名古屋駅前のホテルを朝8時過ぎに出発。日曜の朝の名古屋駅前は混雑していない。東名高速に乗って東に、瀬戸から北上。岐阜県の多治見へ。山の中へ入るようにして、中央西線の線路脇の空き地にバスが停まった。ここが駐車場らしい。まわりに寺院の建築物が見えない。ここに永保寺があるのか、いままで見てきた京都や奈良の社寺とは雰囲気が違う。どこか観光的でない。踏切をわたって田舎の道を歩いていくと道端に仏像が置かれている。ガンダーラ仏像のような、ギリシア彫刻っぽいリアルなスタイルのやせ細ってあばら骨がハッキリしたブッダの姿。とくに看板も何もない。その先に、ようやく道標。坂道を下っていくと、大きな屋根が見えてきた。それが永保寺の方丈の屋根。坂道は、その建物の後ろから寺に入っていく道だった。やがて、方丈の向こうに境内、庭園が広がっているのが見えてきて、そこに入っていけた。境内には黄色いビブスを着用したボランティアのおじさんがいる。普通、お寺に行くときは正面から山門を通って、本堂へてお参りするのですが、これは裏から入るようです。でも、マップを見てもらえばわかるように、マップの一番下の踏切のところに駐車場があるのですが、ここからの道の他には、永保寺へ至る道がありません。そういえば、山門がありませんでした。これは、後で分かったのですが、マップでは永保寺と書かれている方丈の建物から真上に伸びている道に勅使門跡という石碑が建っていました。かつて、ここに門があったというのです。寺はその門に向けて建てられているのです。私が入ってきた道は、近代になって鉄道が通って、寺の裏手にあたる山間部が発展したため、現在はそこからの方が交通の便がよくなったということです。では、正面はどこかというと、マップの左に流れている土岐川の水運が、かつてのメインの交通路だったということで、寺は、その土岐川に正面を向けて建てられているということでした。後に、川の交通は廃れて、門の意味がなくなり、焼失したかなにかがあっても、門が再建されることはなかった、というところでしょう。

虎渓山永保寺は臨済宗の寺で、今も若い僧侶が修業をしている修行の場で観光の寺院ではないとのこと。その証拠に拝観料も拝観パンフレットもなかった。普段は、寺院を見学する人は修業の邪魔にならない限りは、境内に自由に入って見ているとのこと。今日は、年に一度の涅槃会で寺宝の風入れということで公開するので、拝観者が多いので地元の人がボランティアとして、案内と交通整理をするのだという。まあ、今回のツアーは、このために日程を組んで、わざわざ東京からやって来たものなのですが…。観光地化されていないというのは本当で、読経の声がどこかからか聞こえてくるし、若い僧侶がボランティアの手伝いに走りまわっている。その手際が、慣れていなさそうで、しかし、一生懸命な感じで、スレていない。それだけで、この寺院に好印象を持ってしまいました。ここは、観光地ではない、お寺なのです。そう感じられるのは、珍しいことです。

方丈の建物は平成15年に焼失してしまったのを再建したもので、まだ白木の香りすら残っているような感じ、白壁は、本当に真っ白です。ここでは、実際に若いお坊さんが修業しているところで、普段は入ることができないのだそうです。しかし、今日の涅槃会だけは中にはいることができました。玄関で靴を脱いで上がると、左手が方丈。釈迦三尊像がまつられているが本尊は観音堂の方にあるという。ここは方丈で修業のためだという。若いお坊さんが説明してくれて、御焼香してもいいですよ、といってくれたので、やらせてらう。また、他のお坊さんが、今日だけ、特設の茶店を開いていて、慣れないたどたどしさに、却って好感がもてたりして。そして、玄関から反対の右手にいくと、小さな中庭があって、これがちょっとした枯山水で、渋いのだ。ほかの人は気づかず素通りしている、このさり気なさが何となくいい。かしこまって鑑賞するほどのものでもないのでしょうが、目に留まると、おもわず立ちどまってしまう何かがある。その奥が、宝物の風入れ、つまり今日だけの公開の展示しつで、多くは歴代の住職や禅僧たちの描いた禅画、おおくは達磨をモチーフにしたもの。中には雪舟の作(?)というのもあった。鑑識眼のない私には、並んでいる達磨の禅画はどれも同じように見えて区別がつかなかった。そして、正面に大きな仏涅槃図。室町時代、中国から来た僧が描いたものだという。紙に描いて掛け軸のように表装したのではなく、絹の布地に直接描いたのだそう。これは、涅槃絵図の説明会をやっていて、描かれた内容を、ここに描かれている何であるかをひとつひとつ説明してくれた。すべて忘れてしまったけれど、そういうものかと聞いていました。でも、それを聞いていて、どこかゴーダマ・ブッダがやろうとしていたことと、何か違うような気がしていました。彼は、果たして自分の教えを広く布教しようとか、衆生を救済しようなんて考えていたのだろうか。むしろ、彼のことを聞きつけて、人々に教えを乞われたので、それに応えただけなのではないか。だって、悟っちゃって、いわばあっちの世界に行っちゃった人ですか、今さら、何を好き好んで、こっちの世界に戻ってくるのか、ですよね。あっちへいっちゃった人の、あっちの言葉で語られたって、こっちの人は理解出来っこない。実際、仏教の最初のころの原始経典にはブッダは、尤もらしい教えらしきことは話さなかったと書かれているそうです。この涅槃図に描かれているのは、そういうブッダの姿とは異なる偉い人物です。私が仏教に抱いている違和感は、そういうところにあるのですが、ここで図らずも、その違和感がでてきてしまいました。京都や奈良の観光地化された寺では、感じることすらなかったのに、ここで感じられるとは、どういうことでしょうか。

ここからは方丈を出て庭園をまわりました。この庭は夢窓国師が最初に庭を作ったのもので、後に西芳寺、天龍寺の庭園を造るのですが、その四半世紀前のことだそうです。この地は土岐川の曲がったところに突き出した山の上にあり、禅郷の地としては最高であるということで、臥龍池には大きな中島がなく後の天龍寺の地割そのものということです。特徴付けているのは無際橋といわれる反橋(いたみが激しく危険なので、この橋を渡ることはできなくなっていました)で、これは平安時代では俗界から極楽浄土の世界へ入るものであったというみと。橋に続く観音堂は観音の悟り世界に至ることを意味していて、その観音像がこの寺の本尊です。その観音堂の奥に梵音岩といわれる巌。ここから滝が流れていて、深山幽谷の趣です。虎渓山という名からもわかる通り中国の聖地・廬山の風景を模しているそうです。


観音堂へは臥龍池の端を行きます。方丈が新築のような真新しさであったのと対照的に古い建築です。そういう比較ができることもあって、殊更に古さ、渋さが際立ちます。室町時代初期の建築で、京都や奈良とは違って戦乱を免れて、当時の姿のまま現存しているとのこと。四隅が反り返った中国風の屋根が特徴的。そして、いつもは周囲の柵の外から外観を見るだけですが、この日だけは、中へ入ることができます。靴を脱いで階段を上がり御堂の中に入ると、他にはないような独特の岩窟式厨子の中に聖観音像があります。堂内は仰々しく装飾されているようなことはなくて、いたってシンプル。そこに写真のような流木を集めて洞窟をつくったような厨子がドンと置かれていて、それはかなりユニークです。ひんやりとした堂内の空気とあいまって、姿勢を正さずにはいられない何かがあります。

観音堂から臥龍池のまわりをぐるっと廻り、梵音岩を見ながら、奥へ進んでいくと開山堂があります。ちょっと深山に分け入るような風情があります。開山者の夢窓疎石の像等が祀られています。ここも、普段は入れないのですが、この日だけは中に入れました。特徴的なのは内部で、靴を脱いで入りますが、中国の建築のように石がタイルのように敷き詰められています。見上げると天井が精緻ですごい。

開山堂を出て庭園に戻ると、臥龍池から離れるように庭園をあるくと土岐川に出ます。川は屈曲し、対岸に渓谷の岩壁が見えています。水墨画のような風景。聞こえてくるのは、川の流れる水音だけ。お寺は、特別拝観で訪れる人で賑わっているのに、ここは人の姿はなく静寂そのもの。景色も荘厳に感じられて、ここが修行の寺であるということが感覚として分かります。石のベンチに座って、時間を忘れました。仏教の教えがどうこうというよりは、こんなところに座って、こころを落ち着けているだけでいい。

次の目的地金蓮寺に向かいます。多治見から愛知県の吉良まで南下します。バスで2時間ほど。このあたり濃尾平野から外れて小さな山が連なるような地形で、金蓮寺は当時は海に面して建てられていたようです。現在は埋め立てが進み、海岸はずっと向こうになって、寺から海を見ることはできません。さて、この金蓮寺は愛知県では唯一の国宝のお堂がある寺なのですが、現在は住職がいないということです。このあたりの土地は人が減って、檀家がなくなって、お寺の経営ができなくなって、住職は他の寺の住職が兼任しているとのことで、普段は人がいないそうです。寺の維持管理は地元の有志がボランティアでやっているとのことです。今回はツアー会社が団体拝観の予約をして、ボランティアの人が案内に駆けつけてくれることになっていました。この人は、バスが予定より早く現地に到着したので、現地のボランティアがまだ来ていなくて、しばらく待つことになりました。数分して、自動車でボランティアのおじさんが到着。みるからに地元のおじさんという人で、地元のなまりのしゃべりは少し聴きづらいところもありましたが、それが却ってよかったです。

そんなこともあり、この金蓮寺も京都や奈良の寺院とは違って観光地化されていない、田舎の古びたお寺でした。弥陀堂が国宝に指定され、鎌倉時代の建立の当時の姿のまま現存しているのだそうです。その姿はユニークです。写真を見ると、左側に突き出した部分は右側にありません。これは、お堂に籠る行をする僧侶が寝泊まりするスペースでが、全体の姿は左右対称を崩しています。お堂の正面の柱は細くて、普通の寺柱のように堂々としたところがありません。しかも、この柱は面取りがしてあって角が削られています。細い柱をさらに細く見せようとしている。それは、この部分が平安時代の寝殿造りを模しているからだそうです。写真をみると、正面の真ん中は格子の板があげられて中が見えるようになっています。これは、下の部分も前に倒すようになっています。左右も同じです。これは、平安時代の引き戸や窓がなかった時代に、壁の板を上げて外光を取り入れて、室内を明るくしていた蔀戸です。しかし、それが中に入ると天井は格天井で阿弥陀三尊像の安置されているところは、天井が一段高くなっています。これは寝殿造りにはなく、平安時代の技術ではつくれないということです。その一段高い天井を支える柱は2本しかありません。四角形の天井を2本の柱だけで支えているのですが、そのためには天井の強度と重量のバランスが必要です。そういう技術は鎌倉時代になってからのものだそうです。つまり、この建物は内部は鎌倉時代の様式で外周は平安時代の様式で建てられている。それがとても珍しいというわけです。

弥陀堂に安置されているのは阿弥陀三尊像です。中央の阿弥陀如来の両脇には観音菩薩像と勢至菩薩像が並んでいます。写真では分かりにくいのですが、両菩薩像は片脚で立ち、前屈みの姿勢です。このポーズでバランスをとるのは難しいと思いますが、ちゃんとバランスを保って立っているのは仏師の技量の高さでしょう。もともとこれらの仏像は全身に金箔が貼られ、金色に輝いていたそうです。海に面して、海に向かって安置されていた、これらの仏像は、沿岸を行き来する船からも見えていたということです。船乗りたちは海から金色に輝く仏を見て、航海の安全を祈ったそうです。現在は金箔が剥げ落ち黒い地肌が顕わになっていますが、一部に残っている部分があります。

本堂は不動明王が本尊だそうですが、秘仏で見ることはできません。中に入ると奉納された絵馬が飾られていました。航海の安全を祈願する絵馬が目につきました。案内してくれたボランティアのおじさんが気さくな人で、自由に中に入らせて見せてくれました。鐘楼の鐘もついていいですよというので、つかせてもらいました。
地元の人々にまもられている、素朴で、おおらかなお寺でした。
今日、まわった二つのお寺は、観光地化されていない、いいお寺でした。ここからバスで三河安城の駅に向かいました。新幹線は「こだま」にしか乗れませんが、「こだま」も乗ってみるといいものです。各駅停車になり、停車した駅では「のぞみ」や「ひかり」に抜かれるので3~4分停車しますが、その停車時間に駅の売店に行って飲み物やつまみを調達できるので、車内販売がなくなった「のぞみ」よりも快適でもあります。
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