キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(5)~第5章 誠実と不誠実化
誰かの言葉を信頼するということには、誠実さへの期待と知識への期待という二つの側面がある。また、誰かの行動に信頼を寄せるという点にも、善意に対する期待とスキルや能力に対する期待という二つの側面がある。反対に、不信も同じような形で現われる。この二つの側面は様々な方法で判断され、評価される。
その誠実さを否定するものとして嘘について分析している。信頼性を構築する一つの仕方として考えられるのは、その人を信頼することである。嘘をつくものと思われていることが分かっていると、人は本当のことを話す気にならないものだ。おそらく、わたしたちには愛する人がこのような仕方で信頼に値する人になるように、手助けする特別な義務がある。信頼について正しく理解することは、信頼する側としてのわたしたちにとって、積極的な協力関係を活用して、騙されることを避けるようになっているという点で、よいことである。しかし、こうしたことは、信頼を受け取る側、つまり、信頼される側にとっても重要である。友人と接する時、わたしたちは友情を天秤にかけると、不信ではなく信頼に傾くかもしれない。しかしだからといって、その人を信頼する証拠が不足しているからといって、あまり快くない個人的な感情を利用して、その人を信頼することを拒否することは許されるものではない。
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