無料ブログはココログ

« ヒルマ・アフ・クリント展(4)~3章 「神殿のための絵画」 | トップページ | 佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」 »

2025年4月 9日 (水)

ヒルマ・アフ・クリント展(5)~4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅

 クリントの代表作は「神殿のための絵画」でしょう。これは本人も意識していたのではないか。このシリーズをすっと見ていると、段々と肩の力が入ってきたのが分かるよう気がします。シリーズが進むにつれて、最初のころの伸びやかさが減っていって、どこか力が入り過ぎて硬直するような感じがしてきたのでした。それがここにきて、「神殿のための絵画」をやりきったということからでしょうか、ふっと肩の力が抜けたような気がします。それは、「知恵の樹」や「祭壇画」のような複雑なものからシンプルになったことからもうかがうことができると思います。私自身、これまでの展示を見ていて、自然と気合が入って、ここに来たときは疲れてしまっていました。
KlintparsifalKlintparsifal2 「パルジファル・シーズ」(1916年)(左側)は水彩画で、サイズは「神殿のための絵画」に比べて小さくなりました。パルジファルはクラシック音楽好きならワーグナーのオペラの主人公を想い出すでしょう。聖杯伝説、というと現代ならファンタジーの世界ですが、このシリーズの作品はシンプルで象徴的な形象は、というか形象はほとんどありません。ヒーローが知識の探求を意識のさまざまなレベルを旅することとして描いているということです。ファンタジーなのです。実際の作品は、赤、青、黄、緑、紫などの単色の正方形が画面の真ん中にひとつだけで、その色塗られた正方形の内部では濃淡を微妙に変化させていく。その他、正方形の傍らに十字架のようなモチーフや文字がある。抽象絵画っぽいというと変ですが、象徴的な意味を探る要素がほとんどなく、まるでマレーヴィチのシュプレマティズムの「黒の正方形」(右側)を見ているような感じがします。一見、シンプルで小さな作品なんですが、正方形内の色の微妙な濃淡を見ていると、動き始めるようで、全然スケールは違うのですが、マーク・ロスコの雲形を見ているようで、その濃淡に惹き込まれてしまって時間を忘れそうになるのでした。
Klintatom Benmond  「原子シリーズ」(1917年)(右側)です。クリントの以前の作品は多くの記号、形、色に満ちており、それぞれが固有の意味を持っていましたが、「パルジファル」と同じように「原子」シリーズも水彩画で、こちらは幾何学図形を彩色して、その濃淡だったり各色の関係で画面をつくるというモンドリアンのコンポジション(左側)を想い起こさせるものとなっています。とはいっても、「アトム」つまり、原子は物を構成する目に見えない粒子で、そのことが神秘思想に通じるということでしょうか。例えば「№10」は、水彩、グラファイト、メタリック ペイントで紙に描かれた抽象的な幾何学模様の絵で、右下隅に緑色の輪郭線が描かれた大きな正方形があり、その内側は4つの正方形で構成されています。そのうち右上と左下の正方形は青く塗られ、左上と右下の正方形はさらに内側に4つの正方形が段階的に収まり茶色が濃さを分けて段階的に塗られています。さらに、この二つの正方形には緑色の線の円が外接しています。画面の左上の隅には、同じような正方形が半分程度の大きさであります。これはクリントの描く原子の形ということで、学物質の形を「立方体」と呼ばれる平面的に表現したものといえます。
 この後の展示は細長い廊下のようなところに水彩画の淡く描かれたものやスケッチのようなものが並んでいました。それぞれに、見ごたえがあるものなのでしょうが、私の方が、ここまで見てきて疲れてしまいました。
全体にボリュームたっぷりな展示でした。

 

« ヒルマ・アフ・クリント展(4)~3章 「神殿のための絵画」 | トップページ | 佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」 »

「美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ヒルマ・アフ・クリント展(4)~3章 「神殿のための絵画」 | トップページ | 佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」 »