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<title>CZTのブログ</title>
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<description>長年勤めた会社を定年退職した元会社員が、読んだ本や聴いた音楽、あるいは時たま出かける美術展の感想や折々に考えたことの断片をつづります。

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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/10/post-5dec99.html">
<title>シルバー連休の混雑山陽地方旅行（３）～第３日目、９月２２日（火）倉敷、後楽園</title>
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<description>　倉敷の美観地区という、川沿いの道に江戸時代からの古い家並みが続く一帯を、朝から自由散策で見て回る。宿泊したホテルが、この美観地区の入り口に位置しているため、すぐにそこに行くことができた。古い家並みと...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>　倉敷の美観地区という、川沿いの道に江戸時代からの古い家並みが続く一帯を、朝から自由散策で見て回る。宿泊したホテルが、この美観地区の入り口に位置しているため、すぐにそこに行くことができた。古い家並みといっても、川越などと同じように、そういう雰囲気の外観の建物が続いていても中味はカフェや土産物店なので、前を通り過ぎる程度のもの。しかも、９時前に行ったところ、けっこうな人出がでていた。風情や情緒が味わうという環境ではない。とはいえ、私の目的は大原美術館。美術館に入ってしまえば、家並みなどは関係ない。しかし、美術館の前に、入場券を買うための行列ができていた。ただ、私の泊まったホテルは、クラレの系列らしくホテルで大原美術館の入場券を買うことができた。したがって、行列に並ぶ必要がなく、９時の開館と同時に美術館に入場することができた。美術館の感想については、後日、別に投稿します。観光客は、教科書等で見た絵や、モネの睡蓮の前で立ち止まる以外は、とくに足を止めることなく、通り過ぎていきがち。モネをはじめとして、日本でもよく知られた作品の前でも順番待ちの行列ができることはなく、人は多いが、マイペースで作品を見ることができた。それにしてもオールスター勢揃い。西洋絵画と日本絵画に分かれての展示で、メジャーの画家たちの作品が目白押し。その作品も、それなりの主要作であった。結果的に３時間近くの時間を費やすことになり、昼食の時間がなくなり西洋絵画と日本絵画に分かれての展示でそうになる。１２時を過ぎて、美術館を出ると、集合が１３時半なので、急ぎ、食べる店を探すことになったので、美観地区の散策の時間がなくなってしまった。今回の旅行では、大原美術館を見ることができたので、満足できる結果に終わることができた。<br />
　この後、最後の立ち寄り先である岡山の後楽園に向かった。岡山駅の近く、岡山城に隣接する（城に住む藩主が見る庭だから）。旭川の河原にある駐車場は満車の状態。ここも混雑している。<br />
　庭を囲んでいる松林を抜けると、広い芝生が広がる。それゆえ、解放的な印象で、庭園というより公園のような印象。枝ぶりのいい植え込みとか奇岩といったものは、見つからない。この庭の小道を巡るのは、公園をウォーキングするような感じがする。この庭園は、正門を入ってすぐ右手の延養亭という建物に藩主が城から訪れて、その庭を眺めながらリラックスするというものだろう。それだから、延養亭から眺められることを目的につくられたものではないかと思う。それだから、回遊式の桂離宮の庭園などとはちがって、仕掛けや演出のようなものはなくて、延養亭からゆったり広がって、のんびりできるようなつくりになっている、と思う。この庭園は、突出したものがない。ひっかかるようなものがない。そういう庭園であるように思う。だから、庭園としてのフォトスポットは見つけにくく、庭は何らかの背景になるような、そういうあり方であるように思える。<br />
　これで、今回の旅行は終わり。あとは、すぐ近くの岡山駅から新幹線で帰るだけ。<br />
</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>旅</dc:subject>

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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/10/post-b706dc.html">
<title>シルバー連休の混雑山陽地方旅行（２）～第２日目、９月２１日（月）宮島</title>
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<description>　朝９時に宮島のホテルを出発。ホテルを出て、すぐに渋滞に引っかかる。歩いて１０分くらいのフェリーの駐車場まで２０分以上かかった。シルバーウィークの中日、しかも天気は快晴ということで、朝から、かなりの人...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>　朝９時に宮島のホテルを出発。ホテルを出て、すぐに渋滞に引っかかる。歩いて１０分くらいのフェリーの駐車場まで２０分以上かかった。シルバーウィークの中日、しかも天気は快晴ということで、朝から、かなりの人出があって、フェリーは増発するも満員。駐車場の順番待ちで車は渋滞。朝の初発から、予定は遅れ始めた。フェリーで宮島に渡ったら１０時前になっていた。そこから大勢の人混みの状態。そして、厳島神社に参詣する入場券を買うための行列が延々と続いていた。そこに並ぶと、売り場の前まで何十分待っただろうか。当初の予定では１時間ほどかけてゆっくり神社を参詣し、そのあと１時間ほど自由に散策して昼食ということだった。しかしたっぷり順番待ちの行列を並び、そのまま行列に流されるように神社の建物内を進み（人混みにもまれ続けたというだけで、神社を見たという気がしない。したがって、何かを見たという記憶がない。人気観光地で有名な神社で、海に浮かぶ神社と聞いていた。たんに海辺に建てられているという立地が珍しいだけじゃないか…）、気がついたら出口。この時点で予定の昼食時間を過ぎていた。とりあえず昼食を食べたら、予定が変更になり、このあと１時間とすこ<a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/001_20261001234601.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="001_20261001234601" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/001_20261001234601.jpg" alt="001_20261001234601" width="450" height="217" align="left" border="0" /></a>  しの自由散策の時間を追加ということになった。それで、豊国神社（千畳閣）と大聖院に寄った。豊国神社は高台にあるので、厳島神社の本殿を見下ろすように全体を見渡すことができる。建物は漆塗りでないので、派手さがない。そのため簡素な印象。建物内は広く平らな空間で、来館者は思い思いに腰を下ろして、リラックスした雰囲気。高台に上がるのが億劫がられたのか、混雑はなく、ここではホッとした。フラットな広場のような室内に、太くて丸い柱が林立している様子は、まるで古代ギリシアや古代ローマの神殿のような開放的な空間は、日本的な神社の空間とは異質で。とても興味深かった。人ごみに揉まれて見た厳島神社の廻廊だけのような、室内に限っては狭苦しい、参拝する人のことはあまり配慮していない、いってみればセコさ感じさせるように見えてくる。この豊国神社で少し気分を持ち直してきたが、石段を下りると、また厳島神社の周囲の商店街の人ごみに遭遇してしまう。広い道は土産物店や立ち食いの屋台が並び、通過する人と買い物をするや立ち食いをする人でごった返している。そこから逃げるように、そこから見上げると目に入ってくるお堂に向かうことにした。坂道をあがり、白糸川にかかる小さな石橋をわたると大聖院の仁王門。いかにも古い寺という風情のこじんまりとした門。そこから石段を上がっていく。だから観光客の姿は少ないのかもしれない。石段の真ん中が柵のようになってい<a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/002_20261001234801.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="002_20261001234801" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/002_20261001234801.jpg" alt="002_20261001234801" width="200" height="150" align="right" border="0" /></a> て、そこには摩尼車が並んでいる。チベット仏教などによくあるものだが、並んでいる一つの摩尼車を回した数だけ、お経を1巻ずつ唱えたのと同じ効果があるというものです。この石段を上がったところに仁王門を一回り小さくしたような門があり、そこを通ると、小さな広場になっていて、御朱印、おみくじやお守りの売り場で土産物店の休憩所のような空間。そのまわりを観音堂や勅願堂といった同じような手ごろなお堂が囲んでいる。コンパクトなアウトレットパークのような空間が作られているようで、巧いと思った。ひとつひとつのお堂は、たいしたことのないものだけれど、それが狭い空間に巧みに配置されることによって、人寄せの有効な装置となっている。さらに、そのさらに上の方の山間に山巡りのような小さなお堂が配置されている。インバウンドの外国人観光客が現代のジャポニズムというかエキゾチックな日本の神秘性とか気軽に言えそうなものをうまく提示している。バロック的とも言える厳島神社の派手さとのコントラストも計算されているようにも見えて、すごく軽薄に味わうことができて面白かった。<br />　帰りは、再び、行列を並んでの満員のフェリー、うんざりする。<br />　フェリーで戻ってきた時点で、予定より１時間半遅れ。ここから尾道に行くのだが、夕方になってしまうだろう。２時間近くかけて、尾道の市街地から坂道を上がり、千光寺公園。尾道の風景とすると、取り上げられることが少なくないロープ―ウェーで上がったところにある公園。そのせいもあって、バスは九十九折の坂道を上がったところに公園があり、瀬戸内海、尾道水道を、そして尾道の市街を見下ろす。高台の公園にはテラスのような展望台があり、そこに沢山の観光客。公園を回遊する散歩道は「文学のこみち」と名付けられていて、何かと思ったから、尾道に関係する小説家や歌人たちの文学碑が建てられているためだろうか。公園の名の由来となった千光寺は高台の崖のような斜面に張り付いたような寺で、市街地に近く、俗っぽく、“商売”といった雰囲気が、やたらに宗教的とか精神的な雰囲気を作らないところが何となく好感を持てる。とはいっても、公園も寺もわざわざ、ここだけに出かけるほどの場所といえるほどではない。<br />ここから、ホテルのある倉敷までは近くはない。明日のことを考えれば、仕方のないことなのだが。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>旅</dc:subject>

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<dc:date>2026-10-01T23:49:24+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-c76b75.html">
<title>シルバー連休の混雑山陽地方旅行（１）～第１日目、９月２０日（日）平和記念公園</title>
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<description>　東京は大型台風の接近で天気が崩れそう。ニュースでは外出を控えることを勧めていた。山陽地方は台風の進路からは外れるので、大丈夫だろうと出かけた。早朝の東京駅は旅行に出かける人々で混雑していた。私の乗車...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>　東京は大型台風の接近で天気が崩れそう。ニュースでは外出を控えることを勧めていた。山陽地方は台風の進路からは外れるので、大丈夫だろうと出かけた。早朝の東京駅は旅行に出かける人々で混雑していた。私の乗車した東海道新幹線は指定席は全席埋まっているとのこと。静岡を過ぎたあたりで空が明るくなり、京都付近で雲の切れ間が現われ、広島に着いたら晴天になっていた。<br /><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/1000001954.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="1000001954" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/1000001954.jpg" alt="1000001954" width="450" height="217" border="0" /></a></p>
<p>　広島駅からバスに乗り換え、平和記念公園に向かう。渋滞した道路で１５分ほど、相生橋の途中で川の中洲にわたると＜そこが公園の北側、平和の時計塔のところ。そこでバスを降りる。川の対岸には原爆ドーム。多くの観光客がいることに、少し驚いた。そのうちの大半が外国人観光客。慰霊と祈りの敬虔で静謐な場とイメージしていたが、人気観光地だった。平和記念資料館はチケット売り場の前に長蛇の列。資料館から国際会議場と横広に長い建物が、その長さゆえに突飛な印象を与えるが、その長さより長い列で並んでいる。それを見て、入場する気がなきなった。もともと、強く中の展示を見たいとは、それほど思ってはいなかったのも事実。資料館の前の献花台から戦没者慰霊碑、その先に原爆ドームが一直線に並んでいるのを実際に目の当たりにすると神聖な雰囲気を狙ったあざとさが目立って見える。不適切な比喩かもしれないが、ナチスドイツがニュルンベルクでの党大会をゲッペルスが演出しリーフェンシュタールが映像化したプロパガンダを思い出させる。それが私の印象。原爆ドームは一種のアイコンなんだろうと思う。物語から取り出して、この物体を、ただの物体として見ることは難しいだろうと思う。だから、今の私はこれを人寄せの観光資源として見る。それが一番問題が起きないだろうと思うからだ。<br /><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/1000001966.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="1000001966" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/1000001966.jpg" alt="1000001966" width="450" height="217" border="0" /></a></p>
<p>　なお、公園内には、宗教やイデオロギーに関係なく種々雑多な慰霊碑があって、アナーキーな無秩序と言えるほど。その無節操さは好ましく思う。<br />　一方、小さな展示施設がいくつもあって、それらのいずれにもボランティアのガイドがいて、説明してくれている。親切なんだろうけれど、この人たちから感じられる使命感は、一体、何のためなのだろうかと疑問に駆られてしまう。自己満足ならいい、そのことを自覚しているならいい。そうでなければ…、誤解を恐れずに言えば、平和とか核兵器の惨禍を二度と起こさないとかいった大義名分を掲げるのならば、そのこと（語ること）の現実的効果、有効性を量ってやっているようには見えないからだ。非効率。もっというと無駄。だから」、見ていて痛々しくなる。<br />　まあ、今日の観光はこれだけで、早めに宿に着いて、温泉でゆっくりする予定なのだ。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>旅</dc:subject>

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<dc:date>2026-09-30T21:29:11+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-edf596.html">
<title>ルーブル美術館展─ルネサンス（５）～Ⅳ．肖像芸術の隆盛</title>
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<description> 　ダ・ヴィンチの「女性の肖像」通称「美しきフェロ二エール」は長い行列に恐れをなして正面から見ることを諦めました。ダ・ヴィンチのスフマートを間近に見たかったのですが、かないませんでした。　一方、間違え...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvreprofle.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvreprofle" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvreprofle.jpg" alt="Louvreprofle" width="149" height="216" align="left" border="0" /></a> 　ダ・ヴィンチの「女性の肖像」通称「美しきフェロ二エール」は長い行列に恐れをなして正面から見ることを諦めました。ダ・ヴィンチのスフマートを間近に見たかったのですが、かないませんでした。<br />　一方、間違えられた方の「美しきフェロ二エール」は肖像画としては悪くはないと言えるのでないでしょうか。美女の横顔を描くのに特化したような絵で、身体部分や衣装の描き方は手抜きが見え見えですが。横顔はいかにもルネサンス絵画という感じで、丁寧に描き込まれています。ダ・ヴィンチの作品と混同されなければ、一つの肖像画として、それなりに独立して評価されてもおかしくないと思います。<br />　<a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvreprofle2.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvreprofle2" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvreprofle2.jpg" alt="Louvreprofle2" width="150" height="197" align="right" border="0" /></a> ベルナルディーノ・デ・コンティの「ビアンカ・マリア・スフォルツァの肖像」という作品。テンペラらしいということですが、さっき見たボッティチェリの作品のような明るさ、清澄さはなく、その代わりに落ち着いた感じがします。こちらの方が立体的ですが、様式的な感じは否めません。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


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<dc:date>2026-09-29T00:04:48+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-934ffb.html">
<title>ルーブル美術館展─ルネサンス（４）～Ⅲ．古代へのまなざし</title>
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<description> 　ボッティチェリの「５人の天使に囲まれる聖母子」は１４７０年頃、ボッティチェリが２５歳頃で師匠から独立し自身の工房を構えて間もない頃の作品ということです。ボラの板に描いたテンペラ画です。すぐ目に付く...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvremaria.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvremaria" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvremaria.jpg" alt="Louvremaria" width="149" height="222" align="left" border="0" /></a> 　ボッティチェリの「５人の天使に囲まれる聖母子」は１４７０年頃、ボッティチェリが２５歳頃で師匠から独立し自身の工房を構えて間もない頃の作品ということです。ボラの板に描いたテンペラ画です。すぐ目に付くのが、聖母マリアの来ている服の爽やかで鮮やかな青と赤です。油絵では、こんなふうに軽くて清澄にならず、もっと重厚になってしまうような気がします。その青と赤が陰影をもって服の襞だけでなく身体の立体的な感じを表現しているところがすごい。さらにまた、肌の色の透明さは油絵では出せないような澄明さがある。そして、背景の暗い空間に黄色？金色？の唐草模様？がほの見えて、天使が百合の白い花を手にしている。その花の様式的な、まるでタピスリーの図案を見ているような。この色彩などの感覚は、後のラファエル前派のロセッティの初期の水彩画の色調に通じている（ロセッティは、こちらをお手本にしたのでしょうが）。<br /><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvremaria2.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvremaria2" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvremaria2.jpg" alt="Louvremaria2" width="150" height="197" align="right" border="0" /></a> 　ラファエロの「聖母子と聖エリザベト、洗礼者聖ヨハネ（小さな聖家族）」は１５１７年頃の作品。聖母子でも、約５０年前のボッティチェリの作品からは大きく変わりました。こちらは油絵ですが、小さな作品であるにもかかわらず、重量感というか、描かれている人物の立体感とどっしりとした存在感がまったく違います。人物のポーズは様式的なものですが、滑らかで柔らかに描かれているため、自然な（人間的な）感じ、写実的な印象になります。それを助長しているのが、スフマートによる滑らかな表現でしょうか。聖母マリアの肌の色の感じが、ボッティチェリとラファエロとが、どれほど違うか。ラファエロの方が肌のぬくもりを、より感じさせるように思えます。しかし、マリアの着ている服の青と赤は、ボッティチェリの場合のような清澄さはありません。重いし、暗い。しかし、思うに、人間を描こうとしたら、人間の存在の重さがついてまわるわけで、ラファエロの作品には、それを引き受けたゆえの重さがある。それが、ボッティチェリとの違いであるように、両者を見ていて思いました。<br /><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvrebeauty.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvrebeauty" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvrebeauty.jpg" alt="Louvrebeauty" width="150" height="225" align="left" border="0" /></a> 　ラファエロのとなりにはクラナッハ（父）の「三美神」が展示されています。ある意味対照的ともいえる作品が隣り合っていると、それぞれの作品の個性が際立つようで面白い。もともと三美神というテーマは「美」と「雅」の女神であり、古代より女性美の理想であるとされてきたものだそうです。しかし、この作品は神様とか理想の姿というよりエロチックで劣情をそそるようなところがあります。裸の女性が宝石だけを身にまとっているなどというのは、近現代ではポルノグラフィの典型的なパターンです。彼女たちが身に着けている宝石は当時の高級売春婦を思わせるｔ彼女たちが身に着けている宝石は当時の高級売春婦を思わせるとの説明もありました。また、この作品の三美神が通常の三美神の描き方と異なっていて、それは、前、横、後ろを向いた３人ポーズが不自然で、中央の女神は透明なベールをあだっぽく持ち上げ、そのベールは典型的な「ウェヌス・カッリピュゴス (美しいお尻のヴィーナス)」のポーズをとる左横の女神の太腿にかかっていて、右側の女神の曲げた片脚と流れるような長い髪は挑発的である、というのです。とは言っても、ラファエロの描いたヴィーナスの筋肉マッチョな肢体と比べると、クラナッハの描く女神はペチャパイで豊満な肉体とは言い難く、あえていえばロリータっぽい肢体が艶めかしいポーズをとっているので倒錯的にも感じられます。しかも肌の色の白さが不健康さを感じさせます。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>美術展</dc:subject>

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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-938e1c.html">
<title>ルーブル美術館展─ルネサンス（３）～Ⅱ．技法の革新と洗練</title>
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<description> 　「棘に傷つくヴィーナス」は１６世紀の銅版画。マルコ・デンテとラファエロの原作に基づくとのことですが、恋人アドニスの死を嘆き悲しむヴィーナスが、いばらの上を駆け抜けて足の裏に刺さった棘を抜こうとする...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvrevenuse.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvrevenuse" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvrevenuse.jpg" alt="Louvrevenuse" width="150" height="233" align="left" border="0" /></a> 　「棘に傷つくヴィーナス」は１６世紀の銅版画。マルコ・デンテとラファエロの原作に基づくとのことですが、恋人アドニスの死を嘆き悲しむヴィーナスが、いばらの上を駆け抜けて足の裏に刺さった棘を抜こうとする姿を描いた神話を描いたとのことですが、足裏の棘を気にする姿は、以前に見たルーベンスの同じタイトルの作品でも同じポーズです。この作品は銅版画のためか、ヴィーナスの描き方はマッチョな筋肉質で、しかも人の柔らかさというよりブロンズ彫刻のような堅固さが感じられます。そして、並んで展示されていた絵皿や彫刻に、そのポーズが流用されているのが分かります。<a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvrevenuse2.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvrevenuse2" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvrevenuse2.jpg" alt="Louvrevenuse2" width="150" height="149" align="right" border="0" /></a> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>美術展</dc:subject>

<dc:creator>CZT</dc:creator>
<dc:date>2026-09-26T23:39:17+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-aac57d.html">
<title>ルーブル美術館展─ルネサンス（２）～Ⅰ．旅</title>
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<description> 　アルブレヒト・デューラーの「サイ」という１５１５年の作品です。デューラーというと「メランコリア」のような銅版画作品が有名ですが、この作品も銅版画かと思ったら木版画です。それにしても細かい。描線が細...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvresai.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvresai" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvresai.jpg" alt="Louvresai" width="250" height="197" align="left" border="0" /></a> 　アルブレヒト・デューラーの「サイ」という１５１５年の作品です。デューラーというと「メランコリア」のような銅版画作品が有名ですが、この作品も銅版画かと思ったら木版画です。それにしても細かい。描線が細い。まず、その細工のすごさに脱帽です。一節には、銅版画より木版画の方が大量印刷に向いているので、緻密な表現を我慢したとのいうのだが。たしかに、「メランコリア」ほどの細密さはないが、サイの顔の部分の髭の描線など繊細とも言えるほどではないかと思います。この作品で、デューラーはサイを、喉当てや胸当てが鋲止めされた鎧のような強固な装甲に覆われた動物として描います。実際のインドサイを写実的に描いたのではなく、想像をまじえて描いたようです。例えば、背中前方の捻れた小さなツノ、うろこに覆われた脚、身体が極端に短いことなどがあげられます。デューラーが表現した「鎧」はインドサイの厚い表皮のしわを再現したものかあるいはサイの表皮を様式化し強調し、実際のサイを見たことのないヨーロッパの人々にサイの姿を表現的に見せたとも思えます。それ以上に、装甲のような意匠やウロコの細かい描写に惹きつけられます。<br /><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvregreco.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvregreco" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvregreco.jpg" alt="Louvregreco" width="150" height="179" align="right" border="0" /></a> 　エル・グレコの「アントニオ・デ・コバルビアス・イ・レイバの肖像」はデューラーのおよそ１世紀後の作品。私には、エル・グレコといえば「受胎告知」のようなバロック的な明暗のコントラストによる劇的な物語の絵のイメージが強く、肖像画家としても有名だとはいっても、どうしても「受胎告知」の方に目がいってしまいがちです。このような場でもないと、単体としてあらためて肖像画を見ることもないと思います。この作品は、彼の肖像画の中でも傑作のひとつということです。彼の肖像画は、生き写しであるだけでなく、モデルの人物からにじみ出る雰囲気を記録している上、性格や社会的地位まで伝えているというのですが、私には、どこが性格や社会的地位を表わしているのか、分かりませんでした。こういうの具体的に、ここがこうだから、こういう性格が表われていると教えてもらわないと分からないですね。とはいえ、粗っぽいとおもっていたら、後のベラスケスに比べると意外と表面の仕上げは丁寧なんですね。暗い背景に、黒い上着を着た人物で、肌色の顔がスポットライトを浴びたように浮かび上がる。ここには多彩な色彩というのはなくて、ほとんど。黒と肌色の陰影だけで描いています。そういえば、「受胎告知」でも鮮やかな色彩というより。色は鈍く、くすんでいて、明暗のコントラストが画面を支配していたように思います。グレコという画家は色彩よりも陰影の人なのかもしれないと、今さらながら思いました。<br />　ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの「座って素描する人物のいるローマの眺望」は素描作品です。デューラーとグレコの中間の時期の作品で、マニエリスムの時期にあたるということです。画面の手前に座って景色をスケッチ（素描）している人物（おそらく画家本人、あるいは旅の同行者）が小さく配され、その奥に当時のローマの壮大なパノラマや遺跡が広がる構成になっています。前景の人物と遠景のローマの光景は、あきらかに区別して描き分けられていて、遠景のローマの光景は薄いインクで、まるで建築図面のようでも、あるいは後のキュビズムのようにも見えてくるのが不思議です。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>美術展</dc:subject>

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<dc:date>2026-09-25T23:38:51+09:00</dc:date>
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<title>ルーブル美術館展─ルネサンス（１）</title>
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<description>２０２６年９月１１日（土）国立新美術館 　４月から学校に通うようになって、都心の学校だし、会社で仕事をするのと違って、美術館には頻繁に通えると思っていたら、豈図らんや、美術鑑賞とその感想をまとめるのに...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>２０２６年９月１１日（土）国立新美術館<br /><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/louvrepos.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Louvrepos" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/louvrepos.jpg" alt="Louvrepos" width="149" height="213" align="left" border="0" /></a> 　４月から学校に通うようになって、都心の学校だし、会社で仕事をするのと違って、美術館には頻繁に通えると思っていたら、豈図らんや、美術鑑賞とその感想をまとめるのに使う頭と勉強の頭が重なるようで、仕事をしていた時には仕事の頭とは違う頭を使えていたのはちがって、時間はありながら、美術館にかよう余裕がなくなっていた。いま、学校が休みになって、頭を休めていて、ようやく美術館に出かける余裕ができてきた次第。<br />　今回向かったのは、国立新美術館のルーブル美術館展。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品がやってくるというのがウリの展覧会。これは混むなと予想して、９月９日の始まってすぐの金曜日、しかも、金曜と土曜は普段とは違って閉館時間が午後８時まで延長される、その遅い時間を狙って出かけてみた。６時少し前に、地下鉄乃木坂駅を降りて、美術館への専用通路を進むと、多数の帰る人々とすれ違う。これで混雑を回避できると北叟笑んだ、が、チケット売り場には行列が。脇には、「待ち時間なしの掲示」。ちょっと、危惧が生じる。玄関をはいると、それほど空いていないが、入場はすんなりと。しかし、展示されている各作品の前には行列ができており、順番を待ちながらとなる。そして、最後に展示されていたダ・ヴィンチの作品の前には長蛇の列、廊下を通って隣の部屋まで行列は延びていて、最後尾には係員が控えていて、待ち時間は５０分ほどになるとのこと。それでは閉館時間を過ぎてしまうだろうに。一応、行列は作品を正面から見るための行列で、脇から遠目に作品を遠望するなら並ばなくても、辛うじてできる。わたしには、とても並ぶ気にはならなかった。この時間は、この展覧会では、混んでいない部類に入るのではないかと思う。これが、会期が押し詰って休日の昼間という混み合う時間帯になったら、どんな状態になるのだろうか。とても、絵を見るような環境ではないだろうと想像できる。展示の全体は、それなりに作品はあるが、どうしてもダ・ヴィンチがメダマで、それ以外は刺身のつまというか、展示構成や図録の記載などはそのような構成になっているのは否めないと思う。<br />　展覧会に付随するミュージアム・ショップは展覧会賞以上に盛況で、グッズ（おみやげ）のほとんどはダ・ヴィンチだった。<br />　いちおう、主催者あいさつを引用します。“15世紀から16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛を極めたルネサンス美術。本展は、ルーヴル美術館の膨大なコレクションから選び抜かれた50点余りの作品を通して、この豊かで複雑な芸術動向の本質をなす、いくつかの特徴に光を当てます。ルネサンス期の人々は、キリスト教が広まる前の、人間の主体性がより重視された古代ギリシア・ローマの文化に再び価値を見いだしました。このたび初来日するレオナルド・ダ・ヴィンチの《女性の肖像》、通称《美しきフェロニエール》は、人間の個性への関心が高まった時代であるルネサンスの肖像芸術の傑作です。レオナルドは、人物の外見の特徴をとらえるだけでなく、その内面に潜む複雑な感情を描き出すという難問に挑み続けた芸術家でした。本展では、まさにルネサンスを象徴する人であるレオナルド・ダ・ヴィンチから導き出した４つのテーマ ——旅、技法の革新と洗練、古代へのまなざし、肖像芸術の隆盛—— に基づいて、絵画から彫刻、版画、素描、工芸まで、多彩な作品を紹介します。ルネサンス美術の真髄に触れる貴重な機会となるでしょう。”<br />このような展示の意図とか、展示の構成とかは、この展覧会の場合は、あくまでもタテマエで、ダ・ヴィンチの作品を見せるための展覧会というのが本音だろうと思います。以下では、それでも目に付いた作品をピックアップしていきます。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>美術展</dc:subject>

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<dc:date>2026-09-24T23:45:51+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-88cd84.html">
<title>読売日本交響楽団　第６９５回名曲シリーズ演奏会</title>
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<description> プログラムは次の通りシベリウス：ヴァイオリン協奏曲ニ短調Ｏｐ４７ヴァイオリン：セルゲイ・ハチャトゥリアンアンコール：ナレカツィ：アルメニア聖歌「鳥よ、鳥よ」ショスタコーヴィチ：交響曲第１０番ホ短調Ｏ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://czt13771.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/origin.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Origin" src="https://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/images/origin.jpg" alt="Origin" width="149" height="212" align="left" border="0" /></a> プログラムは次の通り<br />シベリウス：ヴァイオリン協奏曲ニ短調Ｏｐ４７<br />ヴァイオリン：セルゲイ・ハチャトゥリアン<br />アンコール：ナレカツィ：アルメニア聖歌「鳥よ、鳥よ」<br />ショスタコーヴィチ：交響曲第１０番ホ短調Ｏｐ９３<br />指揮：ユライ・ヴァルチュハ</p>
<p> </p>
<p>　前半のシベリウスのヴァイオリン協奏曲。独奏のヴァイオリストは、とても音が充実した感じ。女性奏者に見受けられる無理して音を出しているようで、ヴァイオリンの音の中身がスカスカのとは違うので、安心して聴いていられるというか、その音を聴いているだけでここちよい。中身がたっぷり詰まったヴァオリニストというと真っ先に思い浮かぶのがマキシム・ヴェゲーロフだが、彼のような豊満で大きく広がるようなおとではなく、この人は広がりはそれほどでもないが真っ直ぐに線がどこまでも伸びていくような伸びやかな音という印象。曲の冒頭、弦楽部の弱音のトレモロに乗って、独奏ヴァイオリンがスゥーッと入ってくる。その入り方がさりげなく、自然で、気負いとか無理が感じられない。長―く音が持続しながら少しずつ動いて最終的にはメロディになる。ここをヴァイオリニストによっては、この長い音をフレージングしたり、ヴィブラートを工夫したり、強弱を加えるとかいった細工を加えて聞かせようとしたりするのだが、この人は細工をせず、ただ真っ直ぐに音を伸ばすだけ。弱音で弾いていて静かなのだが、不思議と音が客席のこちらに真っ直ぐに届いてくる感じ。ヴァイオリン協奏曲で、はじめから、こんなに静かで、モノローグみたいでいいのだろうか。そしたら、次にオーケストラが弦楽部から来てトゥッティでドッカーンと爆音。このギャップは何なんだろうか。コントラストなどというのではなく、まったく別の音楽が合わさっている、両者の間に脈絡が感じられない。シベリウスの音楽というのは、こんなにも分裂したものだったのか、この協奏曲の演奏にはそういうアナーキーな感じがあった。そして、このハチャトリアンというヴァイオリニストはメロディを歌わせたりとか、技巧的な見せびらかし（ヴィルトージテ）をしていない。これに対して、オーケストラはメロディックだし劇的に弾こうとして、演奏に相容れない二つの部分が並行している感じ。しかし。そのギャップが却って、シベリウスの音楽には相応しく思えた。私には、今まで、惹かれるところのなかった、この曲について、はじめて、こういう曲だったのかと分かるような演奏だった。シベリウスという作曲家が音楽を壊そうという志向があった人だったんだろうと思う。<br />　後半のショスタコーヴィチは、ヴァイオリニストという異質なものがいなくなったので、こちらは安定した音楽で、安心して聴くことができた。それだけに却って、前半の危うさという緊張感がなくなった。ショスタコーヴィチの爆音は、シベリウスのときとは違ってコントロールされていた感じだったので、驚きも危機感もなく、ああそう、という感じ。たしかに、この曲は、交響曲としてははじめから終わりまで沈鬱なトーンがつづいてカタルシスがなく、そういうところは変わっているのかもしれないが、前半の音楽を壊そうというのにくらべれば、それは意図的で計算されたものと他人事のように聴くことのできる。読響は各奏者は頑張っていて、その奮闘はすばらしかったと思う。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>音楽</dc:subject>

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<item rdf:about="http://czt13771.cocolog-nifty.com/blog/2026/08/post-96da28.html">
<title>猛暑の高野山・熊野三山と南紀（３）～第３日目　その他</title>
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<description>　最終日は、ゆっくりとホテルを出発して、あらぎ島の棚田に向かった。和歌山県の有田みかんで有名な有田川をさかのぼった山あいの部落で、川がΩ字に曲がりくねった、典型的な穿入メアンダー地形の内側が舌状の台地...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>　最終日は、ゆっくりとホテルを出発して、あらぎ島の棚田に向かった。和歌山県の有田みかんで有名な有田川をさかのぼった山あいの部落で、川がΩ字に曲がりくねった、典型的な穿入メアンダー地形の内側が舌状の台地となり、大小の水田５４枚が階段状の扇形に形成されている。「国の重要文化的景観」に指定されているとか。でも、かつては、棚田で稲を作らなければならなかった。しかし、今は、その必要性はないのだろうと思う。その証拠に、残っている棚田は、このあらぎ島の部分だけで、その周囲にも、かつて棚田であった痕跡は見られたが、すべて放棄されて耕作されていなかった。おそらく、あらぎ島の棚田は棚田を守るために稲が作られているのだろうと思う。それって、何か矛盾していると思いながら見ていた。似たようなことは、能登の輪島付近の「千枚田」という名で有名な棚田があるが、あそこも景観とか文化の伝統を守るということで、耕作の必要がなくなっているのを、全国から寄付やボランティアを集めて、その保存のために稲作りをしているという。棚田は景観として見ると、美しいといえるかもしれない。しかし、そうまでして、無理してまで稲を作らなければならなかったのはどうしてかを考えると、そこに政治的、経済的な顛倒に思い至るわけで、それがなければ、却って、この地は山の豊かな恵みで暮らしてゆけたのではなかったのではないか。米を無理して作らねばならないかゆえに、そのために豊かになれず、不条理ともいえる棚田のような労苦ばかりの作業を強いられた。そういうことを考えてしまう。ここから、新大阪に出るという大回りして、新幹線で帰った。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>旅</dc:subject>

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