無料ブログはココログ

美術展

2021年6月 4日 (金)

テート美術館所蔵コンスタブル展(6)~5章 後期のピクチャレスクな風景画と没後の名声

 1829年にコンスタブルはロイヤル・アカデミーの正会員になり、公的な評価を確立しました。その結果、批評家らの反応に縛られずに主題と技法を選ぶ自由を得たコンスタブルは、これ以降、過去に描いたサフォークやハムステッドの風景に再び取り組みはじめます。さらには画中のモティーフを思いのままに配置しなおすなど、想像力を駆使した「ピクチャレスク」な絵画の制作を手がけたと説明されていました。要するに、晩年近くなってようやく世間に認められ、食べる心配がなくなったので、好きに描くようになったということでしょうか、しかし、展示作品を見ていると、あまりそういうことは画面からは分かりません、前のコーナーで見た作品と感じが異なっているかというと、とりたてて変化しているように見えるところが見つかりませんでした。
Costablewaterlow  「ウォータールー橋の開通式」という1832年の作品。大作です。おそらく、今回の展示作品の中で、最大の作品だろうと思います。その大きな画面に、いろいろなものが描かれていて、コンスタブルの作品の中では情報量の多さという点では一番ではないでしょうか。雲やら橋の建物やら、そしてたくさんの人々。それらが画面から溢れそうです。しかし、それらを描く筆は粗く、厚く絵の具を重ねて置くところもあったりして、しかも、ここまで見てきたコンスタブルの作品ではついぞ見られなかった赤が整列する兵隊の軍服などでふんだんにつかわれており、全体の基調は鈍い色調なのですが、ときどき鮮やかな色が自己主張するという、賑やかな画面になっています。この作品での絵の具の置き方などは、リアルな描写では使えない色を大胆に加えたり、それを荒々しく塗ったりして、ちょっと20世紀初頭の野獣派の鮮やかさと荒々しさを想い起こさせるところがあると思いました。でも、そういう荒々しいところは、これまでの作品でも多少、これらは前面に出すことはありませんでしたが、垣間見ることはできました。例えば、ここでも何点か展示されている下絵とかスケッチ、とくに油絵の下絵で、下絵だからこそ好きなように描いたと言えるかもしれません。しかし、当時のコンスタブルの顧客の好みを推し量って、下絵の段階にとどめた、それだからこそ、人目につかない点を生かして、あとで、その上から表現を重ねると見えなくなってしまうから、却って自身の好きなように描くことができた。
Costablehamstead  そして、ロイヤル・アカデミーでこの作品に対抗してターナーが作品を展示したというエピソードがあったそうで、個々では、両者のその作品を並べて展示して、ライバル対決を演出していました。そうして展示されているターナーの作品は、私には面白くなかったので、そこは素通りします。
 そのあと多数の版画作品の展示があり、最後は、晩年の作品で、版画は職人が画家の描いた作品を版画にするのでしょうが、それは、油絵の粗い筆遣いがなくて、版画職人の巧みさによるのでしょうか、細かくて、非常に滑らかな画面になっています。そのあとで、晩年の作品の粗い筆遣いをみると、それが目についてしまって、おそらく、コンスタブルは、もう顧客のことなんか考えないで描いていたのかもしれませんが、彼の後の世代のラファエル前派を飛び越えて、抽象的なもの接近していく20世紀初頭の絵画に近いところに踏み入っているように見えます。

 

2021年5月31日 (月)

テート美術館所蔵コンスタブル展(5)~4章 ブライトンとソールズベリー

 1824年に妻の療養のために一家はブライトンに移り住み、そして、1828年に妻がなくなるとソールズベリーを拠点として制作に励んだそうです。これらの町の風景画が多数制作されたそうです。
Costablewind  「ブライトン近郊の風車」という1824年の作品です。20×25㎝という小さな作品です。小高い丘を見上げるような視線で、その丘に視界を遮られて風車の羽の一部だけが見えています。その先には雲が湧く空が広がっています。一方画面下部の丘には背の低い草が茂っていて、それらの草が上に伸びようとする縦の線の集まりとなっていて、その線の方向に促されるように見る者の視線は画面上部に導かれるようになっています。また、画面左下の切通のような道は上り坂で、これも視線を上部に誘導します。その先には、黒でアクセントがつけられた風車の羽があり、そこにいったん視線が集まると、その向こうに空が広がり雲が動いている。つまり、小道具を巧みに配して、雲に視線を導いているといCostablemone う構成になっています。そして、雲をたっぷりと描いています。ただ、個人的に、この作品を見ていて、コンスタブルとは全く関係がないのですが、クロード・モネの「散歩・日傘をさす女性」を想いました。強いて言えばこの仰角の感じだけが共通しているのですが、モネの作品は同じように視線を上の方に導かれるのですが、そこに風が吹いていて、その風に吹かれるようにフワフワと視線も浮いていく、という動きがあるのですが、コンスタブルの場合は、丘の草は風に吹かれるような描写は多少はあるのですが(下草が立っているように見えます)、そういう風を見る者に感じさせることはない。この画面を見ていて、そういうところが欲しいと思わせるところがありました。でも、強引に並べ、モネの画面は陽光がさんさんと降り注ぎ明るいので印象が全く違いますが、画面下の草の描き方の大雑把さという粗さというか、そういうところは意外と似ているところもあると思います。
Costablesee  「ブライトン近くの海」という1826年の作品で、これも小さいサイズですが、鈍い色の空の下の海の様子を描いた作品で、雲と海だけで他にアクセントになるようなものが何もないので、モノトーンにもなってしまうような作品で、雲と波の描写だけで勝負しています。同時期のターナーにも、これと似た構成の波と空の描写だけで勝負している作品があったと思います。ただ、ターナーの作品は激しさというか、もっと荒れた海で、コンスタブルの作品のような静けさはありません。もっというと、空と海という不定形なものが、不定形そのものとなって、画面から海の形、例えば波の形が失われて、画面全体が靄のようになっていってしまう。抽象画一歩手前です。これに対して、コンスタブルは、雲と海の外観は保っています。だTurner2018ostend からといって、コンスタブルの作品が穏やかかというとそうでもない。それは暗い色調や全体の雰囲気から、いつ荒れても不思議ではないような不吉さが漂っています。それは、雰囲気もそうだし、ある種の感情を想起させるような表現ともいえる者になっています。この展覧会では、コンスタブルとターナーをライバルとして対決させるような演出の展示をしているようですが、このような作品で比べてほしかったです。こっちの方が両者の異なる特徴が際立つように思えるのですが。

2021年5月28日 (金)

テート美術館所蔵コンスタブル展(4)~3章 ロイヤル・アカデミーでの成功

 展示フロアが3階から2階に降りて、次のコーナーに移ります。この美術館は、古い建物を使っているせいか、狭い部屋が並んでいて、廊下で繋がれているので、展示が細切れのようになって、しかも、床が靴音が高く響くので、余計な気を遣います。で展示は、1819年、コンスタブルはロイヤル・アカデミーの准会員に選出され、例年の展覧会に向けて大型の風景画を制作する一方、家庭に馴染むような小型の絵画も好んで描きました。風景画家としての評価を得て、制作に励んだという壮年期の作品が並んでいます。1816年に両親が亡くなり、結婚して家族でロンドンに住むようになってからは、故郷に行く機会が減っていきました。しかし、彼は相変わらず田園風景を描くことに夢中で、故郷との接触が減った代わりに、他の場所を訪れる機会が増えたそうです。その結果、彼は田園風景の新たな側面を目にし、それが新たなアィデアの宝庫となった。ハムステッド、ソールズベリー、ジリンガム、フォークストン、コレオルトン、ブライトン、アランデルなど、彼の作品にはさまざまな風景が登場します。その多くが自宅から離れた場所であったため、彼はロンドンのスタジオで、さまざまな場所への旅行中に描いた油絵や鉛筆のスケッチをもとに風景画を構成する方法を編み出しましたということです。
Costableyamous  「ヤーマスの桟橋」という1823年頃の作品です。30×50㎝のサイズの作品。曇りのどんよりとした空の鈍い色が、その下の海の暗い色とつながって、さらに海の暗さが濃くなって、砂浜の茶色に繋がっています。つまり、空─海─砂浜が連続した平面を構成していて、そこに左側から水平に桟橋が中央まで伸びていて、その連続した平面を断ち切って、アクセントとなっています。前のコーナーで、コンスタブルは、目の網膜に映っているのを認識しているのを描いている。それが、風景という実体の存在ではなくて、それを網膜に映している空気とか光の構成を描いている。と述べました。それが、その前に述べたフワフワがそのシンボルで、言ってみれば、フワフワして実体のない流動し変化を不断にするもの。それは主に水蒸気や水のメタファー、具体的に画面の中では、雲や水面になります。この作品では、そのような方向性が明らかになってきて、画面の分の2を雲が占め、残りの半分以上を海の波が占めています。画家本人に、その認識があったかどうかは分かりませんが、どんよりとした雲や暗い波の描き込みが深くなっていて、他の画家には見られないような独自の表現になってきていると思います。例えば、波の表現は同時代のターナーもよく描きましたが、激しく劇的な迫力のあるモノでしたが、そこには、いささか表現の過剰さというか、わざとらしさが感じられないではありません。これに対して、この作品ではリアルに、波の多様な表情を表現しています。それは、歴史画などで描かれる青々として陽光をうけて波頭が白く光る、「らしい」海ではなく、ヤーマスの桟橋の実際に見ることのできる海になっていると思います。それに対して、左手前の船と白馬が曳く馬車はお粗末です。
Costablechain  これは、この後に展示されている「チェーン桟橋、ブライトン」という大作と構図がよく似ていて、類似の作品が何点も描かれたと想像します。別の所の展示で説明がありましたが、コンスタブルは大作をロイヤル・アカデミーの展覧会に出品して、それと似た構図の中小のサイズの作品を一般顧客向けに描いたということです。貴族や教会に歴史画や宗教画の注文を受けるという、それ以前の画家とは違って、近代社会の市民階級を顧客として風景画を制作する新しい画家の在り方を、ここでコンスタブルは工夫しているということでしょうか。ちなみに、「チェーン桟橋、ブライトン」は大作で、ロイヤル・アカデミーに展示した作品だけあって、雲の表現などは、より丁寧になって暗さのグラデーションなどが多彩になっていると思います。その雲が地上に明暗を作る(はっきりではない)様も表現されていて、それらがはっきりと表現されているわけではなく、微妙に示されているので、コンスタブルが技巧を尽くしていると思います。
Costablecloud  「雲の習作」という1822年の、雲そのものを描いているものです。これまで述べてきたように、コンスタブルの描く風景は、空気とか水蒸気というフィルターを通じて、映ったものと言えるということで、その典型がフワフワして実体のない雲です。そして、ここで、コンスタブル自身が自覚していたことが分かります。このような雲だけを描いた作品は数十点に及ぶということで、習作とはいえ、おそらく、雲だけをこれほどまでに描いたのは、彼が初めてではないかと思います。いささか教科書的な解説を試みると、彼以前のヨーロッパの伝統的な絵画では、天空は神聖な領域で、キリスト教的には、「救済」「至福」「神の完全無欠」などのイメージと結びついて天使の住む世界だったので、雲は宗教画、神話画、歴史画などの余白に軽微に描かれるにすぎず、少なくとも観賞の対象ではあり得なかったと言えます。コンスタブルは、むしろ、その雲を重点をおいて風景画を描きました。コンスタブルは、雲を題材にした作品を制作するにあたり、いくつかの目的を持っていたということです。まず、コンスタブルが目指したのは、「自然に忠実であること」で、写実的なアプローチは、自分自身が感じているのと同じように、見る人に自然への愛情を感じさせてくれる。第二に、様々な雲の形を完成させることVenicebassano で、構図の幅を広げることができる。第三には、より強い雰囲気を表現したい。コンスタブルは、さまざまな天候が感情的な反応を引き起こすことを認識していたといいます。たとえば、曇っていても、明るくても、荒れていても、嵐の後の新鮮できれいな様子などです。最後に、雲はその基本的な性質から、以前の状態とこれからの状態の両方を示すものであり、時間の経過という概念を表現するのに最適な手段でした。これらの要素はすべて、彼の大きな構図を引き立てるために使われることになりました。そて、作品に戻りましょう。この作品を見ていくと、分厚く、立体的に盛り上がった箇所もあれば、逆にかすれたように薄くなり、下の青がのぞいている箇所もあります。それらが、流動的というか、輪郭による明確な形として描かれるのではなく、近くで見ると粗い筆遣いで乱暴と見えるほどに描かれています。それを距離をとって遠めに眺めると雲に見えてきて、しかもフワフワして無定形で、流動的な動きを感じるのです。この表現力というのは、他の作家の風景画では見られないものです。ちょっと先取りしますが、それだけ描かれている雲は、作品画面の中で占める比重が大きくなって、画面全体の雰囲気や明るさを決めてしまうものとなっていきます。そして、それがある種の表現力というのか、画面の雰囲気というものを越えて、見る者に感情的な効果を引き起こすようなものになっていくのです。おそらく、コンスタブルの風景画を見て心を動かされるというのは、そういうことではないかと思うのです。

2021年5月22日 (土)

テート美術館所蔵コンスタブル展(3)~2章 自然に基づく絵画制作

 1802年からコンスタブルは、ロンドンから故郷のサフォークに戻り、太陽の下で自然を描き始めた、ということです。それまで、絵画というものは、アトリエの中、つまり屋内で制作されていた。それは風景画も同じで、アトリエの中で三脚に立てかけられたキャンバスに、外で見た景色を思い出したり、スケッチブックにスケッチした下絵を参考にしたりして、描くのが一般的だったというのです。そこには絵の具の改良など道具の進歩もあったのでしょうが、コンスタブルは、「あらゆる創造力がそこから湧き出る源泉」として自然を捉え、その根源的な本質を探るには戸外で描く必要がある、と考えていたといいます。だから、アトリエで描かれた17世紀のオランダの風景画のような精緻な描き方はできなかったということなのでしょうか。このころから、コンスタブルは故郷の同じような風景の油彩のスケッチを繰り返すように描きます。デダムの谷も彼が何度も描いた対象です。とにかく、そうしているうちに1810年ごろの作品から、らしさが出てくるように見えます。
Costablededam  「デダムの谷の眺め」という1802年の作品です。生産年代は、前のコーナーで見た「教会の入り口、イースト・バーゴルト」よりも前のころのようです。この油絵作品も、油彩のきっちりと色が区画されて絵の具で塗られた形態を明確にするのではなくて、水彩絵の具のようなぼんやりとフワフワしたような感じになっています。それゆえに、風景全体が霞がかかったようなぼんやりした感じになって、遠景の教会のある町は遠く霞んでいるし、下に見下ろす農家の建物もきっちりした建築の存在感が感じられません。また、手前の樹木についても黒く見える幹や枝も墨絵のように薄ぼんやりしていて、樹木のきっちりした輪郭がわかりません。つまり、手前の林は一本一本の木が見えてもいい距離なのに、一部でぼんやりと幹や枝が表れている以外は緑色のフワフワした集まりになっています。そして、同じようにフワフワしたのが空に在って、それが雲です。この作品は、ぼんやりとした色合いで、フワフワ描かれたものによって構成された空間が風景に見えるという作品になっている。そういう作品世界のあらわれとして見ることができるものがコンスタブルの風景画の特徴で、その萌芽を顕著に見ることができるといえると思います。
Costablededam2  「デダムの谷」という1805年頃の作品は、デダムの谷を描いた習作のひとつとして上記の作品と並んで展示されていましたが、同じように画家が一人で自然を眺めているというアングルです。ランガムのガン・ヒル付近から、ストアー渓谷をデダムに向かって見下ろし、さらに遠くにハリッジを望むと説明されています。右側には大きな背の高いニレの木がキャンバスの上までそびえ立ち、中央の広々とした空間と左側の青々としたニレの木や低木が視覚的にバランスをとっています。その間に縁取られた広大な空間は、地平線まで伸びるストアー渓谷の景観です。川の湿地帯の向こうにはデダムの町があり、教会の塔を中心に屋根が高くそびえる小さな都市です。さらに地平線上には、ハリッジとその川、そして一艘の船とその帆があります。構図は、ゲインズバラや同時に展示されている画家たちに通じるところがありますが、画面中央に遠望する空を描くスペースを大きくとっていて、他の画家ならば、背景となる空を主役の位置に描いて、木々を背景、というか空を描くための枠のようにしています。そして、ゲインズブルのように丁寧に描きこまず、多少大雑把目に流れるようにサッと描いています。しかし、残念なことに、主役の位置の空や雲は、それ適するほどの描き込みができていません。それには、この後何年かの成熟が必要だったのでしょう。
Costablemol  「モルヴァーン・ホール、ウォリックシャー」という1890年の作品です、そのようなぼんやりフワフワがより明確に表れてきていると思います。画面手前を横切るように池の水面が配置されていて、庭園の木々や建物が水面にぼんやりと映っています。それがぼんやりフワフワです。そして、薄暗い天気の下で庭園の木々はぼんやりと描かれ緑のフワフワです。そして、上空にはフワフワの雲がまるで建物の影のような形で背景をつくっています。その画面の中央に建物があり、左側の木々の下に沈んだ太陽の光があたって固い輪郭がはっきりと表れています。それが周囲のフワフワと対照となって互いを際立たせています。
 「製粉所わきの流れ」という1810年の作品です。21×29㎝という小さなサイズの、油絵での下絵だろうと思われる作品です。下絵だからかもしれませんが、これまで見てきた作品とは明らかに異質です。画像では分からないと思いますが、実際の作品を見ると、それまでの作品とは絵の具の塗りのCostablemill 厚さが全然違うのです。まるで水彩画のような油絵作品から、これは絵の具を置くように厚く積み上げるようです。しかも、これ以前の作品では、水彩絵の具が滲んで混ざるような、どんよりした画面だったのが、この画面では、例えば画面上部の空の雲の部分は、白とグレーと空の青の絵の具が混ざっているところもありますが、混ざらないで並べてあって、筆つかいの跡が荒々しく残されていて、それが作品を見る人には、混ざっているように見えるのと、そこにダイナミックな動きを感じさせるようになっています。このような部分は、分厚い塗りと相俟って、後期印象派のファン・ゴッホに似てきているように見えてきます。印象派を想わせる点でもそうなのですが、前のところで「~らしさ」の風景ということを述べましたが、「~らしさ」の風景というのは見る者からは誰が見ても、そう見えるという風景、つまりは客観的に見えるという風景と言えると思います。そのように「~らしく」見えるためには、一定の共通事項を踏まえることが必要と言え、定式化された文法のようなものがあり、それが体系化されたプログラムになっているのがアカデミックな絵画と言うことになるのではないかと思います。それに対して、コンスタブルは、「~らしく見える」という見る者の側から、「私はこう見ている」という個人の主観的(客観に対する)な視点で描いているように見えます。それは、建物らしい建物や樹木らしい樹木がそう見えるようにレイアウトされて絵画の画面を構成して、画面に風景という空間が存在しているように見せるというのではなくて、コンスタブルの目の網膜に映っているのを認識しているのを描いている。それが、風景という実体の存在ではなくて、それを網膜に映している空気とか光の構成を描いている。そこにコンスタブルの風景画の特徴があるように思います。ただし、この時点では、それを自覚しているわけではなく、素人画家の風景の水彩画の世界を昇華させたようなものだと思いますが、それを作品に結晶化する過程にある作品のように思います。
Costableflatford  「フラットフォードの製材所」という1816年頃の作品。1×1.3mという大きなサイズの作品で、会場でも目立っていました。この時期を代表する作品という位置づけなのだろうと思います。この美術展のポスターで使われていることからみても、この展覧会でも、コンスタブルを代表する作品とみなされていると思います。
 ところで、この展覧会ではコンスタブルのライバルとしてターナーの作品も展示し、両者の対決の演出も施しています。二人の違いはいくつもありますが、そのひとつとして、ターナーはイギリスや大陸を旅して、華やかなものを中心に撮影したのとに対して、コンスタブルは家にこもって、地元の限られた地域の風景を、平和で静かな農村風景を中心に描いたということです。このような旅への抵抗感は、彼の作品作りに大きなメリットをもたらしました。旅人は風景の表面的に捉えがちですが、その土地の住人は、外見だけでなく、その土地の歴史、地元の人々の経験や付き合い、その土地に対する思いなど、内的な質も含めて、その風景を熟知しているものです。コンスタブルは、このようにして自分の国を深く考え、あらゆる角度から発想することができたのです。そして、「田舎の生活感」こそが「風景の本質」であるというとこに行き着いたと思います。たしかに、ターナーの作品に、そういう生活感は見られません。
 当時、コンスタブルが故郷のストアー渓谷の風景を描くようになった頃、この地域はまだ文学的な連想ができない素朴なものだったといいます。一部の絵画や版画を除いて、この川についての詩的な記述や地形学的な歴史は書かれていませんでしたし、ストアー川と王族や過去の重要な事件を結びつけるような歴史的なモニュメントの存在を示すものはなかったといいます。しかし、コンスタブルは彼個人の詩的な感情や連想から、ストアー渓谷に自分の理想とするアルカディアを見出した。ストアー渓谷の田園風景は、コンスタブルにとって「ただの野原」ではなく、素朴な田舎の生活は、彼にとって、「優雅な充足感、満足感、引退感」や「安らぎ」の場という感情や連想を起こすものとして捉えられたのではないかと思います。そのためか、彼の風景画は、歴史画のような複雑な構成過程を経て描かれていると思います。彼の大きなサイズの風景画は、しばしば歴史画のような複雑な構成過程を経て描かれており、決して自然界をそのまま写し取ったものではなく、シーンの効果に焦点を当て、大雑把にみえる粗い筆遣いと輪郭をぼやかすような表現で、全体に穏やかで調和して印象のものにしています。例えば、この作品では、イースト・バーグホルトのフラットフォードにある父親の製粉所とその側の川の流れを中心とした水の風景です。中央手前には、佇む馬に子供がまたがって、川には釣り人の姿が見られる。夏の緑の中の静かな静寂、そして鑑賞者の思索を呼び起こすような絵です。

2021年5月20日 (木)

テート美術館所蔵コンスタブル展(2)~1章 イースト・バーゴルトのコンスタブル家

 コンスタブルが描いた家族の肖像画や、習作期の風景画。そして、彼の周辺の画家たちの作品。コンスタブルは、風景画ばかり描いていたのではなく、肖像画も描いていた。しかも、それなりによく描けていると思います。この時代は、写真が普及する前ですから、大英帝国の繁栄で勃興するブルジョワジーや貴族など肖像画のニーズは多く、画家たちは肖像画を描くことで稼ぎを得ることが大きかったと思います。まとまりがあるし、おそらくモデルの特徴をよく掴んでいるように見えるし、それなりのものは描けていると思います。しかし、後世に残してモデルと縁のない私たちのような人たちが、独立した作品として鑑賞するほどのものではないと思います。
Costablechurch  ここで展示されている風景画は水彩です。1800年の最初のころに制作されたものだから、コンスタブルの20代後半のころ、おそらく風景画家として立つ前のころではないかと思います。コンスタブルは23歳のとき、父親の許しを得て、ロイヤル・アカデミー・スクールに入学します。しかし、彼のアカデミーでの経験は、熱心な努力にもかかわらず、実りあるものではなかったといいます。彼はアカデミーという組織を賞賛しながらも、その概念に反発し、その一方でホームシックにもかかった。都会の空は澄んでいないと不満を持ち、子供の頃の平和な風景を切望するようになります。1802年、彼はサフォークに戻り、それ以来、コンスタブルは愛する故郷から離れることはなかった。そこに、ロイヤル・アカデミーという権威のある絵画の世界や、それをとりまくロンドンという都会の文化や環境とは相容れなかったのでしょう。そこに、もともと、マイペースな田舎者とでもいうような自身を自覚したのかもしれません。一点集中とでもいえる、彼の作品の傾向は、そういうところに因っているかもしれないと思えます。例えば、「教会の入り口、イースト・バーゴルト」という1810年に公開された油絵の作品です。茂っている林の木々の枝や葉などの描き方が、よく言えばうまく省略をしている、わるく言えば、ぞんざいで雑に書きなぐっている。生い茂る木の葉は粗く絵の具を塗って、塗りむらが結果として、それを表わしている。しかし、教会のレンガの建物と並んで立っている樹木に大きな違いはないのか、両者に質感の違いは見えません。これは、水彩画を描いてきたからでしょうか。水彩絵の具は油絵の場合とは違って、水に溶け、紙に塗ると滲んだりします。それを利用して、この時代の素人の人たちもスケッチブックを手に水彩画を手早く描くということが行われた。その際には、アトリエで油絵具を塗っては乾くのをまち、その上にまた絵の具を重ねるといった時間をかけるものではなくて、さっと塗ってしまうようなものだったのではないかと思います。それは水彩絵の具の性格から必然的に生まれたPrado2018lorran2 やり方であったように思います。その場合、木の葉の一枚一枚を描くだの、質感の違いを描き分けるには、時間もかかるし、絵の具の絵の具を重ねるようなやり方で可能になるようなもので、水彩画はそれと違って、紙の上にさっと塗り、乾かぬうちに別の色を塗れば、滲んで色が混ざってしまう。そこでは、描いたスケッチの輪郭にさっと塗ってしまう。そういうことになると、紙の上のスケッチの輪郭の上に色が塗り分けられたという、塗り絵のような紙の上の絵の具の色の配置に還元されていくようなものになります。そのセンスで描かれた油絵作品が、これではないかと思えます。だから建築物である教会の石の壁がどっしりとした重量感を感じられず、建物の感じがしないのでした。同時に展示されていた素人画家の描いた風景がと、それほど変わりがないのではないか。少なくとも、私は、それらとこの作品が、はっきりと違うとは言い切れませんでした。おそらく、コンスタブルの画風というのは、そういう人たちの中から生まれてきたものなのではないか、当時の芸術絵画にはジャンルのヒエラルキーがあって、宗教画や歴史画が、その上位に位置して、風景画は下位あったといいます。画家のランクも宗教画や歴史画を描く画家が高位で、風景画家は下に見られていた。だから、一般的に画家たちは宗教画や歴史画を描き、そこで評価を得ることを目指していたといいます。そういう時代に、風景画のみを描いたコンスタブルやターナーは、当時の常識からは外れた、いわばアウトローだったと説明されていました。それは、幼少のころからアカデミックな教育を受けたわけではなく、画家の修業を始めたのかが比較的遅い年齢だったことも原因していたのかもしれないと思います。いったん商業の世界に足を踏みいれてから、画家を志したということで、商人という画家とは違う人々の中で過ごしたところで、アカデミズムとは異質な、その文化的な素地を作ったのではないか。たとえば、歴史画に最高の価値を置くアカデミズムでは、歴史画を描くための教育をするようになっています。歴史の場面を描くには、例えば背景の風景では、実際の風景では歴史の場面であることが分かる風景でなくてはならず、それが分かる風景を描くことが必要になります。それは、実際の風景ではなくて、それらしいと見る者が分かる風景で、「~らしさ」を見る者に感じさせるものを描くことが優先されるわけです。「~らしさ」を感じるというのは、誰が見てもそうだと分かるというもので、それは一種の理想的な姿で、形態が明確であるということです。しかし、コンスタブルのこの作品を見ていると、建物が建物らしく、周囲の木々とは区別されるようには見えません。つまり、そういうものとして描かれていないのです。それは、コンスタブルには、そういうアカデミズムの影響を受けた理想化させるような視点で風景が見えていなかった。むしろ、理想から離れた個性的なものとして見えたのではないか。そういう見え方は、ここで展示されているような素人の愛好家や画家たちの見え方から生まれてきたものではなかったのかと思えたのでした。
Costablegains  参考に、トマス・ゲインズバラの「休憩中の農民がいる風景」の方が、よほど風景画らしさがあると思います。木の葉の一枚一枚をきちんと描いているし、丁寧さが違います。むしろ、こっちの方がよく見えます。コンスタブルの拙さということもありますが、彼がアカデミズムに寄っていないとも言えると思います。ここで、ターナーの水彩もありましたが、これもパッとしない感じで、あまり差があるようには見えませんでした。

2021年5月16日 (日)

テート美術館所蔵コンスタブル展(1)

Costablepos  3月下旬 三菱一号館美術館で見てきたテート美術館所蔵コンスタブル展の感想をまとめました。
 コロナ感染の拡大に伴い、一昨年までのような都心への出張もしなくなり、外出もままならず、美術館に行く機会がなくなってしまった。美術館を訪れたのは、ほぼ1年ぶりとなった。他にも行きたい美術展はあったのだが、日時指定の前売り入場券を買わなくてはならないということになっていて、予定がはっきりしないので、それは断念しました。それで、次善ということで、コンスタブル展に行くことにしました。この展覧会も日時指定の前売り券を買った人が優先的に入場できるらしいのですが、予約状況をネットで見たら空いてそうなので、飛び込みでも大丈夫だろうと思いました。コロナ対策で混雑を避けるため入場人数を制限しているためでしょうが、実際に行ってみたら、展覧会が始まったばかりの時期ということもあって、それほど混雑してはいませんでした。一つの作品の展示に常時1人がいる程度の混み具合で、お喋りは控えるように事前注意の掲示もあり、静かに作品を見ることができました。ただ、コンスタブルの作品は、比較的小さなサイズのものが多かったので、作品の前に立つと、他の人の鑑賞の邪魔をしてしまうのではないかと気を遣いがちで、なかなか落ち着いて心ゆくまで作品に対峙するとまでは行きませんでした。久し振りの展覧会で、こちらもブランクが空いたこともあり、リラックスまではいきませんでした。
 まず、コンスタブルという画家の照会も兼ねて主宰者のあいさつを引用します。“19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776~1837年)は、一歳年長のJ.M.W.ターナーとともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家が何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物語ってやみません。日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。”このあいさつ文では、コンスタブルは、サフォーク州というロンドンの東方の田舎の風景を描いて、日本人が“ふるさと”という共通イメージを仮構しているのと同じようにイングランド人の共有しているかのような故郷のイメージを具体化したような風景を作品に描き、当時の人々にそういうイメージを創った人というようなことを、私は言外に深読みしました。実際、コンスタブルのとくに初期の風景画は、当時の同時代の凡庸な風景画との違いが分からないような作品で、あいさつ文で述べられているような称揚すべき作品とは、とても思えないものと、私には見えました。ハッキリ言って日曜画家の上手い人程度の作品にしか見えませんでした。展示されている作品を見て回って、同時代の画家たちと何が違うのか、考え悩みました。詳しくは、これから具体的に作品を見ていきながら、述べていきたいと思います。

 

2020年12月14日 (月)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(4)~3. 激動と表現主義の時代(1958~1970年)

 売れっ子の画家となったビュフェは結婚して、妻をモデルに多数の作品を制作したそうで、画風には多彩なモチーフ、鮮やかな色彩、より力強く激しい輪郭線、絵具の厚塗りへの移行といった変化が起こり、力強い描線によって表現主義的傾向を強めていったと説明されています。
Buffetbroadway  「ニューヨーク:ブロードウェイ」という1958年の作品です。直線をたくさん引きたいだろうビュフェにとっては、直方体で構成されて、ビルの壁面のガラスが碁盤目のようになっているのは、格好の題材ではないかと思います。画面が直線だけで作られたような作品です。このような、好きな直線をいくらでも引いていい作品であるにもかかわらず、その碁盤目という格好の対象に収まらず、そこから外れて無秩序に引かれる線が存在するというのも、ビュフェらしいと言えばそれまでのことですが、画面がスッキリとせずに薄汚れた感じになっているのは、何もニューヨークの薄汚れた雰囲気を出そうとしたとか、人の姿がないことと相まって都会の寂しさを表わそうとしたとかいうのではなくて(そういう解説が会場では書かれていたと思います)、たんに、空になっている部分にも我慢できず細い線を引いてしまって、それが汚れた感じになってしまったということだと思います。それは、同じ題材を取り扱った、モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」のスッキリした画面と比べると一目瞭然です。モンドリアンも碁Buffetmondrian 盤目を嬉々としてキャンバスに描いていますが、ベースの白い部分がクリアなほどすっきりしていて、碁盤目の線と際立つように対立していて、緊張感が高く、それゆえにか躍動感すら感じられるような画面とは、全く違います。モンドリアンと比べて、ビュフェの作品を見ていると、せっかく碁盤目という秩序があてがわれて、そこで線を引いていればいいのに、そこから線が飛び出してしまって、秩序を壊してしまう。それが結果として画面を汚して薄汚くしてしまうのですが、それを分かっていて、敢えてやってしまうというところに、ビュフェという人の線を引く欲望のユニークなところがある。おそらく、そこが彼のオリジナリティの部分ではないかと思います。
 「ピエロの顔」という1961年の作品です。今まで見てきた作品にはなった、背景を赤く塗られているというので、この作品で、はじめて色彩ということを認識できました。ちゃんとキャンバスが絵の具で埋められて、絵画らしBuffetpiero2 くなったというか、完成したことが分かる作品です。それが、本来なら当たり前なのかもしれませんが、今まで見てきた作品は、モノクロームに近く、白地に線が引かれているというもので、しかも、無数の線が引かれているが、そのために描かれている対象の形が決まったという感じがしないで、デッサンとか下絵そのままのような画面になっていました。そのため、キャンバスに下絵がかかれていて、完成した絵画かどうか、見る者には判断がつかないような画面になっていました。それが、完成か制作中かわからない宙ぶらりんというか、キマラナイ、不安定な存在といえるものでした。この作品では、そのような不安定さの要素が薄くなり、一応、画面が塗りで埋められているので、完成した絵画らしい安定があります。それゆえ、この展覧会のポスターでもつかわれているのだろうと思います。そこで、初めて、ゆっくり描かれた画面の形を見ることができるものとなっています。そのようにして画面を見ると、ピエロを描いた作品は、以前に見た「サーカス:トロンボーンとピエロ」と比べながら見るということができます。こちらの作品は半身像のピエロだけが画面中央にあって、対象が絞られて、整理された感じがします。そして、画面全体が左右均衡の構図になっていた、安定感があります。見る者の視線はピエロの顔に集まるようになっています。そういうように導かれるように見ていくと、何となく、ピエロの哀感を想像するように誘われます。たしかに、そのように見る人も少なくないと思います。しかし、私には、そのように顔に視線を誘導されて、みえたものは無表情で、線の集まりが、一応の顔の形を呈しているというもので、何らかの内容とか感Buffetanabel 情を見たい場合には空虚さがある、というものです。この作品は、画面全体がパターンとして安定している、言いかえれば、陳腐化しているために、その空虚さが目立っている。それが見るものに、虚ろさを通り越して、何となく寂しいとか哀しいという印象を生じさせるようになっている、と思います。さすがに、人気作家となっていたビュフェは、単に画面に線を引くということだけでは終わらずに、それを画面で効果的に演出するように仕掛けていると思います。私の好みからすると、余計な装飾に見えてしまうのですが。
 「夜会服のアナベル」という1959年の作品です。妻をモデルにした作品ということですが、服のスタイル画のようです。服の素材感とか、服を着ている女性の肉体の存在感は感じられなくて、黒い直線に近い線を無数に引いている。服は線で構成されているために、面がなくて、透き通っているように見えます。だから、服を着た女性のレントゲン画像というのでしょうか、透かしてみた服を着た女性は、全部透き通ってしまって、中身は空っぽで、女性の肉体も大人の女性の柔らかさがない棒のようです。私には、このころから、彼の作品は線が無数に集まっているという要素が薄れて、その宙ぶらりんのような画面の面白さが次第になくなっていくように見えます。いわば、このころから陳腐化というか、以前に描いたものの形を、なぞるようになっていくように見えました。
Buffetfog  「小さいミミズク」という1963年の作品です。このころになると、線引いて画面になるのに都合のよい題材を見つけ出すようになります。たとえばこの作品では、みみずくの目のところで、放射状に引かれた線は、今までの作品にはなかった線の引き方です。それが、この作品では結構目立っていて、見る者の目を引く作品になっています。メスキータの「ワシミミズク」という作品と比べてみると、メスキータの作品は細部というか小さな羽が並んだ秩序が生み出す面白さがあって、秩序かみだす形に魅力があります。これに対して、ビュフェの作品は、趣向だけにとどまっていて、要領がいいという印象にとどまっている。その結果である形そして全体の画面には、面白さが及ばない。その大きな要因は、画面のデザインが思いつきにとどまっているのと、引かれる線自体が尖がらなくなっているからだと思います。一本一本の線の自己主張がなくなっMesquitafog_20201214211101 た気がします。「魚の骨」という1963年の作品もそうです。このような見方は、ネガティブと言われるかもしれませんが、私は、ここまで見てきて、ようやくビュフェの絵の魅力的な特徴に気づくことができたと思います。今見ている作品では、失われつつあるもの。失われつつあるがゆえに、これまで見てきた作品では、当たり前であったから、失われてはじめて、それと分かる。まあ、私には、見る目がないのかもしれませんが。それは、無数に、秩序があるでもないでもない、一本一本の線で、それによって画面が形成されたということです。
 「皮を剥がれた人体:頭部」という1964年の作品。このころ、ビュフェは昆虫標本のような作品を多数制作しています。昆虫の節くれだった足とか、甲羅や羽とかった身体パーツは直線的な線で描くのに向いているようにも見えるからBuffethead でしょうか。しかし、これらの作品には昆虫の形態への興味がほとんど感じられず、せっかく具象的な作品を描いていて、昆虫という素材を見つけて、こんなに雑な描き方をしているのが、もったいないというか、そういうことから、この人は対象の興味というか愛がないということが、よく分かりました。人物に対しても、同じようだということか端的に分かるのが、この作品です。人体解剖図のような題材で、皮を剥がれて筋肉がむき出しになった姿は、本来はグロテスクなはずですか(例えば、マンガあるいはアニメの「進撃の巨人」にでてくる巨人は記号化された様式ですがグロテスクです。)たんに赤が目立つ顔という作品になっています。たしかに、赤い顔ということで目立つ作品くらいにしか見えません。前の「小さなミミズク」では、鳥の無二つの目が中心から放射状に直線を引いていましたが、この作品では男の顔の眉間のあたりを中心にしてそこから放射状に直線が引かれています。それを顔の筋肉の束にかこつけて描いたということの方が優先されるように思います。この人は、人間も昆虫も同じようにえがくようです。
 Buffethead2 「カンペールの大聖堂」という1968年の作品です。直線を画面に引くのから、直線作られているような建築物は格好の素材であるはずですが、スッキリしていないというか、こういう建築物で目立つロジカルな姿というか幾何学的とも言える整った姿とは程遠くなっています。やはり、この人は物体の形態の美しさとか存在といったことには興味がないことが明らかです。とはいえ、この人の線は幾何学的な感じもしないし、勢いを感じるところもないし、一本の線自体に魅力がない。それが不思議です。たくさんの線が集まって秩序でも無秩序でもなBuffetchurch く、たくさんあるというのが、この人の線による画面の特徴だと思います。風景画で人の姿がないと説明されていますが、そんなことは、ハンマースホイやクノプフの風景画も同じで、とくに珍しいことではないと思いますが、この乱暴に描かれたような、そして、画面が汚れていてスッキリしていないところは、パリの市街を描いたユトリロなどに雰囲気が似ているところがあって、しかし、ユトリロにあるような風情がまったく感じられないというところが、この人の特徴だろうと思います。ユトリロでは街の騒音が聞こえてくるようなところがありますが、この人の作品では音を想像することはできません。

2020年12月13日 (日)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(3)~2.プロヴァンス時代―新天地での変化(1950~1957年)

 Kandinskymur1 ビュフェはパリの喧騒から逃れ南仏の農村に移り、画面には穏やかな明るい色調と明快な線の作品を描くようになったと説明されています。フランス社会も戦争の荒廃から復興し、社会も安定の方向に向かった時代背景とあわせて見られているように思えます。というのも、私には作品の基本的な色調が変わったとは思えず、変化と言えば使われる色の数が増えた程度のことにしか思えません。ビュフェは相変わらず線を引いています。作品を見ていきましょう。
Buffetromaine  「ヴェゾン=ラ=ロメーヌの眺望」という1950年の作品です。農村の鳥瞰的な風景に見えますが、直線を引いて、四角形と三角形を組み合わせたら、風景のようになってしまった。直線で囲われた図形をグレーのグラデーションで塗り分けたら斜面の畑のように見えてきた。私には、そのように見えます。まさに抽象画です。もし、仮にこの作品のタイトルを「コンポジション」としたとしたら、抽象画に見えてくるのではないでしょうか。それは、カンディンスキーが風景を描いていて、平面の形と色の組み合わせにしていった、抽象的な画面をつくっていったのとは、逆の方向性ということになります。また、平面的で、風景の奥行もないし、建物と畑の質感の違いも描き分けられているとは思えず、塗り絵のように質感の違いはありません。
Buffetsalle  「食堂」という1953年の作品を見ましょう。会場には、室内を描いた作品は数点展示されていましたが、人の姿がなくて、グレーの寒々とした色調であったことは共通しています。このような作品を見ていて、20世紀フィンランドの画家ハンマースホイの室内画を思い出しました。シンプルな構成とか、グレーを基調とした色使いに共通するところがあると思います。しかし、ハンマースホイの場合は、パースペクティブがちゃんとあって、室内の家具や器などが立体に見えるし、それぞれに存在感があります。生活感が感じられ、そこに偶々人がいないというような、画面に描かれた光景の物語とか意味を、見る者に想像させるところがあります。これに対して、ビュフェの描く室内は、実在感とか生活感が感じられず、物語を想起させることはありません。ハンマースホイにはない無機的な感じが強いと思います。
Buffetpiero  「サーカス:トロンボーンとピエロ」という1955年の作品です。慥かに、このコーナーの説明の通り、線は明確ですっきりした感じになっていますが、それはビュフェが、必ずしも、試行錯誤で迷いながら無数の線を引くことをやめたのではなく、結果として無数の線がまとまるようになったということだと思います。つまり、画家が線を引く試行錯誤に熟練して、無駄な線を引くことがなくなったということだろうと思います。だから、画面の雰囲気は以前と変わってはいないように見えました。さて、この作品ですが、ビュフェはピエロを題材にした作品を複数描いていて、この会場でも他に数点が展示されていました。それが一様に正面の姿を描いていて、どことなく道化師の孤独とか、表面は華やかだが実像は、その陰で空虚さにとらわれているというイメージの姿を描いているように見えます。それは、ある意味では定型的なパターンで、例えば、ビュフェに限らず初期のピカソにも同じような雰囲気でピエロを描いた作品があります。これまで、ビュフェの作品を見ていると、他の画家の既存の作品を連想してしまうことが少なくなかったのですが、この作品もその例に洩れません。これは、私の主観ですが、それはビュフェのBuffetpicasso 作品がどこかで見たような印象が結構あるということできないかと思います。つまり、この画家でしかありえないというオリジナルな画面のデザインではなくて、どこかで見たようなデザインであるということです。もっと言えば、既成の定型化されたパターンに乗っている。おそらく、ビュフェという人は、この作品であれば、実際のピエロを写生していて、自分なりの視点で、このようにデザインしようということはなかったように見えます。それよりも、すでにあるピエロを描くパターンに乗って描いている。というのも、ビュフェには、そんなことは考えなくて、もっと大切なことがあったということで、それは、無数の線を引くということ。たくさんの線を引くことにとらわれていると、既存のパターンに乗って、そのうえで線をひくことに集中したいという。したがって、この作品では、ピエロという題材とか、その哀感ある姿というのは、この際、たいして重要ではなくて、細部で、どれほど線が引かれ、交錯しているか。そういう作品で、これは、ほとんど抽象画といってもいい作品だろうと思います。ただし、理念とか理論とかはまったくなくて、線を引くという欲望と線に対する感覚的なセンスによってのみ成立している。この作品では、線が集まって、ピエロの輪郭の太い線を形作っている、その様子が焦点ではないかと思います。

2020年12月12日 (土)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(2)~1.画家ベルナール・ビュフェ誕生(1945~1949年)

Buffetpainter  習作時代からデビューして世に出たあたりの初期作品です。“この頃の作風は厳しい時代の雰囲気を見事に反映し、抑制された地味な色彩と鋭い線によるストイックな描写を特徴”として、あいさつで書かれている“刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写”が典型的に当てはまるようです。ただし、1946年くらいまでは習作期で、作風が定まらず、1948年の「後ろ姿の裸婦」あたりから、上記のコメントが当てはまるような作品になってきます。
 「画家とモデル」という1948年の作品です。画面左の後ろ姿の人物はモデルでシャツを引っかけていて、下は素足が露わになっていることから、裸婦のモデルで、「後ろ姿の裸婦」で描かれたのと同じ人物かもしれません。しかし、「後ろ姿の裸婦」もそうですが、この後ろ姿の人物も、ひょろ長い、棒のような姿で、肉体のふくよかさは見られません。このような細長い、棒のような人物というと、ほぼ同じ頃に制作されたアルベルト・ジャコメッティの人物彫刻と共通しているところがあると思います。しかし、ジャコメッティの彫刻が贅肉を削ぎ落としていって、それが極限まで進んでしまって、そGiacomettithree の削ぎ落とした痕跡が露わになっていて、痛々しいほどで、そこに削ぎ落とす苦しさと、そうまでしなければならないジャコメッティの強迫観念のようなものが透けて見える迫力を感じさせるのですが、こちらのビュフェの作品には、そういう痛々しさは画面を見る限りでは明らかではありません。むしろ、削ぎ落とすというより、最初から贅肉がない、それゆえすっきりとしたところがあると思います。私には、ジャコメッティにあるような形(フォルム)を表わすことへの欲望が、ビュフェには稀薄であるように感じられました。
 「キリストの十字架降下」という1948年の作品です。宗教画で、人物の肉体がそぎ落とされた姿というと16世紀ドイツの画家グリューネヴァルトによるイーゼルハイム祭壇画を思い出します。こちらの作品は中世のゴシック末期に属しているような、様式的だが、磔刑になったイエスの痩せさらばえて肉をそぎ落とされ、傷だらけの凄惨な姿が描かれています。不条理というなら、このイエスの姿は世界の不条理をすべて背負ったような痛々しい姿で、それが見るものに迫ってきます。このような祭壇画と並べてしまうのは適切ではないのかもしれませんが、ビュフェの作品は、色調こそグレーで暗いのですが、描かれた人々の棒のような細長い身体は、むしろスマートでデザイン的な印象がします。むしろ、身体性が感じられないし、生々しい実在感がなく、祭Buffetcross 壇画が遠近法による奥行きが描かれていないのとは別の印象で平面的な画面です。夢のようなフワフワして、のっぺりとした感じです。この後の作品もそうですが、ビュフェの描く作品は具象画ということで説明されていますが、それは現実の対象をリアルに描写したというのではなくて、どこかヴェールがかけられたような画家の夢のような想像の中で描いた結果が、たまたま具象に見えたというような感じがしました。それは、この作品もそうですが、ビュフェの作品は縮小された画像でみるとスッキリした画面に見えますが、実物を間近に見ると、スッキリしてなどはいなくて、画面上に無数の線が、そのまま放置されるように残されているのです。私には、この線の在り方が、このビュフェという画家の大きな特徴であるように思えました。この作品では、画面の人物の輪郭がはっきりしていて、線画のように見えます。そのほかのはしごや十字架といった物体も、細長くてふくらみがなく立体的でもないので、線で平面に描かれたように見えます。それはそうなのですが、この輪郭が、線とは言えないのです。線は線なのですが、輪郭をかたちづくる境界を形成するようなしっかりとした線になっていないのです。どういうことかというと、画家がこういう輪郭にするというように決然として明確にスッと線を引いて伸ばしたというのではないのでOyamadagrune す。ではどうなっているのかというと、無数の細い線が、あっち向いたり、こっち向いたりしているのが集まって、遠目には、あたかも一本の線になっているように見えるのです。したがって、そのまとまりは不明瞭で、一本の線として自立していません。それは、スケッチをするときに鉛筆などで、試すように何本も線を引いて、その中から適切な線を見つけていく、その見つけた線が清書というのか、完成される作品で使われることになるのでしょうが、ビュフェの作品では、そのような試された線が、そのまま作品画面にひかれている。つまり、画面では、画家がこれだと適切な線を決めないで、おそらく決められないで、試した線を全部作品に残してしまっている。その結果、輪郭線が曖昧となって決められないでいる。そのため、描かれる人物や物体の形がはっきり決まらないでいる。それがゆえに、作品を見るものは、形があるようで、実は形が決まらないあいまいなどっちつかずのような画面を見せられることになる。それは安定しているようで、不安定ですよね。不安定であるとはっきりわかるわけでもない。安定しているか、不安定かもはっきりしない。そういう宙ぶらりんの感じがビュフェの作品には底流していると思います。それを不安とか虚無感と形容するのもいいでしょう。ただ、私には、時代の空気とか画家の性格とか言うのではなく、明らかに意図的に、計算して、このような画面をつくりだしていると思えます。
Buffetbife 「肉屋の男」という1948年の作品です。「キリストの十字架降下」とよく似た作品です。肉屋の解体した食肉が吊り下げられている姿がキリストが磔刑にあっているのと似たような形態とかは、展覧会で学術的な説明がされていましたが、そういうのは専門家の解説を参照してもらうことにして、この作品も、小さな画像でみるとスッキリしているように見えます。ここでも輪郭線が不安定なのは「キリストの十字架降下」のところで見たのとおなじです。ここでは、背景の壁に注目してください。肉屋の室内の壁ですが、たんに壁があるだけで何もありません。また、影かうつっているわけでもない。しかし、どこかスッキリしていません。少し汚れているような感じがする。これは実際の作品に近寄ってみると、無数の細い線が乱雑に引かれているのでした。わたしには、その線が何のために引かれているのか分かりませんでした。それが具象でのなんらかの形を表わすとは到底考えられません。また、影にも見えません。そこには、何らかの形を形成するような秩序が感じられませんでした。あえて言えば、単に画面を汚している。画家は線を引きたいから引いている、としか見えませんでした。肉屋の室内の壁の汚れとか、空気感とかだったら線を引くまでもなく、油絵なのですから絵の具を彩色してあげればいいわけです。そこに無秩序に線を多数の線を引いているというのは、私には、このビュフェという人は、絵を描くよりも、線を引きたい人なのではないかと思わせるに十分でした。つまり、ビュフェという人は、線を引くことを、まず行って、その結果が形となった画面となった、ということです。だから、何かを描いたという作品ではなく、線を引いていった挙句、画面が出来上がった。そのようにおもえてくるのです。結果としてできた画面に対して、何が描かれたとか、内容がどうだとかいうのは、作品を見るものが、勝手に物語を作って意味づけをしている、そのように思えました。
 しかも、だからといって、ビュフェという人は線を引く技術に長けているわけでもなく、例えば日本画は線で作られていますが、日本画の生気ある線とか官能的な線を、ビュフェは引くことができないようです。何よりも、この人は曲線を一気に引くことが下手なようです。この人は専ら、ペンで引くような無機的でまっすぐに近い線ばかり引いているようです。そういう線で形作るのに都合のいいのは、直線のような細長い棒のような人物とか、直線でつくられた物品です。私には、ビュフェの細長い人物は、ジャコメッティやグリューネヴァルトのような人の贅肉をそぎ落とした本質的な姿に迫るというのではなく、単に直線をたくさん引いて描くことができるからそうなってしまった姿というように思えます。だから、のっぺりして、人形か人間かわからないで、そういう形をしている姿としか見えないのです。人間の姿とか、こういう画面になって作品になっているというのは後付けで、もともとは直線をたくさん引いた、ということから生まれた、という方が、私には説得力が大きい。だから、線によるイラストとも違う。むしろ、抽象画といってもいいのではないでしょうか。私には、そう言ってもらった方が親しみやすいと思います。

2020年12月11日 (金)

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代(1)

Buffetpos  コロナ・ウィルスの流行があってから、外出するといえば近所への買い物と職場への往復くらいで、美術館はおろか都心に出向くこともなかった。美術館に行くのは、3月末の緊急事態宣言の直前に世田谷区美術館に行って以来で、約8か月ぶりになる。今日は、朝から病院で検査を受ける予定になっていて、1日休みをとっていたら、思いのほか早く終わってしまって、大分時間が空いたので、それでは、と思い切って出掛けることにした。久し振りの渋谷の街は、大きく様変わりして、道に迷ってしまった。新しくなった銀座線のホームは初めてで、スクランブル交差点にでるまで、何度も迷った。平日の昼間と言うこともあるのか、コロナ・ウィルスの流行で外出を控えている人が多いのか、いつも人で溢れているようなスクランブル交差点から道玄坂は、人影が少なく、いつも人波を掻き分けて歩くのが、今日はすいすい歩くことができた。とはいえ、美術館は、いつもと同じような混み具合、というか、この美術館で混雑に遭った経験がないので。受付で体温を測って、アルコールで手を消毒して、会場に入った。
 まずは、いつものように主催者あいさつを引用します。“20世紀後半のフランスを代表する具象画家の一人ベルナール・ビュフェ(1928~1999)。刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写を特徴とする画風は、第二次世界大戦直後の不安と虚無感を原点とし、サルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応し一世を風靡しました。抽象絵画が主流となっていくなかで、人気作家となっていったビュフェは批判されながらも自らの道を貫きます。そして近年、パリ市立近代美術館で本格的な回顧展が開かれるなど、再評価が高まっています。疫病の不安が重くのしかかり、多くの自然災害に翻弄される今、本展は我々と共通点のある時代を生き抜いたこの画家の作品世界を、年代を追う形で「時代」という言葉をキーワードに、ベルナール・ビュフェ美術館(静岡県)が所蔵する油彩を中心とした約80作品で振り返ります。”ということで、もっともらしいことを言っているように見えるが、何のことはない、静岡県のベルナール・ビュフェ美術館のコレクションを持ってきて展示しているだけじゃないか。カタログもベルナール・ビュフェ美術館のを転用しているようだし、主催者あいさつにも、これを見せたいというものがなくて、一般にそういう評判ですというような通り一遍の文章で、引っかかるところがなかった。ということで、挨拶に書かれているような、“刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写”、“第二次世界大戦直後の不安と虚無感を原点とし、サルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応(アンフォルメルに対する形容と同じという突っ込んでもいいんだが、あっちは抽象だし)”、“人々が戦後の喪失感から立ち直ろうとしていたその時代に、まさに時代を切り取り描いたものとして人々の共感を呼び、瞬く間に時代のアイコンとなる”といった先入見をチャラにして、作品を見ていきたいと思います。
 一応、会場では節目で見出しを着けていましたが、展示リストには、そういう章立てがされていなかったので、それほど厳密なものではないかもしれませんが、区切りがあった方が、作品を語りやすいと思うので、それに乗って生きたと思います。

より以前の記事一覧