山口華楊展(3)~第2章 系譜─師・五雲から華楊へ
「犢」は1941年の作品。第2次世界大戦の頃ですが、このような戦時高揚とは無縁の作品を描けていたんですね。この人は輪郭線をはっきりとはさせないところがあるようです。地と図の境界がはっきりしない。横山大観なんかの朦朧体とは違ったかたちで、形態が曖昧になる。たしかに実際の事物には輪郭線などないので、輪郭線など描かないのがリアルなのかもしれませんが、山口の場合は、それとは違った理由があるように思われる。たとえば、仔牛の背景となっている草原の描き方です。まるで霧がかったように、白っぽい色彩のなかに淡い緑の濃淡があって、そこに強い白で草や花が線描のように描き込まれている。幻想絵画、私はルドンを思い出しましたが、さらにいえば草原の抽象化された姿に見えます。そこに輪郭が曖昧な仔牛があると、草原から浮き上って独立しているのではなく、草原という平面の一部になっているように見えます。もっというと抽象化された草原という平面上の模様のちょっと色の濃い部分。これから見ていく山口の作品は、そのような傾向が目立っていくように、私には見えます。1944年の「制空」という作品では、背景の空の描き方で、それがさらに進んでいるように見えます。
「鹿苑」は1969年の作品。複雑に色を重ねて、全体として淡い幻想的な色面をつくり、その色面を組み合わせることによって、画面を構成させて、結果として鹿の絵が出来上がっているという作品です。全体の背景となっている草原は、緑をベースにして白を重ねているように見えますが、そこに多彩な色が複雑に重ねられて、そのムラが草原を結果として表わすひとつの平面になっています。そして、画面上部には、円形の境界で区切られて、緑の地に白で草が描かれている。それは、写実的なリアルな草原というのではなく、静謐で涼やかな空気感を画面に作り出すような幻想的な平面を作り出していると思います。このような草原という背景の上に5頭の鹿の輪郭をした平面の色面が配置されています。これらの鹿の輪郭の色面は茶色を基調とする鹿の間にグレーと白を基調とする鹿を配して、同系統の色が重ならないようにして、色面が混ざり合わないようにしています。これなど、写実的な鹿の描写よりも、色面の構成で画面を作っている表われのように思います。それででしょうか、草原に鹿が憩でいる様子というより、薄いグリーンの下地から鹿の形の色面が浮かんでいるように見えます。そういう構成された画面の面白さが、この絵の魅力ではないかと思います。
「待春」は制作年不詳の小品。雪で埋もれた洞穴から顔を覗かせる兎。華楊は「兎が一番可愛らしい」と言い、雪解けの静かな情景の中に、春を待つ生命の息吹を繊細に表現している。と説明されていました。というより、私には、この絵の特徴は画面の大半を占める雪の白い色面の描き方ではないかと思います。白が印象的ですが、真っ白一色ではない。薄いグレーをはじめとする多彩な色を重ねて、しかも、全体が重くならないように、白の印象を妨げないようにして、フワフワしている泡のような印象になっているとこではないかと思います。この作品は、この白い面を見るもので、画面中央のウサギの茶色や若葉の緑は、その白を際立出せるための一種の背景に過ぎないのでは、思えるほどです。
こうしてみると、山口華楊という画家は色面で画面を造る人できないか、動物や植物は、その色面のための題材にすぎないと思います。
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