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美術展

2020年12月14日 (月)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(4)~3. 激動と表現主義の時代(1958~1970年)

 売れっ子の画家となったビュフェは結婚して、妻をモデルに多数の作品を制作したそうで、画風には多彩なモチーフ、鮮やかな色彩、より力強く激しい輪郭線、絵具の厚塗りへの移行といった変化が起こり、力強い描線によって表現主義的傾向を強めていったと説明されています。
Buffetbroadway  「ニューヨーク:ブロードウェイ」という1958年の作品です。直線をたくさん引きたいだろうビュフェにとっては、直方体で構成されて、ビルの壁面のガラスが碁盤目のようになっているのは、格好の題材ではないかと思います。画面が直線だけで作られたような作品です。このような、好きな直線をいくらでも引いていい作品であるにもかかわらず、その碁盤目という格好の対象に収まらず、そこから外れて無秩序に引かれる線が存在するというのも、ビュフェらしいと言えばそれまでのことですが、画面がスッキリとせずに薄汚れた感じになっているのは、何もニューヨークの薄汚れた雰囲気を出そうとしたとか、人の姿がないことと相まって都会の寂しさを表わそうとしたとかいうのではなくて(そういう解説が会場では書かれていたと思います)、たんに、空になっている部分にも我慢できず細い線を引いてしまって、それが汚れた感じになってしまったということだと思います。それは、同じ題材を取り扱った、モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」のスッキリした画面と比べると一目瞭然です。モンドリアンも碁Buffetmondrian 盤目を嬉々としてキャンバスに描いていますが、ベースの白い部分がクリアなほどすっきりしていて、碁盤目の線と際立つように対立していて、緊張感が高く、それゆえにか躍動感すら感じられるような画面とは、全く違います。モンドリアンと比べて、ビュフェの作品を見ていると、せっかく碁盤目という秩序があてがわれて、そこで線を引いていればいいのに、そこから線が飛び出してしまって、秩序を壊してしまう。それが結果として画面を汚して薄汚くしてしまうのですが、それを分かっていて、敢えてやってしまうというところに、ビュフェという人の線を引く欲望のユニークなところがある。おそらく、そこが彼のオリジナリティの部分ではないかと思います。
 「ピエロの顔」という1961年の作品です。今まで見てきた作品にはなった、背景を赤く塗られているというので、この作品で、はじめて色彩ということを認識できました。ちゃんとキャンバスが絵の具で埋められて、絵画らしBuffetpiero2 くなったというか、完成したことが分かる作品です。それが、本来なら当たり前なのかもしれませんが、今まで見てきた作品は、モノクロームに近く、白地に線が引かれているというもので、しかも、無数の線が引かれているが、そのために描かれている対象の形が決まったという感じがしないで、デッサンとか下絵そのままのような画面になっていました。そのため、キャンバスに下絵がかかれていて、完成した絵画かどうか、見る者には判断がつかないような画面になっていました。それが、完成か制作中かわからない宙ぶらりんというか、キマラナイ、不安定な存在といえるものでした。この作品では、そのような不安定さの要素が薄くなり、一応、画面が塗りで埋められているので、完成した絵画らしい安定があります。それゆえ、この展覧会のポスターでもつかわれているのだろうと思います。そこで、初めて、ゆっくり描かれた画面の形を見ることができるものとなっています。そのようにして画面を見ると、ピエロを描いた作品は、以前に見た「サーカス:トロンボーンとピエロ」と比べながら見るということができます。こちらの作品は半身像のピエロだけが画面中央にあって、対象が絞られて、整理された感じがします。そして、画面全体が左右均衡の構図になっていた、安定感があります。見る者の視線はピエロの顔に集まるようになっています。そういうように導かれるように見ていくと、何となく、ピエロの哀感を想像するように誘われます。たしかに、そのように見る人も少なくないと思います。しかし、私には、そのように顔に視線を誘導されて、みえたものは無表情で、線の集まりが、一応の顔の形を呈しているというもので、何らかの内容とか感Buffetanabel 情を見たい場合には空虚さがある、というものです。この作品は、画面全体がパターンとして安定している、言いかえれば、陳腐化しているために、その空虚さが目立っている。それが見るものに、虚ろさを通り越して、何となく寂しいとか哀しいという印象を生じさせるようになっている、と思います。さすがに、人気作家となっていたビュフェは、単に画面に線を引くということだけでは終わらずに、それを画面で効果的に演出するように仕掛けていると思います。私の好みからすると、余計な装飾に見えてしまうのですが。
 「夜会服のアナベル」という1959年の作品です。妻をモデルにした作品ということですが、服のスタイル画のようです。服の素材感とか、服を着ている女性の肉体の存在感は感じられなくて、黒い直線に近い線を無数に引いている。服は線で構成されているために、面がなくて、透き通っているように見えます。だから、服を着た女性のレントゲン画像というのでしょうか、透かしてみた服を着た女性は、全部透き通ってしまって、中身は空っぽで、女性の肉体も大人の女性の柔らかさがない棒のようです。私には、このころから、彼の作品は線が無数に集まっているという要素が薄れて、その宙ぶらりんのような画面の面白さが次第になくなっていくように見えます。いわば、このころから陳腐化というか、以前に描いたものの形を、なぞるようになっていくように見えました。
Buffetfog  「小さいミミズク」という1963年の作品です。このころになると、線引いて画面になるのに都合のよい題材を見つけ出すようになります。たとえばこの作品では、みみずくの目のところで、放射状に引かれた線は、今までの作品にはなかった線の引き方です。それが、この作品では結構目立っていて、見る者の目を引く作品になっています。メスキータの「ワシミミズク」という作品と比べてみると、メスキータの作品は細部というか小さな羽が並んだ秩序が生み出す面白さがあって、秩序かみだす形に魅力があります。これに対して、ビュフェの作品は、趣向だけにとどまっていて、要領がいいという印象にとどまっている。その結果である形そして全体の画面には、面白さが及ばない。その大きな要因は、画面のデザインが思いつきにとどまっているのと、引かれる線自体が尖がらなくなっているからだと思います。一本一本の線の自己主張がなくなっMesquitafog_20201214211101 た気がします。「魚の骨」という1963年の作品もそうです。このような見方は、ネガティブと言われるかもしれませんが、私は、ここまで見てきて、ようやくビュフェの絵の魅力的な特徴に気づくことができたと思います。今見ている作品では、失われつつあるもの。失われつつあるがゆえに、これまで見てきた作品では、当たり前であったから、失われてはじめて、それと分かる。まあ、私には、見る目がないのかもしれませんが。それは、無数に、秩序があるでもないでもない、一本一本の線で、それによって画面が形成されたということです。
 「皮を剥がれた人体:頭部」という1964年の作品。このころ、ビュフェは昆虫標本のような作品を多数制作しています。昆虫の節くれだった足とか、甲羅や羽とかった身体パーツは直線的な線で描くのに向いているようにも見えるからBuffethead でしょうか。しかし、これらの作品には昆虫の形態への興味がほとんど感じられず、せっかく具象的な作品を描いていて、昆虫という素材を見つけて、こんなに雑な描き方をしているのが、もったいないというか、そういうことから、この人は対象の興味というか愛がないということが、よく分かりました。人物に対しても、同じようだということか端的に分かるのが、この作品です。人体解剖図のような題材で、皮を剥がれて筋肉がむき出しになった姿は、本来はグロテスクなはずですか(例えば、マンガあるいはアニメの「進撃の巨人」にでてくる巨人は記号化された様式ですがグロテスクです。)たんに赤が目立つ顔という作品になっています。たしかに、赤い顔ということで目立つ作品くらいにしか見えません。前の「小さなミミズク」では、鳥の無二つの目が中心から放射状に直線を引いていましたが、この作品では男の顔の眉間のあたりを中心にしてそこから放射状に直線が引かれています。それを顔の筋肉の束にかこつけて描いたということの方が優先されるように思います。この人は、人間も昆虫も同じようにえがくようです。
 Buffethead2 「カンペールの大聖堂」という1968年の作品です。直線を画面に引くのから、直線作られているような建築物は格好の素材であるはずですが、スッキリしていないというか、こういう建築物で目立つロジカルな姿というか幾何学的とも言える整った姿とは程遠くなっています。やはり、この人は物体の形態の美しさとか存在といったことには興味がないことが明らかです。とはいえ、この人の線は幾何学的な感じもしないし、勢いを感じるところもないし、一本の線自体に魅力がない。それが不思議です。たくさんの線が集まって秩序でも無秩序でもなBuffetchurch く、たくさんあるというのが、この人の線による画面の特徴だと思います。風景画で人の姿がないと説明されていますが、そんなことは、ハンマースホイやクノプフの風景画も同じで、とくに珍しいことではないと思いますが、この乱暴に描かれたような、そして、画面が汚れていてスッキリしていないところは、パリの市街を描いたユトリロなどに雰囲気が似ているところがあって、しかし、ユトリロにあるような風情がまったく感じられないというところが、この人の特徴だろうと思います。ユトリロでは街の騒音が聞こえてくるようなところがありますが、この人の作品では音を想像することはできません。

2020年12月13日 (日)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(3)~2.プロヴァンス時代―新天地での変化(1950~1957年)

 Kandinskymur1 ビュフェはパリの喧騒から逃れ南仏の農村に移り、画面には穏やかな明るい色調と明快な線の作品を描くようになったと説明されています。フランス社会も戦争の荒廃から復興し、社会も安定の方向に向かった時代背景とあわせて見られているように思えます。というのも、私には作品の基本的な色調が変わったとは思えず、変化と言えば使われる色の数が増えた程度のことにしか思えません。ビュフェは相変わらず線を引いています。作品を見ていきましょう。
Buffetromaine  「ヴェゾン=ラ=ロメーヌの眺望」という1950年の作品です。農村の鳥瞰的な風景に見えますが、直線を引いて、四角形と三角形を組み合わせたら、風景のようになってしまった。直線で囲われた図形をグレーのグラデーションで塗り分けたら斜面の畑のように見えてきた。私には、そのように見えます。まさに抽象画です。もし、仮にこの作品のタイトルを「コンポジション」としたとしたら、抽象画に見えてくるのではないでしょうか。それは、カンディンスキーが風景を描いていて、平面の形と色の組み合わせにしていった、抽象的な画面をつくっていったのとは、逆の方向性ということになります。また、平面的で、風景の奥行もないし、建物と畑の質感の違いも描き分けられているとは思えず、塗り絵のように質感の違いはありません。
Buffetsalle  「食堂」という1953年の作品を見ましょう。会場には、室内を描いた作品は数点展示されていましたが、人の姿がなくて、グレーの寒々とした色調であったことは共通しています。このような作品を見ていて、20世紀フィンランドの画家ハンマースホイの室内画を思い出しました。シンプルな構成とか、グレーを基調とした色使いに共通するところがあると思います。しかし、ハンマースホイの場合は、パースペクティブがちゃんとあって、室内の家具や器などが立体に見えるし、それぞれに存在感があります。生活感が感じられ、そこに偶々人がいないというような、画面に描かれた光景の物語とか意味を、見る者に想像させるところがあります。これに対して、ビュフェの描く室内は、実在感とか生活感が感じられず、物語を想起させることはありません。ハンマースホイにはない無機的な感じが強いと思います。
Buffetpiero  「サーカス:トロンボーンとピエロ」という1955年の作品です。慥かに、このコーナーの説明の通り、線は明確ですっきりした感じになっていますが、それはビュフェが、必ずしも、試行錯誤で迷いながら無数の線を引くことをやめたのではなく、結果として無数の線がまとまるようになったということだと思います。つまり、画家が線を引く試行錯誤に熟練して、無駄な線を引くことがなくなったということだろうと思います。だから、画面の雰囲気は以前と変わってはいないように見えました。さて、この作品ですが、ビュフェはピエロを題材にした作品を複数描いていて、この会場でも他に数点が展示されていました。それが一様に正面の姿を描いていて、どことなく道化師の孤独とか、表面は華やかだが実像は、その陰で空虚さにとらわれているというイメージの姿を描いているように見えます。それは、ある意味では定型的なパターンで、例えば、ビュフェに限らず初期のピカソにも同じような雰囲気でピエロを描いた作品があります。これまで、ビュフェの作品を見ていると、他の画家の既存の作品を連想してしまうことが少なくなかったのですが、この作品もその例に洩れません。これは、私の主観ですが、それはビュフェのBuffetpicasso 作品がどこかで見たような印象が結構あるということできないかと思います。つまり、この画家でしかありえないというオリジナルな画面のデザインではなくて、どこかで見たようなデザインであるということです。もっと言えば、既成の定型化されたパターンに乗っている。おそらく、ビュフェという人は、この作品であれば、実際のピエロを写生していて、自分なりの視点で、このようにデザインしようということはなかったように見えます。それよりも、すでにあるピエロを描くパターンに乗って描いている。というのも、ビュフェには、そんなことは考えなくて、もっと大切なことがあったということで、それは、無数の線を引くということ。たくさんの線を引くことにとらわれていると、既存のパターンに乗って、そのうえで線をひくことに集中したいという。したがって、この作品では、ピエロという題材とか、その哀感ある姿というのは、この際、たいして重要ではなくて、細部で、どれほど線が引かれ、交錯しているか。そういう作品で、これは、ほとんど抽象画といってもいい作品だろうと思います。ただし、理念とか理論とかはまったくなくて、線を引くという欲望と線に対する感覚的なセンスによってのみ成立している。この作品では、線が集まって、ピエロの輪郭の太い線を形作っている、その様子が焦点ではないかと思います。

2020年12月12日 (土)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(2)~1.画家ベルナール・ビュフェ誕生(1945~1949年)

Buffetpainter  習作時代からデビューして世に出たあたりの初期作品です。“この頃の作風は厳しい時代の雰囲気を見事に反映し、抑制された地味な色彩と鋭い線によるストイックな描写を特徴”として、あいさつで書かれている“刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写”が典型的に当てはまるようです。ただし、1946年くらいまでは習作期で、作風が定まらず、1948年の「後ろ姿の裸婦」あたりから、上記のコメントが当てはまるような作品になってきます。
 「画家とモデル」という1948年の作品です。画面左の後ろ姿の人物はモデルでシャツを引っかけていて、下は素足が露わになっていることから、裸婦のモデルで、「後ろ姿の裸婦」で描かれたのと同じ人物かもしれません。しかし、「後ろ姿の裸婦」もそうですが、この後ろ姿の人物も、ひょろ長い、棒のような姿で、肉体のふくよかさは見られません。このような細長い、棒のような人物というと、ほぼ同じ頃に制作されたアルベルト・ジャコメッティの人物彫刻と共通しているところがあると思います。しかし、ジャコメッティの彫刻が贅肉を削ぎ落としていって、それが極限まで進んでしまって、そGiacomettithree の削ぎ落とした痕跡が露わになっていて、痛々しいほどで、そこに削ぎ落とす苦しさと、そうまでしなければならないジャコメッティの強迫観念のようなものが透けて見える迫力を感じさせるのですが、こちらのビュフェの作品には、そういう痛々しさは画面を見る限りでは明らかではありません。むしろ、削ぎ落とすというより、最初から贅肉がない、それゆえすっきりとしたところがあると思います。私には、ジャコメッティにあるような形(フォルム)を表わすことへの欲望が、ビュフェには稀薄であるように感じられました。
 「キリストの十字架降下」という1948年の作品です。宗教画で、人物の肉体がそぎ落とされた姿というと16世紀ドイツの画家グリューネヴァルトによるイーゼルハイム祭壇画を思い出します。こちらの作品は中世のゴシック末期に属しているような、様式的だが、磔刑になったイエスの痩せさらばえて肉をそぎ落とされ、傷だらけの凄惨な姿が描かれています。不条理というなら、このイエスの姿は世界の不条理をすべて背負ったような痛々しい姿で、それが見るものに迫ってきます。このような祭壇画と並べてしまうのは適切ではないのかもしれませんが、ビュフェの作品は、色調こそグレーで暗いのですが、描かれた人々の棒のような細長い身体は、むしろスマートでデザイン的な印象がします。むしろ、身体性が感じられないし、生々しい実在感がなく、祭Buffetcross 壇画が遠近法による奥行きが描かれていないのとは別の印象で平面的な画面です。夢のようなフワフワして、のっぺりとした感じです。この後の作品もそうですが、ビュフェの描く作品は具象画ということで説明されていますが、それは現実の対象をリアルに描写したというのではなくて、どこかヴェールがかけられたような画家の夢のような想像の中で描いた結果が、たまたま具象に見えたというような感じがしました。それは、この作品もそうですが、ビュフェの作品は縮小された画像でみるとスッキリした画面に見えますが、実物を間近に見ると、スッキリしてなどはいなくて、画面上に無数の線が、そのまま放置されるように残されているのです。私には、この線の在り方が、このビュフェという画家の大きな特徴であるように思えました。この作品では、画面の人物の輪郭がはっきりしていて、線画のように見えます。そのほかのはしごや十字架といった物体も、細長くてふくらみがなく立体的でもないので、線で平面に描かれたように見えます。それはそうなのですが、この輪郭が、線とは言えないのです。線は線なのですが、輪郭をかたちづくる境界を形成するようなしっかりとした線になっていないのです。どういうことかというと、画家がこういう輪郭にするというように決然として明確にスッと線を引いて伸ばしたというのではないのでOyamadagrune す。ではどうなっているのかというと、無数の細い線が、あっち向いたり、こっち向いたりしているのが集まって、遠目には、あたかも一本の線になっているように見えるのです。したがって、そのまとまりは不明瞭で、一本の線として自立していません。それは、スケッチをするときに鉛筆などで、試すように何本も線を引いて、その中から適切な線を見つけていく、その見つけた線が清書というのか、完成される作品で使われることになるのでしょうが、ビュフェの作品では、そのような試された線が、そのまま作品画面にひかれている。つまり、画面では、画家がこれだと適切な線を決めないで、おそらく決められないで、試した線を全部作品に残してしまっている。その結果、輪郭線が曖昧となって決められないでいる。そのため、描かれる人物や物体の形がはっきり決まらないでいる。それがゆえに、作品を見るものは、形があるようで、実は形が決まらないあいまいなどっちつかずのような画面を見せられることになる。それは安定しているようで、不安定ですよね。不安定であるとはっきりわかるわけでもない。安定しているか、不安定かもはっきりしない。そういう宙ぶらりんの感じがビュフェの作品には底流していると思います。それを不安とか虚無感と形容するのもいいでしょう。ただ、私には、時代の空気とか画家の性格とか言うのではなく、明らかに意図的に、計算して、このような画面をつくりだしていると思えます。
Buffetbife 「肉屋の男」という1948年の作品です。「キリストの十字架降下」とよく似た作品です。肉屋の解体した食肉が吊り下げられている姿がキリストが磔刑にあっているのと似たような形態とかは、展覧会で学術的な説明がされていましたが、そういうのは専門家の解説を参照してもらうことにして、この作品も、小さな画像でみるとスッキリしているように見えます。ここでも輪郭線が不安定なのは「キリストの十字架降下」のところで見たのとおなじです。ここでは、背景の壁に注目してください。肉屋の室内の壁ですが、たんに壁があるだけで何もありません。また、影かうつっているわけでもない。しかし、どこかスッキリしていません。少し汚れているような感じがする。これは実際の作品に近寄ってみると、無数の細い線が乱雑に引かれているのでした。わたしには、その線が何のために引かれているのか分かりませんでした。それが具象でのなんらかの形を表わすとは到底考えられません。また、影にも見えません。そこには、何らかの形を形成するような秩序が感じられませんでした。あえて言えば、単に画面を汚している。画家は線を引きたいから引いている、としか見えませんでした。肉屋の室内の壁の汚れとか、空気感とかだったら線を引くまでもなく、油絵なのですから絵の具を彩色してあげればいいわけです。そこに無秩序に線を多数の線を引いているというのは、私には、このビュフェという人は、絵を描くよりも、線を引きたい人なのではないかと思わせるに十分でした。つまり、ビュフェという人は、線を引くことを、まず行って、その結果が形となった画面となった、ということです。だから、何かを描いたという作品ではなく、線を引いていった挙句、画面が出来上がった。そのようにおもえてくるのです。結果としてできた画面に対して、何が描かれたとか、内容がどうだとかいうのは、作品を見るものが、勝手に物語を作って意味づけをしている、そのように思えました。
 しかも、だからといって、ビュフェという人は線を引く技術に長けているわけでもなく、例えば日本画は線で作られていますが、日本画の生気ある線とか官能的な線を、ビュフェは引くことができないようです。何よりも、この人は曲線を一気に引くことが下手なようです。この人は専ら、ペンで引くような無機的でまっすぐに近い線ばかり引いているようです。そういう線で形作るのに都合のいいのは、直線のような細長い棒のような人物とか、直線でつくられた物品です。私には、ビュフェの細長い人物は、ジャコメッティやグリューネヴァルトのような人の贅肉をそぎ落とした本質的な姿に迫るというのではなく、単に直線をたくさん引いて描くことができるからそうなってしまった姿というように思えます。だから、のっぺりして、人形か人間かわからないで、そういう形をしている姿としか見えないのです。人間の姿とか、こういう画面になって作品になっているというのは後付けで、もともとは直線をたくさん引いた、ということから生まれた、という方が、私には説得力が大きい。だから、線によるイラストとも違う。むしろ、抽象画といってもいいのではないでしょうか。私には、そう言ってもらった方が親しみやすいと思います。

2020年12月11日 (金)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(1)

Buffetpos  コロナ・ウィルスの流行があってから、外出するといえば近所への買い物と職場への往復くらいで、美術館はおろか都心に出向くこともなかった。美術館に行くのは、3月末の緊急事態宣言の直前に世田谷区美術館に行って以来で、約8か月ぶりになる。今日は、朝から病院で検査を受ける予定になっていて、1日休みをとっていたら、思いのほか早く終わってしまって、大分時間が空いたので、それでは、と思い切って出掛けることにした。久し振りの渋谷の街は、大きく様変わりして、道に迷ってしまった。新しくなった銀座線のホームは初めてで、スクランブル交差点にでるまで、何度も迷った。平日の昼間と言うこともあるのか、コロナ・ウィルスの流行で外出を控えている人が多いのか、いつも人で溢れているようなスクランブル交差点から道玄坂は、人影が少なく、いつも人波を掻き分けて歩くのが、今日はすいすい歩くことができた。とはいえ、美術館は、いつもと同じような混み具合、というか、この美術館で混雑に遭った経験がないので。受付で体温を測って、アルコールで手を消毒して、会場に入った。
 まずは、いつものように主催者あいさつを引用します。“20世紀後半のフランスを代表する具象画家の一人ベルナール・ビュフェ(1928~1999)。刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写を特徴とする画風は、第二次世界大戦直後の不安と虚無感を原点とし、サルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応し一世を風靡しました。抽象絵画が主流となっていくなかで、人気作家となっていったビュフェは批判されながらも自らの道を貫きます。そして近年、パリ市立近代美術館で本格的な回顧展が開かれるなど、再評価が高まっています。疫病の不安が重くのしかかり、多くの自然災害に翻弄される今、本展は我々と共通点のある時代を生き抜いたこの画家の作品世界を、年代を追う形で「時代」という言葉をキーワードに、ベルナール・ビュフェ美術館(静岡県)が所蔵する油彩を中心とした約80作品で振り返ります。”ということで、もっともらしいことを言っているように見えるが、何のことはない、静岡県のベルナール・ビュフェ美術館のコレクションを持ってきて展示しているだけじゃないか。カタログもベルナール・ビュフェ美術館のを転用しているようだし、主催者あいさつにも、これを見せたいというものがなくて、一般にそういう評判ですというような通り一遍の文章で、引っかかるところがなかった。ということで、挨拶に書かれているような、“刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写”、“第二次世界大戦直後の不安と虚無感を原点とし、サルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応(アンフォルメルに対する形容と同じという突っ込んでもいいんだが、あっちは抽象だし)”、“人々が戦後の喪失感から立ち直ろうとしていたその時代に、まさに時代を切り取り描いたものとして人々の共感を呼び、瞬く間に時代のアイコンとなる”といった先入見をチャラにして、作品を見ていきたいと思います。
 一応、会場では節目で見出しを着けていましたが、展示リストには、そういう章立てがされていなかったので、それほど厳密なものではないかもしれませんが、区切りがあった方が、作品を語りやすいと思うので、それに乗って生きたと思います。

2020年7月 9日 (木)

村井正誠 あそびのアトリエ(8)~村井正誠の「日本」

Muraiman  最後の展示室は晩年までの作品の展示です。展示では、村井の成熟期と説明されていました。前に、長谷川三郎との比較を述べましたが、長谷川が晩年に前衛書道のような抽象画を制作していたのに、似たようなことを村井もやっています。それが、この展示タイトルにあるように「日本」という要素がクローズアップされてくると思います。それは、前のコーナーで見た、線に生き物のような生き生きとしてきたことが行きついたところ、と見てもよいのではないかと思います。
 「人」という1992年の作品です。村井の晩年近くの作品で、人を描いた絵画というより、漢字の“光”という字の書のようです。黒い線は、書の筆で書いた文字の線のように見えます。書でいう墨跡のような変化が加わっています。例えば、線の太さの変化は、前のコーナーで見た作品をさらにエスカレートしていて、以前の作品のような一様さがなくなっています。それは生き物のような不定形さが加わっていると思います。そして、線の輪郭に変化がくわわっています。それは、以前の線では輪郭は明確で、機械的といえるほど一律にそろっていたのが、輪郭がぼやけたり、でこぼこになったりして、その変化が不規則で、そういう線自体の変化を見ているだけも楽しい。Muraiman2 そういう変化は線の輪郭だけではなく、絵の具の塗りもそうで、線の内部には、筆の跡が盛り上がったり、塗りが薄くなったりして、波のように表面が変化している。これは。「黒」い作品の黒の表面で工夫してきたことが、この線という面積の小さい部分に集約させて出させています。そこで、黒という色には、特有の艶がありますが、それは光が当たると反射の変化により強調されます。それゆえ、一見では、単純に見える作品ですが、小さな変化が不断に続く繊細で微妙な作品になっていると思います。「黒い人」という1998年の最晩年の作品も書のように見える作品ですが、「人」に比べてモノクロームになって、簡素さが、さらに進んでいますが、上で述べたような細部の変化が、まるで意識していないかのように、即興的に現れる融通無碍の作品になっています。
 「大覚寺」という1992年の作品です。初期作品で、「百霊廟」のように航空写真のように都市を上から見て建物等の配置を抽象的な画面にした作品があります。この作品は、それと同じようなつくりになっていると作品であると思います。京都の古刹大覚寺の塔頭と庭園を上空から見たのを抽象画のような画面にした作品です。しかし、「百霊廟」が建物が方形などの幾何学図形になって、その配置が作品の中心になっています。これに対して、Muraidaikakuji この「大覚寺」という作品は、単に建物を記号のような図形にして、その配置がつくるかたちを楽しむというものではなくて、配置そのものは「百霊廟」に比べても、はるかに単純で、それぞれの図形が不定形で、その形自体が面白いのと、余白との“間”を味わうという作品になっていると思います。しかも、その余白が面白い。おそらく枯山水の庭の白砂で作られた波に見立てているのでしょうか、白い絵の具を短い筆の筆跡で波のような短い繰り返しのように絵の具を盛り上げているつくられている表面の変化があります。それで、余白が余白でなくなって、逆に意味ありげに見えてくる。一種の逆転で、地と図が交替するようなダイナミックな動きが、この一見静かな画面に潜んでいると言えます。そういう意味では、枯山水の世界が、この作品の画面に、形は変わっているがエッセンスが詰め込まれていると見えます。
そう見ていくと、村井の作品というのは、徹底して表層的で、見るという感覚のあそびに徹していると思います。それだからこそ、何がどのように描かれているかということを言葉にすると、それが、その人が作品を、どのように見ているかを明らかにしてしまう。私のように、作品を見た感想を綴っている人間にとっては、感想を書くことによって、私の感覚や感性の底が知れてしまう恐ろしい作品であると思います。村井の作品を形容詞で語ると、それは作品からの逃げになるので、そういう感想は、実は作品をちゃんと見ていないのが、すぐに分かってしまう。

2020年7月 8日 (水)

村井正誠 あそびのアトリエ(7)~村井正誠の「人」

 ここで展示されているのは、「黒」い作品を経た後の作品です。これまでの「顔」でも「天使と聖母子」でも人を題材にした作品を展示していて、ここでも人を題材にした作品を展示していまか。しかし、村井が「黒」の絵画を経て、描く線を変質させてしまったので、作品の印象が、それに伴って変化してきました。その変化の中でもっとも目立つのが、線です。それ以前の線は自由に動き回っていまたしが、線自体が変化することはありませんでした。図形の線のように、図形を描く手段で、存在するのは結果として描かれた図形で、線自体は存在しないと同じでした。そのため、線自体は同じ太さで黒の色も変わらず、とにかく機械のように一定だったのです。ところが、線自体が自己主張するようになってきます。
Muraiblackline  「黒い線」という1957年の作品です。「黒」い作品と同時期のころの作品ですが、作品タイトルになっている通り、線そのものを描くという作品になっています。ここでの線は、以前のような長い線が伸びて、くねくね屈曲して動いていたのが、ここでは短くなっています。それと反対に、線の太さは太くなって、もはや線で言えない、面といっていいくらいのギリギリのところになっています。これ以上太くなったら、面となって画面を蔽うようになって「黒」い絵になってしまうでしょう。むしろ、いままで背景の面としてあった彩色された面の配置に黒い面が同化するようにしっくりハマっているようです。それによって、それまで前面に出ていた黒が引っ込むようになり、代わりにバックに控えていた彩色の面が相対的に前に手出来たような感じで、見る者には、以前の作品に比べてカラフルな印象を受けるようになったと思います。画面向かって左に黒い太い線による結び目のような形がありますが、線はそこだけで、むしろ青い鯉のぼりのような図形は黒い線よりも目立つほどで、あとは様々な色の小さな面が黒い線と同じように存在を主張していて、さながら万華鏡のような華やかさがあります。
Muraitwo  「二人」という1894年の作品です。展示室の奥の壁に、「二人」という題名で、同じサイズの大きな作品が3つ並んでいました。2.2×1.8という大きな作品が三つ並んで、それぞれが黒い線のバリエィションをそれぞれに主張しているようで、圧倒されました。その線をみているだけで楽しかった。それまでの、線の遊びは線が動きまわるという外面的だったのが、線自体が変化するようになって動きが内側にも生じた、つまり、内面的になったと思います。つまり、線の意味が変わってきていると思います。他の二つの作品は画像を貼っていませんが、以前だったら一本の線が伸びて動き回っていたのを、線を分断して数本の線で一つの形をつくるようにしたり、一本の線において線自体の太さが変化したりしています。この作品では、全体として形が幾何学図形のように整った四角形や円形のようなものか゛崩れてきている。そこに自由さの幅がひろがって、静止していたようなバックに動きが生まれてきている。一方で線は、この作品では細い線で、他の作品に比べて太さは一定で輪郭も明確で、以前の機械的な線ではあります。しかし、この作品では、線が、その方向に伸びていくだけでなく、伸びる方向が揺らいでいるように見えます。それは、それによって、線自体が意識をもって、自身で、どの方向に伸びようと悩んで逡巡しているように見えます。まるで生き物のように、線に生き生きとした自主的な動きをみることができます。
ここで、絵画の展示がひと休みで、次の部屋が版画やオブジェ、そしてアトリエの資料の展示の部屋が入ります。それはパスして、最後の展示室に入ります。

2020年7月 7日 (火)

村井正誠 あそびのアトリエ(6)~村井正誠の「黒」

Muraiblack2  村井は、1950年代末から60年代半ばまでの数年間、画面全体が黒く塗りつぶされた作品の制作をつづけました。マレーヴィチのシュプレマティスムの作品のようです。シュプレマティスムを簡単に紹介すると、語源的にはラテン語の「supremus(至高の、最後の)」に由来するもので、マレーヴィチは絵画に絶対を求め、それ以外のものを排除していきました。彼にとって絶対的なものとは感覚でした。したがって、自然の諸現象からさまざまな印象をうけとって、これをあれこれ表現することは、まったく無意味にすらなってくるわけです。それは、自然や世界がたんに無意味だというのではなく、そこに適当な意味を付与することが自然を掴まえたことにはならないというのです。意味を付与するのは知性による認識の働きであり、感覚ではありません。つまり、何かの対象を描くということから、キャンバスに対象がなくただ平面形態を描くということになり、形態も単純化され、挙句の果てに形態も何かであるということになり、画面を真っ黒に塗りつぶすという作品まで突き詰めます。それは果たして絵画と言えるのか。理念を極限まで追求して、行くところまで行ってしまったというものです。
 しかし、村井の作品は、そのような理念を突き詰めるような理論的なものではありません。作品は似ていますが、村井の作品はシュプレマティスムとは明らかに一線を画しています。前のコーナーで見た「聖母と天使達」と「天使とトビア」の二つの作品は、「天使とトビア」が3年後に描かれたのですが、両社では、黒い線の太さが明らかに異なっています。3年後に制作された「天使とトビア」の線の方が、明らかに太い。一見して、分かるほど太さの違いは明らかです。おそらく、村田は、画面上で線を遊ばせるかのように自由で即興的に引いているようにみえます。それだけ、線の重要性が高まっていった、それに比例するように画面上の線の存在感が増していった。その表れとして、線が太くなっていったと思います。その後、線の存在感は増すばかりで、それが極端なほど、線が画面全体を埋め尽くすまでに至ってしまった。それが「黒」の作品ではないかと思います。そのためか、作品のサイズが、今までの比べて大きくなったこともあって、巨大な黒い画面が、見る者に迫ってくるような迫力は、これまでの村井の作品にはなかった圧迫感があるものとなりました。何か迫ってくる感じがあります。しかし、村井の場合は、シュプレマティスムとは違って、描かれた作品の線が突出した結果と言えると思います。そのためか、マレーヴィチの「黒い正方形」が禁欲的であるのに対して、村井の作品は、もっと感覚的で、豊かさを抱えていると思います。たしかに、線は白地の余白があって、そこに伸びているから線なのであって、画面を埋め尽くしてしまったら、そういうメリハリがなくなってしまいます。その代わりを村井は模索したのでしょう。ひとつは絵の具の塗りです。これ以前の村井は塗りは無造作ともいえるようで、ベタッと絵の具を平面においていたという感じでした。線自体も、同じ太さで幾何学的とはいえますが、機械的で、線が伸びて平面上を動いていく軌跡が形となることが重要でしたが、その線自体には、とくに工夫とか魅力があるというものではありませんでした。ところが、その線が画面を埋め尽くしてしまったら、その線自体=線で埋められた画面に魅力がなければならなくなります。そこで、線の表面、つまり黒い絵の具の塗りに対する姿勢が変化します。
Muraiblack  「不詳(黒のひろがり)」という1959年の作品や「軌道(オービット)」という1961年の作品では、黒で塗り尽くされた画面上に、絵の具を土手のように盛り上げて、それを線状につなげます。それが作品タイトルにある軌道ということだろうともいます。つまり、ペッタンコだった表面に変化を作ろうとするのです。それは、土手ところだけでなくて、筆のストロークの幅や方向を揃えたり、リズムを生むように規則的に塗り方をしたりして、表面に様々な変化が生まれてきたのです。しかも、黒という色は、室内の照明の光に正対するように反応するので、光を反射したり、影を作ったりするのがよくわかります。その変化が、作品をどこで見るかの位置によって微妙に変化してくるのです。それゆえ、一見真っ黒で何もないような画面が、見る位置や時間によって無限に変化する、豊かな可能性に溢れた画面になっているのです。それまでの作品は、描く人が線を引いて遊んでいましたが、この作品は、見る者が線を見ることであそぶことができる作品になっています。それは、マレーヴィチの禁欲的な作品は、正反対の方向性だと思います。また、これらの作品では、黒一色ではなく、画面の隅にわずかな余白や彩色された部分があり、それらが黒の部分とバランスをとっていて、黒の迫力からの息抜きのようにもなっています。その後の「人」とか「人びと」という作品では、そういう余白もなくなり、黒一色の画面を作っています。

2020年7月 6日 (月)

村井正誠 あそびのアトリエ(5)~村井正誠の「天使と聖母子」

Muraiangel  顔のところでも指摘しましたが、村井の描く人間には、個性とか表情が欠けています。つまり、人格というものがなくて、単なる人間のかたち、特徴的な外形が単純化されて描かれています。それが、顔だけでなく、身体(物理的な身体だけでなく社会的な身体)も捉えた全体像を、しかも複数の人間を描いた場合、そこには例えば、複数の人間を描いたのであれば、それらの人物の関係とか、そういうことを描くことには一切興味がないように見えます。実際、描かれていません。端的にいうと、ものがたり的なものが全くないのです。あくまでも描く題材は、人間の外形的なかたちだけなのです。しかも、人間の形を描くというより、人間の形を取り上げて描いた形をいじる。そこには、ロマンチックな人間とか人物というものは描かれていないと思います。それゆえに、画面であそぶということができるように見えます。こういうのは、日本の画家では珍しいのではないかと思います。“村井にキリスト教の信仰はないが、滞欧時代の経験やミッション系の学校で講師を務めるなかで、聖書の物語にモチーフとしての面白さを見出した。戦争による荒廃や多大な犠牲に対する鎮魂と祈りも込められているのであろう。”と解説されていましたが、たまたま題材として使ったら、それを繰り返していたというだけのものではないかと思います。つまり、こういうことMuraiasobi です。村井の作品というのは、描かれた画面をいじってあそぶという性格のものです。その場合、画面をいじって遊ぶことが主眼なので、何かを描くということではないため、対象への愛がない。逆に言うと、描きたい題材というのは、とくにない。しかし、題材がないと、それをネタにして遊ぶことができない。愛はないのですが、ネタとしては必要ということです。しかし、愛するようなこだわりはないので、わざわざ探す気にはなれない。そこで、たまたま手近の題材に手を付けた。それが顔であり、人物だった。また聖母子のそのひとで、ヨーロッパで絵画を学んでいたわけですから、先人によって描かれ聖母子の作品は多数あった。つまり、ネタは豊富だった。そんなものがたりを想像してしまいます。それが、村井の聖母子の作品から受けた印象です。だから、彼の聖母子の作品には、宗教性とか慈悲とか愛情とかいう情緒的とかいうような情緒性は、全く感じられなくて、その形状で遊んでいる画面の表層を楽しむという作品ではないかと思います。
 「聖母と天使達」という1948年の作品です。黒い線で引かれた形が聖母子とか天使の形のように見えるということなのでしょう。相変わらず、平面的な画面です。そのペッタンコの白い画面に鮮やかな色の四角形や円が描かれています。それは幾何学的な図形の並びで、整った形ではありますが、動きとかはない。それはそれで色遣いのセンスはいいので、静かな落ち着いた、というよりは生命感とか動きとかはない、死Muraiangel2 んだような動きの留まった、しかも、画面に奥行きのような空間がなくて、ペッタンコの平面が並んでいる。動きのなす世界を作っています。そして、その世界の上に、それとは全く関係がないような、黒い線がくねくねするように屈曲したさまが描かれています。それは、色が使われ幾何学的な図消すのならぶのはべつです。例えば、黒い線の屈曲は色が塗られている図形の角や節目のようなところでは無関係だし、直線は不規則に四角形や円を横断します。ここには、白地に黒い直線というモノクロームで、線は不規則に屈曲したり、延びたり縮んだりするように、動きと即興性が感じられます。それに対して、彩色された図名が並ぶように配置されて描かれているところがある。この二つの面が一つののっぺりとした平面に同居し、時には重なり合っている。ここに多層的な空間が生まれている。そう思えます。それだけ二つは異質です。しかし、この作品は、ペッタンコで二つの世界が重なっているということが、よっぽど注意して意識していないと気づきません。一見では、白地の画面を黒い線が自由にくねくね動いているというように見えると思います。しかし、正反対のような二つの面が同居し、重なり合っているという視点で見ると、黒い線の動きの自由さ、即興性は、その背後に幾何学的図形のようなかっちりとして整のった秩序がある。その対照性から、黒い線の動きが強調されることになっている、そう見えました。
Muraiangel3  「天使とトビア」という1951年の作品です。トビアは旧約聖書の外典であるトビト記に登場するユダヤ人の男子で大天使ラファエルに導かれて旅をしたという古典西洋絵画で繰り返し描かれた題材で、そのアトリビュートである魚が画面中央に描かれています。この作品は、「聖母と天使達」と比べて、参考としてあげた図像と似たような輪郭の形を察知しやすくなっています。背景の図形が整っているのたいして、黒い線でつくられたトビアと天使の形は、線をくねくね引いているうちに、偶然、そういう形になったような印象です。それが、この作品の即興性、あるいはあそびの感じ、自由さを印象付けていると思います。ちなみに、この作品では人の形が、それと分かりやすくなっているので、ピクトグラムに似ている、とても記号的な印象をうけます。ピクトグラムというのは道路標識や案内標識で人の形を簡略化した図案です(例えば、非常口の走る人の形やトイレの男女の区分など)。それが、作品を見る人にとっては、取っ付きやすく感じられると思います。それと、何度も指摘していますが、この人のセンスの良さは、この作品でも、決して鮮やかな原色を使いながら、色の配置や余白を巧みに多くとって、くどくならないようにしているところとかに表われていると思います。

2020年7月 5日 (日)

村井正誠 あそびのアトリエ(4)~村井正誠の「顔」

 展示されている作品の中でも、顔を題材とした作品が最も多く、村井の画家としてのキャリアの中でも、初期から晩年まで、ずっと通して取り上げ続けた題材のようです。それだけに、村井のスタイルの変遷を追いかけるのに適した題材ともいえると思います。
Muraiarabu  「アラブの女」という1930年の作品です。お面のような顔ですが、単純化されてはいても顔の形をしています。暗い中に色黒の肌の顔を白いヒジャブを顔の周りに巻いて、それがアクセントになって、顔の形が分かるようになっています。人の顔というより、仮面を浮き上がらせたような印象の作品です。これってパターンですよね。こういうパターンとして顔を描く、しかも縦長の顔というと、モディリアーニの描く細長い顔の女性を連想してしまいます。センスの良さも共通しています。しかし、モディリアーニの女性のような存在感とか、美しさを感じさせるといった作品にはなっていません。また、同じ頃に村井は「不詳(バンチュール)」のような作品も描いていました。そういう点から、こういう傾向にとどまって追求していくことはできなかったのでしょう。
Muraiwoman  「女の顔」という1951年の作品です。顔というより顔の記号です。私が子供の頃に落書きした「へのへのもへじ」をおもわせるような顔です。ギャグマンガの脇役の女性キャラもこんな書き方をしていますが、まさにそんな顔です。黒く太い均一の線を引いた円を輪郭とする、平面的な顔の、この作品が、展示されている中で最も古いもののひとつなので、このころが村井の特徴的な顔の作品の始まりで、初期的な作品ということになると思います。パウロ・クレーの描く顔にも似たように簡略化したものがあります。しかし、クレーの場合は原始的(プリミティブ)ふるいは土俗的なものへ回帰するような志向があって、それゆえに、顔を描く線は、村井の作品の線のように輪郭の明確な一様で統一された線ではありません。そういう機能的な線ではなく、曖昧で、その代わりに、今生まれてきたかのような生々しさに溢れています。言ってみれば、クレーの描く顔は顔の形にとどまらず、色々なものを生んでいます。見る者に想像させてしまうのです。これに対して、村井の描く顔を、もっと機能的です。村井は顔を描くに際して、人の個性とか表情というようなもの、人によっては顔の本質的な要素と捉えるようなものはすべて切り捨てられていて、そこには顔を描くということよりも、描かれた顔の形が面白くて、顔を描くというのではなくて、描かれた顔をいじって遊ぶという要素が強いように、私には見えます。例えば、参考の画像として、「あそびあそばせ」というマンガの登場人物の顔ですが、これらの顔はすべて一人の人物の顔で、これらの顔に共通しているは、目と鼻と口というパーツがあるということと髪形くらいです。それを、マンガの読者はお約束で、これが同一人物で顔がものがたりの場面に応じて変化するのを楽しんでいるのです。そには、人格的な個性とか、自己同一性(アイデンテティ)が顔に表われるとかいうようなことはありません。人の顔であることが分かればいい。あとは、それが読者の予想を裏切るように変化するのを面白がっている。
Muraiboy  「少年」という1952年の作品では、顔を描いているのでしょうが、もはや顔であることが分かるのは、太い線で引かれた円形が顔の輪郭であると、かろうじてわかるからです。その円形の内部で、線が屈曲して交錯しているさまを、目や鼻や口であると見なすことは困難です。他の作品でも、円形の輪郭の内部に小さい円形が数個並べられている顔や、円形の輪郭の中に彩色された四角形が並べられている顔もありました。これらは、通常の現実的な感覚では顔と呼ぶことはできません。先ほどのマンガの場合には、同じ人の顔の変化であることが前提としてあります。そうでなければ、物語が成立しないし、同じ人の顔が、ここまで元の顔を離れるほど変わってしまうという落差が面白さとなっているので、元の顔との同一性というたががはめられています。それに対して、村井の場合は、そのタガを外して遊んでいる。基本的には、村井の描いた顔は白い地に黒い線を引くということがベースになって、黒い線が自由に形を作っていく、そこに遊びのかんじがあって、それが魅力的な特徴になっていると思いまHasegawared_20200705201001 す。そういう黒い線が自由に動くという点では長谷川三郎の作品と共通しているところがあると思います。均一で機能的な黒い線というところも、長谷川と共通しています。ただ、長谷川の場合は、線が作りだす面が多層的にかかわっていたりするような、線自体というよりは、線がつくりだすものに主眼が置かれていたり、前衛書道のように線自体を変化させる方向に傾いたりして、線を手段として扱っているところがあると思います。それに対して、村井の場合は、画面構成はシンプルさにとどまっていて多層的のような複雑になる傾向はありません。線は、線であることがかわらず、それが不規則に引かれていく面白さ、それに伴って、黒以外の色が塗られた形が、その線と無関係に画面に配置される、アナーキーなところに面白味があると思います。この「少年」という作品でも、黒い線とは別に、緑や黄色の四角形が線とは別々に白い地の上にあるのが、不思議でしたが、村井という人のセンスの良さでしょうか。独特の色合いというか、白と黒だけだったらあったであろう緊張感を和らげていると思います。緊張の分散というか、それが遊びの要素を増加させていると思います。

2020年7月 4日 (土)

村井正誠 あそびのアトリエ(3)~村井正誠の「幾何学的抽象と都市」

 おおよそ1930年代後半から40年代の作品で、矩形などの幾何学的な形で画面を構成するような作品、例えば、モンドリアンのような図形のような作品が集められています。
Muraiventure3  「四つのパンチュール」という1940年頃の作品です。二作品が同じタイトルで並んで置かれています。この二つの作品は欲にいると思いました。実際の両作品は、形はコピペしたようにほとんど同じ形、同じ構成ですが、色遣いが違って、「四つのバンチュール№1」の方は、黒地をバックにして白い形態がくっきりと浮かび上がっている。基本的に白と黒の二色で、モノトーンの静かな緊張があるのに対して、もう一つの「四つのバンチュール」は青系列の地に黒い方形が図となり、その黒い方形を地としてそのなかで白や黄色などの様々な色の方形が配置されるという、多層性を感じさせる画面になっています。画面の中ではすべての線が水平と垂直な直線だけで構成されているところはモンドリアンの幾何学的な抽象画に似ているところがあります。方形という単一の要素のみで画面を構成させるのはマレーヴィチを連想させるかもしれません。しかし、モンドリアンにしろマレーヴィチにしろ、抽象という名の通り、本質的な核心と考えるもの以外を削ぎ落してしまって、結果として残ったのが幾何学的で抽象的なかたちの構成による画面です。したがって、余計なもの、例えば情緒的な要素(優しい印象とMuraiventure4 か)あるいは「あそび」のような楽しさといったものは、切り捨てられたものとなって、見る人によっては、冷たいとか取っ付きにくいとかいうものになっています。これに対して、似ているはずの村井の作品は、私の見え方では、モンドリアンやマレーヴィチのような理念とか方法論というものよりも先に、彼らの幾何学的で抽象的な作品がまずあって、「そういうの、いいね!」とかいう感じで、そういう作品を制作してしまった。そして、出来上がった作品を自分の感覚に沿うようにあれこれいじっていった挙句に、こういう作品になった。そういうように見えます。そのいじっているというプロセスが「あそび」で、たとえば図形や線のかすかな歪みだとか、絵の具の塗り方がぞんざいなほど粗くて、筆の跡があからさまに残っていたり、その跡には規則性がなくて画面の幾何学的な厳密さの印象を妨げてしまうほどになっている。例えば、色面の境界となっている線が一部で乱れたり、ぼけたりしている。多分、村井は意図的にやっているのではなくて、感覚的なところで、画面が厳格になってしまうのを無意識のうちに避けているのではないかと思います。
Muraihundred  「百霊廟」という1938年の作品です。展示作品を見る限りでは、村井の作品は幾何学的といっても、上記の「四つのバンチュール」のように直線という単一の要素で緊密に構成された作品は、むしろ例外で、この作品のように曲線も交えた、ゆるい構成の作品です。「百霊廟」というのは中国の内モンゴル自治区にある土地の名前で、村井は制作にあたり航空写真を参考にしたということです。つまり、集落の建物や柵などの配置図のようなものです。上記の個人的妄想を補強することになるかもしれませんが、これも、抽象的な作品を描くにあたって、身の回りの現実で抽象的なものを探していて、建築に行き当たった。航空写真の上から見た集落の配置をそのまま平面にした。その際に「四つのバンチュール」でもそうだったのですが、幾何学的な画像とすることで、画面がシャープになってオシャレの感じとなり、村井のセンスのよい色遣いもあって、洗練された図案のように見ることのできるものとなっています。こういうオシャレさは、この後も村井の作品に共通して備わった特徴となったと思います。

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