キャサリン・ホーリー「信頼と不信の哲学入門」(6)~第6章 知識と専門知
相手が正直であり、善良な意図を持っているだけでは、信頼するには十分ではない。信頼する場合、相手に能力を求めるからである。よい業者をどうやって見つけるかについて友人が話したことを信頼する際に、わたしは彼が正直であると信頼してもいる。同時に、彼が話したことを彼自身が知っていると信頼してもいるはずである。知識に関わる信頼の側面は、誠実さに関わる側面よりも道徳的に扱われることが少ない。
知識に関わる信頼というと医師のような専門職の専門的知識への信頼ということが、考えられるだろう。この場合、医師が信頼できるのは医療という行為に限ったことであり、それは、私が、その医師に診察してもらうことによる。信頼に値することは、コミットメントを果たすことに関わるのであり、そのためには善良な意図と能力の両方が必要である。信頼に値することには、すでに引き受けたコミットメントを果たそうと試みるだけでなく、自分が果たせないコミットメントを避けようと試みることも含まれる。それゆえ、信頼に値するのは自己を、自己の限界を知っていることも必要だ。ただし、自己を知ることは容易ではない。また、他方で、その人が知識を持っているのかを、他の人が判定するのもまた容易ではない。医師が私の診断ということに限れば、それほど難しくはないが、社会的な医療、例えばワクチンの是非といったことなどについて、多様な利害が絡み、意見によって事実の捉え方も変わってくるようなケースでは、その人の知識は信頼すべきかどうかの判断は難しい。そのためには、私たちが判断できるための知識を教育されるしかない。
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