桂離宮へは阪急の桂駅から住宅地の中を歩いて20分ほど。駅の改札を出ても、案内の表示もなく、どちらの降り口へ行けばいいのか迷うほど。観光地ではない、普通の郊外のベッドタウンの駅。どこかで昼食を摂ろうと思ったものの、気の利いた店が見つからず、コンビニでパンを買って、現地でパクつくことにする。大通りをわたって、神社を過ぎると、木々が茂る公園のようなところ。そこが、桂離宮の入り口のところ。
桂離宮の見学については、ホームページで予約できた。この時期に咲く花はないし、紅葉も終わったので、予約しやすかったのか、1ヶ月前でも予約ができました。13時という午の時間のせいもあるのでしょうか。30分前に見学者用の門に着いたら、待っている人は4人しかいないし、当日受付でも見学できるとのことでした。ベンチに座っている人に、確認したら、13時の見学は20分前から受け付けが始まるとのこと。その人は、雪景色の桂離宮を見たくて、秋のうちに予約していたのに、このところ暖かい日が続いて、雪が降らなかったので残念がっていた。いろいろと考えもあるものと感心しました。桂離宮の見学は、日本語の案内する見学時間と英語で案内する時間が別々に設定されていて、以前に見学した修学院離宮のように、外国人と日本人が一緒に見学することは、あまりないようです。ちょうど20分前に係員の人が出てきて、許可証を確認すると門に入れてもらえて、見学者待合所で身分証遺書を提示して、手数料の1000円を払います。修学院離宮は無料でしたが、こちらは自販機に払います。現金か、またはスイカも使えます。そうすると、首から下げる入館証を受け取り、待合所で待機します。トイレも済ませます。売店もあり、ちょっとしたお土産も売っています。私は、荷物を持っていたので、ロッカーに預けます。13時ちょうどに見学が始まりました。見学者は10名ほど。係員の人は、少ないと言っていました。おかげて、説明を含めた対応がリラックスしたアットホームな雰囲気になりました。その雰囲気は、とても気持ち良かったです。
見学は、マップの矢印の道順で進みます。参観者出入口に集合して、見学の注意を受けた後、離宮に入っていくのですが、通路に竹の棒で通せんぼしてあって、それを案内者が外して、通路に入っていきます。ああ、普通は入れないところに入っていくのだ、ということを実感しました。最初に案内されたのが御幸門。
離宮内から御幸門に向かったので、門を出る方向となります。それのように御幸門を出ると、広い道が延びていて、その先には表門があります。表門は、天皇が来た時にのみ開かれるという御成門ですが、屋根のないシンプルな門です。以前に見た修学院離宮の門と似ています。しかし、天皇のための門としては、かなりシンプルです。前回、京都に来た時に見た、曼殊院の勅使門の豪壮さと比べると、簡素を通り越して、貧相ですらあります。似たような時期の建築なのに、どうしてこんなにも違うのでしょうか。それは、別に考えるとして、この簡素さが、例えば、有名なブールノ・タウトの『日本美の再発見』での桂離宮の讃美に繋がったのではないかと思います。ノイエ・ザッハリヒカイトの美意識を有していたタウトには、京都の寺院の豪壮な建築は装飾華美にしか見えなかったのではないか。実際に『日本美の再発見』のなかで、日本の建築が重い瓦を屋根に乗せているのは理不尽だと何度も述べています。石積みのゴシック建築の聖堂を日常的に見ていたタウトにしてみれば、意志の重みの負担をいかに逃がすかという西洋建築の課題をあざ笑うかのように、わざわざ屋根を重くさせている日本の建築は理不尽にしか見えなかったのかもしれません。それに対して、桂離宮の書院もそうですが、最初に目に触れたであろう、入口の門は重さがないという点で、彼には理解しやすかった。それを簡素という言い方にすると、無駄をそぎ落とすノイエ・ザッハリヒカイトの美意識に沿ったものとなる。そんなストーリーの想像に駆られてしまいます。私には、桂離宮の評価というのは、そういう偶然が重なって、結果として高い評価になったと思えるのです。たしかに、桂離宮全体には、さまざまな意匠が仕掛けてありますが、そこに思想的なもの、世界観のような統一的な意志のようなものは感じられないのです。結果としてこうなったという偶然ではないかと思えるのです。
さて、表門から入ってくると、御幸門から、道は急に狭くなります。天皇は、表門を輿に乗って入ってきて、御幸門の前で輿を下りて、徒歩で御幸門を入ったということです。それで、御幸門は人が2、3人通れる程度の小さな門です。そして、門を入る正面には生垣があって視界を塞がれます。道はすぐ右折します。見学は、御幸門で、いったん、この道を引き返します。御幸道というこの道は青黒い小石をまんべんなく密に敷きつめて粘土で突き固め、やや中高に反りをつけて、つまり、心持ち道の中央が盛り上がるようになっていて、水はけや歩き易くする工夫がされているということです。驚くべきは、その小石は定期的に敷きかえられているとのこと。
御幸道を中ほどまで戻ると、生垣の途切れたところを南に向かって直角に曲がります。小石敷の道をいくと、飛び石伝いの細道に入り外腰掛けに行き着きます。この先の松琴亭の待合所ということで、茶室の準備ができるまで、客はここで待つための建物です。屋根つきのベンチのようなものです。修学院離宮には、こういうのはなかったと思います。桂離宮には、このようなベンチから四阿そして茶室にいたるまで、さまざまな建物が庭園内に散在しているのが特徴だと思います。きちんとした建築というのではなく、悪く言うと中途半端、完全な家というには、ちょっと足りない。例えば、すべての面を壁がなくて、ある方向が開放されている、半分しか完成していないように見える。そういうのがいくつもあります。それが特徴的だと思います。その不完全さが“わびさび”の美学というか。完璧で調った美に対するオルタナティブな美として、例えば千利休の侘び茶に代表される“わびさび”です。ベンチのような建物を、ちょっと離れた茶室の待合として建てる。それを離宮全体の構成の一部にしている。でも、当時の事情から考えれば、“わびさび”はカウンター・カルチャーと言えるのではないか。おそらく、桂離宮の場合は、現実的な事情もあったのではないか。それは、予算の制約。スタンダードな意匠の豪華な別荘をつくれるほどの財政ではないので、低予算でできるように、開き直って“わびさび”にしたのではないか。それは、京都にある近世の庭園と見比べると、桂離宮が突出して簡素であるように思われるからです。しかも、最初から“わびさび”の思想で離宮をつくったのなら、もっと統一性があってもいいのですが、どこか行き当たりばったりのところがあるのです。だから、やむを得ずこうなった、と考えた方が自然に思われます。
また、ここにある手水鉢です。画像では、四角の石に白い菱型があります。この白いのは白砂が菱型に詰められているからで、本来は、この菱型はへこんでいて、そこに水が湛えられて、その水で手を洗うといいます。しかし、今は、水は湛えられておらず、この画像のように白くなっています。これは、普段、水を溜めておくとボウフラが湧いたり、雨水がたまって、石が侵食されたりしてしまうので、砂を詰めて、水が溜らないようにしているそうです。それで、天皇や来賓が来た時には、砂を取って、水を入れて、柄杓を添えるのだそうです。離宮内には、このような手水鉢が他にもいくつかあり、それぞれ用意するとのこと。何か細かいことですが、管理の手間が大変なのだと驚き(呆れ)ました。

さて、外腰掛けの正面には蘇鉄山が盛り上がっていて、蘇鉄が植えられています。南国風の風景で、画像の風景がそれです。しかし、私が見学した、この時期は冬で、寒さに弱い蘇鉄には菰が巻かれて、保温が図られています。そのため、広がっている大きな葉が菰に収められてしまっています。そのため、普段なら広がる葉で隠されていた、蘇鉄の向こうの景色を垣間見ることができます。これは、この時期だけのことだそうです。つまり、普段なら蘇鉄の葉に遮られて見ることのできない、つまり、見えないようにされているここからの景色が、この時期だけは見ることができる。そのため、普段は制限されている視野が、例外的に制限を免れているのです。それは、ある意味では、ここで視野を塞がれていて、この先で、突然、視界が開けて、池と州浜が見えると、今までとは違った世界が開けるという視界の転換が、一部予見できてしまうことでもあります。しかし、それはまた、そういう仕掛けの裏舞台を垣間見ることができるわけでもあります。そのおがけで、この庭園は、このように視界を隠して、視野を制限して、場所によって見える景色を限定することで、場所が変わると、そこから見える景色が全く変わってしまう。一種の騙し絵のような作りになっていることが分かります。それは、庭を実際の広さ以上に広く、奥行きのあるように錯覚させる効果をもつものです。それに気がいたのは、冬枯れで木々の葉が落ちて、普段なら葉が繁って視界が塞がれていたのが、隙間から塞がれていた視界を垣間見ることができたからです。ここでも、蘇鉄が菰まきされて、大きな葉で隠された視界を除くことができたわけです。この庭は、視界を限定することにより、庭の地点によって、限られた視界から決まった景色を点景としてしか見ることができないわけで、場所が変わると場面転換するように景色が換わるということになっています。つまり、この庭は、場面ごとの点景で構成されている、いわば静的な景色なのです。その各景色がピクチュアレスクというか絵になる景色なのです。一応、庭を回遊するわけですが、庭の中にいるという感じではなく、場所ごとに庭を眺めるという観察者の立場になる、つまり、いる場所は庭の中なのですが、位置づけは離れて眺めるという外部にいるようなのです。回遊すれば、歩くに応じて景色が動くのですが、この庭には、そのような動きがないのです。だから、写真の撮影ポイントは決まってくる。誰が撮影しても同じ写真になってしまう。それって、陳腐化しやすいのですが、それが、或る意味で、桂離宮を有名にしているのだろうと思います。
外腰掛けの一帯をでると一気に視界が開けて池が見えて、その先にこれから向かう松琴亭が遠望できます。その池辺に小石が敷きつめられて先端に灯籠が立っている州浜と呼ばれるらしい。その向こうに石橋があって天橋立になぞらえているとのこと。そうは見えない。桂離宮って、そういう重箱の隅をつつくような細かなところで、変にこだわっているようにみえるところがあると思います。全体の構成といい、こういう些細なところにこだわるところといい、ここを作った人は相当な偏屈な性格のような気がします。そして、ここではじめて書院の建物が見えてきます。この庭園の回遊コースは書院を要にした扇のようなかたちになっているので、書院を様々な角度から眺めることができ、その角度によって様相が変化するので、その変化を楽しめるようになっています。画面の真ん中左に古書院が見えています。まん中右は月波楼です。
石橋を渡って松琴亭。茶室です。桂離宮には四季それぞれに茶室があるということで、ここは冬に適した茶室で、室内には暖を取るための石炉が設けられていて、冬の月は、明け方に西に下がっていく「有明の月」を望んでいたそうです。また、にじり口が設けられているので、桂離宮の中でも格式の高い茶室ということです。茅葺屋根で縁側が開け放たれていて、田舎の家屋みたいですが、室内は幾何学的な市松模様の襖があったりしてモダンな感じで、そのギャップが面白い。そういえば、茅葺屋根とか障子といった日本的な意匠を取り去って、フォルムだけを取り出してみると、直線だけで構成されていて、装飾的なものが何もないのは、とてもモダンな感じです。これを20世紀の初頭に、ブルーノ・タウトのような現代建築の先駆となるような建築家が評価したのも分かるような気がします。高層ビルのパターンを直線的な構造に共通するものが、たしかにあります。でも、これって意図的にこうしたというというより、結果的に、こうせざるをえなかったのではないか、と思える。経費や工期の制限とかから、こうせざるをえなかった。その分、細部の細工に趣味性を持ちこんで、ちょっとした贅沢で我慢したとか、そんな感じです。幾何学模様の襖は、加賀藩の献上らしいので、ただそれを使ったというだけのことでは、と思ってしまいます。全体としての桂離宮は、統一的な世界観で設計されたものというより、場当たり的に、都度、追加で作られ続け、その結果として最終的に現在のような形になった、という感じがします。それが、かたまってから、それが定着し、その後長い年月で、人々の意識のなかでそういうものとして固定化され、これを統一的なものとして見られるようになった。その理屈は後から、いくらでもつけられる。私のような庶民からすれば、この庭園の中に、茶室のような小亭をいくつも建てること自体に、何か不合理さを素朴に感じます。そのあたりに統一性とか合理性とかの面で、疑問を覚えてしまうのです。その場合、その都度、あれが欲しいと欲求が起こって、追加するように建てたという方がピッタリするようも思えるのです。
松琴亭から先に進むと道が細くなり、飛び石のちょっとした山道の趣です。土橋が現れ、大中島に渡ります。ちょうど、今の時期は、冬支度で橋に菰播きのように藁が巻かれていて、足元に注意しながら渡ります。案内人の人がひとりひとりが渡るのを見守ってくれていました。親切ですね。ほんらいなら、ここから樹間の道で視界が塞がれて、頂上にでて視界が開けると、書院の全景を見ることができるようになるのですが、今の時期は、木々の葉が落ちているので、視界が塞がれることなく、書院の眺めが歩くたびに角度がかわって変化してくるのを木々の隙間越しに見ることができます。いわば、いつもなら静的にしか楽しめない眺めを動的に楽しむことができるわけです。この島は小高くなっており、その頂上に春に使われる茶室・賞花亭があります。ここは、庭園の中で、もっとも高いところになります。島にはツツジが多く植えられているため、花をめでる(賞賛する)意味で「賞花」と名付けられているそうです。高台にあるため眺望に優れ、愛宕山も綺麗に見えます。突然視界がひらける、驚きと感動というのは、今までの道で垣間見てきたので薄れてしまうので玉に疵ですが。
賞花亭は、二方が開け放たれて、土間を真ん中にしてコの字形に畳を腰掛けのようにした、休憩の四阿のような建物です。まん中の土間に竈と炉があって茶をたてるこができる。南側の窓からは背後の谷が奥深く見えて深山の雰囲気が味わえる一方で、開放された正面からは眼下の池越しに書院を見下ろすことができるという対照を見えることができる。峠の茶屋の雰囲気ということです。
ここからは池ぞいに書院の景色を横目に南の笑意軒に向かいます。途中梅の木が植えられていて、春は花の景色となるだろうことが分かります。この時期は、落葉が多くて、その掃除に、人がいました。このように書院を様々な角度から違って見えるということは、反対に書院からは、庭の景色が点景のように様々な場面として見ることができるということです。けっして、全体を俯瞰することがなく、つまみ食いするようにそれぞれの場面として、味わう。それが桂離宮の特徴だろうと思います。ここの見学は、案内人に随いてグループで回るのですが、各人が自由に三々五々に散歩するのではなく、一団が庭の地点を一緒に移動することで、場面の転換を一緒に体験する、その転換の効果を共有することで、その体験はより劇的になります。その意味で、ここの見学の方法は、結果としてかもしれませんが、桂離宮の見学には適したっていると思います。
このあと書院の前を通り、近くにその建物を見ると、見学も終わりに近くなります。参観者出入口で、首から下げた入門票を返すと見学は終わりです。ちょうど1時間でした。
私は、帰りの新幹線の時間があるので、すぐに駅に向かって歩き出しました。しかし、時間の余裕があれば、このあたりは木が植えられた公園のようになっているので、ここで少し、時間を過ごすのもいいかもしれません。私と一緒に回った人は、見学の時間が分かっているので、帰りのタクシーを予約していて、ちょうど門前に来て待っていました。
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