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2026年8月17日 (月)

山口華楊展(4)~第3章 探究─植物表現の生命力

Yamaguchitree  「青蓮院の老木」は1973年の作品。前に見た「葉桜」と同じように画面いっぱいに樹木の枝と根の広がりで覆い尽くすような構成で描かれています。それは、画面が緑色で覆い尽くされるということでもあります。その緑のグラデーションというか緑を基調とした様々な色の微妙な組み合わせが、この作品の魅力になっていると思います。緑で画面を溢れさせるには蔓延るように屈曲しながら伸び広がる根の全面に苔が繁茂し、他方で枝には葉が生い茂る老木は、またとない格好の素材だったのだろうと思います。老木の瘤のついたような太い幹は平面的で、重量感がありません。ペラペラです。それだから、緑の画面が重くならならず、幻想的な画面になっていると思います。そして、老木の形状も作為的で、近世初期の絢爛豪華な襖絵のマニエリスティツクな樹木の近代的なアレンジと言えなくもないと思います。
Yamaguchicockscomb  「鶏頭の庭」は1977年の作品。山口の晩年期といってでしょうか、写実とか気にすることなく自由に(好き勝手に、やりたい放題に)画面を造っている作品です。鶏頭の異形のような紅が鮮烈に目に残ります。それ以上に、その背景の枯草のような草地の複雑な色面と、三つ並んだ石のデザイン図形のような形態と複雑な陰影に視線が吸い寄せられます。鶏頭の花を生かすために描かれているのでしょうが、ルービンノの杯のように地と図が逆転して、背景の方が主体に見えてきます。
Yamaguchipeony  「玄花」は1979年の作品。ますますリアルな写生から遠ざかり、つくりものめいた模型のような牡丹の花です。牡丹の花びらをいくつかの色面となっている平面で作られている。それってキュビスムの初期の立体を面に分解するのに近いような感じ。しかも、その各平面の色が色分けされているので、平面ごとに塗り分けられているのはフォービスムの感じ。とはいっても、抽象の方向に向かわず、具象の形はしっかりと残されている。その組み合わせは、いかにも人工的な感じがする。牡丹というより牡丹のフィギアという感じに近い。生命感とか温かさといったものが感じられず、クリスタルな感じといいますか。冷たい感じが、とてもモダン、あるいは近未来な感じがします。

 

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