読売日本交響楽団 第283回日曜マチネーシリーズ2026年1月
2026年1月25日(日)東京芸術劇場
シューマンのヴァイオリン協奏曲が、オーケストラが違うとはいえ、続けて定期演奏会で取り上げられるなんて、めったにないことだ。場所も同じ等級芸術劇場。最近、この曲にハマっているし、この前聴いた、庄司矢紗香の演奏と聴き比べも楽しいと思って、出かけることにした。プログラムは次の通り
エミーリエ・マイヤー:「ファウスト」序曲
シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
シューマンのヴァイオリン協奏曲の出だしでオーケストラが第1主題をトゥッティで演奏するところ、前回聴いた都響と違って、音が大きく、とくに金管楽器が元気なのが目立った。しかし、日本のオーケストラってこんなに上手になったのかと感心もする。例えば、朝比奈隆のCD録音などを聞くとオーケストラが揃っていない(ただし、朝比奈はアンサンブルを統率することに意識のないという下手な指揮者だったが)、とくにホルンやトランペットがフレーズの頭の音が出ないことがよくあった。それが、今の日本のオケはちゃんと頭から音がしっかり出ていて、しかも揃っていて、フレーズが伸びやかで、安心して聴いていられる。ただ、読響は金管の元気がよすぎる傾向があって、ドイツものより、ロシアものなんかの方が向いている感じがする。また、弦楽部の低弦にドスが利いていないので、シューマンのこの曲の第1主題が無機的で、聴衆に迫ってくるような凄みがでてこないのが残念。そして、オーケストラの主題提示のあと、ヴァイオリンが入ってくる。イザベル・ファウストのヴァイオリンは流麗で伸びやか。実は、ユーチューブなどで聴いたこの人の印象と、かなり違うので驚いた。もっと力づくで、弓を弦に強く押し付けて大きくて太い音、その実中身が伴わないスカスカの音というイメージをもっていた。ところが、実際に聴いてみたら、ギスギスしたところのない、中身のたっぷり詰まった音だった。第1主題を切り込むように入ってくるところも、無駄な力みがなくスウッと入ってくる。無機的というより流麗。そのあと、このフレーズを繰り返していって抒情的な第2主題につなげていくのだが、ここが、いってみれば音楽的。繰り返しをまるで変奏曲のように手を変え品を変えて変化をつけて飽きさせない。それが、だんだん無機的なところから流れるように徐々に変化していって、最後にメロディックな第2主題につながっていく。その間無理がない。庄司紗矢香のつっかかってくるような演奏とは対照的。しかし、こんな滑らかに第2主題に流れていってしまうと主題の対立関係を意識しなくなってしまう。実際、庄司紗矢香の演奏のように、たえず、こちらにむかって語りかけてくるような感じはなく、ひたすら綺麗に流れている。それは、とても心地よい。しかし、これってシューマンなの?シューベルトじゃないよね?聞く者の心をひっかくような棘はどこへいってしまったのか。そう、あまりにひっかかるところがなく、心地よい演奏に、途中で眠くなってくるほど。それはそれで気持ち良い時間ではあったけれど。
後半は、メンデルスゾーンの「スコットランド」交響曲。この曲は標題音楽だとよく言われるのだが、私にはその意味が分からない。スコットランドの風景を描写している解説するひとが少なくないのだが、どの音が、どのような風景を表現しているのか、その関係が分からないから。ここにあるのは、音だけだと思うのだけれど、違うのだろうか。そういう解説をしている人は、その点を具体的に説明してほしいのだが、そういう説明は聞いたことがない。冒頭の入りは、そうっと入ってくるのだが、それは単に弱音というのではなく、オーケストラがあえて力を抑えて、その力をたくわえるような感じ、この後で爆発しそうな、そういう劇的な緊張感に溢れている。これって標題音楽とか、そういうものじゃないよね。その爆発しそうな、という期待に応えたのが、最終楽章の入りの弦楽部が切れ込むように入ってくるところから、テンションが上がって盛り上がった。そこに行く前も、第2楽章のスケルツォも軽やかな感じではなく、力の入った、ちょっと重量級っぽいものだったり、メンデルスゾーンというよりちょっとショスタコーヴィチが入っていたような印象。全体に劇的で元気いっぱいな熱演だった。


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