佐々木隆治「なぜ働いてもゆたかになれないのか─マルクスと考える資本と労働の経済学」
本書はマルクス『資本論』の入門書として書かれたものだが、とくに、我々にとって身近な生活のために自発的に雇われて働くという賃労働のあり方に焦点を当てるとしいう視点で説明をおこなっているのが特徴的である。そもそも賃労働は当たり前ではない。その近代という特異な社会を描きだそうとしたのが『資本論』なのだという。近代を特異というためには、それ以外の時代と比べて、大きく変わっている。近代を変わってしまったむという観点から捉えると、それは批判的な見方となる。それが経済学批判という『資本論』のあり方である。そもそも、近代以前社会は、人々は共同体で暮らしていた。それが近代になると、個人が共同体から切り離されてバラバラになった。その個人個人を社会として結び付けたのがお金である。例えば、売買でものの所有が正当化されるし、人々は賃金を稼いで生活する。そのために会社に雇用される。言い方を換えると、お金という物によって人が支配されるようになってしまった。これを物象化、あるいは視点を変えると疎外ということになる。マルクスは、それを特殊、あるいは特異な状態で、普遍ではないという。そこで、どうしたらいいか。もともと、『資本論』はそういう問題意識で書かれたものだという。
そう言われると、いわゆるマルクス主義とは違い、興味がわくのではないか。たしかに、近代以前のヨーロッパを分かっていて、その前提でマルクスを近代批判として読むというのは、今までなかった視点かもしれないと思う。
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