猛暑の高野山・熊野三山と南紀(3)~第3日目 その他
最終日は、ゆっくりとホテルを出発して、あらぎ島の棚田に向かった。和歌山県の有田みかんで有名な有田川をさかのぼった山あいの部落で、川がΩ字に曲がりくねった、典型的な穿入メアンダー地形の内側が舌状の台地となり、大小の水田54枚が階段状の扇形に形成されている。「国の重要文化的景観」に指定されているとか。でも、かつては、棚田で稲を作らなければならなかった。しかし、今は、その必要性はないのだろうと思う。その証拠に、残っている棚田は、このあらぎ島の部分だけで、その周囲にも、かつて棚田であった痕跡は見られたが、すべて放棄されて耕作されていなかった。おそらく、あらぎ島の棚田は棚田を守るために稲が作られているのだろうと思う。それって、何か矛盾していると思いながら見ていた。似たようなことは、能登の輪島付近の「千枚田」という名で有名な棚田があるが、あそこも景観とか文化の伝統を守るということで、耕作の必要がなくなっているのを、全国から寄付やボランティアを集めて、その保存のために稲作りをしているという。棚田は景観として見ると、美しいといえるかもしれない。しかし、そうまでして、無理してまで稲を作らなければならなかったのはどうしてかを考えると、そこに政治的、経済的な顛倒に思い至るわけで、それがなければ、却って、この地は山の豊かな恵みで暮らしてゆけたのではなかったのではないか。米を無理して作らねばならないかゆえに、そのために豊かになれず、不条理ともいえる棚田のような労苦ばかりの作業を強いられた。そういうことを考えてしまう。ここから、新大阪に出るという大回りして、新幹線で帰った。



































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