生誕100年 中村正義 その熱と渦(6)~第5章 深掘り!中村正義をよみ解く
ここから第2会場に移ります。ここでは、中村の多様な取り組みを5つのテーマで紹介しています。これまでの第1会場では、比較的規模の大きな作品をじっくりと見せるという展示でしたが、ここでの展示は中小規模の作品を数多く見せるというように、展示の仕方が変わりました。ここまでで少し疲れ始めてきたので、ここで多数の作品が壁を埋め尽くすような展示に接すると、圧倒されて、丁寧に見る余裕がなくなってきました。なので、かいつまんで
「風景と山水~写生から心象風景へ」 1950年の「山里暮色」。写実的な風景画です。いわゆる花鳥風景の定型的パターンではない、田舎の山里の風景です。当時としては斬新だったのかもしれません。向井潤吉が描きそうな風景です。1969年の「雪景色」は、日展から離れて反逆したため、注文がなくなってしまったときに、この作品をきっかけに注文が再びくるようになったということです。この作品と同じ頃に舞妓を題材にした過激な作品を制作していたのですから、びっくりです。
「花と女~色彩の実験」 蒼野社に入ったころは花鳥画を描いていたのが、1960年代の反逆の時期に原色を多用する大胆な作品を制作します。1962年の「花(アネモネ)」はその典型です。三輪のアネモネの花の赤が強烈です。そこに青、黄が対立するように配され、そこに赤がドリッピングのように散らされています。1963年の「薔薇図」は画面のほとんどが赤で占められ、アクセントのように黄色が激しく対立しています。太い線が引かれた薔薇の形態は大きく省略され、蚊取り線香の渦巻きのようだし、茎の部分と背景は唐草模様のようです。
舞妓は、女性は1957年の「女」から、何度も繰り返し取り上げられてきた舞妓です。この以前に制作された舞妓三部作と呼ばれている作品がある。通称赤い舞妓といわれる1957年の「女」、白い舞妓といわれる1958年の「舞妓」、黒い舞妓といわれる1959年の「舞子」(ここでの展示なし)の3点である。この頃の舞妓は、日展の古い殻を打ち破ろうと試行錯誤を重ね、画面上でさまざまな実験が行なわれていた。例えば「女」では、目の覚めるような朱色の長襦袢を纏った豊満な女を登場させ、「舞子」では、着物の前をはだけて裸体を晒した少女を描いた。現在の時代感覚では、それほど奇抜にみえない色彩や構図も、当時の日展ではタブーを犯した問題作であったという。しかし、日展には「舞妓」を出品した。そこには、隠された部分にさりげなく贅を尽くすという伝統的でありながら、粋で洒脱な日本人特有の美学が横たわっている。その後、第3章で見た1962年の「舞妓」はその薄い膜を剥ぎ取り、鮮烈な色彩を露出させたという。
そして、ここで同じ1962年の「舞妓」は、さらにドギツイ赤で、形態のデフォルメはさらに進み、むしろマンガに近づいている。このお下品さは、同時代の横尾忠則のテイストに近いものを感じます。そして1963年の「舞妓」は黄色いポップな画面で、全体に黄と紫、赤と緑、青と橙など、意図的に補色を使い、さらにショッキングピンクにより鑑賞者の目を引き付け、人体をこけし人形のようにとらえ、腰から上部の正面を画面の真ん中に配置し、顔の部分は、絵具のチューブから絵具を直接出して凸凹に盛り上げて描いています。一方で単純な形態と円や十字など幾何学模様や明るい色彩が、はかなくポップな軽みを強調しています。1968年の「舞妓之図」は「うしろの人」の方に一歩踏み出したかのような不気味さが現われ始めました。
「自画像から顔へ」
自画像が壁いっぱいに展示されていました。よくまあ、これだけ描いた。それしか言えません。見切れませんでした。
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