山口華楊展(5)~第4章 大成─「偉大なる動物画家」として
「白い馬」は1952年の作品。緑色の地に白い馬という色の配置は東山魁夷の白馬だなあ。実際、色の感じは近いと思う。説明では琳派の作品を見てインスパイアされて、背景を抽象的にして、白く光る馬が浮き上がるような画面は、写実から次の段階に飛躍する転機となった作品と説明されていました。山口の場合は東山魁夷のような幻想的な画面になることはなく、白馬の白と草原の緑という色の対比が印象的です。
「黒豹」は1960年の作品。黒はグラデーションを施すのが難しかったのか、シンプルに見えます。そうすると平面的な画面がペラペラで単調になってしまっています。
「霽」は1968年の作品。「黒豹」では単調になってしまった黒を数羽のカラスを画面に構成して配置することで変化を作り出しています。おそらく、カラスの配置は、緻密に計算されたものではないかと思います。それよりも背景の白の複雑なグラデーションが目に付いてしまって、カラスの黒が背景の白に埋もれてしまうような錯覚を覚えます。この作品のような上から見下ろす視線で、群像として配置して描くという作品は、
山口の場合、少なくありません。三匹の猿を群れの中の部分として配置しているような「猿」、白いタイルのベランダで日向ぼっこをしている犬の親子を描いた「日向」など、その傾向の作品は他にも展示されています。「黒豹」もそうです。そこに共通しているのは、ベースとなっている地がとても印象的ということです。「日向」などは、白い毛の母犬は、タイル地の白に溶け込んで埋没してしまいそうにも見えます。また、「猿」では、猿と地の色が同系統であるため、三匹の猿がそれほど際立っていません。それほど、地が念入りに描かれているし、見るものの視線を誘うのです。このような画面の作り方は、山口という画家に、かなり特徴的なのではないかと思います。
「月夜野」は1971年の作品。薄い夜霧の中、緑色に光る眼をした狐の姿が神秘的に描かれ、と説明されています。三匹の狐の緑色に光る眼の描写がとても印象的です。その眼はエメラルドを想わせる。それ以上に、薄い夜霧と説明されている背景の緑のグラデーションで作られた平面です。具体的な草木の形態は暈かされて、霧を想わせるヴェールのような白みがかった薄い緑が漂う。その薄ぼんやりした平面は、幻想的といってよく。そこから三匹の狐が、その背景に溶け込み、しかし、浮き出ているというあり方は、現実とも幻とも見えます。そんな中で、三匹の緑色に光る眼だけか、際立って目立つ。それゆえ、その眼が、とても印象的です。
「木霊」は1976年の作品。京都の北野天満宮にある樹齢約600年の大欅の根っこを描いた幻想的な作品で、老樹のうねる根と、そこに佇む小さな木菟を描くことで、樹木が持つ神秘的な生命力を表現している、と説明されています。「青蓮院の老木」の下部の根の部分を土色にして画面いっぱいに描いている作品です。この作品の特徴は、画面右手に木菟を描いていることで、これがアクセントになっている。木菟のまわりに光っているのは、そこに見るものの視線を集めるためでしょうか。この木菟は非現実的です。木の根の描き方が様式的、デザイン的で、画面を構成してつくっている。山口という画家は、もともとこのような志向の画家であるように、作品を見ているかぎり、私にはそう思えます。
「秋晴」は1976年の作品。澄み渡る秋の空気の中、柿の木の下で日向ぼっこをするリアルで愛らしい黒猫を描いた、動物画の名手・華楊の晩年の代表作として知られ、黒猫は薄い墨線で輪郭を柔らかくぼかし、その上から繊細な毛描きを施すことで、黒猫の毛並みの質感をリアルに表現されている。と説明されています。黒猫は写実というよりデフォルメされ、デザイン的に様式化されています。黒猫というと菱田春草の「黒き猫」などの著名な作品がありますが、それらの様式化された猫のデザインを踏まえられているようも、私には思えます。その一方で、紅葉の葉の多彩で複雑な描き方が印象的です。
「幻化」は1979年の作品。狐を、人を化かす狡猾な動物ではなく、夢幻の世界でのびやかに遊ぶ気品ある存在として描いている。緑色の眼が光る幻想的な情景は、的確な写生によって現実感をもたらす。華楊が生涯追求した写実と、生命への深い洞察が結実した、畢生の傑作である。と説明されていました。この展覧会のポスターでも使われていることから、この作品がメダマなのだろうと思います。ただ、説明の通り、この作品が写実なのかどうかは、疑問が大きい。野生の肉食動物、ハンターとしての狐、人間に対して警戒心を隠さない野生動物としての狐の姿は、ここにないからです。この狐は、そのままというより、山口の描く画面のコマとして適当なものとしての狐です。そこに現実感があるかというと、それらしいデザインでしょう。だからいいのですが。私には、背景の地は緑なので草原ということなのでしょうが、水中のように見えて、水中で遊泳している二匹の狐という現実感のない画面に見えます。そういうところが、この作品の魅力ではないでしょうか。私には、この人は色彩の平面で画面を構成するのが本領の画家に思えます。この作品での狐は狐の形態の平面に私には見えます。写実といいますが、実際に狐の毛を細かく描き込むようなことはしません。これは他の作品でもそうです。リアルに対象を迫真に描くということは為されていないのです。
私には、この一連の展示を見てきて、山口華楊の作品は、日本画の花鳥画を西洋近代の幻想絵画やキュビスム、フォービスムといった近代絵画的に描いてみせたものと見えます。
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