、あるいは視点を変えると疎外ということになる。マルクスは、それを特殊、あるいは特異な状態で、普遍ではないという。そこで、どうしたらいいか。もともと、『資本論』はそういう問題意識で書かれたものだという。
 そう言われると、いわゆるマルクス主義とは違い、興味がわくのではないか。たしかに、近代以前のヨーロッパを分かっていて、その前提でマルクスを近代批判として読むというのは、今までなかった視点かもしれないと思う。

 

2025年4月 9日 (水)

ヒルマ・アフ・クリント展(5)~4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅

 クリントの代表作は「神殿のための絵画」でしょう。これは本人も意識していたのではないか。このシリーズをすっと見ていると、段々と肩の力が入ってきたのが分かるよう気がします。シリーズが進むにつれて、最初のころの伸びやかさが減っていって、どこか力が入り過ぎて硬直するような感じがしてきたのでした。それがここにきて、「神殿のための絵画」をやりきったということからでしょうか、ふっと肩の力が抜けたような気がします。それは、「知恵の樹」や「祭壇画」のような複雑なものからシンプルになったことからもうかがうことができると思います。私自身、これまでの展示を見ていて、自然と気合が入って、ここに来たときは疲れてしまっていました。
KlintparsifalKlintparsifal2 「パルジファル・シーズ」(1916年)(左側)は水彩画で、サイズは「神殿のための絵画」に比べて小さくなりました。パルジファルはクラシック音楽好きならワーグナーのオペラの主人公を想い出すでしょう。聖杯伝説、というと現代ならファンタジーの世界ですが、このシリーズの作品はシンプルで象徴的な形象は、というか形象はほとんどありません。ヒーローが知識の探求を意識のさまざまなレベルを旅することとして描いているということです。ファンタジーなのです。実際の作品は、赤、青、黄、緑、紫などの単色の正方形が画面の真ん中にひとつだけで、その色塗られた正方形の内部では濃淡を微妙に変化させていく。その他、正方形の傍らに十字架のようなモチーフや文字がある。抽象絵画っぽいというと変ですが、象徴的な意味を探る要素がほとんどなく、まるでマレーヴィチのシュプレマティズムの「黒の正方形」(右側)を見ているような感じがします。一見、シンプルで小さな作品なんですが、正方形内の色の微妙な濃淡を見ていると、動き始めるようで、全然スケールは違うのですが、マーク・ロスコの雲形を見ているようで、その濃淡に惹き込まれてしまって時間を忘れそうになるのでした。
Klintatom Benmond  「原子シリーズ」(1917年)(右側)です。クリントの以前の作品は多くの記号、形、色に満ちており、それぞれが固有の意味を持っていましたが、「パルジファル」と同じように「原子」シリーズも水彩画で、こちらは幾何学図形を彩色して、その濃淡だったり各色の関係で画面をつくるというモンドリアンのコンポジション(左側)を想い起こさせるものとなっています。とはいっても、「アトム」つまり、原子は物を構成する目に見えない粒子で、そのことが神秘思想に通じるということでしょうか。例えば「№10」は、水彩、グラファイト、メタリック ペイントで紙に描かれた抽象的な幾何学模様の絵で、右下隅に緑色の輪郭線が描かれた大きな正方形があり、その内側は4つの正方形で構成されています。そのうち右上と左下の正方形は青く塗られ、左上と右下の正方形はさらに内側に4つの正方形が段階的に収まり茶色が濃さを分けて段階的に塗られています。さらに、この二つの正方形には緑色の線の円が外接しています。画面の左上の隅には、同じような正方形が半分程度の大きさであります。これはクリントの描く原子の形ということで、学物質の形を「立方体」と呼ばれる平面的に表現したものといえます。
 この後の展示は細長い廊下のようなところに水彩画の淡く描かれたものやスケッチのようなものが並んでいました。それぞれに、見ごたえがあるものなのでしょうが、私の方が、ここまで見てきて疲れてしまいました。
全体にボリュームたっぷりな展示でした。

 

2025年4月 8日 (火)

ヒルマ・アフ・クリント展(4)~3章 「神殿のための絵画」

 1904年、クリントは5人の交霊会で、絵を描くようにと告げられます。この啓示によって生み出されたのが、全193点からなる「神殿のための絵画」だったということです。ここが、展示の核心部だろうと思います。クリントの40歳代から50歳代にかけての、ちょうど壮年期にあたる画家として成熟を迎え、しかしパワフルである時期に描かれたものです。5人のノートでドローイングされていたものを、絵画作品として人々に見せることができるものに、まとめあげた
「原初の混沌、WU/薔薇シリーズ」(19046~1907年)
Klintkaos5  このシリーズでは顕著ですが、基調となる色は黄と青そしてその二色が混ざるところに現われる緑で、クリント自身が象徴的な意味を付している。青は女性、黄は男性を象徴し、その対立が統合される緑色というわけです。男と女、あるいは善と悪のような二元性によって引き裂かれた両者を結びつけ、世界の始まりにあった単一性を再現する、という神智学の教えが黄と青は「神殿のための絵画」全体でも多用されています。なお、色調は、これまで数少ないながら見てきたクリントの油彩作品に比べて、一気に明るくなりました。
Klintkaos13  「№3」は左下から噴出するような青の上に飛び出したヒトデがアメーバのように見えてきます。「№5」はWUの文字と巻貝(解説ではオウムガイで、それは生きた化石で過去と現在を結びつける存在のメタファーであると説明されていました)が描かれています。これらは、明確な輪郭で、そのものと分かるように描かれています。巻貝は、この後のもっと抽象的な作品にも出てきますが、クリントの抽象画は物事の形態の本質的なものを抽出して表わすという、抽象という語の意味に適うようなものではないと、私には思われます。神憑りみたいな不可思議なイメージを啓示をうけるたかのようにして、それをドローイングとして残し、それを西洋絵画の文法に当てはめて絵画作品として成り立たせる。それは、いわば赤ん坊にクレヨンと画用紙を与えて、遊びながらお絵かきをしたようなものを、絵画として整えたようなものではないかと思います。クリントは教育を受けた、主体性をもった大人ですから、無垢な赤ん坊のようにはなれない。そこで、交霊という神憑りで、自分ではない自分という仮の自分をつくってその仮の自分が無垢なお絵かきをする。その結果が、このような作品として現われる。だから、この作品で描かれている巻貝は、現実の巻貝を描いたものではなく、啓示として受けたイメージで、それは具象でKlintkaos9 も抽象でもないとでも言いましょうか。「№16」は、電磁波やエネルギーの伝播を視覚化したと解説されていますが、渦巻き、らせん状に回旋しながら伸長、成長していく様子、というより、線が楽しげに回転しているように見えます。しかも、青が鮮明な印象を与えます。五人によるドローイングにも頻出しているパターンです。10年におよぶ交霊の経験によって、クリントはこのような絵を、無意識に描くことが可能になっていた、と解釈することも可能かもしれないと思います。面白いのは「№9」で、タロットカードやインドの古代宗教の壁画のような象徴的な図像を想わせる。緑の殻から顔を出した2匹のカタツムリが触覚を交わらせ、その上にバラの花が咲いて、“主に仕えるヴェスタルとアスケット”と書き込まれている。ヴェスタルは純潔を意味し、アスケットは禁欲を意味すると解説されていました。
「エロス・シリーズ、WU/薔薇シリーズ」(1907年)
Klinteros  「原初の混沌」が青のようなくっきりとした色を基調にしていたのから、このシリーズではパステルカラーのピンクが主体で、印象がガラッと変わります。「原初の混沌」では波動し回転しながら発散あるいは放射される場を断ち切られた曲線は、このシリーズでは両端が結ばれ閉じた形態を作って、それが捻じられてハートや花の形になって、それらはピンクに塗られ背景は白、あるいは白で塗られ背景はピンクというように、形態が浮かび上がり、そこに波紋や文字が書かれている。全体にパステルカラーの淡い印象で、少女趣味といっては言いすぎでしょうか、かわいい雰囲気があります。こういう感じは、カンディンスキーやクレーでは絶対に無理です。タイトル名の「エロス」については、“エロスは、あらゆる色の融合であり、とりわけ愛の理解を告げるもの”というクリントの言葉が解説されていました。
「大型の人物像絵画、WU/薔薇シリーズ」(1907年)
Klintperson5  ここでまた雰囲気が変わります。ここまで3つのシリーズが1年から1年半の期間で、これほど雰囲気の異なるシリーズを短期間のうちに、それぞれ10点前後も相次いで制作してしまうというのは、それまでの下準備が整っていてはじめてできることではないでしょうか。それが10年以上をかけて続けられた5人会の集まりと、ノートへのドローイングということになるでしょうか。ここでは、「エロス・シリーズ」で描かれていた形象が、例えばシンメトリックになるなど整理されて図表のようになり、それの上に図表に絡むように人物が描かれますが、そのポーズはシンボリックです。「№5」にはこれまでの全作品の鍵というサブ・タイトルが付けられているそうです。薄い青の背景の上に大きな円があり、その内部の真ん中あたりに左右対称に青と黄色の小さな円が配置され、両者は重なり合い、流動しています。それぞれの円の内部に白字でHの字が書かれています。このHは画面の中央に白い十字架に左右から挟まれるように書かれています。このHは高次の霊的存在の意味があると解説されていました。左右対称の二つの円は大きな円の中Klintperson6 にいくつも重なるように描かれていて、それぞれに青と黄の波紋状に線が引かれています。前にも出てきましたが、青は男性性、黄は女性性のメタファーです。解説では、神智学のルドルフ・シュタイナーの理論がそこに表現されていると説明していますが、それも言えるとも思いますが、スマートな図像とすることでセンスのいいお洒落にも通じるような感覚を感じます。「№6」にも、十字架と左右対称の円が描かれていますが、中央で抱き合う男女は天野喜孝の描くファンタジックな人物像を想わせます。そういう存在感のない虚構的な人物像は、幾何学的な図像と意外とマッチしていて、ファンタジーを作り出している、と思います。それが、私には興味深い。
「10の最大物」(1907年)
Klintlargest  この展覧会の中核の展示だろうと思います。暗がりの広い展示室の中央に大判の作品を4面に展示した四角形の柱に照明があてられ、そのまわりを廻るように作品を見ていくという、凝った展示になっていました。まるで、チベット仏教の寺院でお経のまわりを廻るようなものといってもいいでしょうか。その大きさもありますが、圧倒的です。展示室の四方の壁にはベンチが作りつけになっていますが、思わず距離をおいて作品を眺めていると、いつのまにか知らずにベンチに腰を降ろして、しばらくぼーっとして作品に目を向けている。そんな鑑賞の仕方をしたのは、以前にマーク・ロスコの巨大な作品に接した時以来です。
 「10の最大物」というシリーズ名のとおり全10点で、幼年期2点(基調色は群青色)、青年期2点(基調色はオレンジ色)、成年期4点(基調色はピンク色)そして老年期2点(基調色は薄桃色)と、整然と区分された構成となっています。
Klintlargest1 Klintlargest2  まず、幼年期では、「№1」は濃い青、つまり群青色を背景にして白い花びらが輪になり、近くにはピンク色のバラが8つ咲いています。画面の下方には黄と青の二つの円がシンメトリーに描かれています。これは、前のところにもありました男性性と女性性のメタファーです。さらにユリの花は女性性、バラの花は男性性のメタファーです。そして、絵の中央には、二つの小麦粒または卵の形をした円があります。そして、レンジ色の文字列が糸のように、あるいは一筆書きのように描かれていて、その文字「a」と「v」は、ウェスタルと禁欲主義という言葉を表しているということです。ウェスタルの処女は古代ローマの女神ウェスタの巫女で、聖なる火を守ることがその使命としていて、一方、禁欲主義者は、悟りを得るために肉体的な欲望から解放されようとする人々だということです。この作品では、禁欲主義は黄色と男性原理に結び付けられ、ウェスタルの処女は青色と女性原理に結び付けられています。この男性性と女性性の二重性は「原初の混沌」のところと重なります。おそらく、人の人生における幼児期は、世界における原初の混沌に重なるのでしょう。「№2」は、背景が明るい空色になり、花の成長あるいは変形のような様子が繊細な線で表されていて、オレンジと青の大きな円が「№1」と同様の象徴的な機能を持っています。これらの絵画では、多くの個別の形が対になって描かれています。これらの対は男性性と女性性に象徴されるものでもあり、対立するものではなく、全体として形成されるものとして捉えられる、男と女、あるいは善と悪のような二元性によって引き裂かれた両者を結びつけ、世界の始まりにあった単一性を再現する「原初の混沌」のシリーズで説明されていたものでした。
Klintlargest3 Klintlargest4  2番目の青年期では、背景が一転して明るいオレンジ色になります。「№3」では、画面に複数の螺旋や巻貝が現われます。これらは、「原初の混沌」シリーズでは、電磁波やエネルギーの伝播を視覚化したと解説されていますが、渦巻き、らせん状に回旋しながら伸長、成長していく様子を表わしていましたが、ここにも、それが反映していると考えられます。それは、青年期の豊かなエネルギーや動きをシンボライズしていると思われます。次の「№4」では、螺旋の両端が結ばれ閉じた形態を作って、それが捻じられてハートや花の形になって融合した状態を表わしている。これは、「原初の混沌」に次ぐ「エロス・シリーズ」に重なると思います。何かの始まりを象徴する卵形を特徴としていて、それが花弁の形を構成したり、有機的な植物や植生に関連する多くの形が見られます。
Klintlargest5 Klintlargest6 Klintlargest7  3番目の成人期は他の時期とは違って4点と作品が多くなっています。それまでとは画面の様子が大きく変わります。ピンクから薄紫の淡い色を背景にして、文字や記号が全面に展開され、点線と数字とともに「図式」を感じさせ、細部も複雑になっています。「№5」の画面の上部にあるピンクの花には5枚の花弁があり、これは5人の会のメンバーを指すとも、土、火、空気、水の 4つの要素と、5番目であるいわゆるクインテッセンスを象徴しているとも言われているそうです。クインテッセンスは、存在の最も本質的な部分が凝縮されたものとも言われ、錬金術では賢者の石と密接に関係しているといわれているそうです。「№6」には、さまざまな組み合わせの文字がたくさん書かれています。しかし、同じ文字または文字の組み合わせでも、文脈によって意味が変わることがあるため、常に機能する実際の暗号化キーは存在しません。文字「u」と「w」は、それぞれ精神と物質を表すことがよくあります。おそらく、これらの文字はマントラのように発音されることを意図しているのでしょう。音は動きであり、多くの伝統では、音の振動は、ヨガの瞑想で使用されるオーム音のように、変性意識状態への一種の入り口として使用されているそうです。「№7」は、中央に黄色い球根とも実とも見えるものがデーンと置かれ、濃い赤と緑が葉や花びら、あるいは実のような形態が薄紫を背景に相互に繋がりながら独立しています。文字、レタリング、図式的な線によって強調されています。カタツムリの殻の螺旋、細胞分裂や月の満ち欠けを思わせる形状、成長と豊穣の他のシンボルが至るところに現れています。
Klintlargest9 Klintlargest10  最後に老年期は薄桃色あるいはベージュを背景に、それまでの有機的で遊び心のある形から、シンメトリーな幾何学的形態の構成に大きく変わっています。「№9」は、上部にまるでコンパスを使用して作成された図のような花の形が 2つシンメトリーに並んでいます。外側の円はそれぞれ黄色と青で塗られています。黄と青の大きな円の再現で、すでに述べたようにクリントにとって青は女性、黄は男性の象徴です。また画像の下部には2つの渦巻きがあり、黄色と青色の円が重なり合っています。渦巻きの上には、おそらく小麦の粒、と思われる2つの種子の形が置かれています。これは「原初の混沌」シリーズにあった麦の粒の再現と思います。次に、交差する別の円のセットがあります。中央に現れるアーモンドの形は、vesica piscisと呼ばれるそうで、統一と完成への進歩の原始的なシンボルだそうです。そして、「№10」では、以前の絵画のシンボルの多くが、より控えめな形で再び登場しています。左右対称形の中央に、7×7のマス目が置かれ、ふたつの螺旋が左右対称に大きく画面を包み込むようにして、あたかもフィナーレあるいは人生の大団円の様相を湛えるが、画面下部にはゼンマイのツルの先に、微小な宇宙のようなものがぶら下がり、なにかの現れを予感させます。
 この「10の最大物」のシリーズは、これまでの作品にない体系性の大きな特徴だろうと思います。幼年期、青年期…というストーリーで全体をまとめているのもあるし、類似した形象をパーツのように各作品に共用して、違う作品と言う異なる文脈で使い分けて、微妙な意味合いを作り出しているところなどに表われています。例えば、「№1」の右上の8つのピンクのバラのような形象のひとつが「№2」の左上に大きくなってでてきます。「№4」の右下の小さな黒い羽根か髭のような形象は「№6」の中央に大きく場所を占めています。あるいは、「№1」の下の底にある黄と青の対の円は「№2では下半分を占めるはどの大きなものになり、二つの円が重なるようになっています。さらに「№5」では文字に形が変わります。これは、形象がひとつの作品の中だけでなく、作品を超えて大きくなったり小さくなったり、場所を移ったり、形を変えたりという動きがあるというわけです。この展示、ずっと眺めていたくなる、あるいは作品を前にして、ベンチに座ってぼんやりと時間を過ごすのもいい。
「進化、WUS/七芒星シリーズ」(1908年)
Klintevolution  「進化」のシリーズは、これまでに現われた形象が曼荼羅のようにシンメトリーに配置され、画面はシンボリックな構図に整理され、これまでの作品にあったらせん状に線が伸びるような動きがほとんど見られなくなったのが特徴と言えます。「№13」は、中央に大きな黒い蛇が描かれ、その頭は尾と重なり合って作品の中央上部に円を形作っています。蛇の口には青と黄色の2つの円がある。円の左側に黄色い人物がしゃがんで黒い部分にある楕円形かアーモンド形の2つの絡み合った形(以前の作品にもあった)に触れようと手を伸ばしています。その人物の上には、水色の背景に黄色の三日月が描かれ、黄色の螺旋が反時計回りに蛇の縁まで巻きついています。これが反転するように右側でも逆色で映し出されているのですが、黄色の螺旋とは異なり、時計回りに巻かれた青色の螺旋は、大蛇の縁に座るライオンに取り付けられています。円の内部は曼荼羅に似ており、花形、ハート形、アーモンド形、その他の幾何学的な形が4つの象限に分かれています。蛇・円が描かれています。一見したところ、対称的で鏡のような色彩から、二元的であることは明らかです。しかし、「原初の混沌」から見てきたクリントの作品では二元性が融合し一つになっていくことが併せて示されていましたそれは、左側の黄色い人物が両性具有で、黄色で彩色されており、おそらく男性の精神的属性を示しているが、一方で女性の感性を表す水色のフィールドに位置し、思考の力を表す男性の螺旋に取り付けられている。右手には、統一と完成に向けた発展への願望に対応する古代のシンボルであるヴェシカ・ピスキスに触れている。ヴェシカ・ピスキスもまた青と黄色で彩色されており、二元性の解釈と、これらの正反対の性質を統合するということが示されているということだそうです。
 中央部の黒蛇に過去負けた円形の内部については、白を基調として、淡いピンク色で「高潔な性質にのみ可能な、完全に無私の愛」を象徴させるということで、性別の色は、ハートを形成するように重なり合う上部のアーモンド形に表れています。また、黒は悪意と憎しみを表し、残忍な怒りや動物的な情熱は深紅色に表れているそうです。各色相が表す感情は、白とバラ色の対立する仲間として機能します。中央上部の赤いハートは心臓を表わし、二元性の葛藤を解決する場所であることを示唆している。三角形は「物理的な身体から光の霊体への進化的発展の象徴」と見ることができ、進化は左上象限で上向きの三角形として、退化は左下象限で下向きの三角形として描かれていると想定できる。これらはすべて、二元性を解決する唯一の方法は神智学的な進化のプロセスである可能性を主張しています。そして、下で円形を支えているように見える白い翼は、黒い背景に男性と女性の触手が付いています。翼は、「祝福する力と権利を持つ者によって送り出された、愛と平和、保護と祝福」の思考形態に似ています。翼は統一の真実の基盤であるだけでなく、翼が派生したと思われる思考形態は、保護と承認を提供します。二元性の問題は個々の絵画の中で自然に解決されるように見えるかもしれません。
 このように、作品について象徴的な解釈が幾重にも可能で、これは近代初期のイコロジーの対象となった象徴的な絵画に通じているように思えます。見た目がカンディンスキーなどの抽象画に似ているかもしれませんが、クリントの作品の本質はファンタジーにあるのではないかと思います。
「知恵の樹、Wシリーズ」(1913~1915年)
Klinttree  知恵の樹は旧約聖書『創世記』のアダムとイブが食べてエデンの園を追放された知恵の実をみのらせた樹のことだとか、あるいは北欧神話における宇宙樹ユグドラシルだとか。これは絶対ファンタジーです。このシリーズは水彩画で淡い色彩が描かれた物の存在感を薄くしています。ここで描かれているシンメトリーの図面のような作品は、ファンタジー小説の挿絵だと言われても、何の疑問も感じないでしょう。実際、19世紀のユグドラシル宇宙樹の図案を見ると、よく似ています。例えば、「№1」では、赤と紫の貝殻のような形で構成されたハート形が絵の焦点になっています。下の円形では4つの葉の形をした気根の中心にハート形があって、そこから青と黄色の糸がダイナミックな線の動きで視線を上へと導き、上部の樹冠の中では4層の子宮の形をしたセクションを形成しています。青と黄はそれぞれ女性と男性を表わしています。しかし、線は2羽の鳥を囲むときには性別を表す色を失います。2羽の鳥も、最下層では完全に切り離されていたのが、2番目の層で互いに近づき、最上層で1羽の鳥に融合します。女性的な鳥と男性的な鳥がひとつに融合しているのが樹冠の緑の部分、つまり青と黄色の組み合わせであり、それが今度は黄と青の混ぜた緑となっていることです。つまり黄色の地色、青い空、その間の緑の線を再利用し、緑の樹冠が抽象的な色彩の象徴性を帯びるようにしている。このようにして、木の目に見える部分は色彩の象徴性によって再現され、ひとつになる融合を表しているというわけです。なお、ユグドラシル宇宙樹の図が示しているのは、根と樹冠が複数の平行な平面の交差点を通過する幹として、クリントの「知恵の樹」と似ています。北欧神話では、これらの平行な平面は神々、人々、巨人が住む世界を表し、その中央部分には成長、創造、普遍性の象徴であるオークまたはモミの聖なる木が位置しています。この木の重要な機能は、予言された世界の終わりとも結びついており、神話によると、ユグドラシルの幹は開いて、人類の救済と新しい生命への誓いとして、最後の生き残りの男女を収容すると言われています。なんか、「知恵の樹」の作品解釈と似ているようです。
「白鳥、SUWシリーズ」(1914~1915年)
Klintswan1 Klintswan8 Klintswan18  ここで再び油絵になります。この「白鳥」シリーズは独特の視覚的リズムを持っています。多くの場合、水平線が画面上下に2分割し、光と闇、男性と女性、生と死など、反対の力が出会う場所となります。これらの極は、黒と白の白鳥として展開します。最後には円環構造になっている。「№1」では、白の背景に黒い白鳥、黒の背景に白い白鳥が上下に反転するように対称的に描かれています。クリントはメモの中で、白い白鳥の青い脚とくちばしは雌であることを示すサインであるのに対し、黒い白鳥の黄色い脚とくちばしは雄であることを示すサインであると記しているそうです)。この作品では、性別が決定された2羽の白鳥が、平等な種の代表として、対称的かつくつろいだ様子で描かれています。それが、両性の本質を内包する存在へと肉体的に進化した後、その身体を抽象化し始めます。それが「№8」です。画面上の2羽の白鳥の代わりに、立方体の集合がすべて円の中に配置されて表現されています。それが「№1」の白鳥の場合と同じバランスと対称性の関係にあるのです。白鳥の体の形は完全に排除されて、立方体、円、不規則な幾何学的形状になり、そのような形状の抽象化によって、男性と女性の極性の明確な境界線は見えなくなるわけです。そして、「№18」では、動物としての白鳥との類似点がすべて失われてしまいます。 平等と平和的共存から始まり、身体的特徴の闘争と絡み合いを経て、身体性の喪失と観念の領域への侵入に到達し、白鳥の図式化によって、性別の二重性を、明確な幾何学的形状で表現された両性具有のハイブリッドに変換してしまいました。このプロセスを通じて、動物としての身体的特徴を失うことで、白鳥は地上の物質、本能、性欲に結びついた肉体性を失います。肉体を失うことで肉体的衝動が失われ、白鳥は幾何学的シンボルや精神的な思想の世界に入り込み、融合することで限界や違いを克服するということでしょうか。
「祭壇画」(1915年)
Klinttemple  神殿のための絵画の最後のシリーズで、神殿の祭壇に飾られる絵画ということで、「10の最大物」ほどではないが、大きな作品です。展示も3つの作品を部屋の3面に壁画のように飾って、神殿の1室のようにしてありました。作品は色彩が鮮やかで、大きさだけでなく幾何学的形状の強烈さにも畏敬の念を抱かせるようなものです。祭壇画は、物質界から精神界へ、そしてその逆の相互関係の動きをダイナミックに並置しているのでしょうか。「№1」は、これらの概念が象徴的に描かれて、三角形、つまりピラミッドが、中心に金色の球体を持つ虹色で描かれた上昇するモチーフとしKlinttemple1 Klinttemple2 て描かれています。この三角形では、意図的に色の濃淡が段階づけられているように見えます。これは、今までの作品では見られなかったものです。だいたい、クリントの作品は、のっぺりしていて奥行とか陰影がなかったのですが、ここではじめてグラデーションが見られました。この三角形の頂点は、アフ・クリントの精神性における二元性の統一(男性の青と女性の黄色の融合)を表す緑色に囲まれた巨大な金色の球体を貫いています。緑色に塗られた領域は、紫色の輪で囲まれている。三角形と球体は、浸透性と受容性を通じてつながっており、双方向の流れで互いに影響し合っていることを示唆しています。「№2」対称的に、神聖な世界から物質的な世界に下降する反対方向が示されています。このように、クリントの作品は抽象的な円と三角形による構成という作品ではなくて、それぞれに象徴的な意味合いがあるものです。

 

2025年4月 7日 (月)

ヒルマ・アフ・クリント展(3)~2章 精神世界の追求

Klintfive  ここで、作品の傾向が一変します。1章で展示されていた作品とは連続性を見つけることができません。それほど変化は唐突です。私が今まで見てきた抽象絵画、例えば、カンディンスキーやモンドリアンのような人々の作品は最終的には何を描いているのか見ても分からないものになっているにしても、最初は何か具体的なものを描いていたのが、段々と対象の見て分かる形が崩れ始めて抽象的な画面になっていくというものでした。回顧展で、彼らの作品を年代順に見ていくと、具象的な画面から抽象的な画面に移り変わっていくプロセスが分かるのでした。しかし、この人の場合、1章と2章の展示の間に、そういう移り変わるプロセスは見えてこない。両者は全くの別物です。
 ここで展示されているのは、クリントを含む5人というグループが交霊会を行って、そこで霊的存在からメッセージを受け取り、それを記録したものだそうです。
 Klintfive1 ここでちょっと立ちどまって、作品を離れて考えてみます。解説にもありましたが、クリントの生きた19世紀後半の社会では、女性は家庭に属する存在であり、当時の美術界を仕切っていたのは圧倒的に男性だったそうです。そんな厳しい状況でクリントは画家になります。そこでは仲間が欲しくなるでしょう。学校で同性の美術を学ぶ友人を得ます。その縁で、スピリチュアルな世界への強い関心と瞑想や交霊術の実践のサークルに参加する。クリント自身にも志向があったそうですが、ストックホルムの上流社会でもスピリチュアルな世界への好奇心は非常に強く、交霊会への参加もそれほど特異なことではなかったということです。クリントは仲間と「5人」といグループを結成し、メンバーの家で定期的に瞑想と交霊の会を開き、絆を深めていったというわけです。そこで、トランス状態になりながら、霊からのメッセージを受け取ると、それを記録する。記録は文章ではなく、ドローイングで、それが、ここで展示されているものです。このドローイングは、いわば霊からのメッセージをそのまま、一種のトランス状態で自動筆記のような形で描かれたと言えるのではないかと思います。つまり、クリントが描いたかもしれませんが、自身が意識して描いたというのではなく、霊な憑依されて、自分ではない自分で描いた、といえるかもしれません。そういう突き抜けた状態で、それまでの人生とか、学んできた描くということから、いわば解放されて、描けたのではないか。
Klintfive2 Klintfive3  ここで展示されているドローイングは、作品として描かれたものではないでしょう。シンプルな線の運動や波線の連なりのような何を描いているのか意味の分からないものから、植物、細胞、天体などのモチーフをアトランダムに配置したものまで。これらは、後に制作される抽象的な作品の基となったと言えると思います。
 そこでまた、立ち止まって考えます。この5人のノートのドローイングは作品ではなく、公表して人々に見せるものではないでしょう。あくまでも、5人の仲間の内輪のためのものでしょう。そうだとすると、職業画家であるクリントはどのようなものを描いていたのでしょうか。それが、同じ並び展示されていた「ユリを手に座る女性」のような具象的な作品なのでしょう。おそらく、クリントは職業画家としては、このような作品をずっと描き続け、自身と仲間のためには抽象画のような作品を制作するという、いわば二重生活をしていたのではないか。だから、抽象的な作品は人々とか画家の世界とか社会といったことを考慮することなく、好きに描いていたのではないか。そんな気がしまKlintlily す。というのも、展示されているドローイングを見ていると、全体として、何やら楽しげな雰囲気が伝わってくるような気がするのです。敢えて言えば“あそび”の感覚とでも言ったらいいか。5人の会は、交霊や神秘主義の集まりなのでしょうが、今でいう女子会のような性格も強かったのでないでしょうか。5人の女性が集まって、お茶でも飲みながらお喋りに興じる。その中で、紙とペンで、ああでもないこうでもないと、線を引いたり、こんなのはどうだと、かわいいモチーフを描き加えたり、時にはむちゃくちゃな線を引いて、冗談のように笑い合ったり、結果として残されたのが、ここで展示されているドローイングです。だから、当時の美術の常識とか教育された美術とか外部のことなどを一切考えず。内輪の中だけて面白がって描いたものだったのではないかと思います。

 

2025年4月 6日 (日)

ヒルマ・アフ・クリント展(2)~1章 アカデミーの教育から、職業画家へ

 習作時代および初期の作品です。
Klintstudy  「人体研究、男性モデル」という1885年のスケッチで、アカデミーでの学習の記録のようなものですが、抽象画を描くような前衛の雰囲気は微塵も見られず、穏健というか正統的というか、真面目な優等生という印象です。ただ、例えば前に踏み出した右足のひざの付近で骨を描いていたり、左足の膝下では骨と筋肉を描いているところが面白いところです。
 Klintschechi アカデミーを優秀な成績で卒業すると、職業画家の道を歩み始め、そのころの肖像画や風景画が展示されていましたが、穏健というか、一般の人が絵画というと、こういうものだというものです。絵本の挿画もありました。でも、作品そのものとは別に、学校を卒業して間もない画家に注文があったということが、私には少し驚きでした。このポピーのスケッチは、その頃に描かれたもののようです。花と蔓のように伸びる茎を緻密に描いていて、かなり力が入っているように見えます。この後に、続々と出てくる、この人の抽象的な作品の中で、植物の蔓が伸びるイメージとか花が咲くイメージは大きな要素としてよく出てくるので、この頃から、本人には自覚がなくても、自然と気持ちが入っていたのかもしれません。

 

2025年4月 5日 (土)

ヒルマ・アフ・クリント展(1)

2025年3月6日(木)東京国立近代美術館
Klintpos  勤め先での有休消化のために、月が押し詰らないうちに、ということで、今日はお休み。先日、土曜日にビアズリー展に行って、あまりの混雑に気分が悪くなったのに懲りて、平日の今日、休みが取れたこともあって、出かけることにした。一昨日始まったばかりの展覧会ということもあり、会場は、それほど混み合っていることはなく、他の人のことを気にすることもなく、じっくりと作品を愉しむことができた。平日の昼ごろということもあってのことか。展示作品の撮影は可能のようだったが、パシャパシャというシャッター音は、あまり聞こえてこなくて、静かに作品を鑑賞する人がほとんどだった。高校生や外国人の姿が目立った。展示の方法については、大作の展示は、室内を暗くして、スポットライトを当てる壁画のように見せたり、ブック形式の作品はビデオ映像で各ページ見せたり、また、出品リストを4か国語で用意したり、そのリストについても作品シリーズについて簡単な説明をつけていたりなどと工夫が凝らされていました。
 ヒルマ・アフ・クリントという人について、私は何も知らないので、紹介もかねて主催者あいさつを引用します。“ヒルマ・アフ・クリント(1862~1944)は20世紀初頭、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンといった同時代のアーティストに先駆けて抽象絵画を創案した画家として、近年、再評価の機運が高まっています。19世紀後半のスウェーデンに生まれ、王立芸術アカデミーで正統的な美術教育を受けた彼女は、肖像画や風景画で評価を得て、画家としてのキャリアをスタートさせました。一方で神秘主義などの秘教思想やスピリチュアズムへ傾倒し、交霊会の実践などを通して、アカデミックな絵画とはまったく異なる抽象表現を生み出していきます。彼女が抽象表現によって探求した「眼に見えない実存」とは、霊的世界のみに関わる問題ではなく、同時代に展開された様々な科学的発見・発明と共通する関心事であったことを忘れてはならないでしょう。最終的に自身が構想した神殿を飾るものとして制作された全193点の作品から成る「神殿のための絵画」の存在こそ、精神的世界と科学的世界、双方への関心を絵画として具現化したとして、アフ・クリントが今日、モダン・アートにおける最重要作家の一人として位置づけられる所以です。彼女が残した1,000点を超える作品群は長らく限られた人々に知られるのみでしたが、潮目が変わったのは21世紀に入ってからでした、2013年にストックホルム近代美術館から始まったヨーロッパ巡回展以後、その注目は世界的なものとなり、今回、アジア初の回顧展を開催する運びとなりました。彼女のキャリアにおける最大の達成といえる「10の最大物」(1907年)をはじめ、残されたスケッチやノートなどの資料、同時代の秘教思想・自然科学・社会思想・女性運動といった多様な制作の源の紹介を交えて、その創作活動の全容をご覧いただきます。”

 

2025年4月 4日 (金)

キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(8)~結論 信頼に値すること(信頼性)の重要性

 信頼することは、それが信頼に値することと合致したりそれを生じさせたりのであればただしいことだが、信頼に値しないものを信頼することは、裏切り、失望、搾取の元となる。また、本来は信頼に値しない相手ではないとしても、その利害やコミットメントを誤解すると、信頼が誤って働くこともある。
 一般的には、わたしたちがコミットメントを果たすという実践、つまり、引き受けたことについて熟考するだけではなく、それを確実にやり遂げることは、本質的な価値を持つ信頼性の一種である。同じことは発言したことへの責任をもって生き、話題について熟考し、誠実であり、自分自身を実際以上に知識豊富であるかのように見せかけないことにもあてはまる。この種の信頼性はとくに自分にも他人にもそのコミットメントが価値あるものである場合、実践的価値を持つ。信頼は、信頼される側が信頼に値することを直接示すことができない状況においてもっとも吸地あり、最も危険なものとなり得る。わたしが自分の誠実さを直接証明できるのは、わたしの証言を裏づける独立した情報源を相手が持つ場合だけだ。だから、われわれは互いの信頼性を部分的には実績で判断する。例えば、人が一見して信頼に値する行動をとり、誠実に話し、約束を守るのを見るとき、わたしたちは染ま人々が基本的に信頼に値する人々であると結論付ける可能性が高い。コミットメントを引受けること、そしてそれをはたすことには、大きな個人的擬制を伴う。
 信頼に値することの重要性は、人生の多くの段階で中心的な役割を果たしている。つまり、万人に対する公平性と機会を配慮するのであれば、すべての人が信頼性を育み、示す機会を確保することに配慮すべきである。

2025年4月 3日 (木)

キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(7)~第8章 制度・陰謀・国家

 人間同士の豊かな信頼関係はわたしたちの生活の中心にあり、友人や家族との関係を支えている。同様に、信頼性の価値もまた、このような関係を構築して維持する際の指針となる。信頼や依存や強力のより緩やかな絆もまた、知人や見ず知らずの人との日常的な関わりには不可欠なものである。しかし、制度や公人、社会集団全体にむけられる信頼についてはどうだろうか。
 人は、一般には、医師よりも政治家を信頼しない。誠実さは、道徳的に重要な意味を持つ個人の性格的特徴であるはずが、個人ではなく、社会集団によって包括的な判断をしてしまうことがある。あたかも、人の性格は職業によって決まってしまうかのようだ。職業を同じくする人たちは、少なくとも職業生活において、似たような制度構造の中で、そしてしばしば似たような動機とインセンティブで、似たようなリスク、機会、期待にさらされながら働いている。医師が誠実であることを期待するのは、患者や同僚にとって嘘をつくことで得られるものは少ないし、失うものが大きいと考えられているからだ。一方、医師でも私生活においては、われわれと同じだ。われわれが、特定の専門家の誠実さを信頼するのは、専門家を取り巻く制度的構造、動機、リスクに対する我々の無新様に基づいている。この信頼の対象は、その専門の職務を遂行する個々のメンバーに対する信頼である。
 このような信頼を、個人を超えた組織や集団に対して持つことができるのか。人間同士の豊ら信頼はコミットメントに基づいている。組織や集団がコミットメントや約束を果たすことはできるか。例えば、企業は法的な契約を結び、それを遵守する。国家は条約を締結し、それを遵守する。この場合の信頼には、誠実さと能力の両方が含まれている。わたしたちは組織がコミットメントに従い、義務を遂行することを信頼する時、組織がそのために誠実に努力することと、成功する能力を持つことの両方を信頼している。
 組織や集団の中には、十分な構造と共有された目的を持つものがある。われわれはそのような組織をコミットメント、意図、能力をそなえた準人格的なもので、場合によっては、信頼したり不信感を持ったりすることもできるものと容易に見なすことができる。

2025年4月 2日 (水)

キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(6)~第6章 知識と専門知

 相手が正直であり、善良な意図を持っているだけでは、信頼するには十分ではない。信頼する場合、相手に能力を求めるからである。よい業者をどうやって見つけるかについて友人が話したことを信頼する際に、わたしは彼が正直であると信頼してもいる。同時に、彼が話したことを彼自身が知っていると信頼してもいるはずである。知識に関わる信頼の側面は、誠実さに関わる側面よりも道徳的に扱われることが少ない。
 知識に関わる信頼というと医師のような専門職の専門的知識への信頼ということが、考えられるだろう。この場合、医師が信頼できるのは医療という行為に限ったことであり、それは、私が、その医師に診察してもらうことによる。信頼に値することは、コミットメントを果たすことに関わるのであり、そのためには善良な意図と能力の両方が必要である。信頼に値することには、すでに引き受けたコミットメントを果たそうと試みるだけでなく、自分が果たせないコミットメントを避けようと試みることも含まれる。それゆえ、信頼に値するのは自己を、自己の限界を知っていることも必要だ。ただし、自己を知ることは容易ではない。また、他方で、その人が知識を持っているのかを、他の人が判定するのもまた容易ではない。医師が私の診断ということに限れば、それほど難しくはないが、社会的な医療、例えばワクチンの是非といったことなどについて、多様な利害が絡み、意見によって事実の捉え方も変わってくるようなケースでは、その人の知識は信頼すべきかどうかの判断は難しい。そのためには、私たちが判断できるための知識を教育されるしかない。

2025年4月 1日 (火)

キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(5)~第5章 誠実と不誠実化

 誰かの言葉を信頼するということには、誠実さへの期待と知識への期待という二つの側面がある。また、誰かの行動に信頼を寄せるという点にも、善意に対する期待とスキルや能力に対する期待という二つの側面がある。反対に、不信も同じような形で現われる。この二つの側面は様々な方法で判断され、評価される。
 その誠実さを否定するものとして嘘について分析している。信頼性を構築する一つの仕方として考えられるのは、その人を信頼することである。嘘をつくものと思われていることが分かっていると、人は本当のことを話す気にならないものだ。おそらく、わたしたちには愛する人がこのような仕方で信頼に値する人になるように、手助けする特別な義務がある。信頼について正しく理解することは、信頼する側としてのわたしたちにとって、積極的な協力関係を活用して、騙されることを避けるようになっているという点で、よいことである。しかし、こうしたことは、信頼を受け取る側、つまり、信頼される側にとっても重要である。友人と接する時、わたしたちは友情を天秤にかけると、不信ではなく信頼に傾くかもしれない。しかしだからといって、その人を信頼する証拠が不足しているからといって、あまり快くない個人的な感情を利用して、その人を信頼することを拒否することは許されるものではない。

キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(4)~第4章 金をもって逃げろ

 まずは、信頼ゲームの話から始めるが、私には、これに何の意味があるのか分からなかった。思考実験なのかもしれないが、そもそもゲームとして成立するのか、私にはよく分からない。アメリカの社会文化では、こういうのがゲームとしてあるということから、理解し始めないといけないので、この章はよく分からなかった。
 結論として著者は言う。信頼性とは、わたしたちが他の人を賞賛し、子どもたちに教えようとする道徳的な徳のように考えられているが、実際にはコミットメントや約束を守って生きることであり、単に他の人がしてほしいと思うことをすることではない。あなたが助けの手を差し伸べたらそれを最後までやり遂げる限り、それほど寛大でなくても信頼に値する人になることはできる。また、コミットしすぎて人を失望させるほどの癖があれば、まったく信頼に値しなくても親切で寛大であることはできる。しかし、コミットメント、義務、徳と悪徳の構造全体は、基本的レベルの協力を前提している。このタイプの協力は、世代を超えて学生たちが受けてきた信頼ゲームでも明らかにすることができた。

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