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旅

2026年10月 2日 (金)

シルバー連休の混雑山陽地方旅行(3)~第3日目、9月22日(火)倉敷、後楽園

 倉敷の美観地区という、川沿いの道に江戸時代からの古い家並みが続く一帯を、朝から自由散策で見て回る。宿泊したホテルが、この美観地区の入り口に位置しているため、すぐにそこに行くことができた。古い家並みといっても、川越などと同じように、そういう雰囲気の外観の建物が続いていても中味はカフェや土産物店なので、前を通り過ぎる程度のもの。しかも、9時前に行ったところ、けっこうな人出がでていた。風情や情緒が味わうという環境ではない。とはいえ、私の目的は大原美術館。美術館に入ってしまえば、家並みなどは関係ない。しかし、美術館の前に、入場券を買うための行列ができていた。ただ、私の泊まったホテルは、クラレの系列らしくホテルで大原美術館の入場券を買うことができた。したがって、行列に並ぶ必要がなく、9時の開館と同時に美術館に入場することができた。美術館の感想については、後日、別に投稿します。観光客は、教科書等で見た絵や、モネの睡蓮の前で立ち止まる以外は、とくに足を止めることなく、通り過ぎていきがち。モネをはじめとして、日本でもよく知られた作品の前でも順番待ちの行列ができることはなく、人は多いが、マイペースで作品を見ることができた。それにしてもオールスター勢揃い。西洋絵画と日本絵画に分かれての展示で、メジャーの画家たちの作品が目白押し。その作品も、それなりの主要作であった。結果的に3時間近くの時間を費やすことになり、昼食の時間がなくなり西洋絵画と日本絵画に分かれての展示でそうになる。12時を過ぎて、美術館を出ると、集合が13時半なので、急ぎ、食べる店を探すことになったので、美観地区の散策の時間がなくなってしまった。今回の旅行では、大原美術館を見ることができたので、満足できる結果に終わることができた。
 この後、最後の立ち寄り先である岡山の後楽園に向かった。岡山駅の近く、岡山城に隣接する(城に住む藩主が見る庭だから)。旭川の河原にある駐車場は満車の状態。ここも混雑している。
 庭を囲んでいる松林を抜けると、広い芝生が広がる。それゆえ、解放的な印象で、庭園というより公園のような印象。枝ぶりのいい植え込みとか奇岩といったものは、見つからない。この庭の小道を巡るのは、公園をウォーキングするような感じがする。この庭園は、正門を入ってすぐ右手の延養亭という建物に藩主が城から訪れて、その庭を眺めながらリラックスするというものだろう。それだから、延養亭から眺められることを目的につくられたものではないかと思う。それだから、回遊式の桂離宮の庭園などとはちがって、仕掛けや演出のようなものはなくて、延養亭からゆったり広がって、のんびりできるようなつくりになっている、と思う。この庭園は、突出したものがない。ひっかかるようなものがない。そういう庭園であるように思う。だから、庭園としてのフォトスポットは見つけにくく、庭は何らかの背景になるような、そういうあり方であるように思える。
 これで、今回の旅行は終わり。あとは、すぐ近くの岡山駅から新幹線で帰るだけ。

2026年10月 1日 (木)

シルバー連休の混雑山陽地方旅行(2)~第2日目、9月21日(月)宮島

 朝9時に宮島のホテルを出発。ホテルを出て、すぐに渋滞に引っかかる。歩いて10分くらいのフェリーの駐車場まで20分以上かかった。シルバーウィークの中日、しかも天気は快晴ということで、朝から、かなりの人出があって、フェリーは増発するも満員。駐車場の順番待ちで車は渋滞。朝の初発から、予定は遅れ始めた。フェリーで宮島に渡ったら10時前になっていた。そこから大勢の人混みの状態。そして、厳島神社に参詣する入場券を買うための行列が延々と続いていた。そこに並ぶと、売り場の前まで何十分待っただろうか。当初の予定では1時間ほどかけてゆっくり神社を参詣し、そのあと1時間ほど自由に散策して昼食ということだった。しかしたっぷり順番待ちの行列を並び、そのまま行列に流されるように神社の建物内を進み(人混みにもまれ続けたというだけで、神社を見たという気がしない。したがって、何かを見たという記憶がない。人気観光地で有名な神社で、海に浮かぶ神社と聞いていた。たんに海辺に建てられているという立地が珍しいだけじゃないか…)、気がついたら出口。この時点で予定の昼食時間を過ぎていた。とりあえず昼食を食べたら、予定が変更になり、このあと1時間とすこ001_20261001234601  しの自由散策の時間を追加ということになった。それで、豊国神社(千畳閣)と大聖院に寄った。豊国神社は高台にあるので、厳島神社の本殿を見下ろすように全体を見渡すことができる。建物は漆塗りでないので、派手さがない。そのため簡素な印象。建物内は広く平らな空間で、来館者は思い思いに腰を下ろして、リラックスした雰囲気。高台に上がるのが億劫がられたのか、混雑はなく、ここではホッとした。フラットな広場のような室内に、太くて丸い柱が林立している様子は、まるで古代ギリシアや古代ローマの神殿のような開放的な空間は、日本的な神社の空間とは異質で。とても興味深かった。人ごみに揉まれて見た厳島神社の廻廊だけのような、室内に限っては狭苦しい、参拝する人のことはあまり配慮していない、いってみればセコさ感じさせるように見えてくる。この豊国神社で少し気分を持ち直してきたが、石段を下りると、また厳島神社の周囲の商店街の人ごみに遭遇してしまう。広い道は土産物店や立ち食いの屋台が並び、通過する人と買い物をするや立ち食いをする人でごった返している。そこから逃げるように、そこから見上げると目に入ってくるお堂に向かうことにした。坂道をあがり、白糸川にかかる小さな石橋をわたると大聖院の仁王門。いかにも古い寺という風情のこじんまりとした門。そこから石段を上がっていく。だから観光客の姿は少ないのかもしれない。石段の真ん中が柵のようになってい002_20261001234801 て、そこには摩尼車が並んでいる。チベット仏教などによくあるものだが、並んでいる一つの摩尼車を回した数だけ、お経を1巻ずつ唱えたのと同じ効果があるというものです。この石段を上がったところに仁王門を一回り小さくしたような門があり、そこを通ると、小さな広場になっていて、御朱印、おみくじやお守りの売り場で土産物店の休憩所のような空間。そのまわりを観音堂や勅願堂といった同じような手ごろなお堂が囲んでいる。コンパクトなアウトレットパークのような空間が作られているようで、巧いと思った。ひとつひとつのお堂は、たいしたことのないものだけれど、それが狭い空間に巧みに配置されることによって、人寄せの有効な装置となっている。さらに、そのさらに上の方の山間に山巡りのような小さなお堂が配置されている。インバウンドの外国人観光客が現代のジャポニズムというかエキゾチックな日本の神秘性とか気軽に言えそうなものをうまく提示している。バロック的とも言える厳島神社の派手さとのコントラストも計算されているようにも見えて、すごく軽薄に味わうことができて面白かった。
 帰りは、再び、行列を並んでの満員のフェリー、うんざりする。
 フェリーで戻ってきた時点で、予定より1時間半遅れ。ここから尾道に行くのだが、夕方になってしまうだろう。2時間近くかけて、尾道の市街地から坂道を上がり、千光寺公園。尾道の風景とすると、取り上げられることが少なくないロープ―ウェーで上がったところにある公園。そのせいもあって、バスは九十九折の坂道を上がったところに公園があり、瀬戸内海、尾道水道を、そして尾道の市街を見下ろす。高台の公園にはテラスのような展望台があり、そこに沢山の観光客。公園を回遊する散歩道は「文学のこみち」と名付けられていて、何かと思ったから、尾道に関係する小説家や歌人たちの文学碑が建てられているためだろうか。公園の名の由来となった千光寺は高台の崖のような斜面に張り付いたような寺で、市街地に近く、俗っぽく、“商売”といった雰囲気が、やたらに宗教的とか精神的な雰囲気を作らないところが何となく好感を持てる。とはいっても、公園も寺もわざわざ、ここだけに出かけるほどの場所といえるほどではない。
ここから、ホテルのある倉敷までは近くはない。明日のことを考えれば、仕方のないことなのだが。

 

2026年9月30日 (水)

シルバー連休の混雑山陽地方旅行(1)~第1日目、9月20日(日)平和記念公園

 東京は大型台風の接近で天気が崩れそう。ニュースでは外出を控えることを勧めていた。山陽地方は台風の進路からは外れるので、大丈夫だろうと出かけた。早朝の東京駅は旅行に出かける人々で混雑していた。私の乗車した東海道新幹線は指定席は全席埋まっているとのこと。静岡を過ぎたあたりで空が明るくなり、京都付近で雲の切れ間が現われ、広島に着いたら晴天になっていた。
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 広島駅からバスに乗り換え、平和記念公園に向かう。渋滞した道路で15分ほど、相生橋の途中で川の中洲にわたると<そこが公園の北側、平和の時計塔のところ。そこでバスを降りる。川の対岸には原爆ドーム。多くの観光客がいることに、少し驚いた。そのうちの大半が外国人観光客。慰霊と祈りの敬虔で静謐な場とイメージしていたが、人気観光地だった。平和記念資料館はチケット売り場の前に長蛇の列。資料館から国際会議場と横広に長い建物が、その長さゆえに突飛な印象を与えるが、その長さより長い列で並んでいる。それを見て、入場する気がなきなった。もともと、強く中の展示を見たいとは、それほど思ってはいなかったのも事実。資料館の前の献花台から戦没者慰霊碑、その先に原爆ドームが一直線に並んでいるのを実際に目の当たりにすると神聖な雰囲気を狙ったあざとさが目立って見える。不適切な比喩かもしれないが、ナチスドイツがニュルンベルクでの党大会をゲッペルスが演出しリーフェンシュタールが映像化したプロパガンダを思い出させる。それが私の印象。原爆ドームは一種のアイコンなんだろうと思う。物語から取り出して、この物体を、ただの物体として見ることは難しいだろうと思う。だから、今の私はこれを人寄せの観光資源として見る。それが一番問題が起きないだろうと思うからだ。
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 なお、公園内には、宗教やイデオロギーに関係なく種々雑多な慰霊碑があって、アナーキーな無秩序と言えるほど。その無節操さは好ましく思う。
 一方、小さな展示施設がいくつもあって、それらのいずれにもボランティアのガイドがいて、説明してくれている。親切なんだろうけれど、この人たちから感じられる使命感は、一体、何のためなのだろうかと疑問に駆られてしまう。自己満足ならいい、そのことを自覚しているならいい。そうでなければ…、誤解を恐れずに言えば、平和とか核兵器の惨禍を二度と起こさないとかいった大義名分を掲げるのならば、そのこと(語ること)の現実的効果、有効性を量ってやっているようには見えないからだ。非効率。もっというと無駄。だから」、見ていて痛々しくなる。
 まあ、今日の観光はこれだけで、早めに宿に着いて、温泉でゆっくりする予定なのだ。

 

2026年8月24日 (月)

猛暑の高野山・熊野三山と南紀(3)~第3日目 その他

 最終日は、ゆっくりとホテルを出発して、あらぎ島の棚田に向かった。和歌山県の有田みかんで有名な有田川をさかのぼった山あいの部落で、川がΩ字に曲がりくねった、典型的な穿入メアンダー地形の内側が舌状の台地となり、大小の水田54枚が階段状の扇形に形成されている。「国の重要文化的景観」に指定されているとか。でも、かつては、棚田で稲を作らなければならなかった。しかし、今は、その必要性はないのだろうと思う。その証拠に、残っている棚田は、このあらぎ島の部分だけで、その周囲にも、かつて棚田であった痕跡は見られたが、すべて放棄されて耕作されていなかった。おそらく、あらぎ島の棚田は棚田を守るために稲が作られているのだろうと思う。それって、何か矛盾していると思いながら見ていた。似たようなことは、能登の輪島付近の「千枚田」という名で有名な棚田があるが、あそこも景観とか文化の伝統を守るということで、耕作の必要がなくなっているのを、全国から寄付やボランティアを集めて、その保存のために稲作りをしているという。棚田は景観として見ると、美しいといえるかもしれない。しかし、そうまでして、無理してまで稲を作らなければならなかったのはどうしてかを考えると、そこに政治的、経済的な顛倒に思い至るわけで、それがなければ、却って、この地は山の豊かな恵みで暮らしてゆけたのではなかったのではないか。米を無理して作らねばならないかゆえに、そのために豊かになれず、不条理ともいえる棚田のような労苦ばかりの作業を強いられた。そういうことを考えてしまう。ここから、新大阪に出るという大回りして、新幹線で帰った。

2026年8月23日 (日)

猛暑の高野山・熊野三山と南紀(2)~第2日目 熊野三山

 連泊なので荷物を部屋において身軽に、朝8時過ぎに出発。本日観光する熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の三つの神社だという。三社は個別の自然崇拝に起源を持つが、三社の主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として信仰されるようになった、ということです。地図を見ると、三社はそれぞれ数十キロ離れた場所にあり、それらの間をつなぐのが熊野古道というわけです。おのおのの神社が単独で参詣者を得るには力が足りないので、三つの神社が提携して三社のセットで参詣するようにして、主要な顧客層である京都から遠路はるばる足を運んでもらって、神社ひとつでは物足りないだろうから、三つの神社をまわるようにして、那智の滝というプラスアルファを追加したというところでしょうか。たしかに現在の、それぞれの神社を単独でみると「こんなものか?」という物足りなさを否定できない。現在がこのようだからと、かつての姿は同じとはいえないでしょうから、留保はつきますが。
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 海沿いの南紀白浜から山に分け入っていく。音無川をさかのぼり、その本流である熊野川の谷間の道に出て、遡ると河原が広くなったとろが開けて集落になっているところ、その中央に熊野本宮大社がある。このツアーは有名な大斎原の大鳥居には寄らず(バスが通過したこ004_20260823232701 とも気づかなかった)、現在の宮の正面、ゲストハウスを兼ねている瑞鳳殿脇の駐車場で、バスを降りた。現在の宮の入り口である一の鳥居はすぐそこ。大斎原の大鳥居ほどではないが、それでも大きな木造の大鳥居。そこから石段を上がる。両側は杉が植えられているので、一見、森閑とした参道を行くような雰囲気。でも、どこか薄っぺらい。側の杉の並木の向こう側に道路が透けて見える。また、石段の両脇に並んでいる幟が、アピールし過ぎというか、うるさい。途中、右手に宝物殿(休日のみ開館らしいので、この日は開いていなかった)を過ぎて、石段上がりきると広場になっていて、御朱印帳の受付とかお守りの売り場がある。目立つのは八咫烏の旗。サッカーの日本代表のユニフォームに使われているようなデザインのイラスト。派手な色遣いとモダン風なデザインは、古い感じの神社の空気のなかで浮いている。これは、熊野速玉神社でも共通して感じられたことですが、宣伝(自己宣伝)が目に付くと感じられました。八咫烏の黒いポストなどという仕掛けは、話題作りのためのあざとさと感じられる。それほど広くない石段の上の1000001892 広場の奥は塀で仕切られ、門を入ると神域ということなのだろうか。この屋根付き土塀と檜皮葺の大きな屋根の立派な門は、京都御所の塀と門のミニチュアのように見える。神社の門と分かるのは、門に大きなしめ縄が渡されていること、大きな門幕が掛けられていることでしょうか。それにしても、門幕は大きい。そして、この門を入ると正面に塀があり、その奥に四棟の本殿が並んでいます。この四つの本殿がバラバラというか向きも違うし、二棟を兼ねているものもあるし、様式も違うというように、統一感がない、チグハグで、とにかく立派に見えるものをとりあえず持ってきたとでもいうような行き当たりばったりのような印象。そういえば、通ってきた神門は、前述のように御所風だし、塀越しに見える本殿の屋根は神いかにも神社風だけれど、柱や庇はお寺の装飾的な機構っぽく見える。そういうチグハグさが目に付く。それは無秩序にも見えるし、軽薄にも見える。それほど広くもない敷地にいくつもの祭神をあつめて祀ってあって、多けりゃいいってもんじゃない、といいたくなる。私の個人的な印象では、神聖さとか神秘性という空気はなくて、むしろ俗っぽくて、神聖にありがたさを演出しようとする意図があからさまで、かえって笑ってしまう。そんな印象でした。 1000001894 1000001900

  帰りは、石段を下り、宝物殿の少し下のあたりで右に小道が分かれていて、それが熊野古道の一部であると。でも石段の脇道だった。
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 次の訪問地である熊野速玉神社まではバスで1時間足らず。熊野川に沿って下っていく。このあたり川というのは、深い谷の底にあって、しかし、河原はひろくて、しかもかなり屈曲している。これは水量が多くて、流が急な暴れ川なのだろう。それをダムや堤防で無理に抑えること1000001902

はできなくて、もともとの流れを尊重せざるをえないのだろうと思われる。それだけに、川沿いにバスで通りながら見える川の景色は、関東地方で見られる景色とはかなり違っていて、一見穏やかなのだけれど、その奥底に激しさが垣間見えるような印象。熊野神社などよりも、この風1000001904 景の方がよっぽど神聖な感じがする。熊野神社のご神体とは、むしろ、この熊野川そのものではないかと思えてくるほど。新宮市の街中に入ったところで熊野速玉神社に到着。バスの駐車場は神社の横手なので正面の鳥居をとおらず、直接、神門から境内にはいる。神門と塀は、熊野本宮大社が土塀に木造の白木が風雨で古びた感じになっていたのに対して、漆の赤が鮮明で、塀はいかにも神社の塀という印象。熊野本宮大社よりもコンパクトな境内。神門を入ると正面に拝殿とそこかに延びる塀を隔てて本殿の対物が四棟並んでいる。ここも、熊野本宮大社以上にとりとめのないほどバラバラな建物。それが、漆塗りの鮮やかな朱が軽薄さというか、さらにいうと安っぽい感じを起こさせる。さらに、説明やら幕やらがうるさいほどあって、ほとんどありがたいさを感じない。やっぱり俗っぽいというか。かつての昔はどうだったのか分からないが、現代では伊勢神宮とか明治神宮とか売れている神社があるので、それに負けないように、客寄せに必死になっているという印象。
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 昼食の後、バスは海沿いの道をしばらく走り、川を遡るように山間にはいってゆく。熊野古道大門坂の広い駐車場で降りて、遊歩道のようになっている(駐車場には、この道を歩く人のために杖の貸し出しが無料でされていた)。いちおう林間の整備された階段の道。10分ほどあるいたところで、待っていたバスに乗り、九十九折の道を上がったところが那智の滝の駐車場。いちおう熊野那智大社の一部ということになっているらしい。駐車場といっても大型バスは2台くらいしか停まれない狭いスペース。駐車場でバスを降りると、すぐ那智の滝の入り口の鳥居が1000001912 あって、河原におりるための石段が始まる。さすがに昔からの名所なので、こういうところは整備されている。石段をおりていくと正面に那智の滝が見えてくる。アングルもちょうど正面で、滝の全容がちゃんと見えるようになっている。うまく見栄えするようにできている。見る側は林間の陰にいて、そこから見上げる滝は陽の光を浴びて明るく映える。こんなに明るい滝は珍しい。これは天然の観光地になっている。日光の華厳の滝のように滝を見るために断崖にわざわざエレベーターを作ってでしか生きことのできない滝見台をつくる必要がない。石段を下りれば、誰でも滝を見ることができる。これは、滝がすばらしいこと以上に、容易に滝を見ることができるシチュエィションが素晴らしい。それだけ、那智熊野大社がロケイションに恵まれているということだ。滝は断層による断崖を川の流れが垂直に落下する。ただ、崖の高さに対して滝の水量は少な目のようで、滝の水はすべて滝壺に落ちるまでいたらず、多くは途中で拡散しているようにみえる。それゆえ、滝の落ちる音は、見ている方には爆音のようにつたわってくるということはなく迫力を感じるというほどではない。それゆえ、少し離れた感じで、滝の姿を絵画のように鑑賞することができる。いわば、墨絵のような静かな風景。300円の入場料を払って、御瀧拝所舞台にいくと、テラスのようになっていて、より間近に滝を見ることができる。延命長寿の水とも伝えられている那智御瀧の瀧壺の水を飲むこともできるという。ご利益としてうまく利用している。滝周辺は、鳥居の内側の、いわば聖域ということで、土産物店やレストハウスのうるさい店も、一応ない。神社の社務所を兼ねた、お守りやおみくじはあるが・・。駐車場にもどり、あらためてバスに乗り、たった数分で熊野那智大社の駐車場(といっても土産物店の駐車場)に着いて、バスを降りる。境内図では左下の郵便局のマークのあたりに、その駐車場はあって、そこから石段を上がり、はるか上に見える本殿を目指す。熊野三山の各神社を巡ってきましたが、面白いことに、これらの神社には門前町のような、土産物店やレストハウスが並んでいるところがありませんでした。これは、特徴的なことかもしれません。平安時代には、すでに京都の皇族や貴族が参詣しに来たという古い観光地であるはずなのに、そういうのに対する民間の施設が、あまり整っていない。庶民を相手にしていなかったということなのか。江戸時代に庶民向けに“お伊勢参り”のブームを作り出した伊勢神宮のように積極的なマーケティングをしなかったのではないか、と思った。ここでは、上りの石段そして坂道に沿って点々と硯を売る店や茶店がある。でも門前市とか門前町というほどでもない。汗をかきながら小高い丘に熊野那智大社の大きな赤い鳥居があって、そこを入ると境内。鳥居を入って右手に朱塗りの本殿がある。ここもそうだが、熊野三山の神社は多く1000001920

の神様を祀っている。おそらく、この信仰(と言っていいのか分からないが)は「何とかのみこと」という具体的な神を対象にしたものでしなくて、山とか、滝とか、川とかいったものを崇め畏れていたのではないか。「何とかのみこと」は後付けで、そういうことにした。そして、そういう信仰は体系化されたものであったわけではなく、天照大神とか伊弉冉尊といった神々は古事記の物語のように体系化されたものではなく、それぞれに別個にあって、あとづけで体系を作られた。その結果が古事記だったのではないか。だから、この熊野三山のように神々の体系を考える前に、ありがたいからと無節操に次々と「何とかのみこと」を神社に取り込んでいった。いわば、スーパーマーケットのようなもの。1000001926 熊野三山を見ていて、そんなことを考えた。これは、いわゆる概念としての「宗教」とはちょっと違うのではないかと思う。おそらく、この体系化においては仏教の体系的な思考方法の与るところが大きかったのではないか。神仏習合というが、それがあって、はじめて神道という体系化されたまとまりが可能となったのではないか。ここで熊野の神社をみていると、そういうことがあからさまで隠されていないというか。考えさせられた。この本殿のすぐ裏手に青岸渡寺がある。こちらの建物の方が古い感じがする。建物や本尊を単独で取り出して見て、どうこう、というのではなく、この場所にあるということが、その価値の根源であると思う。熊野の神社もそうだが、これが東京の町中にあったとしたら、たぶん陳腐な神社、寺ということになってしまうと思う。そんなものだと思った。おそらく、ここはバスのような交通機関でスッと来て、神社や寺を見学するというものではなくて、熊野古道とまではいかなくても、この場所を歩くようなゆっくりとしたペースで、場所を味わうべきところであるように思った。

 

2026年8月20日 (木)

猛暑の高野山・熊野三山と南紀(1)~第1日目 高野山

 今回申し込んだツアーは、季節にかかわらず年間何度も行われているようで、募集が始まるとすぐ満員になってしまう人気のツアーらしい。しかし、今回は8月の猛暑の真っ最中だからだろうか、比較的空いていたようだったので、申し込むことができた。実際に参加してみたら、参加者数は18名と少なかった。男女比はちょうど半々。珍しく男性が多い。
 早朝の8時過ぎ、東京駅から新幹線に乗る。学校は夏休みに入っているので混み合っているかと思っていたら、思いのほか空いていた。駅のホームには人影はまばら。おかげで、新幹線は快適だった。新大阪で下車、バスに乗り換えて、高野山へ向かう。大阪から南下するコースだが、高野山まで100分を超えた。移動だけで結構疲れた。
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 かつらぎから高野山に向かう。つづら折りの急登。バスの揺れで、車酔いしてしまいそうなほど。坂を上りきると高野山の境内の町並み。まずは奥の院へ。中の橋駐車場でバスを降りると、案内人が待っていた。ボランティアのような中途半端なものではなくちゃんとしたガイド。高野山が観光地として洗練されたとこであるということがよく分かった。宗教的な聖地などというものではなく、産業としての観光を洗練させ効率的にさせた一種のテーマパークと思える。昔なら境内への入り口である大門から壇上伽藍を通って1.9キロの道を歩くものだった。自動車などなかった前近代では、京都などの近畿圏から徒歩でつづら折りの山道を上り、ようやく境内にたどり着き、そこからさらに奥に1.9キロの道。それが今日ではバスでそれらをパスし奥の院の手前、中の橋までいけてしまう。そこまでの道路は狭い道ながら、高野山の塔頭の間を縫うようにして、その雰囲気を壊さないような境内の町並み(門前町とはいえない)が、ちょっと古びたというか田舎の素朴なという雰囲気をつくり、日本人にはノスタルジックな、外国人にはサムライのエキゾチックな雰囲気をつくり、それが絵になっている。こんなことは京都でもできていない。結果的にこうなっているのだろうが。とくに、ここを訪れる外国人は、中国人はほとんどいなくて、欧米系が大半をしめるというのもわかる気がする。しれは、歴史的にも高野山は、比叡山(延暦寺)や南都の寺院(興福寺)などと違って、時の権力との距離を巧みにとって力を衰えさせることがなかったということにも通じているように思える。洗練された身の振り方という点で。要領がいいのだ。空海という人への、私のイメージでもある。
1000001875  奥の院とは、端的に言えば空海の遺骨を祀る納骨堂が神域としてあって、そのまわりに有力者や組織集団の墓碑が並んでいる、今日でいえば青山墓地や多摩霊園のようなものだ。それが紀伊の鬱蒼とした針葉樹の大木の森(それだけで神域のような神々しい雰囲気)に墓碑の石柱が並び、古いものは苔むしている。ガイドは、これは織田信長とか、豊臣兄弟とか誰々の墓という説明を面白おかしく説明していく。このような歴史的有名人の墓碑は奥の方で、墓碑だけで遺骨は別(だいたいは地元にあるが、これに対して中の橋付近は新しめというか企業が亡くなった社員や関係者の墓が並んでいる。そのような企業の墓は代表的な商品がデザインされていて面白い。なかには震災の犠牲者や戦争の戦死者の慰霊の墓碑もある。それらは宗教や宗派は関係なく、例えば親鸞や法然の墓碑もある。葬式仏教というもののルーツは、このあたりにあるようにも思えてきます。
1000001879  おそらく空海から弘法大師と一般に呼ばれるようになるプロセスで宗教家・思想家あるいはオーガナイザーから衆生をわけへだてなく救済するヒーローに変質していったのだろうか。それに応じて空海の創った組織である高野山も外面を変化させ、中身もそれに引き摺られるように変質していったのだろうか。それゆえでしょうか、御廟の橋を渡ると聖域ということで帽子を脱がなければならないとか撮影禁止とかされていて、それらしい雰囲気はあるのだが、どこか人工的なつりものめいたギミックな印象がつきまとう。たとえば、この聖域のメインの建築物である弘法大師御殿は鉄筋コンクリートで、室内はエアコンがきいている快適な空間なのだが、外見は古い由緒ある建物に見せている。例えば外壁の色はくすんだ古い建物の色を模している。この建物の裏手に弘法大師の霊廟があるのだけれど、そのつくりは神社の奥の本殿そっくり。神仏習合をうまく使っているのでしょう。そのご都合主義的なギミックさは大衆受けは、中世以降の高野山が生き残るkとができた理由のように思えてくるのです。実際のところ奥の院の建築物に見るべきものはないと言い切ることができます。あるのは、山奥の深い原生林のなかに墓碑が散在する石畳の道を歩くという非日常な雰囲気だけだと思います。そこに神秘をみるのは好みの問題です。少なく私はギミックさを強く感じました。空海という人は、日本では希少な独創的な思想家であると思っているので、その跡はこんなものかと呆れたというところです。
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1000001887_20260820225901  奥の院を一通り回ったら、バスで壇上伽藍に向かいました。もとの高野山のオリジナルなところということらしい。しかし、盆地の狭い場所で駐車場をつくるスペースがなくバスを長時間置けないのか、計画の都合上時間が少なくなっているのか。いずれにせよ30分にも満たない時間しかありませんでした。しかし、それがよかったと思います。建築としては陳腐で、じっくり見るようなものではないから。有名らしい真っ赤の大塔はコンクリートのギミックものだったから。メッキが剥がれる前に、それらから離れてしまえばいい。まあ、こんな山奥の辺鄙で不便なところで凝った建築などできるものでないことは容易に想像がつきます。
 これで、空海については彼の思想を追いかけるだけで十分だと思います。高野山は見る必要はないということを実感できました。
あとは白浜温泉の宿にむかうだけです。

 

2026年5月19日 (火)

ゴールデンウィークの花の奈良(3)~第3日目 長谷寺、室生寺

 3日目の今日は最終日。山の中の寺院をまわるので、2カ所。それで、東京へ帰る。最初の訪問先は長谷寺。昨年の11月、紅葉の季節にはじめて訪れてから、まだ半年しか経っていないのに、これで3回目。けっこう、勝手知ったるになっていると思う。紅葉の秋、冬枯れの静けさ、そして今回は花の季節という。バスは奈良の市街から1時間ほどで山間部に入り、長谷寺が近い。まだ、朝というに、花の季節は訪れる観光客も多いようで、狭い駐車場は案内係が何人も出て誘導している。ここは、駐車場のスペースが限られているため、観光バスは寺の近くでいったん乗客を降ろし、すこし離れたところに停車する。帰りは、その離れた駐車場まで行かなければならないので、ややこしい。
1000001570  長谷寺の仁王門の前は広場になっていて、そこから高い石段の上に見上げるように建てられているので、長谷寺のなかでも一番威容のある建物だと思う。仁王門をくぐると、すぐに登廊が始まる。ここが長谷寺観光のメインだろうと思う。四百段ちかい石段に屋根つきの廊下となっている。その両側、廊下の外には花が植えられていて、来た者の目を楽しませる。名物の牡丹は例年なら、今頃が盛りということだったが、残念ながら、今年は開花が早く、今日の時点で散ってしまっていた。しかし、登廊の石段に鉢植えの牡丹を、いくつも置いてあった。外の花壇の牡丹が散ってしまったので、花の咲いている鉢植えの牡丹を調達してきて、観光客にサービスしているというのでしょうか。何か、わざとらしいというか。正直、この登廊は行き来する人が多く、その真ん中に多くの鉢植えが置かれているので、通行の邪魔です。この光景を撮影しようと、突然立ちどまる人が後を絶たないので、歩きにくいこと甚だしい。庭に植えた牡丹なら、今年の花は散っても根づいているので、来年も咲きますが、鉢植えの方はどうなんでしょうか。そんなことを考えていたら、空しくなってきた。1000001572 大きく三段に分けられる登廊の下段を上りきって、右に曲がるところ、正面の小さな石段、そこを埋め尽くすように鉢植えの牡丹が置かれている。撮影ポイントなのでしょう。たしかに映える風景です。が、刹那的という言葉が思い浮かびました。登廊の中段、上段は本堂を見上げながらの上がりです。本堂は京都の清水の舞台を思わせるような崖から舞台のようなテラスがおおきな建物です。しかし清水寺のように舞台の全容を眺められるような、ちょっと離れた同じ高さの場所がなく、下から見上げる場所もないため、全容をみることができず、その建築を見る機会がありません。なお、遠くならば、仁王門に近い本坊から遠く見上げるように望むところからなら、舞台の全容を見ることができる。しかし、遠目にみるので、迫力という点は欠ける。さて、本堂では本尊の特別拝観をやっていた。11月の時に見てきたが、今回はかなりの人の行列ができていたので、今回は遠慮した。本尊の木像の足を触るだけだもんね。足元から見上げたときの迫力を感じるのは捨てがたいものではありますが。でも、今回は本堂の通路をとおって、本尊の観音像を見ていたら、照明が当てられていたのに気づいた。前回、そんなことあったっけ。堂内は薄暗かったように覚えている。そのおかげで、観音像の両脇の雨宝童子立像と難陀龍王立像に照明が当たって、これまで、その存在すら気づかなかったのを、よく見ることができました。像としては中央の十一面観音像より、こちらの方が出来がよいのではないか。写実的だけれど愛嬌がある。今回は、この両像をしげしげと見ることができたという収穫がありました。昨日の雨が嘘のように晴れた天気で、本堂の舞台から見下ろす風景は、雨の水分を含んで瑞々しい山々の新緑の風景。寺をみるより、こっちの方が見ごたえがある。
1000001576  さて、本坊の特別公開があるようで、11月にきたときゆっくり見ることのできなかった、長谷寺の縁起絵巻をじっくり見たいと思うので、このへんできりあげて、そちらに向かう。本堂を過ぎると、他にもいくつもの建築がありますが、私には、じっくり見るほどのものでもない。ただ、行く人があまりいない、遠回りとなる回遊コースは静かで、本堂を遠望できるし、なによりも森の中を散歩するように歩けるので、とくに見るものはないけれど、長谷寺のなかでは一番心静かに落ち着けるところです。ここは、お寺なのだと感じられるというか。そこから坂を下ると本坊があり、特別拝観の500円を別に払って、見学します。長谷寺の縁起は、絵巻物が5巻あって、それを全部展示すると長い廊下を行ったり来たりして見ることになります。それでも、描かれている絵は細かく丁寧に描き込まれていて、描写も分かりやすい。さすがに文字の部分をひとつひとつ読んでいる時間はありませんでしたが、それぞれの絵をゆっくりと見ることができました。
 1000001583 次の目的地は室生寺。山中の細い道をバスで行きます。室生寺の門前の旅館で山菜の昼食。ここも長谷寺と同じように、それ以上に山間の狭い土地なので、バスの停められるような広い駐車場もなく、寺の門前といっても参道の両側に1軒ずつ小さな旅館があるくらい。室生寺には太鼓橋をわたって、川沿いに進み仁王門を入ります。そこから、山の中腹に散在するお堂を目指して石段を上がっていきます。この石段は長谷寺の登廊のように整備されていないし、屋根もないので、昨日の雨で濡れたのが、ところどころ乾いていなくて、足元に注意しながらの上りです。まずは奥ノ院までいくので、五重塔のでは帰りにゆっくり見ることにして、奥ノ院に向かいます。このあたりの石楠花は盛りをすぎて散り始めていますが、五重塔の先の奥の方は、まだ残っていました。鬱蒼とした森のなか、長い上りの石段がのびていて、そこに点々と石楠花の白やピンクの花が、まるで山の深閑とした風景のアクセントとなっている。そこを上っていくのは、足元も不安定ですが、けっこう疲れます。でも、これがあるから室生寺はいいんですよね。何か、深い森に分け入っていくというような、ちょっと神秘的な雰囲気。これは、他の奈良の寺では味わえないものです。上った先の奥ノ院の建物とか仏像とかは、それほど見たいと思わせるほどの立派なものはないんですが、ここに行くまでのプロセスというか、行くところの雰囲気、空気が、室生寺の最大の魅力ではないかと思います。これは、写真などでは伝わりません。まさに空気です。触れて感じられるものです。だから、言葉にもできないんです。
1000001590  で、引き返して、五重塔から見ていきます。山間に建つ、小さな塔です。他の寺の五重塔にくらべて一番卒塔婆という感じがします。小さいゆえに、チャチな感じもしないではないのですが。石段を下りて、本堂はお寺というより庵のちょっと大きいという感じ。靴を脱いで堂内に上がります。本尊の如意輪観音菩薩像があります。床は板張りですが、小さなベンチがあるので、そこに座って、ゆっくり見ることができます。蓮の花の上に乗って片膝を立てているポーズはチベット仏教みたい。正面から座っていたりする日本の多くの仏像からは珍しい。さらに石段を下りて、金堂は、小さな舞台のようなテラスになっています。山肌に貼り付くように建てられている。外回りの廻廊のようになっているテラスから内部を見ることもできますが、特別公開で靴を脱いで堂内に入ることができます。200円の特別拝観料を払うとスマートフォンでの撮影はOKとのこと。堂内には撮影禁止の掲示がありますが、どういうことなのでしょう。200円払ったからOKなのかな。釈迦如来蔵。ここも大日如来ではない。真言宗は大日如来だとばかり思っていましたが、高野山だけなのでしょうか。曼荼羅に1000001595 あるように、宇宙(コスモス)として認識するので、宇宙全体を統べる大日如来が真言宗のシンボルと思っていたのは間違いだったのでしょうか。この仏像は写実的な鎌倉物とも、ちょっと異国風な飛鳥や奈良の仏像とも違います。ちょっと平板にところが特徴的でしょうか。ここもベンチがあったので、腰かけて、しばらく仏像を眺めていました。室生寺は、とくに訪れる人が少ないというわけではないのですが、それでも静かで落ち着いた空気があります。山間部にあるからでしょうか。金堂をでての帰り道、仁王門の前のところで、野点のお茶を開いていたので、こんなことは珍しいのですが、一服お願いしました。自作の茶碗に蓬餅とともにいただきました。
 これで今回の観光はおしまい。あとはゴールデンウィークの帰宅ラッシュが待っています。

 

2026年5月17日 (日)

ゴールデンウィークの花の奈良(2)~第2日目 唐招提寺、薬師寺、長岳寺、春日大社

1000001524  2日目は8時15分出発で、唐招提寺に向かいます。8時半には南大門を入る。東大寺ほどではないにしろ法隆寺も豪壮で立派で、人を圧倒するような迫力があって、寺に入る前に身がすくむというか、畏敬を強制されるところがあります。ところが、この唐招提寺の南大門はそういうところが少なくて、構えることなくスッと入って行けます。東大寺や法隆寺は二層になって背が高いのですが、この門は一層、平屋で、そのため横に広くノッペリとした感じがします。仁王像もない。単に屋根のついた門というだけ。それで威圧感が少ない。門の外は普通の通りで自動車が通り過ぎ、門前には普通に民家が並んでいる。土産物店も飲食店もない。そんな普通の町にぽっかり寺があって、南大門はその境目でしかない。そんな感じです。でも柱は法隆寺みたいにエンタシスしていたし、とても面白い。ただ通り過ぎるだけではもったいない。南大門をはいると広い参道がまっすぐ正面に金堂が先に見えます。屋根の先端が曲線を描いてキュッと釣り上がっているように見えるのは中国風のテイストでしょうか。1000001526 この金堂も平屋です。唐招提寺は五重塔もないし、背の高い建物はないんです。これは、法隆寺や薬師寺と異質の発想ではないかと思います。それが、この寺を法隆寺などより地味な存在にしている理由の一つかもしれません。金堂の中へは入れませんが、土台に石段を上がると金網を張ってある窓越しに中の仏像を見ることができます。昨日見た鎌倉時代の写実的の仏像とは違った奈良時代の古代の感じです。その顔も、中国風というか西方の風味がします。木心乾漆によって制作されているとのこと。木彫の表面に木屎という木粉の練り物で塑形しているという。そのうえに金箔が貼られて、輝きがあるというわけ。ただし、金箔はところどころ剥がれて、ところどころ素地が露出している。それが全体に渋味を帯びた味わいが深い。とくに向かって左の千手観音像は大きく、手が本当に千本あると思わせるほど、まるで鱗のように手が生えている。その一種毒々しいほどの異様にも見える姿は、神々しいというよりは、過剰なもの、非常識なものを見せられたような印象。光背とか仏像を納める厨子とか壁画のようなものもなく、ただお堂に置いてあるというシンプルさが、却って仏像そのものが直接、見る者に迫ってくるような感じがします。ただ、この寺だからこそ思うのは、仏像って本当に必要なものなのか、ということです。寺というと仏像があるのは当たり前というのが常識的な見方なのかもしれません。しかし、そもそも仏教とはゴーダマ・ブッダが輪廻という宿命を脱した、それが悟りということで、彼のメソッドをフォロワーたちが見倣ったものだろうと思います。そこに仏像とか、神様みたいな如来とか菩薩とかなんとか天とか関係ないはずのものです。あとから、教団という組織ができて、その経営のために、人集めとか金集めの有効なツールとして広まったものだろうと想像できます。だから、檀家という信者、収入のためにあるいは観光収入のために寺という建築物や仏像というシンボルが必須だったりするのは分かります。そこで、唐招提寺の宗派である律宗というのは戒律の研究と実践を行うための宗派です。ここに仏像というシンボルの必要性はあるのでしょうか。寺は研究の場が必要のはずで、唐招提寺というのは、そういう場ではなかったのか。研究や実践に仏像なんて邪魔なのではないか、と思ってしまうのです。このごろ、奈良や京都の寺社巡りを始めた者が、こんなことを言うのは変かもしれませんが、寺を回っていて仏像を見るたびに、そういう疑問が徐々に大きくなってきました。仏像は本来仏教というかブッダの考えとは無関係なもの、別なものではないかということです。
1000001528  金堂から左の奥の戒壇院に向かいます。人影の少ない早朝の唐招提寺ですが、このあたりは誰もいません。でも、唐招提寺の創建の経緯から見ても、ここはこの寺で一番大事なところではないかと思っていました。正式な僧となるには戒壇を修めなければならず、奈良時代初期までで戒律が伝えられていたものの、不完全なものでその意義が十分に理解されずに一部の寺院における研究に留まり、授戒の儀式も行われていなかった。つまり、日本の国内では正式な僧とはなれなかった。それで鑑真が唐から日本に来て、初めて正式な戒律を授けることができるようになった。唐招提寺は、その鑑真を継承して戒律を授けるという実践と研究の機関として、後進を育成したというわけです。だから、戒律を授ける場としての戒壇院は唐招提寺の中心機関であるはずと思っていました。期待していったら、建物はなくて、土台しかなかった。ショックでした。それから、唐招提寺は、私には廃墟に見えてきたのでした。
1000001530  気を取り直して、講堂へ、正面からは金堂の裏手になります。この講堂は平城宮朝堂院朝集殿を移建し改造したもので、奈良時代の宮殿建築遺構としては唯一のものだそうです。講堂というと、法隆寺とここぐらいとか、当時のものが残っていないそうです。弥勒菩薩の仏像が安置されています。金堂の三尊像とくらべても弥勒菩薩は遜色のないものだと思います。とはいえ、もともと、このお堂は仏像が置かれるようなところではなかったではないのでしょうか。講堂は、その名の通り講義堂です。繰り返すようですが、鑑真来日の目的は日本で戒律を広めることであり、そのためには正式な僧侶になるための戒律を授ける戒壇の整備と、さらに戒律をうけた僧の修行・教育が必要でした。その教育の場が、この講堂だったというわけです。ですから、ここには机とか書棚といった学校の教室のようなものだったように想像します(現代の学校の風景をそのまま投影していますが…)。そうでないので、ここは講堂としての機能を失ってしまった。廃校、つまりかつて学校だったものの残骸でしょうか。これが、他の寺院のように観光地として見世物化されていれば。そういうものとして見るのですが、それほどあからさまに見世物化されていないのをみると、却って廃墟感が見えてきてしまう。この後に見た薬師寺なんかと比べると、静かで、心洗われるような清澄な空気があって、いいと思うのです。でも、それだけに…と思うのです。
1000001534  講堂の裏に回り、開山堂にいくと、鑑真和尚像のレプリカがガラスケースに納められているのを見ることができます。日本史の教科書に写真が載せられているあれです。実物は非公開だそうです。古い像なので保存のためということでしょう。それから、新宝蔵に200円払って入りました。金堂の瓦だの、古くて朽ちてしまった仏像などが展示されていました。ちゃんとした姿をしているのは週一面観音菩薩像で、目尻がうねる優美な表情と細身の体型が特徴で、胴体が不自然なほど長い、法隆寺の百済観音を思わせるプロポーションで、日本ではなくアジア的な風情です。境内から、ちょっと外れたところ、奥のほうに鑑真和上御廟が、苔むした森の道を行くのが、深閑とした雰囲気が深山に分け入る風情がとてもよかったです。人の姿もない。時間の余裕があれば、ここでしばらく心静かに時間を過ごしたかった。
 ここ唐招提寺は、半世紀前に高校の修学旅行で訪れたはずなんですが、全く記憶が残っていませんで、初めて訪れたのと同じでした。
1000001542  次の薬師寺へはバスで10分ほど。唐招提寺とは雰囲気がガラッと変わります。バスが駐車場に入るときから、ここは観光地だとハッキリわかるし、そのように整備されているのがよく分かる。朝の10時というのに駐車場にはたくさんの自動車が駐車しており、すぐ横を鉄道が通っているせいもあって、人出は多いです。南門に拝観受付がありますが、門の上には東西の塔がそびえるように見えます。回廊で囲まれた伽藍は中門から入りますが、漆の朱が映えている。中門は唐招提寺の南大門と同じ平屋ですが、こちらは朱が鮮やかだし、両脇に金剛力士像がカラフルに色塗られていて、派手です。東大寺の金剛力士のような力強い迫力のあるのとは違い、ユーモラスな像です。中門をはいると一面と芝生と石畳の通路がしらえてある広場に東西の塔と、真ん中に金堂、その奥 に講堂が配置された大伽藍があります。半世紀前に修学旅行できたときは、だだっ広い広場で東塔はありましたが、西塔は立っていなくて礎石があるだけも廻廊などももちろんない。そこに団体旅行の集団がいくつもいて、それ1000001546 らを各僧侶がガイドさんになって引き回している光景を覚えています。僧侶のガイドは手慣れていて、時折ギャグを交えながら、気が散り易い高校生の注目を逸らせませんでした。修学旅行のときは列を崩すなとうるさく言われ、前の人についていって順番に見ていったのでした。今回は、一人で好きなように気儘に見ることができます。塔の内部は、見たことがなかった。とうのてっぺんの水煙、ブルーノ・タウトが“凍れる音楽”と言ったとかいうのは、今は、あまり写真などで紹介されることはないようでする。日本のお寺は五重塔が大好きですが、ルーツは法隆寺なんでしょうが、塔を寺のシンボルのようにして、広く人々に売り込んだのは薬師寺の方でしょう。法隆寺に比べて漆喰壁の白が目立つような気がします。裳階の部分で面積が広がっているのも、漆喰の白い部分の面積が大きくなり、壁全体が白を基調として、そこに漆で朱になった木製の柱が白地にくっきりと浮き上がる。そもそも、薬師寺が本山となっている法相宗は、中国の唐の時代に玄奘三蔵がインドから帰国して唯識を中国にもたらしたものを継承するような宗派といえます。唯識といえば無です。それが、どうして物体としての建築や仏像に熱心なのでしょうか。唯識ということなら「無」です。それが建築などの物体に執着しているようで、それが玄奘の持ち帰った唯識の理念とは正反対です。
1000001544  そして金堂。ここに薬師三尊像があります。金堂では、白鳳時代の傑作とか。ちょうど、法話として僧侶が説明をしていました。やっぱり話が上手です。両脇の日光菩薩、月光菩薩は腰をくねらせている姿勢がミロのヴィーナスにも通じる理想の身体としての写実美であるとか。これと、伽藍の外にある東院堂の聖観音菩薩立像が、金堂の薬師三尊像と同じ様式で揃っているという感じです。この仏像を囲むように四天王像は鎌倉時代のダイナミックでリアルな肉体表現であるのと、チグハグで、バランスをとれられていないところが、かえって面白い。この東院堂の建物は漆が剥がれてしまったのか、黒い木地がそのまま出ていて、塔や金堂より渋い感じです。私の好みでは、ここが薬師寺では、一番良かった。講堂の裏に土産物店兼休憩所となっている食堂を抜けて、白鳳伽藍を出て、道路をわたり玄奘三蔵伽藍に向かいます。以前に訪れたときには、そんなものはなく、初めてそんなのがあるというのを聞きました。まあ、法相宗の始祖が玄奘三蔵ということからなんでしょうが、玄奘三蔵は、西遊記分かりやすく言えば孫悟空の主の三蔵法師のことです。そっちの方面で客寄せにちょうどいい、などと妄想をしてしまいます。結局は、この伽藍に入ることはできませんでした。拝観受付のときに一般の入場券の他、特別拝観の入場券を別に買わなければならず、この伽藍のところではそのチェックだけしていて、特別拝観の入場券を持っていないので入れませんと告げられ、すごすごと引き返したという次第です。大音量でJPOPを流していて、お寺というよりイベント会場のような雰囲気でした。薬師寺は寺院というよりはテーマパークのような印象を持ってしまいます。
1000001552  薬師寺で午前中の見物は終わり、昼食の後、午後は長岳寺に向かいます。薬師寺や唐招提寺のある西の京からは離れたところ山の辺の道にあります。山の辺の道の途中にあるような寺なので、駐車場も狭く、団体ツアーの行くような寺ではないとのことですが、自動車のすれ違いができないような細い道を進むと、山を切り開いたようなところでバスを止めます。そこから素朴な門を入り両端に生垣が続く道をしばらく行きます。生垣はつつじなのですが、いつもならちょうど満開ということなのですが、今年はいつもより開花が早く、花はだいぶ散ってしまっていました。整備された生垣ですが、どこかわざとらしいというか、これって意味あるの?と訝しく思えてしまう。客寄せというか、花の寺とかいって、他の寺から差別化して、メディアに取り上げてもらい、観光客にアピールしようとか。曲解かもしれませんが、そういう想像を止めることができませんでした。そこから民家の間を抜ける、武家屋敷の白い土塀が続いているような長い参道を行くと、拝観受付が見えてきます。そこから左に庫裏(地蔵院)をみて正面に鐘楼門があります。広さはないのですが背の高い門です。上層で鐘を吊っていたので鐘楼門というのだそうです。現在は、ここには鐘はありません。この門を入ると左手に本堂があり、靴を脱いで中に入ると、ボランティアの人が案内してくれて、住職が法話をしていました。袈裟を着ている僧侶という格好ではなく、作務衣を着た寺男のような格好で結構、話は長い。しかも、南無阿弥陀仏とか悪人正機とかでてきて、ここは浄土真宗の寺だったっけ、この寺は真言宗ではなかったの?宇宙論とかそういうのではないの?とちょっといぶかしく思いました。本尊は阿弥陀三尊で、中央が阿弥陀如来が蓮の花の乗った坐像で、両脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩は蓮の花の上で片膝を投げ出しているのが面白い。平安仏から鎌倉仏の過渡的な様式、あるいは鎌倉仏の先駆と説明されていました。そんなに写実的ではないのに、玉眼を使用しているところがそうだということです。真言宗って大日如来でなかったの?宇宙論というか、その全体を統べる秩序(コスモス)としての大日如来。1000001554 それが、この寺は、阿弥陀如来。阿弥陀如来は死後の世界を象徴するということらしい。でも、真言密教は唯識を突き詰めた思想ではなかったっけ。死後の世界とか、まるでブッダが否定した輪廻ではないか。と突っ込みたくなる。本堂を出ると石段を上がり奥に進みます。ちょっとした広場になっていて左に大師堂があります。ここから林の中を回遊するようになっていて、まわり込むと、さっき見た本堂の前にある放生池の対岸にでます。ここでは池越しに本堂を見ることができます。ちょうど今、カキツバタの紫色の花が盛りで池の3分の1ほどを占めて、さらに池の周囲にツツジの花が最盛期を過ぎたとはいえ未だ残っている。カキツバタの紫とツツジの紅の対照と、その奥に鄙びた本堂が見える。このような落ち着いた風景は、なんのかんの言っても、こういうのは心を落ち着かせる。帰りは鐘楼門を出る。ここで、来た時に左に見て通り過ぎた庫裏、地蔵院に寄ってみた。書院造の建築ということだが、こじんまりした山荘のような雰囲気。ただ玄関は唐風の屋根が突き出たようなので一点豪華主義か。靴を脱いで室内に上がると、襖絵が見事。視線を移すと庭がこじんまりしていて落ち着くものでした。部屋の奥には、普賢延命菩薩像。4頭の像に乗った、チベット辺りにありそうな雰囲気の仏像で、面白かった。ここから来た道を引き返します。雨が降ってきそう。
1000001556  次の訪問先は奈良公園で、ここからはバスで50分近い移動。もう夕方に近いのだけれど、奈良公園は人でいっぱい。しかもほとんどが外国人観光客。奈良公園の奥、上の方、春日大社の駐車場に向かう。雨が降ってきたので、傘をさして見学。春日大社の万葉植物園に向かう。雨も降っているし、閉園時間が近いので、園内の人は少ない。奈良公園は、あれだけ人が多いのに。花の季節のはずなのに、ほとんど花は咲いていない。傘をさして、しっとりとした森の中をとぼとぼ歩く。万葉植物園というだけに、万葉集の和歌が掲げられ、その歌でうたわれていた花や草が植えられています。一応、説明リストを渡され、それを見ると45種類の植物が植えられています。勉強になりますが、花が咲いていないと草は区別がつきませんでした。しかも、掲げられている万葉集の和歌は、私にはまったく馴染みのない歌ばかりで、残念ながら親しみを持つことができませんでした。4時30分の閉園時間となり、追い立てられるように外に出て、時間も時間だからと、春日大社の南門に向かう。11月に来たときは、昼過ぎでかなり混雑していたのが、それでも南門の藤棚のところは人が多かったものの、夕方になって、大宮の特別拝観までしようという人は少なく、宮内はゆったりと見て歩くことができました。まあ、狭いところに、ごたごたと詰め込んで盛りだくさんにしている印象は、前回の11月と変わりません。うるさいくらい。神域なんだから、もうちょっと静かでもよかったのではないか。有名な神社ではあろうけれど、神様がいるという雰囲気はしない。奈良公園のきたついでに寄る程度のものかしら。これで、今日の行程は終わり。観光ツアーは、有名な老舗で夕食とのことだが、私はグルメに興味はない。

 

2026年5月16日 (土)

ゴールデンウィークの花の奈良(1)~第1日目 安倍文殊院、岡寺

 東京駅はゴールデンウィークの下りのピーク日とあって人でいっぱい。新幹線の指定席は満席。しかも自由席に乗り切れないひとが指定席のデッキに立ち、それだけでなく通路にまで立っていた。ゴールデンウィークの新幹線に乗るのは初めてだったが、これほどとは思わなかった。これでは、途中でトイレにも行けない。名古屋で乗り換えはトイレの時間の余裕がなさそうなので、車中で済ませたかった。結局、名古屋で乗り換えの近鉄で急いでトイレに駆け込んだ。そうしたら、同じツアーの人も一緒だった。近鉄線は津駅を過ぎると奈良に向かって、山の中に入って行くようで、トンネルが増える。トンネルを抜けるごとに山の中、緑が濃くなっていく。ちょうど新緑の季節で、濃淡さまざまな緑が映える。花咲く奈良というツアーだが、いつもより花は早く季節が進み、大方終わっているとのことで、そのかわり新緑の奈良を楽しめそう。津から30分ほど山を越えたところ名張で下車。ここからバスに乗り換え。山間の道路を行く。昔からの街道なのだろう、斜面にへばりつくような曲がりくねった、上り下りを頻繁に繰り返すような道。そこからの景色は、段々畑や棚田が続き、古い、しかし格式ありげな民家が見える。古式という言葉を否応なく思わせさせられる。そんな風景。それが新緑にはえる山中に、ドッシリと根をおろしたように確として現れている。ちょっと感動的。今日、このあと二つの寺を見学したが、それらよりも、この風景がより心に残った。歴史の重みを感じさせられた。
001_20260516000401  近鉄の桜井駅をとおり街中に入り、少し山が近くなって郊外にでたというところで駐車場に入った。晴天のゴールデンウィークの午後にもかかわらず駐車場にバスは1台も留まっていなかった。駐車場をでて、町の電気屋さんがある普通の通りを歩き、ちょっと入ると山門がとってつけたようなのが通りの奥に見えた。安倍文殊院は、飛鳥時代創建の古い寺院のはずだが山門からの参道は桜並木の公園の散歩道のような風情。桜の花はとうに散って緑の葉が繁っている。左側にコンクリートの白い建物をみながら正面の石段を上がると本堂がある。本堂の前で、赤い作務衣のようなユニフォームを着たアルバイトの若い女の子に団体さんはこちらと、さっき見た白いコンクリートの客殿に案内され、靴を脱いで座敷に上がるとテーブル席が用意され、茶菓子が置かれ、席に着くと、さっきの女の子が抹茶を配ってきた。お茶をいただきながら黄色い袈裟の坊主の話を聞く。寺の由緒から、安倍晴明の生地がここだとか、結界がどうだとか、同じ毎日が繰り返すのが実は幸せなのだとか。この寺は華厳宗だよね。華厳経ってナーガジュルナの唯識をまとめたやつだよね。無だよね。えっ!靴を履いて本堂に行こうとすると、さきほどの茶菓子の予約を勧誘している。本堂見学の後お渡しするように用意します。本堂では団体さんはこちらの下足箱を使用してください、と。本堂にあがると長椅子が用意され、順番にすわる。さっき法話?した黄色い袈裟の坊主が待っていて本尊の説明。親切なことだ。この寺は檀家がなく祈祷で食っているとのこと。つまり観光客あいての商売ということか。団体まとめて本尊にご祈祷で、あとは自由に見学。本尊は文殊菩薩。なんで?法話ではその説明はなし。肝心な話だと思うが。日本三大文殊菩薩?のひとつだという。鎌倉時代の仏師快慶の作とのこと。木造の本堂の奥に付け足しのように耐震の最新建築の白い空間に間接照明のライトアップで置かれている。そこだけ博物館のよう。一応、仏像の前に賽銭箱が置いてある。仏像は鎌倉時代の写実的な身体表現で、ああ快慶だ、と安心して見ていられる。一緒に並ぶ4体の脇侍も写実的で、痩せて浮き出たあばらの様子、走り去る童子の動感…。たしかに悪くない。ただ、この仏像だけを見に、わざわざここまで出かけてくるというほどのものではない。この一帯の寺めぐりをして、いくつかの中のひとつとして他の仏像と比べて、ポイントとなるほどに、いい仏像だと思います。本堂から出て、池に突き出るように建っている八角形の金閣浮御堂は寺というよりビルディング。小さな御堂や像が散在しているけれど、観光客にひとつでも多くの見るところを設ける。数をとりあえず揃える。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるてなもん。一通り全部回ってみたけれど時間の無駄。
1000001517_20260516000601  次の岡寺まではバスで10分ちょっと。山の端をいき、細い道をすこし上がったところ。駐車場でバスを降りて、左手の急坂を上る。寺参りに来たのに山登りをするなんてというほど。なれない人はとなりに階段をきってあるので、そっちを上る。坂を登り切ると左手奥に小さな仁王門。その手前に拝観受付。門の両脇の仁王像は素朴、稚拙な味わい…と言っておこう。門を入ると手水場そして小さな池。そこに色とりどりの花が池面を覆い尽くすように浮かべられている。絶好の映える撮影スポットというところ。ここからZ型に石段を上がると、ようやく本堂が見えてきます。正面ではなく横向きで、山の中腹にへばりつくように狭いところ建っているため仕方がないのでしょう。唐破風の立派な構えで、風雨にさらされて、渋く枯れた風情が、私の好みかもしれません。本堂へは、靴をぬいで入ることができました。本尊の如意輪観音は高さ4.85mもある日本最大の塑像ということです。室内で座して見ると、大きくて、かなり見上げるようです。塑像なので、そしてちょっと引っ込んでいるので、印象は茫洋としている。本堂には本尊の後ろ側へと回廊が設けられており、自由に巡ることができます。脇士の勢至菩薩と観音菩薩は動感があって、こっちはいいです。本堂からさらに上がって奥の院は石楠花が多数生えていましたが、花は終わってしまっていて残念でした。本堂と仁王門以外は、建築も見るべきものはないと思います。奈良の寺は、京都の寺と違って商売があからさま、よく言えば素直、すれていない印象です。今日回った寺は外人さんがいませんでした。要は、そういうことです。晴天のゴールデンウィークで、混雑とは言い難い状況。閑散としているわけではありませんが。まあ、だからいいのかもしれません。今日はこれでおしまい。あとはホテルへ。

 

2026年3月24日 (火)

涅槃会の宝物風入れ、中部地方の寺院と城(2)~第2日目 永保寺、金蓮寺

 名古屋駅前のホテルを朝8時過ぎに出発。日曜の朝の名古屋駅前は混雑していない。東名高速に乗って東に、瀬戸から北上。岐阜県の多治見へ。山の中へ入るようにして、中央西線の線路脇の空き地にバスが停まった。ここが駐車場らしい。まわりに寺院の建築物が見えない。ここに永保寺があるのか、いままで見てきた京都や奈良の社寺とは雰囲気が違う。どこか観光的でない。踏切をわたって田舎の道を歩いていくと道端に仏像が置かれている。ガンダーラ仏像のような、ギリシア彫刻っぽいリアルなスタイルのやせ細ってあばら骨がハッキリしたブッダの姿。とくに看板も何もない。その先に、ようやく道標。坂道を下っていくと、大きな屋根が見えてきた。それが永保寺の方丈の屋根。坂道は、その建物の後ろから寺に入っていく道だった。やがて、方丈の向こうに境内、庭園が広がっているのが見えてきて、そこに入っていけた。境内には黄色いビブスを着用したボランティアのおじさんがいる。普通、お寺に行くときは正面から山門を通って、本堂へてお参りするのですが、これは裏から入るようです。でも、マップを見てもらえばわかるように、マップの一番下の踏切のところに駐車場があるのですが、ここからの道の他には、永保寺へ至る道がありません。そういえば、山門がありませんでした。これは、後で分かったのですが、マップでは永保寺と書かれている方丈の建物から真上に伸びている道に勅使門跡という石碑が建っていました。かつて、ここに門があったというのです。寺はその門に向けて建てられているのです。私が入ってきた道は、近代になって鉄道が通って、寺の裏手にあたる山間部が発展したため、現在はそこからの方が交通の便がよくなったということです。では、正面はどこかというと、マップの左に流れている土岐川の水運が、かつてのメインの交通路だったということで、寺は、その土岐川に正面を向けて建てられているということでした。後に、川の交通は廃れて、門の意味がなくなり、焼失したかなにかがあっても、門が再建されることはなかった、というところでしょう。
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 虎渓山永保寺は臨済宗の寺で、今も若い僧侶が修業をしている修行の場で観光の寺院ではないとのこと。その証拠に拝観料も拝観パンフレットもなかった。普段は、寺院を見学する人は修業の邪魔にならない限りは、境内に自由に入って見ているとのこと。今日は、年に一度の涅槃会で寺宝の風入れということで公開するので、拝観者が多いので地元の人がボランティアとして、案内と交通整理をするのだという。まあ、今回のツアーは、このために日程を組んで、わざわざ東京からやって来たものなのですが…。観光地化されていないというのは本当で、読経の声がどこかからか聞こえてくるし、若い僧侶がボランティアの手伝いに走りまわっている。その手際が、慣れていなさそうで、しかし、一生懸命な感じで、スレていない。それだけで、この寺院に好印象を持ってしまいました。ここは、観光地ではない、お寺なのです。そう感じられるのは、珍しいことです。
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 方丈の建物は平成15年に焼失してしまったのを再建したもので、まだ白木の香りすら残っているような感じ、白壁は、本当に真っ白です。ここでは、実際に若いお坊さんが修業しているところで、普段は入ることができないのだそうです。しかし、今日の涅槃会だけは中にはいることができました。玄関で靴を脱いで上がると、左手が方丈。釈迦三尊像がまつられているが本尊は観音堂の方にあるという。ここは方丈で修業のためだという。若いお坊さんが説明してくれて、御焼香してもいいですよ、といってくれたので、やらせてらう。また、他のお坊さんが、今日だけ、特設の茶店を開いていて、慣れないたどたどしさに、却って好感がもてたりして。そして、玄関から反対の右手にいくと、小さな中庭があって、これがちょっとした枯山水で、渋いのだ。ほかの人は気づかず素通りしている、このさり気なさが何となくいい。かしこまって鑑賞するほどのものでもないのでしょうが、目に留まると、おもわず立ちどまってしまう何かがある。その奥が、宝物の風入れ、つまり今日だけの公開の展示しつで、多くは歴代の住職や禅僧たちの描いた禅画、おおくは達磨をモチーフにしたもの。中には雪舟の作(?)というのもあった。鑑識眼のない私には、並んでいる達磨の禅画はどれも同じように見えて区別がつかなかった。そして、正面に大きな仏涅槃図。室町時代、中国から来た僧が描いたものだという。紙に描いて掛け軸のように表装したのではなく、絹の布地に直接描いたのだそう。これは、涅槃絵図の説明会をやっていて、描かれた内容を、ここに描かれている何であるかをひとつひとつ説明してくれた。すべて忘れてしまったけれど、そういうものかと聞いていました。でも、それを聞いていて、どこかゴーダマ・ブッダがやろうとしていたことと、何か違うような気がしていました。彼は、果たして自分の教えを広く布教しようとか、衆生を救済しようなんて考えていたのだろうか。むしろ、彼のことを聞きつけて、人々に教えを乞われたので、それに応えただけなのではないか。だって、悟っちゃって、いわばあっちの世界に行っちゃった人ですか、今さら、何を好き好んで、こっちの世界に戻ってくるのか、ですよね。あっちへいっちゃった人の、あっちの言葉で語られたって、こっちの人は理解出来っこない。実際、仏教の最初のころの原始経典にはブッダは、尤もらしい教えらしきことは話さなかったと書かれているそうです。この涅槃図に描かれているのは、そういうブッダの姿とは異なる偉い人物です。私が仏教に抱いている違和感は、そういうところにあるのですが、ここで図らずも、その違和感がでてきてしまいました。京都や奈良の観光地化された寺では、感じることすらなかったのに、ここで感じられるとは、どういうことでしょうか。
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 ここからは方丈を出て庭園をまわりました。この庭は夢窓国師が最初に庭を作ったのもので、後に西芳寺、天龍寺の庭園を造るのですが、その四半世紀前のことだそうです。この地は土岐川の曲がったところに突き出した山の上にあり、禅郷の地としては最高であるということで、臥龍池には大きな中島がなく後の天龍寺の地割そのものということです。特徴付けているのは無際橋といわれる反橋(いたみが激しく危険なので、この橋を渡ることはできなくなっていました)で、これは平安時代では俗界から極楽浄土の世界へ入るものであったというみと。橋に続く観音堂は観音の悟り世界に至ることを意味していて、その観音像がこの寺の本尊です。その観音堂の奥に梵音岩といわれる巌。ここから滝が流れていて、深山幽谷の趣です。虎渓山という名からもわかる通り中国の聖地・廬山の風景を模しているそうです。
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 観音堂へは臥龍池の端を行きます。方丈が新築のような真新しさであったのと対照的に古い建築です。そういう比較ができることもあって、殊更に古さ、渋さが際立ちます。室町時代初期の建築で、京都や奈良とは違って戦乱を免れて、当時の姿のまま現存しているとのこと。四隅が反り返った中国風の屋根が特徴的。そして、いつもは周囲の柵の外から外観を見るだけですが、この日だけは、中へ入ることができます。靴を脱いで階段を上がり御堂の中に入ると、他にはないような独特の岩窟式厨子の中に聖観音像があります。堂内は仰々しく装飾されているようなことはなくて、いたってシンプル。そこに写真のような流木を集めて洞窟をつくったような厨子がドンと置かれていて、それはかなりユニークです。ひんやりとした堂内の空気とあいまって、姿勢を正さずにはいられない何かがあります。
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 観音堂から臥龍池のまわりをぐるっと廻り、梵音岩を見ながら、奥へ進んでいくと開山堂があります。ちょっと深山に分け入るような風情があります。開山者の夢窓疎石の像等が祀られています。ここも、普段は入れないのですが、この日だけは中に入れました。特徴的なのは内部で、靴を脱いで入りますが、中国の建築のように石がタイルのように敷き詰められています。見上げると天井が精緻ですごい。
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 開山堂を出て庭園に戻ると、臥龍池から離れるように庭園をあるくと土岐川に出ます。川は屈曲し、対岸に渓谷の岩壁が見えています。水墨画のような風景。聞こえてくるのは、川の流れる水音だけ。お寺は、特別拝観で訪れる人で賑わっているのに、ここは人の姿はなく静寂そのもの。景色も荘厳に感じられて、ここが修行の寺であるということが感覚として分かります。石のベンチに座って、時間を忘れました。仏教の教えがどうこうというよりは、こんなところに座って、こころを落ち着けているだけでいい。
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 次の目的地金蓮寺に向かいます。多治見から愛知県の吉良まで南下します。バスで2時間ほど。このあたり濃尾平野から外れて小さな山が連なるような地形で、金蓮寺は当時は海に面して建てられていたようです。現在は埋め立てが進み、海岸はずっと向こうになって、寺から海を見ることはできません。さて、この金蓮寺は愛知県では唯一の国宝のお堂がある寺なのですが、現在は住職がいないということです。このあたりの土地は人が減って、檀家がなくなって、お寺の経営ができなくなって、住職は他の寺の住職が兼任しているとのことで、普段は人がいないそうです。寺の維持管理は地元の有志がボランティアでやっているとのことです。今回はツアー会社が団体拝観の予約をして、ボランティアの人が案内に駆けつけてくれることになっていました。この人は、バスが予定より早く現地に到着したので、現地のボランティアがまだ来ていなくて、しばらく待つことになりました。数分して、自動車でボランティアのおじさんが到着。みるからに地元のおじさんという人で、地元のなまりのしゃべりは少し聴きづらいところもありましたが、それが却ってよかったです。
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 そんなこともあり、この金蓮寺も京都や奈良の寺院とは違って観光地化されていない、田舎の古びたお寺でした。弥陀堂が国宝に指定され、鎌倉時代の建立の当時の姿のまま現存しているのだそうです。その姿はユニークです。写真を見ると、左側に突き出した部分は右側にありません。これは、お堂に籠る行をする僧侶が寝泊まりするスペースでが、全体の姿は左右対称を崩しています。お堂の正面の柱は細くて、普通の寺柱のように堂々としたところがありません。しかも、この柱は面取りがしてあって角が削られています。細い柱をさらに細く見せようとしている。それは、この部分が平安時代の寝殿造りを模しているからだそうです。写真をみると、正面の真ん中は格子の板があげられて中が見えるようになっています。これは、下の部分も前に倒すようになっています。左右も同じです。これは、平安時代の引き戸や窓がなかった時代に、壁の板を上げて外光を取り入れて、室内を明るくしていた蔀戸です。しかし、それが中に入ると天井は格天井で阿弥陀三尊像の安置されているところは、天井が一段高くなっています。これは寝殿造りにはなく、平安時代の技術ではつくれないということです。その一段高い天井を支える柱は2本しかありません。四角形の天井を2本の柱だけで支えているのですが、そのためには天井の強度と重量のバランスが必要です。そういう技術は鎌倉時代になってからのものだそうです。つまり、この建物は内部は鎌倉時代の様式で外周は平安時代の様式で建てられている。それがとても珍しいというわけです。
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 弥陀堂に安置されているのは阿弥陀三尊像です。中央の阿弥陀如来の両脇には観音菩薩像と勢至菩薩像が並んでいます。写真では分かりにくいのですが、両菩薩像は片脚で立ち、前屈みの姿勢です。このポーズでバランスをとるのは難しいと思いますが、ちゃんとバランスを保って立っているのは仏師の技量の高さでしょう。もともとこれらの仏像は全身に金箔が貼られ、金色に輝いていたそうです。海に面して、海に向かって安置されていた、これらの仏像は、沿岸を行き来する船からも見えていたということです。船乗りたちは海から金色に輝く仏を見て、航海の安全を祈ったそうです。現在は金箔が剥げ落ち黒い地肌が顕わになっていますが、一部に残っている部分があります。
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 本堂は不動明王が本尊だそうですが、秘仏で見ることはできません。中に入ると奉納された絵馬が飾られていました。航海の安全を祈願する絵馬が目につきました。案内してくれたボランティアのおじさんが気さくな人で、自由に中に入らせて見せてくれました。鐘楼の鐘もついていいですよというので、つかせてもらいました。
 地元の人々にまもられている、素朴で、おおらかなお寺でした。
 今日、まわった二つのお寺は、観光地化されていない、いいお寺でした。ここからバスで三河安城の駅に向かいました。新幹線は「こだま」にしか乗れませんが、「こだま」も乗ってみるといいものです。各駅停車になり、停車した駅では「のぞみ」や「ひかり」に抜かれるので3~4分停車しますが、その停車時間に駅の売店に行って飲み物やつまみを調達できるので、車内販売がなくなった「のぞみ」よりも快適でもあります。