佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」(3)~第1章 労働するとはどういうことか
我々は、労働を自明なものとして見ている。しかし、現代の我々の言う労働とは、賃労働であり特殊な形態の労働である。これに対して、これから考えていくのは、あらゆる特殊な労働に共通する労働の特徴、すなわち労働一般についてである。労働一般などというものは抽象的で、現実には存在しない。しかし、この労働一般があって、それとの対比で賃労働の特殊性が理解できる。賃労働という特殊な形態が、いかに労働のあり方を変質させてしまったかを理解できる。
マルクスが労働について考える際に前提となっているのか、人間は自然の一部であるという゜認識だ。人間は有機体の一種であり、他の有機体と同じように、自然とやり取りすることによってしか生きられない。例えば呼吸は空気から酸素を取り入れ、二酸化炭素を排出する。食物や水は周囲の環境から摂取し、尿や便として排出する。このような関係を人間と自然との物質代謝とマルクスは呼んだ。だが人間の自然とのやり取りは、それだけではない。食べるために食糧を栽培したり、身体保護のために衣服を作ったりといったことは、自然に対して働きかけ、それを変形し、利用する。このように自然を変容させる。これを物質代謝の媒介と呼ぶ。これは動物もある程度行うが、人間が行う場合は、意識的に行うという決定的な違いがある。動物は本能的に行っているにすぎない。人間は家を建てる場合、家を建てるという意志を持ち、自覚的にこの過程を遂行する。家を実際に建て始める前に、家についてのイメージを抱き、そのイメージを意識的に実現しようとする。しかも、最初に意識性を発揮するだけでなく、目的を達成するまでのあいだ意識を働かせる。そのような意識的行為の結果として、はじめて家が建つのである。つまり、人間が労働する際には、まず構想をたて、その構想に基づいて行為し、最終的に実現する。だから、人間による自然の物質代謝の媒介は意識的行為である。このような、人間に固有な、自然との物質代謝の意識的媒介のことを、マルクスは労働と呼んだ。
労働が現実に行われるためには労働対象と労働手段という二つの要素が必要である。労働が行われ、当初の目的が実現されると、生産物が出来上がる。労働対象と労働手段はともに生産物を作るための手段でもあるので、二つを合わせて生産手段と呼ぶ。
労働は人間の意識的行為であることから、次のような特徴を持つことになる。第一に、労働は自由な行為であり、普遍的性格を持つ。動物の自然に対する振る舞いは本能に基づくので、基本的に変化することはない。これに対して、人間は意識的におこなうため、そのやり方を多様に変化させることができる。人間は、その意識性ゆえに、動物のように固定的にではなく、自由に自然に関わることができる。だから、人間は、ある一定の特殊なやり方にとどまることなく、普遍的に自然に関わることができる。人間は、労働を通じて物質代謝そのもののあり方を変えることができるし、自然の力を利用しながら、その媒介の仕方も変化させていく。だからこそ、人間は労働することに生きがいを感じ、労働によって自己実現することができるのだ。ただし、ここで言われているのは、あくまでも労働一般についてであることに注意する必要がある。労働が自由な行為であるということは、不自由になる可能性があるということでもある。
第二に、労働はある一定の特殊な生産関係を形成する。人間は、他の人々や物に対する一定のかかわりを通じて、一定の関係を形成している。その中でも人間と人間とのかかわりを通じて形成する関係を社会関係という。社会関係は、人間たち相互の関わり合いの仕方によって、様々に変化する。人間が労働を行う際にも、社会関係が結ばれる。労働は常に他人との関わりの中で行われる。この場合の社会関係を生産関係という。労働はただ様々なやり方で様々な生産物を生み出すというだけではない。労働は、それが行われるときの他人との関わり方の違いによって、異なる生産関係を形成する。
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