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2025年10月

2025年10月29日 (水)

上村松園と美人画の軌跡(1)

Uemurapos 2025年10月(木)福田美術館 
 朝、修学院離宮を参観した。小雨模様の天気の下、しっとりと落ち着いた、静かな空間をかみしめる充実したひとときだった。1時間以上アップダウンのコースを歩き続けるのには、疲れたけれど。
 そこから鉄道を乗り継いで、JR嵯峨嵐山駅へ。修学院離宮とその周辺の静かで落ち着いた佇まいから、観光客でごったがえすような喧噪に打って変わって、戸惑う。ひろがって道を塞ぐようにして、ちんたら歩く外国人観光客に、少しいらつく。私は速く歩くわけではないが、自分のペースで歩けないからだ。混雑は天龍寺門前の渡月橋への通りで、一段とエスカレート。道の両側は観光客向けの派手な店が軒をつらね、立ち止まって物色する観光客がひろがり、道がつまって、歩くことができない。だんだん苛々してくる。朝の充実した気分が、だんだんと萎えてくる。福田美術館は、そんな喧噪から一歩裏手に入った一画にあった。入口は分かりにくい。これは観光客が間違って入ってこないようにしたものなのかもしれない。でも、ちょっと不親切。それは予感だったかもしれない。
 Uemuramuseum 分かりにくい入口を入ると、小さなロビーに小さな受付。受付は二人いて、なんかお喋りしている。チケットを購入したが、展示室はどこだか分からない。受付では何も教えてくれないので、目の前の階段を上がってみる。通りかかった係員に場所をきく、ついでにロッカーの在り処を尋ねたら、受付の横にあるという。気がつかなかった。受付に引き返し、狭いロッカーを見つける。ロッカーがあるだけ。ロッカーに手荷物を預ける際には、バッグのなかから必要なものを取り出したりする整理スペースがほしいのだが、そういうのは一切なく、使いにくかった。展示室に行こうとして、展示リストがどこにもない。そういえば、主催者のあいさつ文もない。係員のきくのも面倒になり、展示を見るまえから、ちょっと疲れた。
 2階に上がり第1展示室の案内に従っていくと、真っ暗な行き止まり。どうなっているのかと不審に思うと、突然、壁が動いて展示室が開けました。自動ドアでした。展示室は作品の保護のためなのか、室内は薄暗く、作品に照明があてられるというものでした。これでは、メモがとりにくい。

 

2025年10月26日 (日)

読響日曜マチネー2025年10月

2025年10月26日(日)東京芸術劇場
11112_20251026215301  池袋の東京芸術劇場へ行くのは何十年ぶりだろうか。改装があったようで、私が覚えているのは玄関ロビーから5階の音楽ホールまで直通のエスカレーターがあって、まるで空中散歩するようだった。今は、2階までいって、乗り換える。そのエスカレーターは壁にくっつくルートになり、以前の空中をエスカレーターが進むものではなくなった。以前のは転落しそうな感じがしていたから、安全上、こうなったのかもしれない。
 演奏会14時開演で、開場は1時間前の13時。13時20分ごろ会場へ。入口では演奏会チラシを配っている。あれっ?この前の東京オペラシティでは配っていなかったが、ここでは配っている。演奏会場によってチラシを配ったり、配らなかったりするのか。ちなみに、そのチラシを見たが、以前、何十年か前の私がよく演奏会に行っていた頃は、チラシの中身は海外オーケストラの来日公演の宣伝がいくつもあったのに、ひとつもない。ピアニストやバイオリニストの宣伝も少ない。円安では海外から日本に演奏家を呼びにくくなっているのか。その代わりにほとんどが国内演奏家の公演の宣伝。また、国内オーケストラの今後の予定を紹介するチラシはなくなって、スポット的なもの、とくに今は年末の第九演奏会ばかり。東京芸術劇場は大きなホールで、収容人数も多い。この時間ですでに会場内の来場者は多い。開場は13時なんだけれど、ホールには13時30分まで入れないとのことなので、会場内のロビーで入場待ちの人々で椅子は埋まっていて、座れないひとが扉の前で並んでいる。私か買ったチケットは3階席。比較的安い席だが、高齢者がおおく、若い人の姿はあまり見られなかった。開演10分前には、席に着くように放送があり、ほぼ座席は埋まっている。その時に、「演奏が終わった後の余韻を楽しんでもらいたいので、指揮者がタクトを降ろしてから、拍手をしてください」という放送が聞こえてきた。余計なお世話で、そんなことまで、わざわざ放送するのかと呆れた。これは、最近名古屋フィルの事務局がX(旧ツィッター)の早すぎるブラボーへの投稿をして、炎上したことの影響だろうか。昔から、ブラボーや拍手のフライングする目立ちがりやはいたが、馬鹿がいるくらいに嘲いとばしていたと思う。このように表立って、ルールみたいにするのは野暮という暗黙の了解みたいなものはあったと思う。何か窮屈だなあ。
 さて、演奏ですが、まずディーリアスの序曲があって、次にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。ピアニストのパヴェル・コレスニコフはアンコールでショパンのワルツ第19番を弾いたのがとてもよかったのですが、この人は、穏やかな抒情的な性格のピアニストのように思えます。チャイコフスキーの派手でダイナミックな協奏曲には、あまり似合わない感じがしました。有名な冒頭のホルンのファンファーレのような出だしからピアノのダイナミックなコード連打では、低音が聞こえてきません。それゆえ、ピアノがこちらに迫ってこない。高音部のキラキラ音だけが響いてくるのですが、チャラチャラした軽い感じです。序奏部が終わって、本体部分に入りますがオーケストラと競うようなところでは、ピアノの音はオーケストラの音に埋もれて聞こえなくなってしまう。読売日響というオーケストラは、力強い演奏をするようで、時には暴力的と思えるほど強く弾いていて、協奏曲の総奏部分ではかなり強く演奏する。これに対して、ピアニストは、それほど音が大きくないし、その音もキレがないというか丸い感じで、オーケストラの音らに大きさで対抗できないし、オーケストラの音を切り裂いて聞こえてくるような音でもない。それをピアニストも分かっているのだろう、かなり無理をして弾いている感じがする。そこで無理をしていて余裕がなさそうで、この人が持っている抒情性が、例えば第2楽章のオーケストラの弦楽器のピッツィカートに乗ってピアノがゆっくりと弾くところも、あまり抒情的にメロディがうたうまでいかない。どこか、オーケストラに負けないように音を出すのに必死な感じ。そして、第3楽章でオーケストラの煽るように強く大きい音を出すから、ピアノは追いついていくのに必死という感じ。フィナーレはピアノがオーケストラに引きずられるようだったが、それなりに盛り上がった。会場は盛り上がっていたが、その後で、アンコールで弾いたショパンは、本番が終わってホッとしたのだろうか、肩の力が抜けて、しんみりとして、いい演奏だった。こっちの方がよかった。
 後半はブラームスの交響曲第1番。前半の印象から爆演になるのかと思ったら、その予想は外れでもなかった。まず、序奏のティンパニの音の強いこと。そして、金管の演奏に抑えがない感じ。ブラームスの響きのイメージって金管楽器も木管楽器も弦楽器に包まれるようにして、全体が融合するように一体となって聞こえてくると思っていた。しかし、この日のオーケストラは金管が抑制なく咆哮するように響き、弦楽器がそれに負けないように強く弾いていて、まるでケンカしているみたい。そこから強い緊張感が生まれている。まるで、昔のソ連のオーケストラがショスタコーヴィチやチャイコフスキーを演奏しているような響き。しかも、指揮者のエドワード・ガードナーはフレーズに溜めをつくらないで、ソリッドにタテ乗りのリズム。即物的な印象の響き。ブラームスのロマン的なところを抑えて、この曲のカチッとした構造的なところを全面的に押し出したような演奏をしている。それが、金管と弦楽器がケンカするような緊張感の高い、強い音で演奏される。聞く者には、構造的というかガッチリとした緊張感の高い演奏として聞こえてくる。第1楽章なんかガチガチに緊張した演奏だった。第2楽章は緩徐楽章で木管楽器がメロディをうたわせて掛け合いをするところがあるのだけれど、この指揮者は溜めをつくらないので、掛け合いにならず、メロディを木管楽器が次々と入れ替わり立ち替わり弾くように変わる。そこは、ゆっくり弾くというのではなく、ソリッドなリズムでメロディが次々と出てくるというカチッとしたものとなる。そして第4楽章では、ベートーヴェンの歓喜の歌に似たメロディがうたわれるところでカタストロフィに達するというのではなくフィナーレに至る経過のひとつになる。そして、高い緊張でフィナーレが高揚して終わる。これは、ドラマではないし、いわば純音楽的と言っていいのだろう、立派な演奏だった。緊張感は強い。とはいっても、聴いている私は入り込めない演奏だった。読響って野性的なんだね。

 

2025年10月19日 (日)

京都 修学院離宮の見学

 昨日は大津に宿泊。京都のホテルを探したのだけれど、全国チェーンのビジネスホテルですら1万円をゆうに超えるので、これでは堪らないと、周辺を探すことにした。大津は隣の滋賀県になるが、JR湖西線で京都から2駅。電車賃で200円のため、交通の便では、ほとんど京都市内とかわらない。それで1泊7000円と、京都市内とは値段が違う。京都観光するなら、滋賀県のホテルを探すことになると思う。
 さて、修学院離宮の参観は当日受付もありますが、それは予約に空きがある範囲内なので、事前予約が必要です。事前予約はネット予約ができるので、「修学院離宮 予約」で検索すれば、予約ページに行くことができます。そこで予約を完了すると、通知のメールが届きます。そのメールに記載されたアドレスから参観許可通知をダウンロードします。これはフリントアウトしてもいいし、スマホの画面を見せるようにしてもいいです。それと、マイナンバーカードなどの本人確認書類も持参します。
 私は午前9時の予約だったので、ホテルを朝7時に出ました。JR線山科から地下鉄東西線に乗り換えます。地下鉄三条で京阪線に乗り換え。ちょうど通勤通学時間にあたり、けっこう電車は混雑していました。でも東京都心のラッシュに比べれば、それほどのものでもなく、大荷物の電車に慣れない外国人観光客がいないので、却って、快適でした。京阪線の出町柳への電車は混雑の逆方向なので空いています。出町柳かSyugaku1 ら叡山電鉄に乗り換えます。これが、いわゆる地方私鉄ののんびりした感じで、いい雰囲気でした。叡山電鉄の出町柳駅は終着駅になってい る。このような終着駅はJRにはないですから。1両編成のワンマンカーで無人駅に降りるときは運転手さんに運賃を精算します。街中を縫うように走るのは、とても風情があります。修学院駅でおりて、修学院離宮まで20分ほど歩きます。最初は大通りを歩きますが、途中から小学校の脇をとおり民家の間を通ります。静かな散歩道です。ちょうど、朝の通学時間と重なって、小学生と一緒に歩いていたら、「おはようございます」と挨拶されました。Syugaku2 ほとんどの参観者はタクシーで来ていましたが、私は、のんびり叡山鉄道に乗って、散歩がてら歩く方がいいと思います。ただし、修学院離宮の見学は3キロほどアップダウンの道を歩かされますので、そのことを加味しておく必要があります。
 修学院離宮に到着すると、門の左手でテントを張って当日受付があります。私は予約しているので、その必要はありません。ただ、門は守衛さんがいて、予約時間である9時の20分までは入れてくれないので、それまで待ちます。すでに予約している人が何人か待っていました。Syugaku3 20分前に門が開けられると、入って右の参観者休所にいって、参観受付を済ませます。参観許可通知を確認してもらい(バーコードを読み取るだけです)、マイナンバーカードなどを提示して本人確認を受けます。受付がすむと、ここで9時まで待機。ロッカーに荷物を預け、トイレを済ませます。途中にトイレはないので、ここで済ませておきます。お土産の売店もあります。また、飲み物が必要なら自販機もあります。歩くので、陽気によっては水分補給も必要となりますから、必要となる人は持って行ってくださいと言われます。この日は、天気がよくなかったので、傘を用意してありました。待機している間、宮内庁制作の修学院離宮紹介ビデオが映されていました。Syugaku4 9時になると、職員の人が案内してくれます。職員は2人で前と後ろにつきます。上、中、下のそれぞれの離宮には御成門がありますが、その門を開け、全員が通ると、また門を閉めるのです。このときの参観者は30人ほど、内訳は日本人と外国人が半々くらいでしょうか。気になったのは、案内する職員の説明が日本語だけで、外国人には分からず、自然と案内の職員のまわりは日本人のグループばかりになり、外国人のグループは案内人から離れてマイペースで思い思いに写真を撮ったり、景色を見物していて、日本人と日本人以外に大きくグループが分かれてしまったことです。もうちょっと日本語が分からない人へ配慮してもいいのではないかと思いました。スマホの翻訳機能を使うとか…。見学時間は80分、途中、たちどまって職員の人の説明を聞いたりしますが、ほぼ歩いています。参観者の中に80歳を過ぎたお年寄りがいましたが、途中からしんどそうでした。
Syugakumap

 それでは、休所の前から見学に出発します。まず、下離宮の御成門です。案内の職員さんが鍵を開けてくれて、門を通ります。門を入ると、Syugaku5 正面には高い石垣が積まれ、右に行くと簡素な中門があります。田舎の古い大きな屋敷ならありそうな、京都の豪勢や有名寺院の門に比べると簡素しいっていい。その中門を通ると庭になって、風景は一変します。きっと、かつてこの離宮を上皇や天皇は門をくぐるたびに普段の俗世から離れ、最後に、この中門の向こうに別のリラックスした空間に入ってだろうと想像できます。修学院離宮は全体として、それなりに趣向を凝らしてはいるようですが、どこか徹底していないというか、それがいい意味で抜けていて、それがおおらかでリラックスできるような印象です。Syugaku6 さて、池の間の細い道を行くと小さな橋を渡って、坂を上がると寿月観の建物があります。小さな庭ですが、俗世間を離れた空間の通路として、その先に、この建物があり、そのなかで、旅装を解いて、旅の疲れを休めるにはちょうどいい。ここが御座所ということで、離宮で寝起きしていた建物ということです。これは江戸後期に再建された建物ということですが、いたって簡素で、あまり装飾とか意匠を凝らすようなことはされていないようです。これに比べると桂離宮は、簡素ではあるものの、どこか突き詰めたようなとこがあって。緊張してしまうところがありますが、こちらはそういうところがなくてリラックスできます。Syugaku7 そういうところが修学院離宮の特徴だろうと思います。桂離宮では、できないだろうけれど、ここなら、大の字に寝そべって、手足の伸びをすることもできそうな印象です。見学コースは寿月観の裏手に回り、東門から下離宮を出ます。
 これで下離宮を出ましたが、ここで視界が急に開けます。北山をはじとして京都を囲む山々の連なりが広がっていて。遠くに比叡山を望む。それ以上に、正面に松並木の御馬車道が伸びて、その左右には棚田が広がっています。ちょうど今、稲刈りの時期だったので、稲わらが干してありました。現代の農業では稲刈りは機械化されて、Syugaku8 稲刈りと脱穀を同時に行われ、その過程で稲わらは粉砕されてしまうので、このように稲わらを束にして架けて干すという風景は見ることができない。それを見ることができるということは、ここでは、昔ながらの、人が鎌で稲刈りをしているということ。図らずも、そういう風景を見ることができたことに、私は都会育ちで農家の出身ではないのだけれど、どこか懐かしい気がしました。農作業は近所の農家の人が行っていて、収穫した米は農家の人々のものになるということです。農家の人たちは、とくに許可などなくて、ふつうに敷地に入ってきて作業をしていて、それは門から入るのではなく、直接入る道があるとのこと。離宮の敷地内に田んぼがあるというのもそうですが、農家の人たちが自由に出入りして農作業をしているというところからも、修学院離宮は御所や桂離宮のような閉じられた空間ではなく、外に対して開かれているということが分かります。それは、ここの全体的な雰囲気からも、どこか開かれているという感じがしているのは、そういうことからなのかもしれません。
 Syugaku9 御馬車道を少し行って、右に行くと中離宮です。表門を通り、広い石段を上がると立派な門があり、そこを入ると、また階段です。その奥に中門があり、下離宮と違って厳重です。この門を入ると庭が目の前に現われます。小高い丘の上に楽只軒の建物があります。池のある庭園で迂回するように坂を上がり、楽只軒に至ります。もともと、中離宮は娘の内親王のために造られたということなので、庭園のつくりはコンパクトな感じです。楽只軒の建物も、そういう感じです。その隣が客殿で、Syugaku10 もとは隣の尼寺の建物だったのが離宮のものになったということで、今までの簡素さとは異質の装飾の目立つ堂々とした建築です。天下の三棚ということで桂離宮の桂棚と並ぶほど有名らしい霞棚は、案内人にそうだと言われなければ気がつかない小さな目立たないものです。あるいは網干の欄干も優位らしいのですが、あまり立たない。ここは全体として、目立たせようとか、見せびらかそうという意図は皆無です。むしろ、そういうのはあるけれど、放っておこうというか、無頓着というか、そういうことは気にしない大らかさのような印象があります。対物の欄干のある廊下とか、外に面している柱とか、有名な寺院などでは磨くほどの手入れ(例えば、糠をしみ込ませた布で入念に拭くこと繰り返すと表面が黒光りようにツルツルになる)をしているのでずか、ここでは勿論手入れはちゃんとしているしているのでしょうが、それ以上のことはしていなくて、Syugaku11 外に面しているのですから表面は風雨にさらされてザラザラした感じになっている。そのままにしてある。それゆえ、欄干なども目立たない。そんなほったらかしの雰囲気は、悪く言えば雑ですが、むしろ大らかで些細なことは気にするな、という印象です。それゆえ、緊張しなくていい。ここから御馬車道に戻り、上離宮に向かいます。上、中、下の各離宮の間はちょっと離れていて、歩かされます。修学院離宮の見学は軽いハイキングのようです。上離宮は山の中腹にあるので、ハイキングの色合いが濃くなります。でも、もしかしたら、ここで少しだけ苦労して坂を上るということ自体が、ここでの楽しみのひとつではないでしょうか。そう思えてきます。
 Syugaku12 上離宮の御成門を通ると、急な石段です。ちょっとした登山のようです。登りきると、すばらしい眺望がひらけます。手前には池を回遊する上離宮の庭園の全貌が見渡せ、さらに遠くにを転じると京都市内を一望できます。晴れていれば、遠く大阪のアベノハルカスも見えるとのこと。創建当時は京都御所を見下ろすこともできたのでしょう。ここが、修学院離宮の中でもっとも標高の高いところで隣組亭が立てられています。茶室ということで、にじり口も設けられているのですが、茶室というよSyugaku13 り、眺望や庭を愉しむ休憩所というほうが似つかわしい感じです。日常の起居は下離宮で行い、そこから上離宮へ眺望を楽しむために出向くというもののようです。それにしても、同じ京都で二条城のような金ピカで装飾テンコ盛りの絢爛豪華な建築がされている一方で、ここ修学院離宮は簡素で、ちょっとした趣向がされていても、あえて目立たなくしている。それは、意図的なんでしょうか。多分、この離宮を創建したとされている後水尾上皇は幕府への対抗意識が強かった人だそうですから、あえて簡素にしようという意識はあったと想像します。でも、そのことは別にして、現代の無粋な我々は、そうした趣向には、指摘されずに気づくはずもなく、そんなことは些事になって見過ごすと、シンプルで飾らない様相に、大らかでリラックスした印象を強くするのです。京都には厳めしい寺院がたくさんあります。その室内の障壁画なども金ピカ豪華か精神性とやら意識させるようなワビサビの水墨画だったりと、緊張せざるをえません。それに対して、ここの建築や襖は、そういう目に留まるようなものがなく、見過ごしてしまうような、見過ごしてもいいですよとでもいうようなところがあります。庭園もきれいですが、それも強く印象に残るという性質のものではなく、きれいだったねと気持ちよく過ごして満足し、離宮を出たら忘れてしまい、その満足感だけが残るというような感じのものだと思います。今でいえば、リゾート体験に近いでしょうか。
 ここの庭は修学院離宮の中でも規模が大きく、それだけ積極的に楽しむというものだったのでしょうか。池には数個の意匠を凝らした橋が架けられていました。ここでは珍しく見た目を気にしているのが、上離宮の庭園でしょうか。案内した職員の人が言うには、ここは日が沈むときが最も映えるそうです。後水尾上皇も夕陽のころを好んでいたとか。紅葉のさかりで、夕陽のころ、12月の3時からの見学がお勧めだそうです。見学は隣雲亭から池を回遊するように進み、見学のスタートした休屋に戻ります。休屋に戻って解散です。私は帰りも歩きましたが、電話でタクシーを呼ぶ人が多かったようです。

 

2025年10月14日 (火)

円山応挙 革新者から巨匠へ(2)

 展示は、とくに章立てされていたわけではなく、大小7つの展示室に分けて展示されていたので、それに従って見ていくことにする。

 

展示室1
 展示室1は、壁に作品を展示するのではなく、独立ケースが室内に置かれていて、ケースの中に置かれた作品を見るという、陶器などの展示のやり方を、絵画作品でもやっているのは珍しいと思います。実際に、ここで展示されている海外作品は、小さなものばかりですから、そういうのもありかもしれません。ただ、独立ケースは幅が狭いので、正面から見ようとすれば、見る事の出来る人は限られてしまう。せいぜい2人くらい。だから、人が多い時はケースの前に列を作って順番待ちをするようになってしまう。陶器ならぱ立体なので、とくに正面からでなくても、後ろから、あるいは横から見てもよいのだけれど、絵画は平面なので、後ろから見たら逆さまになってしまう。それで、どうしても正面からしか見ることができない。壁に掛けてあるのなら、作品の間をあければ、もっと多くの人が見ることができる。それと、ケースを見下ろすという角度で見るのは、私には慣れないので、見辛い感じがしました。
Maruyamamegane  「眼鏡絵画帖」より。“眼鏡絵とは、透視図法の要領を用いて描いた作品を凸レンズの付いた「覗き眼鏡」越しに見ることで、より強調された遠近感や、臨場感を楽しむという趣向の作品(図録P.109)”ということです。描かれているのは、京都方広寺の大仏殿 、そして三十三間堂です。遠近法ビンビンではないですか。三十三間堂の方は、極端と言っていいほど、消失点から直線が引かれて、Maruyamamegane2 その上に三十三間堂の長い廊下のような建物が乗っかっているようなもの。同じ頃に、浮世絵の平面的でパースなどという発想すらない絵が広まっていただろうに。その一方で、遠近法で奥行のある空間を描いていたなんて。これは、基本的な見方そのものが違う、異質だ。主催者あいさつで伊藤若冲がもてはやされているけれど、応挙こそが変革者だといっていたけれど、これを見ていると、たしかにそうだと思えてくる。伊藤若冲の絵は、たしかに見ていてエキセントリックな感じはするけれど、基本的には既存の絵画の文法に則っている。ただ細部を異様に強調したり、デフォルメしたり、ユニークなポーズをとっていることで異質感を打ち出している。これに対して、この応挙の作品は、他の平面的な作品に対して、奥行きのある空間を作り出していて、他の絵画とは異なる見方を要求している。つまり、視覚の変革を行なおうとしているわけで、それはラディカルとしか言いようがない。このような見方が、若冲や芦雪に継承されなかったのは、どうしてなのでしょうか。むしろ、彼らには過激すぎて、ついていけなかっただろうか、と想像をたくましくしてしまいそうです。実際、これらの作品は、まるで、現代の建築の完成予想図にも見えてきます。日本の絵画で、よく言われる特徴として、余白の美学とか風情といったものが、ここには一切ありません。この画面の線は極細で、無機的といっていいほど均一です。しかも、定規で引いたようなまっすぐな線です。よくまあ、墨と筆で、こんな線が引けたと思います。これだけでも超絶技巧です。この点だけでも、当時の絵画とは一線を画した、もしかしたら絵とはみなされないのでは、思えるほど異質です。よくまあ、思い切って、こんなものを描いたものだと、感心します。
Maruyamabath  「行水美人図」は細密な眼鏡絵に比べて大雑把というか、走り書きのスケッチようにも見えます。しかし、行水する女性の後ろ姿のプロポーションは、あとで見る人物画などより写実的で、背景の木や垣根の位置関係には、しっかりとして奥行の空間把握がされています。それは、浮世絵の行水図などと比べると、さらに明白です。例えば、歌川豊国の「えり洗い」の人体描写の歪みと比べると、それは明らかです。これらを見る限り、応挙の作品は、江戸情緒などというものとは無縁で即物的な印象です。ただ、日本画の筆と絵の具と和紙しか手元にないので、それを用いた表現をしているだけという印象です。
 「富士図」。輪郭線がなく、墨の濃淡だけで、雲海の上に聳える富士を描いています。富士山そのものは白い影にして、その背景の空について山頂付近は墨を少し濃く、裾野におりていくにつれで淡くなるようなグラデーションで富士の山容が浮き上がるように描き、その右にはうっすらと薄墨による雲海が漂っている。富士山は写実的というより、様式的な形態パターンに則っているようですが、これまでの作品を見ていると、即物的に見えてきてしまいます。しかも、輪郭線がなくて、ぼんやりと形が浮き上がってくるというのは、明治になって、日本美術院の画家たちが始めた朦朧体ではないですか・・・。
 「立雛図」。“立雛は紙雛とも言い、雛人形の歴史のうちで最も古式とされる裃の菊文や亀甲文は、うっすらと盛り上げて立体的に表現されており、実際の立雛同様、近接しての鑑賞にも堪えうるものとなっている。(図録P.133)”と説明されていましたが、描かれている雛人形はペッタンコで、例えば人形の衣裳の描き方は平面で、立体で生じる衣裳のシワや柄の歪みは全く見られません。おそらく、服の模様を強調したかったのではないかと思います。それほど、模様の描き方は精緻で濃密です。衣裳の色彩は鮮やかで、立体的に描くと陰ができて、その鮮やかな色が翳ってしまうことも避けたのではないかと思います。そういう意図がハッキリとしているのは、近代以前の日本の絵画では、珍しいのではないかと思います。

 

展示室4
 展示室3から独立ケースから壁に作品を掛けた展示にかわります。ただし、すべてはガラス越しで、作品に近寄ることはできません。作品の古さ、和紙とか布といった材質から仕方のないことなのでしょうか。
Maruyamaeguchi  「江口君図」。これまで見てきた建築物や、この後見る鳥などの写生に比べて、人物、とくに顔が写実的でなくパターンでしかないのは、どうしてなのでしょうか。それだけ制約が厳しかったのでしょうか。また、女性がまたがっている象がリアルでないのは、応挙が実際に見ていないから、既存の作品を参考にせざるをえなかった。ということは人間に対しても、鳥のように写実的なスケッチをしていないで、既存の作品のパターンを踏んでいたのでしょうか。応挙にとって人間は写生する対象とはならなかった。あるいは写生しようと思わなかった、思えるほどのものでもなかったのかもしれないと思えてきます。ここでの展示を見ていると、人物画については、あまり革新性を感じられません。私の好みからいうと、つまらない。
Maruyamaryumon  人物画はさっさと飛ばして「龍門図」です。鯉が龍門という滝を上って龍になる登竜門というわけです。三幅で一組の絵で、左右に泳ぐ鯉を、真ん中に滝登りの鯉を配する構成となっています。特筆すべきは、真ん中の滝登りです。滝登りなのですが、ここでは激しく流れ落ちる滝の水流は描かれていません。鯉の姿を明確に描きながらも、その周りの水の勢いや躍動感を白い余白として残すことで、見る者の想像力を喚起し、鯉が力強く滝を遡上する様子をより鮮烈に印象づけています。しかも、この白い部分の境い目は直線のようにも見えますが、よく見るとまっすぐな部分と、筆のかすれをいかして引かれた部分の両方があることに気がつきます。そして、大きさや長さにも変化がつけられ、千変万化する水の表情が想像できます。そういう細部に目を向けなくても、精緻に描かれた鯉が縦に何度も断ち切られるような姿は、ショッキングといえるほど大胆です。また、また、鯉の体の立体感や鱗の質感には、墨の濃淡を巧みに使い分けるグラデーションの技法が駆使されています。左右の絵では、薄い墨で水面の波紋を表現し、その上から濃い墨で鯉を描くことで、まるで透き通った水面越しに鯉を見ているような表現になっています。
Maruyamatake  「竹雀図屏風」。六曲一双の屏風です。“右隻には雨の中、断続的にぶつかりつづける雨粒でしなだれかかる竹林を、左隻には風を受け、さやさやと揺れる竹林を描き分け、そこに舞い遊ぶ雀たちを配した屏風である。雨や風は直接的に線描で表さず、モティーフの動きと微妙な墨のグラデーションによって象徴的に表現される点が美しい。色数を抑え、淡墨を効果的に用いることで瀟洒な画面に仕上がっており、ぼんやりと眺めていると音や湿度をも想像させる。(図録P.112)”と説明されていますが、さすがに説明が巧い。竹の一節を一筆の引きで描いているのですが、その一筆のバリエーションで、遠近感が作られています。手前の竹を濃い墨で、遠くの竹を淡い墨で描くことで、空間に奥行きと広がりを生み出しています。 さらに、竹の根元の位置をずらしたり、三羽の雀の配置によって鑑賞者の視線を誘導したりすることで、画面全体に動きと深みがもたらされています。これによって、屏風の横長の画面には奥行のある空間がうまれ、さらに、竹の根元の位置をずらしたり、三羽の雀の配置によって鑑賞者の視線を誘導したりすることで、画面全体に動きと深みがもたらされています。そして、それぞれの竹に目を転じると、一節を描く一筆の中で墨の濃淡が変化していて、竹の葉にはみずみずしい質感と立体感が、竹幹にはすらりとした表現が与えられています。そうすると、見る者は屏風を入り口として、奥に広がっている立体的な世界を生き生きと感じることができる。
 この展覧会の目玉として宣伝されている金毘羅宮の「遊虎図襖」は、私には猫で虎には見えませんでした。この人は、実際に現物を見ないと描けない人なのかもしれないと思いました。保存状態のせいでしょうか、どこか粗いし、素通りしました。
Maruyamasnow  「雪松図屏風」。“雪と松を描いた本作は、墨・紙・金泥と砂子という最低限の素材しか用いられていない。画中の雪は絵の具ではなく、塗り残した紙の白さによって表わされているのである。それにもかかわらず、観者の目の前には確かに、降り続いた雪がやみ、きらきらと輝く情景が広がっている。この「実在感」はどのような技法によって裏付けられているのか。例えば右隻の幹の立体感は、大きい筆を面的に用いて表している。近接して観察すると、濃淡の異なる墨線が短いストロークで複雑に重ねられることで、ゴツゴツした樹皮の質感と、樹木そのものの立体感が同時に表現されていることが分かる。対して左隻では、淡墨を引いた上から、松葉のU字型の線を執拗なまでに描き込み、遠目から見た樹皮の凹凸を的確に表す。また針葉樹の表現は、まず全体のシルエットを白く塗り残した上から、松葉の束となる形に淡墨を引く。その上から濃墨で扇形に広がる松葉を少しずつ密度を変えながら描いている。松葉の塊を上から、両方のアングルから見た形を、量感もって表す点が見どころと言えよう。(図録P.110)”と説明されています。普通は、このような絵は、金色の地を作って、そこに松を描いて、その上に雪が積もったように白を描き加えるというように重ねていくと思うのですが、この作品は白い紙の上に松の形で白い紙の地を残すように金泥を塗って、残った白地のところに松の雪のついていない部分を黒で描き加えている、というのです。それは、画面をよく見ると分かります。つまり、雪は描き重ねて加えられるのではなく、もともと雪の白があったところに他の金地や松によって削られた残りだったというわけで、いわば、足し算ではなく引き算の結果なのです。そんな面倒くさい描き方をしていのは、何も技巧や苦労をひけらかすために行っているのではなく、画面に重ねられる量が減ると、全体の印象が軽くなり、明るく、透明になると思われるからです。ときに、白い雪は積もった重みの感じは薄くなり、松の輪郭はハッキリしているのに、白い雪が画面全体の地になって覆っている、つまり、雪が全体に漂っているような印象になっています。それは、背景が全部金泥で塗り込められているのではなく、白い地を残しているところからも、そういう感じがしてきます。逆に、そういう白い世界のなかで、黒く描かれた松がくっきりと浮き上がるように見えてくるのです。もし、このくっきりとした松がなければ、この画面は白と金による抽象的なものになっていたでしょう。そういう抽象的なものが隠されている。この作品は、見ていると面白いものが見えてくる。

 

展示室5
 展示室4から展示室5にかけてのところが、この展覧会の核心部ではないかと思います。
 Maruyamareal 「鳥類真写絵巻」「写生帖」。これはすごい。見ているだけで圧倒されます。私は、これが今回の目玉ではないかと思います。画像だと、その精緻さが分からないのですが、実物を観ると、こんなところまで観察して、それを描いているのかと感心してしまいます。鳥の羽毛の1本1本まで細密に描き込まれています。この描写力はすごい。鳥が羽を閉じている姿はもちろん、広げた羽も別途に描かれていて、まるで鳥類図鑑を見ているかのようです。西洋絵画であれば、骨格などを学んで、理論的にその形を捉えるベースができているのですが、応挙は骨格など学んでいないだろうから、単に見ているだけMaruyamareal2 で、これだけの描写ができてしまっている。それがすごい。これは、いつまで見ても、見飽きない。
このあと展示室7まで展示がありましたが、それほど興味をひくような作品はありませんでした。

 

2025年10月12日 (日)

円山応挙 革新者から巨匠へ(1)

Maruyamapos  三井記念美術館へ行くのは初めてです。地下鉄三越前駅のA7の出口をでると、三井本館の建物。その正面に立つち、玄関にある美術館への案内に従い、ロビー奥の専用エレベーターに向かいます。エレベーターは、1階と美術館のある7階しか止まらないので、一気に7階へ。エレベーターを降りると、エントランスホールで受付で入場券を買います。三井記念美術館は、パナソニック・ミュージアムなどと同じようにビルのフロアの一部を使用する美術館であるため、それほど広くはないので、キャパシティが限られるでしょうから、受付も小さかったのでした。私が訪れたのは午後1時半ごろ。けっこう来館者はいて、ひとつの展示に常時2~3名は立っていました。内訳としては、高い年齢の人が多いようでした。係員が静かにしてくださいと何度も注意していましたが、おしゃべりをする人が多かったようです。
Maruyamamuseum  円山応挙は歴史の教科書に載っているような有名な画家ですが、その紹介も兼ねて、主催者のあいさつを引用します。
 “円山応挙(1733~1795)は、従来より江戸時代を代表する画家として、確固たる地位を占めて高く評価されてきました。ところが近年、伊藤若冲をはじめとする「奇想の画家」たちの評価が高まるにつれて、いくぶん注目度が低くなっていることは否めません。
 しかし、応挙こそが18世紀京都画壇の革新者でした。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともないヴァーチャル・リアリティーのように眼前に迫ってきたのです。応挙の絵は、21世紀の私たちから見れば、「ふつうの絵」のように見えるかもしれません。しかしながら18世紀の人たちにとっては、それまで見たこともない「視覚を再現してくれる絵」として受けとめられたのです。
Maruyamamuseum2  そんな応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。そして、多くの弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成することとなりました。
 豪商三井家が応挙の有力な支援者であったことから、当館には良質な応挙作品が複数収蔵されています。このうち本展のために、国宝「雪松図屏風」を筆頭とする優品を選び展示いたします。さらに各所に所蔵される重要な作品を加え、応挙が創り上げた革新的な絵画世界をお楽しみいただきます。とくに今回は、香川・金毘羅宮様のご厚意により、北三井家五代・三井高清が資金援助した、重要文化財の表書院障壁画のうち二十面の展示も実現いたしました。”
Maruyamamuseum3  何か、このあいさつを読んでいると、応挙エライというよりも、応挙を支援し、その作品をたくさん所有している三井家エライの文章になっているように見えます。まあ、この施設が、そういう趣旨のものなのだろうけれど、何か、それがあからさまで、実際の展示にも、応挙がパトロンであろう三井家の依頼に基づいて、ヨイショするように描いた作品を自慢げに展示しているとこがあって、僻みっぽい私は辟易させられたところも、正直ありました。展示に関しても、若冲なんかがもてはやされているが、真の革新者は応挙だよ、という意見があるようでしたが、それなら、当時の人々にとって応挙が、どれほど革命的であったかを示すなら、すくなくとも当時の既存の作品でも比較の意味で参考展示して、こんなに違うんだよ、というのを示すくらいのことをしてもよかったのでは・・・と思う。あるいは、この狭いスペースの展示で、応挙の作品をどの程度まで概観できているかわからないので、すくなくとも全貌が掴めるものではないので、ここでの展示は、革新者であることに的を絞っているのか、というとそうでもなさそうで、というのも展示された作品の作風に一貫性のストーリーが読めなかったからで、中途半端な感じが強かった。おそらく、この展示の印象から、この美術館には二度と行かないだろうと思うほどだった。ただし、展示されていた応挙の作品の価値を貶める気はまったくない。なかには、瞠目させられるものも少なくなかった。それで、作品を見ていきたいと思う。
 展示は、とくに章立てされていたわけではなく、大小7つの展示室に分けて展示されていたので、それに従って見ていくことにする。

 

2025年10月 4日 (土)

足立美術館 秋季特別展「開館55周年記念 心に響く日本画55選」

 作品リストには作家名と作品名、そして、制作年しか記載されていませんでした。作品リストを見ていると、近代以降の日本画の大家の名がズラリと並んでいます。びっくりです。
【小展示室】名画を愛でる
Adachimurakami  展示室に入って最初に展示されていたのは、村上華岳の「秋景」という1919年の作品。今まで見てきた美術館の印象と横山大観を期待していたのに、地味な作品です。これでは、人々に素通りされてしまう、とかわいそうと思ったり…。真ん中の池、というより水たまりに見えるが、そのまわりを秋枯れの藪がかこみ、背後に紅葉ではなく白い幹の常緑樹が茂り、その上にはどんよりとした空が広がっている。一般的な秋景のイメージとはかけ離れた、たんに侘しいだけの景色です。画家は、あえてこのような風景を描いているとすると、藪や空は手段として、それ以外のものを暗示しているのではないか、というように見えてきます。そのような想像を促すところが、この作品に神秘性を与えている、と言えなくもない。ただ、小さくて地味な作品です。最初なんですが、他の展示作品に対して、この作品だけが異質です。
Adachihashimoto  橋本関雪の「秋圃」という1939年の作品です。この品あたりから、この美術館、というかオーナー創始者足立氏の好みの一端が分かってくるような気がします。それは写生と分かりやすい風情ではないか。無地のような余白を背景にして、枯れ木のそばにいるイタチは何かを察知したように、胴長の体をヒョイと上げて、辺りを見回している。イタチの毛の質感や表情はボカシを用いて描かれています。様式化された描き方ではなく写生的です。枯れ木は枝の一部が描かれて、枯れ葉はイタチの体毛と似た色調で、まるであつらえたようなレイアウトで、盆栽のような感じです。外国人にアピールしそうなワビサビとでも申しましょうか。
Adachisakakibara  次は、ワビサビから一転してハデハデ。榊原紫峰の「秋草」という1914年の作品。この変わり方は何?画面の構成は様式化されていて、琳派の屏風絵に似たところがありますが、細部まで細かく写生的に描き込まれています。描き込みは明確で、きっちり輪郭線が引かれています。これまで見てきた作品は渋い色調でしたが、この作品では鮮やかな赤や白や緑が、はじめて出てきます。それでびっくり。でも、何が描かれているのか、ハッキリしているし、ちゃんと陰影がつけられて平面的ではない。画面左下の白い花は絵の具が盛り上がっていて立体的になっています。そういう面で、サービス満点の作品です。
 同じ作者の「夕陽」という1913年の作品。数本のヒマの大きな黒い葉が克明に描かれ、画面左上の上空には数匹の赤トンボが飛んでいます。その赤トンボにより秋の夕陽と想像できます。このヒマの葉の描き方はアンリ・ルソーに通じるところがあるように見えます。後年の田中一村がよく似ている。ヒマは観葉植物にもなっていて、その葉は秋といっても紅葉とか侘しいというイメージとはちょっとズレていて、どちらかというと夏の逞しいイメージの方が似つかわしい。それに秋の赤トンボが付いて、ちょっとギャップが生まれているところが、面白いところではないかと思います。
Adachiyuki  このような派手で装飾的な作品の展示から、今度はまたとんでワビサビの秋の風情の作品が並びます。例えば、結城素明の「畳嶺蔵雲」という1930年の作品です。厳しくそそり立つ山の峰々に、雲がモクモクと湧き上がる雄大な景色です。手前の樹木や岩峰は細い線で緻密に描写されていますが、榊原のような明解さの印象はそれほどありません。それは、淡い色調で渋い色遣いであることと、前景と背景の間に雲が配置されて、ボカシの効果を生じさせている。それが、ボンヤリとした画面となり、それが日本的な風情を生んでいる。しかし、ここまで見てくると、足立美術館の嗜好というか、ここに共通して感じられるものとして、分かりやすい写実性があるのではないかと思います。
 ここで小展示室を出て、次の大展示室に向かいます。

 

【大展示室】心に響く日本画55選
 他の美術館では展示室には係員が椅子に座っているのが普通でしたが、この足立美術館では警備会社の制服を着たガードマンが立っていました。この点でもユニークで、ガードマンは、しばしば来館者に注意したり、ガラスケースを拭いていたりしていました。なんか監視されているような心持ち。
Adachikawai  最初が富岡鉄斎の南画、そしてこの川合玉堂の「夕月夜」です。全然、雰囲気の異なる作品が並んでいる。1913年のこの作品は名画ポスターになっているような人気作です。この美術館のコレクションには、人気作や有名作が多くて、どうやって収集したのか、その資金力はどれだけなのか、驚いています。夕暮れ時の水郷の風景ということです。空には月が浮かび、その光に淡く照らし出された風景。水面はひっそりと静まりかえり、それを覆い隠すように葦が鬱蒼と茂り、それが水面に霧が湧いているようにも見えて、その中で釣竿や網をかついで橋をわたる人々。黄昏の淡い光と湿潤な大気がおりなすモノクロームな光景の中で、人の姿がくっきりと浮かび上がる。そこには、分かりやすい日本的情緒があると思います。人気作であるのは、そういうところにあるのでしょう。この人物の動きの形は、江戸末期の浮世絵の風景画の描き方を思い出します。広重の「東海道五十三次」とかのように、デフォルメをそれとなくしているように見えます。
Adachiyamamoto  そのとなりには、風景画でも、西洋画の遠近法が明らかで、風景の広がりを実感させてくれるような山元春挙の「瑞祥」という1913年の作品です。描かれているのは古代中国の道教において語られていた神仙境の一つ、蓬莱山。そこは仙術を獲得した仙人が住まう地であり、木も水も空気も、生き物ですら澄んだまま存在しているという。屏風の大きな画面には岩峰が点在するように、画面手前では、岩肌、人物、建物はては木々の葉の一枚に至るまで精緻に描かれているのに対して、画面奥の岩山は輪郭をぼかしています。その岩山の描き方は立体的で写真を見ているようです。色彩は西洋画的で、これが屏風でなくてキャンバスに描かれていれば、西洋の風景画として見られてもおかしくないでしょう。しかし、色彩は淡く透明感があり、そういうところから日本画なのだろうということになる。これが川合玉堂の日本的情緒のとなりにある。このチグハグ感は、この美術館の特徴と言えるのかもしれません。
Adachitakeuchi  そして、竹内栖鳳です。“東の大観、西の栖鳳”です。よくまあ、集めたものだ。「爐邊」という1935年の作品。これって秋を感じさせるのでしょう。細かいことは考えない方がいいのでしょうね。爐邊というタイトルと手前の火かき棒から暖炉か囲炉裏にあたっている2匹の子犬です。竹内栖鳳というと猫が有名ですが、犬も描いているのですね。サラサラって手すさびみたいに軽く描いているようですが、上手いとしか言いようがありません。
Adachikaburaki  次に展示されていたのは美人画です。鏑木清方の「紅」という作品です。黒い羽織を着ている女性は「築地明石町」を思わせます。となりには上村松園、伊東深水が並んでいます。有名どころオンパレードです。上村松園の美人画って表情がないんですね。人形みたい。他の人の美人画と比べると分かります。
Adachisakakibara2  土田麦僊「黄蜀葵」は1932年の作品。日本画って人物画はマンガと同じで人間の肉体をリアルに描くというのではなく、美人とかヒーローのお約束の記号的シンボルの文法に従って描くのに、植物などは写生的な描き方をするのが不思議です。この作品では、そこにデザイン的な操作が入ってくる。葉の明るい緑色が鮮やかで、それら花の白が対照されています。画面の下半分は、細長い葉がパアーッと広がっていて鮮やかな緑が占めていて、画面の上の方では、草が伸びて若芽や葉は、未だ色が付いていなくて緑色は薄くて、その先に白い花が咲いている。そういうグラデーションの推移が緑色を印象深くしている。
Adachisakakibara3  同じ緑色の鮮やかさでも、榊原紫峰の「富貴草」は1938年の作品。牡丹の花は、一応写実なんでしょうが、花鳥画の王道というか、歌舞伎の見得を切るようなお決まりのパターンに見えます。装飾的といえばいいのでしようか。その傍ら、画面右の支柱に雀が止まって囀っている。装飾的でゴージャスな牡丹と無邪気で素朴な雀が対比的に置かれているといった画面構成です。これは、ちょっとあざとい感じもします。この人、几帳面にきっちりと描き切るので、作為が隠すことなくあからさまになるとこがあると思う。この作品の雀なんて、無邪気というよりブリッコだもんね。
 さて、大展示室は盲腸のような行き止まりの部屋なので、反対側の壁の作品を見ながら、入口に戻ります。
Adachihishida  菱田春草です。近代のビッグネームです。「紫陽花」という1902年の作品。紫陽花といっても、今、一般的なセイヨウアジサイの多彩な色とは違い、これはニホンアジサイということで、モノトーンです。しかし、描かれている3本の茎について葉の描き方が違っていて、それぞれが個性ある茎として分かります。それが、不思議なことに生き生きとした生命感があるのです。といっても、紫陽花の描き方は様式的な形態のようで、必ずしも写実的とは言えない。それゆえ、画面全体が静かです。しかし、死んではいない。紫陽花は生きている。それが、この作品のすごいところだと思います。私には、今まで見てきた作品とは別格に見えます。
Adachikomoda  菱田春草の「紫陽花」にはアゲハチョウが描かれていましたが、同じ虫つながりで、小茂田青樹の「蝉」という1930年の作品です。菱田春草と違って、明晰で曖昧なところが一切ありません。それゆえ、画面が平面的で、単純化された構図は、模様のようにも見えます。生き生きとした菱田春草とはちがって、この作品では蝉の啼く声が聞こえてきません。静かなんです。
Adachihayami  そして、速水御舟の「新緑」という1915年の作品です。楓などの若葉が強い陽射しを浴びて輝いている様子です。下から木々の葉が茂るのを見上げているのでしょうか、画面は上下がはっきりしません。画面いっぱいに沢山の葉が描かれています。その葉が木によって描き分けられ、とくに陽射しの当たり方によって葉の描き方が変化している。これは、木の葉を描いていて、木漏れ陽すら描かれていないけれど、陽射しをそこに読み取ることができるというものでしょう。そういう工夫は、すごいと思います。
Adachiyasuda  その隣が、安田靫彦の「王昭君」です。これは、以前に東京の近代美術館の安田靫彦展で代表作として見たことがあるような。こんなものまであるなんて、よくまあ、ここまで集めたものだとびっくり。俗に、安田靫彦の三大美人画って、また歴史上の女性を描いた作品があるのだけれど、顔は仏画なんですよね。西洋画の歴史画とちがって動きはないし、結局、衣裳を考証して精緻に描いたとか、そういうとこに行き着くのだろうと思います。安田は、そういう日本画における歴史画のお約束をつくったという人、それはそれで大変なことだったと思います。でも、有名作であることはたしかです。
Adachikobayashi  安田靫彦の「王昭君」のとなりには小林古径の「楊貴妃」が並んでいます。なんて贅沢なんでしょう。王昭君が仏様なら、こちらの楊貴妃は能面です。こちらは、正確には歴史画というよりは「楊貴妃」という能楽作品を描いたということらしいですが、楊貴妃という歴史上の人物を顔に能面をつけて表情を隠して描いたとしてもいいのではとも思います。とはいえ、私のような素人目では、となりの「王昭君」と作者の区別がつかなくなります。
Adachikawabata  その他にも、展示作品はありましたが、この部屋の最後は川端龍子の「獻華」という1940年の作品。鮮やかな色彩の派手な見栄えのする作品。竹籠に生けられた数輪の牡丹、白や淡紅色、絞りといった数品種のものが大輪の花を咲かせ、絢爛に競い合っている。一方で蕾も、硬そうなものや、今にも咲きそうなほどふっくらとしたものが描かれていて、多様な趣を加えるのに一役かっている。また枝一本、葉一枚まで濃密に描かれることによって、より牡丹の花や蕾が引き立ち、豪奢な印象を与える。
 これで大展示室を出て、次の大きな展示室、横山大観特別展示室に向かいます。ここには、横山大観の作品ばかりが並んでいます。

 

【大展示室】心に響く日本画55選
Adachiyokoyamanachi  「那智乃瀧」は1915年の作品。これは、鎌倉時代の国宝「那智瀧図」を思い出させます。構図はそっくりです。しかし、横山大観の作品では、水煙の描写に得意の朦朧体表現が使われていて、メインの滝そのものは朦朧体による水煙の茫洋たる霧のなかから鮮やかに浮かび上がるように描かれている。つかみどころのないモヤモヤした空間に、一瞬の閃光のように亀裂を入れる滝の姿は、とても印象的です。今風の言い方をすれば、ドラマチックに映える。
Adachiyokoyamagreen  「緑雨」は1914年の作品。タイトルは緑雨ですが、直接、雨が描かれているわけではありません。画面には一面の緑の葉。それらの多くが、朦朧体でしょうか、うすぼんやりと描かれています。それが霧雨に霞んでいるように見えます。その中で細い枝に雀が二羽とまっている。さきほどの那智の滝ほどではないですが、ぼんやりと明確の対比をして、ぼんやりと霞んだ雰囲気を印象付けています。
 「夏之不二」は1920年の作品。ポップなイラストみたいです。横山大観は夏の富士を青く描くことがよくありますが、すでに1920年頃から、このようなポップな作品を描いていたのですね。この人は、自身では精神とか言っていますが、見た目の官能性に終始こだわり、見る人の注目を集めることが関心の中心にあった、そういう画家であることが、ここ足立美術館での展示を見ていて、分かりました。それは、この美術館のコレクションの傾向にも通じているように思えます。
Adachiyokoyamamomiji  その最たるものが「紅葉」という1931年の作品ではないかと思います。とにかく、ポップでゴージャス、しかもジャポニスム。海外での展覧会向けに制作されたということですが、明らかに外人受けを狙っているのが見え見えです。大観は、屏風を開いた時に最も美しく見えるようにと、カエデの葉を実物より少し左右に引き伸ばすデフォルメした構図で描いたということです。さらに、発色の良い顔料を用い、紅葉を複数の色で表現したことで、立体感が出ています。川面の輝きの表現にはプラチナ箔を使うなど、当時新しく出回った材料を使っている。輪郭をぼかすことで生まれる柔らかな立体感と、赤や黄の鮮やかな色合いが相まって、作品に躍動感が生まれます。
Adachiyokoyamamizu  ゴージャスでポップな大作の次はワビサビの水墨画っぽい、「雨霽る」という1940年の作品です。画面全体に漂う雲霧から、頂を突き出し稜線を露わにする連山。それが黒い影のようで、その麓から立ちこめて山間に沿って上昇する白い霧は雲となって大空へと広がり、その奥に富士山が雲海を望むように聳えている。この富士山が写実的で立体感があるように描かれているのに対して、前景としてひろがる雲海やその間の連山は朦朧体というか水墨画のような世界で、対照的に、対比されています。そこでそれぞれが際立つように強調されています。これも、見た目の効果ですね。
Adachiyokoyamasunrise  「会場日出」は1944年の作品。戦時中にこんなポップな作品を描いていたんですね。割合と写実的に描かれた海岸の真ん中にポップなまん丸の赤い太陽が浮かんでいる。しかも、太陽が水平線の手前に太陽がある。この違和感は、シュルレアリスムのテイストです。というより、水平線を無視している遊び感覚といった方がいいてしょうか。
 その他に富士山の絵はいくつも展示されていました。これらを見ていると、横山大観という画家は見た目第一のひとであるということがよく分かります。それが分かっただけでも、ここに来た甲斐があると思います。
 そこから地下道をとおって新館へ行きますが、新館の展示は現代画家になるようで、多くの人は足早に通り過ぎてしまうようです。私も見たかったのですが、ツアーの集合時間となって、残念ながら時間切れです。

 

2025年10月 2日 (木)

足立美術館訪問

 話題の足立美術館に行ってきました。東京からは気軽には出かけられない距離です。当然、日帰りは無理。たんに美術館だけに行くというのはもったいない。しかも、ここで行きたいと思わせるような企画展をやっているわけでもない。それで、足立美術館を盛り込んだ旅行ツアーに申し込みました。鳥取砂丘とか出雲大社なども回る山陰旅行ツアーです。大型観光バスの団体で、足立美術館を訪れました。上げ膳据え膳のごとき団体旅行ツアーですから、おまかせで、どのような経路で行ったかはわかりません。田んぼのなかの大通りを進んでいたら、突然、広大なAdachimuseum 駐車場が現われた。大型バスが2~30台余裕で、それ以上に一般車両も留められる。大きなショッピングモールみたい。今日は平日で、それほど駐車場が埋まっているわけではなかったが、それでも結構な台数が止まっていた。大型バスも5台ほど。駐車場の奥にオシャレの道の駅という風情の建物、それが美術館の新館。その向かいには土産物のショッピングセンターがあり、島根名物を沢山売って、賑わっていました。これは美術館としては破格の集客力ゆえなのだろうと思う。美術館の売りというか、戦略が独創的あるいは革命的といっていいのだろうと思います。
 新館の裏手に細い道を渡って本館の建物。この本館のはす前に旅館が数件。以前は田舎の静かな温泉だったのだろうか。旅館は、今は足立美術館の訪問客でもっているのだろうか。
 Adachimuseum2 さて、本館の玄関前に植え込みが作られて、ここからすでに庭園が始まるとばがりにカメラを人々が構える。ここは、入館前から始まっている。入口はゲートになっていて、遊園地の入り口みたい。他の美術館とは入場者数が桁違いに多いことからなのだろうと思う。私はツアー客なので団体入口を通ったが、美術館で団体入口が常設されているのをはじめて見た。団体客も日常的なのだろう。ゲートを通って行くと苔庭と称されている中庭を囲むようにコの字型の廊下に、まずは正面のガラス窓を額縁のように庭園を眺めるようになっている。廊下は建物をでると、小さな広場で、そこではAdachigarden 来館者は次々と記念撮影をしている。室内に入ると、ここからが本館のメインで少しずつ展示が始まる。まずはロビーで、二方向がガラスで開かれた、足立美術館というと必ず映像ででてくる庭園の風景が広がる。一般の来館者にとっては、ここが最初のクライマックスなのではないかと思う。庭園については撮影は自由なので、来館者は思い思いにシャッターを切ったり、記念撮影に興じざわめいていました。
 Adachigarden2 そして、絵画展示のプロローグのように、まずは童画が廊下の両面に。庭園は撮影自由ですが、絵画や工芸品などの展示品はすべて撮影禁止で、そのポスターがうるさいほど貼られていました。おそらく、ロビーで庭園の撮影に興じていた人が、そのままカメラを構えてしまうのでしょう。実際、私の面前で撮影している人が何人もいました。そして、順路の指示に従うと、枯山水の庭に導かれます。廊下で回遊するようになっていて、ここで、ゆっくりと庭園を堪能するというのでしょう。
 さて、庭園については、それほど関心があるわけではなく、知識もない私ですが、「庭園も一幅の絵画である」というのが足立美術館のコンセプトであり、庭園を絵画のように見せる仕掛けのようなものもされているので、少しだけ感想を述べておきたいと思います。ここの庭園の見せ方の特徴として言えるのは、庭園に入って行けないということです。「庭園も一幅の絵画である」というのは、比喩的だと思っていましたが、人は絵画の画面の中には入っていくことはできない。画面から距離を置いて眺めて、想像によって自分がその中に入り込んだような気分になるだけです。ここの庭も人々は現実に足を踏み入れることができません。全国の神社仏閣や邸宅の有名な庭園は総じて、人々が庭園内を回遊して、その風情を愉しむようになっているのは、決定的に違うということです。そして、足立美術館の庭についてよくいわれる「葉っぱ1枚落ちていない」完璧に整備されているということ。そこは絵画のように完成されていて、そのまま動かない、ということです。止まっているのです。もっというと生きているという感じうすい。庭園の庭木は植物ですから生きています。成長もしますし、衰えもします。そういう大きなことではなく、何かしらあるはずです。ここには虫も鳥もいて、これらは止まっていません。植物も動物も生命活動をしていて、それには動きが伴うものです。そこにはハプニングも当然おこる。しかし、この庭は、そういう偶然を許容していないように見えます。それは絵画的な完璧な空間に不完全を持ち込むおそれがあるからでしょうか。言い換えると、不寛容、つまりは余裕がない。こんなとき、海外からの日本美術の特徴として指摘される、不完全さの美学とでもいうものとはかけ離れているのだなと、ちょっと想いました。だから、私には、しばらく見ていて飽きてしまいました。たしかに、庭園には四季があったりして変化しているとはいいますが、この庭は、四季とか朝とか夕焼けとか、それぞれの指標となるものがあって。その指標の完璧な状態に、それぞれ作り直されている。完璧な紅葉景色、完璧な雪景色、とでもいうように、そして、そのつくられた景色は動かない。そんな感じです。だから、極端なことを言えば、撮影した写真を見るのと、実際に庭園を見る際の違いは、映像の解像度の違いでしかないことになります。ちなみに、この美術館で展示されていた絵画作品はすべてガラスケースに入っていて、来館者は。作品に近づくことを禁じられているように感じられました。ガラスに顔を近づけるとガードマンから煩いほど注意され、そこを離れるとガラスに鼻息がついたとでも言うようにガラスの表面を布で拭いていましたから。それは、気分のよいものではありませんでした。
 あるいは、ここの庭園が背景の山を借景として巧みに利用していることも、よく指摘されていることですが、それとそっくりの例を、同じ旅行ツアーで見た出雲大社で見ました。出雲大社の本殿の背後に山があるのですが、それが本殿の奥のご神体のように見えてくる。その山を前にして、神社の建物の神秘性というか神々しさ、荘厳さをスケールアップさせている。それと同じ効果が足立美術館の庭園に見られると思うのです。借景を利用した庭園は、京都をはじ全国にありますが、足立美術館の庭園には完全さや神々しさへの志向が見られる点で、日本的でない、というか、一神教的な合理性を感じるのです。私は、そこに窮屈さというか、どこか入り込めないという印象を持ちました。
 庭園は、これで終わり、本館を二階に上がります。ここからは絵画の展示です。ここでは、<秋季特別展>「心に響く日本画55選」が開催されていました。コレクションのなかから秋にちなんだ作品のセレクションだろうと思います。中には「春雨」とか「幽春」といった作品も展示されていたので、アバウトなものなのでしょう。あと、横山大観の作品は季節は関係ないようでした。重箱の隅をつつくようなことは、ほどほどにします。会場の入り口に展示作品のリストが置いてありましたが、それを手に取る人はいませんでした。これは想像ですが、話題の足立美術館に来た。テレビ等で見た庭園は、思ったとおりだった。写真も撮った。あとは、順路に従って進むと、テレビなどでは見せていない絵の展示がある。横山大観などといった美術にくわしくもない有名画家の作品が展示されているらしい。高い切符代を払っている…、という感じでしょうか。多くの人は、個々の絵の前で立ち止まることなく、ゆっくりと展示室を歩いていく。あるいは、音声ガイドを借りた人は、イヤホンにつけて、音声ガイドが説明している作品の前だけ、立ち止まってガイドの通りに作品の前に立っている。絵を見たいというのではなく、ついでみたいに見ている。こんな光景は、以前にも別の美術館で見た経験を思い出した。東京の富士美術館だ。あそこも貸し切りバスの集団がいくつも訪れる。あそこに来る人は作品に興味があるのではなく、宗教の指導者が集めたということで、それを追いかけることの方を優先している。中には、作品の前で目をつむってお題目を唱える老女がいた。あれとそっくりの光景だ、と思った。

 

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