無料ブログはココログ

美術展

2022年4月 6日 (水)

没後50年 鏑木清方展(5)~特集2 歌舞伎

Kaburagicherry  「桜姫」という1923年の作品です。四代目鶴屋南北作「桜姫東文章」で、清水寺の僧清玄が、高貴の姫君桜姫に懸想したうえで悶死し、死後も桜姫にまとわりつくという物語です。一人の女が立ち姿で、着物の袖を顔にあてて、何かを避けているように見えるのは、おそらく幽霊となって現われた清玄から逃れようとしいている。腰をひねったその姿は、幽霊を恐れているというよりは、男を挑発しているようにも見えます。実際、狂言の中の桜姫は、最期は女郎に身を落とすほどの、魔性の女として描かれているといいます。これも、私には、物語や狂言を知っていて、舞台で役者がどのような演技をしているのかを知っていて、それを前提に絵画に仕立てましたという作品に見えます。
Kaburagikabuki  「道成寺 鷺娘」という1929年の作品です。どちらも歌舞伎の舞踊の代表的作品で、鏑木は京鹿子娘道成寺については、何度も題材として取り上げているように、この作品の方にも道成寺を扱った作品が展示されていました。舞踊としては見せ場は沢山あるのでしょうが、この絵画では、そういう踊りの見栄えのするポーズは描かずに、その扮装をしての立ち姿を描いているという、何か勿体ない気がします。この作品の顔を見ると、浮世絵のパターンの顔でもあり、歌舞伎の女形が扮している顔、つまり、生身の女性の顔ではないことがはっきりと分かる、鏑木の描く女性の顔がそういうものだというのが、この作品では端的に分かるのではないかと思います。歌舞伎の女形は、舞台越しで客席という離れたところから見るので、接近しないとわからない細かい表情などはつくっても分からないので、顔は白塗りにして、表情なんかはどうでもよく、離れてもわかる身体全体のしぐさとかポーズで女の形を見せている、いわば徹底的な表層の姿で、この作品に限らず、鏑木の描く女性は、そういうものだと思います。
Kaburagisheet  「さじき」という1951年の作品です。歌舞伎の場面ではなく、劇場の桟敷で芝居見物をする親子を描いた作品です。後ろには枇杷やサクランボが置かれた初夏の情景で、母親の帯は紫陽花、娘の紙入れは杜若をあしらっています。それに対して、着物の柄は母親は桔梗に撫子、娘は色付き始めた楓と、秋を感じさせる演出です。全体に緑色を効かせていて、母親のかんざし、指輪も翡翠です。娘の口は少し開いていて、母親との表情にわずかな違いを見せています。娘の方は、初めて見る芝居にすっかり心を奪われてしまったのか、ぽかんと口を開け、少し身を乗り出して一心に舞台を見つめているのでしょうか。この作品が描かれた時代の、絵画を購入するような比較的裕福な人々、太平洋戦争の焼け跡で貧富とか身分とかといった階層が崩壊してしまったであろうから、成金のような人々がお上品ぶって絵画を購入するようなニーズに巧く応えるような作品ではないかと思える。鏑木は、そういうマーケティング感覚に優れたひとであるだろうということが推測できるような作品だと思います。そういう意味で、上手いと思います。

2022年4月 5日 (火)

没後50年 鏑木清方展(4)~第2章 物語を描く

 鏑木は、戯作者で新聞社主の父、無類の芝居好きだった母のもとに生まれた清方は、幼少期より文芸に親しんだそうで、本人も文学と芝居の熱心なファンであったといいます。そういう鏑木の嗜好が表われた作品の展示ということです。
Kaburagibakin  「曲亭馬琴」という1907年の作品です。この会場で見てきた作品とは、かなり異質な作品なので、とくに印象に残っています。視力を失った馬琴が、「南総里見八犬伝」を息子の嫁おみちに口述筆記する様子ということです。おみちはもともと字が読めなかったところ、馬琴が手とり足取り教えて覚えさせたという。若くて覚えが早く、舅馬琴の要求に応えて、口述筆記をした。この絵には、そんなおみちが、坊主頭の馬琴の語る声に、必死に耳を傾ける彼女の表情が、印象的に描かれているといいます。この作品の室内は、鏑木の作品では唯一と言って遠近感のあるパースペクティブな空間が捉えられているように見えて、しかも、中央の行燈の灯りによる陰影が深く表現されています。そして、画面の中央左の馬琴の描き方が、他の鏑木の作品には見られない、たとえば馬琴の身体に施された陰影がその表情と相俟って一個の人間を表わそうとしているのです。多分、鏑木は試行錯誤しながら手探りで描いたのだろう手際の悪さが見て取れます。そのため、馬琴の顔がこわい顔になっています。かつて史実のなかに生きた人間としての馬琴という人物の生々しい姿ではないかと思います。しかも、室内とそこにある諸々の物がくっきりと質量のある物として描かれているように見えます。ちゃんと絵の画面になっています。うまい下手は別として。ただし、馬琴に対向しているおみちは人形のような普段の鏑木の描く女性のままです。
Kaburagiichiyo  「一葉女史の墓」という1902年の作品です。一葉女史とは夭折した小説家の樋口一葉のことであり、その墓は築地本願寺にあったといいます。画面左上に弦月が見えますが、それゆえに夜が更けてきて、墓参に訪れる人影も途切れて、あたりは静寂に包まれているのが分かります。墓に供えられた線香の煙が漂うなかで、一葉の小説「たけくらべ」のヒロイン美登利が現われて、水仙の花を抱えて墓にもたれかかっているという幻想的な光景を描いています。背景の石垣、墓石、香炉などには明暗が施されて立体感が表現されていて、後年の平面的な塗り絵のような画面とは違いますが、それでも薄っぺらくて、石の重量感が感じられません。一方、美登利の服は藍色を帯びた灰色であり、衣紋に沿って暗い灰色の暈しが入り、この明暗の差によってこの人物の立体感が生まれています。それゆえに、現実の存在感が薄くて、幻想である美登利の存在の薄さと変わりません。その結果、現実と幻想の区分が曖昧になって同居する画面になっています。また、背景である墓場と人物である美登利の存在感が同じように薄いのは、現実と幻想の区分が曖昧なだけではなく、画面のなかで美登利が主役としての存在の強さがなく背景との関係も同じようです。つまり、この画面には主役がなく、描かれているものが並列的です。この展示コーナーのテーマが物語を描くということになっていますが、それは画面として完結した世界を独立させるのではなく、挿絵の要素が強いということなのだろうと思えてきます。
 このことは、日本の近代小説が始まったときの主体性の問題と、すごくよく似ていると思います。教科書の文学史でいうと日本で初めての近代小説というと二葉亭四迷の「浮雲」とされていますが、これを読んでいると(実際に読んでいる人はほとんどいないと思いますが)、章か変わるごとに物語の語り口が変わっていることに気がつきます。それで統一感がなくてバラバラな感じがするのですが、これは、作者の二葉亭が西洋の小説のような絶対者の視点による物語の語りができなくて、物語をどのように語るかを試行錯誤して、結局うまくいかなかったとされています。西洋文化の場合、神という絶対者がいて、その下で統合されている。小説の語りについても、神というすべてを見渡し、コントロールする存在があって、作者がそれになり代わって、テーマのもとに物語を統合して語ることが出来る。それに対して、日本の文化には神にあたるような絶対者がいないので、どうしても相対的になってしまう。テーマのもとに物語を統合する語りをするものがいないというわけです。その後、解決策の一つとして、自分で自分のことを語るなら、その限りで統合できるとして私小説というのが考え出されることになるのですが、ここで小説をかたってもしょうがないので、話を戻します。絵画の世界でも、例えば遠近法という手法は、焦点を中心に放射状のひろがりに沿って事物を描くことで空間的な奥行きを表現するものですが、その焦点という点は視点と言い換えることが出来て、その視点の下に空間が作られていることになります。それは、いわば神の絶対的な視点といってもいいものです。それだけでなく、テーマとなる中心を決めて、背景を従わせるという画面内の主従の選択という構成の視点とか、そこに絶対的存在によって全体を構成するという作為が西洋絵画には当たり前のようにありますが、鏑木の作品には、それが根本的に欠けている、というより、日本画にはもともとないのだろうと思います。だから、屏風や掛け軸をたんに額装しただけで絵画の画面になるというわけではなく、そこで画面にする、つまり絵画にするという作為が必要なわけで、西洋画とは違ったやり方で、それぞれの日本画家はさまざまな努力をしてきたと思います。しかし、鏑木の作品では、あまり、そういうことが意識できい、つまり絵画になっていない。敢えて言えば、挿絵という物語の付録のような在り方を土台に、それにいろいろな意匠を凝らして絵画らしく仕立てているように見えます。ここで物語を描く作品が展示されていますが、その物語の作家は泉鏡花だったり樋口一葉だったり江戸時代の作家だったりと、近代小説以前の人たちであることが明らかです。それゆえに、鏑木の個々の作品が印象に残らない理由なのかもしれません。
Kaburagiyujo  「遊女」という1918年の作品です。泉鏡花の「通夜物語」の遊女「丁山(ちょうざん)」に題材をとっているということです。「通夜物語」のあらすじを簡単に述べると次のようになります。画家玉川清は伯父久世友房の娘で従妹にあたるお澄と愛し合っていたが、親の意向によりお澄が陸軍軍人篠山佐平太に嫁いだことから、北廓源楼の遊女丁山と入魂の仲となる。ある時、友房の辱められた清は連れの丁山を思わず妹だと偽ってしまう。友房がそれなら息子の嫁にと揶揄したのを逆手にとって、後日、二人は久世家に強請をかけた。ところが相手は友房が急死した通夜に見せかけ、篠山が悪態をついて清のKaburagiutamaro 左腕を折る。篠山を出刃包丁で刺し、「手前たちは、だれだと思ふ、丁山さんの遊女だよ」と言い放つ丁山。「覚えておけ、逢引はこうしてするもんだ」と啖呵を切って、返す刀で自らの乳房のあたり突き立てた。その血潮で襖に丁山の立ち姿を清は描いた。泉鏡花らしい怪奇で耽美な物語で、この絵画で描かれた丁山という女性は、狂気と侠気を秘めた人物です。そういうことが、この絵画のバックボーンとしてあるとして、作品を見る。おそらく、作品が描かれた当時の観客は、この物語を教養として知っていて、「遊女」が誰であるかを分かって見ていた。そうであれば、見え方が、何も知らない現代の観客とは違っていたと思います。そうでないと、この作品を、単に見る限りでは、例えば喜多川歌麿の「美人納涼図」のような浮世絵のパターンを現代的にお上品に描いて、日本画というゲイジュツに仕立て直しました、としか見えません。ただし、それができるのは、本当にお上手な人でないとできないだろうから、お上手ですね。すごいですね。そういう作品だと思います。同じ作者の同じようなパターンに「襟おしろい」があったりして、このパターンだなと思ってしまう。ただ、物語の知識がないまま作品を見て、丁山の凄絶さは感じられないでしょう。

2022年4月 2日 (土)

没後50年 鏑木清方展(3)~特集1 東京

Kaburagitsukudajima  おそらく、この展覧会の目玉でしょう。
 「佃島の秋」という1904年の作品。こんな作品も描いていた、という驚きで、手前下方の鶏の描写など写実的で、色使いなども日本画的ではないように思えます。
 「築地明石町」という1927年の作品。この展覧会のメダマであることは疑いの余地はないことでしょう。この作品は、制作時の数年前の関東大震災で全壊した明治時代の築地明石町の前でたたずむ風景を思い起こすようにして描いた作品ということです。築地明石町は明治時代中期まで外国人居留地であったため、異国情緒あふれる場所として知られていたそうです。つまり、築地明石町というと、関東大震災で完全に取り壊され、いまはかつても面影はないということが、当時の観衆たちには共有されていたと思います。江戸時代の名残りの上に滔々と西洋文化が流れ込んだ居領地のロマンチックな風景と、それが現実に関東大震災で失われてしまったという街並みという二重の喪失感を想起させるKaburagitsukiji でしょう。そのうえで、失われたものを回顧する幻想的な情景として再現したものと言えます。朝霧に包まれたようなぼんやりした背景は、ノスタルジックな幻想の世界の雰囲気をつくり上げ、女性の肩越しに佃島の入り江に停泊する帆船がうっすらと浮かび、右手に見える洋館の水色の柵には朝顔が咲いているというところで、外国人居留地を見る者に想起させるわけです。中心は黒い羽織を着て黒髪を結ったという深くくっきりとした黒の面積がおおきい女性が背景から浮かび出すように立っています。その人物のとっているポーズは浮世絵の「見返り美人」とそっくりのポーズで、有名な作品ですから知っている人は、当然想起するに違いありません。そこでまた、見る者の想像を促しているわけです。この作品では、引用によって想像力を喚起するという仕Kaburagimikaeri 掛けがいくつも仕掛けられている。そして、当の人物の描写については、指輪をはめた女性の指先の、ほんのりとした、でも意味深な赤み、細く繊細に描かれた後れ毛など、細部の描写に凝っているのです。しかし、その反面、顔には陰影とか表情が、それほど描き込まれていない。だから、全体として、画面のから浮かび上がるように人物が描かれていますが、存在感は強くない。したがって、見る者の前に人物である女性を提示して、「これだ」と存在を主張しないで、どういう人かは「ご想像にお任せします」とし、その想像を細部の描写や引用による想像の喚起で促している。そういう作品に見えます。ただ、この描かれた女性の目つきの悪さは、どこか陰険そうで、それ以外の顔の部分は特徴のない可もなく不可もないという鏑木のいつものパターンなのだけれど、この目つきの悪さは好きになれない。
Kaburagihamacho  「浜町河岸」という1930年の作品です。「築地明石町」、「新富町」とあわせて美人画三部作と呼ばれているそうです。構図も似ており、サイズも同じであることは、鏑木がこれら三つの作品をシリーズものとして意識していたと言われています。鏑木は明治末に実際に浜町で暮らしていたので、町の雰囲気は実感として分かっていたといいます。そういう浜町にふさわしい女性として踊りの稽古に通う町娘を選んでいます。髪にバラの簪をさした娘が浜町藤間の稽古から帰りの姿で扇を口元にやり左手で袂をすくう仕草をして、習ったばかりの所作を思い返しているように見えます。この作品は、全体に温かみのある色彩が巧みに挿入されています。例えば、お太鼓に結んだ帯の内側に当てている朱色の帯揚げでくるんだ帯枕、着物をたくしあげたおはしょりの下から見える赤いものはしごき帯で、この帯をチラリと見せるのがお洒落であり、竹久夢二の絵にも似たような色の使い方を見ることができます。帯周りが複雑に描かれているのに対して、女性の肌が単純に描写されているのが好対照です。顔は陶器のように白い肌で、薄い朱色で血色の良い両頬を強調し、耳や舞扇を持つ細い指先も、朱でほんのり赤く縁取られている。このわずかに見える朱色が、女性の白い指や耳に血が通っているように見せ、よりなまめかしさを見る者に感じさせるように描かれています。景には墨田川が広がり、対岸の深川安宅町の町並みが見え、右に新大橋が描かれています。その傍ら 大橋あたけの夕立にあった安宅町の火の見櫓は、江戸時代の歌川広重による「名所江戸百景」にも描かれているものだそうです。
Kaburagitakinogawa  「瀧野川観楓」という1930年の作品です。渓流沿いの土手に席をもうけ、そこに母子と見られる二人組が、観楓を楽しんでいる情景です。彼女らの頭上には、真っ赤に染まった楓の葉が、色鮮やかに拡がっています。だが母子は、それぞれそっぽを向き、また楓の葉を見ているようにも見えません。母親は下を向いているし、娘は母親とは逆の方を向いているのですが、二人の視線の先に楓の葉はないのです。母親はおそらく渓流に眺め入っているのであろうし、娘は茶菓子に気をとられているのでしょうか。作品タイトルもそうだし、画面には色鮮やかな紅葉が入念に描かれ、それに応じるように二人の女性が座っている緋毛氈の赤が作品画面の全体を支配している。しかし、二人の人物は、そこら視線を向けていないという。そこに、見る者の物語的な想像を掻きたてている、と言えるかもしれません。こういうやり方は、18世紀フランスのシャルダンが家庭の情景を扱った作品によく似ていると思います。

2022年4月 1日 (金)

没後50年 鏑木清方展(2)~第1章 生活を描く

 主に明治や江戸末期という、鏑木が制作していた昭和や大正時代からは古き良き時代とノスタルジックに回顧された中層以下の階級の市井の人々の生活や人生の機微を描こうとした作品群です。
Kaburagihina  「雛市」という1901年の鏑木23歳の時の作品です。彼の略歴を調べてみると、浮世絵派の絵師の下で修業し、若手の挿絵画家とともに烏合会という団体を設立したころということです。つまり、修行時代の作品です。雛市での一こまですが、当時は日本橋の十軒店(いまの室町付近)に人形店が集中していたということで、そのうちの一軒の前で立ち止まって、人形の物色をしている母娘と、その周辺にいる人々を描いたもので、娘が人形をねだり、母親がそれを物色しています。母親の視線の先にある人形を、使いの小僧や青年らしいものも眺めています。二人が視線を共有していることがわかり、右手の男とその隣の子守娘は表情が見えません、そのかわりを履物がつとめています。子守娘の履物は、すり減った草履のようです。一方人形をねだる少女は、かわいらしい駒下駄を履いています。物語の場面のようで、鏑木が挿絵を描いてということから、物語の挿絵のようです。なんだか、17世紀フランスのジョルジュ・ド・ラKaburagiikasama トゥールの「いかさま師」を見ているような、物語の一場面を彷彿とされます。というのも、「雛市」に描かれている人物たちは、それぞれに個性があって表情が分かって、独立した存在として、何を思っているかが想像できるというのではなくて、いわば場面の構成要素のように、この場面のなかで、他の人との関係で、このようなポーズをとっているから、こうなのだという、いわば人間として内面のある存在ではなく、場面の構成要素として描かれているのです。だから、おめかしをしている少女と手前の裸足のこどもが肩に背負っている花の咲いた枝とは、画面上の存在は同じ比重なのです。いわば表層的。実際、描かれ方も同じような丁寧さで描かれています。そういう意味で、ラトゥールと同じようにバロック的に見えます。ということは、鏑木の作品の人物というのは、人というより物に近い、これは鏑木の他の作品にも共通して感じられることです。それで、よく美人を描くことができた、と感心します。
Kaburagitamasaruru  「ためさるゝ日」という1918年の作品です。鏑木は1916年に中堅の日本画家と金鈴社を結成し、同人の影響を受けながら古典を研究していた時期の作品ということです。「雛市」が背景もびっしりと描き込んでいたのに対して、この作品では、背景が描かれなくなり、単一色に彩色された画面になります。しかし、これはいわゆる余白として、見る者に空間を想像させるようなものとは違うようです。この絵全体が、背景の緑や橙色、女性の衣服の黒や緑や紫といった塗り絵のような平面的な色面が組み合わさって画面が出来上がっているように見えます。いちおう、描かれている題材は、長崎の遊女が隠れキリシタン摘発のための踏み絵をしている場面ということですが、色面の組み合わせのために、女性の形態は図案化されているようです。それは、まるで浮世絵版画のようでもあります。左側の踏み絵をしようとしている女性のポーズは不自然なほどわざとらしいし、画面の女性の顔は陰影がなくて平面的なのは、そのためかもしれませんが、もともと鏑木というひとは、顔の陰影とかむ表情とか生き生きとした生命感のようなものは描かない、たぶん、そういうものが描く対象として認識されていないのだろうと思います。もともと、そういう認識なので、画面を塗り絵のように色の組み合わせ配置で見栄えの良いものにするという作品制作は、自然だったのだろうと思います。そして、この作品の女性たちの顔を見ていると、目は細い線のようで小さく、口は唇を突き出すように尖がって、美人ではない条件を持たせていて、鏑木は美女とか理想の女性を描くといったことには、興味がないのではないか、と思われるものでした。ここで描かれている顔は、江戸時代の浮世絵の歌麿なんかのリアルではなくデフォルメを利かせた顔を、近代化したというか、文明開化で西洋のリアリズム絵画に接した人には、歌麿などの浮世絵のデフォルメした顔はグロテスクに映るところがあると思います。鏑木がこの作品で描いてKaburagibidoro いるのは、浮世絵の顔の、そのようなグロテスクさを取り去って、浮世絵独特の顔の感じは残しても、西洋画のリアルさと比べて違和感の起こらないような顔になっていると思います。多分、それは当時の中産階級の人々にとって、浮世絵というのは庶民向けの、いわば下品なもので、鏑木は、その下品さがデフォルメの過剰によるグロテスクさだとして、それを薄めることをしたように思います。その結果、お上品な趣味を嗜好する中産階級向きにして、顧客を開拓したのだろうと思います。
Kaburagisnow  「雪つむ宵」という1920年の作品です。「ためさるゝ日」が背景を単一の色面にしているのにたいして、この作品では、雪が積もって白一色となった景色を背景にしています。一見、白で単一に塗られているようで、ちゃんと見ると、白のグラデーションで雪景色がぼんやりと見えてくる。画面の中心にいる女性は、背景と同じようにグラデーションをつけた色の面の組み合わせになっている。それにしても、描かれている顔は、シンプルというか、顔の造作を図案のように表わす最低限の線しかなくて、顔であることが最低限分かるという程度しか描かれていません。この顔を描くアングルとか、女性の姿勢とかは、浮世絵、たとえば、歌麿の「ビードロを吹く女」とよく似ていると思います。ただし、国粋主義とまではいいませんが、西洋画に対抗するように庶民向けの下品なものではなくて日本の伝統芸術とでもいえるように体裁を整えて、立派に見えるようにした、そういう風に思えます。むしろ、浮世絵が海外でもてはやされ、それが外国人から、外国人と交流のあるような日本人、つまり一定程度の教養とか経済的にも豊かである人々にとって受け容れることができるような体裁に整えた。それが鏑木の絵画の特徴のひとつであり、この作品などは、そういう要素がよく分かると思います。
Kaburagispring  「泉」という1922年の作品です。同じころに鏑木が伝統的な浮世絵や風俗画が低俗とか下品とみなされていたことに対して、ハイアートである芸術の仲間に入れようとして、デフォルメを抑制して西洋画の写実のテイストを加味した描写を試みたり、この作品では、鏑木の呼び方で言えば社会画という、旧来の浮世絵が遊里が悪所を題材としていたのに対して、社会に生きる庶民の日常の生活を描こうとしたといいます。この作品では、山間部の泉で水汲みをしている女性の姿を描いています。ただし、労働の風景と言えばそうかもしれませんが、たとえば、水汲みをしている後ろ姿の女性のポーズは浮世絵の花魁のポーズとよく似ていますし、来ている野良着の淡い緑色は、労働で汚れたいろというよりは、上品な着物のように映えて、周囲の山間部の草木の緑のバリエーションと調和して、映えています。私には、この人物は労働をしているようには見えないのです。それゆえ、社会とか生活とか労働を題材にしているというよりは、コスチューム・プレイで目先を変えて楽しんでいるように見えます。画面の人物は、後ろ姿で顔を見せてくれないので、表情が分からず、労働の辛さとか、水汲みを待って休んでいるときのほっとしたとかいった表情も見えてきません。そこに、生活とか労働の実感を見ることはできないのです。そもそも、鏑木には、そのような実体を描こうという気はさらさらなかったのだろうと思います。社会画などいう説明を受けないで、単に作品を見るなら、緑のバリエーションで目に鮮やかなイメージの絵画と見えます。
Kaburagiwinter  「初冬の花」という1935年の二曲一双の屏風の作品です。空間を広くとって、そのなかに余裕をもって人物を配しています。人物は、左側に寄せて、右側に広い空間を作っています。背景はほとんど描かれず、形も省略が利いていて、線も1本の息が長い。女性の全体のかたちや線などもシンプルに表わしたというものです。薄い銀鼠の地色に派手なあずき色の細かい縞の衿で濃紫の裾回しをつけ、菊染め縮緬に黒繻子の昼夜帯をしめた女性が、煙管で煙草に火をつけようとしている姿です。そういうシンプルな描き方に対して、髪の生え際は、墨で細かく描かれていて、肌との境目がはっきりしていて際立っています。浮世絵では生え際は美人の見せ所とでもいうように、ほかはシンプルなのに、髪の生え際だけは細かく描いている。はっきりいって、人を一個のまとまりとしてトータルに捉えているのではなく、見せどころの細部という要素の集まりのようになっているのです。
Kaburagiiwashi  「鰯」という1937年の作品です。鏑木が少年期を過ごした明治初めころの風景で、鰯を売りに来た少年を若女房が呼び止める情景です。画面中央のすだれ越しがかかった台所に駒込富士神社の麦わら蛇や、左側に関西発祥の姫のり看板、芝居番付、有平糖やういろうなどのお菓子などの細々とした物が、右側の玄関の土間には脱ぎ捨てられたような履物、左側奥には路地裏に駆け込む子供の後ろ姿などが描き込まれています。前に見た「雛市」と比べてみると、「雛市」が大和絵のように明確な輪郭でくっきりと彩色されていたのに対して、この作品では全体に薄い色でぼかしや滲みの効果を活用して淡い感じがするように描かれています。この作品が制作された昭和の初めのころでは、もはや、この作品で描かれているような明治の初めの光景は見られなくなっていたはずで、ノスタルジーの対象となっていたはずです。この「鰯」で描かれて情景は現実には、もう見られなくなったもので、思い出の中でのみ生きている風景であったと思います。鏑木は、そういう情景を、現実とも夢とも見えるような、フワフワして、淡い感じと描きました。それはもひとつには思い出の理想化された姿であり、昔はよかったというノスタルジーを伴うものであったと思います。しかも、そういうノスタルジーを助長させるのが、さきほど列記したような、台所や土間に細々と描かれた小物類だと思います。それが、淡い色彩で、溶け込むように描かれています。それゆえに、現実の存在感が希薄で、夢うつつのような透明なヴェールのように見えます。それゆえ、細々とした小物がノスタルジーを呼び起こすツールとなっています。それは、映画「三丁目の夕陽」で昭和ノスタルジーの雰囲気を作りだしているのが、オレンジを帯びた画面の色調だったり、オート三輪やちゃぶ台といった小物だったのとよく似ていると思います。その中の人物たちも、ノスタルジックな風景に溶け込んでいるように、顔の表情は明確に描かれず、その人物も特定の誰かというより匿名の下町の若奥さんだったり子供だったりというように存在感が希薄です。「雛市」がバロック的であるのに対して、この「鰯」は現実にない風景を観念的に描いているという点でシュルレアリスム的です。
Kaburagispringsnow  「春雪」という1946年の作品。第二次世界大戦の敗戦の翌年で、鏑木の住んでいた東京は焼け野原だったでしょうから、彼の描くものは現実にはないノスタルジーの幻想的なものであること、さらに進んだと思います。鏑木は、春に富士の頂に積もった雪をイメージしながら描いたということですが、その富士は画面には見えず、見た目の感触を、女性の小袖の深川鼠の色に込めているそうです。しかし、ここで描かれている女性は武家の妻女のように姿ですが、描かれ方は浮世絵の芸者か遊女のような描かれ方をしています。江戸の粋を描いていると言えばいいのでしょうか。ここでは、女性の姿が、現実の姿ではなく、人工的に作られた観念的な姿になっていると思います。これは、根拠のない想像なのですが、制作されたのが1946年という敗戦による占領下で、アメリカをはじめとした連合国の人々が日本を統治していたという時代ですから、そういう人々の日本理解はフジヤマ、ゲイシャ程度のものだったのではないか、そのゲイシャの画像イメージは浮世絵によるもの、ということから、そういうイメージに沿った、そういう市場ニーズに応えることも考えているのではないか。それが、武家の妻女の姿を浮世絵のゲイシャ風に描いて、外国人にウケることを狙った。また、国内向けには、武家の女性ということで下品ではないということをイメージさせる。前のほうで、ここで描かれているのは実在の女性ではなく、観念的な女性像というのべましたが、その観念は作者である鏑木が醸成したイメージというより、人々、もっというと顧客の求めている姿ということになるのではないかと思います。というのも、鏑木という個人が醸成した理想の姿であれば、もっと明確に顔の造作など細かく描いてもよさそうなものですが、鏑木の作品では、そういうところは曖昧にして、描き込まれていません。その代わり、見る者は、そこが描かれていないからこそ、それぞれの理想の美人をそこで想像して当てはめることができることになります。そして、見る人の、そういう想像を促すために、周辺の細部、たとえば背景の小物を描き込んでいく。そういう作品になっていると思います。だから、鏑木の作品では、中心の人物よりも背景の小物などの方が意味ありげに描き込まれている。見るものの視線を引き寄せるようになって、最終的に、見る者がそれぞれの美人を想像させるように誘導している。

2022年3月30日 (水)

没後50年 鏑木清方展(1)

Kaburagipos  3月下旬のある日、朝から、1年に1度の人間ドックを受けた。コロナ感染防止対策のためか手順が大幅に変わり、早朝に受付し、昼前には終わってしまった。いつもなら1日かけるのに、そう思って1日の休みをとっていたので、時間が空いてしまった。それで、何かないかと探していたら、見つけたのが、この展覧会だった。名前だけは耳にしたことがあるから、日本画の世界ではビッグネームなのだろうから、それなりに楽しめると思って、出かけることにした。
 地下鉄竹橋駅を降りて、近代美術館までの堀端の道は、蔓延防止措置が終わったためか、コロナ前とあまり変わらない雰囲気で、歩く人の姿もそこそこ。平日の昼ごろという時間のせいもあって、美術館は、それほど混んでいるわけでもなく、落ち着いて鑑賞できる程度の人の数。若い人は少なく、ほとんどが中高年で落ち着いた雰囲気だった。
 さて、私は鏑木の作品を見た記憶がないので、どういう絵を描く人なのかよく分からなかったので、いつものように主催者の挨拶を引用します。“鏑木清方(1878~1972)の代表作として知られ、長きにわたり所在不明だった「築地明石町」(1927年)と、合わせて三部作となる「新富町」「浜町河岸」(どちらも1930年)は、2018年に再発見され、翌年に当館のコレクションに加わりました。この三部作をはじめとする109件の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展です。浮世絵系の挿絵画家からスタートした清方は、その出自を常に意識しながら、晩年に至るまで、庶民の暮らしや文学、芸能のなかに作品の主題を求め続けました。本展覧会では、そうした清方の関心の「変わらなさ」に注目し、いくつかのテーマに分けて作品を並列的に紹介してゆきます。関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことでしょう。”
 この紹介では、どんな絵を描くのかマチイチ分からないので、ネットで検索してみたら、上村松園とならぶ美人画の大家とのこと、上村松園という画家もよく知らないのですが、美人画かあと納得しました。それで、今回の展覧会のチラシには、主催者あいさつで真っ先に言及されていた「築地明石町」が使われていましたが、私の正直な感想として、これが美人?です。もちろん、鏑木が作品を制作した昭和の初めと現在とでは美意識が違うので、当時は美人だったといわれればそれまでです。でも、美人から美人らしさってあるじゃないですか。これは美人ですよ、そういう約束になっています、それを見るものに感じさせる、そういうものが感じられない。例えば、マンガの世界で、ちゃんと顔を描いているわけでなく、省略した記号のような顔でも、マンガのお約束のヒロインですよということになれば、作品を読む人は、それを美少女なり、美人とみなします。そういうお約束を鏑木清方やその作品を好む人たちは私は共有していないと思われるので仕方がないのかもしれません。しかし、描かれた顔を見ていると、睨んでいるような眼が意地が悪そうで、しかも、瞳に生命感が希薄で、口を突きだして、という却って美人ではないように、わざと描かれている。しかも、描き方が淡白すぎるというか、描く人の思い入れたいなものが感じられない、とこれを果たして独立して完結した作品として提示する意志があるように見えないのでした。この展覧会には、100点以上のたくさんの作品が展示され、会場には少なくない人作品を身に来ていましが、私には、ほとんどの作品は立ち止まらせるようなものはなく、並んでいる前を素通りしてしまいそうなものばかりで、何がいいんだろうというこが分からない。私にとって難解な作品ばかりで、会場を通すのに時間がかからず、1800円という入場料を払ったから、というのでもったいないし、そういう意味で焦ったりして、という全体の感想でした。
 展示は、「生活をえがく」「物語をえがく」「小さくえがく」といった3つのテーマに分類して作品を紹介していて、美人画や風俗画、風景画、肖像画といったジャンルで分けるのではなく、あるいは、画家の生涯に沿って編年順に展示するのではなく、作品の中に描かれた題材や表現形式を軸に展示されていました。

 

2022年3月16日 (水)

生誕110年 香月泰男展(5)~第4章 新たな展開の予感(1969~74)

Kazukiblue  1960年代の香月の作品はモノクロームで必要最小限に単純化された形と評されていたのが、この頃、少しずつピンポイントで明るい色が使われ始め、大作で赤や青や白が印象的な作品が描かれました。
 「青の太陽」という1969年の作品です。画家の説明によると、満州に駐屯していた時、匍匐前進の訓練の際に目にした蟻の姿から、大陸の広い大地に巣穴を掘る蟻の視点に立つと、地の底から穴を通して空を仰ぎ見る。地中の闇を穴を通して空の青がみえる。地中の闇の黒い世界を穿って青い光が射し込む。この青い空が太陽に見立てられている。その青が印象的だが、それを印象的にしているのが、黒のグラデーションと、その塗り重ねの境界線のザラザラした感じ、その粒々な感じが蟻が群れているようにも見えてくる。
Kazukifire  「業火」という1969年の作品です。自身の解説では奉天から北上する列車の窓から見た兵舎が燃える炎を描いたものだということです。題名の「業火」というのは地獄の炎です。苛酷な収容所で生き残った後ろめたさとして、彼の内面に燃え盛るものでもあった。そのいうものとして炎を描いたと解説されています。速水御舟の「炎舞」で描かれる炎と同じような形のパターンを、香月は執拗に繰り返し、さらにマチエールで立体的に積み重ねて、炎の赤の鮮やかさの印象を強めます。私には、炎というより、赤のパターンの繰り返しの鮮やかさという作品ではないかと思います。
Kazukisunri  「日の出」「月の出」の2作品は、どちらも1974年に描かれました。花札の坊主のようなパターンの作品です。そういうパターンがあるからこそ、「日の出」の赤、「月の出」の白の色彩の輝き、そして、それぞれ日の光や月の光に映える背景の色彩とそのグラデーション、さらに凹凸によって生まれる陰影。それらが、日の出や月の出の時々刻々と光が変化していく動きが、画面に再現されるように見ることが出来ます。
 さて、最初にも少し書きましたが、香月の代表作であり、この展覧会の目玉である「シベリア・シリーズ」は、太平洋戦争とシベリア抑留の想像を絶する過酷な体験を絵画化したとされ、香月は20年以上に渡り、戦争の悲惨さ無意味さを自身の絵筆で後世に伝えるいわばライフワークとして制作したとされています。一見したところ画面の大半を墨色が覆い、何が描いてあるのか理解できない作品が多く、作品を安易に「人に理解されたくない」一方で、「やはり分かってもらいたい」という相反する気持ちの葛藤を解決する策として香月自身の言葉による解説が加えられたといいます自身の言葉による解説が加えられた。展示にも、作品の解説と香月自身による解説と二つのキャプションが付せられていました。たしかに、香月の「シベリア・シリーズ」というのは、そういう作品なんだろうな、という作品のマーケティングがひとつのイメージとして定着しているということがよく分かりました。私としては、むしろ、そういうのは邪魔に近く、これらの作品は造形的な面白さ Kazukimoon があり、それ以上に、展示作品の大半が黒一色で会場が暗黒の世界になってしまうかというと、そんなことはなく、単調で飽きてしまうこともありませんでした。もし、「シベリア・シリーズ」が戦争の過酷な体験を絵画化しただけなら、その描かれた事象に感情を動かされはしても、単調な画面には飽きて、今回の展示のように57点も続けて見せられると食傷してしまうものだろうと思います。飽きたなどというと不謹慎と言われてしまいそうな雰囲気を余計に感じてしまう。そういうところが、見るのに体力がいるとか、通してみると疲れてしまう、という感想が生まれたりする。そういう雰囲気というか物語があるように、この作品についての言説などを見る限り、感じられるところがあります。しかし、そういう雰囲気とか物語は、戦争体験といったものを、ある程度実感として共有されているからこそ生きているもので、そういうものは世代が代わると失われていくもので、私のような戦後生まれの人間にはリアリティがありません。だから、語り継ぐべきという主張もありますが、作品を見るために、わざわざそこまで苦労して勉強するまでするかというと、それほど真摯でもありません。しかし、そんなことを言っていたら、作品の門戸は高くなって、見る人を戦争についての意識の高い人に限ってしまうことになりかねません。しかし、そんな意識など全くなくて、単に、作品を見て楽しみたいという私にも、この展覧会は面白かったです。例えば、展示作品の大半が黒一色で会場が暗黒の世界になってしまうかというと、そんなことはなく、単調で飽きてしまうこともありませんでした。それは、香月の独特の手法で、黒の絵の具に木の炭やその他の粉末を混ぜて塗面に凸凹を着けたりすることによって、作品それぞれの黒の色合いが微妙にくすんだものとなり、作品ごとにその具合がちがってきて、あるいは、凸凹がつけられたことによる陰影がうまれ、それが黒の見え方を作品ごとに、あるいは光の当たり具合によって、印象が変わってくるということ。それらが、作品が一堂に並んでいるために、却って、その違いを対比的に見ることが出来て、作品を見る順番を変えると、対比的にその違いの見え方が変わってくるという、繰り返し展示を見ても新たな発見があるので、疲れを感じる暇もないほどでした。「シベリア・シリーズ」などというより「黒のシリーズ」とか「黒のバリエィション」とでも言ってあげたいほどでした。
Iketatsumask3  また、造形面でも「シベリア・シリーズ」で頻出する独特の「顔」は、現代で言えば奈良美智の不機嫌な少女のようなキャラクター・ピースとも考えられると思います。香月の「顔」は表情とか個性をなくした非人間的なものとして描かれているばかりかといえば、「復員〈タラップ〉」という作品では、表情のなかった石像のような「顔」の口を開けさせ、目のところにわざとらしく真ん丸の涙の粒を1個2個描いてみせて、「顔」をパロディのように描いて滑稽味を作り出しています。これは、香月自身が「顔」をキャラクターとして意識して使っていたことを示しているのではないでしようか。あるいは、個々の作品のところで何度も触れましたが、香月の作品は描かれる対象とその背景の画面上の主従関係が逆転し、例えば人物がであれば、中心の人物がオマケのような存在で、背景の方が塗面に陰影が深くて何かが描かれている、その意味を探りたくなるという、従来の作品の見方の発想の転換を迫るところもあって、これなどは、私には革命的と言ってもいいと思えるほどです。美術史の知識があるわけではありませんが、近代以降の抽象的な方向に向かっていた現代美術に反抗するようにポップ・カルチャーが出てきたように聞いていますが、香月の作品を見ていると、抽象化の傾向がありながら、画家自身が見るものに分かってもらうための説明を作品に付してみたり、「顔」のようなキャラクター・ピースを考えてみたりと、抽象画とポップ・アートの両方の要素をもっていた、つまり、両者の橋渡しのような在り方をしている。そのように、先入観なしに作品を取り上げて、単に見るということからの面白さが沢山あると思います。

2022年3月15日 (火)

生誕110年 香月泰男展(4)~第3章 シベリア・シリーズの画家(1950~68)

 本格的に「シベリア・シリーズ」の制作に傾注した時期で、展示は、ほとんどが「シベリア・シリーズ」の作品です。
Kazukinorth 「北へ西へ」という1959年の作品です。香月自身が、初めて「私の顔」を描いた記念すべき作品であると明言している作品だということです。列車の鉄格子の向こうにひしめく、あの香月独特の「顔」「顔」「顔」。終戦後,奉天を出発した兵士で満杯の列車は、行き先も告げられないまま、来る日も来る日も北へと走り続けた。この「顔」はパターン化されて、「シベリア・シリーズ」の代名詞のようなものとなります。美術のデッサンの練習で扱う面取りした彫像の顔のように表情がなく、顔の形がパターン化されて個性もなくなっています。この顔を鉄格子の暗闇の中から、顔だけを浮き上がらせることで、「シベリア・シリーズ」というタイトルからも、見る者はものがたりを想像することを触発されます。規格品であるはずの鉄格子が不規則に描かれているのも、ものがたりの雰囲気を高めています。このように、シンプルでありながら、分かりやすく、洗練されたデザインとなっていると思います。それだけに、私には、あまりにもあからさまというか、あざといとも言ってよい、ちょっと演劇でいう新劇風の大仰でわざとらしい演技を見せられているようでもあります。香月自身は制作しているときに、こんなに簡単に分かられてしまっていいのか、という逡巡がなかったのかという疑念を覚えました。それとも、この作品が発表されてから半世紀以上経っているのを見ているからこそ言えるのであって、発表当時は、一般的なイメージとは異なるものだったのか、そのあたりはよく分かりませんが、当時の世相を伝えるドキュメントの挿絵に使ってもおかしくないほど、それほど分かりやすい、と思います。もしかしたら、そういうデザインを作ることができたのが香月という画家の才能の特徴なのかもしれません。すくなくとも、この人は描写とか表現の人ではなくて、デザインの人だったというままが如実に示された作品だと思います。
Kazukidomoi  「ダモイ」という1959年の作品、ダモイというのはロシア語でДОМОЙ(この文字が画面左下に書かれています)で家へ、自宅へ、故郷へ、故国へという方向性を伴う副詞です。文字という記号をデザインで用いるのはよくある手法で、顔をパターン化して記号のように使用しているのであれば、記号そのものである文字を用いれば、さらに分かりやすいものとなります。望郷の想いのような形にしにくいものであれば、文字で直接的に伝えた方がわかりやすい。香月という画家は作品を見る者にとってはサービス満点の画家と言えるのではないでしょうか。この作品で注目すべきは、例えば、画面の右手の人物の黒と背景の黒の塗り分け、そして、人物の黒が前にも述べたマチエールの技法で塗られていて、表面に凹凸ができていて、その凹凸によって右手の袖を前にして身体を抱えるような姿勢をしていることを、表わしていることです。つまり、マチエールの凸凹やそれによって生みだされる陰影が意味のある形態や模様を作りだしているということです。
Kazukihorron2  「ホロンバイル」という1960年の作品で、1944年にも同名の作品を制作しています。ホロンバイルはモンゴル北方の大草原の地名で、牛や馬の死骸がそのまま放置され、腐敗し風化して白骨化している景色を描いたと説明されています。そういう説明がなく、虚心坦懐に画面を見れば、黄土色の下地に黒い図形がポツリポツリあるという抽象画に得てしまうでしょう。しかし、そう見ても、この作品は面白い。黄土色と黒というたった2色のモノクロームのような色使いで、黄土色による余白をたっぷりとって黒い斑点のようなのが中央付近のポツリポツリあるという構成が、緊張感があるでもなく、かといって何も関係がないようなダラけた感じでもない。そこで、黄土色の下地の背景がマチエールで模様のようなものが浮かび上がってきて、こっちの方に視線を導かれてしまう。地と図という画面の区別の方法がありますが、この作品では、地が図のための背景になるのではなく、地がむしろ前面に出て表現的になっている。ここでは、図は地を効果的に生かすためのスパイス程度のものになっている。これは、伝統的な西洋絵画の画面構成の伝統から外れたものであろうし、これが香月の作品の突出したユニークな点で、彼のマチエールの技法は、この傾向で、この後も進化していき、この画面構成の特徴が深化されていきます。
Kazukideath  「涅槃」という1960年の作品です。多くの「顔」と合掌する手が描かれています。「顔」と合掌の組み合わせがパターンのように繰り返される中、一人だけ顔を覆う人物がアクセントとなっています。それだけでなく、合掌のなかには左右対称ではなく、かすかに斜めを向いて手の甲が見えているものがあります。実際に合掌を組んでみると、自然な状態でゆったりと合掌すると、人体の構造上、掌は必ず胸の真正面で合わさり、斜めを向くことは起こりません。合掌の形が歪むのは、余分な力が入ってしまった時です。物語的な想像をすれば、戦友の亡骸を囲む捕虜たちは平静な心境ではないはずで、その他にも厳しい寒さという要素も加わって、合掌する手は強張ってしまうでしょう。その結果、合掌の形が歪んでしまう。この作品では、合掌という手の身振りをパターン化し、そのパターンの微妙な変化によって、感情を表わすことが行われています。
Kazukisyuujin  「囚」という1965年の作品です。ここで、少しおさらいしておきますが、香月の作品の画面は基本的には3つの絵具の層からできています。第一層は、黄土色を薄く塗った下地です。ついで周辺に「余白」を残しながらその上に日本画の画材である方解末をまぜた黄土色を塗り重ねます。これが第二層です。そして第三層はモチーフを描く部分で、これには木炭の粉を油で練りあげた黒の絵具をペインティングナイフでこすりつけるようなやり方で造形していったとも、あるいはあらかじめモチーフを黒の油絵具で造形し、その上に木炭粉を置いていったとも言われているようです。この木炭粉の使用については、黒を主体にしたモノクロームに近い色調と油絵具のテリを消したマチエール(絵肌)が特徴です。と説明されています。
Kazukistar  「星〈有刺鉄線〉夏」という1966年の作品です。真っ暗な画面の下半分は有刺鉄線の刺の規則的な並びで、上半分が夜空の星という無秩序な点の並びで、上下の部分に金属的な輝きをする点のようなものを対比的に配置しているという、とてもスマートなデザインを感じさせる作品です。この作品だけを取り出して、ポスター等に使っても、結構通用するのではないかと思えるほどです。「シベリア・シリーズ」は黒で塗り固められたような作品ばかりですが、このような作品もあるので、全体が暗い気持ちになるわけではないのです。この作品の下半分は「荊」という1965年の作品とダブります。どちらも、背景の地だけで対象となっているはずの荊の刺は背景のアクセントになっている程度で、香月の「シベリア・シリーズ」の特徴を、もっともよく出しているのは、こういう作品ではないかと思います。
Kazukireturn  「復員〈タラップ〉」という1967年の作品です。抑留者たちが復員し舞鶴港に到着し、船のタラップを降りる場面です。闇から浮かび上がる抑留者の顔と手は、木炭の粉を塗り込んだ黒色の層をペインティングナイフで削って形づくられたそうです。この作品に特徴的なのは、「顔」のパターンです。この作品では、口をあけて、目から涙を流しています。故国に帰還できた喜びを表わすためと思いますが。しかし、その構成は「北へ西へ」とそれほど変わりません。しかし、この作品では、顔に代わって手が人々の個性を表わしているようで、「北へ西へ」のようなシリーズの他の作品と一線を画しています。出迎えの人々に降りかける手、タラップの手すりに添えた手のほか、出迎えの者との抱擁を待ちきれないように横に広げられた手、目頭を覆う手。これらが対角線構図の巧みに整理されて、画面にリズムを作りだしています。
 「〈私の〉地球」という1968年の作品。「伐」という1964年の作品と構図がよく似ている作品です。「伐」が伐採した切り株を上から見たものですが、「〈私の〉地球」の黒い歪んだ楕円の枠のようなものは、「伐」の切り株のようにも見えます。香月の作品は一見抽象的でも、シベリア・シリーズでは画家本人の説明が付されていて、題名や説明から何が描かれているかを画面を見て納得できるのですが、この作品はそうでもないようです。“周囲の山の彼方に5つの方向がある。ホロンバイル、シベリア、インパール、ガダルカナルそしてサンフランシスコ。いまわしい戦争にまつわる地名に囲まれた山陰の小さな町。ここが私の空であKazukiearth り、大地だ。ここで死にたい。ここの土になりたいと思う。思い通りの家の、思い通りの仕事場で絵を描くことが出来る。それが私の地球である。”という画家本人の説明は、ここで挙げられている地名は、画面の上下左右に文字で書かれている。画家にとっての私の地球は、山間の盆地のような山村で、空から見れば切り株のような穴ぼこで、その形状だけをみればアンフォルメルのような形です。というよりも、ここで何度も触れていますが、絵の具に粉状のものを混ぜてマチエールのように盛り上げて、凹凸をつけて、そこに陰影の模様をつけて、「伐」では、その陰影から見えてくるものが光の変化で動くように得るのが楽しいのですが、「〈私の〉地球」ではナイフで削って手が描かれています。これは横になって瞑想する香月自身の手であると言われています。ということは、シベリア・シリーズでは珍しく画家自身が画面に描かれている作品と言えるかもしれません。

 

2022年3月14日 (月)

生誕110年 香月泰男展(3)~第2章 新たな造形を求めて(1950~58)

 シベリア抑留を終えて復員したあと、戦後の生活を始めて、作品生活を再開したころの作品です。
Kazukigrass  「草上」という1950年の作品です。前章の「釣り床」や「砂上」に連なる後ろ姿の人物を描いた作品です。人物の頭部と腕が地平線上に、まるで風景のように描かれています。香月は、生身の人体を描かず、このポーズの木彫を制作し、それを描いたと解説されていました。会場では、その木彫も展示されていました。そのように現実の生身の少年を描かなかったことについて、次のように解説されていました。おそらく対象となる少年は香月の心の中の存在であり、実在するものではない。心象としての少年を描くにあたり、木彫として実体化してと思われる。心象は、目に見え手に触れることのできる対象となり、「静物」としての取扱いが可能となる。ここにおいて、画面を構成する他の要素とのバランスや配置を具体的に考えることができるようになり、画家は自在に構想を展開する。逆光の効果や地平線との関係、背景の青空などの風景画的な要素も取り込むことが可能となり、現実とも異なる心象とも異なる特異な少年像が打ち出された。このような解説の内容については、ある程度納得できます。香月という画家は、作品の画面を構成するデザインを重視し、人物もその構成要素のひとつでしかなかった。だから、他の事物と同じように扱いために、人物の存在感を取り除きたかった。その試みとして、木彫を描いたということでしょうか。それは、作品の中の人物の描き方に注目するだけでなく、画面全体を見ると、そう思えてきます。私は、この作品を見て、ヴァロットンのVallootnball 「ボール」という作品を思い出しました。一見、ボールを無邪気に追いかける少女を詩情豊かに描いた作品ですが、どこか落ち着きません。全体をよく見通してみると、緑色の大きな影のあちらとこちらとでは明らかに視点が違っています。手前の少女は上から見下ろしているのに、奥の二人の女性は横から見ています。気づかなければ、通り過ぎてしまうものが、いったん気付いてしまうと無視できなくなります。エドガー・ポーの「群集の人」のような印象です。そんな不条理な不気味さをいうのは不似合いですが、ここでヴァロットンがやっているのは、だまし絵のようなものです。それを可能にするためには、に写実に描き込んだ様式では不可能で、画面を単純化させて、作品を見る人がシンプルに見ることができることが必要です。そしても画面に操作を加えることになるのですから、単純化、見もっと言えば図案化したほうが操作を加えやすくなります。図案化されれば、見るものはそれなりに想像力を働かせて、それを見る人なりに、というよりはパターンに従って現実に当て嵌めて見るようになります。だから、この作品の平坦な空間表現とパターン化した事物というは、そのために格好の手段となってくるわけです。この作品では、ヴァロットンのような騙し絵のような要素はありませんが、画面の上から3分の1のところで水平に区切られたブルーとグリーンの対比の鮮やかさはどうでしょうか。ブルーもグリーンも少し暗めの色合いなのに、見る者には夏の太陽の強い光に映えて鮮やかに映ってきます。それに加えて、グリーンの部分に広げられた真っ白なシャツが目に鮮やかです。この作品では、この3色の対比と構成により鮮明な印象を見る者に与えるところに特徴がある。そこで、後ろ姿の人物で、これが画面にスパイスのような機能をしています。作品を見る者は、どうしても人物の姿に視線を向けがちです。そこで、3色の対比を直接見ようとしない。つまり、画面全体の構成やその効果が間接的に見る者に及ばされる。見る者は最初は、それに気づかず、そう言えばブルーとグリーンと白が鮮やかだった、と気づく。それだけ、印象は深くなる。この時、人物に存在感があると、見る者は人物しか見なくなって、全体としての画面に気づかなくなるおそれがある。
Kazukirobou  この後ろ姿の人物は「路傍」という1956年につながって行きます。モノクロームの色調で、「シベリア・シリーズ」に近いスタイルになってきています。画面左手の背を向けた3人の人物の姿は、「草上」の人物とよく似ていて、このほとんど同じ3人の後ろ姿で、それぞれの個性も感情もうかがい知ることができません。この3人の人物はコピー・アンド・ペーストしたように違いが分かりません。画面右奥の人物は、3人の後ろ姿に向き合うように正面の姿ですが、顔はよくわかりません。黒っぽい後ろ姿の3人に対して、この人物は白色で、3人の人物に語りかけるように、演劇的な身振りで両手を大きく広げています。しかし、見る者は、そのような身振りが意味する行為や感情よりも、特定の角度から見る顔の形そのものにあったのではないかと思います。雄弁な両手の描写も、垂直と水平で構成された画面の角に対角線をとり入れた画面を引き締めています。また、後ろ姿の黒とこちら向きの仰々しい身振り人物の白とが強いコントラストをくっています。しかも、「草上」に比べて、絵の具の塗りが少しずつ薄塗りになってきています。それゆえに、画面の平面性がさらに強くなってきていて、デザインの性格が進んできていると思います。
Kazukiwalkaround  「散歩」という1952年の作品です。香月は、このころ、身近な草花や台所の食材など、日常の身辺のありふれたものを取り上げた小品を好んで描いたそうです。この作品では、犬を連れた散歩している時の犬に注目した描いた作品と言えます。この作品で特徴的なのは、犬の姿を描くときの視点の低さです。この作品では、犬と同じ視点に立っている。しかも、かなり近い距離で犬の姿を捉えている。このころの一連の日常の身辺のありふれたものを取り上げた小品は、同じように接眼レンズの写真のように対象物に接近して、小さい画面にいっぱいに捉えていて、しかも対象の全部まで行かず一部とか届かない視線で、捉えて描いています。そこで、作品を見る者が意識するのは描いている者の視線で、誰が描いているのか、という視点の限られたところです。これ以前の香月の作品では画面の全体の構成という作品で、視線というものは意識されませんでした。そこで、香月は視点を意識した作品を何点も描きまました。
Kazukihand  「電車の中の手」という1953年の作品など、電車のポールを掴んだ手という人の一部のみを描いた作品もそうです。この作品では対象を面で構成する傾向が強く、電車のポールを掴む角ばった手はもはや彫刻みたいですが、「草上」の人物のように絵画の制作に当たって彫刻を彫り、それを描くことがありましたが、この作品の手はもはや、そんな手順を踏まなくても、慣れた手つきで描けるようになっている。そして、この描かれた手はキュビスム的な面で構成されて、物的に見える傾向がさらに進んでいます。そして、この時期、香月は絵具に日本画の画材や木炭を混ぜるなど技法の実験にも取り組んだということ、方解石の粉末である方解末を絵具に混ぜ、色数を抑える画風を模索していたといいます。つまり、方解末の混入による黄土色のマットな下地に、木炭粉で描く方法に辿り着いたそうです。この技法がこの作品でも使われで、画面表面がザラザラした感じで、描かれた手が手触りで物の質感が感じられるものとなっています。
そこで、身につけた視点による描写を複数組み合わせて画面を構成したのが、前で紹介した「路傍」という作品です。この「路傍」は平面的が描き方をしていますが、複数の視点が加わったために、劇的な要素が加わって、画面が複雑になったと思います。
Kazukiwall  「左官」という1956年の「シベリア・シリーズ」の作品です。収容所の浴場建設の煉瓦積みをしたとき模様を描いた作品と解説されています。画面の下3分の2は一面黒っぽく塗られており、微かに、それが積まれた煉瓦であることは分かりますが、作品を見る者には黒い空間に画面が浸食されて、人物の顔がある部分もやがて浸食されてしまうだろうという感じがします。そこに、不安というか、おそれのような感じが漂ってきます。人物には顔が描かれていますが、茶色っぽい顔の男の手に握られた煉瓦と煉瓦鏝、さらに、顔の輪郭には影のようなもうひとつの輪郭があり、何だか亡霊のようにも見えます。この顔は、鴨居玲という画家の晩年の「1982年 私」という作品に描かれた幽霊のような自画像とそっくりです。
Kazukitrack  「乗客」という1957年の作品で、「シベリア・シリーズ」の一作です。いよいよ、らしくなってきたというか、未だ黒の画面に占める比重は、それほど大きくありませんが、茶色とも黄土色ともとれる鈍い色をベースに黒で、顔や頭蓋骨などが描かれている。画家による説明では、収容所への移動でトラックに乗せられていたときの様子だそうです。この作品は、一度大きな描き直しを経ていて、当初は、トラックの4つの座席にデスマスクのような顔が描かれていたのが、描き直しによって、左下の男は骸骨に、右上の男は動物の頭蓋骨に変えられました。横顔で描かれていた左上の男は九九塗りつぶされてわずかな輪郭を留め、ジャン・フォートリエの「人質」シリーズを想わせるものとなりました。右下の男だけが顔が残り、手前にハンドルが描かれたことで、彼がソ連兵の運転手で、車中で唯一死に接していない存在であるためだということです。下のバンパーの部分は黒く塗りつぶされ、左上部と呼応されるようになりました。このように説明されると、何が描かれているかよく分かります。この人の作品は、一見、抽象画ともとれるところはありますが、実は分かりやすい物語的な題材をデザイン的に、いろいろいじって作られたところがあると思います。そして、以前から試みていた方解末を混ぜた黄土色の下地を用いて、その上に粉末状の木炭を練り上げた絵の具を押し付けてゆく技法を、ここで完成させたと言います。全体にくすんだ感じで、薄塗りなのに、黒の部分が盛り上がって、見た目の陰影が深く刻まれる感じがします。それだけでなく、人の顔が物化するのがさらに進むように見えます。
Kazukifalcon  「鷹」という1958年の作品です。この作品では、「乗客」で紹介した技法の効果がよく表われてくるようになります。つまり、方解末を混ぜたり、粉末状の木炭を絵の具に練り上げた結果、塗った表面がザラザラしていくる以上に凸凹がうまれ、それが、この小さな画像でも分かるように顕著になってきました。「鷹」という題名ですが、その鷹は画面の4分の1くらいで、後は余白といっていいような、黒く塗りつぶされたり、黄土色の背景の部分です。では、その部分は単なる余白かというと、そうでもない。日本画でいう余白の効果を狙っているかというと、それでもない。この余白の部分は、形が明確な鷹の部分以上に何らかの表現を感じさせるところがあります。見る者の立場から言うと、想像力を刺激されるといってもよいのではないか。それは、第3章の「シベリア・シリーズ」の展示ではっきりすることになるでしょう。

 

2022年3月12日 (土)

生誕110年 香月泰男展(2)~第1章 逆光のなかのファンタジー(1931~49)

Kazukigrandfather 香月が代表作「シベリア・シリーズ」に至る前の時期、習作期です。最初に展示されていたのは、香月が東京美術学校の1年生のときに制作した「祖父」という作品です。ゴッホの晩年の自画像に、スタイルといい、色調といい、そっくりです。また、その5年後の卒業作品の「二人座像」はピカソの“青の時代”に好んで描かれた痩せ細った青年像によく似ていると思います。たったこれだけで決めつけてしまうのは早計かもしれませんが、展示されていた同時期の作品を見ている限りでは、この時期、香月は自身の個性を見つけ出せていないように見えます。というより、自分が描きたいというよりも、西欧の画家の作品をとり入れて要領よく作品を仕上げているように見えます。どちらのKazukitwo 作品も人物を描いた作品ですが、私には、その対象の人物への愛が作品からは感じられないのです。人物の人となりを描き込もうとか、表情を生きいきと表わそうというとこはなくて、描かれている人物の顔は能面のように無表情で生気は感じられません。それよりも、作品のスタイルというか、人物の形というもの、それを作品画面にどのようにデザインするか、構成するかということが関心の中心となっている。そして、ここで香月がお手本にしているゴッホにしても、ピカソにしても対象を写実するという画家ではなくて、すでに画家が描く前に言葉等でイメージができていて、それに従って、対象の形をとり入れて、作品を構成していくというタイプの画家であることも、香月の傾向を示唆しているように思えます。このような書き方をすると、香月を否定的に見ているように思われるかもしれませんが、彼はオリジナルに作品を創造するというより、いろいろ素材を構成して画面をデザインしていくタイプの作家であったことを、当初から見せていたのではないかと思ったからです。
Kazukirabbit  「兎」という1939年の作品です。これまでの作品に比べて、何か変わったという印象で、後の彼の作品に通じるとこが表われ始めた作品であると思います。まず、明らかに全体の基調色が黒で、おそらくそれを意識した色使いがなされているにもかかわらず、暗い印象がありません。これは、色を何らかの雰囲気とか感情を象徴的に表現するようには使われていないからで、香月の作品では、色に何らかの意味が付託されことがなく、ただ色という素材して即物的に使われている。変な喩えかもしれませんが、川久保玲のブランド「コム・デ・ギャルソン」の即物的で表面的な黒に通じるところがあるように、私には思えます。後年の「シベリア・シリーズ」では余計な情報がまとわりついているため、そういう先入観なしに見ることのできるこの作品の方がむしろ、そういう黒の特徴がよく見えてくると思えるのです。そして、タイトルにもなっている兎が平面的でただの黒面に白くとり残された兎の形の平面になっている。それだけでは、あんまりなので、というのでもないのかもしれませんが、塗面をパレットナイフで引っ掻いて、マンガの動線のような作為が加えられている。そんな兎に対して、背景となっている兎の入れられた箱や窓のある部屋の方がリアルに描かれている。画面を地と図に分けるとしたら、普通の作品は図が中心でテーマなどというのは図にあるのでしょうが、香月の作品はむしろ図が空虚で地の方に重点が置かれる傾向が強いと思います。この作品でも、描き込が背景のほうが強い。
Kazukigate  「門・石垣」という1940年の作品です。香月の作品には、窓とか扉から何かが覗いているという構図の作品が少なくありませんが、これはその最初期のものだろうと思います。後年の作品なら、この門の向こうに開かれている空間Hammerinterior4 には男の顔といった図が見えているはずですが、この作品では図ではなく地であるはずの石垣が描かれている。つまり、図が不在で地ばかりの作品となっている。この作品全体はハンマースホイの室内風景を描いた作品に似ているところがありますが、ハンマースホイの室内を描いた作品では人物が不在であることがかえって強く意識されて不在ということがテーマとなっているところがありますが、香月のこの作品では、人物がいるとかいないとかいったことは、最初から想定されていません。それよりも、矩形で画面が構成されているということ、白黒を基調とした画面に石垣のグリーンを帯びた色が緊張感を生み出しているということに重点が置かれている、ということが特徴的だと思います。
 「ホロンパイル」という1943年の作品です。モンゴル地方の大草原の地名で、応酬された軍隊の駐屯中、カンヴァスの代わりに麻袋を解いた布に描かれた作品だそうです。ここで描かれた人物はデ・キリコの描く人形みたいです。もっとも、この前に展示されている「釣り床」という作品の坊主頭の少年の描かれ方もよく似ていて、後ろ姿を形態として描くというようにして、人の形態を描いている。この時の人物の表情などは視野に入ってこない。「シベリア・シKazukihorron リーズ」を過剰に言葉で意味づけする立場の人なら、ここに画家の孤独とか死の影を見出すかもしれませんが、私には、香月という画家にとっては、人間の感情とか表情とかいう情緒的なものはどうでもよく、即物的な形だけが興味の対象で、本人もそのことが自覚できてきたということではないかと思います。Kazukitsuri 「ホロンバイル」では、異国のエキゾチックな風景の中で、そういうことが追求しやすかったのでないか、そのせいか、とても自然に見えます。そういうとこから、後年の「シベリア・シリーズ」について極限の体験の精華と言われることもあるようですが、図よりも地を描くという性向の香月としては、国内の光景はそこで生きてきたこともあって意味とか情緒と完全に切り離すことは難しいのに対して、モンゴルとかシベリアの光景は異国であり、収容所の光景は意味とか情緒には馴染みにくいであろうから、完全に即物的に捉えて描くことができた。つまり、素材として利用することができた。その意味で扱いやすかった。それに気づいたのが「シベリア・シリーズ」だったように、見ていて思えてきます。
Kazukigrave  「埋葬」という1948年の作品で、「シベリア・シリーズ」の一作です。顔を白布で覆われた遺体を穴の中に安置しようとしている人物の、うつむいた黒い頭頂の3分の2ほどがこちらに向けられています。手前には墓穴を掘るのに使ったのであろう、スコップの一部が見えています。これは,シベリアの収容所で栄養失調と過労のため亡くなった兵士の遺体を埋葬している場面です。黒一色の「シベリア・シリーズ」の他の作品とは違って、この作品は暖かな色が基調となっていますが、作品についての香月の解説では、私は異郷の冷たい土の下に葬られる戦友を、ことさら暖かな色で描いた、期しています。

2022年3月11日 (金)

生誕110年 香月泰男展(1)

Kazukipos  新型コロナ・ウィルスの感染が拡大し、その防止策として外出の自粛が励行され、人の集まる場所である美術館なども対応を迫られることなどもあって、私の場合は勤めも在宅勤務が多くなり、外出そのものの機会も大幅に減ってしまって、まして美術館を訪れることもなくなってしまいました。今回、美術展を見に行きましたが、約1年ぶりのことです。久し振りという感が強かったです。そのせいか、以前より、疲れました。今回は、運転免許の更新のために勤めを休み、そのついでに行ってきました。コロナ感染対策の蔓延防止措置の期間中であり、美術館のホームページには入館に際しての注意事項が掲載されていたりしましたが、実際に訪れてみたら、平日の午前中という時間帯でもあり、訪れる人もなく閑散としてると思っていたら、そこそこ入館者がいて、コロナの感染が広まった一昨年以前と、それほど変わりないのではないかと思えるほどでした。
 いつものように、香月泰男という画家の紹介がてら、主催者のあいさつを引用します。
 生誕110年を記念して香月泰男展を開催いたします。
 明治が大正に移り変わる直前の1911(明治44)年に山口県大津郡三隅村(現在の山口県長門市三隅)に生まれた香月泰男は、1974(昭和49)年に故郷三隅の自宅で心筋梗塞のために62歳で急逝するまで、旺盛な創作活動を展開し、独自の画境に到達し、20世紀中葉における日本美術に大きな足跡を残しました。
 戦前、1934年に東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科で学ぶ学生時代に国画会展に初入選し画壇デビューを果たします。まさに日本におけるモダニズムが、反動や逸脱を含みながらも、同時代のグローバルな実験精神との共鳴を伴いつつ、多種多様に開花しようとする兆しをみせていた時代でした。若き画家もその影響を受けながら、早くも1940年代初めには特異なアングルからの画面構成による、大胆な抽象化をほどこした作品群を生み出しています。
 しかし、1941年に太平洋戦争が勃発し、画家は、1943年に招集され、当時の満州国ハイラル市に赴きます。1945年の日本の敗戦によって、シベリアに2年間抑留されることになります。その間、制作は中断を余儀なくされました。
 帰国後の「雨(牛)」は、のちに生涯の代表作となる「シベリア・シリーズ」の第1作と位置づけられることになります。牛と犬が左右に配された画面の中心部分には空虚で赤土色の色面が広がり、画面全体に雨が降り注いでいます。中国大陸での戦争体験を暗示するものの、まさに一瞬のうちに嘱目した光景を回想し、内面で普遍化した作品でした。
 本展では、2007(平成19)年から2012年度まで6年をかけてすべての修復を終えた「シベリア・シリーズ」全57点を展示いたします。それ以外の油彩画、素描などを加え、約150点を並べる回顧展となります。生誕から1世紀以上の時の流れは、この戦後美術の「レジェンド(伝説)」のひとつである記念碑的なシリーズを「大きな物語」の枠組みからゆるやかに解放し、ひとつひとつの作品誕生の際のまなざしや、画家の創作の原点を確認させてくれる絶好の機会になると思います。
 このあいさつはそれほどではありませんが、この展覧会を紹介する「美術手帳」の文章などは“50年代後半、黒色と黄土色の重厚な絵肌に到達した香月は、極限状態で感じた苦痛や郷愁、死者への鎮魂の思いをこめて太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描き、「シベリアの画家」として評価を確立。”という書き方をしています。しかし、実際に、会場で展示されていた作品を見ていると、そういう形容とはどこか食い違う印象を受けます。たしかに黒を基調とした、モノクロームに近い作品が多く、会場全体を見回すと黒一色のようですが、そこに重苦しさのようなものは感じられませんでした。むしろ、お洒落なデザインというような、少し尖がっていながも落ち着いた雰囲気のようなものが感じられました。その意味で、香月の作品というのは、彼自身の体験を物語として、作品に物語のイメージでそれらしい感情の言葉を纏わせて見てしまうところがある。もっとも、香月自身も、そういう見られ方を巧みに利用して、見る者に効果を与えることを意図して画面を作っているところがある。そういうのではないか、というのが私の見た香月の作品の印象です。何か、まどろっこしい言い方で、分かりにくいかもしれません。それは、これから展示されていた作品を見ながら具体的に話していきたいと思います。

 

より以前の記事一覧