猛暑の高野山・熊野三山と南紀(1)~第1日目 高野山
今回申し込んだツアーは、季節にかかわらず年間何度も行われているようで、募集が始まるとすぐ満員になってしまう人気のツアーらしい。しかし、今回は8月の猛暑の真っ最中だからだろうか、比較的空いていたようだったので、申し込むことができた。実際に参加してみたら、参加者数は18名と少なかった。男女比はちょうど半々。珍しく男性が多い。
早朝の8時過ぎ、東京駅から新幹線に乗る。学校は夏休みに入っているので混み合っているかと思っていたら、思いのほか空いていた。駅のホームには人影はまばら。おかげで、新幹線は快適だった。新大阪で下車、バスに乗り換えて、高野山へ向かう。大阪から南下するコースだが、高野山まで100分を超えた。移動だけで結構疲れた。
かつらぎから高野山に向かう。つづら折りの急登。バスの揺れで、車酔いしてしまいそうなほど。坂を上りきると高野山の境内の町並み。まずは奥の院へ。中の橋駐車場でバスを降りると、案内人が待っていた。ボランティアのような中途半端なものではなくちゃんとしたガイド。高野山が観光地として洗練されたとこであるということがよく分かった。宗教的な聖地などというものではなく、産業としての観光を洗練させ効率的にさせた一種のテーマパークと思える。昔なら境内への入り口である大門から壇上伽藍を通って1.9キロの道を歩くものだった。自動車などなかった前近代では、京都などの近畿圏から徒歩でつづら折りの山道を上り、ようやく境内にたどり着き、そこからさらに奥に1.9キロの道。それが今日ではバスでそれらをパスし奥の院の手前、中の橋までいけてしまう。そこまでの道路は狭い道ながら、高野山の塔頭の間を縫うようにして、その雰囲気を壊さないような境内の町並み(門前町とはいえない)が、ちょっと古びたというか田舎の素朴なという雰囲気をつくり、日本人にはノスタルジックな、外国人にはサムライのエキゾチックな雰囲気をつくり、それが絵になっている。こんなことは京都でもできていない。結果的にこうなっているのだろうが。とくに、ここを訪れる外国人は、中国人はほとんどいなくて、欧米系が大半をしめるというのもわかる気がする。しれは、歴史的にも高野山は、比叡山(延暦寺)や南都の寺院(興福寺)などと違って、時の権力との距離を巧みにとって力を衰えさせることがなかったということにも通じているように思える。洗練された身の振り方という点で。要領がいいのだ。空海という人への、私のイメージでもある。
奥の院とは、端的に言えば空海の遺骨を祀る納骨堂が神域としてあって、そのまわりに有力者や組織集団の墓碑が並んでいる、今日でいえば青山墓地や多摩霊園のようなものだ。それが紀伊の鬱蒼とした針葉樹の大木の森(それだけで神域のような神々しい雰囲気)に墓碑の石柱が並び、古いものは苔むしている。ガイドは、これは織田信長とか、豊臣兄弟とか誰々の墓という説明を面白おかしく説明していく。このような歴史的有名人の墓碑は奥の方で、墓碑だけで遺骨は別(だいたいは地元にあるが、これに対して中の橋付近は新しめというか企業が亡くなった社員や関係者の墓が並んでいる。そのような企業の墓は代表的な商品がデザインされていて面白い。なかには震災の犠牲者や戦争の戦死者の慰霊の墓碑もある。それらは宗教や宗派は関係なく、例えば親鸞や法然の墓碑もある。葬式仏教というもののルーツは、このあたりにあるようにも思えてきます。
おそらく空海から弘法大師と一般に呼ばれるようになるプロセスで宗教家・思想家あるいはオーガナイザーから衆生をわけへだてなく救済するヒーローに変質していったのだろうか。それに応じて空海の創った組織である高野山も外面を変化させ、中身もそれに引き摺られるように変質していったのだろうか。それゆえでしょうか、御廟の橋を渡ると聖域ということで帽子を脱がなければならないとか撮影禁止とかされていて、それらしい雰囲気はあるのだが、どこか人工的なつりものめいたギミックな印象がつきまとう。たとえば、この聖域のメインの建築物である弘法大師御殿は鉄筋コンクリートで、室内はエアコンがきいている快適な空間なのだが、外見は古い由緒ある建物に見せている。例えば外壁の色はくすんだ古い建物の色を模している。この建物の裏手に弘法大師の霊廟があるのだけれど、そのつくりは神社の奥の本殿そっくり。神仏習合をうまく使っているのでしょう。そのご都合主義的なギミックさは大衆受けは、中世以降の高野山が生き残るkとができた理由のように思えてくるのです。実際のところ奥の院の建築物に見るべきものはないと言い切ることができます。あるのは、山奥の深い原生林のなかに墓碑が散在する石畳の道を歩くという非日常な雰囲気だけだと思います。そこに神秘をみるのは好みの問題です。少なく私はギミックさを強く感じました。空海という人は、日本では希少な独創的な思想家であると思っているので、その跡はこんなものかと呆れたというところです。
奥の院を一通り回ったら、バスで壇上伽藍に向かいました。もとの高野山のオリジナルなところということらしい。しかし、盆地の狭い場所で駐車場をつくるスペースがなくバスを長時間置けないのか、計画の都合上時間が少なくなっているのか。いずれにせよ30分にも満たない時間しかありませんでした。しかし、それがよかったと思います。建築としては陳腐で、じっくり見るようなものではないから。有名らしい真っ赤の大塔はコンクリートのギミックものだったから。メッキが剥がれる前に、それらから離れてしまえばいい。まあ、こんな山奥の辺鄙で不便なところで凝った建築などできるものでないことは容易に想像がつきます。
これで、空海については彼の思想を追いかけるだけで十分だと思います。高野山は見る必要はないということを実感できました。
あとは白浜温泉の宿にむかうだけです。
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