世にはあらじと思ひたちけるころ、東山にて人々寄霞述懐と云ふ事をよめる
空になる心は春の霞にて世にあらじと思ひ立つかな
この歌については、白洲正子が次のように述べています。
“山家集の詞書に、「世にあらじと思い立ちけるころ、東山にて人々、寄霞述懐と云事よめる」とあるから、西行が二十三歳で出家する直前の作だろう。いかにも若者らしいみずみずしさにあふれているとともに、出家のための強い決心を表しているが誰もこのような上の句から、このような下の句が導きだされるとは、思ってもみなかったに違いない。それが少しも不自然ではなく、春霞のような心が、そのまま強固な覚悟に移って行くところに、西行の特徴が見出せると思う。その特徴とは、花を見ても、月を見ても、自分の生き方と密接にむすびついていることで、花鳥風月を詠むことは、彼にとっては必ずしもたのしいものではなかった。
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせん
嘆けとて月やは物をおもはするかこち顔なるわがなみだかな
百人一首で名高いこの歌は、同じ百人一首の大江千里の、「月みれば千々に物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど」を受けているような感じがあり、それを今少し凝縮させたといえようか、---月は物を思わせるのか、いや、思わせはしない、それにも拘わらず、自分は月を見て悲しい思いに涙していると、反語を用いることによって引き締めている。のどかな王朝の歌が、外へ拡がって行くのに対して、どこまでも内省的に、自己のうちへ籠もるのが若い頃の西行の歌風であった。” それでは、詞書から読んでいきましょう。“世にはあらじと思ひたちけるころ”の“世にはあらじ”は、世は、世の中つまり俗世にあらざるということ、世の中にいないということは世の中から外れる、つまり出家する。それを“思ひたちける”、思い立ったころ。そのころ、「寄霞述懐」といのは霞に関連づけて心中を述べるということで、東山というのは場所でしょうか、そこで人々と「寄霞述懐」という歌題で詠んだのが、この歌だということでしょう。ということから、この歌は、歌会でしょうか人々が集まって歌を詠む場で詠まれた歌であるということです。ここで、出家という個人の決心から派生する内心を内省的に語る歌であるのかと、私には思えます。そうであるとすれば、白洲正子の述べていることは根底から崩壊します。
また、小林秀雄は『無常といふ事』の中の「西行」で、この歌と他に数首を引用して次のように言っています。
“これらは決して世に追ひつめられたり、世をはかなんだりした人の歌ではない。出家とか厭世とかいふ曖昧な概念に惑わされなければ、一切がはっきりしてゐるのである。自ら進んで世に反いた23歳の異常な青年武士の、世俗に対する嘲笑と内に湧き上る希望の飾り気のない鮮やかな表現だ。彼の眼は新しい未来に向かって開かれ、来るべきものに挑んで、ゐるのであって、歌のすがたなぞにかまってゐる余裕はないのである。” 小林は白洲の読みを、さらに推し進めて、主観的な思い入れを押し付けているのが明らかです。このうたのどこに“世俗に対する嘲笑と内に湧き上る希望の飾り気のない鮮やかな表現”があるのか、具体的に示してほしいものです。私は、探しましたがも見つけることができませんでした。“歌のすがたなぞにかまってゐる余裕はない”と自ら言っているのですから、小林は、実際の歌なんかどうでもいいと言っているようなもので、実際に、ちゃんと歌を読んでいるのかという疑問をぬぐうことはできません。
『古今集』の「仮名序」で紀貫之は“やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。”と述べています。和歌とは、人の心を起源として、さまざまな言葉になったもの、ということです。ここでいう「人」というのは、現代の個人とは違っていて、古典和歌で詠まれる「人」で、文脈に応じて、二人称の「あなた」の意味にも、「あの人」や「世間一般の人々」の意味にもなる融通無碍なものです。要するに「我=自己」以外は、愛する相手も見ず知らずの人も、ひとしなみに「人=他者」として把握されるというものです。古典和歌の世界では、恋しい人は「私」のものではなく、むしろ「世間の人々」とつながっていると言えます。したがって、「人」という「ことば」にこうした二重性があることから、本来「私とあなた」の個別の関係を詠じたはずの歌が、人間一般に通じる普遍性を帯びてくる場合もある。そこで、「仮名序」にもどれば、和歌の人の心の「人」とは、一人称の個人でもあり、人一般でもある。だからこそ、『古今集』で詠われる人の心、つまり心情は普遍的なものとして定型パターンになっているわけです。そう考えると、この歌で、出家を決心する強い覚悟という、他の誰でもない西行という個人に限られる内面の動きを表白しているというのは、和歌として、かなり道を外れたものであるということになると思います。敢えて言えば、和歌の外形をとっていても、「仮名序」でいう和歌の概念から外れたもの、心は和歌ではない。そのような、道を踏み外したと言えると思います。おそらく、それが西行の歌の決定的な独自性ではないかと、と私は思います。とはいえ、白洲正子のいうように、青年の個人のみずみずしい心情を、近代的なもののようにポエムとして表現しているかというと、そんな形のできたものではないと思います。足は道を踏み外したとはいえ、身体の重心は未だ道に残っている。
そういう視点で、歌を読んでいきましょう。上の句の“空になる心は春の霞にて”は、『拾遺集』の次の和歌を、ほぼ借用しているということです。
春霞立つ暁を見るからに 心ぞ空になりぬべらなる
よみ人しらず
春霞に喩えられる“空になる心は春の霞にて”というのは、霞の立っている空が心の中にもできてしまった。自分自身のものでありながら自身でも把握しかねる心、自分の身体から遊離してゆく心のことで、いわば「遊離魂感覚」と呼ばれる不思議な感覚のことで、万葉集のころから和歌で詠われてきたものだそうです。
下の句“世にあらじと思ひ立つかな”の“立つ”は思い立つという出家の決心をするという内容だけでなく、上の句の“春の霞”の霞立つという内容にかかっていると考えられます。“立つ”には二重の意味が掛けられているということになり、春の霞のような空になる心と世にはあらじという出家の思いは、“立つ”で結びついている構造になっています。西行個人の出家の決心という内心は、広く詠まれる空になる心という型と繋がっているというわけです。それは、たとえば、思い詰めた果てに見極めることができなかった「心」を、霞のような「空になる心」という「遊離魂感覚」で外に浮遊するように身を委ねることで出家に至るという解釈もあるようです。あるいは、「空になる心」を仏教の「空」の境地と重ねて捉えるという解釈もあるようです。どちらも、無理な解釈のように思えますが、白洲正子の述べているような、上の句に対して意外性のある下の句という読み方は無理があるのが分かる。ただし、上記のような無理な解釈がでてくるというのは、無理をせざるを得ないからともいえるので、そういう解釈を強いられるところに、この歌のこなれていないところがある。西行は、ここでは試行錯誤にいる。むしろ、そういうところを晒してしまうところに、西行という歌人の作家性を見ることができて、それが、この人の特徴であり、魅力であると思います。
最近のコメント