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2026年7月

2026年7月22日 (水)

読売日本交響楽団 第694回名曲シリーズ演奏会

2026年7月21日(火)サントリー・ホール
001_20260722231801  梅雨明け直後の猛暑の日。今日は神谷町から歩く気がしないので、溜池山王駅からサントリーホールへ。それでも、少しの間の歩きでも、汗ダラダラ。
 プログラムは次の通り、暑っ苦しい。
ヘンツェ:夢見るセバステイァン
ベーメ:トランペット協奏曲
  トランペット マティアス・ヘフス
   アンコール:ブラームスの間奏曲Op.118の2
R・シュトラウス:アルプス交響曲Op.64
  指揮 セバスティアン・ヴァイグレ

 

 前半のヘンツェの晩年の作品は日本初演とのこと。昔懐かしいゲンダイ音楽。大編成のオーケストラで、打楽器なんかがステージからあふれるほど。15分ほどの曲で、不協和音の不安定で暗い感じの部分とオーケストラが咆哮する大音量の部分が交互にくる。響きによる圧倒をねらっているのか、とにかくかき鳴らしている。オーケストラがトレーニングしているみたい。15分で終わったから、まあ、いいか。
 2曲目がトランペット協奏曲。ロマン派のピアノ協奏曲やバイオリン協奏曲をトランペットでもやってみようという感じの曲。独奏者のトランペットは巧い人だろうと思う。頑張って吹いていた。朗々と高らかに鳴らす、というより、細かなパッセージを流麗に演奏するというのは、一般のトランペットの演奏のイメージを崩すものだったかもしれない。バイオリンが、ヴィルトーゾ風に細かな技巧を流麗にひけらかすのに似ている。でも、それだけかな・・・。トランペットという楽器はロマン派的な情緒的な細かなニュアンスの表現に向いていないということが、却ってよく分かる。そして、曲そのものに魅力あるかな?たんにもの珍しいという、それだけのように思った。
 後半は、R・シュトラウスのアルプス交響曲。交響曲というタイトルですが、交響曲の4楽章形式とか、ソナタ形式といった形式にはなっていません。交響詩です。とはいえ、ティルオイゲンシュピーゲルの愉快ないたずらとか、英雄の生涯といった曲の、ちょこまかしているというか、こまっしゃくれた、といいたくなるようなオーケストラが動き回るようなフレーズが、私には、どうも苦手で、落ち着かないのですが、この曲は、そういうところが少ないので、この人にしては聞きやすい曲といえます。「ヤッホー」とでも聞こえてきそうな2音をモチーフにして、各楽器で持ち回りにして鳴らしまわるような響きで、しかし、ソナタ形式のように展開されるのでも、フーガのように各声部で関係をつくって音楽を構築するのでもなく、いろんな楽器から、そのフレーズが聞こえてきてカラフルだねえ、という曲です。今回の演奏は、そのモチーフを歌わせたり、楽器間での掛け合いをして、有機的に、つまり情緒的に聞かせる、というよりは、はっきりとフレーズを聞かせることに主眼を置いているようで、それだけに劇的なところは後退して、すこし淡白な印象ですが、その反面、響きの多彩さが前面に出る。それだけに、威勢よく鳴らすという、このオーケストラの性格には適した演奏だったと思います。かつてのソ連のオーケストラを聞いているみたいな、音の響きの厚みと圧倒的なボリューム。R・シュトラウスには、このような表層的なボリューム重視の演奏が似合っていると思う。

 

2026年7月 6日 (月)

ハーゲン・クァルテット演奏会

2026年7月5日(日)ミューザ川崎シンフォニーホール
002_20260706114101  ミューザ川崎には、はじめて行く。以前に演奏会に足繁く通っていた頃には、なかった施設。JR川崎駅の改札をでて2階のコンコースをいくと左手に通路があってショッピングセンターのような建物。改札から徒歩5分、その奥に大きな階段を上がるとシンフォニーホール。建物の構造がよく分からない。受付でチケットのチェックを受けると、2階席に向かうエスカレーターが小さくてわかりにくい。2階のロビーは広くて、ホワイエが目立ったりしているのだが、ホールの入り口がわかりにくい。ホールにはいるが、座席のブロック割が細かくて、座席の表示がわかりにくく、自分の席を見つけるのに苦労した。ホールのデザインはステージの四囲を客席が囲むモダンでスタイリッシュな印象。それゆえに、音の通りはよさそうだが、残響はデッドなのではないか。天井が高いし、室内楽だと音が上に行ってしまって、客席には、あまり届かないのかも、心配になる。あとで、実際に演奏を聴いたら、その予想の通りだった。今回は弦楽四重奏の演奏をオーケストラ向けの大ホールで聴く。聴衆のキャパの関係もあるのか、ステージの裏側や両横の席は閉鎖して、ステージの前側の席のみに聴衆を座らせていた。その席は満席の状態。
 プログラムは次の通り。
シューベルト:弦楽四重奏曲第13番イ短調Op.29-1、D804「ロザムンデ」
シューベルト:弦楽五重奏曲ハ長調Op.163、D956
 このプログラムは30年ほど前に、東京文化会館小ホールでウィーン弦楽四重奏団の演奏会で同じ曲目で聴いたことがあって、あれはシューベルトの歌謡性が前面に出て、その世界に浸りきることができたいい演奏会だった。ハーゲン・クァルテットもウィーン系の人々とのことで、期待していた。実際には、その期待とは、全然異なる演奏会だった。
 前半の「ロザムンデ」四重奏曲。3人の波形のような伴奏に第1ヴァイオリンが主題を始める冒頭。最初の波形が微弱音で、聞こえるか聞こえないかというほど、そこに乗る第1ヴァイオリンもまた微弱音。なんというかモノローグのつぶやき。しかも、この第1ヴァイオリンは、あまり歌わない。一般的なこの曲の演奏では、はじめからシューベルト特有の優しいメロディが曲を進めさせていくというのとは違う。以前聴いたウィーン弦楽四重奏団の演奏とは全くの別物だと、この時点で判明。しかも、この第1ヴァイオリンはメロディをフレーズごとに切るような弾き方で旋律が連なるようなところがない。そして、このフレーズの中で細かく強弱をつけている。それは、フレーズの中で人の息づかいが聞こえてくるような印象。これらが、全体に微弱音でひそやかに、しばらく続く。これは、シューベルトの歌というより、ためらいがちに、フレーズ切れることで、ときに口ごもったりするようにためらいがちに、訥々と内心を呟いているような演奏。この曲の優しく明るい歌というより、重苦しい感じに。パッと音楽が盛り上がるところでは、むしろ沈潜するような感じ。第2楽章の有名な「ロザムンデ」のメロディも全然歌わない。これは、最晩年の未完成交響曲みたいになっている。後半の楽章は、歌が舞踏に移り変わっていって、楽しげなダンスになって軽やかに終わっていくのだが、この演奏では、音量は増えて行くものの、テンポが速くなり、緊張感が高くなるだけという、ちょっと悲愴な感じになる。とても、重い演奏。
 後半の弦楽五重奏曲は、シューベルトの死の直前に、最晩年の「冬の旅」の重い世界を突き抜けた明るい歌をうたった音楽。そうなるのかどうかを期待した。四重奏に加わった五人目のチェリスト北村陽は見下されたというか、ビジターの独奏する方のチェロではなく伴奏の方のチェロをさせられている。ここでちょっといやな予感。シューベルトの弦楽五重奏曲はモーツァルトやブラームスの弦楽五重奏が四重奏にヴィオラが加わるのと違ってチェロを加えたのは低音部を充実させるためだったというのが、よく解説される。私は、それだけではないと思う。加わるのがヴィオラよりも、より独奏的な性格がつよいチェロであることによって、独奏という四重奏の団体性とは異質の、より開かれた感じになるということがあると思う。それを、今回の演奏では独奏チェリストにではなく四重奏団のチェリストがチェロの独奏的なパートを務めることによって開かれた感じがなくなるのでは、と危惧したが、そのとおりの演奏になってしまったと思う。この曲の突き抜けたような感じではなく、閉じ籠もったような息苦しい演奏になってしまったと思う。それは、とくに後半の第3楽章、第4楽章が力任せのようになって、力んでいるだけの乱暴とすら感じられてしまうほどの演奏になっていた。たしかに緊張感は高かったが。この曲の第2楽章は弦楽四重奏の幻想的に歌うメロディを加わったチェロが、その歌を肚で受けて、具体的にはチェロの楽器の胴体の中にいれて共鳴させて、それをピツィカートで応えるところがある。ここでのチェロのピツィカートは単なるチェロの弦を弾く音だけでなく、他の四重奏の響きや歌を含みこんだ深い響きとなって聞こえてくるものなのだと思う、しかも、単音のようなピツィカートは実は、その単音に歌が凝縮されているというシューベルトの歌の極限の姿がここにあると思うのだが…。ここでの演奏は第1ヴァイオリンとチェロとの掛け合いに矮小化されてしまった。それはそれで聴けるものではあるのだが、それは何もこの曲でなくても、他のシューベルトでもあるのだから。それでは弦楽五重奏でなくてもよかったのに…。
 全体として、いい演奏だったと思う。この団体の現役最後のツアーということなので、演奏する側も思い入れがあって、力が入りすぎたのかもしれない。それなら「死と乙女」四重奏などの演奏の方がよかったのではないか、と思ったりした。

 

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