無料ブログはココログ

書籍・雑誌

2024年9月 4日 (水)

渡邉雅子「「論理的思考」の社会的構築─フランスの思考表現スタイルと言葉の教育」(4)~終章 フランス社会の<論理>の構築─ディセルタシオンが導く思考表現スタイル

 思考表現しタイルとは、社会で共有された「書く型」に現われる「考える手続き」と「思考の型」を指す。人々がその手続きに沿って思考し、表現することで円滑なコミュニケーションが取れ、集団としてのまとまりが保てる。そのため、思考表現スタイルは、その社会で流通している論理を体現し、社会をまとめ成り立たせている論理をも示している。
 ディセルタシオンに現われるフランスの思考表現スタイルは、アメリカと比較すると、その特徴と意味づけがより明確になる。この時、フランスの共和主義とアメリカの民主主義は、普遍対ローカル、集団主義対個人主義、価値目的対技術目的といった両国の思考表現スタイルを成り立たせる基本原理を二項対立的に捉えるものに適している。
 フランスもアメリカも民主主義を掲げる国として一括りに見られる傾向がある。しかし、政治学では、市民性は大きく共和主義型と民主主義型の二つに類型化して考えられている。フランスに代表される共和主義型は、個人の利益よりも公正で平等な社会の実現を目指す「共通善の追求」を重視し、「公共の利益」を政治的な価値判断の基準とするのに対して、アメリカに代表される民主主義型は「個人の権利と自由」を重視して、その権利の侵害からいかに個人を守るかを判断の基準とする。共和主義では公共の利益優先のために個人的な資質や背景は問題にされず、むしろ特殊性を排して普遍性を追い求める。それに対して、アメリカの民主主義は、地域やアソシエーションなどのローカルな組織を通じて個人の権利や利益を反映させる。地元のコミュニティやローカルな組織は、宗教・文化・社会経済的な背景に基づいて組織されるものであり、アメリカの市民性はどこまでも具体的でローカルなもので、その根本には個人の目的達成があるからである。ディセルタシオンが具現化するフランスの思考表現スタイルが目的とするのは、フランス革命とその後の混迷という歴史的体験から実感し学んだ「不確実性に満ちた危うい未来」を目の前にして、公共の利益を優先させて公正な社会を実現させること、そのためにこの基準に照らして現状を批判的に分析・評価し、判断して行動を決断できるようになることである。フランス革命とその後の体験は、未来は一義的に決まるものではなく、異なる立場の人々の利害関係や伝統、自然環境、偶然に左右され、常に変化にさらされ不確実性に開いていると実感させた。そこでの政治的な行動には、自律して行動できる思考法とその表現の手続を技術として学ぶこと、そして思考し表現するための材料となる知識と、個人よも大きなもののために自発的に犠牲を払う価値としての教養を身に着けることが求められる。共和国の原理は理念としてあるために、現実を超えていく未来の試み以外にはなりえず、理念であるがゆえに、体験に基づく事実によって結論付けられる科学の実証性や効率性などの経済原理には還元されない。弁証法の思考の型が用いられるのは、それが現実にある種々な矛盾を解決し、理念の合理的な解釈を可能にするからである。既存の視点の新たな配置によって新しい視点を提供する、そしてより大きな全体像の構築へと向かうのである。
 これに対して、アメリカ型では個人の権利と自由が重視されるリベラル型の民主主義の社会で、公権力から個人の権利や自由を守り、個人がそれぞれの目的達成のために能力や個性を十分に発揮することが重視される。この基本は個人であり、個人の利益を代表するローカルなコミュニティやグループである。抽象的な政治的主体としての個人が国家に直接つながるフランスに対して、アリカでは具体的個人が利益や主張の違いにより利益集団を通じて政府に発言する。そこで、個人は個性的であること、個性の発現と見なされる創造力が重視される。そういうアメリカの思考表現スタイルを具現化しているエッセイは、書き手の主張を最初に述べて、主張の正しさを具体例で根拠づけ論証して読み手を説得することを目的とする。その構成は、まず結果を定め、結果から時間を遡って原因を探る逆因果律が思考の枠組みとなっている。その際、結果に対して遠い情報を排して、結果に近く、直接的に、強い情報を特定する。ここでは、分析するというのは、部分的な強い因果に注目して因果関係の特定に寄与しない情報を削ぎ落して単純化することを意味する。余分な情報を削ぎ落し、単純な因果関係を取り出す分析力が重視される。それは、情報を比較衡量して素早く決断して行動しやすくするためである。選択肢がまだあるうちに、目標達成に最も可能性が高く効率的な手段すばやく見つけることが重視される。

2024年9月 3日 (火)

渡邉雅子「「論理的思考」の社会的構築─フランスの思考表現スタイルと言葉の教育」(3)~第2章 哲学のディセルタシオンと哲学教育

 フランスの中等教育では哲学の授業があり、そこでディセルタシオンを用いた論証の習得が図られている。哲学の試験はディセルタシオンによる論証となり、その総仕上げがバカロレアである。哲学教育の目的は、現実の複雑さをよく゜理解し、現代社会に対する批判的意識を持つことのできる自律した精神を形成することであり、そのために生徒自身が分析的態度、正確な概念、知的責任を持てるようにする、その目的達成の方法を具現化しているのがディセルタシオンというわけだ。
 ディセルタシオンは、(正-反-合)の弁証法を基本構造としており、矛盾の解決を論文構造の原理と目的としている。異なる視点対決させて、(合)を導いたとき、前提を変えて俯瞰すると対立や矛盾していると見えていたことがらが一つのことがらの異なる側面となり、より積極的な視点を導き出すことが可能になる。この時に、矛盾は絶対的な白か黒かのような対立項ではなく、乗り越えていかねばならない問題として設定される。まず問題は何かを突き止め、その問題に対して逆説を問い、異なる視点(逆説)として提示される問題を解決しよう、答えを出そうとする知的営みと態度とがディセルタシオンを書く作業の意味だ。そのためには、一般に受け入れられている考えとは逆の考えすら全力で論証しなければならない。その後(合)をつくるためには、ものごとを見る視点の微妙なニュアンスの違いを吟味しなければならない。ある問題について深く追求するということの意味は、ここではあらゆる可能性を考え尽くすことである。それゆえ、ディセルタシオンを書くことの意味は、グラデーションであらゆる可能性を検討する訓練となる。その結果、矛盾を解決して答えを出すことができるという感覚を生徒に与える。

2024年9月 2日 (月)

渡邉雅子「「論理的思考」の社会的構築─フランスの思考表現スタイルと言葉の教育」(2)~第1章 論文の構造と論理の形

 論理的な正誤を厳密に判断できるのは形式論理のみである。形式論理では、形式上の正誤が論理の正誤として指摘される。他方修辞学(レトリック)では形式論理よりも人々の常識や通年をもとにしたある程度確実な推論の諸形式が説得のための証拠立ての方法として定式化されている。本書が注目するのは、語りの理論である。私たちはものを理解するときは、すべての情報を受け取っているわけではなく、重要な情報とそうでない情報を選り分け、その取捨選択の上に、ある出来事や状態を初めに考えたり、途中経過を考えたり、終わりと考えたりすることによって、つまり何らかの構造の中で捉えることによって、はじめてそれぞれの出来事に意味が与えられる。このような構造化には、多くの文化や社会に共通の普遍的な型だけでなく、文化や社会に固有の型もある。例えば、同じ物語を異なる国の被験者に聞かせてその記憶を再現させてみると、自分の文化にそぐわない部分は省略されたり、順番が入れ替わったりして、自己の文化の説明の型に合うように再解釈されてしまう。
 そのような型を区分し分類する際に、ここで指標としたのが統一性と一貫性である。統一性とは、説明に必要な部分がすべて揃っていると生まれる感覚である。一貫性はそれらの必要な部分が読み手に理解可能な順番で並んでいる感覚である。これら二つを総合すると、論理的であるということは、読み手にとって必要な部分が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚であると言える。この場合の読み手にとってというところで、読み手にとって馴染んだ型があり、それが社会的・文化的につくられたものなのだ。
 本書では、その具体例として、とくにアメリカとフランスの学校で教えられる小論文の構造が違うことを取り上げる。
 まず、本書はアメリカの小論文をエッセイと呼んでいる。エッセイは、主張の提示、主張の根拠、結論の三部構成で、導入部で自己の主張を述べ、次に本体で主張を根拠づける証拠を述べ、結論で主張が正しいことを繰り返す。エッセイの大きな特徴は書き手の主張を最初に述べるところにある。というのも、思考の過程は観察やデータの分析から徐々に結論に向かって推論を進めていくのに対して、エッセイは結論を先に述べて思考の過程を倒立させることになる。そのため、後に続く文章は結論に関係することだけが述べられ、主張とその論証は相互に緊密に結ばれている。そのため、読み手にとっては、スッキリしていて一貫性が強く感じられる。
 これに対してフランス小論文は、本書では、ディセルタシオンと呼ばれる。ディセルタシオンは、エッセイと同じように三部構成をとるが、その中身は正-反-合の弁証法を基本構造にしている。まず、導入部分で中心になる主題を提示し、どのようにその主題を論じるかの全体構成を示す。この際に鍵となる概念を定義して、与えられた問いのどの側面について論じるのかを提起する。そして、本体となる展開部分では、主題に対する見方(正)、次にそれとは相反する見方(反)を示し、これら二つを総合する第三の見方(合)を提示し論証する。そして、結論部分は、これまでの議論の流れをまとめて結論として終わる。このようにディセルタシオンむでは、正-反の二つの視点間の矛盾の解決が目的で、それが論文構成の原理となっている。
 このようにエッセイとディセルタシオンの相違点は、正-反-合の反の部分がエッセイにはないことである。必然的に合の部分もエッセイにはない。伊佐感性については、エッセイは先に結論を述べてしまうが、ディセルタシオンは結論を最後まで述べない。このような論文構成の比較から明らかなことは、論理的であることの基準が米仏の小論文では異なるということである。エッセイでは、冒頭で結論を主張し、余分な情報を排除した主張と根拠の緊密性が論理的である感じさせる根拠となる。それに対して、ディセルタシオンは、書き手の問題提起に導かれた正-反-合の議論の流れが明確に構造化されていることと、それぞれの視点が引用によって厳密に論証されていることが要件となる。
 結果として、エッセイとディセルタシオンの構成が異なるというのは、同じ問いへの答え方が異なる、答えそのものが異なるということなのだ。エッセイでは、問いに対してイエスかノーかのいずれかが主張として提示され、論証され、結論となる。これに対して、ディセルタシオンは、イエスノーの二元論を超える答えを求めている。二つの面から正-反は、イエスでありノーでもある第三の道を導く。このようなディセルタシオンに対して、アメリカ社会では問われた質問に答えていない、つまり論理的でないと見なされてしまう。

2024年9月 1日 (日)

渡邉雅子「「論理的思考」の社会的構築─フランスの思考表現スタイルと言葉の教育」

11113_20240901234001  あとがきで著者は自身のアメリカ留学時の経験を述べている。論述の試験の答案には「評価不可能」と返され、その後どんなに工夫して提出しても「説明せよ」のコメントが繰り返されるばかり、それで途方に暮れていると、エッセイの書き方を教わり、その型通りに書くと、高評価を得ることができたという。つまり、形式を踏まえていないと、意味不明と門前払いされる。これが、日本の大学の場合なら、言いたいことは分かるのだが、書き方がよくないと、指導を受けるだろう。その形式というのがロジックということであり、それは考え方の筋道であるのが、それが実際に現われるのが書かれた文章というわけだ。日本語では、内容と形式について、形式は内容をうまく表わす手段で、論理的というは、その形式のひとつという捉え方が為されていると思うが、欧米の言語では内容と形式は重なるもので、形式を備えていないと内容は成立しない。そこで、西洋文化では論理的ということが同時に真理という意味を持つようになっている。その論理的ということは、日本人の私には普遍的であるように見えるが、当の西洋では、例えばフランスとアメリカでは論理的であるという基準が異なる。つまり、それぞれの社会である文章が論理的であったり、なかったりするというのだ。これには、正直いって驚いた。このことに驚くだけでも、本書を読む価値はある。
 ある事柄が論理的に正しいかどうかを証明するには、形式論理の形式を踏んでいるかによる。数学の証明がその典型である。しかし、論理的であることにはもうひとつの考え方がある。それは文化的に根差した論理、社会で作られた論理であり、本書では、これについて思考表現スタイルと呼んでテーマとした。
 思考表現スタイルは、社会で共有された「書く型」に現われる「考える道程」「考える手続き」を指している。つまり、書く型に現われる「思考の型」である。これは、ある社会のなかで説得しやすく納得しやすい型である。思考表現スタイルと、わざわざ表現スタイルとしていのは、個人の頭のなかで行われる主観的な認知や思考は、共有された型に沿って表現され実際に書かれることによって、観察や分析が可能な客観的なものになると同時に、他者とコミュニケート可能なもの、評価可能なものとなり、表現されることで社会的な帰納を持つ。そのスタイル、各社会で支配的な論理、その背後にある価値観や行動の原理を土台にしている。本書では、そのプロセスが端的に現われるのが学校教育だといい、とくに小論文の教育に注目する。その具体例として、フランスの論文形式であるディセルタシオンとアメリカの論文形式であるエッセイを対比的に取り上げる。

 

2024年8月31日 (土)

堀米庸三「正統と異端─ヨーロッパ精神の底流」(5)~第4章 グレゴリウス改革と秘蹟論争

 11世紀から12世紀にかけて、ローマ法王グレゴリウス7世を中心として行われたカトリック教会の改革運動は、グレゴリウス改革と呼ばれ、古代的なものの尾をひく中世初期の政治的理念を清算し、成立期の封建社会の動向と不可分に結びつきつつ、中世のキリスト教的世界秩序とそのイデオロギーの実現を促し、しかもそれがもつ特有な内部的矛盾からして、その後の中世史の発展に主要な動力を与えるものであった。
 西ローマ帝国の崩壊から中世の封建社会が成立するまでの混乱時代ローマ法王はローマ市と周辺の貴族の傀儡でありその地位をめぐる利権の争奪や聖職の売買は日常的だった。それが、1030年代に神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世により法王が任命され、その腐敗に歯止めがかかった。そこでは法王は皇帝と並び立つものとされ、俗世の権力に従属しなくなった。それに伴い、教会内部でも綱紀の刷新が進められた。それがグレゴリウス改革である。

堀米庸三「正統と異端─ヨーロッパ精神の底流」(5)~第4章 グレゴリウス改革と秘蹟論争

 11世紀から12世紀にかけて、ローマ法王グレゴリウス7世を中心として行われたカトリック教会の改革運動は、グレゴリウス改革と呼ばれ、古代的なものの尾をひく中世初期の政治的理念を清算し、成立期の封建社会の動向と不可分に結びつきつつ、中世のキリスト教的世界秩序とそのイデオロギーの実現を促し、しかもそれがもつ特有な内部的矛盾からして、その後の中世史の発展に主要な動力を与えるものであった。
 西ローマ帝国の崩壊から中世の封建社会が成立するまでの混乱時代ローマ法王はローマ市と周辺の貴族の傀儡でありその地位をめぐる利権の争奪や聖職の売買は日常的だった。それが、1030年代に神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世により法王が任命され、その腐敗に歯止めがかかった。そこでは法王は皇帝と並び立つものとされ、俗世の権力に従属しなくなった。それに伴い、教会内部でも綱紀の刷新が進められた。それがグレゴリウス改革である。

堀米庸三「正統と異端─ヨーロッパ精神の底流」(4)~第3章 キリスト教的正統論争の争点─秘蹟論

 カトリック教会の本質は、その客観的制度としての性格にある。つまり、客観的に存在する歴史上の教会が、その聖職者の位階的秩序ともども、神の人類救済のための恩寵の施設ということである。教会が摂理にもとづく恩寵の施設であるということは、教会がキリストの受肉の帰結であり、永遠に存在する切れストの体躯そのものであることを意味する。
 この恩寵の客観的組織であるカトリック教会に対して、異端の教会は自覚した成員の自由意志による共同体であることを特徴とし、その成員を離れては客観的な価値を持たない。恩寵は、この共同体のなかに実現され、確保されるが、それは成員の自覚的努力を前提とし、その成員に属するもので、共同体に属するものではない。この恩寵への参与という点で、異端と正統のあいだに決定的な差がある。異端は恩寵への参与をただ成員の自覚的努力に依存させる。これに対して、正統の場合は、完全に合理化され制度化される。教会は神の人類救済の施設であり、そのままに恩寵の宝庫なのだから、教会の営みに参加することは恩寵への参与を意味する。
 この異端と正統の対立が、具体的に現実に現われたのが秘蹟、とくに洗礼と叙品の秘蹟であ。まず、洗礼については、異端の場合は、各成員の自覚的改宗を条件とし、それは異端の共同体つまり教会への加入を意味した。それゆえ幼児洗礼を認めなかった。これに対して、正統のカトリック教会の場合、成長後の改宗を除き、洗礼は原則として幼児に与えられる。カトリック教会では、人は教会のなかに生まれるのである。
もう一つの叙品は、洗礼が教会に属しキリストの恩寵にあずかるための資格を付与する入口であるとれば、その資格を付与することのできる資格を付与する、具体的には教会の司祭等の役職に任命する、いわば人事権である。カトリック教会の正統と異端との差が歴然と現れるのは、この叙品における秘蹟論である。カトリック教会の秘蹟論の特徴は徹底した職務的性格にある。正統の客観主義はここに最も明瞭に現われる。すなわち、カトリックの理論では、恩寵伝達の行為である秘蹟は、それが秘蹟創設の趣旨に従って、具体的には、司祭や助祭が教会の定める言葉を用い、その手続きを踏むことで、受領者がカトリック信仰において受領するかぎり、秘蹟の執行者の人格とは全く独立に、その効果を表わすというものである。このことは、異端から見ると、堕落した司祭から秘蹟を受けたくないし、そんな者から受けた秘蹟など無効ではないかという、客観主義批判の嚆矢となったのである。
 異端からの批判は、カトリック教会という組織から見た場合、高位の司祭なり法王が罪を犯し瀆聖聖職者とされた場合、異端の主張を容れれば、彼らの任命した数多くの叙品、つまり人事発令がすべて無効になり、組織としての教会が立ち行かなくなる。しかも、中世では高位聖職者は、貴族身分と密接に結び合っていた聖職売買によるものが多かった。現実にそういう貴族との関係を断ち切れないことから教会内での政治闘争が常態化し、異端の主張を容れれば、それは政治闘争の有効な手段、つまり反対派の粛清の手段となる。このような現実的な理由もあった。

2024年8月30日 (金)

堀米庸三「正統と異端─ヨーロッパ精神の底流」(3)~第2章 正統と異端の理論的諸問題

 正統と異端というセットは天と地のように相関的だが、善と悪のような相互否定的な対立概念ではない。異端は正統に対して異端であって、異教ではない。正統と異端は、あくまでも根本を共通する同一範疇に属する事物相互の対立だ。そして、正統と異端は相互に相関概念なので、それぞれが一義的・不変的内容をもつのではなく、相互の流動性、つまり曖昧なところがある。例えば、正統と異端が入れ替わる、つまり、ある事項が正統だったはずが、時代や環境の変化によって異端となってしまう。ところで、両者の対立においてそれぞれが相手方に対して用いる批判に修正主義という概念がよく゜使われるが、これは理論を現実に適用するにあたって、表面は本質に対する忠実を装いながら、実はその修正・すり替えを行っているという非難なのだ。ということは、正統と異端とは、現実ではつねに相関的に流動しながら、しかも踏み越えてはいけない限界を持っている。つまり、正統と異端は決して実体的な概念ではないが、際限もなく流動的でありえない。それを著者は、正統における客観主義、異端における主観主義と規定する。つまり、正統と異端の出発点には預言や啓示が、正統の根本的テーゼとして必要であり、それが人間と世界に対する全体的判断であるかぎり、種々の妥当性の程度を異にする大小のテーゼの組み合わせから成っている。それに対する解釈が正統の場合は全面的であるのに対して、異端は場合は一面的であるということだ。福音書には普遍的な妥当性をもつ規定から、限定された妥当性の規定まで様々ある。実生活では、それらをすべて矛盾なく実践することは不可能だ。このような福音書の解釈にあたっては、相互に矛盾する、しかもそれぞれに真実性を持つ規定を総合的に合理化することが正統の立場で、一面的把握が異端に通じる。実際のところ、パウロによって、イエスの教えの実践的解釈(全面的合理化)が行われることによって、信徒の人間的・社会的な日常生活のすべてを包括することが可能となり、キリスト教が大衆宗教として、ローマ社会に根付くことができた。そこに批判の余地をもつ個々の点が残るというのは、後年のルターによる批判などにより明らかだ。しかし、与えられた現実に対して、イエスの教えを最大限包括的に生かそうとするかぎり、パウロの実践的解釈には一面的真理の潔癖さでは求めることのできない客観性がある。これが正統と異端の関係で、客観主義と主観主義の対立と言い換えてもいい。
 ここで注意すべきは、客観的に現実との妥協・協調を重ねる正統つまり教会では、妥協・協調の一々の段階がすべて原理的検討を踏んでいるとされているので、決してそれ自体現実への妥協とか敗北の歴史とは意識されていない。むしろ、啓示による俗世の教化と捉えられた。ここに正統信仰における客観主義の基礎がある。
 これに対して、異端は正統あっての存在なので、それ自体のテーゼはなく、正統の批判から出発する。批判の基準となるのは正統と同じ啓示であり、正統教会の啓示の解釈が現実との妥協を批判する。つまり、異端のテーゼは啓示への回帰である。しかも、その啓示は全体的にでなく部分的に、異端の主観的真実に合致するかぎりにおいて受け取られ、現実への適用可能性は相対的に軽視される。それは外見上ラディカルな理想主義の形態をとる。この理想に堪えられるために強烈な精神の緊張を要するというきわめて主観主義的となる。往々にして、ヒロイズムに結びつきやすい。正統の寛容さとは対照的でうる。

2024年8月28日 (水)

堀米庸三「正統と異端─ヨーロッパ精神の底流」(2)~第1章 ローマ法王権の負い目

 フランシスの運動は決して孤立したものではなかった。11世紀末以来、澎湃として起こった使徒的生活の実践を目指す一連の宗教運動のひとつであった。これらの運動に共通するのはグレゴリウス改革の一段落の後、保守化し反動化したカトリック教会に対して批判的であり、それゆえに異端として排斥されるものも少なくなかった。ワルド派やカタリ派はその典型である。彼らは、使徒的生活を続ける中で、教会の権威を無視するように独自に説教や布教を行った。これはカトリック教会には看過できないものだった。すなわち、教会はそのままで人類の救済のための神的な施設なのであり、聖職者は教会の目的を実現するために任命された神聖な人格なのである。この聖職者をさしおいては、教会活動の主要部分である説教を行うことはできないのである。
 これに対して、宗教運動の理念は一切の財物を放棄して福音書的製品に生きることと、イエスに従う使徒的生活の実践の二点にあった。もともとキリスト教界では清貧の理想は親和的だ。しかし、それは修道士の戒律としてであって、在家の人々の日常規範として掲げられたのは宗教運動からであった。これは、実はグレゴリウス改革と同じような道徳的厳格主義であり、しかし、グレゴリウス改革の目的と手段とのズレから生まれ、助長したと言える。それが、フランシスと面会した際のイノセント3世の負い目の感情の基である。

2024年8月27日 (火)

堀米庸三「正統と異端─ヨーロッパ精神の底流」

11115_20240827235301   10年以上前に読んだ本の再読。
 物語は1210年のローマ教皇イノセント3世と「小さき花」アッシジの聖フランシスとの会見からはじまる。この出会いによってローマ教会は過去何世紀にわたって負い続けた負い目を返すことができた。それはどういうことかを理解するためには、11世紀のローマ教会におけるグレゴリウス改革に、そしてこの改革の理解のために古代末期・中世初期まで遡らなくてはならない。
 グレゴリウス改革とは中世のローマ教会を、ということはヨーロッパの文化的基盤を形づくったものなのだ。そこでの主要な問題が正統と異端の争いだと言える。正統と異端の争いは、教義上の問題である前に宗教と政治との不可避的な相反と結合の関係から生まれたものだった。それが中世の政治の場に現れたのが教皇と皇帝という宗教と世俗の権力の相克であった。そのため、正統と異端の抗争は他に類を見ない深刻なものとなり、後の宗教戦争に至る、ヨーロッパ人の精神形成に大きな底流として働き続けることになったのである。

 正統と異端の対立は客観主義と主観主義と言い換えられるという。わたし的に分かりやすく言えば、客観主義というのはシステム、具体的にはカトリック教会というシステムを重視するということ。これに対して、異端の主観主義は、例えばマルティン・ルターはカトリック教会の聖職者の腐敗を糾弾し、堕落した司祭の説教なんか聞く価値もないし、そんな奴から洗礼を受けたって、神が認めてくれるはずがないと主張した。これは、現代でも政治の世界で、不適切な発言をしたり、裏金の疑惑のある大臣を、野党が糾弾するのと同じようなものだ。しかし、この場合、政府とか役所のシステムが正常に動いているかぎり、そんな大臣でも政策が無効になることはない。組織のシステムが適正で、バカな大臣がいてもガバナンスが機能して、ちゃんと動いているのだ。正統キリスト教でも、教会というシステムが正常に動き、徳の欠けた聖職者であっても、システムの適正な手続きにより行われた行為は有効だという。このように考えると、会社という組織のなかで、そのシステムによって仕事をしてきた私には、正統の立場は、よく分かる。そして、そういう組織に埋もれてしまうと人間性が疎外されてしまうというような立場が、ルターのような立場ということになる。

 

 

より以前の記事一覧