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2025年10月 2日 (木)

足立美術館訪問

 話題の足立美術館に行ってきました。東京からは気軽には出かけられない距離です。当然、日帰りは無理。たんに美術館だけに行くというのはもったいない。しかも、ここで行きたいと思わせるような企画展をやっているわけでもない。それで、足立美術館を盛り込んだ旅行ツアーに申し込みました。鳥取砂丘とか出雲大社なども回る山陰旅行ツアーです。大型観光バスの団体で、足立美術館を訪れました。上げ膳据え膳のごとき団体旅行ツアーですから、おまかせで、どのような経路で行ったかはわかりません。田んぼのなかの大通りを進んでいたら、突然、広大なAdachimuseum 駐車場が現われた。大型バスが2~30台余裕で、それ以上に一般車両も留められる。大きなショッピングモールみたい。今日は平日で、それほど駐車場が埋まっているわけではなかったが、それでも結構な台数が止まっていた。大型バスも5台ほど。駐車場の奥にオシャレの道の駅という風情の建物、それが美術館の新館。その向かいには土産物のショッピングセンターがあり、島根名物を沢山売って、賑わっていました。これは美術館としては破格の集客力ゆえなのだろうと思う。美術館の売りというか、戦略が独創的あるいは革命的といっていいのだろうと思います。
 新館の裏手に細い道を渡って本館の建物。この本館のはす前に旅館が数件。以前は田舎の静かな温泉だったのだろうか。旅館は、今は足立美術館の訪問客でもっているのだろうか。
 Adachimuseum2 さて、本館の玄関前に植え込みが作られて、ここからすでに庭園が始まるとばがりにカメラを人々が構える。ここは、入館前から始まっている。入口はゲートになっていて、遊園地の入り口みたい。他の美術館とは入場者数が桁違いに多いことからなのだろうと思う。私はツアー客なので団体入口を通ったが、美術館で団体入口が常設されているのをはじめて見た。団体客も日常的なのだろう。ゲートを通って行くと苔庭と称されている中庭を囲むようにコの字型の廊下に、まずは正面のガラス窓を額縁のように庭園を眺めるようになっている。廊下は建物をでると、小さな広場で、そこではAdachigarden 来館者は次々と記念撮影をしている。室内に入ると、ここからが本館のメインで少しずつ展示が始まる。まずはロビーで、二方向がガラスで開かれた、足立美術館というと必ず映像ででてくる庭園の風景が広がる。一般の来館者にとっては、ここが最初のクライマックスなのではないかと思う。庭園については撮影は自由なので、来館者は思い思いにシャッターを切ったり、記念撮影に興じざわめいていました。
 Adachigarden2 そして、絵画展示のプロローグのように、まずは童画が廊下の両面に。庭園は撮影自由ですが、絵画や工芸品などの展示品はすべて撮影禁止で、そのポスターがうるさいほど貼られていました。おそらく、ロビーで庭園の撮影に興じていた人が、そのままカメラを構えてしまうのでしょう。実際、私の面前で撮影している人が何人もいました。そして、順路の指示に従うと、枯山水の庭に導かれます。廊下で回遊するようになっていて、ここで、ゆっくりと庭園を堪能するというのでしょう。
 さて、庭園については、それほど関心があるわけではなく、知識もない私ですが、「庭園も一幅の絵画である」というのが足立美術館のコンセプトであり、庭園を絵画のように見せる仕掛けのようなものもされているので、少しだけ感想を述べておきたいと思います。ここの庭園の見せ方の特徴として言えるのは、庭園に入って行けないということです。「庭園も一幅の絵画である」というのは、比喩的だと思っていましたが、人は絵画の画面の中には入っていくことはできない。画面から距離を置いて眺めて、想像によって自分がその中に入り込んだような気分になるだけです。ここの庭も人々は現実に足を踏み入れることができません。全国の神社仏閣や邸宅の有名な庭園は総じて、人々が庭園内を回遊して、その風情を愉しむようになっているのは、決定的に違うということです。そして、足立美術館の庭についてよくいわれる「葉っぱ1枚落ちていない」完璧に整備されているということ。そこは絵画のように完成されていて、そのまま動かない、ということです。止まっているのです。もっというと生きているという感じうすい。庭園の庭木は植物ですから生きています。成長もしますし、衰えもします。そういう大きなことではなく、何かしらあるはずです。ここには虫も鳥もいて、これらは止まっていません。植物も動物も生命活動をしていて、それには動きが伴うものです。そこにはハプニングも当然おこる。しかし、この庭は、そういう偶然を許容していないように見えます。それは絵画的な完璧な空間に不完全を持ち込むおそれがあるからでしょうか。言い換えると、不寛容、つまりは余裕がない。こんなとき、海外からの日本美術の特徴として指摘される、不完全さの美学とでもいうものとはかけ離れているのだなと、ちょっと想いました。だから、私には、しばらく見ていて飽きてしまいました。たしかに、庭園には四季があったりして変化しているとはいいますが、この庭は、四季とか朝とか夕焼けとか、それぞれの指標となるものがあって。その指標の完璧な状態に、それぞれ作り直されている。完璧な紅葉景色、完璧な雪景色、とでもいうように、そして、そのつくられた景色は動かない。そんな感じです。だから、極端なことを言えば、撮影した写真を見るのと、実際に庭園を見る際の違いは、映像の解像度の違いでしかないことになります。ちなみに、この美術館で展示されていた絵画作品はすべてガラスケースに入っていて、来館者は。作品に近づくことを禁じられているように感じられました。ガラスに顔を近づけるとガードマンから煩いほど注意され、そこを離れるとガラスに鼻息がついたとでも言うようにガラスの表面を布で拭いていましたから。それは、気分のよいものではありませんでした。
 あるいは、ここの庭園が背景の山を借景として巧みに利用していることも、よく指摘されていることですが、それとそっくりの例を、同じ旅行ツアーで見た出雲大社で見ました。出雲大社の本殿の背後に山があるのですが、それが本殿の奥のご神体のように見えてくる。その山を前にして、神社の建物の神秘性というか神々しさ、荘厳さをスケールアップさせている。それと同じ効果が足立美術館の庭園に見られると思うのです。借景を利用した庭園は、京都をはじ全国にありますが、足立美術館の庭園には完全さや神々しさへの志向が見られる点で、日本的でない、というか、一神教的な合理性を感じるのです。私は、そこに窮屈さというか、どこか入り込めないという印象を持ちました。
 庭園は、これで終わり、本館を二階に上がります。ここからは絵画の展示です。ここでは、<秋季特別展>「心に響く日本画55選」が開催されていました。コレクションのなかから秋にちなんだ作品のセレクションだろうと思います。中には「春雨」とか「幽春」といった作品も展示されていたので、アバウトなものなのでしょう。あと、横山大観の作品は季節は関係ないようでした。重箱の隅をつつくようなことは、ほどほどにします。会場の入り口に展示作品のリストが置いてありましたが、それを手に取る人はいませんでした。これは想像ですが、話題の足立美術館に来た。テレビ等で見た庭園は、思ったとおりだった。写真も撮った。あとは、順路に従って進むと、テレビなどでは見せていない絵の展示がある。横山大観などといった美術にくわしくもない有名画家の作品が展示されているらしい。高い切符代を払っている…、という感じでしょうか。多くの人は、個々の絵の前で立ち止まることなく、ゆっくりと展示室を歩いていく。あるいは、音声ガイドを借りた人は、イヤホンにつけて、音声ガイドが説明している作品の前だけ、立ち止まってガイドの通りに作品の前に立っている。絵を見たいというのではなく、ついでみたいに見ている。こんな光景は、以前にも別の美術館で見た経験を思い出した。東京の富士美術館だ。あそこも貸し切りバスの集団がいくつも訪れる。あそこに来る人は作品に興味があるのではなく、宗教の指導者が集めたということで、それを追いかけることの方を優先している。中には、作品の前で目をつむってお題目を唱える老女がいた。あれとそっくりの光景だ、と思った。

 

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